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金沢地方裁判所 平成6年(ワ)435号 判決 2000年4月20日

原告 A野一郎

<他6名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 鳥毛美範

被告 石川県

右代表者知事 谷本正憲

右訴訟代理人弁護士 山崎利男

同 下中晃治

右指定代理人 高森和雄

<他3名>

主文

一  被告は、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子に対し、各一八九八万九九七六円、原告C川花子、同A野松夫、同D原松子、同E田竹子に対し、各九七万五〇〇〇円及び右各金員に対する平成三年二月一四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  請求の趣旨

1  被告は、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子に対し各二〇五二万〇九八二円、原告C川花子、同A野松夫、同D原松子、同E田竹子に対し各二三八万五〇〇〇円及び右各金員に対する平成三年二月一四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二事案の概要

本件は、A野太郎(以下「A野」という。)等を乗せた自動車を運転していたA田竹夫が飲酒運転の疑いで取調べを受けた際、A野が現場にいた警察官から膝蹴りの暴行を受けたことにより、腸間膜断裂を生じて失血死したとして、A野の子ら及び兄弟姉妹らが、国家賠償法一条に基づき、右警察官を任用していた被告に損害賠償を求めたのに対し、被告において、右警察官による暴行を否認するとともに、A野の右腸間膜断裂の傷害は右取調べに先立つ交通事故により生じたものであるとして、暴行と死亡との因果関係を争っている事案である。

第三本件に至る経緯(証拠を掲記した事実以外は、当事者間に争いがない。)

一  当事者

原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子は、A野の子であり、原告C川花子、同A野松夫、同D原松子、同E田竹子は、A野の兄弟姉妹である。

被告は、普通地方公共団体であり、B野梅夫巡査を警察官(石川県警察本部交通部交通機動隊所属)として任用していたものである。

二  A野は、平成三年二月一三日(以下、特に記載しない限り、日付けはすべて同日である。)の夜、会社の同僚のA田竹夫、C山春夫、D川夏夫らと金沢市内及び石川県石川郡野々市町内のスナックで飲酒後、午後一〇時すぎころ、A田運転の自動車(以下「A田車両」という。)に他の二人とともに乗車し、野々市町本町一丁目のスナックの駐車場を出発した。助手席にはC山、運転席側後部座席にはA野、助手席側後部座席にD川が座っていた。

交通指導取締りの覆面パトカー(石川県警察本部交通部交通機動隊所属の無線番号石川四一九の車両。以下「四一九号車」という。)で警ら中だったE原秋夫巡査、A川冬夫巡査部長は、A田車両が右駐車場を発車直後から、同車の運転者の飲酒運転を疑い、停止を求めた。A田は、車を一旦停止させたが再発進させ、四一九号車は、赤色警光灯をつけ、サイレンを鳴らしてA田車両を追尾した。

A田は、午後一〇時一〇分ころ、野々市町高橋町方面から久安二丁目方面に至る道路途中の交差点を右折した先にある、金沢市久安三丁目方面から同一丁目方面に向かう左方に湾曲した道路(以下「本件道路」という。)を久安一丁目方面に向けて走行中、運転を誤り、A田車両は、右側車線方向に滑走し、久安二丁目二二〇番地付近の歩道縁石に乗り上げた後、車両前部を同所の街路樹に衝突させて樹木を折り、右前輪タイヤを破損して停止した(以下「本件交通事故」という。)。

三  本件交通事故発生後しばらくして、交通指導取締りの覆面パトカー(無線番号四二〇号の車両。以下「四二〇号車」という。)が、交通事故処理の応援のため、本件交通事故現場に到着した。四二〇号車には、B原二郎巡査、C田三郎巡査、B野巡査らが乗車していた(《証拠省略》)。

四  A野は、本件道路上で交通整理をしていたC田巡査、その付近にいたB野巡査らに絡んでいたところ、四二〇号車でA田の取調べをしようとしていたE原巡査がA野をなだめに行った。B野巡査は、いったんその場を離れたものの、E原巡査がA野を制止しているところに戻り、B野巡査、E原巡査、A野の三者でもみ合いになり、その後E原巡査が離脱して、B野巡査とA野が組み合った。二人が組み合っていた時刻は、午後一〇時三〇分ころだった(《証拠省略》)。

五  A野は、組み合っていた状態から、A川巡査部長に引き離され、歩道の端の方へ移動して、大きく息を吐きながら、しゃがみ込んだ。その後も、歩道脇の塀にもたれて座り込んでいたため、いったん四二〇号車の後部座席に乗せた後、さらにA田車両の後部座席に移動させた(《証拠省略》)(なお、右の四、五記載のA野に係る経過を、以下「本件事件」ともいう。)。

六  その後、A川巡査部長は、A田車両内で「痛い、痛い。」ともがいているA野を発見し、同車を運転して、有松中央病院に搬送した(《証拠省略》)。

A野は、医師の診察を受けた午後一一時二五分ころ既に心停止、呼吸停止の状態で、翌一四日午前〇時一五分、死亡した。死因は、解剖の結果、「腹部打撲を原因とする二か所にわたる腸間膜断裂に起因した腹腔内出血による脱血性ショック死(失血死)」と判明した(《証拠省略》)。

七  原告C川、同A野松夫、同D原、同E田らは、B野巡査の膝蹴りにより、A野が腸間膜断裂等の傷害を負って失血死したとして、金沢地方裁判所に対し、右事件の付審判請求(刑事訴訟法二六二条)をした。金沢地方裁判所は、平成六年一〇月一八日、右請求について、付審判決定(刑事訴訟法二六六条二号)をした(以下、右付審判決定によって公訴提起とみなされた刑事事件を「付審判事件」という。)(甲六)。

第四争点及び争点にかかる当事者の主張

一  B野巡査のA野に対する膝蹴り行為の有無

(原告ら)

B野巡査は、午後一〇時三〇分ころ、A野に数回、故意による膝蹴りの暴行を加えた。

(被告)

B野巡査は、抵抗するA野の体に覆い被さって押さえ込んだにすぎず、A野に故意に膝蹴りの暴行を加えた事実はない。仮に、B野巡査の膝がA野の腹部に当たったとしても、せいぜい過失で、一、二回に止まる。

二  B野巡査の膝蹴りと腸間膜断裂との因果関係の有無

(原告ら)

A野の失血死を引き起こした腸間膜断裂は、午後一〇時三〇分ころのB野巡査の膝蹴りによって生じたものである。

(被告)

A野の腸間膜断裂は、午後一〇時三〇分ころに生じたものではない。むしろ、午後一〇時一〇分ころの本件交通事故の際、A野が腹部を助手席シート後部等にぶつけたことによって生じたものである。

三  損害

(原告ら)

1 葬儀費用

A野の葬儀費用は、兄弟姉妹たる原告C川、同A野松夫、同D原、同E田が四等分で負担し、少なくとも一五〇万円につき相当因果関係がある。

2 逸失利益

A野は、平成二年五月一〇日から株式会社D野建設に勤務して給与収入(日給月給制)を得ており、平成三年二月一三日まで(二八〇日間)の総額は、二〇八万五八〇二円であった。これから一年間(三六五日)の給与収入額を算定すると、二七一万八九九一円となる。生活費割合を三〇パーセント、四〇歳の新ホフマン係数一六・八〇四を乗じると、逸失利益損害は、三一九八万二九四七円となる。

A野の死亡により、子である原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子が、右損害に係るA野の損害賠償請求権を、法定相続分に応じて各三分の一宛相続承継した。

3 慰謝料

原告らは、A野が一時間四五分間も肉体的、精神的に苦しみ死線をさまよった末死亡するに至ったこと、原因が警察官の膝蹴り暴行という本来ありえない事態によること、元気な状態から突然死に追いやられたことなどのために、精神的に極めて甚大な苦痛を被った。のみならず、被告が潔く責任を認めず、徒に係争を続けていることによって、精神的苦痛を深めている。

かような精神的苦痛を慰謝するには、A野の子である原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子には少なくとも八〇〇万円あてが、A野の兄弟姉妹である原告C川、同A野松夫、同D原、同E田には、少なくとも一八〇万円あてが認められるべきである。

4 弁護士費用

原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子らは被告に対し各一八六六万〇九八二円を、原告C川、同A野松夫、同D原、同E田らは被告に対し各二一七万五〇〇〇円を請求しうるところ、被告が任意に支払わないため本訴代理人に本訴提起、追行を委任したものであり、弁護士費用として、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子らについては各一八六万円、原告C川、同A野松夫、同D原、同E田らについては各二一万円の損害が認められるべきである。

(被告)

1 1のうち葬儀費用の負担者、負担割合は知らない。その余は争う。

2 2のうちA野が株式会社D野建設に勤務して給与収入を得ていたこと、三人の子らが法定相続したことは認めるが、その余は不知ないし争う。

3 3、4は争う。

四  過失相殺

(被告)

1 A野は、本件交通事故の後、A田に対する酒気帯び運転等の捜査を妨げ、立件を断念させるなど不法な目的で、右捜査に当たった警察官らを口汚く罵り、E原巡査の足を蹴る、身体をこづく、B野巡査の身体をこづくなどした。さらに、大声で怒鳴りながらB野巡査の方へ向かおうとしたため、E原巡査がA野の身体を抱き止めて制止しようとしたが、E原巡査を振りほどこうと上半身をもがいたり、強引にE原巡査を引きずって前方へ進もうとしたりした。

かかるA野の行為は、公務執行妨害罪に該当する。B野巡査は、E原巡査に対する身体の危険を除去するとともに、A野の妨害行為を排除して速やかにA田に対する捜査を終え、道路交通の支障を回復するため、E原巡査と協力し、A野を制止すべく、その上体を上から押さえつけたものである(警察法二条、警察官職務執行法五条による実力行使)。

