大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福島家庭裁判所白河支部 昭和34年(家)1527号 審判 1962年10月27日

申立人 大川カツコ(仮名)

相手方 佐野常吉(仮名)

主文

第一  別紙目録記載の不動産の番号中一八、一九、四〇、四六の不動産はこれを申立人の単独所有とし、そのうち同目録記載の番号一八の申立人耕作以外の分の畑、一九の畑の耕作権も申立人に帰属させる。

第二  同目録記載の爾余の不動産はこれを相手方の単独所有とする。

第三  相手方は右目録記載の番号中一八、一九、四〇、四六の不動産につき、福島地方法務局石川出張所昭和二七年九月一六日受付第一、七四八号(右一八、一九につき)、第一、七四七号(右四〇につき)による各相続の、第一、七五〇号(右四六につき)による保存の各所有権取得登記の抹消登記手続を為すべし。

第四  相手方は申立人に対し金九一四、二六六円を、昭和三七年以降同四一年まで毎年一二月末日迄金一五〇、〇〇〇円宛、同四二年一二月末日迄金一六四、二六六円を支払うべし。

第五  審判費用中昭和三五年七月一四日に命じた鑑定のために要した費用はその二分の一宛を各当事者の負担とし、その余の費用は各自弁とする。

理由

第一遺産の分割と相続回復請求権との関係

相手方は、申立人は相手方と共に被相続人佐野次郎、その妻である被相続人スミの相続人であるとし、その遺産の分割を申立てているが、申立人に於て、被相続人である右次郎につき昭和二六年一二月七日、被相続人である右スミにつき同月二一日夫々死亡により各相続が開始された当時、右佐野夫婦の養子として戸籍に記載されていなく、その後同三四年九月三〇日に、同三年三月二〇日に為した佐野夫婦との養子縁組事項の記載遺漏が登載されたものであり、その結果、右養子縁組当時から養子であるとして取扱われることになつたが、次郎の相続開始当時にはその相続人として次郎の妻スミ及び同夫婦の養子である相手方、スミの相続開始当時にはその相続人として相手方しか戸籍に記載されていなかつたので、結局、相手方に於て、右被相続人等の財産を相続し、占有使用収益してきてしまつたものであるけれども、その後前記の如く申立人が右相続開始当時相続人であつたことが明白となつたのであるから、相手方は共同相続人である申立人の相続権を侵害していたものと云うべく、これに対する救済は民法第八八四条の相続回復の請求権の行使によるべきであつて、遺産分割の申立てによるべきでないと主張する。

然し、遺産の分割は共同相続人間で遺産を分割することであつて、分割の対象である遺産即ち相続財産については、共同相続人の一部の者が遺産の全部又は一部を占有等して他の共同相続人の相続権を侵害していようがいまいかはこれを問わないものであるし、相続人の資格につき争があり、審理の結果相続人であることが明らかになつた場合も遺産の分割請求とみるべきである。これに対し、相続回復請求は相続人が僣称相続人に対し、その相続権の侵害を要件として相続財産の回復を求める権利であつて、その相手となる者は、審理の結果表見相続人であることが明白となつた場合も相続回復請求権の行使とみるべきである。従つて、本件申立ての対象となつた遺産につき、かりに相手方が遺産を占有等し、申立人の相続権を侵害していたとしても、本件記録上明白なように被相続人次郎夫婦の共同相続人である当事者双方が互に相続権の有ることを争わない以上、相続権侵害の有無にかかわらず、本件遺産についての分配は、遺産分割申立てによつてのみなすべきであるから、本件申立ての適法なことは云うまでもないことであつて、この場合必ず相続回復請求権の行使によらなければならないとする相手方の主張は採用しない。

第二相続人

本籍福島県石川郡○○町大字○○字○町○○番地被相続人佐野次郎は昭和二六年一二月七日死亡し、その相続人が、その妻スミ、次郎夫婦の養子である申立人及び相手方の三名であつたが、本籍右次郎に同じの被相続人右スミは同年一二月二一日死亡し、その相続人が申立人と相手方の二名であるから、結局次郎夫婦に対する相続人は申立人及び相手方の二名だけである。

