大判例

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高松高等裁判所 昭和26年(う)779号 判決 1952年4月16日

控訴人 検察官 十河清行

被告人 刈谷勝美

主文

原判決を破棄する。

被告人刈谷勝美を罰金八千円に処す。

罰金を納めることができないときは金二百円を一日の割で被告人を労役場に留置する。

押収している証第一乃至二一号(原判決掲記の歯科医療用器具及材料)は没収する。

原審訴訟費用は被告人の負担とする。

昭和二六年一月二三日附の起訴状による公訴は棄却する。

理由

先づ職権で審査するに、

記録を調べると、原審検察官は、原裁判所に対し昭和二五年一〇月七日附起訴状(但し昭和二六年二月七日附訴因変更請求書により訴因の変更あり)により被告人は無免許で昭和二五年五月八日頃から同年七月一六日頃までの間、高知県高岡郡尾川村で岡村桃衛外一九名に対し抜歯、入歯等をして歯科医業をしたものとして公訴を提起したるに拘らず更らに同裁判所に対し昭和二六年一月二三日附起訴状により被告人が無免許で同一期間同一場所において、同一人等に対し抜歯等をして歯科医業をなしたものとして公訴を提起したことが明らかである。然し無免許歯科医業の如き職業犯にありては一旦公訴が提起せられるとその判決あるまでの同種違反行為は包括して一罪を構成するものであるから検察官において訴因に洩れた行為を強いて審理の対象と為さんと欲するならば訴因追加の手続を採るべく、更めて公訴を提起することは許されないものと言はなければならない。然るに本件における昭和二六年一月二三日附起訴状による後の公訴事実は、昭和二五年一〇月七日附起訴状による先きの公訴事実と同種の違反行為であつて犯行の期間、場所、相手方を全然同じうするものであるから、かかる公訴は既に公訴の提起があつた事件について、更に公訴が提起されたものであることは疑を容れない。故に後になされた昭和二六年一月二三日附の公訴は、刑訴法第三三八条第三号により判決をもつて棄却しなければならない筋合である。然るに原審は斯る措置に出でず右両公訴を併合審理し後の公訴についても判決をしたのは不法に公訴を受理した違法があるから同法第三九二条第二項第三九七条第三七八条第二号により原判決を破棄する。

右の如く原判決を破棄する以上検察官の別紙量刑不当の論旨はこれを判断する余地がない。

しかして事案は直ちに審判することができるものと認められるから刑訴法第四〇〇条但書に則り自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は歯科医師の免許を受けていないに拘らず昭和二五年五月八日頃から同年七月一八日頃まで高岡郡尾川村において報酬を得て岡村桃衛外一九名の者に抜歯、入歯等をして(その詳細は原判決添付第一の一覧表の通りである)歯科医業をしたものである。

(証拠)

原判決挙示の各証拠(その記載を引用する)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、歯科医師法第一七条に違反し同法第二九条第一号罰金等臨時措置法第二条に該るので罰金刑を選択しその額の範囲内で主文の通り量刑し刑法第一八条第一九条第一項第二号第二項刑訴法第一八一条により罰金の換刑、押収物の没収、訴訟費用の負担等を定める。

(被告人等の主張に対する判断)

被告人の判示所為は単なる歯科技工ではなく歯科医療に属するものと解すべきであるから罪とならない旨の主張は採用しない。

(公訴棄却の理由)

前段説示の理由により刑訴法第四〇四条第三三八条第三号に則り昭和二六年一月二三日附起訴状による公訴は棄却する。

仍つて主文の通り判決する。

(裁判長判事 三野盛一 判事 谷弓雄 判事 太田元)

検察官の控訴趣意

原判決は量刑が著しく軽きに失する不当がある。其理由左の如し。原判決は「被告人は歯科医師免許がないのに拘らず昭和二十五年五月八日頃から同年七月十六日頃迄の間二十回に互り高岡郡尾川村に於て岡村桃衛外十九名に対し抜歯入歯等の歯科医業をなしたものである」と公訴事実と同趣旨の事実を認定し被告人を罰金八千円に処する旨の判決をなしたのである。(検察官の求刑は懲役十月)。然しながら本件事犯は歯科医師法違反の処罰目的、その違反の態様動機その他の情状から勘案すると原判決の刑の量定は甚だしく軽きに過ぎると言わなければならない。即ち、

