大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所福江支部 昭和60年(ワ)17号 判決 1988年12月14日

原告

青山岩司

右法定代理人親権者父兼原告

青山喜代治

右法定代理人親権者母兼原告

青山カヌエ

右三名訴訟代理人弁護士

藤原千尋

被告

福江市

右代表者市長

西野稔

右訴訟代理人弁護士

木村憲正

被告

中村孝一

被告

中村マツ子

被告

山本和則

被告

山本京子

右被告山本ら訴訟代理人弁護士

山田富康

主文

一  被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子は原告青山岩司に対し、連帯して金一五〇万三〇六四円及び内金一三〇万三〇六四円に対する昭和六〇年六月一四日から、内金二〇万円に対する昭和六三年一二月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告青山岩司の被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子に対するその余の請求及び被告福江市に対する請求をいずれも棄却する。

三  原告青山喜代治及び同青山カヌエの請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告青山岩司と被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子との間に生じたものは、これを七分し、その一を右被告らの、その余を原告青山岩司の負担とし、原告青山喜代治及び同青山カヌエと被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子との間に生じたものは全部右原告両名の負担とし、原告らと被告福江市との間に生じたものは全部原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告青山岩司に対し、連帯して金一〇八七万八四四八円及び内金一〇三七万八四四八円に対する昭和六〇年六月一四日から、内金五〇万円に対する第一審判決言渡の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告青山喜代治及び同青山カヌエに対し、各自それぞれ金一〇〇万円を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告福江市)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 仮執行免脱宣言の申立

(被告中村ら)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告山本ら)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者らの地位

原告青山岩司(昭和四八年六月二九日生、以下「原告岩司」という。)は、父原告青山喜代治、母原告青山カヌエの二男で、後記本件事故のあった昭和六〇年六月一三日当時被告福江市の設置する福江小学校六年二組に在学する児童であった。中村洋司(昭和四八年九月三〇日生)及び山本吉幸(昭和四九年一月七日生)は、いずれも右当時、原告と同じく福江小学校六年二組に在学する児童であり、被告中村孝一、同中村マツ子は中村洋司の、被告山本和則、同山本京子は山本吉幸の各親権者父母である。

2  本件事故の発生

昭和六〇年六月一三日(木曜日)、第二校時の体育終了後の休み時間に、福江小学校六年二組の教室で、その大部分の生徒が服装を着替えていた際、中村洋司及び山本吉幸の両名が原告岩司の背中を叩いて逃げたので、原告岩司が右両名を追いかけたところ、右両名はトイレに隠れ、山本吉幸が追ってきた原告岩司をはがいじめにし、中村洋司が原告岩司のこうがんを握った。そして、第三校時終了後の休み時間中、六年二組の児童のほとんどが音楽室へ移動するため廊下に並んでいたが、原告岩司を含む数名の児童が教室に残り、ふざけ合いを続け、中村洋司及び山本吉幸の両名が原告岩司を叩いて逃げ、これを原告岩司が追いかけて中村洋司を捕まえ肘打ちをしたところ、中村洋司は原告岩司のこうがんを強く握り、山本吉幸も寄ってきて原告岩司のこうがんを二回握った。その後、同級生の田中栄耕が被告山本吉幸を押え、同梁瀬達也が田中栄耕を、中村洋司が原告岩司をそれぞれはがいじめにし、このようにして右四名がその場に倒れた。右のようにこうがんを握る悪遊びは、「玉にぎり」と称して、福江小学校では昭和六〇年四月頃から行われていたようであるが、中村洋司及び山本吉幸の右行為により、原告岩司は左こうがんを損傷し、現在左こうがんは消失し、不具者となった。

3  被告福江市の責任

(一) 小学校の校長及び教諭が、学校教育の場において、児童の生命・身体等の安全について万全を期すべき条理上の義務を負うことは学校教育法等の教育法令に照らして明かである。そして、右義務の具体的内容のうちには、集団生活を営んでいくうえに必要な人格教育や予想される児童間の事故を防止するために必要な事項についての教育を施すべき義務をも包含するものであり、この点において特に児童と日常接触する学級担任教諭の右指導義務は、教諭の職責の中でも特に重要な地位を占めているものと考えられる。したがって、学級担任教諭としては児童の生命・身体等の保護のために、単に一般的、抽象的な注意義務や指導をするだけでは足りないのであって、学校における教育活動及びこれと密接不離な生活関係に関する限りは、児童の一人一人の性格や素行、学級における集団生活の状況を日頃から綿密に観察し、特に他の児童に対し危害を加えるおそれのある児童、他の児童から危害を加えられるおそれのある児童については、その行動にきめ細かな注意を払って、児童間の事故によりその生命・身体等が害されるという事態の発生を未然に防止するため万全の措置を講ずべき義務を負うものというべきである。

(二) 原告岩司の担任教諭荒木恭子(以下、「荒木教諭」という。)及び校長江口喜一は、被告福江市の公務員であって、福江小学校において右一のような義務を負っていたものであるが、その義務を懈怠し、その職務を行うにつき過失があったものであるから、被告福江市は国家賠償法一条により、原告らの被った損害を賠償する責任がある。

4  被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子の責任

被告中村孝一、同中村マツ子は中村洋司の親権者父母として、被告山本和則、同山本京子は山本吉幸の親権者父母として、それぞれ中村洋司、山本吉幸を監督すべき法定の義務を負っていることが明かであるから、被告らは民法七一四条一項に基づき本件事故により原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