2 A野は、なおB野巡査の身体を押し返すなど抵抗を続けたため、かかる抵抗を制圧するには、より強度の強制力が必要だった。仮にB野巡査の制止又は制圧行為に行き過ぎがあったとしても、右行為を招いた原因がA野の悪質な捜査妨害にあったことは明らかである。仮にB野巡査の膝ないし大腿部がA野の腹部に当たったことがあったとしても、過失で一回程度にすぎないことを考慮すると、過失相殺が認められるべきである。損害賠償額を定めるに当たり、七割の過失相殺を行うのが相当である。

(原告ら)

1 A野は、暴力は全く振るっていない。E原巡査の足を蹴ったのも、足の脛をかすめる程度のが一回だけであり、公務執行妨害にもならない。

B野巡査の数回の膝蹴りは、A野とB野巡査の最初の口論が済んだ後、いったんはA野のそばを離れたB野巡査がわざわざ戻ってきて、いきなり加えたものであり、私憤によることが推認できる。その実質は公務の遂行ではない。

2 B野巡査の暴行は、数回の膝蹴りという極めて危険な行為であり、警察法二条、警察官職務執行法五条の行為の範囲を明らかに超えている。

3 過失相殺の法理は、対等な市民間の紛争について、公平な観点から被害者側に落ち度のある場合に、これを斟酌するものである。本件は、加害者が現職の警察官であって対等な市民間の紛争でない上、その加害行為は、無防備の市民に対する数回の膝蹴りという危険なものである。

そもそも故意による不法行為の場合、過失相殺は行われるべきでない。仮に行われるのであっても、被害者の過失によって損害が著しく拡大したような場合に限るべきである。

第五争点に対する判断

一  B野巡査のA野に対する膝蹴り行為(以下「本件暴行」という。)の有無

1  本件交通事故後A野の死に至るまでの事実経過は、次の(一)ないし(一六)のとおりであると認められる(認定の根拠となる証拠は、各括弧内に記載したとおりである)。

(一) 四一九号車は、本件交通事故の直後、その現場に到着した。E原巡査とA川巡査部長は、本件道路上の久安一丁目方面に向かう進行車線上に四一九号車を停止させ、すぐA田車両に駆け寄り、E原巡査が運転席にいたA田に対し、なぜ逃げたのかなど質問を始めた(《証拠省略》)。

C山とA野は、すぐさまA田車両から降りて、興奮した様子で、「パトカーが追いかけたから事故になった。どうしてくれる。」など口々に文句を言い、A川巡査部長にくってかかった。E原巡査は、A野らをなだめようと、左手をA野の肩付近にあて、まあまあというような動作をしたが、A野は、いきなりE原巡査の左足臑付近を蹴ってきて、靴の表面をかすめた(《証拠省略》)。

A川巡査部長が引き続きC山とA野をなだめる一方で、E原巡査は、A田に早く降りるよう促していた。E原巡査は、歩道の街路樹が押し倒され、歩道中心部の植帯の上にエンジン下部が乗りかかって、火を吹く危険があると判断し、A田車両を移動させることにした(《証拠省略》)。

(二) そのころ、四一九号車から応援要請の無線連絡を受けていた四二〇号車が本件交通事故現場に到着した(《証拠省略》)。

E原巡査は、四二〇号車から降りてきたB野巡査に、本件交通事故の状況を説明した後、E原巡査、B野巡査、C田巡査らでA田車両を移動させることにした(《証拠省略》)。E原巡査がA田車両を運転、B野巡査とC田巡査が交通整理をして、A田車両を歩道からどかせ、久安三丁目方面の本件道路上に約二〇メートル移動させた。このときB原巡査は、四二〇号車をA田車両の後ろに移動させた(《証拠省略》)。

このころA川巡査部長は、C山とA野を四一九号車に乗せてしばらくなだめた後、A田の取調べをするから外に出るよう求めていた。A野は、このとき同車から降りた。C山は、いったん降りたもののすぐに戻り、いったん降りたA川巡査部長も再び助手席に乗り込んだ(《証拠省略》)。

(三) A田車両の移動が済んだ後、A田は、E原巡査に取調べをするからと促されてA田車両から降り、B野巡査の指示で四二〇号車の後部右側座席に座った。B野巡査は、飲酒検知等の準備のため、同車内でA田にうがいをさせ、待機していた(《証拠省略》)。

(四) 一方、四一九号車では、A川巡査部長が助手席から、首を右に振るように右半身の格好で、後部座席のC山に説諭を続けていた(《証拠省略》)。

C山は、A田の取調べを四一九号車でしようと同車の様子を見に来たE原巡査に対し、A田を四一九号車に呼んでくるよう頼み、E原巡査は、A田を四二〇号車に呼びに行った(《証拠省略》)。B野巡査も、A田と同時に四二〇号車から降りた(《証拠省略》)。

(五) そのころA野は、四一九号車から降りた後、付近で交通整理をしていたC田巡査に近寄り、「車をどうしてくれるんや。」など大声で文句を言っていた。C田巡査は、「危ないから歩道の方へ行っといて。」など言い、相手にしなかった(《証拠省略》)。

B野巡査は、A野がC田巡査に絡んでいるのを見て、同人らの方に近寄っていった。A野は、歩道上のB野巡査に近づきながら、「車どうしたんや。」など大声で怒鳴りつけて絡み始めた(《証拠省略》)。

(六) C田巡査がA野に絡まれている間に、本件道路では、両方向から車が来て止まっていた。C田巡査が、久安一丁目方向から来た車の運転手にバックするよう指示すると、同車は久安一丁目交差点の入口付近まで約三〇メートルバックした(《証拠省略》)。

(七) そのころE原巡査は、A田を連れて四一九号車の後部左側ドア付近の車外で、後部座席にいたC山を交え、再度、酒気帯び運転と酒酔い運転の違いをA田に説明し、取調べを始めようとしたところ、対向側の歩道の方から大声がした。見ると、B野巡査とA野が、対向側歩道の植栽の切れた辺りで、正対していた。B野巡査は、少し足を開き、両手を下げた状態、A野は前屈みの状態で、二人の間隔はせいぜい三〇センチメートル程度であった(《証拠省略》)。

E原巡査は、両名のところに駆けつけ、A野の方を向く体勢で間に割って入り、手のひらを広げ、A野の胸付近の高さに構え、A野をなだめようとした。その機にB野巡査は、いったんその場を離れようとした。A野は、B野巡査の後を追おうとして、E原巡査の右横を押しのけてさらに前進しようとした。E原巡査は、A野の脇の下に手を入れ、右腕でこれを遮ろうとしたが、A野は抵抗し、E原巡査の腕ごと前に出ようとして、E原巡査は右回りに回転するような状態になった。E原巡査は、A野を進ませぬよう、さらに左腕をA野の背中、左脇から胸ないし腹に回し、巻き付けて右横から抱え込むようにしてふんばり、「暴れたらだめや。」などと言って制止した。E原巡査は、A野の背中に右耳辺りを押しつけ、首から上は左を向いている状態であった(《証拠省略》)。

(八) B野巡査は、E原巡査の声を聞いて、A野とE原巡査のところに引き返した(乙二五)。B野巡査は、E原巡査の右横から、E原巡査とA野を押さえ込むような力をかけてA野の背中を押し、A野は、腰を折ってお辞儀するような格好で上半身が前屈みになった。A野がE原巡査を振りほどこうと、二、三回左右に揺れた時、固いもの同士がぶつかったような「ゴツーン」とした感触がA野の背中を通じてE原巡査に伝わってくると同時に、A野の力が弱くなり、E原巡査が離脱した(《証拠省略》)。

離脱した後、E原巡査が見たB野巡査は、A野を上から押さえ、両手をA野の背中に乗せ、押さえ込むような姿勢であり、A野は、B野巡査の腹部付近に頭をつけ、顔は下向き、前屈みに腰を曲げていた(《証拠省略》)。

(九) A川巡査部長は、四一九号車内で、助手席から右後方を向く姿勢でC山に説諭していたところ、午後一〇時三〇分ころ、四一九号車の右後ろドアのガラス越しに、対向側歩道上で、A野が両手でB野巡査の胸あたりを抱え、ラグビーのタックルのような格好で押し、B野巡査が後ずさりしているのを見た。A川巡査部長は、C山に少し待っているよう言い残し、四一九号車から飛び出して、B野巡査とA野のところに駆けつけ、A野の方を向く態勢で、B野巡査との間に身体を入れて両者を引き離し、B野巡査に飲酒検知するよう命じた(《証拠省略》)。

A野は、ハーハーと肩で大きく呼吸し、A川巡査部長が「今から調べするがにどんなんや。」と問いかけても返事をしなかった。大息をしてA川巡査部長に寄りかかってくる状態で、A川巡査部長は、A野の両肩を両手で押さえていた。A野は、A川巡査部長とともに、二、三歩歩道の端に移動し、息をうーんと吐いて、その場にしゃがみ込んだ(《証拠省略》)。

(一〇) B野巡査は、A野から引き離された後、四一九号車の方へ向かった。A川巡査部長も四一九号車に向い、同車内のC山に降りるよう言った。C山は、A田に、調べに応じるよう言って、同車から降りた。A川巡査部長は、E原巡査に、A田の取調べをするよう指示した(《証拠省略》)。

四一九号車内では、E原がA田に、「今、殴り合いになりそうだったのを止めに入ったら左手の薬指を怪我した。警察官といってもいろんな人がいるのだから、おとなしくしとる人ばかりじゃないんぞ。」などと話しかけ、左手薬指を示していた。そこにB野巡査が助手席に乗込んできたところ、E原巡査は、B野巡査にも、「B野さん、いつもおとなしい人が頑固なことするね。」と言うと、B野巡査は、「何もしとらん。」と言ったので、さらにE原巡査は、「今ので手を怪我したがいね。」と言って、左手を右手で押さえて見せた(《証拠省略》)。

