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長崎家庭裁判所 昭和63年(少)789号 決定 1988年8月05日

少年 G・I(昭46.11.26生)

主文

少年を長崎保護観察所の保護観察に付する。

理由

(非行事実)

少年は、現金を強取しようと企て、昭和63年7月2日午前1時ころ、島原市○○町丁××番地特別養護老人ホーム○○荘2階東側寮母室前廊下において、同○○荘職員A子(当41年)に対し、所携のカツターナイフを示し、「静かにせろ。」と申し向けて脅迫し、その反抗を抑圧して現金を強取しようとしたが、同女が抵抗したためその目的を遂げず、その際、同女に、加療約一週間を要する右環指、右小指切創の傷害を負わせたものである。

(法令の適用)

刑法第240条前段

(処遇の理由)

1(1)  少年は、小学校4年生のころにソフトボールクラブに入団し、中学校時代には軟式野球部で捕手として活躍し、同野球部は少年が3年生のときに県大会で優勝した。少年は、中学3年生の秋ころ○○高校から野球部の特待生として入学することを勧誘され、昭和62年4月、同高校に特待生として入学した。少年は入学と同時に野球部に入部し、自宅を離れて同校野球部寮での生活を開始した。

少年は、生来おとなしい性格であつて、野球部寮での生活にうまく適応することができず、一年生の夏ころには神経性胃炎に罹患した。少年は、1年生のころから上級生の使い走りをさせられていたが、2年生になつてからも、生来のおとなしい性格に加えて、野球部においてもレギュラーメンバーの地位にはほど遠い地位にあつたため、同学年の寮生にも使い走りをさせられたり、なかば強引に現金を貸すことを要求されたりするようになり、これらのことに対する鬱憤を募らせていたが、頼まれると面と向かつて断ることもできず、その度合いは強まつていつていた。少年は、このような寮生活における鬱憤を万引きや寮近くの住宅を遠くからのぞくことで晴らしていたが、昭和63年6月ころからは、同学年の寮生に猥褻な内容の雑誌を買いにいくことを頼まれるようになり、そのような買い物をすることに対する抵抗感や増えていく貸金額のため、少年の内心の葛藤は強まる一方であつた。

(2)  少年は、同年6月24日の夜にも、同学年の寮生から猥褻な本を買つてくるよう命令され、それを買つて帰寮した後も気分がむしやくしやしたため、寮を無断外出し、いつもの場所でのぞきをしたあと、現金を盗もうと考えていたところ、たまたま、同月25日午前1時ころ、寮の向かい側に位置する特別養護老人ホーム○○荘の看板が目につき、建物裏手の非常階段から同ホーム内に侵入しようとした。ところが、少年は宿直中の寮母B子(当23年)に発見されたため、少年は祖母を訪ねてきたと偽つて、同女と二言、三言言葉を交わした後、一旦帰寮した。しかし、少年は看護婦姿をした同女のことで頭がいつぱいになり、以前猥褻な雑誌で看護婦が若い男に情交を許す場面があつたことを思い出して、上記B子も情交を望んでいるのではないかと夢想し、再び○○荘に赴いて、同女に対し「一回だけよろしいですか。」、「頼みますから、一回だけ。」などと暗に情交を求めたが、同女にはその意が通じず、B子は少年が落ち込んだ様子をしていると受け取り、少年を励ますため、少年を寮母室に招き入れてお茶をふるまつた。その際、少年は、同女が後ろ向きにかがんだ姿勢をしたときに、制服にパンテイーの線が浮かんで見えたため、同女を襲つて強姦したい衝動にかられたが、同女がすぐ向きを変えたため、実行するには至らず、再び帰寮した。しかし、気分のおさまらない少年は、三たび○○荘を訪れたが、B子から「もう交替の時間だから」、「指導員の人を呼ぼうか」と言われて、結局その日は帰寮した。

(3)  少年は、同年6月29日から同30日にかけての深夜にも○○荘に侵入し、寮母室をのぞいたところ、たまたまこげ茶色のTシヤツ、白色の半ズボン姿で長椅子の横になつている寮母(年齢不詳)の尻のところからパンテイーの端が少し見えたため、欲情をもよおしたが、同女が動きだしたため、逃げ出し、逃げる途中ベランダから宿直室をのぞいたところ年齢30歳位の別の寮母を発見したが、同女を強姦しようという気にはならず、そのまま逃走した。

