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青森地方裁判所弘前支部 昭和31年(ワ)180号 判決 1958年6月10日

原告 下山陽一

被告 国

訴訟代理人 阿保清 外三名

主文

被告は原告に対して金二十二万円及びこれに対する昭和三十一年十二月十三日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払うこと。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対し金七十二万三千四百七十六円及びこれに対する昭和三十一年十二月十三日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として

原告は未成年者であるが、昭和三十年十一月十三日午前九時頃弘前市大字泉田に赴くため自家用オートバイを操縦し、同市大字小友部落から同市大字堂ヶ沢部落の方向に向い、同市大字鬼沢字山越二百三六番地ノ五号地先の巾員約六米五十糎勾配約十五度にしてS形に屈曲する県道坂道のほぼ中央から左寄りを時速約三十粁にて上つてゆく途中、折柄同所を反対方向からGMC普通貨物自動車(以下GMCと略称)を運転して下つて来た陸上自衛隊青森駐屯部隊管理中隊所属二本柳茂は本件衝突地点から約五十米前方において原告オートバイを認めたのに拘らず警笛を鳴らすことなく且つ同乗の上官から指示されたのに除行もせず何時にても停車し得る措置も採らないで、右道路のほぼ中央右側寄りを漫然進行して来たため、これを近路離において認めた原告は左に避けるべくハンドルを左に切つたが及ばず右GMC右と衝突し、よつて右大髄骨々折右膝蓋骨折右脛骨々折右大腿部挫傷右額部擦過傷頭部打撲の傷害を受けた上原告所有のオートバイは大破するに至つたこれがため原告は(1) 右負傷と同時に同市大字鬼沢字山越百十七番地鬼沢診療所医師布施清の診療を受け同月十五日迄入院治療を受けたがその間入院料治療費等合計金六千五百二十円を要し、(2) 更に右傷害が大なりしため医師のすすめにより同月十五日から翌年三月九日迄弘前大学整形外科に入院加療したがその間入院料、治療費等合計金十五万四千七百五十六円を要し、(3) 更に右衝突の際破損したオートバイの修理を青森県南津軽郡藤崎町小田桐モーター商店に依頼しその修理代に金六万六千二百円を要し、(4) 原告は右傷害によつて治療を受け昭和三十一年四月十三日退院したが右大腿部骨折が全治せず、現在に至るも歩行が不自由なるのみならず医師の診断によるも全治の見透しがない。原告の父は部落でも相当な資産家にして社会的地位も部落の上位に在るので原告は右負傷によつて不具者とならなければ今後経済的社会的に相当活動が出来るのであるからその精神的打撃も少くない。従つてその損害は最低五十万円以上に当る。以上(1) 乃至(4) 記載の損害合計金七十二万三千四百七十六円は国の機関である陸上自衛隊の隊員が公務執行中不注意のため運転上適宜の処置を採らなかつたために生じた損害であるからその賠償として国に対し、右金額及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三十一年十二月十三日から完済に至る迄年五分の割合による損害金の支払いを求めると述べ、原告はオートバイ運転免許を有していないが、運転には熟達しているものにして無謀な操縦もせず、本件事故はその頃買い求めた本件オートバイの試運転中に生じたものであると附陳し、

