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長崎地方裁判所 昭和43年(わ)267号 判決 1970年4月30日

被告人 明枝レイノルズこと長見明枝

昭一七・一・二五生 無職

アール・エル・レイノルズ

一九一〇・一〇・一八生 人類学研究家

主文

被告人長見明枝を罰金五〇、〇〇〇円に、被告人アール・エル・レイノルズを罰金三〇、〇〇〇円に各処する。被告人両名においてその罰金を完納することができないときは、いずれも金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人アール・エル・レイノルズは米国々籍の人類学者で、昭和二六年(西歴一九五一年)来日以来、広島市において原爆被災児童の調査に従事するうち、平和問題に関心を寄せ、ヨツト「フエニツクス号」を建造して昭和二九年(西歴一九五四年)以降世界各地を遠洋航海して世界平和運動に従事している者、被告人明枝・レイノルズこと長見明枝は、広島女学院大学英文科在学中世界平和運動に関心を持ち、被告人レイノルズの思想乃至運動に共感し、昭和三九年(西歴一九六四年)同人と結婚したが、現在尚日本の国籍を有する者であるが、被告人両名は右世界平和運動の一環として、日本、中華人民共和国(以下「中共」と略称)及びアメリカ合衆国との間の友好親善促進の目的で、前記ヨツト「フエニツクス号」により中共を訪問するため同国に渡航することを計画し、被告人明枝において昭和四三年五月頃以来広島県庁又は外務省に対し、同被告人の中共渡航につき必要な旅券の発給を受けるため、その申請手続につき交渉を重ねたが、外務省当局は渡航先国たる中共政府の発行する入域許可証を添付して申請手続をするよう要求して、結局、同年九月初旬に至る迄右渡航に要する旅券を入手できなかつたので、此のうえは旅券の発給を受けないまま、出国手続を経ることなく出国して前記計画を実行することを決意し、

第一、被告人明枝は、日本人が本邦を出国する場合有効な旅券に出国の証印を受けなければ出国できないにもかかわらず、昭和四三年九月一〇日、旅券に出国の証印を受けずに長崎県長崎港から中共上海へ向け、被告人レイノルズの操縦する前記ヨツト「フエニツクス号」に乗船して出港し、同日午後零時三三分領海外に出て本邦を出国し、

第二、被告人レイノルズは、前記第一記載の日時場所から被告人明枝が有効な旅券に出国の証印を受けずに本邦外に出国するにあたり、その情を知りながら、同人を前記ヨツト「フエニツクス号」に乗船させて出国し、もつて被告人明枝の犯行を容易ならしめてこれを幇助し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人らの主張に対する判断)

一、弁護人らは、被告人両名は公海上で且つ外国船舶であるヨツト「フエニツクス号」上で逮捕されているが、原則として我が国の主権の及ばない公海上にある外国船舶を拿捕し、その乗員を逮捕するには、公海に関する条約二三条に規定する追跡権の行使に該当する場合でなければならないところ、本件「フエニツクス号」上における逮捕については、右追跡権行使の要件のうち、「外国船舶が追跡国の領海内にあるとき追跡が開始されたこと。追跡は視覚的又は聴覚的停止信号を当該外国船舶が視認し又は聴くことができる距離から発した後にのみ開始することができる。」という要件を欠いており、よつて公海自由の原則を謳つた同条約に違反した違法な逮捕であつて、国際法規の遵守を規定した憲法九八条二項および法の適正手続を保障した憲法三一条に違反するので、本件公訴は刑事訴訟法三三八条四号により判決をもつて公訴棄却されるべきであると主張する。

