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高知地方裁判所 昭和47年(ワ)99号 判決 1974年10月11日

原告 吉井学 外八名

被告 国

訴訟代理人 篠原一幸 外七名

主文

被告は、

(一)  原告佐田晴重に対し、

金三四九万八〇〇〇円及び内金二九五万八〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(二)  原告吉井学に対し、

金一二〇万一〇〇〇円及び内金一〇〇万一〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(三)  原告矢野川信明に対し、

金二七九万二〇〇〇円及び内金…二四万二〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(四)  原告山崎忠彦に対し、

金一六六万九〇〇〇円及び内金一四一万九〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(五)  原告榎一に対し、

金五四八万九〇〇〇円及び内金四六八万九〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(六)  原告山崎益夫に対し、

金三〇二万二〇〇〇円及び内金二五四万二〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(七)  原告矢野川才吉に対し、

金二二九万二〇〇〇円及び内金一九一万二〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(八)  原告細木正義に対し、

金九三万三〇〇〇円及び内金八一万三〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(九)  原告鎌田豊秋に対し、

金四一万三〇〇〇円及び内金三六万三〇〇〇円に対する昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

各支払え。

二 原告らのその余の請求をすべて棄却する。

三 訴訟費用は被告の負担とする。

四 第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨<省略>

二  請求の趣旨に対する答弁<省略>

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、いずれも高知県中村市山路で農業を営み、灌水用に同地区の地表下六ないし一〇メートルの地下水を利用するものである。

2  同地区の地下水は従前は真水であつたが、昭和四〇年ごろから塩分が混入するようになり、昭和四四年未には農作物に灌水するに不適当な程度の塩分を含むに至つた。

昭和四五年一月二七日の時点における原告ら使用井戸水の塩分濃度は、中村農業改良普及所による調査結果によると、左のとおりである(いずれも単位はミリモー)。

吉井学一・五、山崎忠彦二・〇、矢野川信明〇・九、矢野川才吉一・三、佐田晴重一・四、山崎益夫一・六、榎一、一・六五、細木正義〇・四、鎌田豊秋(井戸水調査でなく、湛水調査)九・〇

そのため、山路部落ほとんど全戸の飲料水は塩分を含有し、飲食の用に供することができなくなつたばかりでなく、昭和四四年下半期に播種した原告らの農作物は、当初極めて順調に成長するかにみえたが、地下水を汲みあげ、作物に給水をはじめるや成長がとまり翌昭和四五年二月には収穫期を目前にして枯死し、原告らの栽培物は全滅した。

3  右地下水に塩分が浸入するようになつたのは、以下に述べる原因による。

(一) 山路地区の従前の地形

(1)  山路地区は、渡川(通称四万十川)河口から約四ないし六・五メートル上流南岸(右岸)沿いに位置し、北面は渡川が西北よりゆるく北に湾曲して東南に流れ、西側は甲ヶ峰山塊が南から北へ渡川にまで達して西方の坂本部落との境界となり、中央部は三原台地から流れ出た山路川がゆるく蛇行しながら平野部を肥沃しつつ貫流し、右山路川は実崎で渡川と合流していた。渡川支流中筋川は山路地区より上流甲ヶ峰山塊西側で渡川と合流していた。

(2)  また、渡川は、河口から約六キロメートル上流までの幾多の中州、浅瀬があり、吃水僅か数十センチメートルの川舟以外の舟の航行が不可能な水深の浅い淡水河口であつて、その流水は山路地区付近においては塩分が存在しなかつた。また、山路川も淡水河川であり、塩水が遡上することはなかつた。

(二) 原告の自然環境破壊行為

(1)  中筋川流水路の変更

被告は、甲ヶ峰山塊西側で渡川と合流していた前記中筋川の流水路を変え、甲ヶ峰山塊の低い部分を開削掘切し、山路地区中央部を経て実崎築堤北側に至る新水路を作り、甲ヶ峰西側合流点を閉鎖し、同川を実崎築堤で渡川と合流させるよう計画を立て、昭和三四年ごろから実施し、昭和三九年二月上句右工事が完成した(別紙図面(一)のとおり)。

(2)  渡川における砂利採取の放置

また、被告は、一級河川であり、被告が管理すべき権限義務を有する渡川の砂利が業者によつて大量に乱掘採取されるのを放置した

その砂利採取量は、昭和三二年には五〇〇〇立方メートルであつたのに対し、昭和四〇年には二四万一五〇〇、昭和四一年には四九万七〇〇〇、昭和四二年には五一万七五〇〇、昭和四三年には三四万四〇〇〇(各立方メートル)に及び、河口港まで砂利で埋没する程砂利の豊富であつた渡川も下流に存在した標高一メートル前後の中州はすべて採取消滅し、河床が低下した。

(三) 右行為の結果(塩害の発生)