第三遺産

被相続人佐野次郎同佐野スミの遺産は別紙目録記載の不動産であつて、これ等全部につき、相手方は同目録記載の登記の日に同目録記載の番号で夫々福島地方法務局棚倉出張所に次郎夫婦の相続人として相続による所有権取得の登記(同目録番号一乃至四二につき)、又は保存の登記(同目録番号四三乃至四六につき)を経由(本件物件所在地は昭和三〇七月一日福島地方法務局石川出張所に管轄が変更になつた)したものであり、そのうち、番号一乃至四五は、登記前右次郎の所有名義のもので同人の遺産であり、番号四六は登記前右スミの所有名義のもので、これと右次郎の遺産の三分の一の共有持分はスミの遺産である。そして同目録の価格は鑑定人安藤昌宣の鑑定の結果を採用したものであつて、遺産分割時の価格である。

第四相続分

被相続人佐野次郎の相続人は前記第二記載の通りであるから、申立人及び相手方の相続分は三分の一宛であり、被相続人佐野スミの相続人は申立人及び相手方であるから、その相続分は二分の一宛であるが、前記第三記載の通りスミの遺産中には次郎の遺産の三分の一の持分があるから、別紙目録記載の遺産に対する持分の割合は、結局二分の一宛となり、当事者双方平等と云うことになる。

第五時効の援用

共同相続人の一部が他の共同相続人を排して遺産を占有等して相続権を侵害していた場合、遺産分割の審判の際、民法第八八四条に規定する短期消滅時効はこれを援用することが出来るかどうか問題となるところである。

然して、本件では、相手方は相続権の侵害を主張し相続財産の返還を争つている。そして、この点につき審理の結果相手方主張の事実が認められるとすれば、相手方は申立人の共有持分権を侵害していることとなるものであるが、民法が第八八四条で短期消滅時効を定め、僣称相続とこれを基いて発展した相続財産関係を速かに確定して長年月の後に覆滅することの不当を制限しようとした立法趣旨に照すと、相手方は申立人の侵害部分の返還請求に対し、右同法条所定の時効が完成していたとすれば、その援用により、侵害部分の返還はこれを拒否することが出来るものと解するのが相当であるから、遺産分割の申立てにつき、右同法条適用の下に、即ち侵害した相続財産返還のにつき同法条所定の消滅時効に従うべきものとして、分割の審判をすることが出来るとすべきである。

相手方は、別紙目録記載の不動産中番号一八、一九、四〇、四六について申立人にこれを分割してもよいとして、時効の主張から除外し、その余の不動産の分割請求に対し、時効を援用し、その主張とするところは次の通りである。

一  (一) 相手方は右次郎夫婦の生前は勿論相続開始後も引続き、同人等の遺産を単独で占有し、使用収益してきたが、昭和二七年三月三〇日申立人から小山善之助を代理人として、遺産の分割を求められた際、申立人に於て被相続人等の養子としての戸籍上の記載がないことを知つたので、被相続人等の相続人は相手方一人であると確信し、遺産の分割はこれを拒絶した。従つて、相手方は同日以降申立人の相続権を侵害しているものであつて、申立人は同日以降侵害の事実を知つておると云うことが出来るからこれが回復請求の権は申立人が右侵害の事実を知つたときから満五年の同三二年三月三〇日の経過により、時効で消滅した。

(二) 仮に、右主張が理由ないとしても、右被相続人等について相続開始当時、同人等の養子である相手方一人だけが戸籍上記載されていたので、相手方は唯一人の相続人であると確信し、遺産につき昭和二七年九月一六日別紙目録記載の不動産につき、相手方が単独の相続人としてこれが相続又は保存の登記を為した。然して、登記をした事実は公証のものであるから、申立人に対しては相手方が単独で相続した事実を宣言したことになり、右各登記の日から、申立人はその相続権が侵害されたことを知つていたとの推定を受けるべきである。従つて、これが回復請求の権利は、右各登記の日から満五年を経過した同三二年九月一六日の満了により、前記登記をした不動産につき、何れも時効によつて消滅したものである。

申立人は、相手方の時効の援用に対し、

二  (一) 相手方主張事実中、相手方主張の通り小山善之助が(代理人の点は否認)遺産の分割の交渉を為したこと、被相続人等について相続開始当時同人等の養子として相手方一人だけが戸籍上記載されていたこと、相手方主張の通り遺産につき相続又は保存の登記が経由されたことは認めるが、その余の事実は争う。