その後、B野巡査とE原巡査らは、四一九号車内で、A田の呼気検査や質問検査等を実施した。質問検査を開始したのは、午後一〇時三三分ころだった(《証拠省略》)。

(一一) 前記(九)の後、A野は、頭を前屈みにして、歩道脇の塀にもたれてしゃがみ込んだままであった(《証拠省略》)。

一方、A野から一〇メートルほど離れた所にC山や警察官らがおり、E原巡査も、取調べに用いる飲酒検知カバンと水筒を取りに、四一九号車のトランクに行くところであった(《証拠省略》)。E原巡査は、D川を見かけ、「君は冷静そうやから話すけど、わしが止めに入ったら、手を蹴られて突き指したんや。」など話しかけた(《証拠省略》)。

ちょうどそのころ、C山は、しゃがみ込んでいるA野に気づき、「この寒いのに、外に座らせといてどんなんや。」と怒鳴った。これを聞いて、A川巡査部長とD川が駆け寄り、C山は、D川に、A野を車に乗せるよう命じた。A野の腕を持ち上げるようにして起こすと、A野は自力で立ち上がり、D川が肩を組むようにすると、自力で足を左右に出して五メートルほど歩き、四二〇号車の後部座席に乗った(《証拠省略》)。A野は、車に乗る時、「腹が少し痛いんや。」と訴えていた(《証拠省略》)。

(一二) A野は四二〇号車の後部座席で、横たわったり座ったりしていた。B原巡査は、A野が四二〇号車内で嘔吐したら困ると思い、D川に、A野をA田車両に移すよう指示した。D川は、A野と向かい合った状態で、両腕で前に抱えて持ちあげ、B原巡査、C田巡査らとともに、A田車両の後部座席に寝かせた。右の際、A野は、五メートルほどの距離を自分の足で歩いているように見えたが、A田車両に入れる時には、眠っているようにも見えた(《証拠省略》)。

その後、B原巡査、C田巡査、D川らは、パンクしていたA田車両の右前輪タイヤ交換の作業に取りかかった(《証拠省略》)。

(一三) 一方、A川巡査部長は、D川が四二〇号車にA野を乗せたのを見届けた後、A田の取調べをしている四一九号車に向かい、C山もこれを追いかけるように、両者とも四一九号車に乗り込んだ(《証拠省略》)。

四一九号車では、E原巡査が交通切符の免許証写し欄を記載しており、B野巡査もまもなく鑑識カードの作成を終えた。鑑識カード作成終了時は午後一〇時四〇分ころだった。B野巡査は、飲酒検知管検知結果濃度表の確認欄にA田に署名、押印させるようA川巡査部長に依頼して、四一九号車から降りた(《証拠省略》)。

B野巡査は、B原巡査、C田巡査らのA田車両のタイヤ交換作業が終了した後、午後一〇時五〇分ころ、A川巡査部長の許可を得て、B原巡査、C田巡査と共に、四二〇号車に乗り、本件交通事故現場から次の取締りに出発した(《証拠省略》)。

四一九号車では、引き続きE原巡査、A川巡査部長らがA田、C山らに、行政処分や道路交通法違反事件の裁判手続等を説明し、交通切符の供述欄、鑑識カードにA田の署名押印をさせ、午後一〇時五〇分、E原巡査がA田に告知票、免許証保管証等を交付した。その後、A田とC山に、倒れた街路樹等を補修するよう指示した(《証拠省略》)。

E原巡査は、街路樹を照らすため四一九号車を方向転換して移動し、補修終了後、さらにA田車両の後ろに移動した。四一九号車の移動が終わったのは、午後一一時ころだった(《証拠省略》)。

(一四) A田、C山がD川とともに街路樹等を補修していたころ、A川巡査部長がA田車両を外からのぞき込むと、同車後部座席に右半身で横たわったA野がもがいていた。A川巡査部長が助手席側のドアを開けて声をかけたが、A野は、「痛い、痛い。」と繰り返すばかりだった(《証拠省略》)。

そこで、A川巡査部長は、午後一一時過ぎころ、四一九号車の無線で、四二〇号車に、本件交通事故現場にすぐ戻るよう指示したが、四二〇号車から、他の違反車両の運転者を調べているので戻れない旨の返答があったので、さらに、交通機動隊のE山二夫係長(小隊長)にも、無線で現場臨場を依頼した(《証拠省略》)。

A川巡査部長は、A野の状況をE原巡査、C山にも話した上で、A野を有松中央病院に搬送することにし、四一九号車の運転席にいたE原巡査に、B野巡査が何かしたのか聞きかけたところ、その返事を聞かないうちに、C山から呼ばれ、A田車両に乗り込んだ(《証拠省略》)。

(一五) E原巡査が運転し、C山、D川が同乗する四一九号車の先導で、A野、A田を乗せたA田車両をA川巡査部長が運転して、有松中央病院に搬送した。その途中で、四二〇号車を追い抜いた際、四二〇号車から合図があり、E原巡査は、有松中央病院に来るようにと無線で連絡した(《証拠省略》)。

(一六) A野は、搬送中、「大丈夫か。」とのA川巡査部長の問いかけに反応しなかった(《証拠省略》)。

午後一一時五分ないし一〇分ころ病院に到着した時には、A野は、意識不明の脱力状態で、E原巡査とC山が上半身を、A田が下半身を抱えて車椅子に乗せて運び込んだ(《証拠省略》)。

その後、B野巡査、B原巡査、C田巡査の乗った四二〇号車が有松中央病院に到着した(《証拠省略》)。

A野は、午後一一時二五分に医師が診察したときは、既に心停止、呼吸停止、瞳孔散大、対光反射なしという状態だった(《証拠省略》)。

2  E原巡査の付審判事件における供述及び証言の検討

(一) E原巡査は、付審判事件に関する取調べ及び公判廷において、概略、次のとおり供述ないし証言している(《証拠省略》)。

「A野がB野巡査の方に前進しようとしたので、最初はA野の脇に右腕を入れて遮ろうとしたが、A野が自分を押しのけて前進しようとしたので、さらに左腕をA野の背中から廻して左脇に入れ、A野の右横から抱きかかえるように制止した、A野を制止しているところに、B野巡査が自分の右側から、自分とA野を押さえ込むような力をかけて、A野の背中を押し、A野が腰を折ってお辞儀するような格好で前屈みになった、A野が逃れようとして二、三回左右に揺れた時、何か固いもの同士がぶつかったようなゴツーンという感触をA野の背中から感じた。まもなく自分は、組み合っている状態から離脱した。A野は、B野巡査の腹の辺りに頭を付け、B野巡査はA野に正対し、上からA野の背中を両手で押さえている状態だった。

その後、四一九号車内でA田に、『今、殴り合いになりそうだったのを止めに入ったら、左手の薬指を怪我した。警察官といってもいろんな人がいるのだから、おとなしくしとる人ばかりじゃないんだぞ。』と話しかけたり、ちょうどそこに来たB野巡査に対し、『B野さん、いつもおとなしい人が頑固なことするね。』『今ので手を怪我したがいね。』と言って左手を押さえて見せたりした。」

(二) 右のE原巡査の供述ないし証言について検討するに、三人がもみあっていた場所には、固い構造物等はなく(《証拠省略》)、E原巡査が感じたゴツーンという感触は、B野巡査の身体の一部である可能性が高い。そして、制止から逃れようともがいているA野及びE原巡査の上から押さえ込むような力をかけてきた、というB野巡査の体位からすると、中でもB野巡査の足の一部がA野にぶつかった可能性が高いと推認される。E原巡査自身も、四一九号車内でのA田、B野巡査らとの会話からすると、B野巡査の右の行為(「頑固な」と表現される)で指に怪我をしたと認識していたものと推認される。

(三) これに対し、E原巡査は、付審判事件における供述ないし証言で、(1)「頑固な」とは、B野巡査がA野とE原巡査を抱えるようにのしかかってきてE原巡査の頭が下の方に押しつけられるようになったことや、A野を下向きにお辞儀するような格好で頭から抱え込んでいる姿を言ったものだと述べ、また、(2)「おとなしくしとる人ばかりじゃない」とは、飲酒運転をして逃げ廻るとすぐ逮捕する警察官もいるということだと述べ、さらに、(3)指の怪我については、A野が逃れようとしてE原巡査の手を引っ張ったせいだと思うなどと述べている(《証拠省略》)。

しかし、(1)の点は、E原巡査が述べるような行為であれば、警察官が制止行為として容認されていると通常考える程度・態様の行為ということができ、現にE原巡査自身も、A野を引き止めるため同様の有形力を用いている場面で、その程度の行為に対して、ことさら「頑固」と表現したものとは到底理解しがたい。(2)の点も、発言内容には符合しない弁明であって、合理性に欠けるものと言わなければならない。(3)の点も、むしろ、B野巡査の行為で怪我をしたと思ったからこそ、直後にB野巡査にそのように話しかけたと見るのが合理的と言うべきである。