中筋川新水路(以下この部分を新中筋川と呼ぶ)は、山路川よりその河床を優に二メートル以上も低く、また海面よりも低く造成されていて、川幅も広く、しかも砂利採取のため河床の低下した渡川と直結したため、山路部落において山路川河床が新中筋川水面より高くなつて乾あがり、新中筋川は砂利採取で河床の低下した渡川の塩分混水と同一水面となり、塩分を含んだ水が遡上し、流水中に高濃度の塩分を含有するようになつた。また、渡川も砂利採取による州の消失、河床の低下により塩水の遡上がはなはだしくなつて、流水中に高濃度の塩分を含有するようになつた。そのため、山路本村はあたかも海中の島と同様になり、両川の塩水が各河床から山路地区の自由地下水に浸透するに至つた。

4  被告の責任

(一) 昭和三四年二月五日協定違反

被告は、新中筋川設置に対する山路地区住民の反対運動に際して、昭和三四年二月五日原告ら山路地区住民の代理人たる訴外中村市長森山正との間に、「中筋川筋については、現在以上に塩害が及ばないように処置する。」旨の協力を結んだ。

しかるに、被告はその協定に違反し、新中筋川の開設に当り、新中筋川及びその流域地下水への塩分混入につき何ら防止措置をとらず、前述の如く塩害を発生させたのであるから、原告らの本件塩害による後記損害を賠償する責任がある。

(二) 河川の設置管理の瑕疵

(1)  被告は、一級河川渡川の管理者であるところ、渡川下流の砂利採取を前記のとおり放置し、塩水を山路地区上流まで遡上せしめた。

(2)  また、被告は、前述の如く一級河川新中筋川を設置した。

(3)  右のため、前述の如く山路地区地下水に塩分が混入するようになつたが、これは、被告の河川の設置、管理に瑕疵があつたものといわざるをえない。

よつて国家賠償法二条により被告は原告らの本件塩害による後記損害を賠償する責任がある。

5  原告らの損害<省略>

6  結論

よつて原告らは被告に対し、別表一ないし九の各損害額総合計欄請求額記載の金額と内金(弁護士費用控除)に対する損害発生後の昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否<省略>

三  原告らの主張に対する被告の反論(本件地下水塩分混入の原因)

1  山路地区本村付近における新中筋川の地質と水位

(一) 山路地区本村(山路橋北詰から甲ヶ峰山塊に至る渡川と新中筋川の流域に囲まれた部分)の地質は、いわゆる室戸層群の清水層に属する固結堆積物が現地形の基盤を形成しており、その上部が第四紀堆積物に覆われている。そして新中筋川左岸沿いにおいては上流部の表土は微細な粘土またはロームの難透水層によつて深く覆われ、下流部も比較的薄くなつてはいるが、山路橋付近においてもなお。三・三メートルもの難透水層でもつて覆われている。

(二) また渡川、新中筋川の水位及び本村における地下水位の何れもが渡川から新中筋川に向つて落差がついており、本村付近においては、渡川の水位は新中筋川の水位よりも高いという相関関係にある。

(三) このように本村付近における新中筋川の沿岸及び河床表面は腐植まじりの粘土で形成された難透水層で覆われており、本村内における透水層とは隔絶されているのみならず、水位についても渡川の水位は新中筋川の水位より高いことからみて新中筋川に塩水が遡上してくるとしても、その本村における透水層への浸入は極めて困難であり、その影響は無視することができる程度である。

従つて、中筋川付替工事が右透水層への塩水の浸入に影響を持つはずもなく、右工事は本件につき何らの瑕疵を有するものではないといわざるをえない。

2  本件地下水帯の構造

原告らの使用していた地下水は地表下六メートルから一五メートル付近の沖積層の砂礫層に存在するものであるところから、この砂礫層は渡川においてはその河床と直接つながつているとみられるので、この層に存在する地下水のほとんどが渡川から供給されていたものといわざるをを得ない。

そして渡川においてすでに昭和一二年ごろから、山路渡(渡川河口上流六・二キロメートルの地点)付近まで塩水の遡上があつたものである(砂利採取の許容により惹起されたものではない)。従つて、渡川に遡上した塩水が、山路地区内の透水層に浸入したとしても(渡川流量が毎秒二〇立方メートル以下の低水位時において生ずることがある)、その塩水は渡川の流量、潮汐の干満、大潮、小潮の影響による密度と水圧変化に応じた境界面をもつて淡水層の下側に常時塩水層として存在していたものにすぎない。

3  山路地区本村における地下水の過剰揚水

本村における地下水利用は、ビニールハウス園芸の規模拡大に伴ない地下水揚水使用も拡大され、昭和三八年から昭和四四年にかけては五倍強(一日使用水量一四〇立方メートル)の異常使用水量に発展した。原告らは地下水の将来の開発可能量について何ら評価するところなく、無計画に作付面積の拡大を図つたものである。

これらに加うるに、昭和四四年一二月から翌昭和四五年一月にかけての渡川の流量は、昭和三七年から昭和四七年までの一〇年間のうち、昭和三八年から昭和三九年までの同時期の流量に次ぐ最低流量しかなかつた。また、昭和四四年一二月から翌昭和四五年一月までの降雨量は異常に過少であつた。

従つて昭和四五年一月から二月にかけての本村内における揚水井戸水の塩分浸入は、すでに述べたような長期渇水によつて渡川の河川流量が減じたため、渡川に遡上する塩水が増加し、これが右本村内の地下水の淡水圧を減少させて塩分の浸入を惹起したのに加えて揚水量が極度に増大したことにより、地下水の下部に存在していた塩水層を上昇させる結果となつたためにほかならない。

