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秋田家庭裁判所 昭和37年(家)1197号 審判 1963年9月16日

申立人 三田新助(仮名)

相手方 三田良治(仮名)

主文

本件申立を却下する

理由

本件申立の趣旨及び理由として申立人の主張するところは、別紙申立書記載のとおりである。

そして、証人佐野辰之助、同小山一郎、同大原京子、同三田トミ、同加藤洋子、同高井ハナ、同須藤行雄、同三田にサの各証言、当事者双方本人の供述及び調査官作成の調査報告書を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  家族関係

申立人の先妻三田ハマは昭和一四年に死亡したが、申立人と同女の間の子として、相手方良治、三男昭郎、四男伸郎及び五男謹郎がある。なお、長男太郎及び長女メイ子は既に死亡した。そして申立人は、昭和二九年八月二六日現在の妻ヒサと婚姻し、後妻に迎えた。(別紙身分関係図参照)

(2)  本件紛争の原因及び経過

申立人は戦前は石炭販売業を営み、戦時中は煉炭製造業に転向し、終戦後は鉄道用材を買い集めて国鉄に納入する事業を始めて成功し、次第に事業を拡張し、昭和二七年に秋田木材防腐会社を設立し、財を為した。

相手方は、昭和一九年一二月旧制工業学校を卒業後上級学校に進学せず、家に止り、戦時中の煉炭製造業の時代から父である申立人の事業を手伝い、主として外交面において手腕を発揮し、秋田木材防腐会社が設立されるや、その専務取締役に就任した。三男昭郎は、秋田鉱山専門学校に進学し、卒業後は、相手方と共に申立人の事業を手伝い、主として、内部事務処理に当つていた。四男伸郎は、東大卒業後小田急電鉄に勤務し、五男謹郎は、慶大卒業後渋沢倉庫株式会社に勤務している。

相手方は、昭和三〇年六月二四日、松井重彦の媒酌により上村幸子と婚姻し、同女を嫁に迎えたが、幸子の性格が、昔風であまりに厳格な申立人家の家風に合わなかつたため、申立人は同女を嫌い、同女に味方した相手方をも次第に嫌うようになり、申立人の後妻ヒサもこれに同調した。加うるに、申立人の事業は、すでに創草の混乱期を過ぎ、基礎が安定したため、自然の勢いとして、申立人は、外交的手腕にのみ依存する相手方よりも、むしろ教育もあり計数に明るい昭郎を重用するようになつた。このような原因が重なり合い、これに相手方自身のひがみも手伝い相手方は家庭内において孤立し、四面楚歌の状況に陥つた。しかも申立人も相手方も敗けず劣らず我の強い性格の持主であるため、上記のような状況のもとにおいて互いに折り合うことができず、父子間に喧嘩口論がたえない有様となり、時にはそれが昂じて暴力沙汰となり、申立人が警察官を呼んだことも数回あつた。

そこで、前記松井重彦らが間に入り、上記紛争を解決するため話し合つた結果、昭和三一年一二月一六日当事者間に別紙契約書記載のとおりの和解契約が成立し相手方夫婦は申立人と別居し、申立人の事業から離れることになつた。

ところが、上記和解契約により申立人から相手方に贈与されることになつていた秋田市楢山字○○○四番地宅地三〇九坪について、第三者から訴訟が起り、所有権取得登記抹消の予告登記がなされたので、相手方は、事実上これを転売することができなくなり、又結局上記和解契約の実行されないことを危惧し、その代償を求めたため、父子間の紛争はその後も続き、種々の経緯があつた末、相手方は、昭和三七年八月五日上記和解契約の完全履行又は代償の供与を求めるため、申立人宅に行き、「用があつて来た。」と言つて二階に上つたので、申立人は怒つて相手方を外に押し出そうとしてもみ合いになり、その結果左指手関節捻挫の傷害を負つた。