5  損害

(一) 原告岩司の負った傷害の経過、後遺症

原告岩司は、本件事故発生後直ちに長崎県離島医療圏組合五島中央病院(以下、「五島中央病院」という。)で治療を受けたが、受診時左こうがんは右よりひとまわり大きく腫大し、圧痛著明、三日程三八度の発熱が続き、こうがんの疼痛腫張が持続し、昭和六〇年六月一三日から同年七月六日まで同病院に入院し、以後通院しているが、現在では左こうがんが消失し、完全な不具者となり、成人して結婚するとき大きなハンディを負わされる結果となった。

(二) 原告岩司の損害

1  五島中央病院分医療費等

一九万四二六〇円

内訳は、昭和六〇年六月一三日から同年七月六日まで及び同月一一日の入院料等金六万七七八〇円、通院一日当り九六〇円の二三日分交通費金二万二〇八〇円、一日当り四〇〇〇円の二三日分入院付添費金九万二〇〇〇円、一日当り五四〇円の二三日分入院雑費の内金一万二四〇〇円である。

2  東長崎皮膚科泌尿器科医院分医療費等 一八万四一八八円

内訳は、医療費等二万七〇〇〇円、交通費金五万八九八〇円、宿泊費一万三二〇〇円、食事代四万円、付添日当合計四万五〇〇〇円(原告青山喜代治の日当一日分一万円、同青山カヌエの日当五日分三万五〇〇〇円)である。

3  後遺症に対する慰謝料

一〇〇〇万円

原告岩司が本件事故によって被った精神的苦痛を慰謝するには金一〇〇〇万円が相当である。

(三) 原告青山喜代治、同青山カヌエの慰謝料

原告岩司の両親である原告青山喜代治、同青山カヌエが本件事故によって被った精神的苦痛を慰謝するには各自金一〇〇万円が相当である。

(四) 原告岩司の弁護士費用

被告らは、本件事故による賠償をしないので、原告らはやむなく本訴の提起・進行を弁護士たる原告ら訴訟代理人に委任したが、その報酬その他の費用として要する金額は長崎県弁護士会報酬規定により金九七万円となるが、そのうち原告岩司分は金五〇万円である。

6  よって、原告らは、被告福江市に対して国家賠償法一条に基づき、その余の被告に対しては民法七〇九条、七一九条または同法七一四条一項に基づき、連帯して、原告岩司に対しては金一〇八七万八四四八円及び内弁護士費用を除く金一〇三七万八四四八円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和六〇年六月一四日から、内弁護士費用金五〇万円に対する第一審判決言渡の翌日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告青山喜代治、同青山カヌエに対しては各金一〇〇万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否等

(被告福江市)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実のうち、第二校時の体育終了後の休み時間に、中村洋司が原告岩司のこうがんを握ったこと、第三校時終了後の休み時間中、山本吉幸が原告岩司のこうがんを二回握ったこと、こうがんを握る悪遊び(いわゆる「玉にぎり」と称する遊び)が福江小学校で昭和六〇年四月頃から行われていたこと、原告岩司の左こうがんが消失したこと、及びそれが中村洋司及び山本吉幸の行為により生じたことは否認し、その余は認める。

3 同3のうち、(一)の主張は認め、(二)のうち、原告岩司の担任の荒木教諭及び校長江口喜一が、職務上の義務を懈怠し、その職務を行うにつき過失があったとの点は争う。本件に関与した原告岩司、山本吉幸、中村洋司、田中栄耕、梁瀬達也らは日頃から仲良くしており、本件も仲間同士の悪ふざけが高じたものというべく、校長及び担任教諭は、休み時間中のことでもあり、生徒らが今回のような悪遊びをすることを知らなかった。本件のような生徒間事故については、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特別の事情のある場合でなければ、学校側に過失はないというべきであり、仮に、原告岩司の障害が原告ら主張の悪遊びによって生じたとしても、校長及び担任教諭は、そのような危険を予見できなかったし、予見すべき特段の事情もなかったというべきであるから、被告福江市に責任はない。

4 同5の事実のうち、原告岩司が、五島中央病院に昭和六〇年六月一三日から同年七月六日まで入院したこと、及び本訴の提起・進行を弁護士たる原告ら訴訟代理人に委任したことは認めるが、その余は不知。

(被告中村孝一)

請求原因1及び2の事実は認める。

(被告中村マツ子)

1 請求原因1及び2の事実は認める。

2 請求原因4及び5(一)の事実は否認する。

(被告山本ら)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実のうち、福江小学校でいわゆる「玉にぎり」と称する遊びが行われていたこと、及び同級生の田中栄耕、梁瀬達也、中村洋司、原告岩司の四名が床に倒れたことは認め、原告岩司の左こうがんが消失したとの点は不知、その余は否認する。

いわゆる「玉にぎり」と称する遊びは昭和六〇年四月頃から福江小学校の多くの児童間で行われ、原告岩司も山本吉幸以外の児童との間においても右のような遊びを行っており、このため原告岩司のこうがんは慢性的な炎症を起こし、あるいは原告岩司が体質的に過敏で、何らかの既往症があったところ、同級生の田中栄耕、梁瀬達也、中村洋司、原告岩司の四名が床に倒れた際の強力な打撲ないしはその数時間後の昼休み時間中に原告岩司がボール遊びをしていた際の転倒による打撲などによってこうがんの損傷に至ったとみるのが合理的であり、山本吉幸の行為と本件事故との間には相当因果関係がない。

