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釧路地方裁判所 昭和48年(わ)244号 判決 1977年2月28日

被告人 渡邊正二

大三・一・一二生 医師

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実

一  本位的訴因

被告人は、釧路市幣舞町四番二一号所在釧路市立総合病院に副院長として勤務する医師であつて、同病院の患者に対する外科手術の実施などの業務に従事しているものであるが、昭和四四年八月一五日午後二時一〇分ころから午後三時三〇分ころまでの間、同病院外科第一手術室において、自ら術者となり、同病院勤務の外科医師山中啓明を第一助手、同浜野哲男を第二助手、同松倉裕美を第三助手として、同病院の入院患者見尾マサミ(当五二年)に対しヘラー氏手術(食道下部狭窄筋層切開術)を実施したのであるが、同女の腹腔内に手術器具等を遺残すれば、その遺残物のもたらす刺戟などにより同女が疾病に陥るおそれがあつたから、術者としては、手術に際し同女の腹腔内にケリー鉗子などの手術器具を遺残しないようにするため、腹壁の縫合にあたつては、自ら同女の腹腔内にケリー鉗子などの異物を遺残していないことを確認するとともに、補助看護婦をして、手術前と手術後に、ケリー鉗子など所要の手術器具の員数を点検報告させるなどの方法により、その員数が合致することを確認するか、手術直後に同女の腹部のレントゲン写真をとるなどの方法により、異物が同女の腹腔内に遺残していないことを確認すべき業務上の注意義務があるのに、これらをいずれも怠り、同女の腹腔内に手術に使用したケリー鉗子一丁(長さ約二〇・七センチメートル、先曲り)を遺残したまま、同女の腹壁を縫合し、手術を終了した過失により、右鉗子が絶えず同女の膵尾部に機械的な刺戟を与えたため急性膵臓炎(膵臓壊死)を惹起させ、よつて同女をして、昭和四五年二月八日午前九時二三分ころ、北海道標津郡中標津町東七条北一丁目五番地所在、町立中標津病院において、右疾患により死亡するに至らせたものである。

二  予備的訴因

被告人は、釧路市幣舞町四番二一号所在釧路市立総合病院に副院長として勤務する医師であつて、同病院の患者に対する外科手術の実施などの業務に従事しているものであるが、昭和四四年八月一五日午後二時一〇分ころから午後三時三〇分ころまでの間、同病院外科第一手術室において、自ら術者となり、同病院勤務の外科医師山中啓明を第一助手、同浜野哲男を第二助手、同松倉裕美を第三助手として、同病院の入院患者見尾マサミ(当五二年)に対しヘラー氏手術(食道下部狭窄筋層切開術)を実施し、腹壁縫合のみを残す段階で事後の処置を助手らに任せて退室したものであるが、同女の腹腔内に手術器具等を遺残すれば、その遺残物のもたらす刺戟などにより、同女が疾病に陥るおそれがあつたから、術者としては、手術に際し同女の腹腔内にケリー鉗子などの手術器具を遺残しないようにするため、助手をして腹壁を縫合させるにあたつては、退室するに先立ち自ら同女の腹腔内にケリー鉗子などの異物を遺残していないことを確認するは勿論、助手をして同様の確認をさせるとともに、補助看護婦をして、手術前と手術後にケリー鉗子など所要の手術器具の員数を点検報告させるなどの方法により、その員数が合致することを確認するか、手術直後に同女の腹部のレントゲン写真をとるなどの方法により、異物が同女の腹腔内に遺残していないことを確認すべき業務上の注意義務があるのに、これらをいずれも怠り、同女の腹腔内に手術に使用したケリー鉗子一丁(長さ約二〇・七センチメートル、先曲り)を遺残したまま、同女の腹壁を縫合させて手術を終了した過失により、右鉗子が絶えず同女の膵尾部に機械的な刺戟を与えたため急性膵臓炎(膵臓壊死)を惹起させ、よつて同女をして、昭和四五年二月八日午前九時二三分ころ、北海道標津郡中標津町東七条北一丁目五番地所在、町立中標津病院において、右疾患により死亡するに至らせたものである。

なお、検察官は、第二一回公判において、昭和五一年一〇月一四日付書面で予備的訴因の追加を請求し、その際、本位的訴因との関係につき、本位的訴因は、被告人が腹壁の縫合にあたり手術室に在室していたことを前提として、この場合における被告人の注意義務違反を問うものであり、予備的訴因は、被告人が仮に腹壁縫合のみを残して事後の処置を助手らに委ねて同室から退室したことを前提として、この場合における被告人の注意義務違反を問うものである旨の釈明をなし、当裁判所は、これを許可したものである。

第二本件事案の概要等

第一一回、第一二回及び第一四回各公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官(六通)及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、被告人作成のてん末書、第四回、第五回、第六回及び第一四回各公判調書中の証人山中啓明の供述部分、第七回公判調書中の証人石田一雄の供述部分(以下、石田調書という。)、第八回、第九回及び第一〇回各公判調書中の証人浜野哲男の供述部分、円谷勝征の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、見尾良男の検察官(四通)及び司法警察員に対する各供述調書、見尾れい子(後に婚姻により金田と姓を変えている。)の検察官(二通)及び司法警察員に対する各供述調書、貴志志津の検察官(二通)及び司法警察員に対する各供述調書、中野順子の検察官及び司法巡査に対する各供述調書、高橋はつえの検察官及び司法警察員に対する各供述調書、川畑敦子(後に婚姻により石井と姓を変えている。)の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、井上舜友の検察官(二通)及び司法警察員に対する各供述調書、山中啓明の検察官(三通)及び司法警察員に対する各供述調書、浜野哲男の検察官(四通)及び司法警察員に対する各供述調書、松倉裕美の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、川端真の検察官に対する供述調書、山本富也、佐々木明子(二通)、日向一枝及び庄子妙子の司法警察員に対する各供述調書、中村松井及び中田陽子の司法巡査に対する各供述調書、北海道警察釧路方面本部鑑識課犯罪科学研究室技術吏員富居清兵衛及び同林義一共同作成の鑑定書見尾良男作成の死体火葬申請書(写)、中標津町長作成の戸籍謄本、検察事務官作成の電話聴取書、司法巡査作成の「事件現場写真記録の作成について」と題する書面及び「市立病院診療過誤事件捜査報告」と題する書面、司法警察員作成の実況見分調書、医師池田健次郎作成の「翻訳嘱託について回答」と題する書面ならびに押収してある死亡診断書一通(昭和四九年押第二七号の1)、診療録一通(同押号の2)、鉗子一丁(同押号の3)、診療録一通(同押号の4)、診療録二通(同押号の5)外科病歴一通(同押号の6)、手術表一通(同押号の7)、麻酔記録一通(同押号の8)、レントゲン写真一九枚(同押号の9ないし27)、葉書一通(同押号の28)及び診療録一通(同押号の29)、によれば次の事実を認めることができる。

一  被告人の経歴等

被告人は、昭和一五年三月、北海道帝国大学医学部を卒業して、同年四月に医師免許を取得し、一時、同医学部第二外科から派遣されて国立八雲病院に外科医師として勤務したこともあるが、同外科の副手、助手や講師を経て、同二七年医学博士号を取得して同二八年ころ北海道大学助教授として同外科勤務になり、その後、同四三年九月一日から釧路市幣舞町四番二一号所在、釧路市立総合病院(以下、市立病院という。)の副院長として勤務し、現在に至つている。そして、同病院の管理・運営につき院長を補佐するかたわら、同病院の診療科目のうち外科部門において、外科医長井上舜友、外科副医長山中啓明、同浜野哲男、医師松倉裕美、同川端真らと共に、その診察や手術に携つていた。

二  見尾マサミの死亡

見尾マサミは、大正六年二月一七日出生し、昭和一七年六月に見尾良男と結婚して五女を儲け、北海道標津郡中標津町東三条南四丁目に居住していたものであるが、同四三年春ころから喉に食物が支える自覚症状があり、同四四年五月ころからときどき水と一緒に食べていたほどで、同年六月七日、町立中標津病院で外科医師山本富也の診察を受け、さらに、その後市立病院の内科と外科でそれぞれ診察を受けた結果、食道下部の狭窄像が著明と診断されて、同病院に入院したうえ、同年八月一五日午後から、被告人を術者、同病院医師山中啓明を第一助手、同浜野哲男を第二助手、同松倉裕美を第三助手とする手術団によつて、ヘラー氏手術(食道噴門部筋層切開術、以下、本件手術という。)を受けて、同年九月六日退院した。その後、同女は同年一一月五日及び同四五年一月七日にも市立病院で診断を受けた結果、食道下部の狭窄状態の悪化が認められて、再入院を勧められていたところ、同年二月六日午前八時三〇分ころ、自宅において激痛を訴えて発病し、直ちに住居地に近い町立中標津病院に入院したが、同月八日午前九時二三分ころ死亡するに至つた。そして、同病院医師石田一雄は、同女の死因を急性膵臓炎(膵臓壊死)と判断した。

三  本件事案の発覚と特異性

1. 見尾マサミは、昭和四五年二月一〇日火葬に付されたが、火葬後、同女の焼骨の中に焼けただれたケリー鉗子(昭和四九年押第二七号の3、以下、本件鉗子という。)が発見され、このことが同女の遺族達から、住居地を管轄する中標津警察署に届出られたことから、刑事問題化して捜査が進められ、右鉗子が病院等で使用されるものであるところから、本件手術に関与した被告人らが取り調べられて、同四八年一二月四日、本件手術の術者であつた被告人のみが釧路地方検察庁検察官から業務上過失致死罪として釧路地方裁判所に起訴されたのが、この被告事件である。

2. ところで、本件審理において、被告人や弁護人から、本件公訴事実記載のように見尾マサミの死因とされている急性膵臓炎(膵臓壊死)そのものに疑問が指摘されたばかりでなく、急性膵臓炎と本件鉗子との間に因果関係がない旨主張されたのであるが、本件事案は、前記のとおり、同女の死後、その遺体が火葬に付されてから発覚されるに至つた経緯からみて明らかなように、右鉗子の発見時点まで、同女の死因につき不審を抱くこともなく、同女の病理解剖等が全くなされなかつた。このことが本件審理を通じて真相解明の努力の障害となり、同女の死因については勿論のこと、生前同女の体内における右鉗子の位置特に膵臓との位置関係やこれによる因果関係等につき、いずれも高度の医学知識を必要とするのに、その前提となるべき事実関係の把握が困難となり、当然のこととして、各鑑定や証言の内容において、推測ないし曖昧な部分の伴なうことを避けることができなかつた。

第三本件鉗子の遺残行為

検察官は、被告人が見尾マサミに対し本件手術を実施した際、同女の腹腔内に本件鉗子を遺残したと主張するので、以下、この点について検討する。

一  本件手術を実施するに至るまでの経緯

見尾良男、見尾れい子、山本富也、井上舜友、佐々木明子(二通)、及び浜野哲男の司法警察員に対する各供述調書、貴志志津の検察官に対する供述調書(二通)、司法巡査作成の「市立病院診療過誤事件捜査報告」と題する書面ならびに押収してある診療録一通(昭和四九年押第二七号の4)及び診療録二通(同押号の5)によれば、次の事実を認めることができる。

見尾マサミは、前記のとおり昭和四三年春ころから食物が喉に支える自覚症状を訴え、同四四年五月ころには食事の時などにときどき物が支えるので、水と一緒に食べていた。

同年六月七日、町立中標津病院で外科医師山本富也の診察を受け、嚥下障害を訴え、バリユーム検査の結果、噴門狭窄があると認められ、精密検査を受けるように勧められたが、そのままにし、同月一三日市立病院内科で受診し、食道・胃のバリユーム検査及びレントゲン撮影をした結果、食道下部の狭窄像が著明であつた。