したがって、E原巡査の右(1)ないし(3)の供述・証言は採用できない。

3  A山五郎の付審判事件における証言の検討

(一) A山五郎は、付審判事件の公判廷で、概略次のとおり証言している(以下、これを「A山証言」という。)。

「本件事件当時、大学生で金沢市内に居住していたが、当日夜一〇時過ぎ、友人のB川六郎を同乗させて、自動車を運転して帰宅する途中、久安一丁目交差点側から本件道路を通りかかると、交通整理をしていた警察官に、対向車を先に通すからバックして停止するよう指示された。バックして停止していると、進行方向前方の車道上に、青い服の警察官二人と一般人がもみ合っているのが見えた。二人の警察官は、一般人の両肩を左右から抱くような形で、三人で回転するように動き回っていた。一般人は、警察官二人から押さえられて逃れようと暴れていた。そのとき道路上で、警察官が代わる代わる一般人に、五、六回膝で蹴り上げる動作(力を入れて地面から蹴り上げるような)をして、膝が一般人の下腹部に当たっていた。二人一度に蹴り上げたところは見ていない。膝が当たったとき、一般人は、ガクッと前に崩れるような様子だった。その後、三人のうち一般人と警察官一人が歩道の方へ移動し、そこでも警察官が一般人の横から五、六回膝蹴りをして、一般人は前屈みに崩れるような姿勢になった。その後、一般人は、歩道後ろのフェンスまで一人で歩いて行き、フェンスにもたれかかるようにしゃがみ込んだ。助手席のB川と、互いに、見てはいけないものだったのではないかなどと話した。目撃したとき、車の前照灯は下向きで付けていた。事件から数日後、高橋町交差点で検問の際、白い線の入った青い服の者が足蹴りしているのを見たと述べた。事件から数か月後、警察から事情聴取の要請があり、これに応じた。取調中、B川が膝蹴りを目撃していないと供述していることを聞き、B川に、真実を述べるよう注意した。」

(二) そこで、以下A山証言の信用性について検討する。

(1) A山は、当日本件道路を通りかかった際、たまたま本件事件を目撃した者にすぎず、ことさら記憶に反する事実を述べるべき動機も事情も何ら窺えないこと、A山が当初捜査機関に右目撃を申告したのは、検問の機会に自ら捜査協力を申し出たものであること、右検問は本件事件発生の三日後(平成三年二月一六日)であり、すでに若干の新聞報道はあった(乙三一)ものの、いまだその影響が比較的少ない時期といえること等に照らすと、A山が記憶にない事実を述べる危険性は少ないと解される。

そして、A山証言における、警察官二人(一人は途中で離脱する。)と一般人とがもみあっている状況は、当該警察官のうちの一人であるE原巡査の述べる状況と大筋では一致している上、A山証言中の「一般人の腹部に警察官の膝が当たった」との点も、前記2の(一)、(二)に判示したE原巡査の供述と整合する。

以上によると、A山の車両ライトの点灯状況によって視認状況が左右される可能性(《証拠省略》)及びA山車両とB野巡査らの距離が約三四・五メートル離れていた(《証拠省略》)点を考慮に入れても、A山証言は、基本的には信用性が高いというべきである。

(2) もっとも、《証拠省略》によれば、右のA山証言には、A山自身の捜査段階の供述との間に、次のイないしホの点で変遷が認められる。

イ A山の車両のライトの状況

ロ 警察官の膝蹴りの回数

ハ 暴行の場所(車道か歩道か)

ニ 暴行の人数

ホ 一般人がフェンスにしゃがんだときの状況

しかし、イ及びホの点は比較的細かい事実であり、詳細な取調べを受けたのが本件からすでに数か月経過した後であり、現場での実況見分は半年以上経過した後である上、公判廷における尋問は四年以上経過した後であることも考慮すると、記憶が曖昧でも無理がないと理解される。

ロの点については、一般的に、暴行の有無そのものや程度はともかく、それ以上に詳細な回数や態様までは、そもそも目撃当初からそれほど確実な記憶でないのがむしろ自然であり、本件は、B野巡査から三〇メートル以上離れた地点からの目撃である上、A野が制止から逃れようとして三人でもみ合っている状態であるから、なおさらである。取調べ及び公判までの時間経過も考え合わせると、これらの点についての記憶がさらに不確実になることは十分ありうることで、A山証言の信用性全体を揺るがす程の変遷とはいえない。

ハの点についても、場所の変遷といってもせいぜい二メートル余りのずれである上、三人がもみ合いながら若干移動した可能性、三〇メートル先からの目撃であることも考え合わせると、A山証言の信用性を揺るがす程のものではない。

ニの点については、「二人」という人数にそれほど意味はなく、「三人が回転しながら移動する際、左右から膝蹴りをしているように見えた」(甲二二)状況を、二人による膝蹴りと解釈したにすぎない可能性が高い。A山の認識する具体的状況が変遷したとは必ずしも認められず、やはり、A山証言の基本的な信用性を減殺する事情とはいえない。

してみれば、捜査段階でのA山自身の供述との間に、イないしホの点で変遷があることでは、前記(一)のA山証言の信用性は揺るがないものと言うべきである。

(3) B川の供述及び証言との比較

A山車両の助手席に乗っていたB川は、「一旦停止したA山の車両が発進してから、左前方の歩道上を見ると、後で警察官と知ったライトブルーの制服を着た三人くらいと私服の一人がもみ合いをしていた。制服を着た二人が私服の人を両側から押さえつけ、もう一人の制服の人が正面から私服の人の下腹部を少なくとも四、五回膝蹴りしていた。」旨、付審判事件の公判廷で証言する(《証拠省略》)。

B川の証言は、「青い制服の警察官が一般人の腹部を数回膝蹴りしていた。」との限りで、A山証言と一致するものの、目撃時点がA山の車両の停止中か、発進後か、蹴っていた場所が車道か歩道か、一般人ともみ合っていた警察官の人数等の点で齟齬がある。

このうち、目撃時点については、必ずしも些細なずれとはいえない可能性がある。しかし、この点にかかるB川証言は、現場の交通整理をしていたC田巡査の供述(《証拠省略》)とも符合しない。また、B川は、捜査段階での事情聴取等において、当初は殴る蹴るの事実は見ていないと供述しており、警察官による膝蹴りの事実を供述するようになったのは、A山よりも更に時間を経過した後のことである(《証拠省略》)上、捜査段階から、本件事故現場を通過した直後、車内で、ロサンゼルスで起きた暴動事件(この暴動事件は本件交通事故より半月以上後に発生した事件である。)の話をした旨述べるなど、記憶に若干混同が生じていたことが窺われ、膝蹴りの状況に関するB川証言の詳細については、信用性に疑いを入れる余地が残る。

してみると、A山証言とB川の証言との間に前記のような齟齬が存することをもって、A山証言の信用性が減殺されるものということはできない。

(4) 被告の主張について

被告は、以上の点のほか、①新聞報道に影響された可能性、②B野巡査の制止行為に伴う適法な有形力の行使を膝蹴りと誤認した可能性、③過失で当たったにすぎないものを故意と誤認した可能性、④剖検結果におけるA野の腹部内部の出血が二か所しかないことに照らし、A山証言のような一〇数回にもわたる膝蹴りがあったとは思えないこと、⑤大島医師の法医学鑑定によると、A野の腹部内部二か所の出血について、少なくとも片方は膝蹴りで生じる可能性が低いと指摘していること、⑥大谷意見書では、いずれの内出血も本件交通事故によって生じたと考えることが可能である旨述べられていること、⑦E原巡査が感じたゴツーンという衝撃は一回だけであり、A山証言の回数とは合わないこと、⑧他の警察官らに膝蹴りの目撃供述はなく、誰一人目撃していないこと等の諸点を指摘する。

しかし、①の点は、少なくとも当初、A山が目撃を申告したのが、比較的報道の影響が少ない時期であったことは、前記のとおりである。なお、被告は、当初のA山の目撃申告とその後の供述ないし証言とは、内容的に若干異なる点があり、必ずしも連続的に捉えることは妥当でないとも主張する。しかし、当初の申告は、検問時に要点のみ述べたものにすぎないと思われる上、被告の指摘する点はいずれも些末なものにすぎず、当初の目撃申告とその後の供述ないし証言との間に本質的な相違はないというべきである。

②及び③は、仮にA山証言のみを見れば、かような認識違いの可能性を完全に排斥することが困難であるとしても、E原巡査あるいはB原巡査の供述ないし証言等、他の証拠と合わせて考えれば、単にA野の体を押さえ込んだだけの有形力の行使を膝蹴りと誤認した可能性や、過失で当たったにすぎないものを故意と誤認した可能性を考慮する余地はないものというべきである。

④ないし⑥は、むしろ膝蹴り行為の有無において論じるよりは、膝蹴り行為と腸間膜断裂との因果関係の問題として論じるべき事柄と思われる。そもそも、膝が腹部に当たった場合でも、内出血の残らない場合はしばしば存在するのであるから、内出血がないから膝蹴りの事実がないと論ずることは到底できない。

⑦については、E原巡査が感じた衝撃が一回だったからといって、当然に膝蹴りが一回しかなかったとの根拠にはならない。

⑧についても、現場の警察官らは、必ずしもB野巡査とA野の行動に注目していたわけでなく、当時の自分の任務をそれぞれ遂行していたのであれば、もみ合いは見ていても、膝蹴りの瞬間自体は見ていないことも十分ありうるところである。のみならず、E原巡査が初期の取調べでは述べなかったB野巡査の言動について、後になって述べ始めた点がいくつも見られること、B原巡査も、当初は黙っていたB野巡査の発言について、事件発生後半年以上を経て、ようやく述べ始めたこと等から察すると、仮に他の警察官らがB野巡査の膝蹴りを目撃していたとしても、これを正直に述べることを躊躇した可能性が十分に考えられる。

したがって、被告のいずれの反論も、A山証言の基本的な信用性を減殺するに足りるものではない。

4  B原巡査の付審判事件における証言の検討

(一) B原巡査は、付審判事件の公判廷で、事件当日の有松中央病院での出来事について、概略、次のとおり証言している(甲一九の五。以下、これを「B原証言」という。)。