それ故、本村の地下水に渡川遡上塩水の塩分が浸水していたとしても、それは極めて微量しかなかつたこの地域の淡水の地下水を、異常な渇水時期において原告らが異常かつ無計画な揚水をしたことに起因する自ら招いた現象というべきものである。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  新中筋川は単なる平野部を素掘りしたものであつて河床の洗掘等の事実も存在し、その河床は、被告のいう不透水層ではなく、透水性は極めて大である。

2  また、被告は、渡川と新中筋川との水位差は渡川の方が高いと主張するが、その水位差は極めて僅かであるばかりでなく、潮の干満の影響によつて、その水位はあるいは前者が高く、あるいはほとんど等しく、時には後者が高い現象が存在する。地中を水が流れるとき、地表上の水とは比較にならない土砂等の抵抗を受けること等を合せて考えれば僅かの水位差は問題とならない。

3  新中筋川が貫通するまで、古来、山路部落の井戸水が洞渇したこともなければ、塩分のために飲料不適となつた事実もない。

4  原告らの灌漑の使用水量は一日七ミリメートル程度であつて耕地面積全体で約一二一立方メートルであり、その一部は植物の生育に吸収され、その余の一部は蒸発し、一部は地下を湿潤し、再浸透して地下水に還元するものであつて、被告のいう過剰揚水には当らない。

5  また、山路川流域面積は九・四平方キロメートルであり、年間平均降雨量は二九〇〇ミリメートルであつて、流域全体の降雨によるかん養量は一日平均約五万九二三二立方メートルと計算され、これは前記原告ら使用水量の約四九〇倍に当る。

それ故、新中筋川が開通しない以前においては、仮りに渡川が塩水であるとしても、ヘルツベルグの法則を考慮すれば山路地区地下水は下部の塩水層の上に淡水層を有したと考えられ、原告らの使用水量が山路川流域地下水かん養量の約五〇〇分の一にすぎない点からみて、原告らが耕作によつて塩水を汲み上げてしまうことはありえない。

五  被告の抗弁

仮りに原告らの主張のとおり債務不履行もしくは国家賠償法二条に基づく損害賠償債請求権が発生する余地があるとしても、昭和四六年三月七日に被告国の建設省四国地方建設局長と訴外中村市長長谷川賀彦との間に「建設省施行渡川改修工事のうち中筋川開削工事にともない生ずる塩害についての覚書」が交換され、更に同月二九日右局長と右市長との間において「中筋川付替工事に伴なう損失補償契約」が締結された際、原告らは右中村市長を代理人として被告に対し、損害賠償請求権放棄の意思表示をした。右内容については、昭和四六年一月一四日開催の山路地区上下部落総会に上程され、岡部落民により承認されている。

六  抗弁に対する認否

抗弁事実中原告らが損害賠償請求権を放棄したとの点は否認する。

第三証拠<省略>

理由

一  原告らの農業と塩害の発生

<証拠省略>によれば、原告らはいずれも中村市山路地区で、同地区の地下水を使用してビニールハウス栽培その他の農業を営むものであるところ、昭和四四年下半期に播種した原告らの農作物は、当初は極めて順調に成長するかのようにみえたが、地下水を汲みあげ、給水を行なううち、生育に障害が現われ、昭和四五年一月ごろから枯死したりして収穫が皆無になり、あるいは減収したこと、及びその原因が灌水に用いた井戸水(地下水)に高濃度の塩分が含まれていたためであることが認められる。

二  地下水塩水化の原因

そこで、右地下水に塩分が含まれるに至つた原因について検討する。

1  山路地区の従前の地形及び農業の状態

後記の如く新中筋川が設置される以前(昭和三九年二月以前)の山路地区の地形が請求原因3項(一)(1) のとおりであることは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば、原告矢野川信明、同山崎忠彦、同山崎益夫、同細木正義は、新中筋川設置以前から山路地区において同地区の地下水を用いてビニールハウス園芸を営み、毎年塩害を蒙ることなく収穫をあげて来ており、同地区の地下水は従前は真水であつたことが認められる。

2  新中筋川の設置及び塩水遡上

新中筋川が昭和三九年二月に別紙図面(一)のとおり被告によつて掘削開通されたことは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば、新中筋川は、多年にわたる中筋川沿岸の洪水を防止するため開設されたもので、その河床は、山路川より二メートル以上も下げられ、川幅も約七メートルに拡げられたことが認められる。そして、<証拠省略>によれば、新中筋川開通以前においては、山路川は渡川との合流点である実崎付近まで塩水遡上の影響を受けることがあつてもそれより上流には塩水遡上をみることがなかつたのに対し、新中筋川は開通当初より山路地区まで潮の干満を生じ、渡川河口からの塩水遡上も後記の渡川砂利採取に伴ない新中筋川の流量によつて異なるけれども徐々に増大し、昭和四五年一月二七日には、山路橋付近の流水に高濃度(一〇・六ミリモー)の塩分濃度が観測されるに至つたことが認められる。

