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鳥取家庭裁判所 昭和43年(家)134号 審判 1968年8月24日

申立人 水田礼子(仮名)

事件本人 小川涼子(仮名)

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

本件申立の要旨は、申立人は事件本人の妹であるところ、事件本人は生後約一年の頃子守り中に地上に転落したため頭部を強打し、その結果唖となり、その智能程度は簡単な読み書きができるだけで、高度の判断事項については殆ど思考能力がなく、現に事件本人の有していた別紙目録記載の不動産につき、さきに他人により印鑑を盗用されて第三者の所有名義になり、これを回復する目的で所有権確認訴訟を松山地方裁判所へ提起したが、その係争中に申立人の反対を押し切り、昭和四二年一一月六日鳥取簡易裁判所において、当時の右物件所有名義人富岡英夫に欺罔され、正常な判断に基かずして時価約一千万円の右物件につき僅かに金五〇万円で同人に売渡す趣旨の即決和解をしたような始末であつて、これがため、前記の所有権確認訴訟の遂行や、富岡から提起された損害賠償請求訴訟の応訴などに多大の困難を生じているから、事件本人の唯一の財産である前記の物件の財産保全のために事件本人を準禁治産者とし、かつその保佐人として申立人をこれに選任されんことを求める、というに在る。

当裁判所が審理した結果によると、事件本人は生後二歳の項より聾唖者となり、通常の言語は聞えず、かつ発することもできず、他人との意見の疎通は現在は旧式とされる手話法と筆談によるの外なく、従つて隣人との交際や稍複雑な対人関係の処理にはその過程において可成りの困難を伴うことが推測される。しかしながら、民法一一条の規定する心身の障害者のうち、心神耗弱者については兎も角とし、聾者、唖者、盲者の如きは、単にそれに該当するというだけで当然に準禁治産者として取扱うことを要すると解すべき根拠に乏しく、同条制定の理由に鑑み、これらの者が右の身体障害により心神に故障を来しその治産能力を喪失したと認められる場合において、これを準禁治産者として所定の保護を加えれば足るものと解すべく、かく解することにより、優に治産能力を具える場合のこれら身体障害者に不必要の拘束を加え、本人の欲しない無用の干渉を加えることのために、却つて本人の利益よりも保佐人ないし申立人の利益に資する弊害を生ずるの危険を防止することができるものというべきである。そこで、かかる見地から事件本人の生活経歴および治産能力の状況を検するに、事件本人は小学校に入る代りに盲唖学校に入り高等科に進学した後、洋和裁の技術を習得し、二〇歳に達してから広島方面の洋装店、呉服商に住込み稼動し、自らの技術のみで優に生計を立てていたが、昭和二五年一〇月郷里の○○市において同じく聾唖者であつた小川新助と正式に婚姻同棲し、昭和二九年一月同人と死別後は○○、○○等で再び洋、和裁の工員として生活を立て、昭和三六年頃生活の容易な○○市に来住して市内の洋装店に洋裁工として勤務中であるのみならず、昭和四一年中、木下一(聾唖者)と事実上再婚し、現に同人(四九歳)およびその連れ子洋子(一七歳)と計三名の家庭生活を営み、事件本人の収入(月六千円ないし二万円位、平均約一万円)と一の月収約二万九千円を併せてほぼ中位の生活を維持していること、事件本人の読み書きの能力は小学校卒業程度を出でず、思慮分別としては比較的浅薄と評せられるが、それでも自らの裁縫職人としての能力、進退の処理はほぼ常人の域に達し、多年その道で生計を樹ててきた実績と経験を有し、この方法による生計維持につき格別の不安はなく、また家庭生活の面においても自ら各種の電気器具を駆使して日常の家事を処理し、生活物資の買入も自身でこれを行つて特段の支障を生ぜず、日刊新聞紙の社会面にもある程度の関心と理解を持ち、時には独りでまたは家人と共に旅行にも出る等、日常生活の点については本人として格別の支障を感じていないのみならず、客観的に見ても、事件本人の社会生活上の処理について能力喪失の結果と認められるような誤謬、失敗の事績は何等認められない。申立人の挙げる別紙目録記載の不動産の処理問題について見ても、右物件が事件本人の所有名義から他人の名義に移つた経緯については、登記簿面および事件本人並びに申立人の供述のみから窺つてもかなり複雑な事情が潜むものと推測され、それが単に事件本人の思考能力の不足ないし喪失のみから生じたものとは容易に判定し得ないばかりでなく、右物件につき富岡英夫との間に為した即決和解(昭和四二年一一月八日鳥取簡易裁判所で成立したもの)の締結についても、右和解の席上には、事件本人は内縁の夫木下一のほか聾唖者施設関係者で事件本人のために言語、事理の理解を援ける山田、藤井、松本などの指導員または保母を伴つてこれに臨み、右和解の内容についても、その目的物件である前記の不動産が、元来亡夫小川新助から承継したものである上に、訴訟問題を生ずるまでにも申立人やその内縁の夫らが事実上管理支配し、他人からの金借の担保等に利用し、事件本人の手に回収することは著しく困難、かつ煩瑣で事件本人としてはその処理に堪えないとして半ば諦めていたような事情もあつて、意識的にかなり低額の代償でも事端をこれ以上煩わしくしないために右物件を手放すことを考えた結果、右和解に応じたものであることが認められ、右和解が申立人の意思に反し、かつその代償が申立人の予想を甚だしく裏切る低額であつたということから直ちに、右和解が事件本人の正常な事理弁別能力に基かずになされたものであるとは軽々に認め難く、また申立人の挙げる所有権確認訴訟が最近何びとの意思に基いて遂行されていたかは別論として、右和解内容を外観したのみで直ちに、右訴訟の将来の遂行が、事件本人の能力欠缺のために著しい困難をきたすということは、たやすく首肯できない。尤も一般の婦人特に事件本人のように身体の知覚器官に大きな障害のある者にとつて、民事訴訟事件の的確な処理殊に本人訴訟の形で訴訟遂行をすることなどについては相当の困難があり、その適切な判断、行動を期待することが容易でないことは見易い事柄であるが、そのことは直ちに事件本人につきその行為能力自体までも否定すべき事由になるとは理解し難く、殊に前記訴訟の最近の遂行が事件本人よりむしろ申立人の主導権の下においてなされている形跡に徴すると、右訴訟の遂行を主たる目的として事件本人を準禁治産者とする必要は、いまだ大なるものとは言い難い。加うるに、鳥取少年鑑別所技官北川一敏の鑑別結果に徴すると、事件本人が心神耗弱者であるか否かの点についても、明らかに消極の判定を見ていることが認められ、この点からいつても、事件本人を民法一一条の心身耗弱者と同等に取扱うことはできない。