(3)  当裁判所の判断

以上の経過を通観するに、上件紛争は、申立人が相手方の妻幸子を嫌つたことに端を発し、これに申立人の事業上の利害がからみ、結果として、相手方が家庭内において孤立し、申立人の事業から放遂される形となつたのに対し、相手方が反抗したことに原因するものである。しかし、申立人としては、相手方の事業上の功績は充分認めてしかるべきであつて、申立人が我を張り通さず、実子に対する愛情と誠意を以て相手方に接すれば、このような結果とはならなかつたと思われる。又、暴力沙汰とは言つても、いずれが挑発し、いずれが責任を負うべきか不明であつて、冷静に対処すれば決して大事に至ることはないと思われるのに、何事かがあれば直ちに警察力を家庭内に導入し、実子を告訴したりする申立人のやり方には、常識的に見て大いに問題がある。もちろん、相手方が些細なことから前記和解契約に文句をつけ、過大な要求をすることとは、根本において相手方が申立人の事業から放遂されたことに対する感情がからんでいるとは言え、決して賞むべきことではないのであるが、申立人としては、相手方が家に来たならば、その態度がどうであつたとしても、一応はこれを迎えて、おだやかに話合おうと努めるのが普通の親の取るべき態度であるのに、話合いもしないでこれを押出そうとするのは決して隠当とは言われない。要するに、本件紛争は、当事者双方がどこまでも我を張り通そうとするところにその原因があり、この父にしてこの子ありの観なきにしもあらず、到底相続人廃除の原因とはならないというべきである。

よつて,主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡辺均)

身分関係図<省略>

申立書(当事者の表示 省略)

申立の趣旨

一 相手方は申立人の二男で遺留分を有する推定相続人である(長男は戦死)。

二 相手方は数年前連日、連夜の如く暴言を吐き暴行を加えたので遂に申立人は財産を分与し別居せしめた。

三 其の後再三に亙り暴力を加え且つ公衆の面前においてすら業務上の信用を傷つける重大なる侮辱を加えた。昭和三四年三月四日に秋田警察署に説論及告訴状を提出した状態であつた。

四 本年八月五日には相手方は申立人に右手使用不能な程の傷害を加えた(別紙診断書添付)。その為秋田警察署に説論をお願いしたがなおあらたまらず申立人宅に入り込み暴行、暴言を吐く有様であつた。

五 以上の様な有様でありますから申立人は老令であるし相手方へ相続させる意志がないので、被相続人に対する暴行及重大なる傷辱を原因とする申立の趣旨記載の通り相続人廃除の審判を求めます。

契約書

三田新助を甲とし三田良治を乙とし当事者間に左の契約を締結する。

一、乙は本契約成立後直ちにその本籍を他に移し且即時妻と共に甲の住家より退去し、その所持品全部(妻幸子の所持品を含む)を他に移動するものとする。

二、甲は乙に対し次の財産を分与する。

(1) 秋田市長野下新町○○番地の○○

一、宅地約四七坪

前同所々在家屋番号  番

一、木造亜鉛鋼板葺二階建住家一棟

建坪  坪

(2) 秋田市鳥場前○番地、○番地、○番地以上三筆宅地合計約九百坪

(3) 山形県西村山郡○○村所在硫化鑑山採掘権登録番号七、六七三号

同県同郡△△村所在硫化鑑山採掘権登録番号七、六七四号

以上鑑業権を甲、乙各持分二分の一の共同権利とする。

(4) 現金百五〇万円也但し乙が第一項の退去を為すと同時に内金三〇万円也、昭和三二年六月末日迄に残金百二〇万円也

三、乙が前項(2)の物件の所有権を他に処分しようとする場合には乙は事前に甲と協議するものとする。右協議が調わない場合には甲は第二項(2)の○番地宅地上に存在する甲所有の木造住家約二二坪及びその附属建物を同地上から収去するものとする。

四、第二項に関する登記登録等の手続は甲乙協力し可及的速かに行うものとする。

五、甲につき遺産相続が開始した場合において乙は遺産相続の権利を抛棄し、且乙は甲にし爾今各目の如何を問わず前各項以外の財産上の要求を一切しないものとし尚乙の株式会社三田石炭商店及び秋田木材防腐株式会社に対する権利を抛棄するものとする。

六、本契約条項は後に公正証書に作成することを甲乙互いに諒承する。

本契約書は三通作成し甲、乙及び立会人各々の一通を保有する。

昭和三一年一二月一六日

甲三田新助 印

乙三田良治 印

立会人松井重彦 印

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