大判例

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福島地方裁判所郡山支部 昭和45年(わ)40号 判決

被告人 井上馨

明三八・五・二四生 無職

佐賀時夫

昭二・一〇・二〇生 会社員

主文

被告人佐賀時夫を禁錮二年に処する。

但し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、全部同被告人の負担とする。

被告人井上馨は無罪。

理由

(目次)

第一  被告人佐賀の経歴等

第二  磐梯観光株式会社の概要

一  会社発展の推移

二  会社組織の概要

三  磐光ホテル建物の概要

四  会社の娯楽場経営の実態

第三  本件火災の状況

一  本件火災時の宿泊客らの状況

二  金粉シヨーについて

三  ホテル大広間控室からの出火の状況

四  本件火災発生時の気象状況

五  ダンサーらによる初期消火の状況

六  火災拡大の状況

七  本件火災の鎮火

八  宿泊客、観客らの避難状況

第四  罪となるべき事実(被告人佐賀について)

一  被告人佐賀に対する注意義務の根拠ないし内容

1  被告人佐賀の会社内における地位、職務内容

2  防火管理者の一般的職責

3  被告人佐賀に対する個別的注意義務

(一) 火災の発生および避難の通報ないし報知義務

(二) 玄関および非常口のドア開放義務

二  注意義務懈怠の状況

(一)  火災の発生および避難の通報ないし報知義務の懈怠

(二)  玄関および非常口のドア開放義務の懈怠

三  結果の発生

第五  証拠の標目

第六  法令の適用

第七  検察官主張の注意義務違反を一部認めなかつた理由(被告人佐賀について)

第八  死傷との因果関係に関する補足的説明(被告人佐賀について)

第九  一部無罪の理由(被告人佐賀について)

第一〇  被告人井上を無罪とした理由

第一一  量刑の事由(被告人佐賀について)

第一被告人佐賀の経歴等

被告人佐賀時夫は、本籍地において生まれ、同地の尋常高等小学校を経て青年学校を卒業したのち、同地において農業に従事していたところ、昭和三七年八月ごろ郡山市熱海町に進出した相模不動産株式会社に入社してその福島営業所事務員となり、翌三八年二月ごろ右会社を買収した磐梯観光株式会社に移り、同四〇年ごろ庶務主任となり、さらに庶務係長を経て同四三年五月ごろ同社総務部総務課長となり現在に至つているものである。

第二磐梯観光株式会社の概要

一  会社発展の推移

磐梯観光株式会社は、東京都中央区日本橋蠣殻町二丁目二番地に本店を有し、温泉掘さく供給事業、観光事業用地造成および分譲並びに食堂、遊園地、娯楽場およびホテル経営などを営業目的とする会社であるが、同社は昭和三八年二月ごろ相模不動産株式会社福島営業所を買収し、同年七月ごろ、日本専売公社のあづま館を買い取り、同時に温泉を掘さくし、郡山市熱海町高玉字仲井三九番地において「別館磐光ホテル」の屋号で温泉ホテルを開業し、その後次第に規模を拡大して同四〇年四月ごろ磐光ホテル本館がオープンし、一時屋号を「磐梯国際観光ホテル」と変えたものの再び同四一年九月ごろには「磐光ホテル」と改め、引き続き事業は拡張され、同四三年五月二〇日ごろ総合娯楽施設として磐光パラダイスがオープンし、同年九月ごろにはニユー磐光が増築されてオープンした。右会社は「磐光ホテル」の名称で熱海事業所を有し、したがつて単に「磐光ホテル」と総称するとき、それにはいわゆる磐光ホテルと磐光パラダイスおよびニユー磐光を含んでいた。

二  会社組織の概要

磐梯観光株式会社は、昭和三七年二月ごろ丸山正二や江口菊雄らによつて設立され、間もなく資金難に陥つたため、川崎正蔵が経営に加わり、同人が同三九年四月には社長に就任し、同四二年四月には取締役会長に退き、その息子川崎善之助が同社の代表取締役社長となつた。したがつて、本件火災当時の右会社の役員陣は会長川崎正蔵、社長川崎善之助であり、そのほかには常務取締役が江口菊雄と病気療養中であつた吉沢弥一の二人、非常勤の取締役として谷口好雄、沓内武雄、取締役経理部長宮原元夫、同総務部長萩保二、監査役川崎清利(非常勤)、与儀弘一であつた。社長川崎善之助は第一営業部長を兼ね、毎月二回位熱海事業所を訪れていた。監査役与儀弘一は芸能部長、磐光パラダイス支配人を兼ね、さらに総支配人として第二営業部長をも兼ね、熱海事業所に常勤していた。常務取締役江口菊雄は常勤で、毎月二〇日以上を熱海事業所において執務していた。同社には業務部長として菊池博がおり、同人は以前取締役であつたものの、昭和四三年一一月一五日ごろ磐光ホテルの物資仕入部門の担当会社として郡山市に本店を置く大菱商事株式会社が設立されてその専務取締役に就任したため磐梯観光株式会社の取締役を辞任したが、常時熱海事業所において執務していた。

磐梯観光株式会社には右役員陣のほかに、管理部長被告人井上馨、調理部長藪中健次郎、磐光ホテル支配人内藤暢重、総務課長被告人佐賀時夫、経理課長高橋昇、第一営業課長佐々木哲朗、第二営業課長北地琢二、資材課長田中文男、予約課長海野暉雄らがおり、従業員は総勢約三八〇名であつた。第一営業部は宣伝、客の誘致を担当して仙台などに案内所を設置し、第二営業部は熱海事業所におけるホテルおよびパラダイスの業務を担当していた。

もつとも、磐梯観光株式会社には文書化された業務規定も就業規則もなく、各ポストの職務内容ないし権限には明確を欠くところも多かつた。

三  会社建物の概要

磐梯観光株式会社熱海事業所(磐光ホテル)の敷地面積は約二万平方メートル、建物総面積は一万八、九一六・九一平方メートルであり、その内訳は磐光ホテル本館七、〇八五・四九平方メートル、同別館一、二二八・四八平方メートル、磐光パラダイス七、一九七・〇二平方メートル、ニユー磐光A棟一、〇〇三・七六六平方メートル、同B棟八九六・八三二平方メートル、同C棟一、五〇五・三二二平方メートルであつた。これらの各建物は、建築基準に適合し、消防法令に定める基準の消防用設備等は概ね設置されていた。

次に、建物の構造、施設をみるに、磐光ホテル本館は四階建、一階から三階までは鉄筋コンクリート造り、四階だけは鉄骨耐火造りであり、一階には大広間、中広間、男女各大浴場、客室、ホール、厨房、食堂、配膳室などがあり、二階には客室、ラウンジ、配膳室などがあり、三階は配膳室および従業員控室のほかはすべて客室となつていた。そして右本館東側中央部分に接続して軽量鉄骨造り二階建の別館があり、その一階には従業員食堂、従業員浴場、お狩場などがあり、その二階は客室となつていた。