一、そもそも歯科医師は歯科医療及び保健指導を掌ることをその任務としこれによつて国民の公衆衛生の向上並びにその増進に寄与しているのである。従つて歯科医師の歯科治療に対する技能の巧拙保健指導の当を得ると否とは国民の歯を病魔から守り健康な生活を確保して行くことに於いて至大の影響を有するものと言わねばならない。茲に於いてか国家は歯科医師にならうとする者に対しては厳格なる歯科医師国家試験を実施し、これに合格して厚生大臣の免許を受けたものでなければ歯科医業をなしてはならないものと定め歯科施術の適切化を図り国民の健康な生活の確保を期すると共にその反面これに違反して無免許で歯科医業を営むものに対しては重い罰則で刑を科し以てその違反の絶滅を期しているのである。然しながら国民の口腔衛生に関する知識の水準は欧米諸国に比して遥かに低く従つてこれに伴う歯の疾病が多いため歯科治療を受ける患者の数も少くはなく、而もその治療には特殊の技術を要するので歯科医業による収入は他の職業に比し多額に且つ容易に得らるゝことが魅力となり金儲けの早道の方法としてこの種歯科治療に多少の経験あるものが秘かに無免許でその治療をなすもの、未だにその跡を絶たず、当管内に於ては現に捜査中のものもある状態でこの種事件は寧ろ増加の傾向にある現況である。従つて斯る歯科医師法の違反事犯に対しては刑の威嚇による一般予防に重きを置き断乎としてこれを処罰するのでなければ同法の励行を期することは殆ど不可能である。歯科医師法違反処罰の目的が右の趣旨とするならばこれが無免許で歯科医業をなす行為はその回数の多寡を問わず軽視さるべきではない。本件違反の所為は患者二十名に対し前後二十回に互つて抜歯入歯等の歯科医業をなしたものであつてこれは原判決も明かに認めるところである。その回数に於てこの種違反行為として必ずしも大口とは言い得ないかも知れないがこれに対し僅々罰金八千円で処断するが如きは前記歯科医師法違反の処罰目的を没却するのみならず一般世人に対し裁判に対する信頼感に疑惑を与え他方被告人に対しても歯科医師法を蔑視するに至らしめ刑の目的を達し得ざるに至る結果を来しその失当なることは敢て多言を要しないところである。

二、本件違反行為の態様は不当な利得を目的とする無免許者の歯科医業事犯であつて、これは歯科医師法違反のうちでも特に犯情の重いものに属すると言わねばならない。歯科医師でない者の拙劣な技能に基づく歯科治療の及ぼす影響は極めて大きく殊にこれが国民の健康な生活を確保することに於て重大な危害を生ずる虞もあり従つてその弊害は届出義務違反等の形式犯の比ではないのである。歯科医師法に於てこの種実質犯を特に重く処罰し厳重に取締る所以も亦こゝにあるのである。被告人が歯科医師法所定の免許を受けないで自己所有の歯科用注射器五本、抜歯器四個、歯鏡。歯科用セメント等を使用して七十日間の長きに互り二十名の患者に抜歯及金冠義歯の印象採得試適篏装行為を行い此の料金として合計三万九千四百五十円の契約(内一人は未定)をなし内金三万七千四百五十円の料金を是等の患者から現実に貰受けて居ることは被告人も自認するところであつて関係人の供述及法廷に適法に提出された証拠物件の存在によつても明かである。而もその歯科治療の結果を見るに証人山本福美、同和田美代子、同山本忠美、同和田はつい、同沢村千鶴子等の各証言(第二回公判調書「原審記録五十四丁乃至六十七丁」)に依つて明かな如く被告人の歯科施術は極めて拙劣で入歯後一週間乃至数週間で或は脱落し或はガクガクと動き出しており、斯る施術の方法当を得ない結果は歯牙歯根に疾病を誘発する虞があり患者の健康に著しく悪影響を及ぼすものと言わねばならない。斯る歯科治療の技能の拙劣な被告人が本件事犯を敢行し不当な利得を貪つた犯情は極めて重く些少も同情すべき余地はない。

三、次に本件はその犯行の動機に是て何等同情すべき情状ありとは認められない。被告人は本件事犯を敢行した動機として高吾地区警察署に於て司法警察員の取調に対し「歯科医業を開業すれば違反に問われるのでしたが生活に困るので仕方なく小さい時から覚えた歯科医業が金儲けの早道でありますので悪いとは知りつゝ敢行した」旨供述し恰も生活苦に喘いだ果ての犯行なるが如く陳弁するが(司法警察員巡査部長東崎一郎作成の被告人に対する第三回供述調書「原審記録第百丁」)被告人にはその月収が五、六千円あつて扶養すべき家族も妻と子供二人に止まることは原審公判廷に於て自らこれを認めるところである(第三回公判調書「原審記録第百二十九丁」)から本件は生活に困窮した結果の犯行とは到底認められない。殊にこの種事犯を敢行するにあたつては押収品によつても明かな如く相当の機械器具、薬品等の備付けを要するに拘らず被告人に於て敢てこれを整えた事実に徴してもこれが生活苦の結果の犯行ではなく安逸なる不法利得を貪るための計画的犯行であつたことは極めて明かであり、その動機に是て何等寛恕すべき理由を見出し得ない。被告人は検察官に対し本件は歯科医師免許の受験費用を作るための犯行である旨の弁解をしているけれどもその虚偽なることは後記するが如き被告人に前科があり歯科医師の免許に対しこれが欠格事由となつていることゝ前記司法警察員に対する供述を対比すれば明かであつて、仮に百歩を譲り右弁疎が真実であるとしても、もとよりこれを以て被告人の本件違反の所為を正当化するものでないことは言を俟たないところである。