よつて右の点につき判断するに、本件逮捕に際し、「フエニツクス号」を追尾していた巡視艇「つるかぜ」が領海内において停船信号である「K旗」を掲げたり、拡声器等で停船を命じたとの事実は、追跡権に基く逮捕の要件中最も重要なものと云うべきこの点につき、出発から逮捕地点迄の追跡の状況を明らかにするため作成された前掲実況見分調書に何らの記載がないこと。領海二・七乃至二・八マイルの地点でK旗を掲げる等停船命令を発した旨の海上保安官の各証言はその根拠となる確実な書面上の記載を欠くうえ、後記逮捕の経緯からみて結局疑わしいものと断ぜざるを得ないことなどから考え、これを認め難い。とすると、本件逮捕は追跡権行使の要件を欠く違法の疑いがあるものといわねばならないが、反面本件逮捕に際しては、「フエニツクス号」出港当初から長崎海上保安部の二隻の巡視艇「ひめゆり」「つるかぜ」がこれに追尾しながら、領海内においては単に被告人明枝につき、同女が有効な旅券の発給を受けずに出国すれば不法出国になる故直ちに航行を中止し、適式な手続を経て出国するよう再三再四勧告を繰り返すにとどめ、領海を出るや犯罪が成立したものとして直ちにこれを逮捕しているのであつて、以上の経緯からみれば、当時被告人明枝が旅券に出国の証印を受けずに出国を企てていたことは明白であつたから、「フエニツクス号」が出港すると同時に、「出国を企てた」との犯罪容疑により領海内で停船命令を発しこれを逮捕できたにもかかわらず、本件逮捕にあたつた官憲は慎重を期してこの挙に出ず、前記のとおり領海内では単に勧告をくり返すのみで領海外に出た後始めて「出国した」との犯罪容疑により逮捕に着手したために、結果的には却つて前記のような違法の疑いある措置に出ざるを得なかつたとみられるのであつて、かかる経緯、状況下になされた本件逮捕が公海自由の原則を蹂躙する程明白な違法不当なものであるとまでは到底断じ難い。確かに、国際法規は遵守されなければならず、法の適正な手続による裁判も保障されなければならないが故に、当裁判所も第七回公判期日において、本件逮捕が追跡権行使の要件を充足していない疑いがあり、そのような違法な疑いのある身柄拘束下で作成された被告人両名の供述調書についてはその証拠能力を否定したのであるが、右逮捕手続段階における瑕疵がひいて憲法三一条の精神に反するものとして公訴提起行為自体まで無効ならしめるものとは認めないので、この点に関する弁護人らの主張は採用できない。

二、次に弁護人らは、外務省が被告人長見明枝に対し、旅券を発給しなかつたことは、憲法二二条で保障された海外渡航の自由を不当に制限するもので、同条に違反する違憲不当な処分といわねばならず、このような政府の違憲な行為によつて、旅券の発給を受けられなかつた同被告人が、旅券に出国の証印を受けずに出国したとしても、その行為は違法性がなく、従つて被告人ら両名は無罪である。即ち、海外渡航の自由は、憲法二二条二項に規定された国民の基本的人権であるから、本来その制限は許されないか、或いは仮にこれが許されるとしても、必要、最少限度の合理的制約に留められるべきものであるところ、旅券法三条一項七号は、一般旅券の発給申請書に添附すべき書類として、同号所定の「書類等」を「申請書に添付することを必要とされる者にあつては、その書類」と規定するにとどまり、右「等」とは何か、必要と認める者が誰であるか、またその必要とされる者の範囲はどの限度で認められるべきか、などの基準を右規定自体において明確にすることができず、また旅券法自体、省令、告示等にこれらの事項を委任する旨の明文の規定を欠き、また現在これらの点についての解釈的規定が存しないことなどに照らし、右規定は一行政庁たる外務省に旅券発給について広汎な自由裁量権を与えたものと認めざるを得ないから、右規定自体前記合理的制限をこえて、海外渡航の自由を不当に侵害する違憲無効な規定であると断ぜざるをえない。そればかりか、その行政的運用の面において、外交関係の樹立していない外国に渡航する者について、一率にこれを必要とするとの立場に立ち、本件において、被告人明枝に対し中共からの入国許可証を要求し、これが入手不能であつたところから申請書を受理せず、ひいて旅券の発給を拒否したことは、旅券の性質が、本来その所持人の国籍を示す証明書としてのみ考えられなければならず、自国民の保護を相手国に要請する政府の文書と目されるべきでないことから考え、かかる入国許可証のごときものを、旅券発給以前に要求する取扱いは到底合理的なものとはいえないから、右外務省当局の具体的な処分もまた違憲というべきである。而して、被告人らは、かかる外務省当局の措置を憲法に違反するものと考え、国民に課せられた、基本的人権を擁護する憲法上の義務を果すべく、一応の行動が必要であるとして、右の措置に対しいわゆる合法的なプロテストをすべく本件に及んだものであつて、これを要するに、本件において国は、正当に旅券の発給を申請した被告人明枝に対し、不当に旅券の発給を拒否しながら、一方では、被告人らがやむなく旅券を所持せずに出国したことを処罰しようとするものであつて、国のこの行為はクリーンハンドの原則に反するものというべきであるから、右出国行為が形式的に出入国管理令六〇条二項、七一条に該当するとしても、実質的違法性を欠くものというを妨げず、従つて被告人らは何れも無罪である旨主張する。