磐光パラダイスは三階建の鉄筋コンクリート造りであり、一階には大宴会場、大浴場が並び、その南側には映画館、ホール、売店、娯楽コーナーがあり、二階には娯楽室、浴室、客室等があり、三階にはジヤングルハンターと称する劇場、ホール、プール、屋上庭園等が設けられていた。観客は併せて一、五〇〇名位収容することができた。

そのほかに、磐光ホテル東側にはニユー磐光A棟、B棟およびC棟があり、いずれも鉄筋コンクリート二階建で客室が設けられていた。

右磐光ホテルおよびニユー磐光を併せた客室は約二二〇室で収容人員は約一、三〇〇名であつた。

右建物は、すべて鉄筋コンクリートなどの耐火建造物であるから、外見上は火災に対しては、一見きわめて安全で、延焼の危険などはないとの安心感を抱かせ易かつたが、実際は、内装等に石油製品の新建材、断熱材、充填物がふんだんに使用され、壁・天井はクロス張りのうえに、オイル系の塗料によつて塗装され、家具調度も可燃物が多く、一旦火を失すると急速に火焔が伝播する危険が濃厚である上に、燃焼とともに大量の黒煙や有毒ガスが発生し、これが急速に廊下等を伝播拡散し、充満して、避難客の視界を奪い、瞬時に失神窒息死せしめるに至る危険性を包蔵していた。

四  会社の娯楽場経営の実態

磐光ホテルは、発足当初は、一温泉旅館として地味な存在すぎなかつたが、折からの観光ブームの波に乗つて次々と巨額の資金を投入し、増築に次ぐ増築で、急速に宿泊施設や娯楽場施設を拡大して行き遂に東北屈指の大施設となり、これにともなつて、従来の温泉旅館としての宿泊専業施設から脱皮し、磐光パラダイスを建設するとともに総合娯楽施設としての性格に変容し、後記の「金粉シヨー」を呼び物として、広範な宣伝を行い、多数の宿泊兼見物客を各地より集めて盛業のうち業績の目ざましい進展がはかられたが、業態の拡張にともなつて、多数の未経験者を採用し、火災当時従業員は合わせて三八〇名に達していたが、一般に旅館兼娯楽場の経験者に乏しく、その故か業績の拡張および営利性の追及にのみ急で、安全防災の面に留意する者は少なく、したがつてその面への資金の投入も概して消極的で、かつ建築基準法および消防法等の法令にしたがつた防災設備の設置やその維持管理についての配慮は常時欠けるところが少なくない営業姿勢であつた。

第三本件火災の状況

一  本件火災時の宿泊客の状況

昭和四四年二月五日の団体の宿泊客としては、ニユー磐光A棟ないしB棟に日立地区ナシヨナル店会招待客一六八名、これに随伴するバス運転手、ガイド各四名、主として磐光ホテルに国鉄石巻線佳景山駅募集の旅行団四八名、いわき市四倉小型底曳組合の総会を兼ねた慰安旅行団一三名など、各種団体宿泊客のほか団体および個入の宿泊客も合わせて合計約三〇〇名位の宿泊客があつた。

右宿泊客のうち、ことに団体客の多くが本件火災発生時磐光パラダイス大宴会場において午後八時ごろより始まつたシヨーを見物していた。シヨーを見物していた観客は大体一七〇ないし一八〇名程度であつた。

二  金粉シヨーについて

磐光観光株式会社では客寄せのために昭和四三年八月ごろから磐光パラダイスにおいて金粉シヨーと称する催し物を行うようになつたが、この金粉シヨーは開始されて間もなく磐光パラダイスの名物となり、会社では磐光ホテルの宿泊客以外に付近のホテルの宿泊客からも料金を徴して見物させていた。右金粉シヨーとは、裸身全体に金粉(サラダオイルに真鍮粉を混合した液体)を刷毛を用いて塗つた男女数名のダンサーが、たいまつと称する裸火(木の棒の両端または一端に布を巻き、これにベンジンを浸み込ませて火をつけたもの)を手に持ち、バンド演奏またはレコード演奏の曲に合わせて舞台の上で踊り回るもので、その上演時間は一回約八ないし一〇分であつた。

本件火災当時、会社は東京の元藤プロダクシヨン(経営者元藤烽子)と興行契約を結び、ダンサーとしてはリーダーの中山博光(本件火災により死亡)以下男五名女一名の合計六名がいた。

右金粉シヨーは普通は毎日昼二回、夜一回合わせて三回行なわれていたが、二週間に一度位の割合で一日四回行なわれ、昭和四四年二月五日は一日四回上演が予定されていた。一日三回上演の場合には第一回目は午前一一時三〇分から、第二回目は午後一時三〇分から、第三回目は午後九時一五分からそれぞれ行なわれていた。その間磐光パラダイスにおいてはアイヌシヨー、モンキー三平シヨー、日舞、歌謡シヨーなどが次々と上演されていた。

金粉シヨーの上演会場は照明の効果から原則として昼間(第一回目および第二回目)は磐光パラダイスの大宴会場、夜間(第三回目)同パラダイス三階のジヤングルハンターと称する劇場が用いられていた。

会社の組織上、金粉シヨーの上演およびダンサーたちの監督についての直接の最高責任者は取締役第二営業部長、パラダイス支配人かつ芸能部長をかねていた与儀弘一であり、その下には芸能企画主任小高林太郎こと塚田勝夫(当時二八才)および芸能主任石国文規(当時二五才)がいた。

三  ホテル大広間控室から出火の状況

金粉シヨーは夜間は普通磐光パラダイス三階のジヤングルハンター内ホールにおいて行われていたが、昭和四四年二月五日夜は折からの強風により磐光パラダイス三階の屋根の一部が吹き飛ばされたため、急拠その会場をパラダイス大宴会場に変更して行なわれることとなつた。この変更はパラダイスフロント副主任伊藤新吉の連絡を受けてパラダイス支配人与儀弘一が承諾し、命じたものであつた。金粉シヨーが変更されたことによりシヨーダンサーたちの控室としてはホテル大広間ステージ裏の控室が充てられた。

右控室は大広間の舞台に沿つて東西に長く、畳一一帖に一坪足らずのフローリングのついた狭い部屋で、舞台側の壁はベニヤ張りであつた。ホテルには全館暖房の設備があり暖房中であつたが、ドアなどから吹き込む風もあり裸のダンサーたちにはなお寒かつたので、右控室には反射式石油ストーブが持ち込まれていた。

