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秋田地方裁判所 昭和53年(わ)232号 判決 1979年3月29日

被告人 牧野博行

昭二三・一二・一〇生 無職

主文

被告人を禁錮一年四月に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  昭和五二年四月一六日午前六時四三分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、新潟県新発田市大字島潟天神四二八一番地先道路を新潟市方面から山形市方面に向け時速約五五キロメートル(制限速度四〇キロメートル毎時)で進行し、自車左前方を同方向に進行中の中野義丸(当時七六年)運転の自転車をその右側から追い越すにあたり、自動車運転者としては、当時路面が濡れて車輪が滑走しやすい状況であつたから、急激なハンドル・ブレーキ操作を避け右自転車の動静を十分注視し、適宜速度を調節しつつ進路を右に変え、同車との間に安全な間隔を保ちその安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然前記速度で進行し、前記中野運転の自転車の後方約六・九メートルに接近し急にハンドルを右に転把して追い越しを開始し、かつ、前方の信号が黄色に変つたため、急激なブレーキをかけた過失により、自車を右斜めの姿勢のまま前方に滑走させ、自車左側部を前記中野運転の自転車のハンドル部に衝突させて同人を路上に転倒させ、よつて同人に対し加療約七か月以上(その後の身体機能回復訓練のため加療約五か月以上)を要する脳挫傷、硬膜下血腫の傷害を負わせ

第二  昭和五三年一月一日午後一一時二〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、埼玉県所沢市大字北秋津七七二番地付近道路を所沢市方面から東村山市方面に向け進行するにあたり、自動車運転者としては、同所は左に湾曲しており中央に点線で通行区分が表示されていたのであるから、自己の走行車線より逸脱することなく通行区分を守つて進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、飲酒のうえ注意力散漫となつたまま運転し、対向車線に乗り入れて進行した過失により、折から対向車線を所沢市方面に向かい進行中の普通乗用自動車右側後部に自車前部を衝突させたうえ、同車に後続進行中の福田豊(当時三三年)運転の普通乗用自動車前部に自車前部を衝突させ、よつて右福田豊に対し全治二五日間を要する外傷性頸部症候群、左肩・両下腿打撲等の傷害を、同車に同乗していた妊娠中の福田恭子(当時二八年)に対し加療約一か月(その後の傷痕形成のための加療約一年以上)を要する顔面挫創、両下腿打撲等の傷害をそれぞれ負わせ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一、第二の各所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、判示第二の所為は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い福田恭子に対する業務上過失傷害罪の刑で処断することとし、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を禁錮一年四月に処し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(公訴事実第二のうち福田綾子に対する業務上過失致死の訴因を認定しなかつた理由)

福田綾子に対する業務上過失致死の公訴事実の要旨は「被告人は、昭和五三年一月一日午後一一時二〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、埼玉県所沢市大字北秋津七七二番地付近道路を所沢市方面から東村山市方面に向け進行するにあたり、同所は左に湾曲しており中央に点線で通行区分を表示するラインが引かれていたのであるから、自己の走行車線より逸脱することなく通行区分を守つて進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、飲酒のうえ注意力散漫となつたまま運転し、対向車線に乗り入れて進行した過失により、折から対向車線を所沢市方面に向かい進行中の……福田豊(当三三年)運転の普通乗用自動車前部に自車前部を衝突させ、……右衝撃で(同車に同乗していた)妊娠中の福田恭子より異常に出産した福田綾子を同月一一日午前一時一〇分ころ、同市若狭二丁目一六七一番地国立西埼玉中央病院において、頭蓋内出血等の傷害により死亡するに至らしめたものである」というのであり、被告人の過失により本件衝突事故が惹起され、福田豊及び妊娠中の福田恭子が傷害を負つたことは前認定のとおりである。

医師渋江義朗作成の出産証明書、医師下村正彦作成の死亡診断書、同人の司法警察員に対する供述調書、福田豊の司法警察員に対する供述調書によれば、出産予定日を二月一八日に控えていた前記福田恭子は、本件事故による受傷の治療のため事故現場から救急車で国立西埼玉中央病院に入院し、その治療中の昭和五三年一月九日午後零時三四分、同病院産婦人科で女児(綾子)を分娩したこと、右出産は在胎三四週のいわゆる早産であつたこと、分娩時、同児は体重一七七〇グラムのうえ、重症の仮死状態で自発呼吸もなく担当医は九分九厘助かる見込がないと診断していたこと、分娩後同児に対し人工呼吸器を使用するとともに点滴、注射等の医療を施したが、約三六時間半後の同月一一日午前一時一〇分死亡と診断されたこと、解剖の結果によれば同児には頭蓋内出血、肺拡張不全の所見が判明したこと、本件衝突事故により妊婦福田恭子が腹部を強打したか、あるいは、事故のシヨツクにより同女の血圧が一時的に降下して、これが胎児の循環不全を来たし胎児に異常が生じ、出産が早まり、出産の際、重症仮死状態であつたことから本件死の結果を生じたことなどが認められる。

ところで、刑法の生命、身体に対する罪の客体は「人」であり、胎児の生命、身体に対する侵害は堕胎罪によつて処罰されている。そこで胎児の間に胎児に加害行為(実行行為)があり、それによつて分娩後分娩児が死亡するに至つた場合、加害者はどのような責任を負うべきかは問題であり、実行行為と客体の同時存在は必要でなく、胎児は将来人になるべくその機能を生成している過程であり、胎児に傷害を与え、その結果が「人」に及んだ場合、「人」に対する傷害罪等として加害者はその責任を負うとの見解があり、これも現行刑法上否定できないものがあると思われるので、本件においてこの点を検討する。

従来、生命、身体に対する侵害犯の客体として「人」の始期は出生であり、出生の時期は刑法では胎児の身体の一部が母体から露出した時とするのが一般であり、早産のため発育不良で将来成長の希望のない嬰児でも、また仮死状態で呼吸作用を開始しなくとも「人」であるとも言われている。これは生命、身体に対する直接の加害行為は一部露出の段階でも可能であり、将来成長の見込がなく、また単に仮死状態でも死と判定されない限り、これに対する加害行為は処罰に値するからである。しかし、胎児に過つて傷害を与えたが、母体から一部露出した後には何らの加害行為が存在しないときに、従来の「人」の概念を直ちに前記見解にあてはめ、その後の結果について責任を問うのであれば問題を生ずる余地があると思われる。少なくとも、前認定の本件分娩の経緯、分娩児の容態をみるならば、堕胎罪(これは自然の分娩期に先立つて胎児を人為的に母体外に排出する行為で、その結果が死産であるか生産であるかを問わない。)との関連、特にこの過失犯が処罰されないことと対比すると、本件事案のもとで従来の「人」の概念を前記見解にあてはめ業務上過失致死罪の責任を問うのは、その構成要件を不当に拡大解釈するもので、罪刑法定主義の見地からも許されないと考える。すなわち、一部露出の段階を経て医学的には生産児の分娩と判定されても、胎児の際の過失により加害され、生活機能の重要な部分が損なわれ、自然の分娩期より著しく早く母体外に排出され(早産)、生活能力もなく、自然の成り行きとして出産後短時間で死に至ることが予測され、実際どんな医療を施しても生活能力を具備できず医学的にも死の結果を生じた本件事案のような場合には、刑法上右分娩児は「人」となつたとは言えず、胎児の延長上にあり、胎児又は死産児に準じて評価するのが相当である。

結局、本件では人の死という結果発生について、その証明がなかつたことに帰するが、判示第二の罪と科刑上一罪の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、主文において無罪の言渡をしない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西村尤克)

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