よつて以上の点について順次判断するに、

(一)、関係証拠によれば、判示冒頭記載のように、被告人明枝は、昭和四三年五月頃、夫である被告人アール・エル・レイノルズとともに、日・中・米友好親善のため中共へ前記ヨツト「フエニツクス号」で訪問することを思いたち、被告人明枝の住居地である広島市において、広島県庁に対し、旅券の申請手続について問い合せたところ、共産圏諸国への旅券発給申請については、外務省が発行する特別の許可証が必要である旨指摘されたので、同年六月二六日付で、外務省に対し、中共への渡航趣意書を提出したところ、同省係官から、旅券法三条一項七号により、我国と国交のない同国への旅券発給申請手続には、渡航先である同国の官憲が発した入国許可証を必要とする旨の回答があり、このため被告人らは中共政府に対し、右許可証の交付方を依頼したが、これを黙殺されたところから、この旨を外務省係官に告げて、右入国許可証なしで、中共向けの旅券を発給して貰うべく、同年九月初旬に至る迄、再三その要請を繰り返したが、同省の態度が一貫して変らなかつたため、遂に中共向けの旅券の発給申請書すら受理されない儘に、本件犯行に及んだ事実が認められる。

(二)、ところで、弁護人らの主張は、その前提において、旅券法の前記規定と、本件の処罰規定である出入国管理令六〇条二項、七一条とを不可分的に結び付け、旅券なくして海外へ渡航すること自体を同令によつて処罰するかのように主張するのであるが、同令はその沿革上、単に出入国に際しての公正な管理、即ち通関事務を公正、円滑に果すことをその目的とし、同令六〇条二項、七一条は右手続を免れる行為を処罰する趣旨で設けられたものと解すべきであつて、旅券を所持せず従つて右通関手続を経ることなく出国するものを同令が処罰する場合においても、それは右のような意味合いにおいてこれを処罰するに留まるものであつて、平和条約の発効により、「旅券発行の権限に関する覚書」及びこれに基づくその処罰規定たる政令三二五号がともに廃止され、刑の廃止があつたと解せられる現在においては、旅券なくして出国することを禁ずる一般的規範は存在せず、従つて旅券なくして出国すること自体を処罰することはもともと法の予定しないところといわねばならない。そして同令六〇条二項は、前記のような趣旨の制限を課するものとして合憲と認められるのである。

従つて所論はその前提において遽に賛同し難いものがあるが、右同令各条の適用によつて事実上旅券なくして出国する者を処罰する結果となることは否めないのであつて、仮に旅券法三条一項七号の規定或いは右規定に基く外務大臣の本件措置(右措置は、申請書受理手続の一環としてなされた行政上の指示であつて、この指示を受けた者は同号所定の必要とされる書類を添付しない限り、申請書を受理してもらえない不利益を蒙るという意味で一種の行政処分と考えられる)が、海外渡航の自由を保障した憲法二二条二項に違反する違憲、無効なものであるとすれば、本件出国の目的、その手段、方法の具体的事情と相まち、被告人らの本件所為が、その処罰規定である同令六〇条二項、七一条に形式的に該当するとしても、同規定が予定する実質的な違法性を阻却する場合があるものと考えられるから、以下さらにこの点について検討を加える。