そして、シヨーのプログラムも進み、二月五日午後九時を少し過ぎたころ、出番を待つダンサーたちが金粉シヨーの準備中、リーダー中山博光と松下正樹においてたいまつにベンジンを浸み込ませる作業をしていた際、右ベンジンに折から燃焼中の石油ストーブの火が燃え移り本件火災が発生するに至つた。

四  本件火災発生時の気象状況

昭和四四年二月四日九州南部で発生した低気圧団の影響を受けて福島地方に強い風雨の恐れがあつたため、福島地方気象台は同日午後四時三五分県下全域に風雨注意報を発令したが、翌二月五日は早朝より風が強まり始めたため同日午前九時四五分右風雨注意報は強風注意報に切り換えられた。

本件火災の発生した二月五日午後九時頃の郡山地区における気象状況は、天候は雪、風向は西、風速毎秒一二メートル、気温は氷点下四度、湿度六〇パーセントであつたが、郡山市熱海地区は地勢の関係上山間地域特有の気象状況を示し、福島地方気象台郡山気象通報所のある郡山地区に比して常時風も強く、気温も低く、積雪量も多い。本件火災発生当時も郡山市熱海地区においては通行者がその歩行に困難を感じる状態にあり、現に同日午前中には磐光パラダイス三階ジヤングルハンター(劇場)のアクリル製の屋根の一部が吹き飛ばされ、午後には磐光ホテル二階客室の一部の窓ガラスが壊れる状況にあつたから、前記気象条件の差異を加味すると、その頃の瞬間最大風速は優に秒速二五メートルを超える烈風が吹き荒ぶ荒天下であつた。また、熱海地区においては二月五日午後一時四五分から同日午後七時五二分までの間断続的に九回に亘つて停電があつたが、その原因は強風のため二渡支線の高圧引込線が同柱高圧引下げアームに断続的に接触したためであつた。なお、右停電はいずれも一分以内で復元した。

五  ダンサーたちによる初期消火の状況

磐光ホテル大広間ステージ裏の控室において火災が発生した直後、中山および松下、さらにこれを知つた他のダンサーたちは、咄嗟に右のように失した火を彼らだけで消火し、できることなら右不祥事を他のホテル従業員に知られたくないと考え、それぞれ四方に走つてホテル廊下や配膳室、厨房などから備え付けてあつた消火器などを持つて来て早く火を消してしまおうとしたが、右控室がベニヤ板張りでしかも乾燥状態にあつたうえ、当夜は前記の如き極めて悪い気象条件下にあつたため、火は瞬く間に拡大して手がつけられなくなつてその間数分の時間を空費した結果、ホテル宿泊客や従業員らが本件火災の発生を覚知するのが著しく遅れ、宿泊客や従業員らの大部分は一気に拡大した火焔に追われ、外へ脱出するのに懸命の有様となつた。

六  火災拡大の状況

磐光ホテル大広間ステージ裏の控室から出た火焔は、控室とステージ間の仕切壁となつていたベニヤ板を燃やし、ステージのカーテンおよび緞帳に燃え移り、さらに一気に天井部分に拡大するに至つたが、右ベニヤ板や控室の天井(合成合板にクロス張り)は長期間の温風暖房のため極度に乾燥していたものと考えられる。そして、右のように控室天井にまで拡大した火焔は二階床と大広間天井裏に設けてあつた温風および防塵用ダクトの断熱材(スチロール、ウール)を延焼の媒介物として一気に大広間天井裏面に拡大し、この火焔はさらにダクトの間隙を抜け、控室北側の便所より四階に通ずる従業員専用直通階段を炎道として各階に拡がるとともに、この階段東側、男子大浴場の一角に設置予定であつたエレベーター室(二基)は工事中で四階まで吹き抜けの状態であつたためこれより一挙に上がつて四階を延焼させるに至つた。

一方、ホテル大広間天井裏に延焼拡大した火焔のため天井の支えが次々と燃え、約二五〇平方メートルの天井板が一瞬にして大音響を立てて落下し、いわゆるフラツシユオーバーの状況を呈し、押し出された火焔、火の粉、煙はホテルホールやフロント、廊下に侵入した。しかもホテル廊下とパラダイス大宴会場側廊下との隔壁となつていた襖は大広間天井の落下とフラツシユオーバーによる強烈な圧力により倒され、火焔は三個所の出入口を通して大宴会場に火流となつて一気に吹き込んで拡大した。そして、この瞬間パラダイス大宴会場で前記シヨーを見物していた観客らは吹き込んで来る火焔と黒煙を見て「火事だ!」と叫んで総立ちとなり、周章狼狽してめいめい咄嗟に出入口を求めて走つたが、右火流は一気に大宴会場内を燃焼させ、避難のため開放された各扉並びに右フラツシユオーバーの風圧によつてホテル大広間東側廊下の硝子窓が破壊されその窓から吹き込む風を受けてますます火勢を強め、避難客を追う如くにしてナイトクラブパラダイス玄関口へと次々に延焼していつた。そしてナイトクラブに侵入した火流は同室内を燃焼させるとともにパラダイス玄関側出口に吹き出し、ホテル大広間より映画館横に抜けた火流と合流し、売店コーナー、娯楽コーナーに向つた。

右のようにして、同日午後九時二七分ごろにはパラダイス一階大宴会場、売店コーナー、玄関口ホール、同二、三階およびホテルは一面火の海となり、破られた窓からは盛んに火焔が吹き出して火勢は最盛期の様相を呈し、この間火災発生時より僅か十数分しか要しない程火勢は熾烈迅速に増大した。

七  本件火災の鎮火

郡山消防署熱海出張所が磐光ホテルの電話交換室からの急報により本件火災を覚知したのは二月五日午後九時一五分、本署の応援をも求めて消火および救助のために出動した消防車両数および人員は、郡山消防署関係で、1、ポンプ車五台(うち梯子車一台)、2、指揮官車一台、3、広報車一台、4、人員六一名であり、消防団関係で隣接町村の応援をも含め1、消防ポンプ四二台、うち自動車ポンプ二一台、2、可搬ポンプ八台、2、人員四九〇名であつた。その結果本件火災は磐光ホテルおよび磐光パラダイスを合わせて一五、五一〇平方メートルを焼失せしめ、死者三一名(高信仁志のみは二月一〇日午前五時四五分郡山市中町五番二九号所在太田総合病院において死亡、他の三〇名は建物内において死亡)および多数の負傷者を出し、翌二月六日午前三時一五分鎮火した。

