大判例

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東京地方裁判所 平成元年(合わ)72号 判決

主文

被告人Aを懲役一七年に、

被告人Bを懲役五年以上一〇年以下に、

被告人Cを懲役四年以上六年以下に、

被告人Dを懲役三年以上四年以下に、

それぞれ処する。

被告人ら四名に対して、未決勾留日数中三五〇日を、それぞれその刑に算入する。

理由

〔被告人らの身上経歴等〕〈中略〉

〔被害者甲の身上経歴等〕

甲は、昭和四六年一月一八日、父乙、母丙の長女として出生し、埼玉県三郷市の小・中学校を卒業後、同六一年四月、同県立高校の商業科に進学し、平成元年三月に同校を卒業後は、都内の会社に就職することが内定しており、昭和六三年夏ころから、授業終了後、午後八時ころまで、週二、三回位の割合で、同県八潮市内でアルバイトをしていた。

〔非行仲間の形成過程〕

被告人ら四名は、足立区内の同じ中学校出身の先・後輩の関係にあり、いずれも昭和六三年夏ころには、高校を中退ないし離脱して、綾瀬地区を中心として無為に不良交友を続けていたが、C宅の二階のC及び兄Eの各個室は、両親が共稼ぎで、帰宅が遅く、また、Cの家庭内暴力が激しく、両親らの監督が及ばないまま、非行少年らの溜り場となり、同年八月ころからは、同所を中心として、CとBとが、同人と同学年の兄Eを通じて繋がりを持ち、不良交友を始め、また、Aは、同年一〇月始めころに、Eの盗難バイクの捜索に協力したことを契機に接近し、C宅に出入りするようになり、さらに、Dも、そのころ、中学の同学年で見知っていたBやEを通じて、C宅に出入りし、不良仲間に加わるようになった。

そして、同年一〇月ころからは、Aを中心として、B及びCを加えた三名が、後記の女性を対象としたひったくりや車を利用しての強姦等を繰り返すようになり、また、B、C及びDは、同年一一月から一二月にかけて、Aを通じて、順次、暴力団関係者の経営する花屋での手伝い、街頭での花売りにもかかわるようになり、同月中旬ころには、暴力団の忘年会や、組事務所の当番にも駆り出されることがあった。

〔甲に対する猥褻目的による略取等の犯行に至る経緯〕

A及びCは、昭和六三年一一月二五日夕方、それぞれ原動機付自転車に乗って、埼玉県三郷市内を徘徊し、同日午後八時三〇分ころ、同市戸ヶ崎〈番地略〉先路上において、アルバイト先から自転車で帰宅途中の甲を認め、Aが、Cに対し、「あの女、蹴飛ばしてこい」と命じ、同人がいきなり同女もろとも自転車を蹴倒して、側溝に転倒させ、一方、Aは、たまたま同所を通りかかったように装って、なにくわぬ顔で、「危ないから送ってあげるよ」などと言葉巧みに近寄り、信用した同女を付近の倉庫内に連れ込んだうえ、一転して、「俺はさっきの奴の仲間で、お前のことを狙っているやくざだ。俺は幹部だから言うことを聞けば命だけは助けてやる」などと申し向け、右一連の言動に畏怖・困惑した同女を、同日午後九時五〇分ころ、タクシーで、東京都足立区綾瀬〈番地略〉所在のホテルに連れ込んだ。

Aは、同女と性交渉を持ったあと、ホテルから前記のとおり溜り場となっていたC宅に電話をかけて、ホテルに女性と一緒にいることなどを伝え、電話に出たBが、「女を帰さないでください」などと言ったことから、Bと、同区東綾瀬一丁目の路上で待ち合わせることになり、Aとはぐれて帰宅していたCやC宅にいたDを加えた三名が、連れ立って待ち合わせ場所に出向き、被害者を伴ったAと合流した。

そして、Aは、Bらに対し、「やくざの話で脅かしているから、話を合わせろ」などと言って、同女を連れ、同区東和四丁目の蒲原公園に向かった。

(罪となるべき事実)

〔甲に対する猥褻目的による略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄事件〕

第一  被告人ら四名は、

(1) 昭和六三年一一月二六日午前零時三〇分ころ、東京都足立区東和四丁目六番所在の同区立蒲原公園において、被告人Aが、前記の経緯で連れてきた甲(当時一七歳)を猥褻目的で略取し、監禁しようと考え、被告人Bに持ちかけて、その旨の同意を得、さらに、被告人らは同区綾瀬七丁目五番所在の下の公園に移動し、Aらの意図を察知した被告人Cにおいて、自室を監禁場所に提供することを承諾し、さらに、被告人Dも、同女との性交を期待して、Aらの意図を了解し、ここにおいて被告人ら四名は順次共謀のうえ、被告人Aにおいて、前記のような一連の脅迫文言によって畏怖している同女に対して、「お前は、やくざに狙われている。仲間がおまえの家の前をうろうろしているから匿ってやる」などと、更に虚構の事実を申し向けて脅迫し、そのころ、被告人ら四名は、同女を同公園から、C宅二階北側のCの六畳間居室(以下「本件居室」という)に連行し、もって猥褻の目的で同女を略取し、右に引き続き、当初は交互に交代で監視して同女の脱出を困難にし、同年一二月上旬ころには、同女が同所からの逃走を図り、警察への通報を試みるや、被告人A、同B及び同Cにおいて、同女の顔面を手拳で殴打したり、同Aにおいて、同女の足首にライターの火を押しつけるなどの暴行を加え、同月中旬ころからは、Eを監視役に加えたり、そのころから、度重なる暴行と食事も満足に与えられなかった同女をして極度の衰弱状態に陥れて脱出ないし逃走する気力を失わしめ、よって、昭和六三年一一月二六日から翌六四年一月四日までの間、同女をして本件居室等から脱出ないし逃走することを不能もしくは困難ならしめ、もって同女を不法に監禁し

(2) 右監禁継続中の昭和六三年一一月二八日ころの夜中、G及びFと共謀のうえ、本件居室において、甲を強いて姦淫しようと企て、こもごも同女の手足等を押さえつけたうえ、その着衣をはぎ取って全裸にするなどの暴行を加えて、同女の反抗を抑圧したうえ、F、G、被告人Dの順に強いて同女を姦淫し