「本件事件の後、B野巡査及びC田巡査と共に四二〇号車に乗って有松中央病院に到着した時、駐車場にE原巡査がいた。E原巡査に、何かあったのかと問うと、A野の心臓が止まった旨答え、駐車場で待つよう指示された。駐車場で待っている時、しばらくして、B野巡査は、『実は、さっき腹蹴ってん、ぐにゃっとした感じやった。』と独り言のように言った。自分は、驚いて、『えっ。』と言い、C田巡査は、『腹蹴っちゃまずいですよ。』と言った。B野巡査は、『わしのせいかな。』と言っていた。」

(二) B原巡査は、平成三年二月時点の取調べではかような供述を一切しておらず、同年一〇月末になって、初めて供述している(甲一九の五)のであるが、当初、B野巡査自身が上司に何も話していない段階で、自分から言うのは気が引ける、あるいは同僚であるB野巡査をかばう気持ちから、あるいは仮に蹴ったとしてもそれが原因で死亡したかどうかはわからない等の考えから、B原巡査が(一)記載の事実を黙っていた可能性は十分考えられるところである。そして、一〇月末時点に供述を始めるに至った動機・理由として、同人が、「交通指導課長から、いつまでも事案の詳細がはっきりしない旨の話を聞き、誰もが口をつぐんでいては、事態が何も進展しないし、何も関係のない者まであらぬ疑いをかけられると考え、とりあえず、口火を切って自分の知っていることを話そうと考えた。」旨述べている(甲一九の五)のも、自然な経過として十分首肯しうるところであるし、B原巡査がことさらに嘘を付いて、B野巡査を罪に陥れる等しようとした可能性があるものと疑うべき証拠は何ら存在しない。

(三)(1) 被告は、B原証言について、B野が「膝が腹に当たった」と言ったのを「腹を蹴った」と解釈し、誤って表現した可能性がある旨主張する。しかし、当たったと蹴ったでは、語感も意味も全く異なり、勘違いや聞き違いにしては誤差が大きすぎる。B原がかような勘違いないし聞き違いをする特段の危険性(伝聞供述一般に関する抽象的な誤謬の危険性を超えるもの)も見当たらない。

(2) また、被告は、仮にB野が「蹴った」と言ったのだとしても、それは「当たった」との趣旨で言ったものであるとも主張する。日常的には、被告主張のような用例も全くないとは言い切れないものの、通常は意図的な意味で用いられ、聞く方としてもそのように受け止めるのが普通である。まして、A野が原因不明のまま急死しようとしている状況下で、過失で膝ばぶつかったにすぎない者が、あえて故意との誤解を受ける表現をすると考えるのは、無理がある。

(3) さらに被告は、B原証言は、有松中央病院での会話ではない可能性が高く、むしろ他の機会での会話と混同している可能性が高い旨主張する。たしかに、B野巡査は、付審判事件の公判廷において、「事件の翌日ないし翌々日ぐらいに、交通機動隊の上司から、A野の死因を踏まえて隊員らに事情聴取があった際、仲間内で『当たったら感触的にはグニャーというような感じなんけ。』『もし膝とか肘とかがお腹にゴーンて当たったとしたら、グニャーという感じでその場で倒れらんないがか。』など話したことがある。」と述べている(乙二六)。被告の主張は、B野巡査のかかる機会での発言を、B原巡査が有松中央病院の駐車場での会話と混同したものであるとの趣旨と思われる。

しかし、B原証言におけるB野巡査の発言は、同僚の警察官であるB原巡査にとって、公判廷で「驚くばかりでした。」(甲一九の五)と述べるほど衝撃的かつ緊張感を持って受け止められたものである。仮に、B野巡査が公判廷で述べたような事実があったのだとしても、かような雑談の延長で発した言葉と混同する可能性は極めて少ないと言うべきである。

(四) C田の捜査段階の供述との比較

なお、B原証言のうち、C田の発言の部分について、C田自身は、有松中央病院での会話はほとんど覚えていないと述べるのみであるが、積極的にこれを否定するわけではなく、B原証言の信用性を減殺するものではない。

(五) 以上によれば、前記(一)のB原証言の信用性は高いというべきである。

5  故意によるものか否か

被告は、仮にB野巡査の膝がA野の腹部に当たったとしても、過失によるものであり、故意に膝蹴りしたのではないと主張する。

しかし、、1で認定したB野巡査及びA野の体位からするに、B野巡査がA野を押さえ込むためにA野の上から覆い被さった場合、意図的に足を上げない限り、B野巡査の足がA野の腹部に当たることは考えにくく、たまたま膝がぶつかった可能性は極めて少ないというべきである。まして、腸間膜断裂を生じさせる程度の力がかかる可能性はさらに少ないと解される。

被告の、膝が腹部に当たった回数がせいぜい一、二回であれば、外形から故意を認定することは不可能である旨の主張は、右検討に照らし、到底採用できない。

6  以上1ないし5で認定判断したところを総合し、さらに、後記のとおり、A野の腸間膜断裂は二か所に及んでいること及び右腸間膜断裂を生じさせた外力が本件交通事故によって加わったものと見ることは到底できないことを併せ考えると、B野巡査がA野の腹部を数回膝蹴りした事実(本件暴行)が優に認められるものというべきである。

二  本件暴行と腸間膜断裂との因果関係の有無

1  前記一の1で認定した事実経過に本件の各証拠を総合すると、A野の腸間膜断裂の原因として検討を要するものは、本件暴行(B野巡査の膝蹴り)のほか、被告主張の本件交通事故による車内受傷の可能性が考えられ、それ以外の原因による可能性はないものと認められる。

2  本件交通事故の際にA野が腹部を打撲した可能性について

(一) 工学鑑定による分析及びダミーを用いた再現実験(《証拠省略》)について

(1) 衝突直前のA田車両の走行状況

日本工学鑑定センター有限会社の中原輝史は、実況見分調書等の捜査記録を資料とした工学的分析結果として、鑑定書と題する書面及び付審判事件の公判廷において、次のとおりの意見を述べている。

「A田車両は、本件道路にさしかかり、高速で走行中ブレーキをかけ、やや横滑り路面滑走状態となりながら進行、その間最初は緩く左方向に曲がりながら走行した後、右にハンドルを切った。その後、さらにブレーキをかけて車輪がロックし、スリップしながら左斜め状にまず右前輪が歩道(縁石一五センチメートル)に乗り上げ、車体後部をやや左に振りながら進行、左前輪も歩道に乗り上げてさらにスリップ進行後、街路樹に衝突、停止した。車両が歩道に乗り上げた時点の速度は、時速三〇キロメートル程度と推定される。」

(2) ダミー人形を用いた再現実験の結果

本件交通事故によるA野の受けた衝撃を検討するためダミー人形を使用した再現実験を行った。実験は、左カーブの道路において、A田車両と同一車種の実験車両で、指定した速度で走行中に、ハンドルを右に切り、急ブレーキをかけて、右側歩道縁石に対し三〇度から四〇度左向きに車体を乗り上げて停止、その際の車体及び運転席側後部座席に座らせたダミーの受ける衝撃値、ダミーの車内移動と車内衝突部位及びその際の衝撃値を計測したものである。

この実験結果に基づき、中原輝史は、次の旨述べている。

「実験車による縁石乗り上げ時のダミーの車内における移動状態は、右カーブ、急ブレーキによる遠心力の作用及び慣性によって、左斜前方向に移動し、運転席と助手席シート間に倒れ込み、胸部等を衝突させることとなる。」「ダミーは人のような身体の柔軟性がないため、胸部を助手席シート右角に衝突させるにとどまったが、人の場合であれば、さらに上体が前方に移動し、腹部付近を衝突させることもあるものと思われる。」

(3) しかし、右再現実験では本件交通事故における歩道乗り上げ時速度を超える時速四〇キロメートル以上の実験でも、ダミーが胸部を助手席シート右角に打ち付けるにとどまっており、腹部を助手席シート後部に打ち付ける結果は得られていない。それにもかかわらず、単に、人とダミーとでは体の構造の違いのため動きに違いが出る可能性があるという一般的・抽象的立論のみをもって、人であれば腹部打撲に至る可能性があると論ずるのは余りにも飛躍があり、到底合理的な推論とはいえない。

(4) 殊に、A田車両は、ヘッドレストの上端から天井まで二〇センチメートル余りであり、助手席シート右角から天井まででもせいぜい三〇センチメートル程度である(《証拠省略》)。また、A田車両の停止時、A野の位置が大きく移動していた事実は認められない(《証拠省略》)。右の事実関係に照らすと、運転席側後部座席にいたA野が、右に記載した程度の隙間から、助手席シート右角越しに腹部を衝突させつつ、助手席側に身を乗り出してきて、しかもその状態から、停止時に再びもとの座席に戻るなどということは、極めて生じ難い事柄であると言わなければならない。また、運転席と助手席との隙間がせいぜい二二センチメートル程度(《証拠省略》)であること、停止時にもとの位置に戻ることの困難性からすると、運転席と助手席の間からA野の上体が左前方に飛び出し、その際、助手席シート側面で腹部を打撲する可能性も極めて少ないものと言うべきである。

(二) 本件交通事故現場及びA田車両の状況について

(1) A田車両の衝突した歩道縁石は、長さ六センチメートルくらい、幅一センチメートルくらいにわたり、コンクリート部分が削られていた。右縁石から直線で約六・四メートル余りの位置にあった桜の街路樹(直径九センチメートル)は、地上から八〇センチメートルのところで折れ、根元部分の幹の北方側の表皮は削られたように剥離していた。街路樹を左右から支えていた添え木は、二本とも折れていた(《証拠省略》)。

