大判例

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秋田地方裁判所本荘支部 昭和44年(ワ)36号 判決 1971年11月19日

原告 能藤久満男

右訴訟代理人弁護士 伊藤彦造

被告 能藤三男

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 猪股直三

主文

一、被告能藤三男は原告に対し別紙目録記載の土地について、昭和四三年九月九日秋田地方法務局象潟出張所受付第一七〇三号をもってなした同年同月三日付贈与を原因とする所有権移転登記の抹消手続をせよ。

二、被告能藤一男は原告に対し右土地について昭和二一年四月贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め(た。)

≪省略≫

被告両名訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め(た。)

≪以下事実省略≫

理由

(第一次請求原因について)

(一)  本件土地がもと金浦町金浦字上林四一番山林一畝二〇歩の一部であり、登記簿上能藤佐市が三浦房吉から買い受けたことになっていること、右上林四一番の土地が昭和三年九月二九日上林四一番の一と同番の二に分筆され、後者の方が加賀谷円治所有の四〇番の二と交換され、同じく佐市名義になり、さらに佐市死亡後三吉により右の四一番の一と四〇番の二の土地が昭和二五年七月一八日合筆され、佐市からの家督相続として被告一男名義に書き換えられ、その際四〇番の三(本件土地)と四一番の三および四〇番の二に分筆された旨、さらに本件土地が昭和四三年九月三日贈与を原因として被告一男から被告三男に所有権移転登記がなされた旨、各々登記簿上記載されていること、佐市は昭和二一年三月二日、三吉が昭和二六年七月各々死亡したこと原告の現在居住する建物が登記簿上は四〇番の二地上に存していることになっているが、現実には本件土地上に存し、被告三男居住の建物が四〇番の二地上に存していることについては当事者間に争いはない。

(二)  本件土地の当初の所有者についてであるが、原告の主張するように、本来三吉が三浦から買い受けたのであれば特段の事情のない限り登記簿上自らの所有名義にするのが常識であるべきところ、それが登記簿上佐市が三浦から買い受けたようになっていて、それにもかかわらずなお三吉の所有であると認めるべき証拠としては一応≪証拠省略≫が存するが、これらをもって直ちに右登記簿の記載に反する認定を導くには足らず、結局特段の事情の証明されない本件においては登記簿の記載に従い、本件土地の所有権は佐市にあったものと認めざるを得ない。

そうすれば、本件土地が当初から三吉の所有であったということを前提にして、三吉が原告に昭和二一年四月にこれを贈与したという原告の主張はその前提を欠き失当ということになる。

(第二次請求原因について)

(一)  昭和二一年四月、被告一男の親権者キミヨが本件土地を原告に贈与したかいなかについて検討する。

≪証拠省略≫においては右事実が肯定されているところであるが、いずれも伝聞かつ抽象的な表現にとまり、他の証拠にてらしこれのみでは右贈与の事実を認定するにはいまだ足らない。

そこで、≪証拠省略≫および前記の争いのない事実を綜合して認められるところの次の間接事実について、さらに検討を加えなければならない。原告は、幼少の頃父に死別し、母は原告の祖父三吉の弟の能藤三之助に嫁いだため、その後三吉や父の弟佐吉のもとで、その子である被告ら(つまり原告の従弟にあたる)と一緒に養育されて来たが、応召や出稼ぎで一時家を離れた後昭和三〇年一二月金浦に帰り三吉の住家の隣の小屋を家に改造してこれに居住し、独立して世帯をもつことになった。昭和二一年三月二日佐市が死亡したため、そのころ三吉や三之助や佐市の弟能藤与之吉らは、三吉名義の建物と佐吉名義の土地を、原告と佐市の二男被告一男(長男は死亡していたので佐市の家督相続人にあたる)に分与するのが適当だと考え、一応、原告の住家とその敷地を原告のものとし、被告一男の住家(即ち三吉自身や佐市の妻キミヨ、被告ら兄弟の居住しているところ)とその敷地を被告一男のものにするという内容の話合いをつけた。キミヨはその話し合いに積極的には参加しなかったが、その内容を知っていた。右の話し合いにもとづき昭和二五年五月当該土地の測量をし、当時石工であった与之助が原告と被告一男の土地の境界線上に「中」と彫った石柱を二個立てて外観上両者の土地が判然となるようにすると共に、三吉は同年七月一八日付をもって前記のように佐吉名義の二筆の土地を家督相続を原因として被告一男名義に書き換えると同時に合筆し、さらに本件土地である四〇番の三と四一番の三および四〇番の二に分筆し、前二者を原告への贈与分として分筆登記し、登記簿上においても明確にした。昭和二六年七月、三吉が死亡するとその祭祀は同人の長孫である原告が承継した。昭和二八年原告は与之吉の積極的な関与により佐々木源治郎に自分に分与された土地の一部を売却した。また同年原告は当初から現在も居住している建物が登記簿上被告らの居住している建物と一体となっていたのを分割する登記手続をした。これらの一連の行為について昭和四二年被告三男の本件登記問題が起るまで被告らからは勿論、キミヨをはじめ誰一人からも異議がみとめられず、原告と被告らは親戚付き合いをしながら平穏な生活を送ってきたこと、また、被告一男が、昭和三四年妻と母との折合いの悪さから郷里を捨てて彼の地に住むということになった際、自己名義の土地や建物を弟被告三男に書き換えたのであるが、このときも被告一男は四〇番の二とその上に存する建物のみを被告三男名義に変え、本件土地である四〇番の三とその上に存する原告居住の建物の名義はそのままにしておいた。原告が本件土地の登記名義を今日まで自己に書き換えなかったのは、その手続費用に窮していたからである。以上の認定事実について、これを覆すべき証拠はない。