第二  被告人Aは、昭和六四年一月三日夜から翌四日早朝に行った賭け麻雀で大敗した後、東京都足立区綾瀬所在の被告人D宅で、前夜からファミコン・ゲームを楽しんでいた同被告人、同B及び同Cと合流し、むしゃくしゃした気持ちを甲へのいじめによって晴らそうと考え、その意図を告げ、同B、同C及び同Dとともに、同月四日午前七時ころ、相前後して本件居室に赴き、長期間の監禁中に繰り返し加えられた暴行により、顔が腫れ、手足等に化膿を伴う相当範囲の火傷を負い、また、前年の一二月下旬ころから満足に食事も与えられていなかったことによって、極端な栄養障害に陥り、極度に衰弱している同女に対し、同日午前八時ころから、被告人A、同B及び同Cにおいて、こもごも顔面等を多数回にわたって手拳で殴打し、さらに、同B及び同Cにおいて、倒れた同女を引き起こし、顔面等を回し蹴りするなどの暴行を加えたところ、同女が何ら身を守ろうとしないうえ、不意に転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こすなどしたことから、被告人ら四名は、このまま暴行を加え続ければあるいは同女が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら、そのころ意思相通じて共謀のうえ、あえてその後も同日午前一〇時ころまでの間に、こもごも、その顔面、腹部及び太腿部等を手拳で殴打し、足蹴りするなどしたり、また、キックボクシング練習器の鉄製脚部(平成元年押第一三六七号の1中のもの・鉄球を含む総重量約1.74キログラム・長さ約四二センチメートル)の鉄球部分で太腿部等を多数回にわたって殴打したり、揮発性油を太腿部等に注ぎ、ライターで火を点けるなどの暴行を加え、同女に頭部・顔面・下肢等の広範囲にわたる皮下出血及び脚部火傷等の傷害を負わせ、そのころから同日午後一〇時ころまでの間に、同所において、同日加えられた一連の暴行により、同女を右外傷によるショックにより引き起こされた吐瀉物吸引による急性窒息によって死亡させ、もって同女を殺害し

第三  被告人A、同B及び同Cは、同月五日、「○△×」にいた際、Eから甲の様子がおかしいとの電話連絡を受けて、本件居室に赴き、同女が前日の暴行により死亡していることを確認した後の同日午後六時ころ、犯行の発覚を恐れ、Eと共謀のうえ、その死体を遺棄しようと企て、本件居室において、同女の死体を毛布で包み、大型の旅行用カバンに入れ、さらに、これをドラム缶に入れてコンクリートを流し込むなどして固定密閉したうえ、被告人A、同B及び同Cにおいて、同日午後八時ころ、右ドラム缶を積載した貨物自動車で、同都江東区若州一五号地先の若州海浜公園整備工事現場横の空き地に至り、同所に右ドラム缶を投棄し、もって同女の死体を遺棄し

〔強姦、傷害及び窃盗事件〕

第四  被告人A及び同Bは、

一 昭和六三年一一月八日午後七時すぎころから、A運転の普通乗用自動車にCを同乗させ、姦淫の相手を探して走行中、同日午後八時ころ、東京都足立区神明〈番地略〉付近路上において、自転車に乗って帰宅途中の丁子(当時一九歳)を認めるや、Cと共謀のうえ、強いて同女を姦淫しようと企て、被告人Aが、自車を幅寄せして右自転車の進路を妨害して停止させ、被告人Bが、自転車の鍵を抜き取るなどして、同女を無理矢理右自動車の後部座席に乗せ、同日午後八時三〇分ころ、常磐高速道路柏インターチェンジ付近を走行中の同車内において、被告人Aが、同女に対して、「大洗に行くか。それとも栃木の山奥へ行くか」「俺は最近少年院を出てきたばかりだ」などと、いかなる危害をも加えかねない言動を示して脅迫し、その反抗を抑圧したうえ、同日午後九時三〇分ころ、同区保塚町〈番地略〉所在のホテル○○○○に同女を連れ込み、そのころ同所において、被告人A、C、被告人Bの順に強いて同女を姦淫し

二 同年一二月二七日午前零時すぎころから、A運転の普通乗用自動車にC及びDを同乗させ、姦淫の相手を探して走行中、同日午前二時三〇分ころ、東京都足立区東綾瀬〈番地略〉付近路上において、帰宅途中の戊子(当時一九歳)を認めるや、C及びDと共謀のうえ、強いて同女を姦淫しようと企て、同女を取り囲んで右自動車の後部座席に乗せたうえ、しばらく走行した後、停車した右車両内において、被告人Bが、繰り小刀(前同押号の22)を左手に持ち、被告人Aが、果物ナイフ(同押号の20)を同女のひざ付近に突き付けて、「ここまで来れば分かるだろう。男と女のやることだ」「先輩に女を連れてこいと言われたので、連れて行かなければならない。それが嫌なら俺達とやれ」などと申し向け、同女を脅迫してその反抗を抑圧したうえ、同日午前四時ころ、同区一ツ家〈番地略〉所在のモーテル××××に同女を連れ込み、そのころ同所において、被告人A、同B、C、Dの順に強いて同女を姦淫し

第五  被告人A及び同Bは、昭和六三年一二月中旬ころに、暴力団関係者から促されて結成しようとした下部組織的集団に、Fが入らなかったこと等から、Cと共謀のうえ、Fにリンチを加えようと企て、同六四年一月六日午後一一時ころ、東京都足立区綾瀬〈番地略〉付近路上に駐車中の普通乗用自動車(A所有)内において、こもごも、同人に対し、手拳でその顔面を数回殴打したうえ、さらに、同区中川〈番地略〉所在の花屋「○△×」事務所内に同人を連れ込み、同日午後一一時三〇分ころから翌七日午前二時三〇分ころまでの間、同所において、こもごも同人の顔面を手拳で多数回にわたって殴打し、さらに、金属製のバケツ、椅子等で同人の頭部・背部等を多数回にわたって殴打するなどの暴行を加え、よって同人に対し加療約四週間を要する全身打撲の傷害を負わせ

第六  〔自動車盗など窃盗関係〕

一 被告人A及び同Cは、Gらと共謀のうえ、昭和六三年一〇月二三日午前二時ころ、東京都足立区綾瀬〈番地略〉先路上において、己男所有の軽乗用自動車一台(時価四〇万円相当)を窃取し

二 被告人A、同B及び同Cは、Gと共謀のうえ、同月二六日午前零時三〇分ころ、同区綾瀬〈番地略〉所在の△△ビル一階○○店舗内において、同社代表取締役庚男の管理するジャンパー外一四四点(時価合計二〇〇万五七五五円相当)を窃取し

三 〔ひったくり関係〕

1 被告人A及び同Bは、共謀のうえ、

(一) 同年一二月三日午後六時ころ、埼玉県八潮市大字垳〈番地略〉先路上において、同所を自転車で通行中の辛子から、同女所有の現金約二三〇〇円及び財布外六点在中のビニール製バッグ一個(時価合計一〇〇〇円相当)を、

(二) 同日午後六時一五分ころ、東京都足立区西加平〈番地略〉先東京電力×△変電所北側路上において、同所を自転車で通行中の壬子から、同女所有の現金約三万円及び財布外三点在中のビニール製セカンドバッグ一個(時価合計五〇〇円相当)を、

(三) 同日午後六時五〇分ころ、東京都葛飾区亀有〈番地略〉△×株式会社前路上において、同所を自転車で通行中の癸子から、同女所有の現金約三万円及び財布外四点在中の革製ショルダーバッグ一個(時価合計七五〇〇円相当)を、