八  宿泊客、観客らの避難状況

先ず、パラダイス大宴会場においてシヨーを観覧していた客らは、前記の如く、火焔がホテル大広間より猛烈に吹き込んで来たので初めて火災による切迫した危険を知つて驚愕し、総立ちとなり先を争つて逃げ出し、しかも数分後には火災のためホテル地下配電盤を断にして送電を停止したことにより全館内の電燈が消えてますますその混乱を増した。総立ちとなつた観客らの多くはパラダイス玄関口に殺到したが、同所のドアは左右八枚のうち左側(西側)の一枚しか開放されなかつたため大混乱となり、殺到した観客らの大部分は右一枚のドアから押し出されるようにして戸外へ脱出したが、一部の観客らは他の脱出口を求めてパラダイス売店コーナーから娯楽コーナー方面に走つた。娯楽コーナー奥非常口から脱出しようとして駆けつけて来た観客らは約三〇名におよんだが、同非常口は、後記の如く、施錠されていたため逃げ惑い、一、二の避難客により付近にあつた角材を用いて漸く右非常口ドアのガラスが破られたころには力尽きた者も多く、破壊されたドアガラスを潜り抜けて脱出した客らもいたが、結局右非常口付近において約二〇名におよぶ多数の死者を出すに至つた。また、他の脱出口を求めて走つた観客らのうち、一部はホテル側正面玄関に廻つて脱出したり、パラダイス大浴場方面に逃げ出した者は裏側高窓のガラスを破つて脱出したが、数名はパラダイス大宴会場南側便所内、同大浴場南西角便所内や同南側クローク室内に逃げ込んで死亡した者もいた。

パラダイス一階中央の食堂にいた宿泊客らのうちには本件火災の発生を知るのが遅れたために火焔と煙の中で脱出の方向を見い出せないまま死亡したものもいた。

ホテル客室に在室していた宿泊客や各階の配膳室などにいた従業員らのうち、本件火災を早く知つた者は正面玄関口などを経て脱出したが、二、三階にいて火災の発生を知るのが遅かつた宿泊客や従業員らは火焔や煙に追われて止むなく窓から階下に飛び降りたため負傷した者も多かつた。

ホテル別館の宿泊客らは、火の回りが一番遅かつたため、全員火災の発生を早く知つて避難した。

ニユー磐光ホテルの宿泊客は、被告人佐賀の館内放送によつて本件火災の発生を知り、玄関や非常口から全員避難した。

したがつて、本件火災による死者の多くは、前記シヨー観客であり、また負傷者はホテル二、三階より飛び降りた宿泊客、従業員らと、シヨー観客のうちパラダイス娯楽コーナー奥非常口、大浴場裏側高窓のガラスを破つて辛うじて脱出した者、トイレ内に逃げ込んで窒息死する寸前に運良く救出された者などであつた。

第四罪となるべき事実(被告人佐賀について)

一  被告人佐賀に対する注意義務の根拠ないし内容

1  被告人佐賀の会社内における地位、職務内容

被告人佐賀は、前記したように、昭和三八年二月ごろ磐梯観光株式会社に入社し、庶務主任、庶務係長を経て同四三年五月ごろ同社総務部総務課長となつたが、その間当時の磐光ホテル支配人大原勇の命を受けて昭和四一年一〇月一日付で消防法施行令三条一号の規定による防火管理に関する講習会の課程を修了して防火管理者となる資格を取得し、同四三年五月三〇日右会社代表取締役川崎正蔵名義により磐光ホテルの防火管理者として選任された旨の届出書が郡山消防署宛提出され、事業所としての磐光ホテル、すなわち磐光ホテル、同パラダイスおよびニユー磐光の消防法に定める防火管理者となつた(消防法施行令二条参照)。

他方、磐梯観光株式会社総務部には庶務、機械室、電話交換室などが属し、総務課長としての被告人佐賀は防火管理上必要な事項をこれらに属する一般従業員に対しては直接に指揮、監督すべき立場にあり、また、第二営業部に属する磐光ホテルおよび同パラダイス各支配人に対しても防火管理上必要な事項な指示し、ひいてはその指示を介して第二営業部に属する全従業員を防火管理上管理ないし監督する立場にあつた。

2  防火管理者の一般的職責

磐光ホテル、同パラダイスおよびニユー磐光は消防上の防火対象物に該当し、連日多数の団体、個人の宿泊客およびシヨー観客を収容し、これらから宿泊料ないし観覧料を徴して営利をはかるものであるから、その経営責任者に対しては何よりも先ず客の安全を確保することが要請されるといわなければならない。したがつて、右防火対象物の防火管理者は、消防計画を作成し、従業員を指揮、監督して消火および避難訓練を実施して万一の場合に敏速な避難誘導などがなされるよう配慮し、さらに消防、避難ないし警報に関する設備や器具を常時点検整備し、さらにそれらが不備、不適の場合には経営責任者に対してその設置、改善を進言し、もつて火災の発生を未然に防止すると同時に万が一火災が発生した場合には、その被害を最小限に止めるべく万全を期する職責を負つていたものである。

3  被告人佐賀に対する個別的注意義務

(一) 火災の発生および避難の通報ないし報知義務

(1) 磐光ホテルにおける火災通報設備の状況

磐光ホテルは、一階から三階までがほぼ一二の警戒区域に区分され、各部屋の天井裏などには二七個の差動式分布型感知器(空気管)と四個の差動式スポツト型感知器および八個の定温式スポツト型感知器が設置され、同フロント脇事務室に間仕切りした会計室の壁に沖電気製P型一級受信機が備えつけられていた。

右会計室の壁に設置されたP型一級受信機の中央より少し下の部分には横に長くスイツチ盤があり、そこには主電鈴スイツチ、地区電鈴スイツチおよび電源警報スイツチなどが並んで、右主電鈴および地区電鈴各スイツチが正常位にあれば、いずれの警戒区域からの火災でも覚知し、その火災発生区域を示す地区表示灯にライトがついて火災発生区域を知らせるとともに全館に電鈴(ベル)が鳴つて火災の発生を自動的に知らせる仕組みになつていた。

(2) 被告人佐賀は、多数の宿泊客およびシヨー見物客、さらに多数の従業員の存する磐光ホテル、同パラダイスおよびニユー磐光の防火管理者として避難または防火上必要な構造および設備を維持管理すべき業務を負つていたのであり、したがつて被告人佐賀は、右のように磐光ホテルおよび同パラダイスに設置された火災報知器を点検、整備し、それが常に正常に作動しうる状態に置くよう管理すると同時にその操作に誤りがないように関係従業員に対し十分指導訓練すべき業務上の注意義務を負つていた。

(3) フロント放送設備の状況

磐光ホテルおよび同パラダイスにはそれぞれフロントが設けられ、各フロントにはそれぞれの館内への放送設備(マイク)が設置されていたほか、磐光ホテルフロントには全館への放送設備があつた。

