大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

秋田家庭裁判所 昭和61年(少ハ)2号 決定 1986年8月01日

少年 G・K(昭41.8.7生)

主文

本件申請を棄却する。

理由

一  本件申請の趣旨及び理由

(一)  少年は秋田家庭裁判所昭和60年少第556号事件により昭和60年7月26日中等少年院送致決定を受けて同月29日青森少年院に収容され、昭和61年4月4日同少年院を仮退院して保護観察に付されたものであるが、同月6日以降少年院収容前に所属していた○○一家○○組幹部A事務所に起居し、電話番をするなどして過ごし、同月20日少年の所在を捜していた母と会い帰宅するよう説得されたのに自分は組員だから帰れないといつてこれを拒絶し、担当保護司の許へも出頭しない。

これは犯罪者予防更生法34条2項所定の一般遵守事項に違反するのみならず、仮退院にあたつて東北地方更生保護委員会が定めた特別遵守事項中の「誓つたとおり暴力組織を離脱し、よくない人達とは交際しないこと(6号)」、「早く就労して真面目に辛抱強く働き、貯蓄をすること(7号)」、「進んで担当保護司のもとを訪ね、指導・助言に積極的に服すること(8号)」に違反するものである。

(二)  以上の点に加え、少年は暴力組織への帰属意識が強く、善良な社会人として更生しようという意欲に欠けているためこのまま放置すると暴力組織との関係を一層深め、その活動に積極的に参加するおそれがあるので、少年を少年院に戻し収容し、再度相当期間矯正教育を施すことが必要である。

二  当裁判所の判断

(一)  一件記録によると、本件申請の趣旨及び理由中(一)記載の事実のほか次の事実を認めることができる。

1  少年は少年院在院中規律を守り、指示にも率直に従い、同僚とも協調し、生活態度に問題はなく、又職業訓練にも真面目に取り組み、1級上に進級してからは暴力団から離脱する旨の意見を明確に表明するに至り、院内成績が良好であつたため8ヶ月程で仮退院することができた。

2  少年は仮退院の2日後の同月6日暴力団組織から離脱する挨拶をする意図でA事務所を訪ねたものの、Aの態度が以前より短気・粗暴になつていて、到底離脱を言い出せる雰囲気ではなかつたため、結局これを言い出せないまま、不本意ながら同日から同事務所に起居して、電話番等の雑用をつとめていた。

3  昭和61年6月11日本件が当庁に係属したが、同月24日Aは当庁家庭裁判所調査官に対し「少年はこの際堅気になつたらよい、少年は長男だし、親・兄弟のことを考えて生活するのがよい」旨電話をかけてきたほか、同月25日付で少年を絶縁するという絶縁状を発行し、又少年の実家へもその頃「少年を組から脱退させた、自分も少年が真面目に生活して行くことを望んでいる」旨の電話をした。

4  少年は昭和61年6月27日在宅試験観察となつたが、間もなく家畜等を運搬する運送会社に自動車運転助手として就職し、月収9万円程を得られる約束となつており、その中から資金を貯えて自動車の運転免許を取得し、将来は自動車運転手として稼働したいとの意向をもつている。

5  少年は在宅試験観察後A事務所への出入りはしていないとのことであり、又勤務終了時間が遅いため保護司の許へは出頭していないが、保護観察所へは出頭し、その指導を受けている。

(二)  考察

上記認定事実を基礎として考察する。

1  少年が暴力団の事務所に起居し、家庭に寄り付かず、且つ保護司の許へ出頭しなかつたことは、暴力団の活動に参加しなかつたとはいえ、更生上重大な支障となるものであり、且つ仮退院の趣旨を全く無視した所為であるから、少年を少年院に戻し収容して再度矯正教育を施す必要性は本件が係属した当初の段階においては確かに存在したといえる(仮に戻し収容したとしても、少年の在院期間は少年が20歳に達する昭和61年8月7日で満了するから、少年の再収容期間は本件申請時から起算しても2ヶ月に満たない短いものになるけれども、収容継続決定がなされる場合があるのみならず、何よりも少年の遵守事項違反を放置することが少年の更生上有害であることからすると本件申請はもとより適切なものであつた)。

2  しかしながら、少年は暴力団から離脱したかつたのに不本意ながら暴力団事務所に起居していたものであることに加え、本件係属後少年は暴力団から離脱することができたと一応いえること、職業も定まり、又将来の目標を設定し、これを実現すべく真面目に努力しているといえること、本件係属後は保護観察に従つていることからすると、現時点においては遵守事項違反は一応解消したというべきである。