(4)  少年は、同年7月1日の夜にも、再び同学年の寮生から猥褻な雑誌や食べ物を買いに行かされ、むしやくしやした気分のままラーメンを食べるため外出したが、その途中で残り少ない現金を落としてラーメンを食べる金もなくなり、情けない気持ちのなかで、同夜がちようど前記B子が○○荘で宿直をしていた日の一週間後であることから、今日は同女が宿直しているであろうと考え、こうなつたら、同女に情交を頼み、断られたら強姦したうえでさらに現金も奪おうと決意した。その際、少年は、以前雑誌でみたとおり、女性はナイフで脅かせば腰をぬかし、情交にも応じ、現金も出すであろうと考え、野球部用のバスの中に備え付けた救急箱の中にあるカツターナイフを取り出し、これを携えて○○荘に忍び込んだ。

少年は、忍び込んだ後タオルで覆面をし、寮母室をうかがつたところ、前記B子はおらず、A子(当41年)が宿直中であつた。そして、少年がカツターナイフを左手にもつて、寮母室から出て行くA子の背後から同人に迫つた際には、同女が自分の母親以上の年格好であることを認識していたため、少年の当初の強姦の犯意は消失しており、強盗目的のみで同女に対しカツターナイフを突きつけたものである。しかし、上記A子は少年の予想と異なつて、腰をぬかすどころか少年からナイフを取り上げようとして抵抗したため、少年は予想もしない事態の進展に動転し、同女の手を振り切つて逃げ出したが、その際、少年はカツターナイフで同女の指に傷害を負わせたものである。

少年は、逃走途中、○○荘前でたまたま走行中の警察のパトロールカーに発見され、まもなく逮捕された。

2  以上にみられるように、少年の性格はおとなしく、他者に対して従順であり、他者の期待に適応しようとするあまり、自我の充分な発達が阻害され、本件非行の際にも、安易に雑誌の内容を現実の事態と想定して行動するなど、子供つぽさが抜け切れない面が見受けられる。本件非行は、少年が以上のような性格から寮生活に十分適応できず、抑圧された感情のもとで、これを発散するために敢行した一過性の非行と認められ、少年には本件以前に非行歴がないことや、学校生活や寮生活でも真面目な生徒として評価されていることに照らしても、その非行性はそれほど進んでいるとは認められない。

3  少年の家庭環境は、父母と父方の祖父母が、父の経営する製麺業に従事していて、生活面で安定しているとともに、父母、祖父母とも少年に対する愛情は深い。もつとも、少年の育て方については、長男である少年に対する期待のため、少年を甘やかすとともに過剰適応させているきらいがあるが、監護の意欲は十分認められる。

4  なお、本件非行当時は、昭和63年全国高校野球選手権大会(いわゆる夏の甲子園野球大会)の長崎県予選が間近となつていたが、本件非行のため、少年の所属する○○高校は同大会への出場を辞退し、同校は昭和61年の夏の同大会には県代表として出場していたこともあつて、社会的反響を呼んだ。しかし、本件非行は偶発的なものであつて、少年が特にそのような効果を意図して本件非行に及んだものとは認められない。

5  以上のような本件非行に至る経緯、本件非行の態様、少年の性格、保護環境、本件非行の社会的影響に照らすと、今後の少年の処遇としては、専門家の助言を得ながら、両親、祖父母のもとで、少年の自我を成熟させるべく、在宅での指導を行なうことが望ましいものと考える。

(強盗致傷と認定した理由)

1  本件は、司法警察員から検察官に対しては強盗致傷事件として送致されたが、その後検察官が捜査の結果を踏まえて強姦の故意もあつたものと判断し、強盗強姦未遂事件(非行事実としては致傷の点を含む。)として当庁へ送致したものである。

そこで、少年が本件非行の実行行為時において強姦の故意を有していたか否かについて判断する。

被害者に対しカツターナイフを突きつけ、「静かにせろ」と脅かす少年の行為態様自体からは、少年自らも認め、犯行に至る経緯からもそれを認めることができる強盗の故意以外に、強姦の故意まで有していたか否かは明らかではない。(なお、少年は、本件非行直前に○○荘内でジヤージのズボンを脱いでいるが、これはそのズボンに少年の名前が記入されており、犯人として少年が特定されることを防ぐためであつて、このことを強姦の故意の認定の要素とすることはできない。)従つて、以下では、本件非行に至る経緯と少年の捜査段階および当審判廷における供述から強姦の故意の有無を判断することとする。