同年七月二二日、市立病院外科医長井上舜友の診察を受け、同月二三日、同医師のレントゲン透視(バリユーム造影診断)の結果、食道下部の狭窄像が著明であつたことから入院を勧められた。

同月二五日同病院一一七号室に入院し、担当医が浜野となり、同医師は、同月三〇日、同女に対し食道・胃のバリユーム検査を実施したところ、食道下部の著明な狭窄像を認めた。そこで、同医師は、右井上外科医長に相談し、同医師は、同年八月一〇日ころ、被告人と相談した結果、同月一五日同女に対し本件手術を実施することを決定し、そして、右手術の担当医として、被告人を術者(執刀者)、同病院外科医師山中啓明を第一助手、右浜野哲男を第二助手、同病院外科医師松倉裕美を第三助手、同病院研修医川端真を麻酔司と決定した。

ところで、本件手術は、勿論術者、助手及び看護婦の共同作業によつて行なわれるものであるが、術者としての被告人は、執刀者として本件手術における中心となるべき者であり、この手術に必要な処置をとると共に、助手に対し必要な処置をとらせるのであり、第一助手以下の助手は、その固有の任務というものはなく、全員が術者に協力するものであるが、第一助手である山中は、止血とか執刀者が行なう次の作業の準備をする等のいわば直接的な介助を担当し、第二助手としての浜野、第三助手としての松倉は、第一助手に準ずるほかに、術者の指示に従い術野を拡大するとか、出血部位を拭いたり、鉤を引いたりして、術者を介助するものである。そして、医師川端真が麻酔の実施を担当し、その外看護婦の内一名は、直接介助として手術中に執刀医または補助医に直接手術器具を手渡すとか、これを受け取ることを担当し、それ以外の看護婦は間接介助として患者の体位の変更とか、右器具の補充等を担当するものである。

なお、本件手術器具は、手術室の看護婦が、本件手術の前日か当日の午前中に、手術室婦長宛に届けられる「手術連絡箋」に基づき、これを「胃切除」と記載された手術名により「胃切除術手術器械」という一覧表に従つて、手術室中央材料室器械戸棚からコツフエル鉗子、ペアン鉗子、ケリー鉗子等三〇数種類の器具を準備したものであり、その内ケリー鉗子は一二丁、本件鉗子と同種類のものは三丁準備された。

なお、右ケリー鉗子は、主に深部の止血、組織の剥離及び固持などに使用するためのものである。

二  本件手術の実施経緯

被告人の第一一回、第一二回及び第一四回各公判調書中の供述部分ならびに検察官(六通)及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、第四回ないし第六回、第一四回各公判調書中の証人山中啓明の供述部分、第八回、第九回及び第一〇回各公判調書中の証人浜野哲男の供述部分、山中啓明の検察官(三通)及び司法警察員に対する各供述調書、浜野哲男の検察官(四通)及び司法警察員に対する各供述調書、松倉裕美の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、川端真の検察官に対する供述調書ならびに押収してある手術表一通(昭和四九年押第二七号の7)及び麻酔記録一通(同押号の8)によれば、次の事実を認めることができる。

本件手術は、昭和四四年八月一五日午後一時三〇分ころから準備され、手術担当医・看護婦の位置は、被告人が術者として仰向けになつた見尾マサミの右側に、第一助手山中が被告人の向い側に、第二助手浜野が被告人の左側に、第三助手松倉が第二助手浜野の向い側にそれぞれ立ち、麻酔司川端が同女の頭部に座した。そして、看護婦のうち、直接介助看護婦は被告人の右側で同女の足部近くに立つた。また、器械台は、同女の大腿部の上方に設置されたものである。

麻酔司川端が、同日午後一時五五分ころ気管内挿管全身麻酔をかけ、午後二時一〇分ころ本件手術が開始された。被告人がメスで上腹部の正中切開、すなわち、剣状突起の真下部分かあるいはその約二センチ上から真直ぐ正中線に沿つて臍下まで切りおろし、さらに、臍部の左を回りその直下まで全長が約二〇センチメートル、深さが皮下脂肪組織下まで切開(皮膚切開)した。すると、これにより出血したので、被告人、第一助手及び第二助手がコツフエル鉗子約七、八丁を使用して挾み、結紮止血し、次に、被告人がメスで皮下脂肪下の白線という靱帯を切開したところ、腹膜上の前脂肪組織が出てきたので、被告人が手前側の腹膜をピンセツトで抓み上げ、第一助手山中が向い側の腹膜を同様ピンセツトで抓み上げた。すると、腹膜前脂肪組織も同時に持ち上り、被告人は、この時臓器を持ち上げていないことを確認するため、ピンセツトを持ちかえ、メスで右のように抓み上げた腹膜を縦に切り、小さい穴を開け、そして、被告人か第一助手山中がミクリツツ腹膜鉗子で腹膜の両側を挾み、被告人がその部分から直剪の鋏を使用して、皮膚切開をした長さの部分まで腹膜切開をした。その際、被告人及び第一助手山中が腹膜にミクリツツ鉗子を左右合計八ないし一二丁かけた。この段階で、最初かけたコツフエル鉗子は、電気凝固あるいは結紮によつて止血の目的を達成した後に取り外した。

次いで、被告人と第一助手山中とが開腹鉤(腹壁固定器)をかけて創口を開け、被告人が臓器の状態を検査し、そして、第三助手松倉が肝臓左葉に鉤をかけて軽く上部に持ち上げ、被告人及び第一助手山中が胃の噴門部を中心に検査し、異常所見が見当らなかつたので、次いで、被告人が第三助手松倉に腹壁鉤を使用させて、左の肋骨弓を上方に牽引してもらいながら、長いメイヨーか曲剪の鋏で、肝臓左葉の三角靱帯を横隔膜から三分の二位切離し、手か鉤を用いて肝臓左葉を正中側に寄せた。なお、この際、三角靱帯を挾むためケリー鉗子を使用した。

次いで、被告人がメスを使用して、食道前面を覆つている腹膜(いわゆる後腹膜)を縦に約二センチメートル切開し、腹部食道を右腹膜から円型に全周剥離した。この際、湾曲の強いケリー鉗子を使用した。

次いで、被告人がゴム管を持ち、これを第一助手山中に湾曲の強いケリー鉗子で引かせて食道の下に通し、そして、右ゴム管の両端を合わせてペアン鉗子で挾み、右ゴム管を手前に引き、指を使いながら食道を裂孔部から剥離し、食道を多少引つ張り、これを約七、八センチメートル出した。この際、食道全面組織から出血したので、ケリー鉗子かリステル鉗子を使用して結紮止血した。

次に、被告人が食道前面の筋層部分を約八センチメートルに亘り浅く縦切開し、ケリー鉗子を使用して噴門部約三センチメートル、食道約五センチメートルに亘り、粘膜層が膨隆してくるまで筋層を離断した。この際、筋層からの出血があつたので、被告人と第一助手山中とが随時ケリー鉗子やリステル鉗子を使用して結紮・止血した。

次いで、被告人が徐々に右ゴム管を緩め、膨隆が十分であるか否かを確認し、さらに、食道剥離部分とか、切開した後腹膜、筋層部分の出血の有無を確認し、出血に対してはケリー鉗子、リステル鉗子を使用して結紮・止血した。そして、食道を元に戻し、右ゴム管を抜き、出血のないことを確認して、切開した後腹膜を約二針縫つた。

被告人は、その後臓器などの異常の有無、出血の有無及び異物遺残の有無を検査し、第二助手浜野、第三助手松倉も視野内の個所を点検確認し、この時点において、被告人は、第一助手山中から「後をやりますから手をおろして下さい。」という趣旨のことを言われ、これ以降の作業、主として閉腹を前提とする作業を同助手らに引継いで手術室から退室し、この後同助手らによつて、同日午後三時ころ、筋馳緩剤が投与され、腹壁の縫合がなされた。この縫合は、開創鉤を外し、ミクリツツ鉗子を外し、腹膜をピンセツトで合わせながら、次いでコツフエル鉗子を外し、同様に行なわれたものである。そして、本件手術は順調に進み、約一時間二〇分を費して、同日午後三時三〇分ころ終了した。

なお、第一助手山中らが、本件手術を引き継いだ後の作業において、同助手らがケリー鉗子を使用したことを認めるに足りる証拠はない。

三  見尾マサミの焼骨中からのケリー鉗子の顕出経緯

円谷勝征の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、見尾れい子の司法警察員に対する供述調書、中村松井の司法巡査に対する供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、司法巡査作成の「事件現場写真記録の作成について」と題する書面、北海道警察釧路方面本部鑑識課犯罪科学研究室技術吏員富居清兵衛及び同林義一共同作成の鑑定書ならびに押収してある鉗子一丁(昭和四九年押第二七号の3)によれば、次の事実を認めることができる。

見尾マサミの死後、その遺族は、昭和四五年二月一〇日、中標津町営火葬場において火葬に付したのであるが、その際、練瓦製の窯台上に焼骨があり、その中に混つて黒焦げに焼けた金属製の全長約二〇・七センチメートル、先端は長さ約四・四センチメートルに亘つて湾曲したケリー鉗子一丁(本件鉗子、同押号の3)が存した。そして、この鉗子は、腹部左側にあつて、その先端が頭蓋骨方向に向い、下端が第一腰椎左側に縦に位置していた。ところで、同女の遺族は、遺体を棺に入れる際、ビニール製のチヤツクの付いた袋に包み、これと一緒に化粧道具、数珠に十字架のついた「ロザリオ」、写真、硬貨(一円、五円、一〇円、五〇円)合計約一〇枚、ピンセツト一丁、安全カミソリ一丁をその足元辺に入れたけれども、これら以外に焼け残るような物を入れておらず、勿論右の如き鉗子も入れなかつたものである。

四  市立病院におけるケリー鉗子の取引状況

前掲北海道警察釧路方面本部鑑識課犯罪科学研究室技術吏員富居清兵衛及び同林義一共同作成の鑑定書ならびに野上義二、酒井与次郎各作成の「先に照会がありました件につき回答します」と題する書面によると、次の事実を認めることができる。

前記見尾マサミの焼骨中に存したケリー鉗子の中央部分には、アルフアベツトの文字で、「NOGAMI」「STAINLESS」の商標打刻印があり、その内側にも「sakai」との商標打刻印があり、他方、市立病院は、昭和二二年ころから、東京都文京区本郷三丁目四四番六号所在株式会社野上器械店との間で、ケリー鉗子等の医療器具の取引関係があり、これに基づき納入される鉗子類は、同店が、東京都墨田区東駒形二丁目一九番六号所在有限会社酒井製作所に注文して、同製作所が製作したものであつて、その中央部分には、すべてアルフアベツトの文字で、「NOGAMI」「STAINLESS」と商標打刻印があり、その内側にも「sakai」との商標打刻印があるものである。

五  見尾マサミの手術歴

見尾良男の検察官(昭和四六年一〇月一五日付)及び司法警察員に対する各供述調書によれば、見尾マサミは、死亡する約一〇年位前に、町立中標津病院において、虫垂炎の手術を受け、約一〇日間入院したことがあるが、これ以降本件手術に至るまでの間、開腹手術を受けたことはなく、右虫垂炎の手術を受けて退院後、同女が腹痛を訴えるようなこともなく、普通の日常生活をしてきたものであることが認められ、第五回公判調書中の証人山中啓明の供述部分によれば、虫垂炎の手術においては、通常ケリー鉗子を使用しないことが認められる。