(四) 同日午後七時五分ころ、同区東堀切〈番地略〉所在の相和荘前路上において、同所を自転車で通行中の丑子から、同女所有の現金約一万円及び財布外六点在中の革製セカンドバッグ一個(時価合計三万六八〇〇円相当)を

それぞれ、ひったくって窃取し

2 被告人Aは、右同日午後九時三〇分ころ、同区西綾瀬〈番地略〉所在の○△方前路上において、同所を自転車で通行中の寅子から、同女所有の現金約二万六〇〇〇円及び財布外四点在中の革製セカンドバッグ一個(時価合計二〇〇〇円相当)をひったくって窃取し

3 被告人A及び同Cは、Fと共謀のうえ、

(一) 同月五日午後八時三五分ころ、同区中央本町〈番地略〉所在の○×先路上において、同所を自転車で通行中の卯子から、同女所有の現金一万五〇〇〇円及びポーチ外九点在中の布製リュックサック一個(時価合計一一〇〇円相当)を、

(二) 同日午後九時三〇分ころ、同区加平〈番地略〉先の環状七号線歩道上において、同所を自転車で通行中の辰子から、同女所有の現金約四〇〇〇円及び財布外一四点在中のショルダーバッグ一個(時価合計八〇〇〇円相当)を

それぞれ、ひったくって窃取し

4 被告人A及び同Bは、共謀のうえ、同月七日午前二時五〇分ころ、東京都足立区綾瀬〈番地略〉先路上において、同所を自転車で通行中の巳子から、同女所有の現金約三万円及び財布外五点在中の合成皮革ショルダーバッグ一個(時価合計二〇〇〇円相当)をひったくって窃取し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

一  甲に対する猥褻目的による略取・監禁の共謀について

被告人B、同C及び同Dの弁護人らは、本件略取・監禁の共謀の有無及び態様等を争い、被告人Bについては、「Bは、C宅に入る直前まで、事態の推移を理解していなかった」旨、被告人Cについては、「Cの当初の意図は、被害者をホテルに連行して強姦するというものに留まり、自宅に連れてくることまでの認識はなく、現に、その後の自宅への連行に、Cは一切関与していない」旨、被告人Dについては、「Dは、終始被害者を略取・監禁する認識がなかった」旨、各主張するので、検討を加える。

Aと、B、C及びDらが合流するまでの経緯は、判示の略取等に至る経緯で認定したとおりであるが、その時点で、被害者がいわゆる強引にナンパされた女性であって、Aに自由を拘束されていることは、同日Aの指示でナンパのきっかけを作ったCはもとより、B及びDも、Aからの電話の内容や、連れてこられた同女の態度等から、十分に推察できたといえる。

しかも、Aは、Bらの面前で、同女に対して、「やくざに狙われている」旨の虚偽の言動を繰り返し、Bらは、同女がこれに畏怖する姿を目の当たりにしており、C宅に程近い下の公園に向かい、一時期、AとCが現場から離れた間も、BとDは、冬の深夜、同女を解放することなく同公園付近で待機しており、また、態様の詳細は別としても、被害者を連れた被告人ら四名が、同夜、同公園からC宅に前後して入ったことは、Bの公判廷における供述のみでなく、Eの検察官に対する供述調書からも認められ、その後、被告人らが同女の監禁に及び、数日後には強姦している経緯に照らしても、順次、猥褻目的による略取及び監禁の共謀を遂げたことは明らかである。

Bは、「C宅に連れ込むまではホテルに行くと思っていた。蒲原公園でAと会話したことはあるが、被害者に関する話はなかった」旨弁解するが、Aは、「蒲原公園の自動販売機の前で、Bと、同女をさらってしまおうという話をした」と供述するところ、右供述は具体的で、捜査段階から一貫しており、また、ことさらBを共犯に取り込もうとする不自然さもなく、その後、下の公園に向かい、待機のうえ、C宅に入ったという事態の推移にも符合するものである。

次に、Cは、「自室を監禁場所として提供することを承諾したことはないし、Aと一緒に公園を離れたあとのことは、酒に酔っていて記憶があいまいで、むしろ当夜ではなく、翌朝自室に戻ったと思う」旨弁解するけれども、A及びBは、公判廷で、当夜の合流後いずれかの段階での会話中で、Cが自室の提供を承諾した旨述べているほか、当夜Cが自室に戻らなかったというのは不自然である。

また、Dは、事態の推移を、よく記憶・認識していない旨弁解するけれども、Dは、公判廷においても、被害者が目を腫らせていたことは認めており、しかも、Aと合流後、被害者と会話をしたり、C宅に入るまで終始仲間と行動を共にしているのであって、一連の経緯からAらの意図を十分理解していたとみるべきで、数日後からは監視役等を担当し、強姦の際は姦淫行為にも及んでおり、これらの経緯に照らしても、Dの弁解は信用できない。

したがって、被告人ら四名が、判示の限度で、順次、猥褻目的による略取及び監禁の共謀を遂げたことは明らかである。

二  被告人Bの弁護人らは、同被告人が甲に対する強姦の実行行為はもとより、その旨の共謀にも加担したことはない旨主張するが、Bの公判廷での弁解は、要するに、「被害者に好意を抱き、Aから輪姦をするよう言われた際、嫌だったので、裸になることなどは勘弁してくださいと頼み、暴行及び姦淫行為に加わらなかったが、Aに逆らっていないことを示すために、自分も同女の陰毛を剃った」というものであって、Bは、右輪姦の全過程において、共犯者らと狭い本件居室に留まり、同じ機会にAらが被害者に加えた猥褻行為に打ち興じていたのみならず、自らも被害者を辱める行為に及んでいるのであるから、BがAらと強姦の共謀を遂げていたことは明らかであって、前記弁解は、当時のBの内心の一端を表すものとしての意味はあっても、共謀を否定するまでの根拠にはならない。

三  甲に対する殺意について

被告人A及びその弁護人らは、一月四日の暴行の過程において、同被告人に未必的な限度で殺意が生じたことは認めており、他方、被告人B、同C及び同D並びにそれぞれの弁護人らは、右各被告人に殺意はなく、傷害致死罪が成立するにすぎない旨主張する。

1 まず、前掲各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 被害者の衰弱の程度

犯行の約三か月後、ドラム缶にコンクリート詰めの状態で発見された被害者の遺体の状態は、身長が166.2センチメートル、体重が44.6キログラム、腹部の皮下脂肪が約一センチメートルとなっていた。

ところで、法医学の観点からは、死亡後の日数経過による乾燥や、腐敗液による体重減少を考えても、被害者の監禁以前の体重(約五三キログラム)に比べて、発見時の右体重は軽すぎること、平均的な女性の皮下脂肪の厚さと比べ、被害者の脂肪の厚さは三分の二程度しかなく、死亡前に高度の栄養失調状態にあったことが肯定されている。

