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秋田地方裁判所 昭和31年(わ)72号 判決 1959年6月27日

被告人 田中トミ

昭九・四・二五生 無職

主文

被告人は無罪

理由

第一、公訴事実

被告人は夫田中鉄所有にかかる能代市畠町二十番地所在木造杉皮葺平家建住家(建坪約十一坪)に夫等とともに居住していたものであるが、昭和三十一年三月二十日午後九時頃、同家台所五畳の間において夕刻より使用中の七輪の残火に消炭二掴み位を継ぎ足して火を起し炊事をしたのであるが、間もなく炊事を取り止めて、火は不用となつたので、七輪を台所の略中央部に設置された囲炉裡の炉縁上に片付けて就寝するに当り、元来同家屋は建築以来数十年を経過して古びた荒家となつて、すでに屋根も柱もかたむき当夜も強風のため屋根の数ヶ所が剥がれその修理も完全になし得ず、また戸障子も各所に隙間を生じており為に風が屋内に吹きこんでいたのであつて、しかも右炉縁の周囲はすでに長期間使い古されたゴザ敷であり、もし火気に接すれば引火し易い状況になつていたのみならず、加えて当日同市一帯に風強く夕刻よりは漸次風速を強めて当時は風速毎秒約一七米の東北風が吹きあれていたために、被告人は夫とともに屋根を飛ばされはしないかと不安の念を抱いて昼間の着衣の儘就寝した程で殊にその際夫から風が強いから火元に気をつけよと注意を受けており、また嘗て強風の際屋内に吹き込んだ風のため七輪の炭火が床上のゴザに飛火したことも再三あつたのであるから、斯る際火気を残して就寝するときは出火の危険が大であり、不用の火気は速かに消火して火災の発生を未然に防止しなければならない注意義務があつたのにかかわらず、被告人はこれを怠り、前記の如く全然不用となつた七輪の炭火をなんらの理由なく惜しんでこれを速かに消火する惜置を執らず、僅かに七輪に薬罐を掛けただけで放置し、その場を離れて隣室八畳の間で就寝し、その後間もなく強風のため台所の屋根板が煽られ風が吹き込みおることに気がついたので起き上つて、台所の様子を見ながら前記七輪の火を消火することを為さずして、そのまま放置し、同日午後九時半頃再び八畳の間で就寝した重大な過失により、七輪の残火が強風により飛火してゴザ等に燃え移り順次燃えひろがつてついに同日午後十時五十分頃出火し、よつて翌二十一日午前五時半頃までの間現に人の住居に使用する右田中鉄所有の住家一戸外約千百数十戸及び現に人の住居に使用しない宮腰栄治所有の非現住建造物一棟外約三百棟を焼燬したものである。

第二、公訴事実中証拠によつて認定できる事実

被告人の当公判廷における供述、及び司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の検証調書、裁判所の検証調書、秋田測候所長作成の気象資料の回答についてと題する書面、能代市長作成の昭和三十一年四月十三日付捜査関係事項照会の件回答についてと題する書面を綜合すれば、

一、被告人は、昭和三十一年三月二十日当時、夫田中鉄所有の能代市畠町二十番地所在木造杉皮葺平家建住家(建坪約十一坪)に夫とともに居住していた事実

二、右家屋は建築以来数十年を経過して古びた荒家となつて、すでに屋根も柱も傾き、前同日夜も強風の為屋根の数ヶ所が剥がれ、その修理も完全になしえず、また戸障子も各所に隙間を生じており、為に風が屋内に吹きこんでいた事実

三、右家屋の台所の中央部よりやや南東よりには、一尺九寸四方の囲炉裡が設置され、しかもその炉縁の周囲にはすでに長期間使い古された押収にかかる証第二十六号と同種題のゴザが敷かれてあつた事実

四、前同日能代市一帯に風が強く、夕刻より漸次風速を強め、午後六時頃より午後十時頃迄は、風速毎秒約十七米の東風或いは東北東風が吹きあれ、当日の瞬間最大風速は午後九時五十分、毎秒十八、七米を数えるに至つた事実

五、同日午後十時五十分頃、前記被告人居宅附近から出火し、翌二十一日午前五時三十分頃までの間に、現に人の住居に使用する住家約千百五十六戸、及び現に人の住居に使用しない建造物三百十九戸を焼燬した事実を夫々認定することができる。

第三、出火個所及び出火原因についての考察

一、被告人及びその夫を除き、本件火災の最も早期発見者と認められる証人佐藤勇の尋問調書中、被告人居宅の隣家である宮腰建設興業株式会社の倉庫(以下宮腰倉庫と略称する)の通称焼場小路に面した庇の手前端が一番多く燃えており、その火は右倉庫の中から吹き出ている様な状況であつたとの記載、同じく早期発見者と認められる証人佐々木誠一の尋問調書及び同人の検察官に対する供述調書中、被告人居宅と宮腰倉庫の間が出火当初最も多く燃えていた旨の各記載によれば、出火点が、被告人居宅と宮腰倉庫の附近であることを認定することができるが、そのいずれであるかを特定することまではできない。

