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静岡地方裁判所富士支部 昭和62年(ワ)74号 判決 1990年3月06日

主文

被告は原告石田清貴に対し、金九三二七万九二二七円及びこれに対する昭和五九年二月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告石田晴敏、原告石田スイに対し、それぞれ金二二〇万円及びこれに対する昭和五九年二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決第一、二項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告石田清貴(以下「原告清貴」という。)に対し、金二億四〇九四万八八八七円及びこれに対する昭和五九年二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告石田晴敏(以下「原告晴敏」という。)、同石田スイ(以下「原告スイ」という。)に対し、それぞれ金五五〇万円及びこれに対する昭和五九年二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者の地位

被告は、吉原第一中学校(以下「吉原一中」という。)を設置し管理しているものである。

原告清貴(昭和四四年一一月一七日生)は、後述の本件事故発生当時、右中学校の二年四組に在学していたものである。

原告晴敏は原告清貴の父、原告スイは原告清貴の母である。

2  本件事故の発生

(一) 昭和五九年二月二三日、吉原一中の体育館内において、二年四組の正課である第五時限の体育授業(以下「本件体育授業」という。)が土屋英雄講師(以下「土屋講師」という。)指導のもとで実施され、原告清貴も右授業に出席した。

(二) 右体育授業の内容は、前方倒立回転跳びと呼ばれる跳び箱運動で、原告清貴は、右運動による跳び箱跳び越しの際、誤って頭頂部付近を跳び箱上部に衝突させ、跳び箱上から転落し、その結果、頸髄損傷、頭部打撲、頭部挫創、胸部及び両肩打撲の傷害を受けた。

(三) 原告清貴は、右受傷により、事故日である昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日まで、神奈川県足柄下郡湯河原町所在の湯河原厚生年金病院に入院し、その後、同年七月まで通院した。

原告清貴は、本件事故により、第六頸髄を損傷したため、上肢下肢の運動機能、上肢下肢躯幹の知覚機能、膀胱機能を完全に喪失する機能障害を残し、静岡県から身体障害者等級一級の認定を受け、昭和五九年一〇月一七日身体障害者手帳の交付を受けた。

3  被告の責任

(一) 主位的主張(国家賠償法一条の責任)

(1) 公権力の行使

<1> 吉原一中は、被告が設置、運営、管理するものであり、同校における教育作用は、被告の教育行政の一環として行なわれているものであるから、同校での教師が行なう教育活動は、国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたる。

<2> 原告清貴の受傷の原因である跳び箱運動は、正課の授業として行なわれたものである。

(2) 本件跳び箱運動を実施したことの過失

<1> 一般に、運動競技は、事故が発生する危険を内包するものであるから、指導教師は、生徒の安全に十分配慮し、事故を未然に防止すべき高度の注意義務がある。殊に本件のような危険な運動種目を実施するに際しては、指導教師は、事前に、当該種目に耐えうる相当程度の技能を身につけるよう生徒を充分に指導するか、又は、現に当該種目を実施する場合には、生徒が当該種目を行いうる技能を有するか否かを確認し、生徒がその技能を有しないときには当該種目の実施を回避すべき注意義務がある。

<2> 本件体育授業として実施された跳び箱運動は前方倒立回転跳びと呼ばれ、その跳び方は、別紙解説図記載のとおりで、跳び箱運動の中でも極めて高度なもので、事故が発生しやすい危険な種目である。

<3> 土屋講師は、本件体育授業を実施する以前には、原告清貴を含む二年四組の生徒に対し、跳び箱運動の具体的な指導をしたことがなかったし、前記のとおり、極めて高度かつ危険な本件跳び箱運動を実施するにあたり生徒の技能を確認することもなく漫然と実施した過失により本件事故を発生させたものである。

(3) 事前注意及び事故防止措置を講じなかった過失

<1> 仮に土屋講師につき、本件跳び箱種目を選択、実施したことには過失がないとしても、本件跳び箱運動の跳び方は、前記のとおり、極めて高度かつ危険な種目であったのであるから、土屋講師においては、事故の発生を未然に防止するため、跳び方の指導は勿論のこと、跳び越しの際の注意点を具体的に注意、指示するとともに、生徒が現に跳ぶときには、自ら又は他の生徒をして補助にあたらせる等事故防止の措置を講ずべき注意義務があるというべきである。

<2> しかるに、土屋講師は、事前に体操部員の生徒に模範演技を一度させただけで、他に生徒に対し何らの指導も注意指示もせず、かつ、生徒の跳び越しの際、自ら補助することなく、また何人の補助もつけず、跳び箱から数メートル離れた地点で静観していただけであった。

<3> 原告清貴の跳び越しに際し、補助者がついていたならば、本件事故は回避しえたものである。ちなみに、原告清貴は、一度目の試技では跳び越しができず、二度目の試技のときに本件事故が発生したものである。

(二) 予備的主張(債務不履行責任)

(1) 在学契約

原告清貴は、本件事故当時、吉原一中二年に在学していたものであるから、原告清貴と被告との間には、原告清貴は被告に対し、教育を受ける権利を有し、被告は原告清貴に対し、施設を供し、教師をして所定の課程を授業させる義務を負うことを基本的内容とする在学契約関係があったものである。

(2) 安全配慮義務違反

<1> 原告清貴と被告との間の在学契約の基本的内容は前記のとおりであるが、同契約の附随義務として被告は、原告清貴に対し教育を行なうにあたり、その身体、生命の安全、健康に充分配慮し、保護する注意義務がある。

<2> 本件跳び箱運動を実施するについての具体的注意義務及びその不履行によって本件事故が発生したことは、前記主位的主張(2)、(3)記載のとおりである。

4  損害

(一) 原告清貴の損害

(1) 逸失利益 金六六一五万四六四五円

原告清貴は、本件事故当時一四歳の健康な男子であったが、本件事故による前記後遺症により、生涯にわたり労働能力が完全に喪失した。その逸失利益は昭和六二年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計男子全年齢平均賃金の年収四四二万五八〇〇円を基礎として、ライプニッツ式計算法により中間利息を控除すると、前記金額になる。

計算式(286,100円×12)+992,600円=4,425,800円

4,425,800円×14.9475=66,154,645円

(2) 付添看護費用 金一億一二二一万二一五六円

付添看護費用については、原告晴敏ら近親の看護は、原告清貴の後遺症の程度が高いため著しい労力を要するものであり、日々職業的付添看護に要求されるのと同等の労力を要している実状なので、社団法人日紹連看護婦、家政婦福祉協会静岡県支部基準等を準用するのが相当であり、その額は次のとおりである。

<1> 昭和五九年分

基本給 金六九〇〇円

時間外 金九五〇円×三時間=金二八五〇円

合計金九七五〇円(一日)

金九七五〇円×三一三日=金三〇五万一七五〇円

<2> 昭和六〇年分

基本給 金七〇九〇円

時間外 金九六〇円×三時間=金二八八〇円

合計金九九七〇円(一日)

金九九七〇円×三六五日=金三六三万九〇五〇円

<3> 昭和六一年分

基本給 金七三八〇円

時間外 金一〇〇〇円×三時間=金三〇〇〇円

合計金一万〇三八〇円(一日)

金一万〇三八〇円×三六五日=金三七八万八七〇〇円

<4> 昭和六二年以降分

原告清貴は、昭和六二年一月時点で満一七歳であり、昭和五九年簡易生命表によるとその平均余命は五八・四一年である。そして、ホフマン式の単利年金現価の係数は、二六・八五一六であるから昭和六二年一月時点の現価は、金一万〇三八〇円×三六五日×二六・八五一六=金一億〇一七三万二六五六円となる。

(以上<1>ないし<4>の合計金一億一二二一万二一五六円)