3  渡川の砂利採取の放置と塩水遡上

一方、渡川本川においても<証拠省略>によれば、渡川の山路地区付近の流水は、従前は真水で塩からくなく、塩水の遡上もみられず、昭和三八年には山路橋付近の河原に打ち込んだポンプからの水をビニールハウス栽培に用いることができる状態であり、その当時は山路付近から下流にかけて多くの瀬や州が存在していたこと、ところが、大型砂利採取船などによる砂利の採取が年々増加し、後記のとおり、昭和四〇年ごろから特に量が増え、その結果瀬や州が大幅に減少し、渡川の河床は低下したこと(このことは<証拠省略>を比較すれば明らかである)、その結果、山路渡付近で青のりがとれだし、海の魚がとれるなど塩水遡上の影響が顕著に現れるようになり、昭和四五年一月二七日には、山路橋北側の流水に高濃度(五・五ミリモー)の塩分濃度が観測されるに至つたことが認められる。

なお、渡川下流における砂利採取量が昭和四〇年度二四万一五〇〇立方メートル(以下単位省略)、昭和四一年度四九万七〇〇〇、昭和四二年度五一万七五〇〇、昭和四三年度三四万四〇〇〇であることは当事者間に争いがなく<証拠省略>によれば昭和四四年度は二六万四四〇〇であることが認められる。

以上の事実から、渡川下流の砂利採取の同川が河床を低下させ、山路地区付近にまで塩水の遡上を招いたことが明らかである。

被告は、渡川には、すでに昭和一二年始めより、山路地区上流にまで塩水の遡上があつたと主張し、<証拠省略>中には、昭和一二年ごろから渡川山路渡付近の表流水中にごく微量の塩分を含有していたと推認される部分がある。しかしながら、<証拠省略>によれば、昭和四五年二月ごろにおける河口から遡上する塩水の濃度は山路渡付近から上流に向つて急激に減少するものであることが認められるので昭和一二ごろの表流水中の塩分が河口からの遡上塩水の影響によるものであればその濃度は山路渡付近から上流に向つて急激に減少するものと考えられるにもかかわらず、<証拠省略>によれば、昭和一二年ごろの渡川の流水は山路渡付近とその上流とでその質(塩分濃度)にさ程違いはなかつたことが認められるから、当時の塩分は遡上塩水によるものではないと考えられる。従つて、<証拠省略>は前記認定の妨げとならない。

4  山路地区における地下水塩水化の事実

以上の如く、山路地区は従前は淡水河川たる山路川が貫流し、同じく淡水河川であつた渡川がその北面を流れていたところ、新中筋川の設置及び渡川の砂利乱掘によつて、塩水の遡上する両川に挟まれ、あたかも海中に浮ぶ島と同様の状況におかれるに至つた。

そして、<証拠省略>によれば、原告細木正義、同鎌田豊秋の使用井戸は新中筋川南岸上木戸に存在し、その他の原告らの井戸はいずれも山路橋北詰から甲ヶ峰山塊に至る渡川と新中筋川とに挟まれた地域(以下山路本村という)に存在し(その位置は別紙図面(二)のとおり)、その深さは九ないし一〇メートルであるところ、右井戸の水は、従前は灌水に適する水であつたのに、昭和四〇年の渇水期に塩からく感じることがあつたのをはじめとして、徐々に他の地区よりも高い塩分濃度を示すことがあるようになり、昭和四四年未からはさらに高濃度となつて昭和四五年一月二七日には請求原因2項記載のとおりの高濃度の塩分(ハウス野菜の灌水用塩素イオン限界濃度は、土質、土壌環境、作物により差があるが、大体〇・四ミリモーないし〇・六ミリモー以上は不適で灌水に使用すべきでないとされる)を含むに至つたものであることが認められる。

5  以上の事実、すなわち、渡川及び新中筋川が塩水化する以前においては、山路地区内地下水に塩分が混入した事実はなかつたにもかかわらず、両川の塩水化の時期とほぼ照応して、同地区内地下水の塩水化がはじまつた事実からすれば、右地下水に塩分が含まれるに至つたのは、渡川及び新中筋川の両川に遡上した塩水が両川河床から(新中筋川南岸の原告細木正義、同鎌田豊秋についてはもつぱら新中筋川河床から)山路地区地下水に浸透したためであると――少なくとも一応は――推定せざるをえない。

6  これに対して被告は、山路本村の地下水に浸入した塩水は渡川からのものだけであつて新中筋川の塩水の影響は無視しうる程度のものと主張し、その理由として、(一)山路本村の地下水帯のうち、原告らが使用していた地下水は地表下六メートルから一五メートル付近の沖積層の砂礫層に存在するものであるところ、(二)この砂礫層は渡川においてはその河床と直接つながつているとみられるが、(三)新中筋川河床は難透水層で覆われ、かつ、(四)渡川新中筋川の水位及び本村における地下水位の何れもが渡川から新中筋川に向つて落差がついているということを挙げている。