一二月中旬ころからは、Eが主として本件居室での同女の見張り等を担当するようになり、そのころには、パンや牛乳、卵など、自宅にあった食べ物を与えるにすぎず、同月末ころからは、一日に牛乳を約0.2リットル与える程度となり、これ以外に、被告人らが、同女に食べ物を与えることはなかったので、前記の体重が減少したことや、脂肪層が脆弱となったのは、長期間の監禁中に満足に食べ物を与えられなかったことや、衰弱につれ食欲が減退したことに起因するものといえ、同女は、一月四日時点で、既に極端な栄養障害に陥っていたことが推認される。

また、遺体には、全身の広範囲にわたる多数の鈍体作用による血様浸潤部が存し、腐敗の程度がひどいため、火傷の有無の判別を含め、外傷の事後的判断により、その生成時期を判定することは困難であるが、被告人らの捜査・公判での供述等を総合すれば、一二月下旬には、同女は自力で階下のトイレに行くのにも不自由な状態になっており、一月四日早朝、被告人らから暴行を受ける直前の同女は、それ以前に被告人らから受けた度重なる強度の暴行等より、顔面は、頬が鼻の高さに並び、目が判別できないほど腫れ上がり、下肢などの多数箇所にできた火傷が、治る暇もなく化膿して異臭を放ち、ぐったり横臥していたという状態で、一月四日当日の被告人らの屈辱的所業を外形的には唯々諾々と受け入れ、長時間にわたる各種暴行に対する抵抗・反応もほとんど示さなかったことに照らせば、既に全体症状は非常に悪化しており、長期間の監禁中、孤立無援の状態におかれて、いじめ抜かれたことから、正常な気力を保持できず、当日は既にある種の精神的錯乱の徴候を呈していたとも考えられ、いずれにしろ、同日暴行を受ける以前には、前記の極端な栄養障害とあいまって、極度の衰弱状態に陥っていたといえる。

(二) 被害者の死因

遺体には、骨折はないが、頭部・顔面・胸背部及び左右上・下肢などに、鈍体作用による生前の出血により生成されたと推認される多数の血様浸潤部があるほか、気管内に胃の内容物が多量に吸引されたとみられる所見が存在し、肺内にも、異物吸引像が著名に認められることから、被害者の死因は、一月四日当日の手拳、足及び鉄球付き鉄棒による暴行等により引き起こされた、外傷性ショックによる意識不明の結果、胃の内容物を吐瀉し、それを気道内に吸引して急性窒息したものと認められる。

そして、解剖を担当し、死因等についての鑑定書を作成した東京大学教授石山昱夫の検察官に対する供述調書等によれば、右死因としては、外傷性ショックによる被害者の意識不明と、脳圧亢進、循環障害を起こし、胃の内容物の吐瀉・気道内への吸引を惹起した一月四日の暴行が決定的であり、また、外傷性ショックを誘発した後、数時間で不可逆状態に陥り、その生存時間は大体半日程度であるが、胃・肺内の異物の消化程度からすれば、被害者の衰弱による胃の機能低下の影響を考慮にいれない場合の死亡推定時間は、暴行終了から四時間以内であった可能性も大きいとされている。

(三) 一月四日の犯行に至る経緯

〈中略〉

被告人らの間では、一二月上旬ころから、監禁中の同女の処置について軽い話題が出始めていたが、次第に

束縛感が高まり、同月下旬ころには、Aが、同女は死んだ方がましだとの考えをBに伝えたけれども、その処置について具体的な解決策を示さないため、B、C及びDの間で、同女の死を前提とした処理が話題に上がり、Bは、年末休みにはCの両親に事が発覚するとの不安を強め、Cは、自宅で同女が処理されたり、自らも手を下すことになるのは困ると考え、また、Dも、溜まり場であった本件居室を同女に占領され、その監視のために自由に遊べないといった、それぞれ身勝手な考えを抱き、同女を処理する話が、現実味を帯びたものとして登場するようになった。

(四) 一月四日当日の暴行態様について

〈中略〉

2 以上の事実を前提として、各被告人の殺意の有無について検討する。

(一) まず、一二月下旬、被告人らの間で、同女の死を前提としてなされた発言・会話は、いずれも具体性を欠き、その実行の手段・方法等が検討された形跡はないので、これらをもって直ちに、殺意が事前に形成されていたものと評価することはできない。

また、一月四日当日、Aらは、予め、蝋燭等を購入しているが、これはあくまでいじめの小道具にすぎず、当初行われた暴行は、いじめの一態様として、前月下旬ころまで被害者に加えられた暴行と意図において変りなく、暴行開始の当初から、未必的にせよ殺意があったことを認めるに足る、信用すべき証拠はない。

(二) 被告人Aについて

しかし、その後、暴行が次第に増幅し、被害者が強度の暴行やいじめを受けながら、抵抗はもとより、悲鳴を上げることすらできない状態となるに及んで、Aは、その外観からも、同女の衰弱度が甚だしい状態に陥っていたことを認識した旨、公判廷で自認しており、とくに、B及びCの暴行の途中、同女が倒れて硬直・痙攣を起こした状態を見て、死の危険を感じたにもかかわらず、Cらから「仮病だ」と言われるや、同人らの行為を制止することなく、自らも、ためらわずに暴行を続け、同女が最低限の防御反応すら示さなくなっても、これを緩めることなく、より積極的に、自ら部屋のすみにあった用法上の凶器ともいえる鉄球付き鉄棒(総重量約1.74キログラム)を持ち出し、これをなんら手加減せず同女の大腿部に多数回たたきつけたのであって、Aとっては、その重量感から同女の死を招来する危険が高まった実感を常識的に感得したものと推認され、このような、Aの、一連の執拗かつ強度な暴行と、同女の死を回避するための配慮を全くせず、終始、同女の死について無関心な態度をとり続けたことは、殺意を基礎づけるに十分であって、本件犯行直後、Bらに対し、何度も「甲が死ぬのではないか」といった趣旨の発言を繰り返していたことにも合致し、判示の暴行の過程で、未必的殺意を生じたという、Aの公判廷での供述は信用することができる。

(三) 被告人B及び同Cについて

被告人B及び同Cの各弁護人らは、「B及びCは、このころ既に被害者を物のように見ており、前後の見境なく暴行を加え、これによる同女の生死などは全く考えておらず、同女が倒れて痙攣を起こした際も、本当に仮病だと思ってますます腹が立ち、更に暴行を加えたのであり、また、人は殴ったぐらいで死ぬものではないと思っていたので、犯行後Aから同女の死を気遣う言葉が出ても、冗談だと思っていた」旨主張し、B及びCも、弁護人らによる公判廷での質問に対して、同趣旨の弁解を繰り返している。