六  レントゲン写真(昭和四九年押第二七号の25)上に存する二条の陰影

井上舜友の検察官に対する供述調書二通及び押収してあるレントゲン写真(同押号の25)によれば、該レントゲン写真は、前記市立病院医師井上舜友が、見尾マサミの退院後である昭和四四年一〇月一日、同女の本件手術部位を検査するために、背腹第二斜位で撮影したものであるが、右写真上に二条の棒状の陰影が写し出されており、右撮影時の同女は上半身裸か、肌じゆばんを着ていた程度であつて、また当時市立病院で使用していたレントゲン撮影機は、その構造上からも、右の如き陰影の現われることがなかつたこと、及び前記の背腹第二斜位とは、光源を背中側、フイルムを腹側に置き、次いで右後方へ四五度前後回転して撮影する場合であることが認められる。

右認定事実によれば、右レントゲン写真上の二条の棒状の陰影は、腹部臓器の一部分ではなく、何らかの異物であると推認することができる。そして、この異物は、これまで認定してきた事実を総合すると、本件手術によつて遺残された異物、すなわち、本件鉗子であつて、この一部分が右写真上に陰影として現われているものと推認することができる。

七  当裁判所の判断

以上の認定事実によれば、被告人は、本件手術に際し、ケリー鉗子を使用しているのであるが、株式会社野上器械店が被告人の勤務する市立病院にケリー鉗子を納入していることからみて、被告人が本件手術の際に使用した右鉗子は、右株式会社野上器械店から市立病院に納入された鉗子のうちの一丁であつたものと推測され、そして、この納入されたケリー鉗子と、見尾マサミの焼骨中から発見されたケリー鉗子とは、商標打刻印が全く一致しているものであること、レントゲン写真(昭和四九年押第二七号の25)上に存する二条の棒状の陰影は本件鉗子の一部が写し出されたものであると認められること、見尾マサミは約一〇年前に虫垂炎による開腹手術を受けたことがあるが、この手術に際し、通常ケリー鉗子の使用されることがなく、また、同女は、右手術以降、本件手術に至るまでの間、腹部の開腹手術を受けたこともなければ、腹部の異常とか痛みを訴えたこともなく、普通の主婦として日常生活をしてきたものであること、同女の遺体を入れた棺の中にはピンセツト等の金属製のものが入れられたけれども、ケリー鉗子は入れられなかつたことから、同女の焼骨中に発見された本件鉗子は、本件手術に使用されたケリー鉗子のうちの一丁であつて、これが被告人らの本件手術実施に際し、同女の腹腔内に遺残されたものというべきである。

そこで、次に、本件鉗子が本件手術のいかなる時点において遺残されたものであるかについて検討するに、前記認定事実によれば、被告人は、本件手術の全過程を自ら実施したものではなく、その枢要部分を終了し、切開した後腹膜を約二針縫合し、異物遺残の有無等を検査した後に、その後の処置を第一助手山中らに引き継いで手術室から退室したものであるが、右第一助手山中らがなすべき処置としては主に閉腹作業であり、この作業は比較的簡単なものであつて、この過程においてケリー鉗子が使用されたことを認めるに足りる証拠がないばかりか、仮りにこれが使用されたとしても、このような段階においては、腹腔内に遺残する可能性が少ないと考えられること、他方、ケリー鉗子は、主に深部の止血、組織の剥離および固持などに使用されるものであり、これらの処置は、主に被告人と第一助手山中とがなしたものであつて、勿論被告人が術者として本件手術実施中のことであることなどの諸点に鑑み、本件鉗子は、被告人が本件手術を第一助手である山中に引き継ぐまでの間に、既に見尾マサミの腹腔内に遺残されていたものというべきである。

弁護人は、主に<1>棺の中に遺体と共に入れた鉗子が焼骨の中から発見されたことから、生前見尾マサミの体内に存したように考えられがちであること、<2>焼骨の中にあつた鉗子と、レントゲン写真(同押号の25)上に存する二条の陰影の位置とが大きく相違していること、<3>司法巡査作成の「事件現場写真記録の作成について」と題する書面中の写真1ないし5をみると、骨灰と鉗子との位置関係がごくわずか相違していることが認められることから、本件鉗子が生前同女の体内に遺残されていたことは疑問である旨主張する。そこで検討するに、右の<1>の点についてであるが、本件鉗子が同女の遺体を入れた棺の中に入れられなかつたことは先に認定したとおりであり、次に、<2>の点についてであるが、そもそも右レントゲン写真上に存する二条の陰影が、生前同女の体内のいかなる位置に存したかは、後記のとおり各鑑定人の間においても見解の分れているところであるが、焼骨中に存した本件鉗子の位置関係が、火葬時のいろいろの影響により、生前同女の体内における位置関係を、そのまま示すものでないことも後述するとおりであるから、右レントゲン写真上の陰影と焼骨中の本件鉗子との位置関係が相違しているとしても、何ら奇異とするに足りないというべきである。次に、<3>の点についてであるが、右3の写真と4の写真とを詳しく観察すると、3の写真には鉗子の柄の上に肋骨の一部と思われるものが乗つていることが観察されるが4の写真にはこれがない等一部相違するところが認められ、このことは鑑定人八十島信之助作成の昭和四五年五月二一日付鑑定書(以下、八十島第一鑑定書と称する)において指摘されているところでもあるが、同人に対する尋問調書において同人も述べている如く、右のような相違は、当時右写真を撮影した司法巡査が本件鉗子の存在した付近を大写するために、骨灰の一部を移動させたとも推測され、またこの相違もごくわずかであることから、奇異とするに足りないというべきである。以上のとおり、この点に関する弁護人の主張は採用しない。

第四見尾マサミの死因

検察官は、見尾マサミの死因は急性膵臓炎(膵臓壊死)であると主張し、他方弁護人側は、これに疑問的見解を述べているので、以下、この点について検討する。

一  急性膵臓炎(膵臓壊死)の一般的症状等

そこで、先ず、急性膵臓炎(膵臓壊死)の一般的症状等についてみることとする。

医学博士山形敞一著の「膵臓病学」と題する書物(以下、山形著書という、証拠調をした部分、以下の書物につき同じ。)、東北大学名誉教授槇哲夫著の「肝、胆道、膵疾患の外科」と題する書物(以下、槇著書という。)、医学博士金井泉及び同金井正光編著の「臨床検査法提要」と題する書物(以下、金井編書という。)、バイエルン薬品株式会社編集の「今日の医学」と題する書物(以下、「今日の医学」という。)、八十島第一鑑定書、慶応義塾大学医学部法医学教室斉藤銀次郎作成の鑑定書(以下、斉藤鑑定書という。)、東京女子医科大学教授医学博士武石詢作成の鑑定書(以下、武石鑑定書という。)、鑑定人山形敞一作成の鑑定書(以下、山形鑑定書という。)、鑑定人槇哲夫作成の鑑定書(以下、槇鑑定書という。)、証人武石詢に対する当裁判所の尋問調書(以下、武石尋問調書という。)、同斉藤銀次郎に対する当裁判所の尋問調書(以下、斉藤尋問調書という。)、同八十島信之助に対する当裁判所の尋問調書(以下、八十島尋問調書という。)、同山形敞一に対する当裁判所の尋問調書(以下、山形尋問調書という。)及び同槇哲夫に対する当裁判所の尋問調書(以下、槇尋問調書という。)によると、次の事実を認めることができる。

急性膵臓炎(膵臓壊死)がいかにして発生するか、すなわち、その発生機序についてはいまだ解明されていないところもあるが、一般に膵酵素、ことに非活性のトリプシノーゲンが活性化してトリプシンとなり、さらにリパーゼの作用も加わつて、膵組織の自家消化が進展するものと理解されている。そして、この自覚症状は、軽症の場合には腹痛発作が主体となるが、重症の場合には発病初期からシヨツク症状が加わつたり、また発病の二、三日後に腸管麻痺なども出現する。そして、急性膵臓炎(膵臓壊死)の場合、腹痛が必ずといつてよいほどに起こり、この腹痛は、始まつてから比較的急速にその程度を増し、しかも寛解することの少ない持続的な激痛となるが、疝痛様のことは少なく、特に背部に放散し、背臥位で増強し、深く前屈した坐位でやや軽減する傾向にある。また痛みは、初期に主として心窩部、次いで左右の季肋部に局在するが、病変が拡大するに従つて、疼痛の局在性を指摘することに困難を伴なうことがある。そして、腹痛発作にしばしば嘔吐を伴なうが、これによつて腹痛の軽減することは稀であり、腹痛発作時には通常全身症状として摂氏三八度前後の発熱がみられ、出血や壊死を伴なう重症型では、主として循環血漿量の減少、損傷された膵から血中に逸脱した種々の毒性物質、あるいは神経反射のために初期から頻脈、血圧低下、冷汗、チアノーゼ、乏尿、意識障害などのシヨツク症状が出現することがある。腹痛発作は、発病後数日で通常寛解に向うが、膵周辺の腸管麻痺が加わると、腹部膨満感や腰背痛が主体となる。

理学的所見として、鎮痛剤の投与によつて激痛の寛解したところで腹部を触診した場合、上腹部の圧痛はほとんど全例に認められ、その部位は心窩部が最も多く、次いで左季肋部、右季肋部の順となり、重症型では出血や脂肪壊死が腹腔内に波及するため、経過に従つて圧痛の範囲が拡大することがある。

次に、急性膵臓炎の診断として、臨床検査所見とX線検査所見とがあり、前者についてみれば、もともと膵病変によつて各種の膵酵素が血液や尿中に出現するものとされ、この酵素逸脱現象を証明するため、腺房細胞から活性型として分泌され、しかも長時間失活せずに安定しているアミラーゼについて、その血中濃度の上昇や尿中排泄量の増加を検討することが、一般に行なわれており、そのほかトリプシンインヒビター値、血清カタラーゼ値、血清尿素値、血清窒素値及び血糖値の上昇、アミラーゼアイソザイムの変化等が検討される場合もある。そして、血清アミラーゼ値は急性膵臓炎の発病後数時間ですでに上昇し、一二ないし二四時間でほぼ最高値に達し、二四ないし七二時間を過ぎると低下する傾向にあり、この高アミラーゼ血症は発病後三日以内でほとんど全例に観察されるが、病日の進むにしたがつてその頻度は減少し、一週間を過ぎるとおよそ五〇パーセントとなる。ただし、重症型で膵臓の広汎な破壊により、そのアミラーゼ産生機能が減退する場合には、臨床像の改善がなく、あるいはむしろ悪化するにもかかわらず、血清アミラーゼ値の速やかな正常化や異常減少を認めることがあるほか、膵臓病変が広汎かつ高度の場合には、上昇を示さないこともあるとされている。

しかし、この血清アミラーゼ値の上昇について、正当な評価を誤らなければ、急性膵臓炎の診断のためには有力なテストであつて、右アミラーゼ値の測定法には、現在試薬によるカラウエイ法やブルースターチ法が推奨されているが、ウオールゲムート法による場合には、その測定値が倍数字で表わされるため、正確度に欠けるきらいがあり、正常値は八ないし一六単位であるとするもの、あるいは一六ないし三二単位が正常値で、六四単位は上限界値(異常ではあるが、まだ正常な状態でもあり得る数値)とされるなど、見解は必ずしも一致しないが、さらに後述するように少なくともアミラーゼ値六四単位が正常値といえないことは認めざるを得ない。