(3) 療養雑費 金一〇五三万〇八三四円

原告清貴の前記後遺症の症状によれば、通常人の生活費のほか、その症状ゆえに必要な療養雑費の支払を余儀なくされ、その損害は一日金一〇〇〇円を下らず、その総額は以下のとおりである。

<1> 昭和六〇年五月一日(同年四月三〇日退院)から昭和六二年四月三〇日までの分

一日金一〇〇〇円×七三〇日=金七三万円

<2> 昭和六二年六月一日以後の分

原告清貴は、昭和六二年六月時点で、満一七歳であり、その平均余命は、昭和五九年簡易生命表によれば、五八・四一年であり、よって、単利年金現価の係数をホフマン式の二六・八五一六で計算すると金一〇〇〇円×三六五日×二六・八五一六=金九八〇万〇八三四円となる。

(以上<1>、<2>の合計金一〇五三万〇八三四円)

(4) 入院雑費 金四三万三〇〇〇円

原告清貴は、本件事故により昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日まで入院し、その間諸雑費の支出を余儀なくされたが、その損害は一日あたり金一〇〇〇円は下らない。

金一〇〇〇円×四三三日分=金四三万三〇〇〇円

(5) 自宅改造費等 金二四六一万八二五二円

原告清貴は、前記後遺症により、日常自力運動ができず、車椅子生活を送らねばならず、そのため、左記のとおり、自宅等の改造及び諸器具の購入を余儀なくされた。

費目 金額

<1> 自宅改造(盛土工事を含む)

金一九七三万一五四〇円

<2> 車両購入 金三二〇万四〇一二円

<3> 目隠し工事 金八万八〇〇〇円

<4> 電気チェンブロック購入

金一〇万八〇〇〇円

<5> 食堂テーブルセット購入

金一一万五〇〇〇円

<6> オックスフォードホイスト購入

金三九万七〇〇〇円

<7> 電動ベッド購入

金四七万八四〇〇円

<8> エアコン購入 金三〇万〇〇〇〇円

<9> 電気スタンド購入

金一万二五〇〇円

<10> 車椅子修理 金一八万三八〇〇円

(以上<1>ないし<10>の合計金二四六一万八二五二円)

(6) 慰藉料 金二二〇〇万円

原告清貴の本件事故による入院及び後遺症状、年齢等を考慮すれば、同原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料は次の額を下らない。

入院期間分 金二〇〇万円

後遺症分 金二〇〇〇万円

(7) 弁護士費用

原告清貴は、本件損害賠償請求につき、原告ら訴訟代理人に本件訴訟を委任したものであるが、その費用につき、本件事故と相当因果関係のある費用は金二三〇〇万円を下らない。

(二) 原告晴敏、同スイの損害

(1) 慰藉料 合計金一〇〇〇万円

本件事故による原告清貴の受傷内容は、死亡にも比肩すべきものであり、その両親である原告晴敏、同スイの精神的苦痛に対する慰藉料は、それぞれ金五〇〇万円は下らない。

(2) 弁護士費用 合計金一〇〇万円

原告晴敏、同スイは、本件損害賠償請求訴訟を原告ら訴訟代理人に委任したものであるが、その費用につき、本件事故と相当因果関係のある費用はそれぞれ金五〇万円を下らない。

(三) 損害の填補

本件事故につき、学校安全会から原告清貴に金一八〇〇万円が支払ずみであるので、原告清貴の前記損害からこれを控除する。

5  結語

よって、原告清貴は被告に対し、損害賠償金二億四〇九四万八八八七円、原告晴敏及び同スイはそれぞれ被告に対し、損害賠償金五五〇万円及び右各金員に対する本件事故発生の日である昭和五九年二月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。ただし、土屋講師は静岡県公立学校臨時任用職員である。

(二)  同(二)のうち本件体育授業の内容が跳び箱運動の前方倒立回転跳びであったこと、右体育授業中、原告清貴が跳び箱を跳び越そうとして頭頂部付近を跳び箱上部に衝突させて跳び箱上から転落し、その結果、原告ら主張のような傷害を受けたことは認めるが、事故の具体的態様については争う。

(三)  同(三)のうち原告清貴が右受傷により、原告ら主張の期間、湯河原厚生年金病院に入院したこと、静岡県から身体障害者等級一級の認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けたことは認めるが、その余は不知。

3(一)(1) 同3(一)(1)<1>の法律上の主張は争わない。

同<2>の事実は認める。

(2) 同(2)<1>のうち一般的に体育授業に際して指導教師には生徒の安全に配慮して事故の発生を未然に防止すべき注意義務のあることは認めるが、その余の主張は争う。

同<2>のうち本件体育授業として実施された跳び箱運動が前方倒立回転跳びであり、その跳び方が別紙解説図記載のとおりであることは認め、前方倒立回転跳びが跳び箱運動の中では比較的高度な跳び方であることは争わないが、極めて高度かつ危険な運動であるとの点は争う。

同<3>の主張は争う。二年四組の生徒にとって、前方倒立回転跳びは昭和五八年五月(第二学年一学期)、浜谷譲教諭(以下「浜谷教諭」という。)によって履習された既習の課目であった。

(3) 同(3)<1>の原告らの主張は争う。

同<2>のうち土屋講師が事前に体操部員の生徒に模範演技をさせたこと、原告清貴の跳び越しにあたって補助をつけなかったことは認めるが、その余の点は争う。

同<3>のうち本件事故が、原告清貴の二度目の試技中に発生したものであることは認めるが、その余の点は争う。

(二)(1) 同(二)(1)の原告らの法律上の主張は争わない。

(2) 同(2)<1>の安全配慮義務の存在することは認める。

同<2>は争う。

4(一)(1) 同4(一)(1)のうち原告清貴の年齢を除いてその余は争う。

原告清貴は昭和六一年三月、吉原一中を卒業して、加藤学園暁秀高等学校に進学し、平成元年三月には同高校を優秀な成績で卒業して、現在大学進学を目指して受験勉強中である。前記高校在学中の出席状況をみると、第一学年で欠席日数二日、第二学年で同二日、第三学年で同六日である。これは原告清貴並びにその家族の大変な努力と、これを支える学校関係者等の絶大な援助の賜であるが、同原告が将来、知的職業に就業して、収入を得るという可能性を残すものとして、逸失利益あるいは慰藉料算定にあたり斟酌さるべき事情と考える。

(2) 同(2)の主張は争う。

原告清貴の看護にあたり現実に職業的看護人を付したことはなく、また、前記高校在学中の看護の実態は、朝学校まで送り、午前一〇時と昼休み排尿をとりに学校へ行き、帰りに迎えに行くというものであって、終日、ベッドサイドに付添って患者を介助するものではなく、従って通院付添に近いものということができる。従って、同原告の入院中は近親者の入院付添費相当額をもって、退院後は通院付添費相当額をもってそれぞれ計算すべきものと思料する。

(3) 同(3)の主張は争う。

(4) 同(4)の主張は争う。

(5) 同(5)の主張は争う。

原告清貴主張の自宅改造費等の内容はほとんど自宅の改築、新築費用を請求しているものであるが、風呂場、便所、出入口の改造、あるいは自動車の改造費用に限定されるべきで、その余は相当因果関係がない。

(6) 同(6)の主張は争う。

原告清貴の入院中あるいは復学、進学にあたって教育関係者の示した暖かい援助、真摯な努力は評価されて然るべきものがあると考える。また、原告清貴の加藤学園進学にあたり、被告富士市が市議会の議決を得て同学園に対して、設備改善費名下に金一〇〇〇万円の寄付をしている事実も慰藉料額算定にあたり特に考慮さるべきものと思料する。