3 同4及び5は否認ないし争う。

通常、児童の両親は親権者として、児童の生活全般にわたってその行動を監督すべき義務があるといってもよいが、いったん児童が学校側の監督下に入ったと認められる場合には、親権者は原則として監督義務を免れるものというべきである。学校は一種の閉鎖社会とでもいうべき面があり、外部から児童生徒の学校での生活の具体的実態を把握することは必ずしも容易でなく、このような場合においても親権者が監督義務を負わなくてはならないとすると、親権者に対して不可能を強いることになる。学校において、校長及び教師は、その職務の性格・内容からして、予想される生徒間の事故を防止するために必要な事項について教育指導をなすとともに、学校における生徒間の従来からの生活状況、学校内の一般的状況の把握に努め、児童が危険な行為に出たときは直ちに制止するなどして事故を未然に防止すべき注意義務があるが、この義務は教育活動と密接不離な関係にある休み時間においても同様である。本件についていえば、福江小学校において、いわゆる「玉にぎり」という悪戯は遅くとも昭和六〇年四月上旬ころから六年生の男子生徒の間で休み時間に行われており、校長及び担任教諭は、本件事故を予見し、予見することが可能であったのであるから、その実態を調査し、校内巡視などにより、生徒間の性行の把握に努め、集団あるいは個別面接により適切な教育指導をなすべきであり、また、生徒の親権者に連絡をしてその指導監督を要請すべきであったのに、これらの義務を怠ったために本件事故となったものである。被告山本らについては、山本吉幸の加害行為につき予見可能性、結果回避可能性がなく、被告山本らはその監督を全面的に代理監督義務者たる校長及び担任教諭等に委ねているというべきであるから、本件事故の責任は被告福江市のみが負い、親権者である被告山本らには責任はないものというべきである。

三  抗弁

(被告福江市)

原告岩司は、昭和六一年一月二七日、本件事故に関し、日本体育・学校健康センターから、障害見舞金として金一三〇万円を受領したのであるから、被告福江市は右の限度で損害賠償の責めを免れるものである。

(被告山本ら)

仮に被告山本らに責任があるとしても、原告岩司もいわゆる「玉にぎり」という遊びを山本吉幸や他の児童にもなしており、原告岩司の両親は親権者としての監督義務を怠っていたことになり、被害者側にも過失があるから、原告らの損害額の算定にあたってはこの点が考慮されるべきである。

四 被告福江市の抗弁に対する認否

原告岩司が、昭和六一年一月二七日、本件事故に関し、日本体育・学校健康センターから、障害見舞金として金一三〇万円を受領したことは認めるが、被告福江市が右の限度で損害賠償の責めを免れるとの主張は争う。

理由

一当事者らの地位等

請求原因1の事実(当事者らの地位等)は、当事者間に争いがない。

二本件事故の発生及び原因

1  本件事故発生の経緯

<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  原告岩司、中村洋司、山本吉幸の在籍していた福江小学校六年二組は、荒木教諭を担任とする児童数三九名のクラスであり、昭和六〇年六月一三日は木曜日で、第一校時から第六校時まで、算数、体育、理科、音楽、道徳、クラブ活動という時間割になっていた。右第二校時の体育終了後の休み時間中(午前一〇時一五分から同二五分まで)に、六年二組の教室(以下、単に「教室」ということもある。)で、その大部分の生徒が服装を着替えていた際、中村洋司及び山本吉幸の両名が原告岩司の背中や頭を叩いて逃げたので、原告岩司が右両名を追いかけたところ、右両名はトイレに隠れ、原告岩司は右両名を捕まえることができず、教室に戻って体操服を着替えていた。その後、教室に戻って着替えを終えた山本吉幸が原告岩司に近づき軽く叩いて逃げた後、更に原告岩司に近づいて叩こうとしたが、原告岩司が山本吉幸の手をつかみ、そのこうがんをつかもうとしたりしたので、ふざけ合いになった。そして、第三校時終了後の休み時間中(午前一一時二五分から同三五分)、六年二組の児童はほとんど音楽室へ移動するため廊下に並んでいたが、原告岩司を含む数名の児童が教室に残ってふざけ合いを続け、山本吉幸が原告岩司を叩いて逃げ、これを原告岩司が追いかけたものの、捕まえられず、原告岩司は教室に戻った。その後、山本吉幸と中村洋司が教室に戻ってきたので、原告岩司は山本吉幸を捕まえてこうがんを握ろうとしたが、中村洋司に突き放された。そこで、原告岩司は中村洋司を追いかけて捕まえ、双方つかみ合っているうちに、中村洋司は原告岩司からその背中を肘打ちされたので、怒った中村洋司は原告岩司のこうがんを握った。その後、教室の後ろにいた同級生の田中栄耕が被告山本吉幸を押えたので、原告岩司は山本吉幸のこうがんを握ろうとしていたところ、山本吉幸は原告岩司を足蹴し、また田中栄耕を突き放して廊下に逃げたので、原告岩司は山本吉幸を追いかけた。しかし、原告岩司は山本吉幸を捕まえられず、教室に戻った。その後、山本吉幸は教室に戻ってきて、原告岩司のこうがんを二回握った。そして、同級生の梁瀬達也が田中栄耕をはがいじめにし、中村洋司が原告岩司をはがいじめにして、田中栄耕と原告岩司の身体をぶつけ合っているうちに、右四名はその場に転倒した。その直後、このようにふざけ合っていた生徒達も、荒木教諭が教室へ向かって来るのを知って、ふざけ合うのを止め、この騒ぎも終わった。この間、梁瀬達也及び田中栄耕の両名は原告岩司に対し身体を束縛する行為をなしたものの、直接こうがんを握ることはなかった。