一方、尿アミラーゼは、血清アミラーゼが腎から排泄されたものであり、高アミラーゼ血症があれば、原則として尿アミラーゼ排泄量は増加し、しかも採血よりも採尿は簡便なため、尿アミラーゼ測定はより実用的といえるが、正常人における尿アミラーゼ濃度についてみると、尿量の多少に応じて著しく変動するので、少なくとも二時間毎に尿アミラーゼの排泄量を測定することが望ましいものである。また、急性膵臓炎の経過中、前記のとおり高血糖や糖尿の出現することがあるが、診断的には補助的な意義をもつに過ぎず、むしろ重症度や予後の判定に役立つことになる。

次にX線検査所見として、腸管内のガス貯溜や呼吸運動の制限のため、胸部X線像に横隔膜の挙上や肺下野の限局性無気肺を認めたり、また腹腔内に遊離した膵酵素が胸腔内に到達するため、胸水の貯溜を認めることがあるが、これらの所見は左側に出現することが多く、また、立位、背臥位での腹部単純X線撮影では、小腸の限局性麻痺による左上腹部あるいは中腹部の小腸内ガス像や横行結腸間膜に沿つて炎症が波及するため、上行結腸から右横行結腸にかけてのガス像を認めることがあるが、いずれもその診断的意義は補助的なものである。

二  急性膵臓炎と腹部の激痛を主体とする他の病気との鑑別

前項掲記の各証拠によれば、次の事実を認めることができる。

先ず、穿孔性腹膜炎であるが、これと急性膵臓炎(膵臓壊死)との鑑別は臨床的にしばしば困難を伴なうことがある。それは、両疾病共に突発的な激しい持続的な腹痛が出現するからであるが、胃・十二指腸潰瘍の穿孔性腹膜炎の場合は、急性膵臓炎に比べて一般状態がさらに悪く、虚脱状態に陥り、腹部所見ではいわゆる板状硬と称されるほど著明な硬い部分があり、触診不能なくらい圧痛が強く、また、肝濁音界の消失や横隔膜下空気層の存在(立体のレントゲンによる透視)が認められ、これらが鑑別の要点である。そして、急性膵臓炎に特徴的とされる尿アミラーゼ値、血清アミラーゼ値の増加は、穿孔性腹膜炎においても、胃腸内容中のアミラーゼが腹膜より吸収されるために起こる場合もあるが、一般に急性膵臓炎におけるほどの高値に達しない。

次に、胆石症であるが、この腹痛は右上腹部に限局する疝痛様疼痛であつて、必ずしも長く持続せず、しばしば右背、右肩に放散し、黄疸を合併すれば鑑別は容易である。胆石症においても血清アミラーゼ値の上昇を認めることがあるが、これはしばしば膵臓炎の合併を示唆するもので、両者が併存する頻度は比較的高いとされている。

次に、急性腸閉塞であるが、これは激痛を訴え、しかも腹痛の割合に硬い部分の軽度なことから、ことに高位の腸閉塞症と急性膵臓炎を誤ることも稀ではない。急性膵臓炎では血清及び尿アミラーゼ値の増加が著明なこと、発熱、白血球増加など炎症の症状が早期から強いことなどが鑑別の参考となる。腸閉塞症においても、障害された腸管からアミラーゼが吸収されるために、稀に血清アミラーゼ値の増加が起こり得るが、急性膵臓炎におけるほど著しい高値に達しないのが普通である。

次に、狭心症であるが、急性膵臓炎で心窩部痛が左胸部に放散する場合には狭心症と鑑別を要し、しかも急性膵臓炎でも心電図で冠不全のような所見を呈する場合に問題となるが、心電図、尿及び血清アミラーゼ値ならびにそれらの時間的経過による変化によつて明らかになる。

三  見尾マサミの昭和四五年二月六日以降死亡するに至るまでの症状等

石田調書、見尾良男の検察官(同四六年三月一日付及び同年九月七日付)及び司法警察員に対する各供述調書、見尾れい子の司法警察員に対する供述調書、医師池田健次郎作成の「翻訳嘱託について回答」と題する書面ならびに押収してある診療録一通(同四九年押第二七号の2)によれば、次の事実を認めることができる。

見尾マサミは、同四五年二月六日午前八時三〇分ころ、自宅で布団を上げようとして前かがみになつた際、周囲の者が驚く程の大声で「痛い痛い」と悲鳴を上げてその場にしやがみ込み、口もきけない程の痛がりようで、夫の良夫が傍に行き同女を起こそうとしたところ、同人の手をはねのける状態であつた。そこで、同人は、約一〇分後に同女を町立標津病院に運び込んだが、同女は、顔面蒼白で、待合室で医師の診察を受けるまでの間に黄色いドロドロした物を大量に吐き、診察室でも嘔吐した。医師石田一雄が診察のため同女に手を触れようとしたところ痛がつてその手を払い除け、「痛い、痛い、痛み止めをしてくれ、何とかして下さい。」と痛みを訴え、これ以外に言葉も話せないほどであつた。そして、この痛みは、心窩部から下腹部にかけてであり、また、心窩部から中腹部にかけて圧痛があつた。同医師は、同女を診察して間もなく同女の血液を採取し、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値の測定をしたところ、六四単位という数値がでた。そこで、同医師は、正常人の血清アミラーゼ値が一六ないし三二単位であるのに、同女の血清アミラーゼ値が六四単位となつていること、同女の痛みが上腹部(臍とみぞおちの中間辺り)に寄つていたこと、同女の疾病として腸閉塞、胆のう炎、胆石、腎臓結石、十二指腸潰瘍を考慮に入れたが、これらに特有の症状が現われてはいなかつたことから、同女の疾病を急性膵臓炎と判断した。なお、同医師は、同女の激痛を緩和するため、診察当初主に鎮痛剤を注射したが、通常の鎮痛剤によつては痛みが治まらず、アトロピンを加えたモルヒネ系の麻薬であるオピアトを注射したところ、外見上痛みを我慢しているような状態にまでなつた。しかし、夜間に再度痛みがあつて、そこで同医師は、再度右オピアトを注射した。翌七日午前一〇ころ、五女の見尾れい子が訪ずれたところ、見尾マサミは、「腹が痛い。」と言つて苦しんでおり、口から墨汁様のものを吐いたりしていた。その後も同女は、腹痛を訴えて苦しみ、何も話さない状態であつたが、前日のように麻薬を使用する程ではなかつた。同日の夕方、同医師が回診した時、同女は唾液様のものを嘔吐していた。そして、同医師は、同女が腹部に痛みがあり排便がないというので、ドナン浣腸(高圧浣腸)を施したところ少量の排便があつた。翌八日午前九時ころ、前記見尾れい子が訪ねて行つたところ、見尾マサミの顔面は蒼白で唇は赤紫色となつており、疲れ切つた状態になつていた。それから間もなく容態が急変し、同医師が連絡を受けて同女を診察したところ、同女は既にいわゆる末期の呼吸状態を呈しており、同日午前九時二三分ころ、同病院において死亡するに至つたものである。そして、同医師は、同女の死因につき急性膵臓炎(膵臓壊死但し、これは急性膵臓炎から膵臓壊死になつたという意味)との死亡診断書を作成したものである。なお、同医師は、医師として二〇年近くの経験を有し、この間多数の急性膵臓炎の診察に当つてきたものであり、同医師が同女の死因につき、右の如き診断を下したのは、これらの経験に基づいてのことであつた。

四  見尾マサミの既往症

1  第八回、第九回及び第一〇回公判調書中の証人浜野哲男の供述部分、押収してある診療録二通(昭和四九年第二七号の5)、外科病歴一通(同押号の6)、手術表一通(同押号の7)及び診療録一通(同押号の29)によれば次の事実を認めることができる。先ず、見尾マサミの血圧であるが、昭和四四年七月二五日は一四〇―一一〇(ミリメートル水銀柱、以下同じ)同年八月三日は一五〇―九〇、同月四日は一八〇―一二〇、同月七日は二〇四―一一八、同月八日は二二〇―一一八、同月一一日以降同月一八日までは毎日測定されて、ほぼ一九〇―七〇の間での数値が示され、同年一一月五日には一七〇―一〇〇が測定されており、脈搏については、同年七月二二日が八〇(一分間の回数、以下同じ)整順、同月二五日が七六整順、同年八月一五日が一〇〇整順で、ただ同月一六日は一〇四で整順とされながらも、動悸ありと指摘されており、同年九月二日、同月五日及び同月一六日には同女に対しそれぞれ鎮静剤が投与されている。以上の事実からすれば、同女は心発作を起こしたと推定することもでき、証人浜野が供述しているように、一時的にせよ同女に高血圧症があつたことは否定できないと思われる。

2  石田調書によれば、押収してある診療録(同押号の29)には「冠不全」という病名が記載されているが、同女が右疾病に陥つていたものではなく、これは単に保険請求手続の便法上記載されたものにすぎないことが認められ、また山形尋問調書によれば、押収してある外科病歴(同押号の6)中の心電図(同四四年七月二六日にとつたもの、以下、本件心電図という。)には心筋障害がみられるが、心筋自体の障害か高血圧による心筋障害か判然とせず、後者では、高血圧が軽快すると心筋障害も治癒すると考えられる。また、心筋梗塞は認められず、一般的に、心筋障害は軽い状態、心筋梗塞は重い状態と考えられるが、心筋梗塞は冠動脈の変化であつて、両者は病相が異なり、心筋障害から急性心不全になる可能性は高いが、心筋障害から心筋梗塞に進むと一概に言えない、とされている。

五  鑑定人の諸見解

見尾マサミの死因を判断するにあたり、鑑定人の見解を一瞥することとする。

1  八十島第一鑑定書

右鑑定書には概要次の如き記載がある。

そもそも死因を解剖所見なしに決定することは困難であるが、鑑定資料によれば、見尾マサミの腹痛が急激に生じていること、便通が尋常であること、腹部の上・中央部が圧迫に対して過敏であつたこと、血清アミラーゼ値が上昇していること(血清アミラーゼ検査の方法が明記されていないが、通常行なわれているウオールゲムート法では正常値が三二単位以下で、六四単位以上は病的とされている)、腹痛が極めて激甚であつたこと、発病当初から全身状態がますます悪化し、症状も急激に悪化して発病の翌々日に死亡したことが認められ、以上の臨床的な所見と経過から考察して、同女の疾患は急性膵臓炎あるいは膵臓壊死のそれに一致しているものである。なお、急激な腹痛で始まる疾患には、このほかに急性虫垂炎、急性胆のう炎、急性腸間膜血管閉塞症、イレウス、尿路結石、胆石症、胃腸管穿孔、その他諸種の原因による急性腹膜炎、子宮外妊娠などの婦人生殖器の疾患などがあるので、臨床的に診断する場合にこれらを除外しなければならないが、提供された鑑定資料に記載されている限においては、急性膵臓炎を否定し、右の各種の疾患であるとするような根拠はない。

2  斉藤鑑定書

右鑑定書には概要次のような記載がある。

心窩部に激痛発作を起こして発病する疾病は、一般に急性腹症と呼ばれるもののうち、急性狭窄性腸閉塞、急性虫垂炎、消化管穿孔、急性腹膜炎、急性胆のう炎、胆石症及び膵臓壊死があるが、これら疾患の症状と見尾マサミの症状及び六四単位という血清アミラーゼ値を比較検討すると、膵臓壊死以外の急性腹症疾患中に血清アミラーゼ値が上昇する疾患のないことから考えて、病名を膵臓壊死と判断しても矛盾がないものと思われる。一般的に、死因を確定する場合、解剖を行なわないで死因を断定することは極めて危険であつて、臨床診断のみで死因を判定することは、あくまでも推定の域を出ないものとされており、本件においても同様のことがいえるが、突発した心窩部の激痛ならびにその他の症状、さらに血清アミラーゼ検査成績などから判断し、死因は膵臓壊死であろうと推測される。