2  本件非行に至る経緯は、処遇の理由1で述べたとおりであるが、この経緯からみると、少年が○○荘の寮母に対する強姦意思を持つようになつたのは、もつぱら寮母B子(当23年)との出会いに触発されたものであり、その後も少年の強姦対象はB子あるいは少なくともB子と同年齢程度の若い女性に向けられていた。このことは、少年が昭和63年6月29日に○○荘に忍び込んで年齢30歳くらいの寮母を発見した際にはこれに対する強姦の意思をもつていないことや、本件非行当日も一週間前に宿直だつたB子がまた居るであろうと期待して侵入しているところからも窺えるところである。

3  少年の強姦の犯意についての供述をみてみると、逮捕直後の司法警察員に対する供述では強姦の犯意を認めているが(昭和63年7月2日付司法警察員作成の弁解録取書及び同日付司法警察員に対する供述調書のうち二通目)、この段階においては、○○荘に侵入する際のB子を念頭においた当初の強姦目的と被害者A子に対する実行行為時の強姦の故意の有無とが明確に区別して供述されておらず、少年は必ずしも本件実行行為時における強姦の故意を明確に認めているものではない。

この点、同年7月3日付の検察官に対する供述調書においては、○○荘の寮母一般に対して強姦の意思を有していた旨供述しているが、前記犯行に至る経緯に照らすと、寮母の年齢にかかわらずそのような意思を有していたことについては疑問が残る。

その後、少年は、同年7月8日付司法警察員に対する供述調書(一通目)では、本件非行当日の寮母がB子でないことが分かつた段階で、強盗を優先し、その後強姦しようというように優先順位が変わつた旨述べた後で、同日付同調書(二通目)では、「B子さん位の年令か、もつと若い人であつたなら、考えを変えることはなかつた」が、A子を見て「年くつてるなあと思つた途端セツクスのことからお金のことに頭が切り変わつたのです。」と述べ、強姦の故意を否認している。

また、同年7月9日付司法警察員に対する供述調書においても、「A子さんの年令は30歳すぎに見え、僕からすればおばさんであつたのです。“おばさん”といえば、僕の母親が35、6歳ですから、いくらなんでも、母親とあまり年令がかわらない位の女の人をセツクスの対象にすることは考えられませんでした。」と同じくA子に対する強姦の故意を否認している。

そして、同年7月12日付検察官に対する供述調書においては、「寮母室をのぞいて見ました。するとB子さんではなく、別の女の人がいました。この人は、30は過ぎている感じの人でした。その人を見て、僕は、まず脅してセツクスをするのではなくて、脅してお金を奪おうという気になりました。B子さんがいたなら、まずセツクスのことを先に考えたはずですが、そうではなく、もつと年上の人がいたので、セツクスという考えよりもお金を奪い取るという考えの方が先に立つてしまいました。ただ、いずれにしても、セツクスのことは全くやめてしまうという気になつたのではなく、相手を脅して金を奪い、その後怯えているのを利用してセツクスをしようという気持ちはありました。」と、強姦の犯意を認めているが、その内容はかなり消極的なものであり、かつ、カツターナイフを突きつけた実行行為の段階における故意まで明確に認めているわけではない。

少年は、当審判廷においては、カツターナイフを持つてA子を追いかけていくときには、A子がかなりの年令であることが分かつていたので、同女を強姦する気持ちはなかつた旨供述している。

4  以上の検討によれば、本件非行に至る経緯からみて、少年がB子もしくはB子と同年令程度の若い女性でなく、少年の母(当35年)を超える年令の被害者A子(当41年)に対し強姦の犯意を抱いたとすることには疑問があるのみならず、少年の供述自体もA子に対する強姦の故意を認めるものと否認するものとがあつて、供述が変転しており、しかも本件非行の実行に着手した段階でA子に対する強姦の故意を有していたことを明確に認めるものはない。

以上を総合すると、本件の実行に着手する段階において、少年が強姦の故意を有していたことについては合理的な疑いが残り、少年が強姦の故意を有していたことを認めることはできないものというべきである。従つて、強盗致傷と認定する。

(結論)

よつて、少年を長崎保護観察所の保護観察に付することとし、少年法24条1項1号、少年審判規則37条1項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 大須賀滋)

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