(三)  その後、一部音楽室へ移動していた生徒も教室に呼び戻され、四校時(午前一一時三五分から午後〇時二〇分まで)は、教室において音楽のペーパーテストが実施されたが、原告岩司には特段変わった様子も見られず、四校時の後の昼休み中(午後〇時四〇分から同一時二五分まで)も、原告岩司はハンドベースボールをして遊び、五校時(午後一時五〇分から同二時三五分まで)の家庭科の時間も黙ってエプロン作りのための刺繍をしていたが、終わりの会の時間(午後二時四〇分から同五五分まで)の終わり頃に担任教諭から背中を丸めて姿勢が悪いとして注意を受けたところ、腹痛を訴え、トイレに行くなどしたものの痛みが取れず、第六校時(午後三時〇〇分から同四五分まで)のクラブ活動は体調が悪いので見学していた。右クラブ活動中の午後三時二〇分頃、原告岩司がクラブ指導の教諭に腹痛を訴えたので同教諭は児童を付添わせて保健室へ行かせた。保健室では、原告岩司は、保健教諭から症状を聴かれると、下痢をし、風邪もひいている旨答えた。保健教諭は、原告岩司の痛みがひどい様子であったのでベッドに休ませていたが、午後四時過ぎになっても痛みが取れないというので、荒木教諭が来て、原告岩司を自宅まで送り届けた。原告岩司は、自宅近くの有川病院で点滴などの治療を受けたが、下腹部の痛みと吐き気が続いたため、同日午後八時過ぎ頃五島中央病院で受診した。その際、原告岩司の左こうがんは損傷し、腫大していることが判明し、以後同年七月五日まで原告岩司は同病院に入院した。

2  原告岩司の症状、治療経過

<証拠>を総合すれば、次の各事実が認められる。

(一)  原告岩司が五島中央病院で診察を受けた際の症状は、左こうがんが右こうがんより一回り大きく膨大しており、圧痛が著明で、出血斑及びこうがんの梗扼状態は認められなかったが、アセトンが出ていて嘔吐があり、担当医師北島醇二からアセトン血清嘔吐症・こうがん炎と診断され、嘔吐症に対しては輸液等、こうがんに対しては抗生物質の投与を受けた。右受診の際、原告岩司は、担当医師北島醇二の問診に対し、学校内で級友からこうがんを強く握られた旨説明した。五島中央病院に入院中の昭和六〇年六月一四日から一六日まで、原告岩司は三八度以上の高熱が続き、こうがんの疼痛、腫張が持続し、次第に左こうがんは腫大し、色も黒くなっていった。原告岩司は、抗生物質、消炎剤、鎮痛剤の投与を受け、その後徐々にその症状も改善し、同年七月六日に退院したが、以後も外来にて経過を見る必要があると診断された。

(二)  原告岩司は、昭和六〇年一一月一日に北島醇二医師の診察を受けたところ、同年六月一三日左こうがん損傷後、現在こうがんは萎縮してその機能はないとして、左こうがん機能損失と診断された(以下、この左こうがん機能損失を「本件傷害」という。)。

(三)  こうがんは両方が損傷した場合はその精子形成、男性ホルモン分泌の機能に影響を及ぼすが、一方のみの損傷で他方が正常なものとして残存していれば、他方が代償機能を持つといわれており、原告岩司の本件傷害自体は再生不能であるが、それが生殖機能に影響するかどうかは、自慰行為ができる年齢に達してから精子の数量等を検査してみなくてはその影響を判定することは困難である。

(四)  原告岩司の障害の程度は、日本体育・学校保健センター法に基づく災害共済給付については第一一級(胸腹部臓器障害)に該当するものとされた。

3  発症原因及び因果関係

(一)  <証拠>によれば、こうがんは陰嚢内に存在する左右一対の生殖腺であり、多層の皮膜でおおわれ、なんらかの外力が加わっても、上方に入り込んだりするなどして合理的な防御ができる機構となっているが、こうがんの逃げ場がなくなるような方法でこうがんを握ったりするとその外傷の併発症としてこうがん炎をおこし、その後こうがんが萎縮して、こうがんの機能がなくなってしまうことがあり、したがってこうがんを握る行為も場合によっては本件傷害の原因行為となり得ること、また、こうがんに外圧が加わっても血管が切れなければ出血斑は生じないことが認められる。

(二)  被告らは、中村洋司及び山本吉幸が原告岩司のこうがんを握った行為と本件傷害との因果関係を否認し、特に被告山本らは、いわゆる「玉にぎり」と称する遊びは昭和六〇年四月から福江小学校の多くの児童間で行われ、原告岩司も山本吉幸以外の児童との間でも右のような遊びを行っており、このため原告岩司のこうがんは慢性的な炎症を起こし、あるいは原告岩司が体質的に過敏で、何らかの既往症があり、同級生の田中栄耕、梁瀬達也、中村洋司と共に床に倒れた際の強力な打撲ないしはその数時間後の昼休み時間中に原告岩司がボール遊びをしていた際の転倒による打撲などによってこうがんの損傷に至ったとみるのが合理的である旨主張しているところ、こうがんを握る行為も場合によっては本件傷害の原因行為となり得ることは前記の通りであって、<証拠>によれば、原告岩司が五島中央病院で診察を受けた際も本件傷害の原因と考えられるような疾患は認められなかったこと、原告岩司は小学校に入学以来健康状態は良好で、本件事故当日以前に泌尿器科系の病気で医者にかかったこともなく本件傷害の原因となるような既往症は何ら存しなかったこと、中村洋司及び山本吉幸が原告岩司のこうがんを握る行為をなした当日に原告岩司のこうがんの損傷が生じていること、原告岩司の前記症状は中村洋司及び山本吉幸が原告岩司のこうがんを握る行為をなした後数時間を経て生じているが、こうがんの炎症は外傷を受けてからすぐに生じるものではないことが認められ、これらの事情を総合すると、他に特段の反証のない本件においては、本件傷害は中村洋司及び山本吉幸が原告岩司のこうがんを握る行為をなしたことによって惹起されたものと認めるのが相当である。