3  武石鑑定書

右鑑定書には概要次のような記載がある。

鑑定資料の大部分が何れも見尾マサミの生前の臨床事項に関するものであり、病理解剖、病理組織学的検索と対象となり得るものは全くないので、同女の死因を判断するについては専ら臨床的所見、関係者の供述を基にして行なわざるを得ないが、急性腹症のうち、腹痛の位置が心窩部に始まるものは、急性膵臓炎(膵臓壊死)、胃・十二指腸穿孔、急性腸閉塞、急性虫垂炎、急性胃拡張、急性腸間膜動脈血栓症、腹部大動脈瘤破裂、狭心症及び心筋梗塞などに限られる。さらに、これらのうちで血清アミラーゼ値の上昇を伴なうものは急性膵臓炎(八〇パーセント以上にみられるといわれる)、胃・十二指腸潰瘍穿孔(三〇パーセントにみられるといわれる)、急性腸閉塞(二〇パーセントにみられるといわれる)及び急性虫垂炎(五パーセントにみられるといわれる)に過ぎない。

胃・十二指腸潰瘍穿孔では、穿孔前に潰瘍の症状がみられ、且つ穿孔後は急速に腹膜炎症状が出てくるのであるが、本例ではこれらが全く認められない。急性腸閉塞については、医師石田も便通に異常がないこと及び聴診所見からこの疑いを解いている。急性虫垂炎の腹痛は、初め腹部各所にみられ、やがて回盲部に限局されるのであるが、本例においてはこのような記載が全くみられない。そうすれば、残るのは急性膵臓炎のみである。そのうえ、急性膵臓炎の疑いのある患者で、血清アミラーゼ値が正常値の三倍以上あると、その誤診率はわずか四パーセントに過ぎないといわれている。そして、本例では正常値の四倍の六四単位であり、しかも膵臓壊死の際の血清アミラーゼ値の上昇が発症直後から始まり、一二ないし二四時間で最高値に達し、以後急速に減少して、約一ないし四日で正常域に戻るとされていることを考慮に入れると、その意味は極めて高いといわざるを得ない。

以上から、見尾マサミの急性腹症が急性膵臓壊死であつた可能性が極めて高く、逆にこれを膵臓壊死でなかつたとする積極的根拠は全く認められない

4  山形鑑定書

右鑑定書には概要次のような記載がある。

鑑定資料の診療録(昭和四九年押第二七号の2)の記載を検討した結果、見尾マサミを急性膵臓炎の重症型(膵臓壊死)と診断する。一般状態が急激に悪化したにもかかわらず、血清アミラーゼ値が六四単位という軽上昇にとどまつたことは、同女が極めて重症であつたことを示している。但し、右鑑定人は、証人として供述し、この山形尋問調書には、右鑑定書といささか異なつた概要として、次のような記載がある。上腹部痛があり約二日で同女が死亡したことから、本件においては、急性膵臓壊死と心筋障害による急性心不全について鑑別を要する、同女の死因を判断するためには、これに必要な資料が不足しており、特に心電図がないので、心筋障害による急性心不全であつたか否かは判断ができない。従つて、血清アミラーゼ値六四単位は心筋障害でもあり得るが、急性膵臓壊死でも重症型では右単位を示すこともあり得るし、石田医師がそのように診断しているので、限られた資料からは急性膵臓壊死と診断するより仕方がない。仮に死亡時において心電図がとられ、本件心電図と同様の病変があるとすれば、心筋障害による急性心不全の可能性もある。ただ、本件心電図に現われた病変程度で、しかも二日後に死亡するということは考えられず、死亡するときにはもつと変化が著明となつている。

5  槇鑑定書

右鑑定書には概要次のような記載がある。

本件に表われた記録のみから、見尾マサミの病名を推定することは困難であるが、先ず腹痛を主訴として一両日中に死亡したという点から、いわゆる急性腹症のうちでも、その重症例を考えてみる必要がある。例えば、胃・十二指腸穿孔、急性胆のう炎の穿孔、急性膵臓炎(膵臓壊死)、虫垂炎穿孔、絞扼性イレウス、腸間膜血栓症などが考えられる。しかし、これらの疾患では、一般に腸麻痺その他により排便障害のあるのが普通である。本例ではそれがなく、その他体温、脈搏、血圧がどうであつたか、また、腹部膨隆の程度、蠕動不穏、腹壁緊張や筋性防禦、ブルンベルグ徴候(圧迫した手を急に離すとその局所に疼痛を訴える腹膜刺戟症状のあること)、腫瘤の触知の有無、血液所見、ヘマトリツク値(赤血球の全血に対する容積比で、脱水状態などを示す)等の臨床検査成績、さらに単純X線検査所見等の記載がなければ、直接死因につながる疾患を判定することはできない。

本件において、上腹部痛があつて、血清アミラーゼ値が六四単位ということだけで、他の急性重症疾患を除外し、急性膵臓炎と断定することは危険である。他の急性腹症、例えば胃・十二指腸潰瘍穿孔や腸閉塞などでも、血清アミラーゼ値は軽度上昇をみることがある。本件については、血清アミラーゼ値がほぼ正常値の上限程度に止まつていたことから、急性膵臓炎が否定される可能性もある。他方、急性膵臓炎を考えるとすれば、早期から血清アミラーゼ値の上昇をきたさなかつたことから、よほどの重症例であつたと推定される。重症の急性膵臓炎だとすれば、当時シヨツク状態にあつたかどうか、また嘔気・嘔吐、疼痛の背部放散、悪感、腫瘤触知の有無などその他の所見も大いに参考になる。

仮に本件が当初からシヨツクに陥るほどの重症例であつたとすれば、受診から死亡までの間に、何らかの応急処置がなされて然るべきであつたし、また、患者あるいは家族側から、医師とか看護婦に対し何らかの処置を求めてくるのが通例である。しかるに、第七回公判調書中の証人石田一雄の供述部分をみても、入院の翌日に疼痛があつたが、鎮痛剤の投与その他特別の処置がなされていない。

以上のような考察から、見尾マサミの死因を急性膵臓炎とすることは大いに疑義があり、他の原因によつて死因した可能性があると考える。急性腹症以外の疾患、例えば心筋梗塞についても、資料中の血圧や心電図の状況などから心臓病の専門家の意見を徴してみる必要があると考える。

六  当裁判所の判断

以上の認定事実に基づき、見尾マサミの死因について検討する。

同女の死因を判断するには、前述したとおり、高度の医学知識を必要とすることは勿論のことであるが、とりわけ鑑定人も指摘する如く、同女の死因究明にとつて不可欠とされる病理解剖がなされておらず、さらに、同女の診察・治療に当つた石田医師による血圧測定、心電図の基本的諸検査もなされていないばかりか、同医師の臨床記録の記載も不十分であるところから、同女の死因の判断には困難を伴なうことを卒直に認めざるを得ないところであるが、同女が発病した昭和四五年二月六日以降死亡するに至るまでの間の諸症状のうち、痛みの点についてみるに、同女は右の間激痛におそわれ、特に、発病直後の二月六日は、モルヒネ系の鎮痛剤投与によつて始めてこれに堪え得るようになつたものであり、そして、同女の痛みは寛解することがなく持続し、この痛みは上腹部に寄つており、その外の諸症状についてみるに、同女は発病以降しばしば嘔吐していたこと血清アミラーゼ値が正常値よりも上昇していたことなどからみて、同女の右疾病は、急性膵臓炎(膵臓壊死)のそれと一致していること、同女の診察・治療に当つた石田医師が同女の疾病につき腸閉塞、胆のう炎、胆石、腎臓結石、十二指腸潰瘍を考慮しながらも、なお同女の諸症状からみて、急性膵臓炎であつて、膵臓壊死によつて死亡したとの診断をなしており、この診断結果は、臨床医としての判断に基づいたものとして一応尊重されるべきこと、鑑定人槇は、同女の死因を急性膵臓炎(膵臓壊死)とすることに疑問的見解を述べているが、他の鑑定人八十島、同斉藤、同武石、同山形はいずれも同女の疾病を急性膵臓炎であるとし、その壊死によつて死亡した旨の判断をしていることなどから、同女の疾病は急性膵臓炎であり、その結果、膵臓壊死によつて死亡したものというべきである。

弁護人は、見尾マサミが町立中標津病院に入院した後の同女の症状のうち、痛みが激痛であつたことは認められるけれども、この痛みは他の急性腹症等にみられる痛みと同程度のものであつて、急性膵臓炎(膵臓壊死)特有の、しかも発病後二日足らずで死亡するような痛みでなかつたこと、さらに、同女には右入院後激痛以外に殊更特記すべき症状がなく、同女を診察した医師も、同女の白血球、血圧、発熱等の検査結果の記載をしていないこと、また、血清アミラーゼ値についてもこれが六四単位であつて、いわゆるこれ以上の数値である一二八単位でも軽症とされる場合もあるから、右数値は高くなく、同女の入院直後モルヒネ系の麻薬オピアトが投与されたことによつて血清アミラーゼ値の上昇をきたしたことも考えられること等から、同女の死因を急性膵臓炎(膵臓壊死)であるとすることに多大の疑問があり、同女が生前から高血圧症であり、心臓病を病み、特に本件手術直前、この治療を受けたことがあること及び同女の町立中標津病院入院前の生活状態等を考慮した場合、同女の死因は心筋梗塞であるというべきである旨主張するので、以下、この点について判断する。

当裁判所が、同女の死因を急性膵臓炎(膵臓壊死)であると判断したのは、同女の二月六日以降の諸症状を総合考慮したうえでのことであつて、痛みの点とか血清アミラーゼ値等を個々に分離して判断したものでないことは前述したことから明らかなところであるが、先ず、痛みの点についてみるに、同女の痛みは、先に認定したとおり、激痛であつて、これが急性膵臓炎(膵臓壊死)に伴なう痛みと判断しても、何ら矛盾するものでないことは先に述べたところから明らかであり、次に、同女には入院後、激痛以外殊更特記すべき症状がなかつたとの点については、同女の二月六日以降の症状には、これ以外に諸症状のあつたことは先に認定したとおりであり、これら諸症状を十分考慮に入れるべきものであるというべきである。次に、石田医師が同女の白血球等の検査をしていないとの点についてであるが、同医師がこれらの検査をしていないからといつて、このことが直ちに前記判断の妨げとなるものではないというべきである。