二、そこで右近辺における出火の可能性について検討するに、

(イ)  電気事故によるものかどうかについて

斎藤劔輔、納谷松太郎の検察官に対する各供述調書、直島由吉、泉春三の司法巡査に対する各供述調書、小松崎盛行、萩原隆一の作成にかかる昭和三十一年四月十一日付鑑定書の各記載によれば、本件火災が電気的事故によるものでないことを認定することができる。

(ロ)  宮腰倉庫及び同倉庫と被告人居宅との間について

証人宮腰栄治の尋問調書によれば、当時宮腰倉庫には、材料庫、車庫、道具庫のいずれにも、それ自体発火の危険性を有するものは存在しなかつた事実を、そして、裁判所の検証調書、証人宮腰栄治の尋問調書によれば、被告人居宅と宮腰倉庫の間は、その土台において僅か〇・三米位の距離をおくにとどまり、しかも被告人居宅は、右倉庫に傾き被告人居宅屋根の軒先は倉庫にくつついていた為、被告人居宅と右倉庫の間を通行することは、殆ど不可能であつた事実を夫々認定することができる。

しかしながら、証人梅田忍同宮腰栄治の各尋問調書によれば、当日午後六時頃、宮腰建設興業株式会社の事務員梅田忍が帰宅の為宮腰倉庫の前を通りかかつた際、右倉庫の道具庫(被告人居宅に最も近い部分)の戸が二枚内側に倒れていた事実を認定することができる。したがつて、その際何人かが右倉庫へ出入りし、火を失することがなかつたとは断定することができない。又、当夜の風の状態並びに本件火災の当初目撃された燃焼個所からして、被告人居宅附近を通り合わせた者が、煙草の火等を失し、それが宮腰倉庫と被告人居宅との間に入り込み、たまたま同所に存在していた燃え易いものに燃え移り、漸次火勢を増して本件火災を惹起したものでないとも断定することができない。

(ハ)  被告人居宅について

被告人の当公判廷における供述及び司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の検証調書を綜合考察すると、本件火災当日、被告人居宅台所に据えつけられたストーブは、午後三時三十分頃から使用したが、午後六時前には既にストーブ内に火気はなく、而もその後全然ストーブを使用しなかつた事実、午後七時頃、炊事をする為に右台所において七輪の中に軽く丸めた新聞紙半頁大にマッチで着火したものを入れ、その上に厚さ二粍程度の杉薄片数個をのせて燃焼させ、おきとなつた頃に、通称杉雑杷と言われるものをストーブで燃やしてそのおきから採取した消炭約六十瓦(押収にかかる証第二十七号の消炭と略々同量)を起して火を使用した事実、被告人の夫田中鉄が、当日午後九時頃、その勤先である西村醤油醸造株式会社から帰宅し、まもなく同人も被告人も台所の隣室である寝室(八畳間)において就寝した事実、被告人等が就寝する際、前記七輪は通風口を殆どしめ、(扉の中央部が稍々閉鎖に近い状態で下部で六粍程度、上部に若干の間隙がある)囲炉裡の北東隅に、通風口を西方に向けて置き、七輪の上には薬罐をかけていた事実を、夫々認定することができる。そして、被告人の司法警察員に対する昭和三十一年三月二十一日付(第五回公判調書中証拠調順序番号十一及び十三)同月二十二日付、検察官に対する同月二十九日付、同月三十日付、同年四月一日付、同月七日付(第五回公判調書中証拠取調順序番号二十七)各供述調書には被告人が本件火災に気付いたときは、七輪をおいていた附近や、台所から土間に通ずるべニヤ板戸の附近が燃えていた旨の供述記載、更に右調書中昭和三十一年三月二十一日付(前記番号十三の分)、同月二十二日付同年四月一日付の各調書には、その火は小さい子供さえいなければ十分に消せる程度のものであつた旨の供述記載があるが、これらの点については、公判廷において、被告人の極力否認するところであつて、被告人の当公判廷における供述及び検察官に対する昭和三十一年三月二十九日付、同月三十日付、田中鉄の検察官に対する同年四月五日付各供述調書には、台所の宮腰倉庫側の側面の板が燃えているのを発見した旨の前記の分と相異なる供述記載がある。そこで、被告人の当公判廷における供述、並びに司法警察員及び検察官に対する各供述調書、田中鉄の検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の検証調書を綜合考察すると、被告人等は火災発見の当時、二人の幼児をかかえていたこととて瞬時も早く危険の場所から脱出することを念願すべき立場にあつたのに拘らず、避難するのに安全な表道路に最も近い表出入口からではなく、わざわざ、平生は使用せず、しかも針金でくくりつけてあつて、たやすく開けることのできない裏戸を蹴破つて、同所から狭い間隙を通つて所謂「きのみきのまま」で避難した事を認定することができるのであつて、このことは被告人等において火災発見後、何等消火の措置に出た形跡も、家財持出しに取りかかつた形跡も認められず、したがつてそれらの為に時間を要したことの認められないのと併せ考察すれば、被告人等が火災を発見した際には、火勢は相当に猛烈であつて、既に台所を通り抜けることは至難な状況にあつたことを認むるのに十分であつて、「小さい子供さえいなければ十分に消せる程度のものであつた」との被告人の前記供述記載は、到底信をおくことができない。而もかような異常時の観察には正確さを期し難いことを併せ考察すれば、前記供述調書の記載のみをもつては出火点が被告人宅の台所であるとは到底断定することができない。尚被告人等において発見した当時の火災の程度が右認定の通りであることは、被告人の検察官に対する昭和三十一年三月二十九日付、同年四月一日付の各供述調書、第三回公判調書中証人池田房治の供述記載部分及び同人の検察官に対する供述調書によつて認定できる通り、被告人が避難する際、被告人方から極めて近距離にある池田房治宅に火災発生の事実を知らせ、これをきいた池田房治が直ちに飛び起きてみたところ、既に宮腰倉庫の北側ののし板は大半焼けていた事実に照らしても明らかなところと言わなければならない。