4  中村洋司及び山本吉幸の行為の違法性等

(一)  こうがんを握る行為(いわゆる「玉握り」と称されていた悪戯。以下、「本件悪戯」という。)は、こうがんが男子の身体においていわゆる「急所」として極めて重要な部位であって、その行為は、身体障害を惹起する危険性を内包し、一般的に容認される「いたずら」とはいえず、仮にそのような行為をいわゆる「ふざけ合い」として児童生徒間で相互に行っていたとしても、一方が他方に対し、本件のごとく重大な傷害をもたらすような態様でなした場合は、もはや社会通念上許容される程度を著しく逸脱したものというべく、結局、中村洋司及び山本吉幸が原告岩司に対してなした本件悪戯は違法な行為といわざるを得ない(この中村洋司及び山本吉幸の行為を「本件暴行」という。)。

(二)  ところで、原告岩司の本件傷害は、前記のとおり、中村洋司及び山本吉幸の本件暴行によって惹起されたものと認められるのであるが、右両名の行為は、前記本件事故発生の経緯をみると、原告岩司に対する「いたずら」として共同性を有する一連の行為としてなされたものと評価しうる。そして、本件においては、いずれの行為によって原告岩司の前記症状及び本件傷害が惹起されたのかを特定するだけの確証が存せず、また、右両名の行為が複合的に作用して右のような結果が惹起されたものとも考えられ、いずれにしても中村洋司及び山本吉幸の右行為はいわゆる共同不法行為(民法七一九条)の関係にあるものというべきである。

三被告福江市の責任

1  本件事故当時、原告岩司の在学していた福江小学校の校長及び担任教諭が、学校教育の場において、児童の生命・身体等の安全について万全を期すべき義務(以下、「一般的安全保持義務」という。)を負っていたことは当事者間に争いがない。この一般的安全保持義務は、学校教育法上、あるいは在学関係という児童生徒と学校側との特殊な関係上当然に生ずるものであるが、それが学校教育活動の特質に由来する義務であることから、その義務の範囲も、学校における教育活動及びこれと密接に関連する学校生活関係に限られるべきものであり、特に教育活動上は外在的危険というべき生徒間事故において校長及び担任教諭の具体的な安全保持義務が生ずるのは、当該事故の発生した時間、場所、加害者と被害者の年齢・性格・能力・関係、学校側の指導体制、教師の置かれた教育活動状況等の諸般の事情を考慮して、何らかの事故が発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情がある場合に限られるというべきである。

2  そこで、次に、本件事故について、福江小学校の校長及び担任教諭に具体的な安全保持義務があったかについて検討するに、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  前記のとおり、本件事故当時、原告岩司、中村洋司、山本吉幸は、福江小学校に在籍する同級生で、原告岩司はどちらかというと消極的で大人しく、転校してきて間もまない山本吉幸と二人で遊ぶということはなかったようであり、中村洋司とは五年生の時は仲がよく二人で遊ぶことも多かったが、本件事故前頃には二人で遊ぶということも少なくなっていた。中村洋司、山本吉幸は、いずれも明朗・活発な児童で、山本吉幸は、昭和六〇年四月に大阪府内の小学校から転校してきた生徒であるが、右両名は大変仲がよく、いつも一緒に遊んでいるといった関係にあった。原告岩司、中村洋司、山本吉幸の三名は、共に野球などをして遊ぶこともあり、本件事故以前にこの三名について特に問題となる行動もなかった。本件事故当時、原告岩司、中村洋司、山本吉幸は、いずれかが体力的に優れていたということもなく、また、いずれも特に粗暴ということもなかった。中村洋司、山本吉幸は、クラスの他の生徒に「いたずら」をしても相手にしてもらえなかったが、原告岩司の頭や背中を叩いて逃げると、原告岩司はすぐに追いかけてくるので、逃げ回るのがおもしろく、また、ふざけて原告岩司の足に抱きつくと原告岩司が引きずってくれるのがおもしろいので、中村洋司、山本吉幸の二人で原告岩司にいたずらすることがあった。荒木教諭は、本件事故当時、小学校教諭としての勤務年数七年、福江小学校での勤続年数四年の教諭で、六年二組の生徒の担任となったのは昭和六〇年四月からであり、同年五月中旬には家庭訪問を終え、本件事故当時は生徒の名前と顔が一致してきた時期であった。

本件悪戯は、本件事故当時、六年二組のみならず他のクラスの一部の生徒間でなされていたようであるが、福江小学校において一般に行われていたというわけではなく、六年二組においてこのような悪戯をするのは主に中村洋司、山本吉幸、原告岩司の三名で、特に中村洋司、山本吉幸が、前記のように原告岩司に対するふざけ行為として仕掛けることが多かった。右三名は本件悪戯を休み時間中に行い、教室内で公然と行うというよりも隠れて行うことが多く、右三名間でこのような悪戯がなされていたことは同級生の多くが知っていたものの、同級生の間では「ふざけ合い」として受け止められていたので、特に問題視されることもなく、学級委員をはじめ生徒が教師に本件悪戯について伝えるといったこともなかった。原告岩司、中村洋司、山本吉幸も、本件悪戯について父母等に話したことはなく、荒木教諭も右父母等から本件悪戯について注意を促されるといったこともなかった。また、他の学校職員も本件悪戯がなされていることを知らなかったため、職員会議等で話題にされることもなかった。