次に、血清アミラーゼ値の点についてであるが、鑑定人槇哲夫は、その鑑定書において、同女の死因を急性膵臓炎(膵臓壊死)とすることには大いに疑義があり、他の原因によつて死亡したとの見解を述べ、この理由として、次の二点をあげている。すなわち、第一点は、血清アミラーゼ値がほぼ正常値の上限程度に止まつていたというにあり、第二点は、死因が仮りに急性膵臓炎であつたとするならば、血清アミラーゼ値が早期から上昇をきたしていないことからみて、余程の重症であつたと推測せざるを得ないが、診察に当つた医師が特別の措置を施していないことから、右のように推測することはできないというにある。また、証人浜野哲男も、第九回公判廷において、同女の死因を急性膵臓炎とすることに疑問を表明し、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値が六四単位というのは非常に低い数値で、余り問題にならないと思う旨の供述をしている。しかしながら、武石尋問調書中には、血清アミラーゼの正常値に関しては文献によつた旨の供述部分があるが、同人作成の鑑定書には、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値の正常値は一六単位で、六四単位は高値である旨の記載があり、斉藤尋問調書中には、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値に関して、文献を見たと思う旨の供述部分があるが、同人作成の鑑定書には、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値の正常値は八ないし一六単位とされている旨記載されており、八十島尋問調書中には、血清アミラーゼ値につき、専門家によつては、一六単位が正常値の限界で、三二単位であれば、これだけで病的という意見もあるとの供述部分があり、同人作成の第一鑑定書には、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値の正常値は三二単位以下で、六四単位以上は病的とされている旨の記載があり、山形尋問調書中には、ウオールゲムート法による正常値は一六ないし三二単位であつて、六四単位あれば病変が始まつている可能性が考えられるけれども、確実に急性膵臓炎というためには、一、〇〇〇単位前後の高値が必要である旨の供述部分があり、同人作成の鑑定書には、血清アミラーゼ値が六四単位というのは軽度上昇である旨の記載があり、以上各鑑定人の見解から判断するに、ウオールゲムート法による血清アミラーゼ値の正常値は、専門家により一六単位であるとか、三二単位以下であるとか、必らずしも一致した見解はないけれども、少なくとも六四単位という数値は何らかの病変の存在を裏付けるものであるというべきである。従つて、鑑定人槇哲夫および証人浜野哲男のこの点に関する前記見解は採用できないから、血清アミラーゼ値が六四単位であるということから、前記判断を左右することにはならないというべきであり、他に、この点に関して、右判断を左右するに足りる証拠はない。

なお、弁護人は、同女の入院直後、モルヒネ系の麻薬オピアトの投与によつて、血清アミラーゼ値の上昇をきたしたことも考えられると主張するので、この点について検討するに、石田医師が、同女の入院後、アトロピンを加えたモルヒネ系の麻薬を注射したことは、先に認定したとおりであるが、同医師による右注射と前記認定の血清アミラーゼ値測定のための採血といずれが先になされたかの点については、本件全証拠によるもこれを確定し得ないところであるが、山形著書によれば、アヘン剤(モルヒネ)投与により、急性膵臓炎におけるほど著名でないが、血清アミラーゼ値の増加することがあるというのである。しかし、石田調書によれば、モルヒネのみを投与した場合多少血清アミラーゼ値の上昇をきたすといわれているが、本件の場合アトロピンを加えてあるので、それほど影響の出ないことが認められ、従つて、同女にオピアトが投与されたことにより当裁判所の右判断を左右するものではないというべきである。

次に、同女の死因として心筋梗塞を考えるべきであるとの点についてであるが、見尾れい子の司法警察員に対する供述調書及び第八回ないし第一〇回各公判調書中の証人浜野哲男の供述部分によれば、同女は、かなり以前から心臓が弱いと言つて、良く「救心」という薬を服用していたこと、そして、先に認定したとおり、同女が本件手術を受けた前後多少高血圧の症状が現われ、心発作のため鎮静剤の投与がなされたこと、しかし、同女は、本件手術に至るまでの間、特に心臓の病気で医師の治療を受けたこともなければ格別健康にすぐれなかつたということもなく、主婦として日常の家事に従事してきたことが認められ、そして、他に同女に心臓関係の疾患のあつたことを認めるに足りる証拠はない。

また、山形尋問調書によれば、心筋梗塞により血清アミラーゼ値が上昇するかの点は必ずしも明確ではないけれども、武石鑑定書によれば、心筋梗塞の場合血清アミラーゼ値は上昇しないとされている。そして、痛みの部位についても、心筋梗塞の場合は心窩部、胸部、胸骨後面に激痛があり、左肩、腕、首に放散することもあるのに対して、同女の痛みの部位は、心窩部を中心にしていたけれども、下腹部にかけても痛みを訴えていたものである。

以上のことから、同女の二月六日以降の疾病を心筋梗塞であり、これが死因であると認めることはできないというべきである。従つて、この点に関する弁護人の見解は採用しない。

第五本件鉗子遺残行為と本件死因との関係

検察官は、被告人が本件手術の際に本件鉗子を遺残したことにより、この鉗子が絶えず見尾マサミの膵尾部に機械的な刺戟を与えたため急性膵臓炎(膵臓壊死)を惹起させた旨主張するので、以下、この点について検討する。

一  急性膵臓炎(膵臓壊死)の発生原因

山形著書、槇著書、「今日の医学」及び武石鑑定書によれば、次の事実を認めることができる。

急性膵臓炎(膵臓壊死)の発生原因については、その発生機序の詳細が未だ解明されていないことと相俟つて未だ明確にされていないが、経験則上この原因としては、膵管閉塞による膵管上皮の断裂、種々の血行障害、細胞毒、細菌感染、外傷アレルギーなどが考えられており、また、外傷の例としては、腹部手術による膵臓に対する侵襲が挙げられ、この手術後の急性膵臓炎の発生も珍らしくなく、約一〇パーセントあるとの文献もある。そして、このような手術後の膵臓炎は、経験上、胆道系手術と胃切除術後に起こることが最も多いとされている。これに関するアンダーソンらの実験報告によれば、膵体部に対する外傷のみでは重症な膵臓炎は起こらないが、膵管狭窄又は閉塞、あるいは局所の循環障害の基盤上に膵臓に対し外傷を加えれば重篤な膵臓炎が起こるという。また、膵臓実質及びその周囲組織に外傷を与えた場合、これに伴なつてその局所に浮腫、膵管閉塞、循環障害等が起こることは容易に考えられるとの文献もある。

二  人体における膵臓の位置

被告人の検察官に対する昭和四八年八月二二日付及び同月二七日付各供述調書、第六回公判調書中の証人山中啓明の供述部分、八十島尋問調書ならびに井上舜友の検察官に対する同月二五日付供述調書によれば、人体における膵臓の位置は、通常第一腰椎の付近で、大部分が胃に隠れ、しかも後腹膜の後に固定されており、その左側に脾臓があつて、膵尾部は脾門部にまで達しないこともある。なお、脾臓の下方に下行結腸がある。

三  本件手術後の見尾マサミの諸症状

石田調書、第八回及び第九回各公判調書中の証人浜野哲男の供述部分、見尾良男の検察官(同四六年三月一日付及び同年九月七日付)及び司法警察員に対する各供述調書、見尾れい子の検察官(同年三月一日付)及び司法警察員に対する各供述調書、井上舜友の検察官(同年九月一三日付)及び司法警察員に対する各供述調書、浜野哲男の検察官(同年三月一八日、同年九月一四日付及び同四八年八月一三日付)及び司法警察員に対する各供述調書、医師池田健次郎作成の「翻訳嘱託について回答」と題する書面ならびに押収してある診療録二通(同四九年押第三七号の5)、レントゲン写真二枚(同押号の25、27)及び診療録一通(同押号の29)によれば、次の事実を認めることができる。

見尾マサミは、本件手術後の約二週間寝たきりの状態であつたが、その間付添の五女見尾れい子に対し、何度も左脇腹から背中辺をさすりながら「この辺が痛いのよ。」と痛覚を訴えていたが、この痛みはそれ程激しいものではなかつた。その後、見尾マサミは見尾れい子の肩に掴まりながら用便等に歩いていくようになつたが、歩く時前のめりになるので、同女が真直ぐ立たせようとすると「痛いから。」といつて前のめりになつてよちよち歩いていた。また、このように歩くようになつてから退院する少し前までの間痛みが持続していたので、医師の指示により左脇腹から背中にかけて巾二、三〇センチメートル、長さ三、四〇センチメートルの湿布をしていた。しかし、このように湿布をするようになつてからも、布団を背にしてベツドに座ると「痛い、痛い。」といつて何分も座つておらず寝てしまつた。また、見尾マサミは、右退院するまでの間右れい子に対し、脇腹を手で押えながら「手でさわると痛いんだ。」と何度か言つた。

見尾マサミは、同年九月六日退院したが、急性肺炎に罹患し、同月九日から同月二九日まで町立中標津病院に入院し、医師石田一雄の治療を受けた。その間同医師も同女の左側腹部に圧痛の存することを認めている。

同女は、退院後夫の良男に対し、背中を手でさわるようにしながら「何か硬いものがある。」と訴えたことが二、三回ある。

同女は、同年一〇月一日、市立病院において、井上医師の診察を受けたが、その際、同医師に対し、「軽度の嚥下障害、心窩部に重圧感がある。手術痕の部分に圧痛がある。」ことを訴えたので、同医師は、心窩部の重圧感については、手術部位からみて、手術後このような感じを持つことがあるので、特に問題にすることはないと考え、そしてX線写真撮影をしたところ、本件手術を実施したにもかかわらず、なお食道下部の狭窄像を認めたので、同女に対し一ヶ月後に再度診察を受けにくるように指示をした。

同女は、その後自宅において茶碗洗い等の軽い家事にたずさわり、これ以外格別な仕事もせず、療養生活をしていたものであるが、重い物を持ち上げようとした時とか、前かがみになろうとした時に、臍の下とか腰の少し上辺を押えて「痛い」と言つて、その動作を中途で止めてしまつたことが幾度かあつたが、医師の治療を受けるほどのことではなかつた。このようなことから、同女は、次第に重い物を持たなくなり、また、前にかがむ時にはゆつくりとした動作でするようになつた。

同女は、同年一一月五日、市立病院で医師浜野の診察を受けたが、その際、手術痕部に圧痛がなかつたけれども、右部位からやや離れた左下腹部付近に軽い圧痛があつた。

同女は、同四五年一月七日、市立病院で医師井上の診察を受けたが、その際、同医師に対し、「飲み込む時支える感じがまた強くなつて、水と一緒に飲まないと落ちていかない。腹のあちこちが時々痛む。」と訴えたので、同医師が左脇腹を押すと、同女は、非常な痛みを訴えた。同医師は、この痛みは手術後の癒着によるものと判断し、レントゲン写真(同押号の27)を撮影して、これと前年の一〇月一日に撮影したレントゲン写真(同押号の25)とを対比してみたところ、食道下部の狭窄状態が悪化していたので、食道癌または噴門部癌の疑いを抱き、同女に対し再入院するように指示した。

そこで、同女は、同四五年一月九日入院する予定にしていたが、四女啓子の出産の手伝のため、同月三〇日まで中標津町所在津村医院に行つていたので、予定どおり入院することができなかつたが、予定を変更して、同月下旬か二月上旬に入院することにして、その旨同医師に連絡した。

同女は、同月五日午前一一時ころ、四女啓子の看護を終り帰宅したが、特に変つた様子もなく、自宅で休んでいたのであるが、翌六日午前八時三〇分ころ、先に認定したとおり、腹部激痛を訴え、町立中標津病院に運び込まれるに至つたものである。

四  見尾マサミの焼骨中に存した本件鉗子の位置関係

八十島第一鑑定書、八十島尋問調書、斉藤鑑定書、司法警察員作成の実況見分調書及び司法巡査作成の「事件現場写真記録の作成について」と題する書面によると、次の事実を認めることができる。