他方、磐光ホテルおよび同パラダイスを通じて電話交換室はホテル事務室脇に一箇所のみ設けられ、右電話交換室を通じてホテルおよびパラダイスの各フロントに連絡できるようになつていた。

(4) フロント要員を含めて磐光ホテルおよび同パラダイスの営業部門に属する一般の従業員に対する業務上の指揮ないし監督の権限はすべてそれぞれの支配人に属していたが、他方、被告人佐賀は磐光ホテル各建物の防火管理者として当該防火対象物について消防計画を作成し、その消防計画に基づいて消火、通報および避難の訓練を実施すべき職責を負つていたのであり(消防法八条一項参照)、したがつて磐光ホテルのフロント要員に対しても直接または同支配人の内藤を通じ、火災発生の際にはフロント要員のうち必ず一名はその持場であるフロントに待機し、設置されたマイクを用いて全館の宿泊客、シヨー観客および従業員その他の在館者に対し火災の発生および避難方を通報すべく訓練しておくべき業務上の注意義務を負つていた。

(二) 玄関および非常口のドア開放義務

(1) ホテル玄関、パラダイス玄関および娯楽コーナー奥非常口各ドアの状況

ホテル正面玄関出入口はガラスドアが二重となつており、二枚一組の両開き式ガラスドアが内、外とも二組ずつ並び、外側のガラスドアには施錠の設備があつたが内側のガラスドアにはその設備がなかつた。

パラダイス玄関は下足入の部屋を挾んで東西に二つの出入口があり、設置されたガラスドアの型式はいずれも同じであつた。すなわちいずれも四枚の大きなガラスドアから成つており、真中の二枚が両開き式、両端が片開き式のガラスドアであつた。その玄関フロア右側(東側)にはコーヒーシヨツプが設けられてカウンターや椅子が並べられ、左側(西側)にはパラダイスシヨー外来見物客のための切符売場が設けられていた。

磐光パラダイス娯楽コーナー奥西南隅の非常口は二枚の片開き式ガラスドアであつた。

(2) 被告人佐賀は、前記したように、避難のため必要な構造および設備の維持、管理義務を負つていたものであり、右のようなホテルパラダイス各玄関ドアおよびパラダイス娯楽コーナー奥非常口ドアについて、特に、シヨーの開催中は多数の観客を館内に収容しているのであるから、不測の災害に備え、最も主要な避難口である玄関口ドアを全部何時でも即時に開放できる状態に保ち、また非常口についても緊急の際にはいつでも容易に開放しうる状態にしておいて絶えずその支障となるような障害を除去するよう心掛け、客や従業員の迅速安全な避難ないしその誘導を容易ならしめるべき業務上の注意義務を負つていた。

(3) また、被告人佐賀は、磐光ホテルの防火管理者として消防計画を作成し、その消防計画に基づいて消火、通報および避難の訓練を実施し、ホテルおよびパラダイス各フロント要員をして火災発生の際には各玄関および非常口のドアを直ちに全部開放する措置がとれるよう、自からもしくはホテルおよびパラダイス各支配人を介してフロント係などを十分指導、訓練し、非常の場合には客および従業員の避難ないしその誘導を容易ならしめ、その生命、身体に対する被害を未然に避けしめるべき業務上の注意義務があつた。

二  注意義務懈怠の状況

(一)  火災の発生および避難の通報ないし報知義務の懈怠

(a) 自動火災報知受信機の管理義務の懈怠

(1) 磐光ホテルのほぼ全館に張りめぐらされた火災感知器の作動をキヤツチすべき受信機はホテル玄関ホール脇東側事務室内の間仕切りした会計室内に設置されていたが、被告人佐賀の業務用机は右事務室内にあつて右会計室内の受信機を十分に管理し得る状況にあつた。

(2) 右受信機は従前より磐光ホテル内スチーム暖房の局所的過熱のため数回に亘つて火災でないにも拘らず火災報知ベルが過つて鳴り出し、従業員を驚かせたことがあり、その都度火災警報灯の点いた区域の調査をし、火災でないことを確認したうえでホテルフロント係または会計係の女子従業員ないし被告人佐賀自身が受信機のスイツチを操作してベル止めていた。他方、ホテル側右受信機には停電の際に電源警報(ブザー)が鳴つて送電用交流からバツテリーの直流電源に変つたことを知らせ、また停電が復元した際にも右ブザーが鳴つて電源がバツテリーから送電用交流に切り換えられたことを知らせる装置があつて、いずれの場合にも鳴り出したブザーを止めるには受信機スイツチ盤の電源警報スイツチを操作する仕組みになつていたが、従前より停電の際右電源警報スイツチはホテルフロント係、会計室女子従業員らによつて操作されていた。

(3) 昭和四四年二月五日は郡山市熱海地区においては強風のため午後から断続的に九回の停電があり、しばしばホテル側の火災報知用受信機の電源警報ブザーが鳴つて、ことに会計室内の事務員に煩さがられたためホテルフロント係や女子会計事務員らがスイツチ盤のスイツチを安易に操作して鳴り出したブザーを止めていた。ところが、同日午後五時一〇分ごろの停電の際、右会計室にいたホテル会計係菊池紀子らが右ブザーを止めることのみに気をとられて受信機スイツチ盤のスイツチの操作を誤り、止めてはならない主電鈴スイツチおよび地区電鈴スイツチを下げて断の状態にし、火災報知機の本来の通報機能を全く失わせてしまつた。

(4) 本件火災の発生したホテル大広間ステージ裏控室の天井、さらに右ステージおよび大広間天井裏には差動式分布型感知器(空気管と呼ぶ外径二ミリ、内径一・五ミリの細い銅パイプ)が張りめぐらされ、また控室は狭くかつステージとの隔壁はベニヤ板張りであつてストーブの火がたいまつに浸み込ませたベンジンに燃え移るや右ベニヤ板が一気に燃え上がり、さらに控室天井からステージのカーテンおよび緞帳を介してその天井部分、大広間天井裏へと火焔は一気に拡大していつたものであるから、天井裏の感知機は直接火熱に触れて感知し、もし磐光ホテル事務室内会計室に設置された受信機の主電鈴スイツチおよび地区電鈴スイツチが断の状態になつていなかつたならば、本件火災発生後、すなわちストーブの火がたいまつのベンジンに燃え移つたのち遅くとも二〇ないし三〇秒後には主ベルおよび地区ベルが作動してホテル全館に火災発生を報知するベルが鳴つたはずである。もしそうであつたなら、ホテルフロント係においては受信機の地区表示灯によつて逸速く火災の発生した場所を覚知し、直ちに全館に通ずる放送設備(マイク)によつて宿泊客および従業員に火災発生とその出火場所を知らせ、従業員をして客を火勢のおよばぬ各階々段、ないし非常口へと早朝に誘導させ、迅速、安全に避難を完了させ、またパラダイスフロントにおいても同様の措置がとられたはずであつた。