(二) 小山善之助は右スミの姉の夫であつて、被相続人等の生存中、同人等から同人等が申立人に本件遺産の一部を申立人にやりたいと聞知していたので、好意的に相手方に交渉したに過ぎない。そして、その頃申立人は自分が被相続人等の養子として戸籍上登載されていないと聞かされたので、事実上の養子に過ぎないものと考えていたところ、昭和三四年八月末頃大掃除の際自己が被相続人等と養子縁組を為し、その記載のある戸籍抄本(昭和二三年一〇月一八日付福島県石川郡石川町長作成名義の戸籍抄本写)を発見したので、直ちに申立人の本籍の所在地である同郡浅川町長に交渉し、同三四年九月二八日これが訂正許可を得て、同月三〇日これが記載を得た次第である。従つて、申立人はこのときから相続権を侵害されていたことを知つたものとすべきであり、本件審判の申立ては右訂正の翌月の一五日に為されたものであるから、相手方の時効の援用は何等理由がない。

と主張する。

三  (一) 別紙目録記載の不動産中、番号一八、一九、四〇、四六については時効の主張から除外されており、同目録中その余の不動産につき、相手方は被相続人等の生前は勿論相続開始後もその遺産を単独で占有し、使用収益していたことは当事者双方に対する昭和三七年七月六日付各審問結果により認められ、証人斉田良作、同宮永一郎、同小山俊英、同小島義江の各供述及び当事者双方の同三四年一二月二四日付各審問結果並びに申立人の同三五年四月一五日付審問結果を綜合すると、小山善之助は申立人の義理の叔父に当り、前記次郎夫婦等生存中同人等から同人等が申立人に所有権を移転することにしていた不動産について聞知していたので、同二七年三月三〇日申立人の同意を得て、相手方が申立人に移転すべき財産につき事実上の交渉を相手方に為したが拒絶されたこと、右交渉は申立人の代理人として為したものでないこと、当時申立人は右拒絶されたことを知らされたこと、申立人が戸籍上養子縁組の記載のないことを知つたのは同二七年一〇月一九日頃であることが認定出来るが、右認定の通り次郎夫婦の生前死後を通じてその遺産の占有使用収益の同一状態を続けてきた相手方が単に申立人の為に仲介の労をとつたに過ぎない小山善之助に遺産分割に応じないことを明白にし、これが申立人に知らされたとしても、これを称して直ちに明かに相続権侵害の事実が存在するものと解し難く、仮にこれを目にして相続権侵害の事実が存在するものであるとしても、申立人が事実上仲介の労をとつたに過ぎない小山善之助から右認定の事実を知らされたことによつて(その後前認定の通り養子縁組の戸籍記載漏を知つたこととを合せると)相続権侵害の事実を知つたものとも解し難いのみならず、他に相手方主張の事実はこれを首肯するに足る証拠がないので、相手方のこの点に関する主張は採用出来ない。

(二) そして、筆頭者佐野次郎の昭和三四年一〇月二九日付浅川町長作成名義の原戸籍謄本、筆頭者相手方の同年一〇月一三日付同町長作成名義の戸籍抄本、筆頭者大川進の同二三年一〇月一八日付石川町長作成名義の戸籍抄本写、筆頭者大川明雄の同三四年一〇月一二日付浅川町長作成名義の戸籍謄本によると、被相続人次郎につき同二六年一二月七日、被相続人スミにつき同月二一日夫々死亡により相続が開始された当時その養子として相手方だけが戸籍上記載されていたこと(この事実は当事者間争いがない)、申立人は同三年三月二〇日右次郎夫婦と養子縁組を為したが申立人の子の出生による新戸籍編製の際縁組の記載を遺漏され、同三四年九月三〇日これにつき登載されたことが認められ、家庭裁判所調査官赤城晶子の同三七年一〇月一八日付調査報告書によると本件遺産につき同二七年九月一六日別紙目録記載の不動産につき相手方が単独の相続人としてこれが相続又は保存の登記を為したことが明かで、この点についても当事者間に争いがない。従つて、次郎夫婦の相続開始当時相手方のみが戸籍上養子として記載されていたとしても、申立人も相続開始以前に次郎夫婦と養子縁組を為していて、相続開始当時縁組の戸籍記載が遺漏されていたに過ぎないものであるから、申立人も次郎夫婦の相続人たること勿論であり、相手方が単独の登記をすることは、正に申立人の相続権を侵害するものであると云うべきである。然し、申立人が右登記当時これを覚知したとの点については何等証拠がない上、相手方主張のように、相続財産に登記のあることによつて相続権侵害の事実を覚知したものとも推定することが出来ないばかりでなく、却つて、申立人の昭和三五年四月一五日付審問結果によると、申立人が右登記の事実を知つたのは同三四年九月一八日であることが認められ、同日以降現在まで満五年を経過しない同年一〇月一五日本件申立てが為されたことは記録に徴し明白であるから、この点に関する相手方の主張も又理由がない。