(三)、旅券法三条は一般旅券の発給について、外務大臣に対し提出すべき書類について規定するものであるが、同条一項七号は「領事官が発給した呼寄、再渡航等に関する証明書又は渡航先の官憲が発給した入国に関する許可証、証明書、通知書等を申請書に添付することを必要とされる者にあつては、その書類」と定めるに留まつているのであるから、この規定の文理上は、所論のとおり、右「必要とされる者」の認定権者及び「必要とされる者」、通知書「等」の範囲を一義的に確定することができず、また同条同項六号及び八号のごとく、その内容について、同法二二条二項が、外務大臣の告示によるとして、法律上その書類の種類の決定を外務大臣に委任することができるとするような規定を欠くうえ、現在右の文理を明確にする省令、告示等は存在しないと認められるから、右三条一項七号の規定はその文理及び他の法規との関連上、一見極めて不明確かつ漠然とした規定であり、又その認定権者に不当に広汎な自由裁量の権限を与えているもののようにも見えるが、しかし同法三条一項本文並びに同法三条一項六号及び八号に関する前記同法二二条二項などの趣旨からすれば、右の認定権者が外務大臣であることは明らかであるといわねばならず、またその書類について「……等」とあるのも同法三条一項七号所定の他の書類と同一性質の書類、即ち渡航先である相手国の官憲において、当該個人の入国を許すであろうことが明らかに認められるような書類を意味していることは疑いの余地がないから、結局同号の規定は、同号所定又はこれらと性質を同じくする書類の提出を必要とする者の範囲は外務大臣がこれを定めるという内容のものと認めることができ、仮に所論が右規定の漠然かつ不明確性の故に、同規定は憲法三一条所定の適正手続条項に違反し無効である旨の主張を含むとしても、右のように理解することが容易である以上、文言の不明確を理由としてこの規定を無効とする訳にはいかない。

(四)、次に右規定が、「必要とされる者」の範囲につき、憲法二二条二項に規定する海外渡航の自由を、外務大臣にその自由な裁量によつて無制約的に制限することを認めた違憲の規定であると認むべきか否かの点について考えるに、成程、前段で考察したように、右規定は認定権者たる外務大臣の権限行使について文理上何らの制約を課さず、その認定基準を他の法規に委任する旨の規定を欠き、また他にこれを制約すべき法規も見当らないのであるから、一見右規定は外務大臣に広汎な自由裁量の余地を与えたものと理解しえないことはなく、かつ右書類が、同規定の他の各号、とくに一、二、三、四、五、六号所定の書類と異なり、これを入手するのは左程容易なことではなく、ことに外交関係のない諸国に渡航することを希望するものについては、その入手が甚だ困難であると考えられるところ、右七号所定の書類を欠くときは、同法三条一項本文の法意及び当裁判所の証人田中祥作に対する尋問調書(以下「田中証言」と略称)によれば、その申請書は原則として受理されず、従つて旅券の発給を受けることができなくなるのであるから、これが海外渡航の自由に対する相当な制約であることは否めないところであるといわねばならない。

しかしながら、右規定は、基本的人権の一つである海外渡航の自由に対する重大な制約であるから、できる丈狭く解釈されねばならないこと。旅券が単にその所持人に対し、その国籍及び所持人の同一性を示す身分証明書類似のものたるに留まらず、進んで外国政府に対しその所持人たる日本国民の生命、身体、財産等の安全と保護を要求する政府の文書たる性質をも有することに鑑み、右旅券の発給事務手続等を規制する旅券法の趣旨は、海外渡航の達成を可能にし、かつ渡航先における渡航者の安全と保護を計ることを重要な目的とすると認められるから、右の目的に副うよう解釈されねばならないこと。そして旅券法一九条一項四号が、旅券の名義人の生命、身体、又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められるときは、外務大臣又は領事官は旅券の名義人に旅券の返納を命ずることができる旨規定していることから考え、そもそも当初よりかような必要が認められる場合は、旅券の発給申請を受理すべきではないと解釈しうる余地があること。而して同法一三条の規定とくにその一項五号との対比上、形式的要件について定められたことが明らかな同法三条一項七号の場合にあつては、同法一三条所定の申請者個人に関する具体的な考慮を働かせる余地はなく、申請書の受理という形式的手続に際し申請者個々人についての特有な具体的条件を考慮することは許されないと解されること。そしてさらに、田中証言によれば、右「必要とされる者」として、一般に我国と外交関係がない諸国に渡航する者については、原則として入国許可書等同号後段所定の書類を添付して旅券の発給を申請させる手続の運用が多年に亘り行われていることが認められ、そしてかかる運用が行なわれる実質的な理由として、かかる我国と外交関係を有しない諸国に渡航するに際し、渡航者がその国の官憲が発給した入国許可証を有しない場合は、その国への渡航の実現が困難であること及びその国への入国及び通過等に際し、当該渡航者の安全と保護を全うすることが当初から期待できない虞れがあるなどの根拠が挙げられていることなど、同法の目的、他の諸規定との関連、多年に亘る運用の実態などに照らして考えると、同条一項七号所定の外務大臣の権限は、これについて特別の明文の規定はないが、事柄の性質上右の範囲内において、相当に狭く制限されねばならないと解釈することが可能であるから、右規定をもつて、外務大臣に、覊束裁量と対比すべき意味合いにおける広汎な自由裁量を認めたものとは到底認め難く、この点において、右規定を違憲とする訳にはいかない。