(7) 同(7)の主張は争う。

(二) 同(二)の主張は争う。

(三) 同(三)の事実は認める。

三  被告の主張

1  土屋講師の無過失

(一) 本件体育授業は文部省の中学校学習指導要領に基づき立てられた教科年間指導計画に従って実施されたものである。

(1) 文部省の中学校学習指導要領を解説した中学校指導書(保健体育編)は、第二章「内容」、第二節「各領域の内容と特性」、B「個人的スポーツ」の中で陸上競技とともに器械運動をとり上げ、<1>鉄棒運動、<2>マット運動、<3>平均台運動、<4>跳び箱運動の各種目を掲記している。そして、跳び箱運動としては、斜め跳び、水平跳び、仰向け跳びなどの切り返し系の跳び方、台上前転や前方倒立回転跳びなどの回転系の跳び方があり、「跳び箱運動の跳び方には大別して前記の二つの系統があるので、跳び方を工夫する場合には技能の程度に応じてこれらの課題を選んで指導することが望ましい。」と記している。

(2) 前記指導要領に準拠して作られた静岡県中学校体育連盟編集にかかる「中学体育実技(静岡県版)」は、跳び箱運動の中で本件の前方倒立回転跳びを教材としてとり上げ、前方倒立回転跳びの練習段階例として、「台上から倒立回転おり」→「はねあげの練習」→「前方倒立回転跳び(跳び箱横)」→「同上(跳び箱縦)」と例示している。

(3) 土屋講師は、事故当日の第五時限の体育授業を実施するにあたり、授業開始とともに生徒達を指導して所定の用具置場から踏切板、跳び箱、安全マット三組を体育館内に搬入させ、跳び箱運動の難易度に応じて、(イ)跳び箱四段(跳び箱横置き、試技する生徒に向かって跳び箱を横置きにすること、以下同じ)、(ロ)跳び箱五段(横置き)、(ハ)跳び箱五段(縦置き)の三列に配置させた。そして、まず自ら前方倒立回転跳びの試技の要領、殊に着手の位置、タイミング等について解説、指導をし、さらに体操部員による模範演技を全員に見学させたのち、前記(イ)の跳び箱を使用して順次できる者から試技に入るよう指示した。

試技開始後、土屋講師は、跳び箱の側方数メートル離れた地点に立って、生徒の試技、動静を監視するとともに、生徒ひとりひとりの跳び方の巧拙、反省点などを指摘し指導にあたっていた。そして、生徒にとって一番やさしい(イ)の跳び箱四段(床上より台上までの高さ約八八センチメートル)を横置きにしたものから、順次難易度の高い(ロ)、(ハ)に移行するよう器具を設定し生徒個人個人がその技術に応じて試技を行うよう計画し、生徒の安全性のため周到なる注意を払って授業にあたったものである。

二年の男子生徒にとって前方倒立回転跳びは、既習の教科であったため参加した生徒の大部分は順調に試技を終了し、終わりから四番目位に原告清貴が助走に入った。原告清貴は、踏み込みの後、跳び箱に両手をかけたが、腕立てによる体重の支持ができずにそのまま跳び箱の前部に頭部を突っ込む形で、後方の安全マット上に倒れ込んでしまった。

(4) 前叙のとおり、前方倒立回転跳びは、原告を含めて二年男子生徒にとっては既習の教材であり、吉原一中の昭和五八年度教科年間指導計画に定められたとおり、昭和五八年五月、器械運動(マット及び跳び箱)が教材として選定され、浜谷教諭の指導で跳び箱及びマットを使用して、台上からの倒立回転おり、はねあげの練習を経て全員が前方倒立回転跳びを履習していた。

また、本件事故の一週間前の昭和五九年二月一六日の体育授業の際にも土屋講師は、年度の総まとめとして跳び箱運動をとり上げ、うま跳び、腕立て伏せ等の準備体操を行った後、開脚跳び、閉脚跳び等の跳び箱運動を実施し、体操部員に前方倒立回転跳びの試技をさせたうえで、次回体育の時間にこれをとり上げることを全員に予告していた。

(5) 原告らは、本件跳び箱運動の跳び方は極めて高度かつ危険な種目であった旨主張するけれども、以上述べてきたとおり、本件授業は、中学校学習指導要領、保健体育の教科書にも選定された学習課題であって、中学二年生の普通の体力、技量を持った男子生徒にとっては一定の練習と指導を受ければ、容易に履習可能な課題であったことは明らかである。現に、富士市内の各中学校においては、前方倒立回転跳びを中学二年男子体育の教材として選定し、これを実施しているのであって、右運動が極めて高度かつ危険な種目とはいえないことは明白である。

(二) 原告らは、本件跳び箱運動を実施したこと自体が過失であるとして、生徒が当該種目を実施する技能を有しないときは、教師はその実施を回避すべき注意義務がある旨主張する。

確かに、体育の授業では、一般に体力を要し、時として過激な運動を伴うことから、生徒を指導、教育する教師としては、その運動に内在する危険、その実施に伴って生ずるであろう危険に十分な注意を払い、生徒の安全を配慮しなければならない注意義務を負うことについては異論はないが、一方、体育はあくまで生徒の積極的な身体的活動を通じて心身の成長・発達を計るという点に教育の目的・意義が存在するのである。殊に成長著しい中学生にとって、より高度の目標を設定し、その課題克服のため真剣な努力と合理的なトレーニングを積むことはまさに体育授業そのものの目的・課題であって、たとえ、当該生徒にその種目を実施する技能がないからといって、教師に、その実施を回避すべき義務があるとは到底考えられないところである。

本件体育の授業は、一定の計画的、合理的な練習段階を経て実施されたものである。また、その具体的な授業内容についても、土屋講師は原告ら生徒の安全に十分配慮して周到な注意を払って指導していたもので、同講師にとって、本件事故の発生を予見し、これを回避することは不可能であったといわざるをえない。

2  過失相殺

仮に土屋講師に過失が認められるとしても、原告清貴は本件事故当時満一四歳中学二年生で事理を弁識するに足る知能を備えていたのであり、本件跳び箱運動は既習の教科であったにもかかわらず、原告清貴の跳び方の失敗から本件事故が発生しているのであるから被害者にも過失があり、この点から過失相殺を主張する。

3  損益相殺

原告清貴は以下のとおりの金員の支給を受け、又は受ける予定になっており、これらはいずれも損益相殺として原告清貴の損害額から控除されるべきである。

(一) 原告清貴は、特別児童扶養手当等の支給に関する法律三条により、昭和五九年九月から満二〇歳に至るまで左記のとおり合計金二三九万二四〇〇円の特別児童扶養手当金の支給を受けている(ただし、平成元年八月から同年一一月までは、扶養義務者所得制限額該当により支給が停止)。

昭和59年9月~昭和60年5月 38,400円×9=345,600円

60年6月~61年3月 39,800円×10=398,000円

61年4月~62年3月 40,800円×12=489,600円

62年4月~63年3月 41,100円×12=493,200円

63年4月~平成元年3月 41,300円×12=495,600円

平成元年4月~平成元年7月 42,600円×4=170,400円

合計2,392,400円

(二) 原告清貴は、富士市交通禍による遺児及び重度心身障害児福祉手当支給条例(昭和四八年三月三〇日条例第一一号)により平成元年一二月一八日金四万円の支給を受けた。

(三) 原告清貴は、特別児童扶養手当等の支給に関する法律一七条、一八条により、昭和五九年九月から昭和六一年三月まで左記のとおり福祉手当金二〇万九七〇〇円の支給を受けた。

昭和59年9月~昭和60年5月 10,800円×9=97,200円

60年6月~ 61年3月 11,250円×10=112,500円

合計 209,700円

(四) 原告清貴は、特別児童扶養手当等の支給に関する法律一七条、一八条により、昭和六一年四月から満二〇歳に至るまで左記のとおり合計金四六万七二〇〇円の障害児福祉手当金の支給を受けた(ただし、平成元年八月以降は扶養義務者所得制限額該当により支給停止)。