そこで右の点について検討すると、<証拠省略>によれば、右(一)及び(二)の事実が認められる。

しかしながら、以下の理由により右(三)及び(四)は認められず、結局被告の主張は理由がない。

まず新中筋川河床の透水性について検討する。

報告書によれば、新中筋川左岸の三ヶ所におけるボーリングによる地質調査の結果は、別紙図面(二)ボーリング3番の地点及びボーリング2番の地点においては微細な粘土又はロームがかなり深くまで存在し、同図面ボーリング1番の地点にあつては、表層の粘土層は薄く(二メートル)、いずれの地点もその下層に透水係数の大きい砂礫または礫まじり砂が存在するとされている。そして、報告書は、結論として新中筋川沿いの底質は腐植まじり粘土であり、透水係数は極めて小さいものとしている。

しかしながら、僅か三ヶ所のボーリング調査だけで新中筋川河床の難透水性を結論づけることには疑問の余地があるのみならず、<証拠省略>によれば、新中筋川の河床は、高水敷と低水敷とに別れ、それぞれ平坦に掘削され、開通当時はほぼ一定の深さであつたところ、山路橋下流においては河床の洗掘が著しく復旧工事を要したこともあり、全般にわたつて河床の洗掘が激しくその深さが場所によつて全く異なるようになつたことが認められ、右事実よりすれば、新中筋川の河床は、上流においてはともかくとして、ボーリング2番及び1番の地点付近では洗掘によつて河床が透水係数の大きい砂礫または、礫まじり砂の層(すなわち地区内透水層)に接していることが考えられる。

更に<証拠省略>によれば、昭和四八年一一月末に原告らが新中筋川山路橋上流約一五〇メートルの左岸河川敷遊水面で川岸より七メートルの地点において、手掘井戸を設けて調査したところ、地表面から約九〇センチメートルの下層に玉砂利層(透水層)が存在し、その井戸に激しく水が湧出し、ポンプを使つて排水したところ、その湧出してくる水は新中筋川側から来ており、時間がたつにつれて、塩分濃度が徐々に増加したことが認められ、これらの事実からしても、新中筋川河床が地区内透水層に開口しているものと認められる。

次に渡川の水位と新中筋川の水位との相関関係について検討する。

<証拠省略>によれば、昭和四八年一二月一日ないし三日、同月一一日、同月一二日にかけて渡川及び新中筋川の水位変動を調査した結果によると、別紙図面(二)新中筋川量水標位置と渡川量水標位置における両川の水位は、いずれも潮の干満による変動が明瞭に認められ、その変動幅は日によつて異なるが一メートルないし二メートルに及び(小潮、大潮の影響による)、両川の水位の差は時間によつて異なるけれどもほとんど差なく、概して渡川の方が二ないし五センチメートル程度高く、時には新中筋川の水位が高いこともあることが認められ、地中には土砂の抵抗があること等を考慮すれば、新中筋川及び渡川両水位の山路本村地区内地下水位へ及ぼす影響にはほとんど差が無いものと考えられる。

更に新中筋川の塩水が新中筋川の河床を通じて地区内地下水帯に浸透しているものとみられることは、報告書(表1)によると新中筋川に最も近い原告山崎忠彦の井戸(別紙図面(二)参照)が他の井戸よりも塩分濃度が高いと認られること、及び原告佐田晴重(第一回)本人尋問の結果により認められる新中筋川南岸の山崎益夫の井戸(別紙図面(二)参照)の水も塩辛くなつた事実からも明らかである。

7  次に、被告は、本件塩害は原告らが過剰揚水によつて自ら招いたものであると主張し、その理由として、渡川に遡上した山路本村の地下水に浸入する塩水は、砂利採取の有無にかかわりなく従前から地下水淡水層の下部に常時塩水層として存在するものであるが、昭和四四年一二月から翌昭和四五年一月にかけての渡川の流量は極めて少なく、渡川に遡上する塩水が増加して塩水が地下水淡水層の下部に浸入していたところ、原告らが無計画に僅かしなかつた淡水地下水を多量に揚水したため、地下水の下部に存在していた塩水層を上昇きせて塩水を汲みあげたものと言う。

被告の右主張は、渡川の山路地区上流への塩水の遡上---従つてその地下水帯への浸透---が従前(昭和一二年ごろ)からの現象であり、かつ、新中筋川からは塩水が全く浸透していないことを前提にした上での立論であつて、すでにみたようなこれらの前提が認められない(前記3、6)以上、全く的外れな議論であるというほかない。

(なお、過剰揚水論が誤りであることは、<証拠省略>によれば、原告らは昭和四五年一月二七日に使用井戸水の塩分濃度の検査をしてそれが高濃度の塩分を含有することが判明した後は井戸水を揚水していなかつたこと、同月二九日、三〇日に合計三五、ミリの降雨があつた後の同年二月三日には地区内井戸の塩分濃度は一様に減少していることが認められる一方、報告書(表1)によれば、前述の如く原告らが全く揚水を中止していた同年三月一〇日には、地区井戸水の塩分濃度がほとんどの井戸で一月二七日よりも高い数値を示していることが認められ、このように、原告らが井戸水の揚水を中止して後、一たんは雨水の影響によつて塩分濃度が減少したが、その後において揚水の事実がないのにかかわらず塩分濃度が再び上昇していることからも明らかである。)