B及びCの両名は本件当日以前においても、被害者に対し手ひどい暴行を繰り返し加えており、両名の情性が相当程度麻痺しており、また、それ故にこそ通常人の想像をはるかに超えた暴行を、外面的には躊躇なく加え続けることができたともいえるのであるが、両名が、被害者の死を全く考えていなかったわけではなく、前述のように、少なくとも、一二月下旬ころには、Dも加えて、何度も被害者の処置についての話題が出て、それまでの犯行の発覚を防ぐため、同女の死を前提とした死体処理の話にまで及んでおり、ことに、Cは、Dの話を真に受け、Aに対して、自宅で同女を処理することなどはないようにしてくれと直訴していたものであって、B及びCらにとって、自らの生活・行動を束縛する疎ましい存在と考えていた同女に対して、その存在を否定する方向での気持ちが高まって、同女への強い攻撃性・排斥感をみなぎらせ、当日の、常識では考えられない犯行に及んだことが推認できる。

当日両名が被害者に加えた暴行は、前記のとおりで、Aに勝るとも劣らない執拗かつ強度なものなっており、ことに、同女が倒れて硬直・痙攣を起こしても、これを顧慮することなく、身体の枢要部等を手加減なく攻撃するなど、全く同女の生存に配慮をせず、かつ、その死に無関心な態度をとり続けたこと、また、後半に用いられた鉄球付き鉄棒の危険度は、これを利用して暴行したものには容易に感得できるものであること、以上の暴行の程度は、被害者の当時の衰弱度に照らせば、死の危険を招来する高度の蓋然性を有していたもので、一連の事態の推移を目の当たりにし、自らも、終始、積極的に加担したB及びCにおいては、暴行等のよるその後の死の顛末が、同女のショック状態を引き起こし、吐瀉物を吸引して窒息するという、因果の過程を辿ることについての、具体的な認識・予測はできないまでも、同女にこのまま暴行を加え続ければ、死んでしまうかもしれないとの考えが生ずるに至ったものと推認するのに、矛盾はなく、暴行の過程で、未必的殺意が生じたことを肯認できる。

そして、本件では、被害者の衰弱度や死に至るかもしれないことへの認識の甘さ・希薄さが目立つけれども、目前の事実そのものを知覚していることに変わりなく、ただ、その事実のもつ心的な意味や、事実間の意味ある結びつきを切り離すという、自我の無意識な働きがあったもので、右のような心理的な事態は、成人の犯罪においても程度の差こそあれ生ずるのであって、一連の暴行等の実行担当者であるB及びCが、事態の推移を全く理解していなかったわけではなく、意識障害等の異常が一切認められない同人らにとって、殺意を否定する根拠とはならない。

(四) 被告人Dについて

被告人Dの弁護人らは、「Dは、監禁の当初、被害者がなぜ帰らないのかさえ理解できず、監禁に気付いて後も、自分は終始留守番役を果たしていたという程度の認識しかなく、また、監禁過程におけるAらの暴行は、Bの意図とは全く関係なかったもので、暴行の現場に居合せることはあっても、Aらのお荷物的存在であり、その力関係からこれを止めることはできなかったが、積極的に暴行には加担しないという形で、事件とのかかわりあいを拒む姿勢をとり続け、他方、Eとともに火傷の薬を探して同女に与えたこともあって、同女の衰弱状態に関する認識はAらと根本的に異なっており、Bらと同女の処置について話し合った際も、Dには切迫感がなく、「殺すならミンチがいい」などといった、その場限りの無責任な思い付きを述べたにすぎず、犯行当日は、Aに呼ばれて嫌々Cの部屋に行き、当初傍観していたが、これまでの経験から、手を出さないとかえってAらから乱暴されると思い、受けを狙って、先回りして同女に攻撃を加えたにすぎず、同女を死に至らしめる危険な攻撃を加えていたとは思わなかった」旨主張し、Dも公判廷で同趣旨の弁解をする。

たしかに、Dも、Bらと同様、自分に都合の悪いことは意識の中心から疎外していたものと考えられ、また、Dは、精神状態が年齢に比して著しく未熟・未分化で、情性に乏しく、意志の自発性に欠け、衝動的かつ付和雷同的であることなどがあいまって、緊張場面に対し他人事として装うことでその場の自我関与を避けるという行動傾向が顕著に現れており、適切な判断や行動制御能力が低下していたことから、目の前で展開されている事態の推移に対し、危機感や切迫感を感じなかったものと理解される。

しかし、当日Aから呼ばれてCの部屋に行った当初は、事態を傍観していたにしても、同じ狭い部屋でのAらの暴行や、その結果としての被害者の衰弱の程度に全く無関心でいられるはずはなく、被害者が倒れて、硬直・痙攣を起こした場面も認識したはずで、これらに触発されたからこそ、その後、誰に命令されることなく、自ら機転をきかせて、手拳に血が付かないように、部屋にあったビニール袋とガムテープを巻くなどして、自らも積極的に暴行に関与するという局面を作ったものとみられ、これが直ちに他の共犯少年の模倣を誘い、とくに、重量感から死を生じさせる危険が相当程度実感される鉄球付き鉄棒で、横臥する同女を力まかせに多数回殴り続けたことは、他の共犯少年らですら、過度の危険な行為と感じたほど激しいものであり、腹部に右鉄球を落とすなどしたことも合わせ、本件にかなり積極的な寄与をしたものであって、他の共犯少年らと同様、同女の生存に配慮せず、その死の結果発生に無関心な態度をとり続けたことが、看取できる。

また、Dは、前記のように、BやCと同女の処置に関する会話に何度も加わっており、BやCらが抱いた切迫感・危機感とは程度の差があるにしても、同女が自己の行動を制約する疎ましい存在と考えていた素地は集団に帰属していた一員として共通にあり、監禁途中においてAらから同女に暴行を加えることを強いられる場面はなく、当日に限って同人らから暴行を受けることを慮って暴行を加えたということはあり得ず、むしろ、右に見たように、D自身が同女を疎ましい存在と考えたことが、当日の強度の暴行に駆り立てた動因のひとつとも考えられる。

なお、同日の暴行に関与したEは、殺人の罪責を問われていないが、同人は、当初の猥褻目的による略取、強姦や、一二月下旬の被害者の処置に関する会話にかかわっておらず、当日の被害者への暴行も、Aに押し付けられた軽微なものに留まっており、Dとは全く事情を異にするものである。

そして、Dが、同女へ積極的な暴行を加えたのは当日が初めてであったこと、Aらを中心とした集団内部での地位・役割は総体的に低かったこと、当初の被害者への暴行はいじめにあり、これが増幅されるに至ったこと、事態の推移の認識についての甘さがあること等の諸事情を総合考慮しても、前述のB及びCと同様に、判示の暴行過程で、未必的殺意を抱くに至ったものと推認できる。

3 なお、被告人らは、遅くとも、同女が転倒し身体を硬直・痙攣させたのを見た時点では、このまま暴行を続ければあるいは同女を死亡するに至らせるかもしれない旨、同女の死を未必的に認識するに至ったにもかかわらず、これを意に介することなく、共同して前記の手拳及び鉄球付き鉄棒等による暴行に及んだものであるが、同女死亡の結果は、当日の、殺意発生以前の暴行と殺意発生後の暴行とがあいまって、引き起こされたことが認められ、殺意発生後の暴行と同女の死亡との間に、因果関係が存することにも問題はない。