昭和61年4月~昭和62年3月 11,550円×12=138,600円

62年4月~ 63年3月 11,650円×12=139,800円

63年4月~平成元年3月 11,700円×12=140,400円

平成元年4月~平成元年7月 12,100円×4=48,400円

合計 467,200円

(五) 原告清貴は、富士市重度障害者及び重症心身障害者介護手当支給条例(昭和四九年三月三〇日条例第一〇号)により、平成元年一二月四日金二万円の支給を受けた。

(六) 原告清貴は、特別児童扶養手当等の支給に関する法律二六条の二、同条の三により満二〇歳以降毎月金二万二二五〇円(平成元年度における支給額)の特別障害者手当金の支給を受ける予定である。ただし、現在は前記のとおり扶養義務者所得制限額該当により支給が停止されている(毎年八月一日現在の所得額認定により支給が開始されることがある。)。

(七) 原告清貴は、国民年金法三〇条の四、三三条二項により満二〇歳以降毎年一定金額の障害基礎年金の支給を受ける予定で、現在申請手続中である(障害一級の場合年額金八三万二五〇〇円、障害二級の場合年額金六六万六〇〇〇円)。

四  被告の主張に対する原告の認否

1(一)  被告の主張1(一)冒頭の事実は不知。

(1) 同(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実は認める。

(3) 同(3)のうち土屋講師が試技開始にあたり体操部員による模範演技を実施させたこと、試技開始後、土屋講師が跳び箱から数メートル離れた地点に立っていたことは認めるが、その余は不知ないし否認。

(4) 同(4)の事実は不知ないし否認。

(5) 同(5)のうち本件授業が中学校学習指導要領、保健体育の教科書に選定された学習課題であることは認めるが、その余は不知ないし否認。

(二)  同(二)の主張は争う。

2  同2の原告清貴にも過失がある旨の主張は争う。

本件跳び箱運動は原告清貴にとって既習の教科ではなく、試技にあたり原告清貴が悪戯その他の異常な行動をしたことはなく、同原告に過失はない。

3  同3冒頭の主張は争う。

同(一)ないし(七)の事実はいずれも認める。

被告主張の金員が損害額から控除されるべきであるか否かは、その支給の根拠になっている法律及び条例の目的がどこにあるのかによって決められるべきである。しかるとき、これらの支給の根拠法令の目的は、いずれも障害福祉行政の実現を目的とするものであって、損害の填補を本来の目的とするものではないこと明らかであるから、右金員は損害額から控除されるべきでない。

第三  証拠<省略>

理由

一  当事者の地位

請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故の発生と原告清貴の受傷

請求の原因2(一)の事実、同2(二)のうち事故の具体的態様を除いて本件体育授業の内容が跳び箱運動の前方倒立回転跳びであり、右体育授業中、原告清貴が跳び箱を跳び越そうとして頭頂部付近を跳び箱上部に衝突させて跳び箱上から転落し、その結果、頸髄損傷、頭部打撲、頭部挫創、胸部及び両肩打撲の傷害を受けたこと、同(三)のうち原告清貴が右受傷により事故日である昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日まで神奈川県足柄下郡湯河原町所在の湯河原厚生年金病院に入院したこと、原告清貴が静岡県から身体障害者等級一級の認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けたとの事実はいずれも当事者間に争いがなく、事故の具体的態様は後記三、原告清貴の治療経過及び後遺症は後記五1認定のとおりである。

三  本件事故発生に至る経緯等

請求の原因3(一)(1)<2>の事実、同3(一)(2)<2>のうち本件体育授業として実施された跳び箱運動が前方倒立回転跳びであり、その跳び方が別紙解説図記載のとおりであること、前方倒立回転跳びが比較的高度な跳び方であること、同3(一)(3)<2>のうち土屋講師が事前に体操部員の生徒に模範演技をさせたこと、原告清貴の跳び越しにあたって補助をつけなかったこと、同3(一)(3)<3>のうち本件事故が原告清貴の二度目の試技中に発生したものであること、被告の主張1(一)(1)、(2)の事実、同1(一)(3)のうち土屋講師が試技開始にあたり体操部員による模範演技を実施させたこと、試技開始後、土屋講師が跳び箱から数メートル離れた地点に立っていたこと、同1(一)(5)のうち、本件体育授業が中学校学習指導要領、保健体育の教科書に選定された学習課題であるとの事実はいずれも当事者間に争いがなく、右及び前記各争いのない事実、<証拠>及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  吉原一中の二年生の体育は、昭和五八年四月の新学期開始当時、浜谷教諭が男子生徒を、岸田悦子教諭が女子生徒をそれぞれ担当していたが、途中から右岸田教諭が産休の特別休暇に入ったので、同年三月に大学を卒業した土屋講師が同年九月一日付で静岡県公立学校臨時任用職員の講師として採用され、二年男子生徒の体育を担当することになり、浜谷教諭が女子生徒の体育を担当することになった。

吉原一中における昭和五八年度(昭和五八年四月から昭和五九年三月まで)の体育の年間指導計画は、二年男子の器械運動について、一学期にマット運動を五時限(一時限は五〇分授業)、跳び箱運動を四時限、三学期に鉄棒を四時限組み込み、マット運動の目標を、連続してつなぎの部分がなめらかに回転できるようにすること、指導の内容を、伸膝前転、前転後転、伸膝後転、腕立て前転と、また跳び箱運動の目標を着手からの手のつき放しの感じをつかませ、第二飛躍を大きくさせること、指導内容を水平閉脚跳び、腕立て前転(前方倒立回転跳びの意)、腕立て回転(台上前転の意)と定めていたものであり、右指導計画は文部省の中学校学習指導要領に基づき、同要領を解説した文部省作成の中学校指導書(保健体育編)を参考にして立てられたものであって、体育授業は右指導計画にしたがって実施されてきたが、体育種目には体育館でするマット運動等のほか、陸上など屋外でするものもあり、天候などの事情により、当初の予定を適宜変更して授業を行なうこともあった。

2  昭和五八年四月から同年八月まで二年男子の体育を担当していた浜谷教諭は、前記年間指導計画にしたがい、一学期の器械運動の前半に伸膝前転、伸膝後転、腕立て前転等のマット運動をしたのに続いて、後半に一年生の時に履習した跳び箱の復習のほか、水平閉脚跳び、台上前転等の跳び箱運動をしたうえ、跳び箱の最終予定授業の五時限目授業として、一年生時はもとより、二年生になってもそれまでに授業をしたことのない前方倒立回転跳び(跳び箱横置きのみ)の授業をしたことがあった。

跳び箱の前方倒立回転跳びは、別紙解説図記載のように、助走から勢いよく踏み込んで両足で踏み切り、跳び箱上に伸身体勢で着手し、前方に倒立回転して着地する跳び方であり、マット運動の前方倒立回転跳びでは着手点と着地点が同じ高さであるのと異なり、跳び箱の方では着手点が着地点よりかなり高く、倒立回転をするには相当の筋力を要すばかりでなく、試技者に心理的不安を生じ易く、中学生の体育実技の中では相当高度な難しい種目とされ、高い危険性も内包している。もっとも、富士市内のほとんどの中学校では跳び箱の前方倒立回転跳びを体育のカリキュラムに組み入れているのが実情であるが、二年生までにどの程度の段階まで実技指導されているのかは詳らかではない。吉原一中では、土屋講師の着任前、一年次では跳び箱の前方倒立回転跳びの授業はせず、二年次において、跳び箱運動の最終種目として授業することが行なわれてきた。