(5) 然るに、被告人佐賀は、ホテル会計室内に設置された受信機が常に正常に作動するよう管理すべき業務上の注意義務を怠り、主ベルや地区ベルが暖房の局所的な過熱などによりしばしば火災でもないのに作動していたのに慣れ、また停電の度に電源警報ブザーが鳴るためホテルフロント係や女子会計係がその機能につき正確な知識を持たないに拘らず安易に受信機のスイツチを操作しているのをしばしば目撃しながら、なすがままに放置して適切な指導、監督もしなかつた過失により、遂には、本件火災発生当時右菊池らの誤操作を未然に防止することができず、右受信機スイツチ盤の主電鈴スイツチおよび地区電鈴スイツチが下げられて断の状態になつたままであつたのを見逃すに至つた。

(b) ホテルフロント要員に対する通報訓練義務の懈怠

(1) 本件火災発生当時、磐光ホテルの電話交換室には土屋美代子、斎藤美英子の二人の交換手が勤務していて、丸目福太こと早野利一のホテル娯楽室からの「火事だからフロントに連絡して消火器を持つて来てくれ。」という旨の電話連絡を右土屋が受け、同女が直ちにホテルフロントに電話をしたが、同フロントには誰もおらず、全館へのマイクを用いての火災の発生および避難方の通報はなされなかつた。

(2) 他方、昭和四四年二月五日当時磐光ホテルのナイトフロントにはホテルナイトフロント係として佐藤朝義、向井幸吉、パラダイスナイトフロント係として斎藤啓一、佐野友秀の計四名がいたが、本件火災発生当夜は右向井が休んだため、右斎藤がホテルフロントに回つて勤務していた。二月五日夜勤務に就いた佐藤および斉藤の二人のホテルフロント要員は、パラダイス大宴会場でのシヨーを見物して午後九時ごろホテルフロントに戻り、同九時過ぎごろ佐藤は建物内の巡回に出掛け、ニユー磐光A棟階下廊下において女中の知らせにより本件火災の発生を知つて、出火場所へ駆けて行つた。また同時刻頃斉藤は、ホテルフロントにおいて、「火事だ、大広間だ。消火器、消火器。」という女の声を聞き、火災の発生を知り、直ちにフロントから駆け出し、通路に置かれた消火器を取つて出火場所へ駆けて行つた。したがつてホテル電話交換室から同フロントに電話が入つたとき同所には一名のフロント要員もいなかつた。

(3) 磐光ホテルでは昭和四三年一二月一六日郡山消防署による再三の要請を受けて一応防火訓練を実施したが、それは極めて不徹底なものであり、同訓練に参加しない従業員も多かつた。右訓練に際して自衛消防隊が編成され、被告人佐賀およびナイトフロント係の向井と佐野が館内通報係と決められたものの殆ど何らの訓練をもしなかつた。被告人佐賀はその他に消防計画を作成したり、それに従つた防火訓練を実施したことはなかつた。

(4) 本件火災発生当時ホテルフロントにナイトフロント要員がいなかつたため全館への火災の発生および避難方の通報がなされなかつた大きな原因はナイトフロント要員の人的不足にあつたが、右原因に加えて、被告人佐賀が平素直接ないし支配人を介してフロント要員への通報訓練の実施等業務上の注意義務を怠つたため、本件火災発生当時の最も緊要な時にホテルフロントがかえつてその部署を離れて一人も居なくなり、全館へのマイクを使用しての火災の発生および避難方の迅速な通報がなされなかつた。

(二)  玄関および非常口のドア開放義務の懈怠

(1) 被告人佐賀は、磐光ホテルの防火管理者としてホテルおよびパラダイスの玄関や非常口などの避難施設を絶えず点検し、これを維持、管理すべき立場にあり、また消防計画を実施し、ホテルおよびパラダイス支配人とともにないし同人らを指導し、各フロント要員ないしナイトフロント要員をして火災発生の際には玄関ドアおよび非常口ドアを直ちに全部開放するよう訓練させておくべく立場にあつた。

(2) 本件火災発生当時、ホテル玄関外側のガラスドア二枚一組の両開き式ドア二組計四枚のガラスドアのうち左(西側)から二枚目のガラスドア一枚のみが開放され、他のドアは折からの強風に破損を虞れてすべて鍵がかけられていて使用できない状態となつていた。

パラダイス玄関のドアのうち、中央下足入右側(東側)のガラス戸四枚は折からの強風でコーヒーシヨツプへの客も殆どいなかつたため午後六時ごろにはすべて鍵がかけられて使用できない状態となつていた。また下足入西側四枚のガラス戸のうち開放されていたのは左(西側)から二枚目のガラスドア一枚のみで他はすべて前同様鍵がかけられ使用できない状態となつていた。

さらに、本件火災発生当時パラダイス娯楽コーナー奥非常口の両開き式ガラスドアは完全に施錠されたうえ取手口が紐様のもので縛られていたため全く使用できない状態にあつた。

右のようにして、特にパラダイス玄関のドアが一枚しか開放されなかつたために避難客に前記の如き混乱が生じ、一部の避難客が娯楽コーナー奥非常口の方に逃げた結果多数の死傷者を出すに至つた。

(3) 然して、本来パラダイス玄関は、大宴会場に多数の観客を収容するシヨー開催中には、大宴会場に一番近い主要な出口であるから、防災上何時でも容易に開けられるよう施錠などしてはならず、強風による破損や吹込みを避けるためには別途の工夫をなすべきであるが、仮に然らずとするも即時鍵を全部はずし、これが出来なければドアを破壊してでも避難を容易ならしめるべきであるに拘らず、パラダイス玄関口ガラスドアのうち七枚は施錠がはずされず、そのガラスドアが破壊されることもなかつた直接の原因はフロント要員ないしナイトフロント要員が初期消火のため逸速く全員出火現場に走つて、保管していた鍵を使つて施錠をはずすことを怠り、若しくは自己の避難にのみ気をとられてガラスドアを破砕することを怠つたためであるが、被告人佐賀は、前記のように、防火管理者として直接あるいは支配人を介し、これらフロント要員ないしナイトフロント要員をして非常の場合には少くとも一名は残つて右措置をとるよう日頃から指導、訓練しておくべき業務上の注意義務があつたにも拘らずこれを怠つたため、パラダイス玄関のガラスドアは十分に開放されなかつた。