そこで、ひるがえって本件土地を原告に贈与するということになれば法律的には当時佐市の家督相続人たる被告一男が未成年であったからその法定代理人たる親権者キミヨと原告との間で贈与契約が成立しなければならないものであるところ、右の三吉、三之助、与之助らの話し合いにキミヨが積極的に参加し、本件土地を原告に贈与する旨の明示的な意思表示をしたということは証拠上確定できないが、先に認定した諸事実に≪証拠省略≫を綜合すれば、少なくともキミヨは右の贈与について黙示的に承諾を与えていたか或は三吉らにすべてまかせるという意思であったものと認められ、(≪証拠判断省略≫)結局昭和二一年四月ごろまでに原告主張の贈与契約は成立したものと判断するのが妥当である。

なお、そうであるならば、三吉が昭和二五年七月合筆分筆登記をする際、本件土地を含む原告への贈与分について何故原告名義の登記をしなかったか、また≪証拠省略≫によれば原告、被告らの各々居住する建物が分割前である昭和二六年七月二三日付をもって三吉名義から贈与を原因として被告一男名義に書き換えられていること等について理解に苦しむ点がないではなく、また被告一男が郷里を離れる際四〇番の二とその上の建物のみについて被告三男に名義換えをしたのも本件土地とその上の建物が原告のものであるということを承認したのではないかという推定がはたらく反面、被告らの述べるように被告一男が再び郷里に戻ってくることを考慮したものであるということも一応肯けないこともないが、これらをもって右の判断を左右することもまたできないところである。

(二)  次に、原告の再抗弁について判断する。

前記のとおり、本件土地が被告一男の法定代理人たる親権者キミヨにより被告一男から原告に贈与されたとするならば被告一男が昭和四三年九月三日被告三男に本件土地を贈与したことはいわゆる二重贈与になり、しかも同月九日被告三男は原告に先立って所有権移転登記を取得したので、原則として原告は民法一七七条により被告三男に対抗できないことになる。しかし、例外的に被告三男がいわゆる背信的悪意の取得者であるときはこれに対抗できるとするのが判例通説の説くところである。ここで、「背信的悪意の取得者」とは単に自己の取得した物権と相いれない他人の物権取得を知っているということではなく、不動産登記法四条、五条に準ずるような信義則に反する取得者と解すべきである。

そこで、本件の被告三男について検討する。被告三男は被告一男の弟であり、二人はいずれも佐市、キミヨ夫婦の子であり、原告とは従兄弟にあたり、幼少のころから同じ家で育てられ、長じてからは原告の応召や仕事の関係で生活を共にすることは少なくなったとはいえ、昭和二〇年以後隣り同士の家に住み一応平穏な親戚付き合いをして来たものであることは前記のとおりであり、さらに≪証拠省略≫によれば、本件登記に先立って原告と被告らとの間に、キミヨや志げらも混えて交渉が続けられ、最初は平穏裡に原告と被告三男との間を調整すべく努力がなされたのであったが、結局感情的な問題も発生し、話し合いがつかないでいるうちに被告三男が第三者の示唆をうけて早く登記をした方が勝ちだと思いつき本件登記を取得するにいたったものと認められ(る。)≪証拠判断省略≫

そうすれば、被告三男は交渉中原告の主張するこれまでのいきさつを知りはしたものの確定的に原告への贈与があったということを信じなかったようであるが、そうであるとしても、原告との身分関係やまた原告が贈与を受けた当時は現行民法の施行直前であり旧民法に従い被告一男のみが佐市の財産を相続したのであったがもし相続開始がしばらく遅れ、現行民法施行後であったならば被告三男も佐市の相続人としてキミヨが相続人に代理してなした原告に対する贈与について、被告一男とともに原告に対し登記手続をすべき義務を有することになることなどの事情を考えれば、被告三男としてはさらに原告に対する贈与の存否が確定されるまで、或は原告との間に妥当な調整がつくまで登記をするのをひかえ、そのために一層の努力をすべき信義則上の義務があるというべきなのに、これを怠り、早く登記をした方が勝ちだという第三者の示唆を受けて自己の利益をはかるに急な余り原告の利益を全く無視して本件登記を取得するにいたったものというべきであるから、被告三男は不動産登記法五条に準ずる背信的悪意の取得者であると解すべきである。このような特段の事情の存する限り右のように解しても決して不動産取引の安全のために物権の得喪変更について公示を要するという登記制度の趣旨にもとるものとはいえないと考えられる。

(三)  そうすれば、原告は、本件土地の贈与について登記なくして被告三男に対抗することができることになり、原告の本件請求はすべて理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九三条により被告らの連帯負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判官 穴沢成已)

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