浜谷教諭が二年四組の男子生徒を対象に跳び箱の前方倒立回転跳びの授業をしたのは、昭和五八年五月であり、同教諭は、右授業において、まずその前段階の練習として、台上前転で腰を高く上げる動作の練習をしたうえ、跳び箱を横置きにして頭部と手を支えにして跳び箱上を前転して着地する運動や、着地練習として跳び箱上からの着地、安全マット上の前方に倒れる練習をし、次いで腕支えだけで頭部を離して、当初は二段位の高さから始めて四段位までに順次高くしつつ、跳び箱上で前転することをし、それを繰り返し、回数をこなさせたうえ、前方倒立回転跳び(跳び箱横置き)の試技の実施に及んだものであるが、同教諭の前方倒立回転跳びの授業は四十名余の男子生徒を相手にした僅か一時限だけのもので、生徒ひとりひとりの練習時間はかなり限られ、跳び箱縦置きでの授業は全くしていなかったし、同教諭は、前方倒立回転跳びの完成は三年生の目標であり、二年生では完成させるのは目標ではなく、それゆえ、台上前転を発展させた形の頭部が跳び箱についているような試技であっても、できるところまでで十分としていたものであり、前記授業でも、前方倒立回転跳びの試技は、それができる生徒はやったという程度にとどまり、原告清貴も浜谷教諭の右授業を受けたものであるが、普通より運動能力の劣る原告清貴は、右授業を受けた段階では、台上前転で前転のため跳び箱上で腰を上に引き上げる動作をするにも補助を必要とし、補助をつけて右動作がようやくできるという初歩的段階にとどまっていた。

3  土屋講師は、昭和五八年九月の着任後、二年四組の男子生徒に対する体育については、水泳、柔道、サッカー等の授業を行ない、跳び箱の授業をせず、三学期に至った。

土屋講師は、昭和五九年二月初め頃、浜谷教諭から、二年生男子については前年五月に跳び箱の前方倒立回転跳びの授業をやったことがある旨聞いたが、右程度の漠然としたことを聞いた位で終わり、授業内容の概要や前方倒立回転跳びのできない生徒もいるかなど履習状況を確認しなかった。

こうしたのち、土屋講師は、昭和五九年二月中旬、二年四組、五組の男子生徒を対象に初めて跳び箱の授業を行ない、水平開脚、閉脚跳びをし、その際、生徒からも、以前に前方倒立回転跳びの授業を受けたことがあることを重ねて聞いたが、授業内容の概要や試技のできない生徒がいるかどうかなど生徒の技能については一切確認しなかった。土屋講師は、右授業の終わりに、体操部員の生徒に、原告清貴を含む他四〇名位の生徒の目前で、前方倒立回転跳びの試技をさせ、次に跳び箱運動をする時は前方倒立回転跳びの授業をすると予告し、その際、口頭で前方倒立回転跳びの着手の位置や着地について若干の注意、指導を与えたが、その内容は詳らかでなく、また、着手の位置を跳び箱上に実際に手を置いて示すなどの実技指導は一切しなかった。

4  昭和五九年二月二三日、二年四組、五組男子合同(生徒数四十二、三名)の第五時限目の体育授業は、当初、屋外で鉄棒運動をする予定になっていたが、雨天のため、急拠、予定が変更され、体育館において跳び箱運動の授業が行なわれることになった。

土屋講師は、右体育授業を実施するにあたり、授業開始とともに生徒に指示して所定の用具場から、踏切板、跳び箱、安全マット三組を体育館内に搬入させたうえ、館内の東側半分の位置に、跳び箱運動の難易度に応じ、横置き四段、横置き五段、縦置き五段の三列に配置させた。跳び箱運動は、ひとつの種目が終わるとさらに難易度を高めていく運動で、前方倒立回転跳びをする場合、右三列のうちで四段横置きが一番易しく、次が五段横置きで、縦五段が最も難易度が高い。右四段横置きの跳び箱の高さは、〇・八八メートル、幅は一・二メートル、奥行は上部で〇・四五メートル、下部で〇・八メートルで、その手前に〇・二メートルの間隔を開けて踏切板を置いたものであり、安全マットの高さは、〇・五メートルである。

5  土屋講師は、準備体操のあと、自ら前方倒立回転跳びの試技をすることはもとより、着手の位置や両足で踏み切るかなど踏み切りの方法、倒立時の姿勢その他の跳び方の要領について注意、指導を与えず、個々の生徒が前方倒立回転跳びをできる技能を具備しているかどうかを確認することもなく、いきなり、「さあ、跳んでみよう。」と申し述べて、まず四段横置きを、できる者から順次に試技に入るよう指示し、加えて跳び終えた生徒は脇の方で腰をおろして待つように言い、一方、自らは右四段横置きの跳び箱の側方数メートル離れた位置に立って生徒の動静、試技を見ることにした。

しかして、前方倒立回転跳びの試技には助走が必要なため、生徒は、体育館内の東方端の方に集まったのち、最初の生徒が前方倒立回転跳びの試技をした。しかるところ、土屋講師は、右試技をしたのが体操部員の生徒でなかったので、生徒の集団の方に近寄って行ったうえ、試技未了の体操部員の生徒ひとりに指示して前方倒立回転跳びの模範演技を一回させ、原告清貴を含む他の生徒に見せて、「こういう風に跳ぶんだ。」と言って他の生徒に試技の実行を指示し、その指示により生徒は再び試技を開始したが、助走のスタートも土屋講師は合図せず、生徒各自が前の生徒の跳び越しの終わったのを確認して順次試技に及び、その間、同講師は、生徒の動静、試技を見ながら徐々にもといた四段横置き跳び箱から数メートル離れた位置に戻っていった。

6  こうして、大半の生徒が試技を終え、数名の生徒が残り、原告清貴の番になった。すでに試技を終えた生徒の中には、一回で跳び越しができず、再度やり直す者も数名いたし、頭部を跳び箱上部につけて台上前転の形になる者もいたが、土屋講師は、多数の生徒が前方倒立回転跳びをすることができ、変な跳び方をする生徒もいるが、危険な跳び方をする生徒もなく、総じてうまく跳べているという印象を受けたので、試技を終えた生徒に若干の注意、指導を与えたことがあったものの、そのほか、試技未了の者に対して改めて注意、指導を与えたことはなく、自ら一切の補助もせず、他の生徒をして補助させることもしなかった。

原告清貴は、一度目の試技で助走して踏切板まで走っていったが、自分ひとりでは倒立すらできない気持であり、自信がなかったので、倒立する状態にまで至らず中止した。原告清貴は、やや太った体格で、体格に見合った筋力がなく、腕の力が乏しく、倒立も十分にできなかったものであり、土屋講師は、当時、原告清貴が右のように倒立も十分できない技量であり、二年一、二学期の保健体育の成績が五段階評価の「2」で、運動能力が普通よりやや劣る生徒であることを知っていたし、右のように一度目の試技を中途で取りやめたのも見ていたが、改めて跳び方を指導したり、跳び箱の近くの補助できるような場所に移動することもなく、他の生徒をして補助させることもなく、跳び箱の側方三、四メートル位離れた地点に立ち止まって原告清貴の動静、試技を静観するのを続けた。

7  原告清貴は、一度目の試技を中止したのち土屋講師の方を見たところ、再度の試技をしなくてもよいとの指示はなく、先に試技した生徒も、一度目に失敗しても、引き続き二度目の試技に及んでいたので、再び跳び箱から十数メートル離れた体育館内の東北端辺りの位置に戻って同所から助走を開始し、両足ではなく、左片足を軸足とし、跳び箱上部手前の位置に両手をつき、頭部を跳び箱につけ台上前転になるような姿勢で勢いよく跳び越そうとしたが、腕立てによる体重の支持ができず、低い姿勢で頭頂部付近を跳び箱上部前面に強くぶつけたうえ、そのまま跳び箱の方に突っ込み、右肩の方から崩れ、やや横転し、横倒しになるような形で、跳び箱を越えてほぼ垂直に後方の安全マット上に転落して倒れ込んだ。