見尾マサミの焼骨を乗せた窯台は、長さが一・八メートル、巾〇・六メートルであり、この窯台の北側から南側に頭蓋骨、胸骨、上腕骨、腰椎、腸骨、脛骨、足骨等の焼骨が順次みられ、この焼骨の中に本件鉗子が存し、これは、先端を頭の方にほぼ垂直状に向けて左第一〇または第一一肋骨の背側部の上にあり、柄が足の方に向い、その輪状部の一方は第三腰椎の横突上に、他の一方の輪状部は右腸骨に連続する坐骨の破片の上に乗つている。そして、右鉗子の先端から下顎骨まで一六センチメートル、窯台の北側端まで四七センチメートル、西側端まで二九センチメートル、東側端まで三六センチメートルの位置にある。また、右鉗子の先端の湾曲部分は、右焼骨の背部方向に向いていたものである。ところで、右焼骨中の本件鉗子の位置関係は、生前同女の体内における位置関係とは必ずしも一致するものではない。なぜならば、火葬時のいろいろの影響(腹部燃焼の際の軟部組織の焼失による右鉗子の移動、火葬による骨の歪及び短縮など)によつて、右鉗子が生存中の位置関係から多少ずれたり、移動する可能性があるからである。

五  本件鉗子の腹腔内における移動可能性

本件鉗子が、生前見尾マサミの腹腔内にあつて、仮に移動したものであれば、その結果、膵臓に機械的刺戟を与えた可能性も考えられるので、以下、この点について検討する。

1  斉藤鑑定書によれば、本件鉗子は、当初は同女の運動などにより安定性のある位置に移動するが、人体の防禦反応として、腹腔内では癒着現象が起こるから、本件手術後四七日を経過した昭和四四年一〇月一日の本件レントゲン撮影日以降は、ほぼ同一場所に存在していたものと考えられる旨の記載が認められ、槇鑑定書及び槇尋問調書によれば、元来吸収され難い異物が人体内に滞留する場合は、感染がなければ、比較的早く結合織によつて包被され、他の臓器と境されて、その治癒の状態で経過するものであり、特に大網近くにあるときはそうなりやすく、かつて経験した事例として、体内に止血鉗子を遺残して三週間目に発見した際、これが既に大網膜でびつしりと包まれていた旨の記載が認められ、さらに、杉江調書によれば、本件鉗子はその周りに組織ができて固定される旨の記載が認められ、石田調書にも、これとほぼ同じ趣旨の記載が認められるほか、第六回公判調書中の証人山中啓明の供述部分によれば、同人は、体内に異物が入れば、その瞬間から繊維化が進み、一、二か月位か、或いはそれ以内に固定化するとの見解を示していることが認められ、第九回及び第一〇回各公判調書中の証人浜野哲男の供述部分には、腹腔内に異物が入ると、まず大網がきてこれを覆い、約一か月もすると固定化し、ほとんど動かなくなる旨の記載が認められ、そして第一一回及び第一二回各公判調書中の被告人の供述部分ならびに被告人の検察官に対する昭和四八年八月二七日付供述調書には、腹腔内での本件鉗子は強固に補強され、また脾臓部分が腹膜に癒着した可能性が強く、しかも脾屈曲部と横隔膜との間には靱帯があつて、本件鉗子を固定化させていると思う旨の記載が認められる。

2  一方、武石尋問調書によれば、本件鉗子は全く動かなかつたとは考え難く、腸の蠕動運動や体動によつて少しずつ動く可能性がある、但し、著しく、例えば体の反対側に移動するなどということはないとの記載が認められ、八十島尋問調書においても、本件鉗子は腹腔内で固定されたものでなく、本件レントゲン写真撮影日(昭和四四年一〇月一日)以降も、姿勢、呼吸運動等によつて、ある程度動き得る。そして、胃、腸及び脾臓は可動性があるから、他の臓器をやぶらなくとも、直接膵臓を刺戟することはあり得たと思うし、また腸を介して間接的に刺戟したこともあり得たと思う旨の記載が認められる。

3  以上の各鑑定人等の見解を基に考察するに、本件鉗子は、腹腔内において比較的早く結合織によつて包被され(癒着現象)、同一場所でほぼ固定化するとの趣旨の見解が多く、本件全証拠によつても右見解を積極的に排除することはできないことから、結局、本件鉗子が生前同女の腹腔内にあつて移動性を有していたと断定することはできず、当裁判所もこの見解に従うものである。なお、検察官は、同四四年九月一日(同四九年押第二七号の23、24)及び同四五年一月七日(同押号の27)撮影の各レントゲン写真に、本件鉗子の陰影がいずれも出ていないのは、身体の移動によつて本件鉗子が位置を変えたためであるとし、これを根拠に、本件鉗子が移動し得るものと主張するが、それらの写真は、本件レントゲン写真と全く同じ部位を、同じ方向から撮影したものではなく、本件レントゲン写真が最も身体の外側まで撮影されていることからみると、他のレントゲン写真の場合は、そもそも本件鉗子を写し出し得ない場所を撮影したために、本件鉗子の陰影が写し出されなかつたものと考えることもでき、検察官主張の理由のみから、本件鉗子が移動性を有していたと考えることはできない。

六  遺残されていた本件鉗子と死因との因果関係に関する鑑定人の諸見解

1  八十島第一鑑定書

右鑑定書には、「見尾マサミの焼骨の中に存する本件鉗子の位置からみて、本件鉗子は、恐らく脊柱の左側で先端を上、把持部を下にしていたものと考える。そして、本件レントゲン写真(昭和四九年押第二七号の25)からみて、本件鉗子は、恐らく腹腔内にあつて、その後壁に近く、ほぼ垂直にあつたもので、先端は多分脾門部あるいは膵尾部にあつたと推測される。」旨の記載があり、本件鉗子が生前見尾マサミの膵臓を刺戟し得る位置にあつたことを前提にしたうえで、さらに、「膵尾部に対して本件鉗子による絶え間のない機械的刺戟が加わつていたとすれば、ここに組織の循環障害や変性あるいは炎症が起こつて、膵臓炎や膵臓壊死が起こつた可能性も否定できない、すなわち、本件鉗子は、見尾マサミの膵臓炎発病に関係がなかつたとはいえない。」旨の記載があり、本件鉗子の膵尾部に対する機械的刺戟によつて、急性膵臓炎(膵臓壊死)の惹起されたことを肯定しているのである。但し、八十島尋問調書には、多少右と異なり、概要次のような記載がある。すなわち、右レントゲン写真のみからは、直ちに本件鉗子の位置関係は出てこない、本件鉗子は、固定化されているものではないから、膵尾部を刺戟し得る場所にあつた可能性はあると思うというのである。

2  斉藤鑑定書

右鑑定書には、概要次のような記載がある。

本件レントゲン写真上の本件鉗子の位置から、本件鉗子は、ほぼ垂直状に先端を上方に向けており、その先端部は第一一胸椎の左方の後腹壁に近いところに存していたものと推測される。

次いで、右推測を基にして、本件鉗子と同じ長さのケリー鉗子を使用して、他の解剖死体の腹腔内で検査してみたところ、鉗子の先端部は脾門部から膵尾部付近に達し、個人差を考えても、本件鉗子の先端は、脾門部ないし膵臓体部から膵尾部付近(水平断面では大体第一一胸椎部の左方)をはずれることはなさそうである。また、右レントゲン写真から判明し得ない右鉗子の先端部の曲り方の点であるが、通常の使用法では、先端が後方(背部)に向つている形で使用されるものであるので、その形のままで腹腔内にあつたものとすれば、右鉗子が膵臓に接触する可能性はより高くなるものと推測されるが、これはあくまで仮定の問題である。また、見尾マサミの腹腔内に右鉗子の入つた日時は、本件手術時と考えられるが、この時から昭和四四年一〇月一日のレントゲン撮影時まで約四七日を経過しており、さらに発病日である同四五年二月六日まで約一二八日も経過しているので、この間右鉗子が常に同一の位置にあつたとは考えられないが、本件手術時に腹腔内に入つた右鉗子は、同女の運動などによつて、より安定性のある位置に移動し、また人体の防禦反応として腹腔内では癒着現象があることから考えて、四七日間経過すれば、同女がよほどの激しい運動をしない限り、大体同一位置に安定しているものと考えて差支えないように思われるので、右レントゲン写真撮影日以降右発病日まで、ほぼ前記の推測位置付近に存在していたものと考えられる。このように右鉗子の先端部が膵尾部に接触していたものとすると、同女の膵臓に右鉗子によつて機械的刺戟が加えられたことは想像に難くない。また、この機械的刺戟は、同女の姿勢の移動などによつて間歇的ないし持続的なものであろうと思われる。このような刺戟が膵臓に循環障害、非細菌性炎症あるいは退行変性等を惹起させる可能性が考えられ、次いで、これらの病変が膵臓壊死を起こさせる可能性も否定できないように考えられる。膵臓壊死の病因については、いまなお不明な点が多くあることは事実であるが、そうであるからといつて、機械的刺戟が壊死を起こさせないとはいえないように考えられる。

3  武石鑑定書

右鑑定書には、概要次のような記載がある。

本件手術が行なわれた同四四年八月一五日以降の見尾マサミの体動時あるいは局所圧迫時に反復して起こつていた疼痛部位、同年一〇月一日市立病院で撮影された同女の本件レントゲン写真に存するケリー鉗子の位置、火葬時発見されたケリー鉗子の位置を総合して考えると、火葬時発見されたケリー鉗子は、同年八月一五日以降、その下端は第一腰椎左側の腹腔内に、先端は脾門から膵尾部付近に存在していた可能性が極めて大きく、又これによりその先端付近即ち脾門から膵尾部付近に対する機械的刺戟が同女の体動時あるいは局部圧迫時等に反復して加えられた可能性も極めて大きいといわなければならない。そして、膵臓壊死が発生するまでに、膵尾部付近の反復機械的刺戟による付近の循環障害、膵管通過障害等の下地ができていたところに、同四五年二月六日午前八時三〇分ころ前方にかがんだ途端に、膵尾部付近に加わつたと思われる最後の機械的刺戟をきつかけとして、重篤な膵臓壊死がはじまつたと推定する。このような推定は勿論多くの仮定を前提として進めてきたもので、あくまでも可能性の域を脱することはできないが、しかし、逆に本件においてケリー鉗子が、この膵臓壊死と全く無関係であると考えることは極めて不自然であり、且つこれを推論すべき何らの積極的資料もない。

4  槇鑑定書

右鑑定書には概要次のような記載がある。

本件鉗子は、下行結腸(ガス像から判断)の外側から脾臓の外側にかけて位置していたことが推定され、膵尾部からは離れている。仮に膵尾部に接触し得るような場所にあつたとすれば、本件レントゲン写真以外のレントゲン写真にも写つている筈である。従つて本件鉗子は膵臓とは関係がない。仮に本件鉗子の先端が膵尾部に接してこれを刺戟したとしても、これが死にいたる重症膵臓炎を発生せしめたとは考えがたいし、その可能性も極めて少ないと考える。

なお、外傷ことに膵断裂等により急性膵臓炎の起こることは日常しばしば経験されるが、腹腔内に滞留する異物が急性膵臓炎を惹起させたということは経験がないし、文献的にもそれを知らない。

5  山形鑑定書

右鑑定書には概要次のような記載がある。

本件レントゲン写真の鉗子の陰影は、第二腰椎以下の左腰部にみられるので、膵尾部より下方に存在しており、従つて、本件鉗子が膵臓を刺戟するような位置関係にはない。なお、これまで腹腔内の異物により急性膵臓炎の発生した症例は一切報告されておらず、本件鉗子と急性膵臓炎との関係は認め難い。