しかし、原告岩司は、本件事故の一か月位前から中村洋司、山本吉幸に前記のようないたずらを仕掛けられることが多くなり、不快に思っていたため、本件事故当日の二週間程前頃に、荒木教諭に対し「いたずらを止めさせてくれ。」といった訴えをなした。その際、原告岩司は、中村洋司、山本吉幸から特にいじめられているとは思っていなかったので、その訴え方も切実なものではなく、また、いたずらの内容、特に本件悪戯について告知することもなかった。荒木教諭は、原告岩司の訴えが切実なものでもなかったので、教室において、中村洋司、山本吉幸に対して、一般的な注意、指導をするにとどまった。

(二)  福江小学校は福江市福江町に所在する明治六年創立の小学校であり、昭和六〇年五月一日当時、職員は、校長、教頭のほか、教諭三五名、助教諭一名、養護教諭一名、事務職員一名、用務員二名という構成であり、各学年五クラスのほか特殊学級二クラスがあって、児童総数は一〇六〇名であり、校区は、中心部が商業地域、周辺部が漁業、農業地域となっている。福江小学校では、昭和六〇年度の生活指導計画において、基本的生活習慣・態度の育成、事故や非行の防止等を教育上の努力事項として掲げ、学級朝の会(午前八時二〇分から同三五分まで)、終わりの会(午後二時四〇分から同五五分まで)でそれらの事項を守るためにはどうしたらよいかを児童に話し合わせるなどの指導をしていた。また、学校内における児童の遊びや事故に対する安全については、担任教諭の日常的な観察、職員朝会での申し合わせ、学年部会での情報交換等によって、問題行動の早期発見とそれに対する指導を図ることとされており、児童生徒間においては生活委員会に各月末に校内の様子をまとめさせ、これに例えば「廊下や教室であばれないで下さい。」といった注意事項をも合わせて「生活委員会だより」としてまとめさせ、それを各学級に配布することによって自主的な生活環境づくりがなされるよう指導していた。そして、児童生徒と教師間では、学級朝の会、終わりの会で、クラス内の問題が出され、教師から生徒に対する注意・指導等はこの時間になされることが多かった。また、教師と家庭との連絡を図るために学級通信が作成されていた。

(三)  このような教育環境の中で、教師・校長等は、各自の日常的な観察、学級会、学年部会、職員朝会、学級委員からの連絡、児童生徒ないし父兄からの直接の連絡などによって生徒間の問題行動を予見ないし発見することができたが、本件事故当時、荒木教諭は、学級会で話題になり、また自己が観察し得た危険行為等については注意を促していた。そして、従前、六年二組においては特に問題となる行動等も見受けられず、前記のとおり本件悪戯が学級会等で話題にされるといったことはなく、児童生徒からそのような行為についての指摘がなされることもなかった。

3 本件事故は休み時間中に生じた生徒間事故であり、前記のとおり、このような事故に間する校長及び担任教諭の具体的な安全保持義務は、事故発生の危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情がある場合に限られるというべきであって、本件について言えば、本件悪戯について被害者ないし被害者側からこれに対する対応を求められるか、あるいはそれが公然化して、教諭・校長等学校側にもこれを認識しうるような状況があり、また、本件事故に関係した児童生徒間の平素の行動や態度等何らかの徴表によってこれを予見し得るような事情があれば、学校側に具体的な安全保持義務が生じていたものと解せられるところ、本件事故の発生の経緯において認定した事実及び右2に認定した各事実によっても右のような事情を認めることはできない。もっとも、本件においては、本件事故の二週間程前頃に、原告岩司が荒木教諭に対し、「いたずらを止めさせてくれ。」といった訴えをなし、その際、荒木教諭は、教室において、中村洋司、山本吉幸に対して一般的な注意、指導をするにとどまった点が問題となりうるが、前記のとおり、右の訴えは単に中村洋司、山本吉幸がいたずらを仕掛けるから注意して欲しいといった程度のものであり、また、当時、特に本件事故が予見されるような切迫した事情も存しなかったのであるから、これに対し、荒木教諭が、教室において、中村洋司、山本吉幸に一般的な注意、指導をするにとどまったことも、このような訴えに対する措置としては相当なものというべきで、そのことから、本件事故の発生を予見して、更に具体的な注意、指導をなし、また、休み時間中も担任教師が教室に残り、あるいは学校側に校内巡視といった対応を求めるなどして、中村洋司、山本吉幸に対する個別的な対応をなすべき義務があったものとは認め難い。この点について付言するに、<証拠>によれば、荒木教諭は、休み時間中は職員室に戻ることが多く、本件事故当日も職員室に戻っていたことが認められるけれども、休み時間における教師の安全保持義務は、授業中や学校行事中のように教師に強く安全保持義務が求められる場合とは異なり、また、本件におけるように小学校の六年生ともなれば相当程度の事理弁識能力を備えているのが一般であり、むしろその自主性(自律性)を尊重し、過度の管理は教育上も適当ではないというべきであるから、危険行為の発生が予見されるような状況がある場合は格別、常時休み時間中も教師が教室に残り、あるいは教職員による校内巡視などの措置によって常時生徒を監督して危険行為の発生を防止すべき義務まではなく、教師が休み時間中は職員室に戻ったとしてもそれを不当ということはできない。そして、本件においては、学校側に、生徒間の事故の防止について一般的に要求される教育上の配慮が欠けていたとも認められない。したがって、本件において、福江小学校の担任教諭、校長等の学校側に安全保持義務違反があったとして、被告福江市の法的責任を追及する原告らの請求は失当である。