(五)、ところで、基本的人権の一として憲法二二条二項の保障する海外渡航の自由も、公共の福祉のために合理的な制限に服するものであるから(従つて右権利が公共の福祉による一切の制限に服しない無制約のものであるとの所論はその限りでは失当である)、以下旅券法三条一項七号の規定に基いてなされた本件外務大臣の認定と指示(以下「措置」と略称)が、公共の福祉の見地からみて許される合理的な理由を有するものであるか否かの点について考えてみると、前記のように、右措置は、我国と外交関係のない中共へ渡航する者という、極めて具体的かつ明確で外務大臣の主観の介入する余地のない客観的事実で制約しているものであり、しかもその要求される入国許可証等の入手は、現実には困難なこともあろうが、全く入手できない訳のものではなく、現に田中証言によれば、昭和四三年度においては、約三千人の日本人が、予めこの許可証をえて中共に赴いていることが認められ、かかる国々への渡航を著るしく困難にする程の強い制約とは認められないこと。そして右措置の実質的根拠が、前記のように、かかる国々へ入国許可証を有しないままに渡航すれば、海外渡航の目的の達成が困難であり、かつ渡航者の身体、生命、財産等の安全と保護を全うしえないという点にあることから考え、一応の合理性があるものと考えられる。

尤も右措置の根拠としている点については、国交のない国でも、その国情、渡航者及び渡航目的等により入国を許す場合がありうるのであるから、かかる個々の具体的条件を考慮して入国許可証の添付を求めれば足りること、さらに、渡航者の保護の必要の点についても、渡航者が国の保護を欲しない場合に迄、国がその保護を押し付けることはできない筈であるし、いわんやその保護を欲せず旅券なくして渡航した者を罰するというにおいては背理も甚だしい等の批判が予想されない訳ではない。しかし、一般に相手国にこの種許可証を要請したがこれを拒絶もしくは黙殺された場合(本件は正にかような場合である)果して渡航目的を達し、又はその身体等の保護を全うする可能性が可成りな程度に存在するといえるであろうか。寧ろこれらの場合には、これらを全うしえない危険の存在する蓋然性が頗る高いといわねばならないであろう。そして現在我国と外交関係のない中共、東独について考えれば、我国が日米安全保障条約の下に米国と緊密に提携し、これら諸国と国際的な対立を続けている公知の事実、ことに中共については、田中証言によれば、同国滞在の日本人に必ずしも十分な保護が行き亘つてはいないことが窺われる事情から考え、現実の問題としてもかかる危険の存在する蓋然性はかなり高いといわねばならないこと。さらに、身体等の保護を欲しない国民に迄保護を行き亘らせようとして、却つて渡航の自由を制限することは合理的でないとする批判については(尤も、旅券をなくして密出国したものを処罰するというのは、前述のように、出入国管理令によつてその通関手続違反の点を処罰することからする事実上の結果であつて、保護を受けようとしなかつたことを罰する趣旨ではない)、およそ政府が一般的に在外邦人の安全と保護を全うすべき職責を有することは疑問の余地がないところ、本件被告人らも単に本邦を出国して外洋に出るというだけではその目的を達しえないものであり、中共に赴き入国のうえ活動しようというのであるから、政府がその目的の達成に関心を払い、かつ、相手国における自国民の安全と保護を図るのは当然のことというべく、予めかかる危険が高度に存在することが予想される場合、旅券の発給を拒否することは十分合理的な根拠があると考えられることなどからして、右の批判は何れも当らないといわねばならない。そして、さらに、右の身体等の安全と保護の要請に合理性を与える一根拠として、旅券法は、旅券法一三条一項五号所定の制限事由との関連において、海外渡航が事柄の性質上、国際関係と密接な関連があるとの見地からその法解釈について特別の考慮、即ち国家の安全保障の見地からする配慮を要求していると考えられるのであつて、かかる見地に立てば、外国における自国民への迫害ないし圧迫がしばしば国際的緊張を生ぜしめてきた公知の歴史的事実に照らし、外国における渡航者の保護が、単にその個人のみに関する事柄ではなく、密接に国家の安全と繋つていることを想起すべきである。