(4) さらに、被告人佐賀は、磐光パラダイス娯楽コーナー奥非常口ガラスドアの上には非常口の標示灯も設置されていたのであるから、右ドアが非常の場合には直ちに開放されて客ないし従業員が容易に避難できるようこれを点検し、維持、管理し、そのために必要ならばパラダイス支配人与儀弘一ら経営責任者を介して右非常口がいつでも使用できるような状態に改善させるよう勧告すべき業務上の注意義務があつたにも拘らずいずれもこれを怠り、本件火災発生以前から、娯楽コーナーの拡張にともなつて右非常口に合鍵式の施錠をし、かつ取手を紐様のもので縛つたままの状態にし、非常口としての機能が発揮できない状態であることを知つていたにも拘らず、上記改善の措置をとらなかつた。

三  結果の発生

被告人佐賀は、右のような状況により火災発生を報知させ、玄関および非常口のドアを開放すべき業務上の注意義務を怠つた結果、ホテルおよびパラダイスに現在した客および従業員らに対して火災発生の通報がなかつたため彼らをして避難ないしその誘導の開始を遅らせ、またパラダイス玄関のガラス戸が一枚しか開かずその出口の巾は僅か八四センチメートルに過ぎなかつたこと、およびパラダイス娯楽コーナー奥非常口のガラスドアが開かず窓ガラスの破砕に手間取つたため、一時に多数避難しようとした客および従業員らをしてその脱出を著しく困難にし、さらに磐光ホテル二、三階の宿泊客および従業員らをして階下ないし地上に飛び下りることを余儀なくさせ、よつて、別紙一覧表(一)記載のとおり、松原正雄外三〇名を窒息死などにより死亡するに至らしめ、同一覧表(二)記載のとおり、稲村満里子外三〇名に対し火傷などの傷害を負わせた。

なお、別紙一覧表(一)、(二)記載の関連注意義務欄の表示番号は次による。

〈1〉  火災の発生および避難の通報ないし報知義務

〈2〉  玄関および非常口のドア開放義務

第五証拠の標目(略)

第六法令の適用

被告人佐賀時夫の判示各所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号(昭和四七年法律第六一号による改正前の同法)に該当するが、右は包括されて結局一個の行為で六二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い松原政雄に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人佐賀を禁錮二年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを同被告人に負担させることとする。

第七検察官主張の注意義務違反を一部認めなかつた理由(被告人佐賀について)

一  シヨーの観客等に対する出入口、非常口の位置等の告知をなすべき注意義務違反について

1  玄関、非常口および誘導灯、誘導標識の設置状況等

前掲関係各証拠によれば、玄関や非常口の状況および誘導灯、誘導標識の設置状況等について次の諸事実を認めることができる。

(一) 磐光ホテルの一般出入口としては正面玄関、新館一階の出入口そのほかホテルからパラダイスに通ずる通路があり、従業員出入口としては用度室玄関、従業員食堂出入口、ポンプ室脇出入口などがあり、ホテル非常口としては別館側各階の廊下東側の非常階段、中広間脇廊下東突当りの非常口、新館お狩場脇東突当りの非常口などがあつた。また、パラダイスには一般出入口として正面玄関、非常口として娯楽コーナー奥非常口、空調機械室脇非常口などがあつた。ただ、パラダイス二、三階の西側非常口は外側避難階段が未設置のため使用できない状態にあり、また、パラダイス娯楽コーナー奥非常口は普段「仕入口」と呼ばれて商品など物品の搬入口として使用され、物品搬入の際以外は施錠されていて非常口として適さない状態にあつた。

(二) 磐光ホテル本館には誘導灯が二九か所、誘導標識が九か所に設けられ、磐光パラダイスには誘導灯が一二か所、誘導標識が三か所に設けられ、これらは前記非常口の所在および避難の経路を指示し、一応正常な機能を果たし得る状態にあつた。右に述べたように、パラダイス二、三階西側非常口および同娯楽コーナー奥非常口が非常口として使用不能ないし使用不適の状態にあつたのはいずれも非常口自体としての欠陥であつて、誘導標識等の不備はなかつた。

(三) 磐光パラダイス大宴会場からの避難口の状況については、大宴会場と食堂との間の廊下からホールに出れば正面玄関左右合計八枚のガラスドアが、右に進めば娯楽コーナー奥非常口がそれぞれあり、逆に廊下を北に進めば厨房を空調機械室脇の非常口があり、またホテルへの廊下を通ればホテル正面玄関があり、その位置関係は単純であつて宿泊客ないし観客がこれらの位置を知るのに特に困難な状況にはなかつた。

2  被告人佐賀は、磐光ホテルおよび同パラダイス各建物の防火管理者として避難上必要な構造および設備を維持管理する業務上の注意義務(消防法八条一項参照。)を負つていたものである。右に認定した玄関、非常口および誘導灯、誘導標識等の状況によれば、磐光ホテルおよび同パラダイスの各所には出入口、非常口の位置を告知、案内する誘導灯および誘導標識が設置され、それらに格別の故障はなかつたものであつて、これらの維持、管理につき被告人佐賀が注意義務を怠つたということはできない。

3  然して、さらに検察官は、「本件ホテル等は単に宿泊だけでなく、シヨー、映画等を行なう興業行為をしており、観客には宿泊客以外の外来者も多数来場するのが常であるので、これらに対してシヨーの合い間等を利用しまたはその他の方法で出入口、非常口等の位置等を告知すべき業務上の注意義務を磐光ホテルおよび同パラダイス各建物の防火管理者であつた被告人佐賀は負つていた」旨を主張するところ、右にいう「その他の方法」の内容は必ずしも明らかではないが、一般的にいつて、誘導灯、誘導標識または案内図等により出入口および非常口が告知、案内され、かつ当該出入口や非常口の位置が容易に知り得る状況にある場合には、いわゆる興行場に来集した観客、聴衆に対し、興行場側において口頭をもつて予め出入口および非常口の位置を必ず告知すべき義務があるということはできない。したがつて、前記認定したパラダイス大宴会場から避難する場合の出入口、非常口が宿泊客ないし観客にとつて認知するに特に困難な状況になかつた事実に照らせば、本件においてパラダイス大宴会場に来集した観客らに対し予め口頭をもつて重ねて避難する際の出入口、非常口の位置を告知すべき義務があつたということはできない。

4  以上によれば、被告人佐賀につき、自からあるいは従業員をしてパラダイス大宴会場のシヨーの観客らに対して出入口、非常口の位置を告知すべき注意義務、ひいてその違反はなかつたから、この点についての検察官の主張は理由がない。