(2) A田車両の右前輪タイヤの外側部分は、長さ五・五センチメートル、幅三・二センチメートルの範囲で、「く」の字型の鉤裂き様亀裂損があり、タイヤの内部まで至っていた。タイヤの厚さは〇・五センチメートルから〇・七センチメートルである。右前輪ホイールは、外側縁部に長さ五センチメートル、最大幅〇・八センチメートルの外側への曲損があった。左前輪ホイール内側に、長さ一〇センチメートル、最大幅〇・七センチメートルの内側への曲損があった。車両底部の灰色樹脂製エンジンカバーは、車両左側端から九八センチメートル、車両前部から三二センチメートルの地点から、車両左側端から一一五センチメートル、車両前部から五七センチメートルの地点にかけて割損があった。また、前部のウレタン製バンパー(バンパーとスカートが一体となったもの)、ナンバープレートがやや曲損し、擦過痕が生じていた。以上の点以外には、格別の損傷は見られない(《証拠省略》)。

(3) また、A田車両の助手席足下の右端に置いてあった傘と雪かき(二五センチ×柄五〇センチ)は、本件交通事故後も移動しておらず、フロントガラスのマスコット人形も、本件交通事故時に落ちなかった(《証拠省略》)。

(三) 同乗者らの受けた衝撃の程度及びA野の状況に関する認識について

(1) C山

C山は、本件交通事故の衝撃について、概略、「カーブであまりスピードも出ていなかったので、ぶつかった時のショックもほとんどなかった。上半身が三〇センチメートルから五〇センチメートル前のめりになり、腰が少し浮いた状態だったものの、顔や胸を車内のどこかにぶつけたことはなかった。これは、縁石に乗り上げた時の衝撃で、街路樹にぶつかったときの衝撃はほとんど感じなかった。衝突時、取っ手に左手を掛けていたり、ダッシュボードに手を掛けたりはしていない。」と述べている(《証拠省略》)。

(2) A田

A田は、本件交通事故の衝撃について、概略、「縁石に乗り上げたときに体が軽く浮き、衝突の衝撃がハンドルを握っている両手にガーンときた。それ以外は、ハンドルを握っていたせいか、それほど感じなかった。シートベルトをしていなかったが、車内で体を打ちつけたことはなかった。体は上下したものの、頭が天井にぶつかったことはなかった。横に乗っていたC山も前に飛び出してはいなかったと思う。他人のことはあまり見てはいないが、少なくともA野が前に飛び出したことはなかったと思う。」と述べている(《証拠省略》)。

(3) D川

D川は、本件交通事故について、概略、「パトカーから、『前の車止まれ。』と言われたとき、C山が助手席左の窓から、A野が右後部ドアの窓から、それぞれ振り返って後ろを確認した。その後も三、四回後方を確認していたが、身体を大きく後方にひねって後ろを確認する姿勢を取ったことはない。衝突の瞬間も、大きく身体を後方にひねってはいない。本件交通事故直前、車両の後部が振れ始め、車が道路右側に出て、目の前に歩道が見えたとき、危ないと思い、右肘をアームレストに付けたまま、足に力を入れた。車が縁石に乗り上げたとき、どーんと音がして、尻が一五センチくらい上に浮き上がり、天井に少しだけかすった。助手席の背もたれにぶつからないよう、無意識に助手席のシート(ヘッドレストの辺り)をつかんで支える格好をした。衝撃は一回で、それほど大きくはなかった。A野の様子を見る余裕はなかったが、自分の体とぶつかるようなことはなかった。A野が前に飛び出したという記憶もない。街路樹にぶつかったことは後まで気が付かず、気付いたのは、本件交通事故後、電話をかけて現場に戻ってきてからだった。」と述べている(《証拠省略》)。

(四) 本件交通事故による衝撃について

右(二)の(1)及び(2)に認定した事実によると、本件交通事故では、歩道の縁石が削れ、街路樹が折れたものの、A田車両はそれほど大きな損傷を受けてはいないことが明らかである。

(二)の(3)の事実及び(三)の供述内容からしても、本件交通事故による衝撃はそれほど大きくなかったことが推認される。

(五) A野の移動の可能性について

A田車両の衝突直前の動き、A野の乗車位置からすると、同乗者の中では、A野の位置が比較的衝突の影響を受けやすい位置であったことは否定できないけれども、右(二)ないし(四)に判示したA田車両の損傷の程度及び他の同乗者らの受けた衝撃の程度に、A野が大きく体を左にひねって後ろを振り返っていたことはなく、隣にいたD川にぶつかることもなかったという事実(《証拠省略》)を併せ考えると、A田車両内においてA野だけが大きく移動することは希有であるといわざるをえない。

(六) もっとも、被告は、同乗者らは、当初A田が業務上過失致死の被疑事実で取調べを受けていたことから、A田に有利になるよう、意図的に衝撃の程度を軽く供述した可能性がある旨主張する。

たしかに、一般論としては被告の指摘する可能性を考慮に入れる必要はある。しかし本件では、必ずしも同乗者全員がA田とそれほど親しい関係にあったわけではなく、本件交通事故以後、A野の死因について同乗者同士で特段議論をした形跡も窺われない(《証拠省略》)。したがって、全員が口裏を合わせた可能性は少なく、(三)記載の各供述は信用しうるものと言うべきである。

(七) A野の前頭部正中やや右寄りの損傷について

そもそもこの傷が本件交通事故によって生じたと認めるに足りる証拠はない。仮に、本件交通事故の際、天井等に前頭部をこすりつけた可能性があるとしても、それがA野の車内での腹部打撲の事実を窺わせる事情とはいえない。

(八) 本件交通事故直後のA野の言動について

また、前記一で認定したとおり、A野は、A田車両が停止した直後、A川巡査部長及びE原巡査が駆け寄った際、C山とともにすぐさま車を降り、「パトカーが追いかけたから事故になった。どうしてくれる。」などと文句を言い、大声でA川巡査部長らにくってかかり、E原巡査の左足臑付近を蹴ってきていること、その後も、C田巡査やB野巡査に対し「車をどうしてくれるんや。」等と大声で文句を言って絡み、更には、E原巡査やB野巡査と相当もみ合っていること、A野は、右のとおり大声を出すなどして絡み、自動車の損傷については文句を言っていたにもかかわらず、身体に打撃・傷害を受けたことを窺わせる行動も、発言も何らしていないこと、以上のような言動からすると、A野が本件交通事故の際A田車両内で腹部を打撲したとは到底考えられないものというべきである。

(九) 以上(一)ないし(八)で認定判断したところを総合すれば、本件交通事故の際にA野が腹部を打撲したものとは到底認められず、したがって、A野の腸間膜断裂を生じさせた外力が本件交通事故によって加わったものと見ることは到底できない。

3  本件暴行で腸間膜断裂が生じたとすることが医学的相当性を欠くか否かについて

(一) 一般的に、腹部を数回膝蹴りすることによって、第四腰椎付近の腸間膜断裂を生じ、失血死する可能性のあることは、経験則上も、医学的見地からも肯定しうるところである(《証拠省略》)。したがって、他に腸間膜断裂を生じさせる原因が考えられない以上は、本件の具体的事実関係において、午後一〇時三〇分ころのB野巡査の膝蹴り(本件暴行)でA野の腸間膜断裂が生じた(すなわち、出血開始した。)と考えることに医学的に不相当な点が認められない限り、右暴行とA野の腸間膜断裂との間に相当因果関係が存するものと認めるのが相当である。

(二) 剖検結果(《証拠省略》)

(1) 腹部内景において、大網を構成する脂肪組織のほぼ全面(左右約二二センチメートル、上下径約一六センチメートル程度の範囲内)において、脂肪織内には播種性、稍密に散在する点状出血があり、血管内には血液が貯留している。大網の下部にあたる小腸表面漿膜下、腸間膜の腸管付着側に、ほぼ粟粒ないし米粒大、一部小豆大くらいの大きさの漿膜下出血が散在し、これらの出血の存在範囲は、概ね右大網出血の範囲に相当している。

この出血は、腸間膜断裂を生じた外力によって生じたものと思われる。

(2) 大網下部の深部に相当する下腹部正中やや左よりにおいて、腹直筋の腹腔側筋膜面、及び同下部にあたる腹膜において、左右径約六センチメートル、上下径約七センチメートルの範囲に広がる出血があり、特にその上縁部においてほぼ示指頭面大のやや強い出血がある。右出血部に対応する下腹部腹壁脂肪織内には、粟粒大程度の点状出血が散在し、血管内には血液が貯留している。

この出血をもたらした外力は、腸間膜断裂のそれとは別個であると思われる。

(3) 右(1)、(2)のさらに内景、つまり正中やや左寄りの腸間膜において、腹部大動脈分岐部よりやや上方の第四腰椎の高さで、二箇所の断裂がある。このうち、腹壁よりの断裂の長さは約四センチメートルで完全に断裂しているが、腰椎よりの断裂は約二センチメートルで不完全な断裂である。右腰椎よりの断裂部は、それを囲むように存在する左右約二センチメートル、上下約三センチメートルの台形状の腸間膜脂肪織内出血のほぼ下辺部に位置しており、台形状出血の形状は、その腸間膜の背側にある第四腰椎の形状に類似している。これら二箇所の断裂部の、可動性のある分葉状の腸間膜を重ね合わせると、ほぼ同一の高さになり、腹腔内では、通常互いに重なり合った部位に相当する。

(4) 血中アルコール濃度は、左心血一・五〇ミリグラム/ミリリットル、右心血一・五九、尿一・八一。

(三) A野の腸間膜断裂が膝蹴りで生じたとすることは医学的に不相当か

(1) 法医学者らの意見

① 大島徹医師(《証拠省略》)