8  以上検討したところからすると、前記5の一応の推定を覆えすに足りる特段の事実は認められないのみならずかえつて右推定を裏付ける重要な事実が認められるのであつて、山路地区内地下水の塩水化は渡川及び新中筋川(新中筋川南岸の原告細木正義、同鎌田豊秋については新中筋川のみ)の塩水の浸透によるものと認定すべきである。

三  被告の責任

1  昭和三四年二月五日協定に基づく責任

被告と原告らの代理人である訴外中村市長との間に昭和三四年二月五日、「中筋川筋については現在以上に塩害が及ばないように処置する」旨の内容を含む協定が締結され、覚書が作成されたことは当事者間に争いがない。右覚書が交わされたのは、<証拠省略>によれば、建設省四国地方建設局による甲ヶ峰開削工事に伴ない、離作補償をはじめとする補償交渉に当つて、従前の山路川は、かんばつ時に渡川からの逆流があつたり、台風の際に潮風が吹いて一時的に野菜に被害が生じるなどの塩害があつても、本来淡水河川で、河口付近まで塩水が遡上しても川をせき止めて上流への塩水の遡上を阻止できたが新中筋川は山路川よりも幅も広く河床も低いことから潮の影響を受けることが大きくなり、塩害の発生するおそれが感じられたので、山路地区住民から被告に対し新中筋川開設に伴なう塩害防止のため万全の措置をとることを求め、被告において右要請に応じたという経緯によるものであることが認められる。

とすると、右協定は、新中筋川の塩水遡上を防ぐ措置を講ずるなど農作物に対する塩害防止を約定したものというべく、ビニールハウスによる園芸が覚書締結当時行なわれていなかつたとしても、それが一般的な農業の範囲である以上右約定による責任の範囲内であるというべきである。従つて、被告は右約定履行により新中筋川の塩水遡上に起因する本件塩害につき被害者に対し右約定違反によりその損害を賠償する責任があるというべきである。

2  河川管理の瑕疵による責任

渡川および新中筋川はいずれも一級河川で、被告がその管理義務を有することは当事者間に争いがないところ、前記認定のとおり山路部落付近の渡川および新中筋川の流水が塩水化したことは、その管理に瑕疵があつたものというべく、被告は国家賠償法二条に基づき、原告らの本件塩害による損害を賠償する責任があるものというべきである。

(なお付言すると、被告は新中筋川からの塩水の浸透を極力否定し、本件塩害は渡川からの塩水の浸透によるものと主張して種々抗争しているが、渡川の山路地区付近への塩水の遡上が昭和四〇年ごろからの砂利の大量採取によるものであることは前記認定のとおりでありこの事実は動かしがたいと考えられるから、仮りに被告の主張に従つて新中筋川からの塩水の浸透を否定してみても被告は渡川の管理の瑕疵による本件責任を免れないのである。)

3  なお被告は、原告らの使用の井戸水は渡川の伏流水であり、その使用は講学上の一般使用であつて、たとえ損害を蒙つても損害賠償請求権を生ぜしめないと主張するが、原告らは井戸水を使用して農業を営み、生計を維持してきたのであつて、井戸水の使用につき法律上保護されるべき利益を有するものとみるべきであるから、この利益を侵害された以上、損害賠償を求める権利を有することは多言を要しない。

四  原告らの損害

1  昭和四五年園芸年度農作物についての損害

(1)  原告佐田晴重について

<証拠省略>によれば、原告佐田晴重は、昭和四四年下半期(昭和四五園芸年度)に別表一、(一)耕作面積欄記載の面積に同表(一)種別欄記載のキユウリを播種し、ハウス園芸を行なつたが、前記の如き塩害により、抑制キユウリ、促成キユウリは減収となり、跡作キユウリは全滅したため、塩害がなければ同表(一)比較平年収入額欄記載の収入を得べきところ、同表(一)実収額欄記載の収入しか得られず、結局同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(2)  原告吉井学について、

<証拠省略>によれ、原告吉井学も原告佐田晴重と同様本件塩害により、別表二、(一)種別欄記載の昭和四五園芸年度促成キユウリにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(3)  原告矢野川信明について、

<証拠省略>によれば、原告矢野川信明も同様本件塩害により、別表三、(一)種別欄記載の昭和四五園芸年度抑制促成、跡作キユウリにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認られる。

(4)  原告山崎忠彦について、

<証拠省略>によれば、原告山崎忠彦も同様本件塩害により、別表四、(一)種別欄記載の昭和四五園芸年度抑制、促成、跡作キユウリにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(5)  原告榎一について、

<証拠省略>によれば、原告榎一も同様本件塩害により、別表五、(一)種別記載の昭和四五園芸年度抑制、促成、跡作キユウリにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(6)  原告山崎益夫について、

<証拠省略>によれば、原告山崎益夫も同様本件塩害により別表六、(一)種別欄記載の昭和四五園芸年度促成トマト、抑制キウリ、跡作ナスにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(7)  原告矢野川才吉について、

<証拠省略>によれば、原告矢野川才吉も同様本件塩害により

別表七、(一)種別欄記載の昭和四五園芸年度促成トマトにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(8)  原告細木正義について、