以上考察したところによれば、外務大臣の本件措置は合理的な制限であつて、これが公共の福祉の観点から許された合理的な制限を明らかにとび越えた不合理な制限とは到底認められないから右の措置を違憲とする弁護人らの主張は失当であり、又、以上によれば、右措置は同号が予定する裁量行為の範囲内にあることも明らかであつて、何ら違法、不当な点はないものというべきであるから、これらの点についての弁護人らの主張は全て失当であつて採用できない。

(六)、さらに、関係証拠、とくに被告人らの当公判廷における各供述によれば、被告人らは再三、旅券の発給を要請したにも拘らず、入国許可証を要するとした外務大臣の前記措置を違憲、不当なものと考え、これを正すために本件出国を敢行したのであるが、いわゆる密出国とは異なり、本来日中米三国間の友好親善を促進するため中共に赴く計画であり、かつは右のような動機と信念に基いて出国を決意したため、予め長崎港長に出港の届出をし、通知した予定の時間に同港を出帆したが、その際、停船命令を受けることを予期して、適法な停船命令には直ちに応ずる態勢を整え、海上保安庁の艦船の監視下に同港内を約三時間に亘り航行を続けたのち、前判示の日時、場所において、官憲の停船命令に応じて停船し、逮捕に応じた事実が認められる。以上の事実を通観すれば、これが一種のプロテストたる性格を有する特異な事案であることは窺われるが、前段認定のとおり、外務大臣の措置は毫も違憲、不当な点がなく、これを軽々に違憲、不当と信じ、これに対する抵抗を試みたことは、法治国の国民として、容認できない行為であると考えられるばかりか、被告人らはもともと中共へ赴くことを計画し、これを実行したものであつて、単に右出国行為を目して、領海ないし領海接続水域内に限られた示威的なプロテストに過ぎないものであつたとは到底認め難く、仮に海上保安庁の艦船が停船を命じなかつたとすれば、被告人らはそのまま中共へ赴いたであろうことは、容易に推認しうるところであるから、その行為の公然性及び予め出港を予告するなどし出入国管理令六〇条の要求する実質的な通関手続の一部を果した(渡航者の氏名、渡航先、渡航目的等を明らかにするという意味で)と認められるとしても、右通関手続の予定する重要な手続部分、即ち旅券の査閲を経ることができなかつたことは間違いがなく、結局以上によれば、被告人らの本件行為が、その目的の正当性、行為の公然性等の故に同令六〇条二項の予定する違法性を欠くものとは到底認められないというべきである。

以上によれば弁護人らの主張は失当であつて採用できない。

(法令の適用)

被告人長見明枝の判示所為は出入国管理令七一条、六〇条二項に、被告人アール・エル・レイノルズの所為は同法七一条、六〇条二項、刑法六二条一項にそれぞれ該当するので、その所定刑中いずれも罰金刑を選択し、被告人アール・エル・レイノルズの所為は従犯であるから刑法六三条、六八条四号により法律上の減軽をした各金額の範囲内で被告人長見明枝を罰金五〇、〇〇〇円に、被告人アール・エル・レイノルズを罰金三〇、〇〇〇円に各処し、被告人らにおいて右罰金を完納できないときは、同法一八条によりいずれも金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により全部被告人両名に連帯して負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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