五  家庭裁判所への移送の主張について

1 被告人Cの弁護人らは、「Cが本件の一連の犯行に関与した主要因は、Cの著しい精神的・人格的未熟性にあり、保護処分による教育的措置が必要であり、一連の犯行の開始時においては満一六歳未満の少年であり、少年法二〇条ただし書の趣旨や、本件犯行の集団犯罪としての特殊性からも、刑事処分は相当でない」旨、被告人Dの弁護人らは、「Dは、自己の心を固く閉ざし、強い者に迎合して、弱い者に攻撃を発散するという特性を有しており、また、現在は、事件に巻き込まれたという意識が強く、自分に大きな責任があることを十分自覚できておらず、このようなDにとっては、刑事処分は無意味であり、人間的に豊かな感情を育て、被害者らの痛み・悲しみを本当に理解させるための、カウンセリングを主体とする教育的・保護的措置が必要かつ相当である」旨、各主張し、少年法五五条により、本件を家庭裁判所へ移送することを求めている。

2 被告人C

被告人Cが関与した事件は、被害者甲に関する、猥褻略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄のほか、自動車盗及び店舗荒らし各一件、女性に対するひったくり二件であり、とくに、被害者甲に関する一連の事件は、同女に長期間暴行・凌辱の限りを尽くした挙げ句殺害し、死体をドラム缶にコンクリート詰めして投棄するという凶悪・重大な事件であり、その中でCが果たした役割は、監禁場所の提供など、発端において重要な寄与をしたほか、監禁中の役割も大きく、Aの指示を受けない場面で、Bとともに被害者に対し積極的・能動的に著しく度を超えた暴行を繰り返していることなど、A及びBに追随したというに留まらない働きがみられるほか、殺害についての関与も、前述のように重大で、被害者の気持ちを全く思いやらない無慈悲、冷淡な態度が際立ち、既に、両親の保護の域を超えて、非行仲間らとの生活に浸り、その深化度も相当進んでいたことが認められ、判示第四の二件の強姦及び第五の傷害等を内容とする非行事実により、中等少年院(一般長期)に送られ、その入院中に本件一連の犯行が発覚したことなどに照らせば、Cが、当時一六歳前後の少年であり、可塑性に富む少年には、刑罰よりも収容期間等に幅があり、個別的な対応が可能である保護施設での処遇が望ましいこと、長期の身柄拘束期間を通じて、それなりに責任意識が覚醒されたことなどの事情を考慮しても、先に指摘のような、関与した犯罪の凶悪・重大性、現実に担当した役割の内容及び積極性等を考えれば、もはや、被告人Cに対して保護処分を選択することは不適当であって、本件行為及び結果の重大性などについての責任意識を自覚・涵養するために、現段階においても刑事処分が相当であると考える。

3 被告人D

被告人Dは、被害者甲に対する一連の凶悪・重大事件のうち、猥褻略取、監禁、強姦、殺人に関与したものである。

右各犯行への関与の態様は、他の共犯少年と異なり、傍観者的・追随的で、監禁途中でも、自らは被害者に積極的に暴行を加えることはなく、Aを中心とする集団に内向的・受動的に従っていたものであり、また、現在も無気力・無感動・無関心・持久力の欠如といった人格障害を示し、心身に相当問題があること、しかも、その形成要因には、素質及び恵まれなかった生育環境等の諸要因が競合しているものと考えられており、犯行時に十七歳前後であったことをも考えれば、保護処分を相当とする意見にも、それなりの根拠が認められる。

しかし、本件に関しては、前述のように、被害者の殺害という重大な犯行において果たした積極的な行動面での役割は軽視できず、判示第四の二の強姦を内容とする非行事実により、中等少年院(一般短期)に送られ、その入院中に本件一連の犯行が発覚したこと、その他年少少年時以来の前歴の状況や、既に母親の保護を受け容れず、乱れた生活を送って久しく、家族らとの心情の交流も不十分で、保護の態勢も十分には整っていないこと、さらに、被告人Dは、前記の性格傾向に伴う日々の無気力・追従的生活態度から、ずるずると非行集団に留まり、成り行きにまかせて、問題に対する自我関与を避けていた結果、本件当日の切羽詰まった事態に直面し、不適応・過剰な攻撃行動を発散したもので、そのような事態に立ち至った本人自身の責任も看過できず、このような問題点の改善は、行為・結果の重大性に対する責任意識を自覚させるための刑事処分においても期待できること、保護処分との均衡は、刑の量定の枠内においてある程度配慮できることなどを考えれば、同被告人についても、保護処分を選択するのは不適当であると考える。

(法令の適用)〈省略〉

(本件犯行の特異性と量刑の理由)

一  本件は、犯行時約一六歳から一八歳の、同じ中学校出身の少年四名が、帰宅途中の女子高校生を猥褻目的で略取したうえ、ひとりの少年の、両親・兄も住む居宅二階の自室に約四〇日間にわたり監禁し、その間、集団で、同女を強姦したほか、暴行・凌辱の限りを尽くしていじめ、終局には殴打・足蹴り等の暴行を加えて殺害し、さらに、犯跡を隠蔽するため、Dを除く被告人三名が、その死体をドラム缶に入れてコンクリートを流し込むなどして密閉のうえ投棄したという、一連の凶悪・重大かつ特異な犯行のほか、被告人Aにおいて強姦二件、傷害一件、窃盗九件、被告人Bにおいて強姦二件、傷害一件、窃盗七件、被告人Cにおいて窃盗四件を犯したというものである。

ところで、右女子高校生に対する一連の事件は、犯行の態様が、被害者を長期間非行集団の溜り場に、ペットのように囲い込み、集団の性的いじめに始まり、想像をはるかに超える暴行を繰り返したことにより、同女が醜く変わり果てるや、次第に「もの」のように扱い、食事も満足に与えないで放置しながらいじめを度重ね、身勝手にも、疎ましい存在として被害者への憤懣をつのらせた挙げ句、ついに同女をなぶり殺しにしたものであって、成人事件においても考えられない程の歯止めのかからなかった事件で、さらに、死体をコンクリート詰めにして投棄するといった事後処理の仕方も衝撃的で、被害者の人間性を全く無視した犯行であるにもかかわらず、犯行時の少年らは、とくに精神障害はないのに、極限状態に置かれた被害者の痛みや気持ちを全く思いやれず、さしたる心理的抵抗感もないまま、各犯行を重ねていたことを、捜査過程以来淡々と供述しており、陰湿・酸鼻な経過に見合うほどの、さしたる動機・緊張感がないことなど、何故このような事態が生じたのかについて、常識では理解し難い重大な問題性を胚胎しており、当裁判所は、これらに鑑み、各少年の家庭裁判所の少年調査記録の取調べに加えて、「共犯少年の相互の関係を前提として、犯罪精神医学から見た、本件一連の犯行に至った心理機制」についての鑑定(鑑定受託者・上智大学教授・福島章)及び同鑑定人に対する証人尋問を行った(以下、両者を合せて、「福島鑑定」という)。