これを目撃した土屋講師は、すぐさま原告清貴の許に駆け寄る一方、体育館の西側半分を使用して二年四組、五組女子生徒のバレーボールの授業をしていた浜谷教諭を呼び寄せた。浜谷教諭は、原告清貴がひどく出血していたので鉢巻で出血箇所を圧迫し、話しかけたら眼を開けた原告清貴に横向きになるように指示したが、同原告は身動きのできない状態であった。

まもなく救急車が呼ばれ、原告清貴は、担架に乗せられ、土屋講師らの付添いのもと静岡県富士市内の芦川胃腸科病院に搬送され、救急処置を受けたが、同病院の指示で、その日のうちに湯河原厚生年金病院に転送された。前記体育授業は、右事故のため、中止された。

8  ところで、文部省の中学校学習指導要領は、器械運動の跳び箱運動の内容について、「跳び方を工夫した跳び箱運動を自己の技能に適した課題をもって行ない、調子良くできるようにする。」と定め、右事項については、体操その他の体育種目と同様、「学年や技能の程度に応じて内容を工夫して指導するものとする。」と定めている。

また、右指導要領を解説した文部省作成の中学校指導書(保健体育編)は、跳び箱運動には、斜め跳び、水平跳び、仰向け跳びなど切り返し系の跳び方、台上前転や前方倒立回転跳びなどの回転系の跳び方があり、「跳び箱運動の跳び方には大別して前記の二つの系統があるので跳び方を工夫する場合には技能の程度に応じてこれらの課題を選んで指導することが望ましい。」とし、跳び箱運動を含む器械運動の態度について、「器械運動は『できる』、『できない』の個人差がはっきりした運動であるので、自己の努力すべき具体的な目標をしっかりもち互いに協力して計画的に練習できるようにすることが大切である。」と記している。吉原一中の前記昭和五八年度教科年間指導計画は、以上のような中学校学習指導要領に基づき、右指導書を参考にして立てられたものである。

9  吉原一中で教科書(副読本)として使用している「中学校体育実技」(静岡県版)は、器械運動の特性として、「恐怖心や不安感が生じやすいので、合理的で安全な練習のしかたを工夫することが必要である。安全に対する配慮が必要な運動である。」とし、器械運動の学習のねらいとして、「マナーや安全を守り、みんなが各自の能力に応じて、マット運動、跳び箱運動、鉄棒運動、平均台運動ができるようになる。」こととし、安全についての心得えの一つとして、「自分の能力に応じた運動を、安全を確かめながら段階的に練習する。無理なことは決して行なわない。技術のポイントや危険な部分を十分に把握し、相手の技能に応じて正しく補助する。」とし、跳び箱運動の初歩段階として、下向き跳び、かかえ込み跳び、開脚跳び、台上前転を、次の克服段階として、仰向け(上向き)跳び、前方倒立回転跳び(跳び箱横)、側方倒立回転跳び(跳び箱横)、屈身跳びを、最上位の楽しみ段階として、前方倒立回転跳び(跳び箱縦)等を取り上げ、前方倒立回転跳びの練習段階例として、「台上から倒立回転おり」→「はねあげの練習」→「前方倒立回転跳び(跳び箱横)」→「前方倒立回転跳び(跳び箱縦)」を例示し、前方倒立回転跳び(跳び箱横)について、別紙解説図記載のように図面入りで説明を加え、安全対策として、着地位置に安全マットを置くこと、補助者をつけることを記している。跳び箱の前方倒立回転跳びは前記のような跳び方をするものであり、その補助は、着地がうまくいくように補助することのほか、跳び箱上での倒立ができるように補助することにも有用である。補助者には、試技者の能力に応じ、ひとりでは足りず、数名を要することもあるが、指導教師が生徒に補助の仕方を教示、指導して補助できるように体得させれば、中学生であっても補助は可能である。

以上の事実が認められ、証人土屋英雄の証言中、右認定に反する供述部分は前掲各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を左右すべき証拠はない。

四  被告の責任

1  吉原一中は、被告が設置、運営、管理するものであり、同校における教育作用は、被告の教育行政の一環として行なわれているものであるから同校での教師の行なう教育活動は国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたるものであることは当事者間に争いがなく、土屋講師が静岡県公立学校臨時任用職員であるとしても、被告市立の吉原一中の教員としての職務に従事していたものであるから、同法一条にいう公共団体の公権力の行使にあたる公務員ということができる。

2  次いで、一般的に体育授業に際して指導教師は生徒の安全に配慮して事故の発生を未然に防止すべき注意義務のあることも当事者間に争いがない。

そこで、土屋講師の過失の有無について判断する。

前記三認定事実によれば、土屋講師が本件体育授業で実施した跳び箱の前方倒立回転跳びは、中学校学習指導要領やそれを解説した文部省作成の中学校指導書に準拠して立てられた吉原一中の前記教科年間指導において二年男子生徒による履修が定められていた種目であるので二年四組男子生徒に授業で試技させることは許容されるものであるが、跳び箱の前方倒立回転跳びは、できる生徒とできない生徒の個人差がはっきりした運動で、着手点が着地点よりかなり高く、跳び箱上で倒立回転姿勢をとるので、腕の筋力を必要とするばかりでなく、中学二年生にとっては、相当に高度な難しい技の運動であり、恐怖心や心理的不安感を生じ易く、高い危険性を内包している種目であるから、その指導にあたる教師としては、生徒各自の能力に応じ、個別的に、かつ、安全を確かめながら、台上からの倒立回転跳び、はねあげなど段階的な練習、指導を充分すべきであるとともに技能に劣る生徒に対しては自ら又は他の生徒を指導して補助すべきものであって、土屋講師は、昭和五八年九月の二学期から二年四組男子生徒の体育授業を担当するようになったもので、本件体育授業をしたのは三学期の昭和五九年二月であるが、前任の浜谷教諭からは一学期の昭和五八年五月に前方倒立回転跳びの授業をしたことがある旨を抽象的に聞いたにとどまり、授業内容の概要や各生徒のでき具合いなどを確認したことがなく、自らの授業では本件事故の約一週間前の授業で体操部員の生徒に前方倒立回転跳びの試技を他生徒の目前で一回させ、その際、口頭で漠然とした注意を与えたことがあったにとどまっていたものであるので、本件事故日に前方倒立回転跳びの試技をさせるにあたっては、各生徒の技能の把握に努め、その能力に応じ、個別的、段階的な練習、指導を充分なし、かつ、原告清貴の運動能力が普通より少し劣り、倒立すら満足にできない生徒であるのを知っていたものであるから、自ら又は他の生徒をして倒立等を補助する注意義務があるものというべきであるところ、同講師は、試技開始後二番目に体操部員の生徒に一回試技させた程度にとどまり、台上からの倒立回転跳びなどの練習のほか、踏み切りの位置、方法、着手の位置その他について具体的な指導を与えず、かつ、原告清貴の試技にあたって自ら又は他の生徒による補助をせず、漫然、跳び箱の側方三、四メートル離れた位置で原告清貴の跳ぶのを静観していたにすぎないものであり、体育教師であり、原告清貴の前記の如き運動能力について認識を有していた同講師にとっては原告清貴の試技失敗事態の発生も十分に予見しえたものであるから、同講師には前記注意義務を怠った過失があるものと認めることができる。