七  当裁判所の判断

1  急性膵臓炎(膵臓壊死)の発生原因については、その発生機序の詳細が未だ解明されていないことと相俟つて、未だ明確にされていない点もあり、また、本件の如く腹腔内に滞留した異物が膵臓を刺戟して急性膵臓炎(膵臓壊死)を惹起させたとする症例を報告した文献もみられないところであるが、前記認定したとおり、経験則上この原因としては、膵管閉塞による膵管上皮の断裂等の外に腹部手術による膵臓に対する侵襲の場合もあるというのであり、また、一部の実験報告によれば、膵体部に対する外傷のみでは重症な膵臓炎は起こらないが、膵管狭窄又は閉塞あるいは局所の循環障害の基盤上に膵臓に対し外傷を加えれば重篤な膵臓炎が起こるということであり、また、膵臓実質及びその周囲組織に外傷を加えた場合、これに伴なつてその局所に浮腫、膵管閉塞、循環障害等の起こることが容易に考えられるとの文献もある。そして、八十島第一鑑定書によれば、本件鉗子が膵尾部に対し絶え間のない機械的刺戟を加えていたとすれば、ここに組織の循環障害や変性あるいは炎症が起こつて膵臓炎や膵臓壊死の起こつた可能性も否定できないというのであり、斉藤鑑定書によれば、本件鉗子により膵臓に機械的な刺戟が加わつたとすると、これにより膵臓に循環障害非細菌性炎症あるいは退行変性等を惹起させる可能性が考えられ、次いでこれらの病変が膵臓壊死を起こさせる可能性も否定できないように考えられるというのであり、さらに、武石鑑定書によれば、膵尾部付近に対する反復機械的刺戟によりその付近の循環障害、膵管通過障害等が起こり膵臓壊死が惹起されるというのである。

以上の諸見解を総合考慮すれば、膵臓(膵体部及び膵尾部の両者あるいはそのいずれか一方のみの場合を指す。以下同じ。)に対し外傷を加えた場合、これに伴ないその局所に膵管狭窄又は閉塞、循環障害等の炎症が起こり、この基盤上にさらに膵臓に対し外傷を加えれば、急性膵臓炎(膵臓壊死)が惹起されるものと認めるのが相当である。従つて、検察官の主張する如く、仮に本件鉗子が生前見尾マサミの膵臓に機械的な刺戟を加えていたとすれば、これにより同女が本件死因となつている急性膵臓炎(膵臓壊死)に陥つたものと容易に推認し得るところである。弁護人は、膵尾部に対する機械的な刺戟が急性膵臓炎の原因をなしたとの症例がないこと、また、腹部手術時膵臓に刺戟を加えたり、これに病変のある場合、膵臓被膜の切除、一部膵臓組織の試験切除等をするが、これにより急性膵臓炎(膵臓壊死)の惹起されたことがないことを理由に、本件鉗子が同女の膵臓に機械的な刺戟を加えたとしても、右疾病に陥ることはない旨主張するので検討するに、先ず、弁護人主張の前者の理由であるが、これについては山形鑑定書においても、これまで腹腔内の異物により急性膵臓炎の発生した症例が一切報告されていないことを理由に、本件鉗子と急性膵臓炎との関係は認め難いということを指摘しているところであるが、腹腔内の異物により膵臓を刺戟した例がありながら、なおかつこれにより急性膵臓炎(膵臓壊死)を惹起させた例がないというのであればともかく、単にこれまで腹腔内の異物により急性膵臓炎の発生した症例が一切報告されていないということのみでは、前記当裁判所の判断を左右することにはならないというべきである。

次に、弁護人主張の後者の理由であるが、手術時における膵臓に対する刺戟の場合には、通常これに対し事後適切な処置がなされると考えられるのであるから、これと本件とを同断に論じることはできないというべきであり、従つて、この点も当裁判所の前記判断を左右することにはならないというべきである。なお、槇鑑定書によれば、仮に本件鉗子の先端が膵尾部に接しこれを刺戟したとしても、それが死に至る重症膵臓炎を発生せしめたとは考え難いし、その可能性も極めて少ないと考えるというのであるが、この見解は、前記各鑑定人の見解等と対比したとき、採用できないというべきである。

以上のとおり、この点に関する弁護人の主張は採用しない。

2  そこで、問題となるのは、本件鉗子が右の如く生前見尾マサミの膵臓に機械的な刺戟を与えたか否かという点であるが、これを解決するには、先ず本件鉗子が生前同女の腹腔内のいかなる位置に存したかを解明しなければならないので、以下、これについて検討するに、この点については、同女の焼骨中に存した本件鉗子の位置関係、レントゲン写真上に存する本件鉗子の陰影、同女の本件手術後死亡するに至るまでの諸症状等を総合して、これを判断しなければならないところ、これらの判断には高度の医学知識を必要とするものであるので、当裁判所としても、各鑑定人の見解を慎重に検討したが、その結果、本件鉗子は、昭和四四年一〇月一日(本件レントゲン撮影のなされた日)の時点において、下行結腸の外側から脾臓の外側にあつて、先端を頭の方に、把持部を下方に向け、ほぼ垂直ないしやや身体の外側に向けて存在していたと認めるのが相当と考えられる。

そうすると、右に認定した本件鉗子の位置関係のみから考察するに、人体における膵臓の位置関係は、前述したように通常第一腰椎の付近にあつて、その大部分が胃に隠れ、しかも後腹膜の後に固定されており、その左側に脾臓があつて、膵尾部は脾門部にまで達しないことがあるというのであるから、本件鉗子が膵臓に直接刺戟を与え得る位置関係にあつたと認めるには些か合理的な疑問が残るところ、ただ、同女は、本件手術後死亡するまでの約半年間、本件鉗子を腹腔内に留めたまま生活していたことからすれば、本件鉗子が、同女の右生存期間中、腹部臓器に何らかの影響を及ぼしていた可能性を全く否定することはできないといわなければならないが、しかし、右に認定した以上に、本件鉗子の位置関係の特定、とりわけ本件鉗子の先端湾曲部が身体のいずれの方向を向いていたのか、またこれが膵臓に刺戟を与え得る位置関係にあつたか否かについては、未だこれを確定するに足りる証拠がなく、そして、右日時以降、同女が死亡するに至るまでの間、本件鉗子が、既に検討してきたように、右の位置関係から移動したことを認めるに足りる証拠も十分でないといわなければならない。これに反し八十島第一鑑定書、斉藤鑑定書及び武石鑑定書は、本件鉗子が生前見尾マサミの膵臓を刺戟し得る位置関係にあつたとの見解を述べているが、右八十島鑑定書は、この記載自体からも明らかな如く、単なる推測的見解を述べているに過ぎず、本件鉗子による膵臓に対する刺戟可能性の点についても、あくまで仮定的見解を述べているに過ぎないものである。そして、八十島尋問調書によつてもレントゲン写真(昭和四九年押第二七号の25)から本件鉗子の位置関係を判断することは、被写体と光源およびフイルムとの位置関係によつてかなり微妙に変化するものであつて、右の如き判断をしたのは全く推測に基づいた見解である旨供述しているものであつて、以上のことから、本件鉗子の位置関係及びこれの膵臓に対する刺戟可能性についての同鑑定書の記載を全面的に採用することはできないものである。

次に、斉藤鑑定書についてであるが、斉藤尋問調書によれば、同鑑定書中この点に関する部分は、右レントゲン写真が前方から撮影したのではないかと判断して、本件鉗子の腹腔内における位置関係を推測・判断したものであるが、右レントゲン写真の見方については専門家でないので良く解らず、しかも右判断はレントゲン写真からの推測を基にして、他の解剖死体の腹腔内にあてはめたうえでの結論を記載した旨の証言をしているのである。そして、右レントゲン写真は、背腹第二斜位で撮影されたものであることは前記認定したところである。このように同鑑定書は、右レントゲン写真の見方を誤つて推測・判断を加えているものであるから、この点に関する同鑑定書の記載部分を全面的に採用することはできない。

次に、武石鑑定書についてであるが、武石尋問調書によると、同人は右鑑定書中の本件鉗子の位置関係についての記載部分につき、右レントゲン写真を鑑定資料として使用したのであるが、この見方については単に八十島第一鑑定書及び斉藤鑑定書の見解に従つたにすぎないものであり、自己の判断に基づいて位置関係を推測したものでないというのであるから、同鑑定書中のこの点に関する記載部分は、右八十島鑑定書及び斉藤鑑定書について述べたと全く同一の理由により、全面的にこれを採用することができないところである。

なお、右レントゲン写真を撮影した市立病院医師井上舜友は、本件鉗子の生前同女の腹腔内における位置及び膵臓等腹部臓器との位置関係につき、同人の検察官に対する同四八年八月二五日付供述調書において次の如き判断を加えている。すなわち、右陰影は、下行結腸付近に存し、その先端は脾臓の外側で脾臓の下端に近く、その下端は下行結腸の下端で、左の腸骨窩にあると思う。右レントゲン写真には、鉗子の引つかけ部分及び輪の部分が写し出されていないが、同女が体をひねりそれらの部分の出てこない状況で考えてみた場合、右鉗子の上端は、右に述べたより約二センチメートル上に行き得ると思う。その場合の先端は、脾臓の外側辺になると思う。反対に下端の方の誤差は、右レントゲン写真上にほぼ二条の線の交叉する部分が写し出されていることからみて、それほど考える必要はないと思う。また、レントゲン写真の撮影状況から同女の体のひねりを考えなければならないが、前屈・後屈の状況は考えなくてもよいと思う。仮に、右のような位置に本件鉗子があつたとしても、同女が前後左右に体を曲げたりしなければ、右鉗子が脾臓、膵臓その他の臓器を突いたり損傷したりする可能性は殆んどないと思う。但し、同女が前後左右に体を曲げたりした場合に、右鉗子の下端で腸骨窩のところまで届いていれば、腹部臓器を損傷する可能性がある。しかし、右鉗子がそこまで届かないで浮いていれば、腹部臓器を損傷する可能性は少ないと思う、というのである。しかし、右見解も単なる可能性の程度に止まるものである。

以上のとおり、検察官の本件主張を裏付ける各鑑定書等は、いずれも全面的に採用することができないものであつて、他に、本件鉗子が、見尾マサミの腹腔内にあつて膵臓を刺戟し得る位置関係にあつたとする検察官の右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

3  以上のとおりであつて、本件鉗子が生前見尾マサミの膵臓に刺戟を与えたか否かの点については、これを認めるに足りる証拠はなく、いずれも推測の域を出ないものというべきである。

なお、既に認定したように、見尾マサミが本件手術後痛みを訴えていたことは明らかで、当裁判所は、このような痛みが本件鉗子の刺戟によるものか、或いは手術後の手術部位の癒着によるものか、その他いかなる原因に基づくものであつたかを確定し難いが、少なくとも本件鉗子の影響による痛みが全くなかつたとはいえないし、これによる痛みもあつたと考えられるところである。しかし、このことは、当裁判所の以上のような判断に対し、積極的な妨げとなるものではないというべきである。そうだとすれば、本件公訴事実は、本件鉗子の存在と見尾マサミの死因との間に因果関係を肯定するにはなお合理的な疑問が残るといわなければならず、本件において、民事責任を追及することはともかくとして、前記疑問が合理的に払拭しきれない以上、疑わしきは被告人の利益に従うという刑事裁判の基本原則に照らし、右因果関係を認定することは些か躊躇せざるを得ないところである。

第六結論

以上のとおり、被告人の本件鉗子遺残行為と本件死因との間に因果関係を認めることができないといわなければならず、この点は、本位的訴因および予備的訴因の両者に共通するものであるから、これを肯定することができない以上、本件公訴事実は、被告人の注意義務違反の存否を含めて、その余の点についての判断を加えるまでもなく、結局のところ、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 野口賴夫 林豊 廣澤哲朗)

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