被告指定代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め答弁として

原告主張の事実中原告は年令十九才にして原告主張の日時場所において陸上自衛隊青森駐屯部隊管理中隊所属二本柳茂運転のGMCと衝突したため原告主張の如き傷害を受け、原告所有のオートバイが大破したこと、右事故は二本柳茂の公務執行中に生じたものであること、及び原告がオートバイの運転免許を有していなかつたことは認めるがその余の事実は争う。即ち陸上自衛隊第五普通科連隊では岩木山麓において行つた演習後の道路補修のため昭和三十年十月十日より一等陸尉神長一郎を指揮官とする道路補修作業部隊を弘前市大字裾野に野営して道路補修に当らせていたが、右作業隊に属してつた同連隊管理中隊所属一等陸士二本柳茂は同月十三日本件GMCを操縦し二等陸尉萩原六郎を指揮官とする砂利運搬作業員四名を乗せ午前七時三十分頃宿営地を出発し、同市紺屋町南方の岩木川原において砂利約三屯を積載した上、同八時四十五分頃同所を出発し、同市鬼沢部落方面に向い弘前市より鰺ヶ沢町に通ずる国道を進行して同九時二十分頃同市大字鬼沢字山越二百四十九番地先に差し蒐つたが、該地点は巾員約六米四十糎有効巾員約三米八十糎の砂利道にして両側に排水のための側溝があり、路面の外の方は傾斜し柴草が生えて居り弘前市方面から来ると事故現場の約六十米手前から下り坂となり、現場近くでは約十五度の傾斜で緩かに右に屈曲し衝突地点附近で水平の直線路となり更に下り坂となつて居り、見透しは右カーブの内側に在る小丘及び道路端の柴木のため概ね不良のため二本柳茂は速度を約七哩以下に減じて道路中央を進行したところ前方約五十米の地点に道路のほぼ中央を時速約四十粁にて進行して来る原告の操縦するオートバイを認めたので同乗の萩原二尉の指示もあり、警笛を鳴し乍らGMCを道路左端に寄せて約六、四米進行したところ原告は速度を緩めることなく約十米の地点迄接近して来たので二本柳茂は危険を感じ急停車をかけたので約二尺スリツプして停車したが、原告は突然左にハンドルを切つたため横倒しとなつたままスリツプしてGMCの前部バンパー右端に激突し、これがため原告は約二、七五米飛ばされて原告主張の如き傷害を受けたものである。以上の事実から二本柳茂には何等GMCの運転につき過失はなかつたものであるから被告には本件損害を賠償する責任はなく、却て原告が道路中央を時速約四十粁にて直進しGMCに約十米の近距離に接近し突然方向を転じようとしてカーブを切りそこねたものにして斯る場合原告としては何時にても停車出来る様に減速し且つ道路左側にオーバトイを寄せて進行すべき義務があるのにこれを怠つたため本件事故が発生するに至つたものである。仮令二本柳が警笛を鳴らさなかつたとしても原告は現場の地形と双方の進行状況から判断して少くとも二、三十米前方でGMCに気付いていたのに相違なく又仮に気付かなかつたとするならばこれは原告の前方注視義務を怠つたために外ならないと陳述した。

立証<省略>

理由

原告は年令十九才にして昭和三十年十一月十三日午前九時頃原告が自家用オートバイを操縦し弘前市大字鬼沢字山越二百三十六番地の五号地先の県道坂道を上る途中折柄同所を下つて来た陸上自衛隊青森駐屯部隊管理中隊所属二本柳茂運転のGMCと衝突したことは当事者間に争ない。