したがって、被告は、国家賠償法一条に基づき、本件事故により原告らの蒙った損害を賠償する責任があるものというべきである。

五  損害

1  治療経過及び後遺症

前記二の争いのない事実、<証拠>を総合すれば、原告清貴は本件事故で昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日まで湯河原厚生年金病院に入院し、治療及び機能回復訓練を受けたのち、昭和六〇年七月まで通院し、その後、二年位、痙攣止め、利尿剤、下剤、坐薬の投与を受けていたが、現在は下剤、坐薬のみの使用を続けていること、原告清貴は、本件事故により第六頸髄を損傷した結果、胸部以下の躯幹、上肢下肢の知覚、運動機能が麻痺し、関節の運動範囲は受動的には正常で、肩拳上、肘屈曲、手関節背屈は自動的に可能であるが、肘伸展、手関節掌屈、手指屈伸は不能で、自ら起き上がったり、歩行することはもとより、体位の変換すらできず、家の中でも車椅子が必要であり、腹式呼吸、直腸膀胱の障害もあり、便意が自分では分からず、紙おむつを使用し、膀胱が充満すると意思に関係なく反射的に排尿され、握力もほぼ零であるが、機能回復訓練で手首が動くようになり、装具を用いれば手首を動かして判読しうる字を書くことができるものの、食事は自助具を用いて魚以外の食事をようやく自分ですることができる程度であって、その他日常生活全般にわたり介助を必要とする後遺症を残し、右症状は昭和五九年一〇月段階ではすでに固定し(同月一七日身体障害者等級一級の手帳交付)、今後回復する見込みはないとの事実を認めることができ、右認定を左右すべき証拠はない。

2  原告清貴の損害

(一)  逸失利益 金五四八四万四一七一円

<証拠>を総合すれば、原告清貴は昭和六〇年四月一日付で吉原一中の三年生に進級、復学し、昭和六一年三月同校を卒業したのち、同年四月静岡県沼津市内の加藤学園暁秀高校に進学し、平成元年四月同校を卒業し(三年間のうち欠席日数は合計一七日)、同年の大学受験に失敗したものの、現在、大学進学希望の強い意思をもち受験勉強をしているとの事実を認めることができ、右事実及び前記後遺症の内容、程度に、後記のとおり原告清貴については将来の付添看護費用の賠償が認められることを併せ考えれば、原告清貴の前記後遺症による労働能力喪失率は九〇パーセントと認めるのが相当である。原告清貴の右復学、進学、卒業が本人の大層な努力及び家族の多大な援護の成果であるとしても、労働能力を完全に喪失したものとみるのは相当でないというべきである。

原告清貴が昭和四四年一一月一七日生で本件事故当時満一四歳であったことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同原告は健康な男子であったものであり、本件事故にあわなければ、高校卒業後の満一八歳から満六七歳まで就業して収入を得ることができたはずであることが認められる。

したがって、就労可能年数を、昭和六三年四月からの四九年間とし、昭和五九年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計男子全年齢平均賃金の年収四〇七万六八〇〇円を基礎とし、ライプニッツ式計算法により中間利息を控除すると、前記金額になる。

計算式 (265,100円×12)+895,600円=4,076,800円

4,076,800円×0.9×14,9475=54,844,171円

(二) 付添看護費用 金二九八二万三六六八円

前記五1認定事実及び<証拠>を総合すれば、原告清貴の母の原告スイは、原告清貴の入院中のうち昭和五九年八月までの約半年間は病院に泊り込んで二四時間つきっきりで、それから以降の入院中は原告スイが早朝自宅を出て病院に通い、午後七時半頃に帰宅するような日程で、排尿、排便、体位の交換や機能回復訓練時の着替えなどほとんどあらゆる面での面倒をみてきたこと、中学復学後は主に原告スイが自動車に車椅子ごと原告清貴を乗せて学校まで送り、午前一〇時頃と昼休みに排尿の処置をしに行き、下校時にまた迎えに行っていたものであり、高校進学後は、遠方なので、朝、学校まで送り届け、一旦自宅に戻り、昼休みに排尿処置のため再び学校に行き、午後は下校時まで学校付近にとどまっていたものであって、そのため、原告スイは、本件事故後、それまでやっていたパートタイマーの仕事をやめざるをえなくなったが、高校入学後一年半位して再びパートタイマーの仕事を始めたこと、原告清貴は機能回復訓練により前記のように自助具を用いて魚以外の食事を一応することができるようになったりしたが、排尿、排便、体位の交換や入浴、着替えなどを独力で行なえず、これら日常生活上の基本的行為全般にわたり、他人の付添、介助を要し、こうした状態が生涯続くと推認され、これまでと同様、両親の看護を受けざるをえないことの事実が認められ、右事実に原告清貴には前記後遺症のため結婚することが期待できず、かたわら、両親が原告清貴の存命中、最後まで看護を続けることができないことも十分に予見しうることなどを総合考慮すると、付添看護費用は、昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日までが一日あたり金四〇〇〇円、同年五月一日から平成二年一月九日(口頭弁論終結時)までが一日あたり金二五〇〇円、同月一〇日以降が一日あたり金三五〇〇円と認めるのが相当である。

<1>  昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日までの分

金四〇〇〇円×四三三日=金一七三万二〇〇〇円

<2>  昭和六〇年五月一日から平成二年一月九日までの分

金二五〇〇円×一七一五日=金四二八万七五〇〇円

<3>  平成二年一月一〇日以降の分

原告清貴の右時点における残余生存可能年数は、<証拠>の昭和五九年簡易生命表によれば、五五年余と認めるのが相当であるので、ライプニッツ式計算法によりその現価を求めると、金二三八○万四一六八円となる。

金三五〇〇円×三六五日×一八・六三三四=金二三八〇万四一六八円

(以上<1>ないし<3>の合計金二九八二万三六六八円)

(三) 療養雑費 金三四〇万六四七六円

<証拠>によれば、原告清貴は、前記後遺症のため、退院後の昭和六〇年五月一日から将来にわたり、健康な通常人が要する生活費用以外に、集尿器、紙おむつ、ビニール手袋などその症状故に必要な療養雑費の出費を余儀なくされていることを認めることができ、その費用は一日あたり金四〇〇円をもって相当と認められる。

<1>  昭和六〇年五月一日から平成二年一月九日までの分

金四〇〇円×一七一五日=金六八万六〇〇〇円

<2>  平成二年一月以降の分

原告清貴の右時点における残余生存可能年数は、前記のとおり五五年余であるので、ライプニッツ式計算法によりその現価を求めると、金二七二万〇四七六円となる。

金四〇〇円×三六五日×一八・六三三四=金二七二万〇四七六円

(以上<1>、<2>の合計金三四〇万六四七六円)

(四) 入院雑費 金四三万三〇〇〇円

原告清貴は、昭和五九年二月二三日から昭和六〇年四月三〇日までの入院中、諸雑費の支出を余儀なくされたが、その費用は一日あたり金一〇〇〇円をもって相当と認める。

金一〇〇〇円×四三三日=金四三万三〇〇〇円

(五) 自宅改造費等 金四七七万一九一二円

<1>  自宅改造(盛土工事を含む) 金一〇〇万円

<証拠>によれば、原告清貴は前記のとおり前記後遺症のため自宅でも車椅子生活を余儀なくされたところ、本件事故当時の木造二階建作業所(原告晴敏が畳職人として働いている。)兼居宅では居間に上がるのに段差があって上がれず、また便所が和式で使用できず、風呂場も使用できない構造であったことなどから、原告晴敏が昭和五九年一二月頃建築会社に注文して右旧家屋を取り壊し、盛土し、木造二階建作業所併用住宅を新築し、そのため、建築代金一七二〇万円、そのほか盛土工事等一八一万二五〇〇円の支払をしたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