<証拠省略>によれば、原告細木正義も、同様本件塩害により、別表八、(一)種別欄記載の昭和四五園芸年度促成トマトにつき、同表(一)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

(9)  原告鎌田豊秋について、

(証拠省略一によれば、原告鎌田豊秋は、別表九、(一)耕作面積欄記軽の面積の水田に昭和四四年下半期にい草を播種したが、本件塩害により全く収穫がなく、結局塩害がなければ得られたとみられる同表(一)比較平年収入額欄記載の収入が得られず、結居同額の損害を蒙つたことが認められる。

被告は、原告らの右減収が、努力不足あるいは自然減収であると主張するが、右減収が塩害に起因するものと認められることは、前記認定のとおりであり、被告の右主張は理由がない。

2  昭和四六園芸年度農作物についての損害、

<証拠省略>によれば、原告らは、昭和四五年一月下旬から塩害に関して再三被告(建設省)に対し損害の賠償と、将来の措置として、ハウスを他に移転するかあるいは従前の場所でハウス園芸を継続しうるよう適当な灌水用水源の確保を求め、交渉を重ねていたところ、被告において容易にこれに応ぜず、漸く同年九月一日に至つて四国地方建設局からハウス移転の告知をうけ、同月五日ごろからハウス移転を開始し、移転先でハウス園芸をつづけたが、右告知が同年度の播種時期からみて遅すぎ、移転が遅れたため、本来ハウス園芸として耕作しうるべき面積を耕作できず、また播種時期自体が遅れたことや移転先の地力が悪いことなどのため、本来得べかりし収量を挙げえず、減収額相当の損害を蒙つたことが認められる。これもまた本件塩害と相当因果関係にある損害というべきである。

原告らの右損害額は次のとおりである。

原告佐田晴重は、四1(1) 掲記の各証拠によれば、別表一、(二)種別欄記載の昭和四六園芸年度促成キユウリを同表(二)耕作面積欄記載の面積について栽培し、同表(二)比較平年収入額欄記載の収入を得べきところ、同表(二)実収額欄記載の収入しか得られず、同表(二)損害欄記載の損害を蒙つたことが認められる。

同様に、その余の原告ら(ただし原告山崎忠彦、同鎌田豊秋を除く)についての四1(2) (3) 、(5) ないし(8) 掲記の各証拠によれば、原告吉井学は別表二、(二)昭和四六園芸年度促成キユウリについての損害欄記載のとおり、原告矢野川信明は別表三、(二)右同年度促成キユウリについての損害欄記載のとおり、原告榎一は別表五、(二)右同年度促成キユウリについての損害欄記載のとおり、原告山崎益夫別表六、(二)右同年度促成ナスについての損害欄記載のとおり、原告矢野川才吉は、別表七、(二)右同年度促成キユウリについての損害欄記載のとおり、原告細木正義は別表八、(二)右同年度促成トマトについての損害欄記載のとおりの各損害を蒙つたことが認められる。

被告は右損害は本件塩害と因果関係がなく、仮りにあるとしても、塩害に対する措置は中村市長において実施すべきことであると主張するが、右認定の如き経緯に照らせば、右損害は塩害と相当因果関係があると解するのが相当である。なるほど<証拠省略>には「中村市は責任をもつて中筋川の塩害に対する諸措置を実施するものとする。」旨記載されているが、右は昭和四六年三月七日に作成されたものであり、前記移転の告知のあつた昭和四五年九月一日までの時点で中村市長において塩害対策の措置について引受けをなしたと認めるに足る証拠は全くなく、その後においても既に原因の生じている損害につき中村市長が債務引受けをなし、原告らがそれに同意をしたと認めるに足る証拠はない。

3  塩害対策措置費

<証拠省略>によれば次の事実が認められる。

原告ら(ただし原告細木正義、同鎌田豊秋を除く)は、昭和四五年一月に塩害の発生を知つた後、中村農業改良普及所の指導員から、それまで給水していた地下水の使用を中止し、塩分を含まない水を使用するよう指導をうけ、他から水を運ぶこことして、自動車のボデイーにビニールを張り、ハウスまで水を運び、そこでポンプを用いて灌水するなどしたが、それだけでは十分でないため、他人の田圃を借りて山路川上流からの水を溜め、そこからポンプで各原告のハウスに送水した。また、他の園芸地における灌水施設の視察を行なつたり、本件塩害防止等につき、県及び被告(建設省)に対し陳情その他の諸交渉を行ない、そのため次の諸費用を支出し、同額の損害を蒙つた。

右費用の内訳は次の通りである。

(1)  借地料五万円

<証拠省略>によれば、借地料として五万円を要することが認められ、右認定に反し、八万円を支払う約束となつていた旨の原告佐田晴重(第一回)、同矢野川信明各本人尋問の結果は採用しない。