第六分割の実施

一  本件の遺産中目録記載番号四〇、四六は次郎夫婦につき相続開始後現在まで申立人がこれを占有使用収益していること、目録記載番号中一八、一九、四〇、四六を除きその余のものは右相続開始後現在まで相手方がこれを占有使用収益していることは当事者双方に対する昭和三七年七月六日付各審問結果により明白であつて、当事者間に争いのないところであるが、目録記載番号中一八、一九は右相続開始当時申立人がこれを耕作したが、その後右一八の内約三畝歩を残し相手方が現在まで、右三畝歩は申立人が現在まで各耕作していることが証人片山あや、同村川キクの各証言及び申立人の同三七年四月二六日付審問結果により認定出来る。これに反する他の証拠はこれを信用しない。

二  昭和三七年三月一五日付家庭裁判所調査官柿沼武三の報告書及び登記簿抄本六通によると、申立人は本件遺産以外に田三筆合計一反二畝一八歩、畑二筆合計三畝二〇歩、宅地六三・五坪(目録番号四六の建物の敷地)を所有しているが、専業農家でなく、貯金局に勤務の傍農耕に従事し、家族は三人いるが一人は他に勤務し、二人は在学中であることが認められる。そして、右報告書によると、相手方の財産と称すべきものは本件遺産以外には鶏二〇羽、牛一頭等がある程度で殆んどなく、専業農家であつて、家族は八人いるが内一人は他に勤務し、一人は農閑期に日雇をしていることが認められ、相手方の同三七年八月二三日付審問の結果によると相手方が本件遺産の公租公課を相続開始以来負担していることが首肯出来る。

三  右一、二の事情就中土地の使用関係、専業農家であるかどうか、その他本件記録に顕われた諸般の事情を考慮すると、本件不動産中別紙目録記載番号中一八、一九、四〇、四六の不動産を申立人の単独所有とし、耕作権につき主文の通り帰属させ、これにつき昭和三七年一〇月一八日家庭裁判所調査官赤城晶子の報告書により明白な福島地方法務局石川出張所昭和二七年九月一六日受付第一、七四八号(目録一八、一九、につき)第一、七四七号(同四〇につき)、による各相続の、第一、七五〇号(同四六につき)による保存の所有権取得登記の抹消登記手続を為すを相当とし、同目録記載の他の不動産は相手方の単独所有とする。

然して、遺産の合計価額は二、七〇六、四九三円で、当事者双方の持分の割合は各二分の一宛であるから、夫々右価額の二分の一の一、三五三、二四六円(円未満切捨)相当分の遺産を取得出来ることとなるので、これから申立人が取得することになつた右一八、一九、四〇、四六の合計価額四三八、九八〇円を差引いた九一四、二六六円の不足分相当については、相手方に金銭で支払わすのが相当と考える。そして、相手方が専業農家であつて、家族も多数の上生活も豊でないこと、本件遺産の分割で相手方が取得すべきものとした農地等の面積を考慮すると、右支払分については、昭和三七年以降同四二年まで毎年一二月末日迄金一五〇、〇〇〇円宛(最後の年は更に端数の一四、二六六円も同時に支払うこと)支払うことを相当とする。

よつて、主文の通り審判した。

(家事審判官 早坂弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例