二  福島鑑定及び各少年調査記録によれば、次のような事実がうかがわれる。

被告人ら四名は、いずれも暴力との親和性の高い社会環境に育ち、それぞれの外傷・挫折体験を有し、いずれも家庭内暴力を経て、親からの監督・統制を離脱していたという諸点を共通にし、地元で不良集団を構成していた。

被告人Aは、〈中略〉脳の器質性の欠陥の影響と見られる行動面での特異性が幼少時期から発現し、多動・活動的で、躁的な気分の発揚性を示して、衝動の統制の悪い人格像を作り、一時期柔道に打ち込んでこれを克服したかのように見えたが、高校柔道部でのいじめ・退学という強い挫折体験を経て頓挫し、再び統制不良な生活に戻って、不良仲間、大人のやくざらと交わるようになった。

〈中略〉

被告人ら四名は、いずれも、程度の差異はあれ、性衝動・攻撃衝動の統御が不良な傾向を有する人格を形成したまま、不良仲間や、Aを通じて大人のやくざと交わり、昭和六三年一〇月ころから、非行性及び社会からの逸脱度を一気に深めていったが、右不良集団は、Aを中心として依存性・被影響性の高い少年たちで構成されていたことから、Aの前記器質性欠陥の影響である衝動の統制不良からくる多動的で見通しのない行動に惑わされ、親からの統御の及ばない、密室化した本件居室を中心として、それぞれの少年の資質面での問題点が、相乗的に増幅して事態の悪化を拡大した。

また、前述の各少年の未熟さからの、集団の責任体制の不明確さと、事態の問題解決能力の不足等の不幸な事態が重なって、個人の病理をはるかに超える問題性が表面化して定着・深化し、当初の遊び半分で行った意図以上に監禁を長期間続けることとなり、その間自分らが加えた暴行により同女が醜く変わり果てるにしたがって、被害者が邪魔者と映り、性的興味も失って、帰すに帰せない同女を、自分らの自由を束縛する不要な「もの」として考え、いらだちをぶつける「対象」と化し、不健全な生活関係からくる諸々の不満を抱いたまま、最終段階に至ったもので、その過程で、自らの行動の正当化を図るために、許されないこと、自らに不都合なこと等の感情を隔離・否認するという自己防衛的心理機制を用い、前記の弁解に対応する心理的状態に陥り(福島鑑定によれば、被告人らには、それぞれ、パーソナリティーの発達に障害があり、反社会的人格を形成し、非行少年一般と同様に、自我防衛として隔離・否認などの心理機制を用いて、非行行為に対する抑制を解除していたもので、被害者が死んでしまうかもしれないことに対する認識の甘さは、自分に都合の悪いこと、考えたくないことなどを意識の中心から隔離し、否認する自我防衛の機能として理解できるとする。もっとも、福島鑑定は、同時に、意識の中心から隔離するというのは、心理的な説明にすぎず、意識障害の存在を示唆するものではなく、視野の脇に押しやられて細かくまでは意識していないという状態にたとえられると説明する)、本件当日の過剰な攻撃に至ったもので、死体の処理も、現実の必要に迫られたことによるもので、意識的に残虐・酸鼻を求めたものではない。

以上のように、本件犯行に至った心理機制・理由については、一応の説得的な説明がなされているのであるが、他方では、被告人らと類似する社会・生育環境等にある同世代の少年らが、本件のような極端に残虐で執拗な犯行に無縁なことを考えれば、これをもって本件を説明できたとするには、なお検討を要するところでもある。

三  そこで、以上指摘された被告人らの資質面での問題点や、心理機制を参酌しながら、各被告人の量刑について検討を加える。

まず、女子高校生に対する一連の犯行は、安易な動機から被害者を拉致し、長期間の監禁中には、多数回にわたる、いじめ、性的虐待、暴行等を繰り返し、その結果同女が醜くなるや、これを自分たちの束縛の対象と考え、さらに、激しい暴行を加え、本件殺害に至ったもので、まことに身勝手極まる自己中心的な理由から、重大な結果を生ぜしめたもので、もとより、同女がこれほどまでに辱めを受けるいわれは一切なく、とくに、当日の犯行態様は言葉による表現を超えた、非人間的で、人心を寒からしめるものであって、事後に、ためらいもなくコンクリート詰めにして死体を投棄するなど、被告人らの行為は悪質・重大であり、その刑事責任は重い。被告人Aは、本件犯行時約一八歳八月の少年であって、一連の犯行の主導的地位を有し、猥褻目的による略取・監禁・強姦・殺人・死体遺棄の各犯行の発端も同被告人が作り出し、その犯行態様の異常性は同被告人に由来するところが大であり、集団の攻撃性を増幅させるのに大きな働きを演じたもので、共犯者中、その刑事責任は最も重い。

被告人Bは、本件犯行時約一七歳七月の少年であって、Aからの指示を受け、受動的に行動する場面もあったにせよ、共犯少年中ではAに次ぐ地位にあり、集団内における調整役を務め、他の少年らの模倣を誘ったものであり、本件の発端においては、Aからの相談に乗り、監禁・強姦・殺人において果たした役割も重要で、Aの指示を受けずに、Cと被害者をなぶることも数回あったもので、同被告人の責任も重い。

被告人Cは、本件犯行時一六歳前後の少年であって、本件犯行の巣になった自室を提供したほか、監禁過程全般で、Bと共同して被害者に手ひどい暴行を繰り返すなど、果たした役割は重く、殺害当日の暴行も通常のいじめの程度を著しく超え、また、AやBの指示があったとはいえ、同人らの提供する非行場面にも積極的に参加していたもので、B同様、その責任は重い。

被告人Dは、本件犯行時約一七歳の少年であって、関与の仕方は、終始従属的・追従的ではあったが、本件殺害行為に際して演じた役割は看過できず、その場で加えた過激な暴行は被害者の心身に深刻な打撃を与えたものと推測されるほか、強姦にあたっては自らも姦淫行為に及んでいること、監禁過程では、命ぜられてのこととはいえ、多数回見張り役を担当していることなど、その責任を軽視することはできない。

当時高校三年生として、就職も決まり夢ふくらませていた被害者は、何の落ち度もないのに、アルバイトからの帰宅途中、被告人らによって拉致され、それまでの生活とは打って変わった屈辱的な取扱いを受け、四〇日間にもわたる期間、孤立無援の状態のまま、繰り返し陰湿・過激ないじめを受け、監禁の後半には、精神的にも、肉体的にも衰弱の度合いを深め、最後には常識では考えられないような仕打ちまで受け入れざるをえず、助けを求めるすべもないまま、あえなく絶命し、挙げ句はコンクリート詰めにされて捨てられるなど、当時の同女の置かれた状況を考えれば、その身体的及び精神的苦痛・苦悶並びに被告人らへの恨みの深さはいかばかりのものであったか、誠に、これを表現する言葉さえないくらいである。