四、更に被告人が昭和二十四年十一月十九日詐欺並に歯科医師法違反により高知地方裁判所須崎支部に於て懲役十月(但し二年間刑の執行猶予)に処せられ同年十二月三日確定して目下その刑の執行猶予中であることは被告人に対する前科調書の記載(原審記録九十一丁)によつて明白である。而も該前科は原審裁判所にも顕著なる如く千三百円の無銭飲食による詐欺一件と九名に対する無免許歯科医業をなした歯科医師法違反の事実である。その刑の執行猶予の期間中なるにも拘らず僅々一年を出でずして更に同種類の本件歯科医師法違反を敢行したものであつて右は被告人が強度の反社会的性格の持主であり且亦法規遵守の観念に欠けていることを示し些少も改悛の情が認められず今後累ねて同種の犯行を反覆すべき危険性の甚だ大であることを示すものである。斯る被告人に対し僅々罰金八千円を以て処断するが如きは全く意義なく刑の目的は到底達せられないものと思料する。元来刑の執行猶予の制度は、犯人の中には刑罰を言渡されることのみによつて既に入監以上の痛苦を感ずる者があり、或は家庭を顧みて法律上の制裁以上に痛苦を感ずるものがあるので斯様な者に対しては悪風感染の危険ある刑務所に入れるよりも寧ろ心理強制による改過遷善に俟つに如かずとの理由から是認せられるに至つたものである。従つて刑の宣告にあたりこれを与えられた者はその恩典に感泣して猶予の期間中は生業に親み善行を保持して改過遷善の実を挙げ善良な社会人として更生の生活を全うしなければならないことは当然である。被告人がこの恩典を付与されていたに拘らず些少も将来を戒告するところなく累ねて本件事犯を敢行するに至つたのは到底心理強制のみを以てしてはその改過遷善の実を挙げることのできない性格の持主であることを示すものである。従つて斯る被告人に対しては寧ろ刑は怖るべきものであると感ぜしめ痛苦なりと意識せしめる必要がある。殊に本件の如くその執行猶予の期間中同種の犯行を反覆するが如きは被告人に法を遵守する意思の欠如せることを示すものであつてこれに対し徒らに軽き罰金刑を以て処断するが如きは益々法蔑視の観念に拍車を加え全く無意義であると言わざるを得ない。

原判決が検察官の意見と著しく異なり懲役刑を排除して罰金刑を以て処断した理由は或は被告人には前記の前科があるため若し本件につき懲役刑を選択するときは最早刑の執行猶予の言渡を為し得ず実刑を科せなければならない事情にあるので故らに懲役刑を選択しなかつたのではないかとも推測せられるが万一斯る理由により懲役刑の選択を躊躇するが如きことがあれば右は裁判官の個人的な肆意によつて量刑が左右せられたものであつて斯くては刑の統一は到底期すべくもなく又裁判の公正も保証さるべくもない。

原審裁判所が被告人に対する前記前科の事実に対し懲役十月(但し二年間の刑執行猶予)を言渡した事例に徴しても検察官が本件事犯に対してなした求刑が極めて妥当なものであり、これに対し故ら罰金刑を選択して処断することの極めて不当であることは、たやすく判る筈である。

五、これは要するに原審裁判所が歯科医師法の処罰目的を没却し刑の統一を無視して斯る悪質なる被告人の本件事犯を罰金八千円で処断したのは極めて失当であつて刑の量定甚だしく軽きに過ぎるものと思料する。若し斯くの如き判決を是認せんか現に係属中の同種事件は勿論将来当管内に於けるこの種事件の科刑総て軽きを来し一般世人をして法に対する尊厳の念を失わしめこの種事犯を更に頻発せしむる悪結果を残すものであつて延いては裁判の威信をも失墜するに至らしめその及ぼす影響は尠くないものと信ずる。仍て刑事訴訟法第三百八十一条に該当ずる事由あるものと思料し控訴を申立てた次第であるから速かに原判決を破棄せられたい。

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