出血の状況(大網の播種性かつ稍密な点状出血で限局性の出血のないこと)、外力の作用面の広さから、やや広い作用面を有し、中心部に一部強固な構造物を有する表面柔軟な鈍体、いわゆる軟鈍体が、腹部にやや強く打撲的圧迫ないし圧迫的打撲的に作用し、腸間膜を第四腰椎に圧迫して生じたと思われる。腹部の助骨のない部位は、湾曲度が緩く、膝頭が腹部を圧迫した場合、均等に放射状に力が作用するとは考え難く、当たった箇所に強い圧力がかかり、大網に限局性の出血が生じるはずである。一回にしろ数回にしろ膝頭で蹴ったことによって生じた可能性は低い。

「頭部を下げた前傾姿勢の被害者の前方から、体を押さえつけながら、腹部を数回膝蹴りする」あるいは「前傾姿勢の被害者の頭を右脇に挾む体勢で膝を上げて腹部を蹴り、加害者の膝頭付近の大腿部で被害者の腹部を圧迫する」などの体位、態様による膝蹴りでは、胸部に影響を与えるだけである。あるいは、膝の可動範囲が限られ、打撃の強さはそれほど強くなく、腰椎との間に腸間膜を挾み込むような腰椎に対する垂直方向の作用にはならないだろう。

腸間膜断裂部は二か所あるものの、腹側と背骨よりに重なった状態の腸間膜が腰椎に圧迫されて断裂したものであり、打撃自体は一回でも可能である。

② 若杉長英医師(《証拠省略》)

腹部の外表面は彎曲しているので、たとえ大島鑑定人の推定するような鈍体で腹部が打撲または圧迫されても、腹腔内に均一な力が作用するとは断定できない。作用面の面積が出血範囲と一致する程度の広さを持つ必然性もない。むしろ、作用面が凸型あるいは半球状の鈍体の方が、お腹がへこんだときに放射状に同じように力が掛かるので、丸い鈍体であっても差し支えはない。また、中心部に一部強固な構造を持つ軟鈍体とまで厳密に定義すべきかどうかも疑問がある。お腹の表面がくぼんで、腸間膜を挾んで脊柱に押しつける力が働く限り、基本的には何でもよい(もっとも、接触面積が余り小さいと起こりにくい)と思われる。

立位で被害者の首、肩、腕などを掴んで、その身体が後方へ移動しないような状態で、膝で蹴るという受傷状態は適当である。腸間膜の断裂は、腹筋の緊張が緩んでいるときに強い打撲又は圧迫を受けるとより生じやすく、固定されている鈍体に受傷者の腹部が当たった場合又は受傷者の身体が後方へ移動しない状態のときに生じやすい。

③ 高津光洋医師(《証拠省略》)

作用面が比較的限局した(腹部の可動性、大網の網目に血液が絡まって溜まる状態もありうることから、成傷器そのものが出血部位と同じ大きさである必要はない。)、表面に凸凹のない鈍稜な鈍体で腹部をかなり強く打撲あるいは圧迫されて形成された可能性が考えられる。人の膝も、車の助手席シート背部もいずれもあてはまる。

力の作用の仕方として最も考えやすいのは、背骨に対して比較的直角方向に近い状態で力が働いて腸間膜が背骨との間に挾まることであるが、多少はずれていてもこのような傷ができる場合もあるだろう。つまり、膝で打っても、背柱に対して一番圧迫しやすい角度で膝が当たった場合には、腸間膜断裂が生じうる。

④ 大谷勲医師(《証拠省略》)

一対一の互いに接近した体位、体勢で膝を上げて蹴れば、膝頭は前胸部に向かうだろうし、よしんば臍部に向かったとしても、この程度の鈍体の加速度の作用によって、腸間膜が前腹壁を介して腰椎の前面との間に圧挫されて腸間膜断裂が生じることは通常でない。

一般に、人が人に対して、器物を使用しないで殴る、蹴るなどの外力を及ぼしても、その破壊力が甚大に及ぶことは極めてまれである。これに対し、車両による事故時には、車内受傷の場合も、思いがけない程度の甚大な損傷を認めることがままある。

(2) 右のとおり、医師らの間で意見の一致を見ないが、膝頭でA野の腸間膜断裂が生じた可能性が低いとの見解が、それに反する見解の不当性を十分説明できていると解することもできない。また、腸間膜断裂の成傷器が膝頭であるとまでいいきることはできず、B野巡査の足の膝頭以外の部分がA野に当たった可能性も考えられるところ、大島医師、大谷医師らの意見では、膝頭そのもの以外の場合の蓋然性について、十分な説明がされているとはいえない。これらからすると、A野の腸間膜断裂が膝蹴りで生じたことが医学的に不相当とはいえない。

(四) 午後一〇時三〇分ころに腸間膜断裂が生じたとすることが医学的に不相当であるか

(1) 法医学者らの意見

① 出血速度

イ 大島医師(《証拠省略》)

出血の色調が暗赤色で、静脈性血液が主と思われること、溜まった血液中に軟凝血塊のあること、断裂した血管は上腸間膜動脈の分岐であると思われ(腸間膜断裂部が第四腰椎辺りであることから)、それほど太い血管ではないこと、太い動脈が切れて出血した場合、出血部に血腫が見られることがあるが、本件では認められなかったこと、出血量が二〇〇〇ミリリットル以上と多量であることからすると、総じて緩慢な出血が長時間続いたと思われる。

仮に出血開始時刻を本件交通事故時の午後一〇時一〇分ころとすると、死亡時(翌午前〇時一五分)までのA野の一分間の平均出血量は、一六ミリリットルとなり、出血速度はその程度と推定される。

ロ 若杉医師(《証拠省略》)

腸間膜内には、相当多数の動静脈が網目状に張り巡らされて、二センチメートルないし四センチメートル断裂すれば、動脈も静脈もいずれも断裂するのが自然である。もっとも、動脈は、静脈より壁が強く、切れずに伸びたままになっている可能性はある。切れた位置が中央に近い側だと、より太い血管が切れるし、腸に近いところであれば、より細い血管が切れる。

本件断裂部に普通存在する動脈径は二、三ミリメートル程度と推測される。これが破綻すれば、最初の一分間は一〇〇ミリリットルを超える程度の出血があってもおかしくない。出血速度が極めて緩徐で死亡時までの出血量が増える場合には、脳が著しく乏血状になるが、A野にはこれが認められず、出血は急性だったと思われる。

腸間膜が非常に動きやすく、腹部の内臓も立位と臥位とで位置の異なる状態であることから、断裂した腸間膜の位置を決め、断裂下血管の太さを推測することは非常に困難である。そもそも、断裂した腸間膜の位置が第四腰椎の辺りと見ること自体に疑いの余地もある。

ハ 高津医師(《証拠省略》)

腸間膜断裂が第四腰椎の高さにあること自体には、特段疑問はない。位置関係から断裂した血管を推測すると、上腸間膜動脈の本管が大動脈から分岐する高さがほぼ第一二胸椎から第一腰椎の辺りで、第四腰椎の辺りは、分岐からかなり離れていること、上腸間膜動脈から、腸に多くの動脈を分岐し、腸の下へいくほど血管が網目状になるが、断裂部は、動脈が比較的まっすぐ走っているところから細かく分かれていく部分の境目辺り(空腸又は回腸動脈)と思われる。これは、比較的細い動脈であり、また断裂部に血腫がなく、暗赤色の色調、脂肪織内の出血がそれほど多くないことからしても、出血は緩徐なものだったと思われる。なお、脳が乏血状でないからといって、急性出血とは限らない。循環血液量が減少しても、血液の集中化現象により、脳への血量は比較的保たれる。

なお、死亡時の総出血量は、心肺停止後の輸液は循環がなく全部が腹腔内に漏出するとは思われず、約二八〇〇ミリリットルと考えるのが相当である。

ニ 大谷医師(《証拠省略》)

心肺停止後の輸液は、一〇パーセント程度が血液中に入る程度で、残りは肺等に貯留し、腹腔内貯留出血にはそれほど影響を与えない。諸臓器が貧血性であったのに、肺重量は相対的に多く、輸液による肺水腫が窺われることからも裏付けられる。

断裂した血管は、他の司法解剖例(二八歳男性、体重六七・四キログラム)との比較から、回腸動脈の二次アーチの直前部と思われ、血管内径は一ミリメートル前後と思われる。

出血速度は、暗赤色の色調、出血量の多さ、凝血塊に加え、断裂血管の細さからして、総じて緩徐な出血だったというべきである。

② 出血開始時刻

イ 大島医師(《証拠省略》)

仮に午後一〇時三〇分ころ、もみ合いの時点で出血開始したとすると、その三分後である三三分ころは、いまだ低血圧でしゃがみこむには出血量が少なすぎ、午後一〇時三〇分ころに出血開始したと考えるのは困難である。

一方、出血開始時刻を本件交通事故時の午後一〇時一〇分ころとすると、死亡時(翌午前〇時一五分)までのA野の一分間の平均出血量は、約一六ミリリットルとなり、犬の小腸の血流のデータにも合致する。午後一〇時三〇分ころまでに三二〇ミリリットルの出血、しゃがみこんだ三三分ころには三六八ミリリットル出血していたことになり、低血圧症状を来してしゃがみこむことには相当性がある。

ロ 若杉医師(《証拠省略》)

仮に午後一〇時一〇分ころ腸間膜が破綻したとしたら、約二〇分経過後の午後一〇時三〇分ころまでに相当量の出血及び血圧低下が予想され、その時点で警察官と言い争ったり、組み合ったりする行動はほとんど不可能であり、午後一〇時一〇分ころ出血開始したと見るのは困難である。