なお、本件暴行があったのは第三校時終了後の休み時間中であったことは前認定のとおりであるが、原告岩司本人尋問の結果中には、本件暴行が行われたのは第三校時に校舎の裏庭で理科の授業が行われていたときであるとの供述部分が存するけれども、原告岩司も自認しているとおりその記憶には正確性がなく、前掲乙第一号証、証人中村洋司、同山本吉幸の各証言に対比して採用できず、他に右供述に沿う証拠も見いだし得ない。

四被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子の責任

本件事故当時、中村洋司及び山本吉幸が、いずれも一一歳の小学校六年生であったことは当事者間に争いがないから、右両名は、右当時、本件暴行の責任を弁識するに足りる能力(責任弁識能力)を備えていなかったものと認めるべきであり、右両名は、いずれも本件暴行による原告岩司の損害につき責任を負わないものと言わざるを得ない。そして、被告中村孝一、同中村マツ子が中村洋司の、被告山本和則、同山本京子が山本吉幸の各親権者父母であることも当事者間に争いがない。したがって、被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子は、それぞれ中村洋司ないし山本吉幸の法定監督義務者として、その全生活関係にわたっての監督義務を負うところ、右被告らは、いずれも親権者としての監督義務を怠らなかったことを主張、立証しないから、右被告らは、本件暴行によって原告岩司に生じた損害について、その賠償義務を負うものである。

なお、被告山本らは、いったん児童が学校側の監督下に入ったと認められる場合には、その監督を全面的に代理監督義務者たる校長及び担任教諭等に委ねているというべきであるから、本件事故の責任は被告福江市のみが負い、親権者である被告らには責任はない旨主張しているけれども、親権者は、通常、当該児童の性格、心身の発達状況、行動様式、生育歴などを知り、最も児童の行動規制をなし得る立場にあって、家庭内における児童との対話等によって児童との接触を深め、児童が他人に危険を及ぼす行動に出る危険を予見し、予め危険行為についての認識を与え、一般的な注意、指導をなして危険行為を防止する監督義務を有するというべきであり、その意味で、親権者は児童が校長、教師等の代理監督義務者の監督下にあったか否かにかかわらず、児童の全生活関係にわたってその監督義務を負うものである。したがって、児童の危険行為が代理監督義務者の下でなされたというだけでは、法定監督義務者である親権者はその責任を免れることはできず、右のような親権者としての包括的な義務を尽くしたことを主張、立証しない限り、その責任を免れることはできないというべきであって、結局、被告山本らの右主張は失当であり、被告福江市を除くその余の被告らは、中村洋司及び山本吉幸の本件暴行によって原告岩司に生じた損害の賠償責任を免れることはできないものである。

五原告らの損害

1  原告岩司の積極損害(五島中央病院分)

(一)  <証拠>によれば、原告岩司は、本件事故発生後直ちに五島中央病院で治療を受け、昭和六〇年六月一三日から同年七月六日まで入院し、入院料など入院治療関係費等として金六万七七八〇円を支払ったことが認められ、これらの費用は、本件暴行によって生じた原告岩司の前記症状に関して支出された相当な範囲内の損害と認められる。

(二)  <証拠>によれば、原告岩司に付添うために、原告岩司の母である原告青山カヌエが右入院期間中付添って看護したことが認められ、原告岩司の年齢、受傷部位・程度等を考慮すれば右付添看護も止むを得ないものというべきであり、本件においては積極損害としての請求金額が本件受傷の程度に比し過大ではなく、また請求にかかる各費目のうちに過小な請求金額のものもあること等を考慮すると一日当り四〇〇〇円の二三日分付添費用合計金九万二〇〇〇円も相当な範囲内の損害であるというべきである。

(三)  <証拠>によれば、原告岩司に付添うために、原告岩司の父母である原告青山喜代治ないし同青山カヌエが右入院期間中毎日タクシーで通院し、一日当り九六〇円(往復)の交通費合計として金二万二〇八〇円を支払ったことが認められるところ、右付添看護料の他に付添のための交通費をも相当な範囲内の損害というべきかについては問題がないわけではないが、右(二)と同様の事情をも考慮すると付添のための交通費合計として金二万二〇八〇円程度の支出は相当な範囲内の損害として認められる。

(四)  <証拠>によれば、右入院期間中一日当り五四〇円の二三日分入院雑費合計の内金一万二四〇〇円は相当な範囲内の損害と認められる。

2  原告岩司の積極損害(東長崎皮膚科泌尿器科医院分)

(一)  <証拠>によれば、原告岩司は、昭和六〇年七月八日、同月一五日、同年八月四日、同月一二日、同年九月七日の五回にわたって長崎市内の東長崎皮膚科泌尿器科医院に通院し医療関係費等合計金二万七〇〇〇円を支払ったことが認められるところ、原告岩司の被った本件傷害の部位・程度等からすれば、原告岩司が長崎市に出向いて泌尿器科の専門医に診察を受けたこともあながち不相当ということもできず、右医療関係費等合計金二万七〇〇〇円は本件暴行によって生じた原告岩司の前記症状に関して支出された相当な範囲内の損害と認められる。

(二)  <証拠>によれば、原告岩司は、右通院の際、昭和六〇年七月八日は原告青山喜代治、同青山カヌエに付添ってもらい、同月一五日、同年八月四日、同月一二日、同年九月七日の四回は原告青山カヌエに付添ってもらったことが認められるところ、原告岩司の年齢、受傷部位・程度、通院先が遠方であったこと等を考慮すれば右付添も止むを得ないものというべきであり、右1(一)と同様の事情をも考慮すると、原告青山喜代治、同青山カヌエが付添ったことによる付添費ないし休業損害として原告らの主張する金四万五〇〇〇円程度(原告青山喜代治の日当一万円、同青山カヌエの日当七〇〇〇円)は相当な範囲内の損害であるということができる。