しかして、車椅子生活に適するように自宅を改造したときには、その改造に要する相当の費用が損害になるものであり、改造に代えて建替えた場合には、車椅子生活を考えない通常の新築費用と車椅子生活ができるように実際に新築した費用との差額が損害になるものであるところ、本件において右差額を具体的に明らかにする証拠は、一階の原告清貴の部屋に通じるためのスロープ工事費二四万二〇四〇円を除いて乏しいものの、出入口、便所、風呂場などを原告清貴の車椅子生活に適するようにするため通常の建築費以上のものを要したことが明らかであり、右各証拠及び認定事実によれば、原告清貴の車椅子生活に適する状態にするため、通常の建築費より少くとも、前記スロープ工事費を含め、金一〇〇万円の費用を多く要したものと認められるが、その余については任意の支出といわざるをえない。

<2>  車両購入 金二八八万四〇一二円

<証拠>によれば、原告晴敏は、昭和六〇年三月一四日、原告清貴の通院、通学用に車椅子のまま乗用できるリフト、固縛装置付きの自動車(ニッサンキャラバン)を代金三二○万四〇一二円(うち下取車価格六二万四〇一二円)で購入したとの事実を認めることができ、右代金のうちエアコン代三二万円を除いた残余は本件と相当因果関係のある損害と認めることができる。エアコンは便利であり、有用であるとしても、本件と相当因果関係があるものと認めるに足りる確たる証拠はない。

<3>  目隠し工事

原告スイは、隣家から原告清貴の部屋が見えるので目隠しをした旨供述するが、カーテンなどでまかなえない事情は明らかでなく、本件と相当因果関係あるものとは認められない。

<4>  電気チェンブロック購入

原告スイは、原告清貴を二階に上げたり、二階から一階に下げる機械として電気チェンブロックを購入した旨供述するが、<証拠>によれば、原告清貴の部屋のほか、便所や風呂場も一階にあることが認められるから、その購入費用は、任意の出費として相当因果関係のあるものと認めることはできない。

<5>  食堂テーブルセット購入

右購入代が相当因果関係のあるものと認めるに足りる確たる証拠はない。

<6>  オックスフォードホイスト購入金三九万七〇〇〇円

<証拠>によれば、昭和六〇年三月、原告清貴をベッドから車椅子に移動させたり、その他同原告を動かすための補助具としてオックスフォードホイストを代金三九万七〇〇〇円で購入したとの事実が認められ、これは同原告の前記後遺症に照らし相当因果関係のあるものと認めることができる。

<7>  電動ベッド購入 金四七万八四〇〇円

<証拠>によれば、昭和六〇年四月三日、電動ベッドを代金四七万八四〇〇円で購入したとの事実が認められ、原告清貴の前記後遺症に照らし相当因果関係のあるものと認めることができる。

<8>  エアコン購入

相当因果関係のある費用と認めるに足りる確たる証拠はない。

<9>  電気スタンド購入 金一万二五〇〇円

<証拠>によれば、昭和五九年三月二八日、ベッドで読書をするためのライト付き書見台様のスタンドを代金一万二五〇〇円で購入したことが認められ、原告清貴の前記受傷及び中学校在学中であったことに照らせば、相当因果関係のあるものと認めることができる。

<10>  車椅子修理

原告スイは、車椅子の購入、修理費用を支出した旨供述するが、身体障害者福祉法二〇条、二一条、厚生省告示「補装具の種目、受託報酬の額等に関する基準」によれば、身体障害者は、申請により、車椅子の交付、修理又はその購入、修理費用を知事等授護機関から支給を受けることができるようになっており、自ら購入したり、修理する必要がないように一応の措置が講じられているので、特段の事情の窺い知れない本件では、任意の支出と認めざるをえない。

(以上<1>、<2>、<6>、<7>、<9>の合計金四七七万一九一二円)

六  慰藉料 金一四〇〇万円

前記認定の本件事故の原因、態様、原告清貴の治療経過、後遺症状、将来における回復困難の見通し、年齢等に、<証拠>により認められる被告が原告清貴の加藤学園暁秀高校進学に伴い同校に施設改善費一〇〇〇万円を寄付したとの事実その他本件に顕われた一切の事情を総合考慮すれば、本件事故により原告清貴の受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金一四〇〇万円が相当であると認めることができる。

(以上(一)ないし(六)の合計金一億〇七二七万二二七円)

3 原告晴敏、同スイの慰藉料 合計金四〇〇万円

原告晴敏、同スイが原告清貴の父母であることは当事者間に争いがなく、原告清貴は本件事故により回復の見込みのない重大な傷害を負い、これにより原告晴敏、同スイが蒙った精神的苦痛は、子の死にも比肩すべきものであり、本件に顕われた一切の事情を総合考慮すれば、両名に対する慰藉料はそれぞれ金二〇〇万円が相当であると認められる。

4 過失相殺

本件事故発生に至る経緯、態様等は前記三認定のとおりであり、原告清貴は、本件事故当時、満一四歳の中学二年生で、事理を弁識するに足りる知能を有していたものであるから、危険性を伴う体育授業においては自らも生命、身体の安全に注意すべきものであるが、右認定事実によれば、前方倒立回転跳びの授業が事故前になされたことがあったとはいえ、約八か月前の、一時限だけのもので、できる生徒が試技をしたという程度にとどまり、原告清貴は台上前転にも、補助を要する初歩的段階にとどまっていたところ、本件事故は、かように未熟で、運動能力の劣る原告清貴に対し、それにもかかわらず、土屋講師において、充分な個別的、段階的指導も補助もしないまま試技を指示して実行させたことによって生じたもので、かような指導、補助が尽くされていれば、回避することができたものと認められるから、同原告が跳び方に失敗した点をもって同人の過失と評価することはできず、その他同原告がことさら危険又は異常な跳び方をしたような事実は認められず、同原告に過失のあることを認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告の過失相殺の主張は採用することができない。

5 損益相殺

(一)  請求の原因4(三)の事実は当事者間に争いがなく、右学枚安全会からの支給金一八〇〇万円は損益相殺として原告清貴の損害から控除するのが相当である。(右控除後の原告清貴の損害は金八九二七万九二二七円)。

(二)  次に、被告主張3のうち冒頭事実を除いた(一)ないし(七)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右(一)ないし(七)記載の各手当が損益相殺として控除されるべきであるかどうかについて検討するに、右各手当はそれぞれ被告主張の法律、富士市条例にその根拠を置くものであるところ、右(七)の国民年金法に基づく障害基礎年金は、現実に支給された額は控除すべきであるが、将来支給の予定にすぎないものは控除することができないと解するのが相当であり、右(一)、(三)、(四)、(六)の特別児童扶養手当の支給に関する法律による各手当はいずれも障害者の福祉の増進を図ることを目的とし(同法一条)、右(二)の富士市交通禍等による遺児及び重度心身障害児福祉手当支給条例による手当は、保護者と共に福祉の増進と自立助長をはかることを目的とし(同条例一条)、右(五)の富士市重度障害者及び重症心身障害者介護手当支給条例による手当は、障害者を慰謝激励することにより障害者の福祉の増進を図ることを目的とし(同条例一条)、右法律、条例には、国民年金法二二条のような損害賠償請求権の代位や給付の免責の規定はないものである。そうだとすれば、右各手当はいずれも社会福祉行政の一環として支給されるもので、損害の填補としての性質を有するものではないと認めるのが相当である。

したがって、被告の損益相殺の主張は採用することができない。

6 弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、審理期間、認容額等に照らすと、被告に対し損害賠償として請求しうる弁護士費用の額は、原告清貴について金四〇〇万円、同晴敏について金二〇万円、同スイについて金二○万円が相当であると認められる。

六  結論

以上の次第であるから、被告は国家賠償法一条に基づく損害賠償として、原告清貴に対し金九三二七万九二二七円、同晴敏、同スイに対しそれぞれ金二二○万円及びこれらに対する不法行為発生の日である昭和五九年二月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よって、原告らの各請求は、右限度において理由があるのでこれを認容するが、その余は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 榎本克巳)

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