午後一〇時三三分ころにA野がしゃがみこんだ原因は、もし疼痛によるのであれば、暴行を受けた午後一〇時三〇分ころからしゃがみ込んでいなければおかしいが、そうでないのであれば、出血による立ちくらみと思われる。午後一〇時三〇分ころに出血開始と考えても、医学的な説明は可能である。

ハ 高津医師(《証拠省略》)

A野が午後一〇時三〇分ころ警察官ともみ合って、三分後の三三分ころにしゃがみこんだこと、その後行動能力を回復せずに、腹痛を訴え、死亡に至る経過からすると、A野のしゃがみこみの原因は、疼痛ではなく、出血性ショックの発現による症状の一つと考えるのが妥当である。もし疼痛によるのであれば、痛みが和らげば普通に行動できるのが普通と思われる。

断裂したと思われる動脈がそれほど太くないことからすると、もみあってから数分後に出血性ショックが生じるのは困難であり、午後一〇時三〇分ころに出血開始と考えることは困難である。

他方、午後一〇時一〇分に出血開始したとすると、飲酒、多動によって出血が増強され、さらに警察官ともみ合うことで、腸間膜断裂部からの出血を増強させ、午後一〇時三三分ころ出血性ショックを促すことが推測できる。

ニ 大谷医師(《証拠省略》)

午後一〇時三〇分ころに腸間膜断裂が生じ、A野がしゃがみこんだ原因は出血性ショックではなく、疲労、酩酊、貧血の影響と考えることが可能であるという見解は、午後一〇時三〇分ころの膝蹴りという目撃証言の時点で出血開始したという、不確実性の排除できない事実に端を発し、不可知な毎分出血量を三〇から四五ミリリットルと想定し、各鑑定人らの意見を一見合理的に午後一一時二五分の心停止に結びつけるものにすぎない。

午後一〇時一〇分の本件交通事故時に出血開始したとすれば、腸間膜断裂の程度から、二〇分後である午後一〇時三〇分ころに出血性ショックに陥ることが法医学的に十分了解可能であり、以後の経過にも齟齬を来さない。

(2) 出血速度、出血開始時刻に関する各意見の検討

右各意見によると、出血速度について、比較的緩徐であったか、どちらかというと急激であったかのいずれかに分類するなら、比較的緩徐な出血であった可能性が高いと推認される。しかし、それを超えて、出血開始時から死亡時まで、平均的に出血したかどうか、出血開始時の出血速度が一分間に何ミリリットル程度だったかなどは、血圧その他個体の身体的条件に左右されることであり、医学的経験則をもってしても、いちがいに推認を及ぼすことは困難である。

医師らの述べる、出血速度が緩徐あるいは急激との言葉遣いも、あくまで相対的な評価を意味するものと思われ、いかなる出血量であれば緩徐と、あるいは急激と表現するのかは判然としない。とすれば、出血が緩徐であるという表現のみで、午後一〇時三〇分ころに出血開始、午後一一時二五分に心停止、翌午前〇時一五分に死亡という経過をたどる可能性が医学的に不相当である、と説明するのは困難と思われる。

緩徐な出血を前提にした医師らが午後一〇時三〇分ころの出血開始の可能性が低いとの意見を述べたのは、出血速度に加え、午後一〇時三三分ころA野がしゃがみこんだ原因を「出血による低血圧の影響」ないし「出血性ショックの発現による低血圧症状」と解釈したことが決め手になったと理解される。そして、法医学者らがA野のしゃがみ込んだ原因を「出血による低血圧」と理解した理由の一つに、午後一〇時三〇分ころに蹴られた疼痛によるのであれば、三分後ではなく、蹴られた直後にしゃがみ込むだろうとの点が挙げられる。しかしこれは、前記一1で認定した事実と異なる事実関係を前提にしており、理由にはならない。高津医師の述べる「A野がその後行動能力を回復せず、腹痛を訴えて死亡に至った経過」にしても、しゃがみ込んだ当初はまだ出血量が少なかったが、その後、徐々に出血した結果、低血圧症状が生じてきた可能性を合理的に排斥しうる説明とまではいえない。そもそも、一1で認定した事実関係によると、A野はしゃがみ込むまでにE原巡査やB野巡査らと相当もみ合っていたのであり、蹴られた疼痛でしゃがみ込んだ場合、疼痛がやんでも、すぐに立ち上がることが必ずしも経験則上自然とまでいえるかも、疑問の余地がある。

加えて、仮に、A野のしゃがみ込みの原因を出血による低血圧症状と考えた場合、本件交通事故時の午後一〇時一〇分ころからしゃがみ込むまでのA野の一連の言動と整合性があるか、しゃがみ込んだ後もしばらくは、肩を貸してもらって車に乗り、車の中で寝たり起きたりし、さらに支えられて車を乗り換えたりしており、腹痛が耐え難くなるまでにも若干の時間が経過していること等の状況とも整合性があるかとの点についても、必ずしも合理的な説明が尽くされているとは認められない。

してみれば、午後一〇時三〇分ころの出血開始が医学的に不相当とまで評価することは困難というべきである。

(五) したがって、A野の腸間膜断裂について、本件暴行によって生じたと考えることが医学的に不相当であるということはできない。

4  以上1ないし3に認定判断したところを総合すると、A野の腸間膜断裂と本件暴行との間には相当因果関係が存在するものと認めるのが相当であり、したがって、A野の死亡と本件暴行との間には相当因果関係が存在するものというべきである。

三  してみれば、被告は、国家賠償法一条に基づき、A野の死亡によってA野及び原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある。

四  損害及び過失相殺

1  損害の算定

(一) A野の被った損害(逸失利益)

当事者間に争いのない事実、《証拠省略》によると、A野は、昭和二五年八月生れで、平成二年五月一〇日から株式会社D野建設に勤務して給与収入(日給月給制)を得ていたこと、平成三年二月一三日まで(二八〇日間)の給与総額は二〇八万五八〇二円であることが認められ、これから年収相当額を算定すると、二七一万八九九一円となる。そして、生活費控除率は三割とみるのが相当であるから、これらを前提に、稼働可能年限である満六七歳までの稼働可能期間(二七年間)の逸失利益を、ライプニッツ式計算法(ライプニッツ係数は一四・六四三)により、年五分の割合による中間利息を控除して、A野死亡時における現価として算定すると、二七八六万九九二九円(二七一万八九九一円×〇・七×一四・六四三=二七八六万九九二九円。円未満切り捨て。以下同様。)となる。

原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子は、A野の子として、右に係る損害賠償請求権を、法定相続分に応じて九二八万九九七六円宛相続承継した。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 慰謝料

本件事件の態様、本件事件が発生するに至った経緯その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、本件暴行によりA野が死亡したことに基づく精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子につき各八〇〇万円、原告C川、同A野松夫、同D原、同E田につき各五〇万円と認めるのが相当である。

(2) 葬儀費用

《証拠省略》によると、本件事件と相当因果関係のある葬儀費用として、一五〇万円が相当と認められ、右費用は原告C川、同A野松夫、同D原、同E田が平等に負担したものと認められる。

(3) 弁護士費用

本件事件と相当因果関係のある弁護士費用相当額の損害は、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子につき各一七〇万円、原告A野松夫、同C川、同D原、同E田につき各一〇万円と認めるのが相当である。

(三) 以上によれば、原告らが被告に対して有する損害賠償請求権は、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子につき各一八九八万九九七六円、原告C川、同A野松夫、同D原、同E田につき各九七万五〇〇〇円となる。

2  過失相殺の当否

被告は、B野巡査が膝蹴りに至ったのは、E原巡査の制止を振り切ろうとしたA野自身の行為に端を発するものである上、それまでのA野の捜査妨害の言動からしても、相当程度強度の強制力をもってA野を制止することが許容される場面であったとして、過失相殺を主張する。

たしかに、前記のとおり、A野がE原巡査の臑を蹴りかかってかすったこと、A川巡査部長にくってかかったほか、C田巡査やB野巡査にも絡んできたこと、B野巡査の後を追おうとしたA野を腕で抱えて制止したE原巡査の腕の中でさらに抵抗して進もうとした事実が認められ、A野の言動が、A田の取調べ、現場の交通整理などの業務に支障を与えた事実自体は否定できない。しかし、B野巡査がA野に行った行為(本件暴行)は、複数回故意に膝蹴りするという相当衝撃の大きいものであるところ、A野は、右のとおり、大声で絡んだり制止に抵抗したり等はしたものの、それ以上の暴力を加えてきた事実を認める証拠はなく、B野巡査がA野の行動を膝蹴りで押さえねばならないほどの緊急性に迫られていたとは到底認められない。B野巡査が警察官であり、その職務の性質上、通常人にない権限を与えられ、合法的に有形力を行使することが認められる場合がある反面、かかる権限を与えられた者として、右有形力の行使が合法的なものとして認められる限度を超えることがないよう厳しく自制すべきものであるにもかかわらず、B野巡査の本件暴行は、かかる限度を明らかに超える行為であること、その結果、A野の死亡という極めて重大な被害をもたらしたことをも考え併せると、A野の言動に全く問題がなかったとはいえないことを考慮に入れても、本件においては、A野の右言動を斟酌して過失相殺をするのは相当ではない。

五  結論

以上の次第で、原告らの請求は、被告に対し、原告A野一郎、同B山春子、同B山夏子につき各一八九八万九九七六円、原告C川、同A野松夫、同D原、同E田につき各九七万五〇〇〇円及び右各金員に対する平成三年二月一四日から各支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるからその範囲で認容し、その余は理由がないから棄却すべきであり、支払を命ずる部分については仮執行の宣言を付するのが相当である。また、仮執行免脱宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺修明 裁判官 田中健治 裁判官山本由美子は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 渡辺修明)

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