3  そうすると、現時点においては少年を戻し収容する必要は存在しないものといわなければならないから、本件申請は理由がないことに帰する。

4  よつて、本件申請を棄却することとし、犯罪者予防更生法43条1項、少年院法11条3項、少年審判規則55条により主文のとおり決定する。

(裁判官 三浦宏一)

〔参考〕 戻し収容申請書

東北委審第48号

戻し収容申請書

昭和61年6月10日

秋田家庭裁判所 支部 殿

東北地方更生保護委員会

下記の者は、少年院を仮退院後秋田保護観察所において保護観察中の者であるが、少年院に戻して収容すべきものと認められるので、犯罪者予防更生法第43条第1項の規定により申請する。

氏名

年齢

G・K

昭和41年8月7日生

本籍

秋田県由利郡○○町○○字○○××番地

住居

同上

保護者

氏名

年齢

G・J

大・<昭>11年10月15日生

住居

秋田県由利郡○○町○○字○○××番地

本人の職業

無職

保護者の職業

土木作業員

決定裁判所

秋田家庭裁判所 支部

決定の日

昭和60年7月26日

仮退院許可委員会

東北地方更生保護委員会

許可決定の日

昭和61年3月22日

仮退院施設

青森少年院

仮退院の日

昭和61年4月4日

保護観察の経過及び成績の推移

別紙1のとおり

申請の理由

別紙2のとおり

必要とする収容期間

参考事項

添付書類

1 質問調書(甲)1通

2 少年院仮退院許可決定書抄本1通(編略)

3 引致状謄本1通(編略)

注意 本人が施設に収容されているときは、その施設名を住居欄に付記すること。

別紙1

1 昭和61年4月4日青森少年院を仮退院、同日秋田保護観察所に出頭し、仮退院中の遵守事項等について説示を受けた後、指定帰住地である表記住居に帰住した。

2 同年4月5日求職及び友達に会うためと称し秋田市内に出たが、その際、秋田駅前で○○一家○○二代目○○組の組員と接触、その日の夕方両親と一緒に担当保護司のもとを訪ねて保護観察中の必要事項について指導を受けた。

3 同年4月6日家族及び担当保護司に行く先を告げることもなく少年院収容前まで所属していた秋田市○○町×-××所在の○○一家○○二代目○○組幹部Aの事務所(○○総業事務所)に移り、同事務所に起居、電話番をするなどして過ごした。この間、同年4月20日ごろ、秋田駅前のパチンコ店「○○会館」において本人の行く先を案じて探していた母親と会い帰宅をうながされたが、自分は組員だからという理由のもとに、これを拒絶し、その後も担当保護司に対して何等の連絡もせずに無断で保護観察下を離れて現在に至っている。

4 同年4月22日前記「○○総業事務所」内の本人あて同月30日を指定して呼出しを行ったが、指定日まで何の連絡もなく出頭しなかったため同年5月7日秋田保護観察所長は秋田家庭裁判所からの引致状発付を受け、同日秋田警察署長あて引致状の執行方を嘱託した。

5 同年6月4日午前8時秋田警察署の警察官が前記「○○総業事務所」内において本人の引致に着手、直ちに秋田保護観察所に引致して必要な手続きを行い、同日東北地方更生保護委員会の審理開始決定により、身柄を秋田少年鑑別所に留置した。

別紙2

少年は、当庁の許可決定により昭和61年4月4日青森少年院を仮退院し、現に秋田保護観察所の保護観察下にあるが、昭和61年6月4日付け同保護観察所長から戻し収容の申出がなされたので審理するに、

少年は、仮退院の翌々日である昭和61年4月6日保護者に行く先を告げることもなく少年院収容前まで所属していた秋田市○○町×-××所在の○○一家○○二代目○○組幹部Aの事務所(○○総業事務所)に移り、以来同事務所に起居、電話番をするなどをして無為に過ごしていたものであり、この間、本人を案じて探しにきた母親から帰宅をうながされたにもかかわらず自ら組織の組員であることを自認のうえこれを拒絶し、その後も担当保護司に全く連絡をすることもなく、無断で保護観察下を離れて現在に至っている(一般遵守事項第1号、同第3号、同第4号及び特別遵守事項第6号、同第7号、同第8号違反)