よつて本件事故が二本柳茂の過失に基くものでないか否かを判断するのに証人二本柳茂、萩原六郎の各証言と検証の各結果及び成立に争のない乙第二号証の一乃至八第三号証の一乃至三を総合すると陸上自衛隊青森駐屯第五普通科連隊管理中隊所属一等陸士二本柳茂は昭和三十年十月十三日GMC(二一-〇六二五)を操縦し二等陸尉萩原六郎を指揮官として砂利運搬作業員を乗せ午前八時三十分頃宿営地を出発し、弘前市紺屋町南方の岩木川原において砂利約二屯半を積載した上同市鬼沢部落方面に向い同市大字鬼沢字山越二百四十九番地先に差し蒐つたこと、本件現場は旧弘前市の北方部より旧中津軽郡高杉裾野村を経て西津軽郡鰺ヶ沢町方面へ至る旧弘前市中心部より約三里の地点にして弘前市大字堂沢部落と同市大字貝沢部落とのほぼ中間の県道上に当り同市大字鬼沢字山越二百四十九番地先の巾員約六米四十糎有効巾員約三米八十糎の砂利道にして同市堂沢部落方面から至るとすれば本件事故現場の手前約八十米乃至百米の地点から緩かな下り坂となり現場近くでは約十五度の傾斜をなし更に緩かに右に屈曲して衝突地点附近で水平となり、続いて下り勾配となつているが右カーブの内側の小丘及び道路端の柴草のため見透しは坂を降りる迄概ね不良なることが認められる。ところで被告は二本柳茂は本件現場附近が前示の如く見透しが不良のためGMCを同七哩に減速して進行した旨主張するが証人小田桐智富の証言及び証人葛西税、広田長治の証言と検証の各結果によれば右GMCがスリツプを始めた地点から当時オートバイが停車していた地点迄の距離が約八、一五米であるのみならず右GMCは完全な制動を施されていた事実及び原告の身体が衝突地点と推定されている地点から約四、五米後方に飛ばされている事実に徴し認め難い。却て証人木村八百蔵、小田桐智富の各証言及び原告本人の訊問と証人葛西税、萩原六郎(但し後記措信できない部分を除く)広田長治の各証言の結果を総合すると二本柳茂は原告主張の日の午前十一時十五分前GMCを時速約七哩で運転して本件現場に差し蒐つたところ前方直線距離にして約五十米の地点に原告の操縦する一九四九年型目黒の五百CCオートバイを認めたが減速もせず警笛も鳴らさずそのまま坂道中央を降りてきたが他方原告は右GMCに気付かず時速約三十粁にて坂道中を上り、本件衝突地点から約十米の地点においてGMCを発見するに及び突然左方に方向を転じて通過しようとしたためGMCの急停車にも拘らず遂にオートバイの右側が右GMCのバンパー右端に激突したことが認められ、右認定に反する証人杉森武衛の証言及び証人二本柳茂、萩原六郎の各証言の結果並びに乙第一号証は措信することが出来ず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。所で二本柳茂としては右の場合原告に聞き取れる様警笛を鳴らし、道路の左端にGMCを寄せて相当速度に減じ何時にても停車出来る様に運転すべき注意義務があるにも拘らずこれを怠り原告オートバイと無事すれ違い得るものと誤信して進行したのは右注意義務に違反し、過失があるものと謂わなければならない。従つて原告の負傷及びオートバイの破損は二本柳茂の過失に基因するものと認める。

よつて二本柳茂の本件GMCの運転は陸上自衛隊の公務の執行であることに当事者間に争がないから本件事故は同隊の公務の執行につき発生したものであると謂うべく結局被告には本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

尤も被告は本件事故が専ら原告の過失に基くものであると主張する。原告は上記認定の如くオートバイ運転の免許を有しないのに拘らず時速約三十粁で坂道の中央を運転したものであつて殊に本件現場の如き見透しの不良の坂道を上つてゆく場合には特に前方を注視すると共にその左端を何時にても停車出来る様に減速して運転すべき義務があるのに拘らず、これを怠つていたものであるから原告にも重大な過失があつたものと謂わなければならない。

よつて進んで本件事故により生じた損害額に付て判断するのに原告は本件事故により右大腿骨々折右膝蓋骨々折右脛骨々折右大腿部挫傷右額部擦過傷頭部打撲の傷害を受け且つ原告所有のオートバイを大破したことは当事者間に争ない。成立に争のない甲第二号証の一、二第三号証第四号証の一乃至四及び原告本人訊問の結果を総合すると原告は右負傷により昭和三十年十一月十三日から同月十五日迄鬼沢診療所に、同日以降翌年三月九日迄弘前大学整形外科に夫々入院通院加療し結局入院料手術料及び看護料等合計金十六万千二百七十六円を要し、更に証人小田桐智富の証言及び同証言によつて真正に成立を認められる甲第五号証によると前記オートバイの修理代に金六万二千二百円を要することが認められるので夫々同額の金銭上の損害を蒙つたことが認められるが、前認定の被害者の過失を斟酌し被告が原告に支払うべき賠償額は金十二万円を以て相当であると認め、更に原告がその負傷によつてその主張の様な精神上の苦痛を受けたことに対し慰藉の方法として被告の支払うべき慰藉料の額は原告の年令、前記認定の過失その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を斟酌し金十万円を以て相当であると認める。結局原告の請求は右治療費、修理代による損害として金十二万円慰藉料として金十万円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であること本件記録上明らかな昭和三十一年十二月十三日から完済に至る迄法定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用し、なお仮執行の宣言についてはこれを附するのを相当でないと認めてその申立を却下し、よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 飯島直一 太中茂 坂詰幸次郎)

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