また、両親は、同女が無事に帰ってくることを心待ちにし、父親は仕事も休んで同女の行方を必死に探しながら、変わり果てた同女との対面という悲惨な事態を迎えており、その親族らの心労・苦痛は想像を絶するものであったと推察され、本事件により心身に深い傷を負った母親は、一年有余経過した今年に入っても、病院通いが続いている。そして、両親は、いまなお、被告人側からの面会の申入れ及び墓参の許しを拒み、その悲痛な心情を裁判所に吐露している。

以上のほか、判示第四の二件の強姦は、車を使い、ホテルに連れ込んで輪姦するという悪質なものであり、判示第五の傷害は、暴力団まがいのリンチに類する悪質・執拗なものであって、傷害の程度も重く、また、判示第六の各窃盗は、自動車盗・店舗荒らしのほか、女性を対象としたひったくり等の、態様が悪質・危険なものであって、これらはいずれも、被告人らの前記の生活態度を端的に示すもので、関与した被告人A、同B及び同Cは、これらについても相応の責任を免れない。

他方、少年犯罪としての衝撃的・特異な判示第一ないし第三の各事件は、当初からこれほどまでの監禁を意図していたものではなく、計画性のない、場当たり的な犯行が発端となっており、その後暴行を加え続けることにより、深刻・異常な事態への心理的抵抗感が緩んで暴行が増長され、結果として同女を帰す方法に窮し、ずるずると監禁が長期に及ぶにしたがって、抜け道のない状態に陥ると同時に、被害者の処置に困惑し、次第に心理的閉塞感が高じ、最終段階では、いじめを主眼とする暴行の過程において、未必的な殺意が生じ、一挙に過激な攻撃行動として発散したものとみられる。

その意味では、精神的に未熟な少年らが事態を打開できないまま、不幸な結末に至った側面もあり、その犯行の残虐性は、逸脱集団における虚勢の張り合い、攻撃性の競い合いなどにあわせ、各少年がそれぞれの年齢相応の人間的成長を遂げないまま未熟な人格像を形成していたことに由来していたといえる。

また、被害者を監禁する前後ころから、被告人ら四名につき、非行性と社会からの逸脱度が急激に深化し、犯行態様が大人顔負けの残虐性を有するに至った背景には、暴力団関係者からAを介しての少年らへの働きかけに起因する生活環境の悪化と、少年らのやくざ集団への傾斜・取り入れの作用も、間接的にかかわっていたことがうかがえる。

なお、福島鑑定によれば、被告人ら四名には、性的倒錯者はおらず、極めて異常な性的凌辱行為も、本質的には「いじめ」の一形態で、アダルトビデオや週刊誌などに登場するパターンの模倣であること、死体の処理方法も、コミックの手法を単純に取り入れたものであること及び逸脱集団における価値基準としてのやくざ気質と面白志向が、常識的な判断や抑制の態度を麻痺させる要因であり、その結果被害者の痛みを実感できなかったこと、が指摘されている。

個別的事情としては、

被告人Aには、脳の器質性の欠陥があって、行動の制御能力や性格形成に影響を与えており、これが本件犯行に直接かかわっていたとまではいえないにしても、シンナーの吸入とあいまって、本件における行動選択の不適切性や、暴行のもたらす興奮や高揚が徹底的な攻撃をもたらした過程において、影響を及ぼしていること、同被告人の両親は親としての最大の責任を感じ、私財を投げうって五〇〇〇万円の資金を捻出し、これを贖罪のため被害者方にいつでも提供できるよう用意するなど、慰謝に向けての努力に精根を傾け、本年六月下旬に至って被害者側代理人(弁護士)を介し遺族が右五〇〇〇万円を受領していること、

被告人Bの、未熟で偏りのある人格の形成過程には、幼少時期からの両親から受容されない家庭などといった、他律的な要因が重畳的にかかわっており、この屈折した心理がAへの無批判な追従を促したこと、同被告人にはさしたる保護処分歴がないこと、両親が法廷で被害者らに対する心からのお詫びの心情を述べ、金額的には僅かながら、遺族らに将来償いをする資金のための預金を継続的に開始し、今後も同被告人を温かく支え続けることを申し出ていること、

被告人Cは、共犯少年中もっとも年少で、その可塑性は年齢相応に想定され、この点では量刑上の斟酌がなされるべきであり、性格的に被影響性・被暗示性が高く、Aら年長の不良少年や、やくざ集団の影響を受け易く、現に、A・Bに指示・影響されて過激な暴行に及んだ側面もあったこと、両親も法廷で被害者らに対する陳謝の念を示し、親として監督・監視が至らなかったことを心から反省し、今後は同被告人ともども、一生をかけての贖罪をする旨申し述べていること、

被告人Dは、共犯少年中、一連の犯行への加担度は最も低く、また、犯行時約一七歳とCについで年少であるうえ、精神的な未熟度が甚だしい人格像を形成しており、これにはB同様、幼児期からの恵まれない家庭、いじめを受けながら解決策を提示しなかった学校等の他律的な要因が深くかかわっており、当日の予想外の極端な攻撃も、未成熟な人格に深く根づいているとみられること、母親も、被害者らへの心からのお詫びを述べ、同被告人を見捨てず今後も長い目でその将来を支えていく旨申し述べていることなど、

被告人らそれぞれに、斟酌すべき諸事情があるほか、とくに、家庭裁判所における調査や少年鑑別所における鑑別過程、拘束期間中の弁護人・両親や鑑定人の面会・働きかけなど、多数の人との接触を通じて、それぞれ人間性に目覚めた成長が顕著に認められ、また、当然とはいえ、延べ二〇数回にわたる公開の法廷において、繰り返し自己の犯した罪の重大性を問われ、自己の問題点についての内省や被害者らの筆舌に尽くし難い痛みについての理解を迫られた結果、表現はたどたどしく、未だ稚拙なものではあるが、それぞれ、罪の重大性を認識し、その責任の自覚を深めつつあることが看取され、取り返しようのない、悲劇的で残酷な本件における、事後の、せめてもの救いとなっていること、その他、本件の発覚によって、被告人らの親族が、社会的批判を浴びて、事実上、職や住居を追われながらも、これを忍受し、被告人らを見捨てることなく、各家庭で温かく迎えられるよう努力していること、判示第四の一の強姦の被害者及び第五の傷害の被害者との間では示談が成立していることなど、被告人らに共通の事情もある。

当裁判所は、これら諸事情を総合考慮して、被告人ら四名を、主文掲記のとおり、各処するのを相当と判断した。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 稻葉一人 裁判官 田村政喜)

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