以上の点に、事件本人自身の意思として、現在自分独りとしても、またさらに前記内縁の夫木下一の協力を得て社会生活を営んでいる上からも何等著しい支障を感ぜず、準禁治産者として保佐人を付されることは迷惑であつて強力に反対する旨の意見、および保佐人候補者として挙げられる者の関係、即ち申立人の挙げる、申立人自身も現在は交際を欲しない仲であり、同人以外の候補者として推挙される水田照夫(事件本人の兄)も事件本人とは意思の疎通を欠く間柄であつて、事件本人としては自己の親族(木下一の身内を除く)中に同人が信頼を寄せる者は見当らないという事情、ならびに事件本人の実質的な援助、協力者としては現在最も適切と認められる内縁の夫木下一が在り、一応これを以て足るのではないかという考え方に、現実の必要性の点、即ち仮りに別紙目録記載の不動産が実質的に事件本人の関心より放れているとして、右物件を度外視して考えると、事件本人の今後の生活上の具体的な必要性は、単なる夫婦共稼ぎの給料生活者としての社会生活の維持の上のそれであつて、この見地からは、事件本人の現実の生活につき早急な保護の必要は認められないという諸点を綜合して判断すると、事件本人については、これを準禁治産者とする事由は認め得られないというべきで、本件申立は理由のないものとして却下を免れない。よつて申立費用につき家事審判法七条非訟事件手続法二六条を適用して主文の通り審判する。

(家事審判官 宮川種一郎)

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