(三)  <証拠>によれば、右通院の際、原告岩司は、同青山喜代治、同青山カヌエの交通費を含めて少なくとも合計金五万八九八〇円程度は支出したこと及び初回の昭和六〇年七月八日の通院の際は右三名は長崎市内に宿泊し宿泊費として合計金一万三二〇〇〇円を支出したことが認められ、右(二)の付添費ないし休業損害の他に付添交通費をも相当な範囲内の損害として認めるべきかについては問題がないわけではないが、右(二)と同様の事情をも考慮して、付添のための交通費及び宿泊費を含む右合計金七万二一八〇円程度の支出は相当な範囲内の損害であると認められる。なお、原告岩司は、右通院の際の食費合計四万円をも本件受傷に関する損害として主張しているが、右支出は相当な範囲内の損害であるとは認められない。

3  原告岩司の慰謝料

原告岩司が本件傷害に至った経緯は前記のとおりであるが、原告らは、原告岩司の左こうがんは消失し、完全な不具者となり、成人して結婚するとき大きなハンディを負わされる結果となる旨主張するが、こうがんの一方のみが損傷し他方が正常なものとして残存していれば他方が代償機能を持つといわれており、原告岩司の本件傷害自体は再生不能であるが、それが生殖機能に影響するかどうかは、自慰行為ができる年齢に達してから精子の数量等を検査してみなくてはその影響を判定することが困難であることは前記のとおりであって、原告岩司の本件傷害が原告らの主張するようなものとして影響を残すことを認めるに足りる的確な証拠はない。そこで、これまでに認定してきた本件事故の発生に至る経緯、原告岩司の受傷部位とその症状・程度、治療経過等本件訴訟に表れた諸般の事情を総合して判断すると、原告岩司が本件暴行を受けたことによる慰謝料は金四〇〇万円が相当である。

4  原告青山喜代治、同青山カヌエの慰謝料

原告岩司の両親である原告青山喜代治、同青山カヌエは、被告らに対し固有の慰謝料請求をなしているけれども、被害者の父母等近親者に固有の慰謝料が認められるのは、被害者の傷害が、死亡にも比肩すべき状態あるいはこれに比して著しく劣らない程度の状態にある場合に限られると解されるところ、原告岩司の本件傷害の程度は前記のとおりであって、これによって原告青山喜代治、同青山カヌエが相当程度の精神的苦痛を被ったことは想像に難くないけれども、未だ原告岩司の傷害が、死亡にも比肩すべき状態あるいはこれに比して著しく劣らない程度の状態にあるとは認め難く、原告青山喜代治、同青山カヌエの慰謝料請求は理由がない。

六過失相殺

本件事故当時、原告岩司が、一一才の小学校六年生であったことは当事者間に争いがなく、この程度の小学生ともなれば、特段の事情がない限り、危険な行為について弁識し事故の発生を避けるのに必要な能力(いわゆる「事理弁識能力」)を有していたものと推認されるところ、原告岩司は、従前、たとえ中村洋司、山本吉幸から仕掛けられることが多かったからにせよ、本件悪戯を右両名と共になしていたこと、また、本件事故の発生の経緯において、これも中村洋司、山本吉幸の仕掛けに対抗する形であったにせよ、自らも中村洋司、山本吉幸らとふざけ合い、こうがんを握ろうとする行動に出たことは前記のとおりであって、原告岩司のこのような行動が本件事故の原因の一つとなったものと認められるから、この点に原告岩司にも本件事故の発生につき過失があったものといわざるを得ず、損害額の算定にあたっては過失割合として四割を考慮するのが相当である。したがって、本件においては、前記の損害額合計金四三三万八四四〇円の四割を減じ、原告岩司が本件暴行によって被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子に賠償を求め得る損害額は金二六〇万三〇六四円となる。

七損害の填補

<証拠>によれば、原告岩司は、昭和六一年一月二七日、本件事故に関し、日本体育・学校保健センターから、障害見舞金として金一三〇万円を受領したことが認められ、日本体育・学校保健センター法四四条によれば、日本体育・学校保健センターが災害共済給付を行ったときは、その給付額の限度において、日本体育・学校保健センターは被害児童等が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得すると規定していること等からすると、右給付の限度で損害は填補されたものと解すべきであり、右金一三〇万円を原告岩司の損害額金二六〇万三〇六四円から控除すると金一三〇万三〇六四円となる。

八原告岩司の弁護士費用

原告岩司は、弁護士藤原千尋を訴訟代理人として本訴を提起し進行しているところ、弁論の全趣旨によれば、これに相当額の費用、報酬の支払をなし、あるいはこれを約したことが認められ、本件訴訟の難易、審理の経過、請求認容額等を考慮すると、原告岩司が本件暴行により被った損害として請求し得る弁護士費用額は金二〇万円と認めるのが相当である。

九結論

以上によれば、被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子は、不法行為に基づく損害賠償として、原告青山岩司に対し、連帯して金一五〇万三〇六四円及び内弁護士費用を除く金一三〇万三〇六四円に対する本件不法行為後の昭和六〇年六月一四日から、内金二〇万円に対する本判決言渡の日の翌日である昭和六三年一二月一五日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべく、原告岩司の被告中村孝一、同中村マツ子、同山本和則、同山本京子に対するその余の請求及び被告福江市に対する請求並びに原告青山喜代治及び同青山カヌエの被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官原敏雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例