以上の認定からすれば、なお本件火災の出火点が、被告人の居宅であるか、或は宮腰倉庫、もしくは被告人居宅と宮腰倉庫の間のいずれであるかを断定することができない。

三、そこで進んで公訴事実に指摘された本件火災の出火原因にそつて検討するに、被告人が当日午後七時頃、被告人居宅台所において、七輪に消炭を起して火を使用した事実は前記認定の通りであるが、検察官は、被告人が同日夫の帰宅した午後九時頃、台所において、夕刻より使用中の七輪の残火に消炭二掴み位をつぎ足して火を起した旨主張し、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、右検察官の主張にそう供述を認めることができるとは言え、この点は被告人の当公判廷において極力否認するところである。よつて、果して午後七時頃、前記認定の通り着火させた消炭の火が、午後九時頃まで残存し、新たにつぎ足された消炭に着火することが可能であるか否かについて検討するに、鑑定人青沼孝正作成の鑑定書及び同人の当公判廷における供述を綜合すれば、右鑑定人の実験の結果として、午後七時頃、被告人が着火させたと認められる消炭量と略々同量の消炭の燃焼持続時間の最も長かつたのは、風のある状態のもとにおいては、平均風速毎秒一・七米下で、消炭量五十八瓦、消炭の大きさ四乃至五糎の節のある消炭を混入して七輪の目皿の上に灰を若干置き、七輪の通風口を全閉して燃焼させた場合で、その持続時間は百五分にとどまり、二時間以上の持続時間を有した場合は一件もなく、又無風状態のもとでは、消炭量六十四瓦、消炭の大きさ四乃至五糎の節のある重さ十・六瓦、九・五瓦、八・四瓦の消炭を混入して、七輪の目皿の上に灰をのせないで通風口を全閉した場合で百七十分であるが、その際の二時間後に残存していた消炭は、僅かにうづら豆大一個であつたことが明らかである。もつとも、小豆大の残火一個でも、そのまわりに細い消炭の粒を適当にふれさせ、その上に小さな消炭を加えて着火させることが可能であることも明らかとなつたのであるが、かような実験のためではなく、すぐ炊事に役立てる必要のある場合に、うづら豆大程度の残火一個といつた少量の残火に、直接消炭を加え、時間を費して、その着火を待つということは、常人の殆どしないところであると言わなければならない。以上のこと並びに前記認定の通り被告人居宅内は相当程度の風が吹きこんでいた事実からすれば、被告人が、午後九時頃、同家の台所において、夕刻より使用中の七輪の残火に消炭を二掴み位つぎ足して火を起すということは殆ど不可能に近いことを認め得るのであつて、従つて公訴事実にそう被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載部分はたやすく信用することができない。

第四、結論

以上認定の通り

一、被告人方居宅に最も接近していた宮腰倉庫へ、本件火災の発火前に、人の出入が絶無と断定し得ないこと、したがつて何人かが同所に出入して、本件火災の原因となるべき火を失することのなかつたものと断定することができないこと、

二、被告人居宅附近を通り合わせた者が、煙草の火等を失し、それが宮腰倉庫と被告人居宅の間に入りこみ、それによつて本件火災が惹起されたものでないと断定し難いこと、

三、出火点が被告人居宅の台所の囲炉裡附近であると認定するに足る十分な証拠が存在しないこと、

四、殊に、前記鑑定の結果に照らして、被告人が当日午後九時頃七輪に消炭を起したと認定することが極めて困難であること、

を綜合考察すれば、検察官主張の如く当日午後九時頃、七輪に消炭を起し、その上に薬罐をかけただけで、右七輪を囲炉裡の炉縁上に置いて就寝したとの被告人の過失行為によて、本件火災が惹起したものと認定するには、その証明が不十分であると認めざるを得ない。従つて被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 千々和政敏 高木典雄 兼子徹夫)

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