ものであり、これらの遵守事項違反の事実は少年に対する秋田保護観察所保護観察官○○作成の質問調書及び関係記録によって明らかである。

次に、仮退院中の行状についてみるに、少年は暴力組織への帰属意識は極めて高いため、仮退院当初から保護観察に服し、両親の正当な監護のもと善良な社会人に更生しようという意欲に欠けていたものと判断せざるを得ず、このまま放置した場合はますます暴力組織とのかかわり合いを深め、組織の活動に更に活発に参加することとなるおそれがあり、ひいては保護観察の実効はおろか軌道に乗せることさえできないまま罪を犯すに至らしめる懸念なしとしない。

よって、この際少年院に戻して収容し、再度相当期間の矯正教育を施すことが必要、かつ、相当であると思料する。

質問調書(甲)

本籍 秋田県由利郡○○町○○字○○××番地

住居 本籍地に同じ

職業 無職

G・K

昭和41年8月7日生(19歳)

上記の者に対する保護観察事件について、昭和61年6月4日秋田保護観察所において質問したところ、本職に対し、任意下記のとおり供述した。

1 私はG・Kです。

本籍、住居、職業、生年月日は只今申し上げたとおりです。

2 私は昭和61年4月4日青森少年院を仮退院し、現在も秋田保護観察所の保護観察を受けています。

保護観察の期間は、20歳になる前日までですから昭和61年8月6日までです。

私は仮退院した当日、秋田保護観察所に出頭し、係官から保護観察中の生活や、遵守事項について説明を受け守ることを約束しました。

また、約束を守れなかった時は、少年院に戻されるということも説明を受けました。

私が守らなければならない遵守事項は

1 他人のものを盗んだり、恐喝しないこと

2 シンナーを吸引しないこと

3 暴力組織を離脱すること

4 まじめに就労し、貯蓄すること

5 進んで担当保護司を訪ねること

以上だったと思います。

このとき本職は少年院仮退院許可決定通知書に記載の遵守事項及び一般遵守事項を読み聞かせたところ、

只今読んでもらったとおり、まちがいありません。

3 私は仮退院した翌日、職安へ行ったり、友達に会えるだろうと思って秋田市に出て来ました。

その時秋田駅前で同じ組織(○○一家○○二代目○○会)の組員(氏名不詳)に会いあいさつしましたが組が違うこともあり、そこでは簡単なあいさつ程度ですぐに別かれました。

4 同年4月6日家族や担当保護司には何も相談せず、組織から離脱する目的で組の事務所である

秋田市○○町×-××「○○総業」

に出かけました。

その時、親父(組長A)が組員に

「しばらくぶりに会ったから飲みに連れて行ってやれ」

と言って、その日の夜組員4~5人(氏名不詳)と一緒に秋田市山王の○○ビル内にあるスナック(名前不詳)で酒を飲み、もてなしを受けました。

自分はウイスキーの水割を4~5杯飲んだと思います。

店の名前を思い出しました。

たしか「○○」だったと思います。

結局その日から組の事務所に寝泊まりし、3日に1回の事務所当番をして今日に至っています。

事務所当番の仕事は、2台の電話番のほか、掃除、洗濯、来客の接待などで、24時間交替です。

事務所当番以外の日も雑用が多く、外出は常に2~3人でポケットベルで所在を明らかにすることになっています。

当初組織を離脱する意志で組の事務所に出かけたわけですがもてなしを受けたり、親父(組長)の態度が少年院に入る前と比べてかなり短気で乱暴になっていたため、離脱を口に出すことが出きませんでした。

5 担当保護司へは仮退院の翌日両親と一緒に訪ねただけで以後一度も会っておらず、また何の連絡もしていません。

もちろん観察所へも連絡はとっていません。

家族には同年4月6日無断で家を出て以来一度も帰宅してはいませんが、電話で3回位は秋田市内にいることだけは伝えています。

ただ、同年4月20日頃秋田駅前のパチンコ店「○○会館」で自分を探しに来た母親と会い、家へ戻るよう言われましたが他の組員も一緒だったし、帰る気持もなくなっていたので、帰らないと言って別れました。

パチンコ店には週に1度位は顔を出しています。

家族に対しては別に不満があるわけではないのですが、正式な組員になっているので帰るわけにはいきません。

6 保護観察については当初から何も受けていない状態で遵守事項に違反していますが、シンナー吸引や他人に迷惑をかけるような悪いことだけはしていません。

自分としては、少年院に戻されたくはありませんので、今後はまじめに保護観察を受けたいと思っています。

また、組の事務所に呼出状を送ったことを今聞きましたが、私は見ていません。

G・K

上記のとおり録取し、本人に読み聞かせたところ誤りのない旨申し述べ署名指印した。

前同日同所

秋田保護観察所

保護観察官○○

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例