(2)  ポンプ、エンジン、ホース代二五万円

<証拠省略>を総合すると、二五万円が相当と考える。

(3)  噴水エンジン四万円

<証拠省略>によつて認める。

(4)  労力費三六万円

<証拠省略>によれば、原告らはハウスに要する灌水用の水を他から運搬し、その運搬費用として三六万円を支出したことが認められる。

(5)  燃料三万四九五〇円

<証拠省略>によれば、ポンプ、噴水エンジン等に使用する燃費料として右金員を要したことが認められる。

(6)  調査費及び役員日当雑費三〇万円

<証拠省略>によつて認められる灌水施設視察費五万五〇〇〇円は、本件塩害の発生に対処するためやむを得ない出費である。また、本件事案の性質に鑑み、県に対する陳情その他の機関に対する陳情も、必要やむを得ないものといえるのであつて、陳情のための役員日当、雑費を含め、三〇万円が相当であると認める。

よつて、塩害対策措置費の合計は一〇三円万四、九五〇円となるところ、<証拠省略>によれば、前記七名の原告の他訴外一名が、各自八分の一ずつ負担したことが認められる。

従つて、前記七名の原告各自の負担分は一二万九三六八円となる。

4  弁護士費用

<証拠省略>によれば、前記のとおり被告が任意の支払に応じないため、原告らは弁護士である本件原告ら訴訟代理人に本訴を委任し、着手金として別表一ないし七の各(四)記載の金額(合計六〇万円)を支払い、報酬としてそれぞれ請求認容額の一割五分を支払う旨約したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右弁護士費用は、本件塩害と相当因果関係にあるものと認められるところ、本件訴訟の経緯、事案の性質、認容額等に鑑みれば、弁護士費用として被告に賠償を求めうべき金額は、各原告につき別表一ないし九の弁護士費用認容額欄記載の額をもつて相当と認める。

五  損害賠償請求権の放棄

<証拠省略>によれば、次の事実が認められる。

山路地区において、本件塩害の発生後、地区住民より中村市長、中村市議会に対し、塩害対策につき陳情がなされ更に建設省四国地方建設局に対しても同様の陳情がなされその後種々の経緯を経て、昭和四五年一〇月二〇日右四国地方建設局において、局長今井勇、用地参事官牧和良、神田中村所長、中村市長長谷川賀彦、鳥谷市議会議長、池地副議長、山路上部落区長小野勇吉、坂本区長藤本亀治、原告らの代表である原告佐田晴重が会合し、その席上、四国地方建設局から、「原告らの農作物被害は、新中筋川によるものでないから補償できない。中筋川の塩害に対する諸措置(灌漑用施設費等)については、国より二四九三万円を中村市に対して支出し、中村市において措置をする。四国地方建設局としては、これが最大限の補償である。昭和三四年二月五日付覚書2、八項(中筋川筋については現在以上に塩害が及ばないよう処置する旨の条項)は削除する。」旨の提示がなされ、中村市側の参列者もおおむねこれを了承した(ただし原告らの農作物被害についての賠償請求権を放棄する旨の明確な話はなされなかつた。そもそも四国地方建設局は原告らに損害賠償請求権があるとは考えていなかつたのである)。

そして、昭和四六年一月一四日、山路部落総会が開かれ、席上中村市長から、四国地方建設局より前記覚書2、八項の塩害に関する字句を削除する事を条件として、二四九三万円が中村市に支払われることとなつており、その金員は、ハウス移転費、灌漑用水路、飲料水施設費として支出する予定である旨説明があり、一部反対意見があつたが、覚書2、八項の削除を含めて四国地方建設局の前記提示は承認決定された(なお、原告らの損害賠償請求権については、とくに放棄する趣旨である旨の説明はなされなかつた)。

その後同年三月七日、前記局長と中村市長との間において「建設省施行渡川改修工事のうち中筋川開削工事に伴ない生ずる塩害について」の覚書が交わされ、同月二九日「中筋川付替工事に伴なう損失補償契約」が締結されたが、右契約書には、「中村市は責任をもつて中筋川付替に伴ない生じた塩害防止措置を実施し、四国地方建設局は二四九三万円を中村市に支払う。右の金員は、中筋川付替工事に伴ない生じた中筋川筋の塩害に対する防止措置につき国が負担する費用の一切であつて、中村市は何等の名目をもつてするもこれ以外の金額を要求しない。」旨の記載がなされている。

右のとおり認められる。

右認定事実よりすれば、右契約書により、原告らを含む本件関係者間において合意に達したのは、中筋川付替工事に伴なう塩害の将来に対する防止措置について、国より中村市に二四九三万円を支払い、それをもつて国としては防止措置については一切の履行が終つたものであることを承認した点であつて、原告らが本件塩害により過去において蒙つた損害の賠償請求権の放棄についてまで合意したものとは認めることができない。

<証拠省略>には、損害賠償請求権を放棄したかの如き部分もあるけれども、原告らが民事上の損害賠償請求権を放棄する旨の意思表示をしたと認めるには足りず、また原告らが右意思表示をする権限を中村市長に授与したと認めるに足る証拠もない。

よつて、右損害賠償請求権放棄の抗弁は理由がない。

六  結論

以上の次第で、被告は各原告に対し主文第一項記載の各金員(別表一ないし九の総合計欄認容額)及び内金(弁護士費用控除)に対する本件損害発生後である昭和四六年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は付さないのを相当と認め、主文のとおり判決する。

(裁判官 下村幸雄 高橋水枝 青木正良)

別表及び別紙図面<省略>

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