二  二階以上の客室等に避難ロープを備え付けるべき注意義務

1  前掲関係各証拠によれば、磐光ホテルおよび同パラダイスは一応別個の建物ではあるが、ホテル大広間西側廊下とパラダイス大宴会場を隔てる中庭の幅員は約三メートルしかなく、しかもその間を隔ててパラダイス大宴会場東側に鎖動式防火シヤツターの設備はあつたものの中庭を挾むホテル大広間西側とパラダイス大宴会場東側それぞれの隔壁は、いずれも襖が用いられて、一方、建物から出火した場合その火焔は他方の建物に容易に拡大する位置、構造にあつたことが認められる。然れば、磐光ホテルはパラダイスをも含め、一体として消防法施行令二五条一項二号括弧内の防火対象物に該当し、同条二項一号の表にしたがい、各建物の二階にはすべり台、すべり棒、避難ロープまたは避難梯子等、三階および四階にはすべり台、避難梯子または救助袋等をその収容人員に照らして必要な個数設置すべきことが義務づけられていた。然るに、前掲関係各証拠によれば、磐光ホテル東側のニユー磐光と隣接した二階および三階に非常段階が設置されていたのみで、その他の二階、三階および四階にはすべり台、すべり棒、避難ロープ、避難梯子ないし救助袋等何らの避難器具も設置されていなかつたことが認められる。

2  他方、消防法八条一項にいう「避難上必要な構造および整備」には避難器具も含み、その維持管理には「点検及び整備」も含まれると解すべきであり、したがつて防火管理者は避難器具を常時点検し、不良箇所または欠陥を発見した場合には直ちに補修して完全なものとしておくべき職責を負つていたことは明らかである。然して、避難器具の設置については本原的には防火対象物たる建物の管理権原者(消防法八条一項参照。)の責務であるけれども、防火管理者としても、消防法施行令四条一項によれば、「防火管理上必要な業務を行なうときは、必要に応じて当該防火対象物の管理について権原を有する者(管理権原者)の指示を求め、誠実にその職務を遂行しなければならない。」義務を負わされているものであるから、火災および防火に関する専門的な知識に基づいて防火管理上必要な事項を管理権原者に具申してその指示を求めることは、その義務の範囲に属すると解すべきである。したがつて、消防法施行令二五条一項、二項により定められた必要な個数の避難器具が未設置の場合、防火管理者は、もし管理権原者からその事項について予め委任を受けているならば、自己の右権限内で可能な避難器具を早急に設置すべきであり、もし委任がなく自己の権限を以てしては右必要な避難器具の設置ができないときは、速やかに管理権原者にその必要を具申し、その設置を促がすべき職責、したがつてこれらの点について業務上の注意義務を負つているものといわなければならない。

3  そこで、被告人佐賀が防火管理者として右の注意義務を果たしたか否かを検討するに、前掲関係各証拠によれば、次の諸事実を認めることができる。

(一) 被告人佐賀は磐梯観光株式会社総務部総務課長であり、その直接の上司としては取締役総務部長萩保二がいたところ、施設ないし設備の拡充等は総務部の仕事ではあつたがこれらは直接萩総務部長が掌理し、総務課長たる被告人佐賀には委任されていなかつた。

(二) 磐光パラダイス二階、三階の西側非常口に避難階段が設置されていなかつたため、郡山消防署からの勧告も受けて、被告人佐賀は、熱海営業所常勤の常務取締役江口菊雄らに対し、数度に亘つて右避難階段の設置を具申したが、遂に設置されなかつた。

(三) 昭和四三年一〇月ごろ、郡山消防署の指摘を受け、当時は未だ磐光ホテル支配人の職務を解かれていなかつた被告人井上が右江口に対して「避難ロープは婦女子や子供には危険だからすべり台式の避難器具を設置して貰いたい。」旨を具申したが、同人から「金がないから。」と言つて断られ、実現しなかつた。

4  以上の諸事実によれば、被告人佐賀は、金銭的支出を要する避難器具の設置については自らこれを決定し得る権限を有せず、しかも磐光パラダイス西側避難階段およびすべり台式避難器具の設置について被告人佐賀ないし同井上からさらに上位の権限を有する江口常務らに具申が行なわれていたにも拘らず遂にこれらが未設置のまま本件火災に至つたことが認められ、然れば磐光ホテルおよび同パラダイス二階以上に何らの避難器具が設置されなかつたのは専ら経営の責任者たる代表取締役川崎善之助、常務取締役江口菊雄らの責任に帰すべきものであつて、この点に関し被告人佐賀には注意義務違反はなかつたものといわなければならない。したがつて、この点に関する検察官の主張も理由がない。

第八死傷との因果関係に関する補足的説明(被告人佐賀について)

当裁判所は、前記したとおり、防火管理者たる被告人佐賀に対する検察官主張の注意義務のうち、(1)火災の発生、避難の通報ないし報知義務の懈怠および(2)玄関および非常口のドア開放義務の懈怠とを認め、右二個の注意義務違反と本件火災による三一名全員の死亡と後記山中由起子を除く三一名の負傷との因果関係を肯認したのであるが、ホテル二、三階にいた宿泊客、従業員らの負傷並びに弁護人らが争う一部の被害者の死傷と右注意義務違反との因果関係につき、当裁判所の判断を次に補足的に説明することとする。

1  ホテル二、三階にいた宿泊客、従業員らの負傷について

前記したように、磐光ホテル二、三階には何らの避難器具の設置もなく、しかもそれは会社経営責任者らの責任であつて、この点において被告人佐賀の注意義務違反は認められないのであるが、他方、前掲関係各証拠によれば、ホテル建物二、三階東側にはニユー磐光と接して非常口、その外側に避難階段が設けられていた外、二、三階の各所には階下への階段が設けられていたことが認められ、然れば本件火災発生当時強風のために火の廻りがかなり速かつたにも拘らず、磐光ホテルに設置されていた自動火災報知器が正常に作動し、またはホテルフロントからのマイク放送があつたならば、ホテル二、三階の客室に在室していた宿泊客らおよび配膳室にいた従業員らはより早期に本件火災の発生を知つて各階段または非常階段を経て玄関や非常口から外部へ脱出することが十分可能であつたこと、したがつて右宿泊客および従業員らは各客室や配膳室のガラス窓から階下へ飛び下りずとも避難することができたであろうこと、を肯認することができる。よつて被告人佐賀の前記(1)火災の発生、避難の通報ないし報知義務の懈怠とホテル二、三階にいた宿泊客、従業員らの負傷との因果関係を肯定した次第である。

2  川崎善之助の負傷について

川崎善之助は本件火災当時磐梯観光株式会社の代表取締役であつたのではあるが、前掲関係各証拠によれば、本件火災当夜ホテル三階三二三号室で取締役経理部長宮原元夫およびパラダイス支配人与儀弘一と共に業務上の打合せを兼ねて食事を摂つていたところ、同室において本件火災の発生を知り、ドアを開けて廊下から脱出しようとしたが、廊下には火焔が立ち籠めてすでに遅かつたので廊下から脱出することを断念し、次いで部屋の窓を開け、窓の下の一五センチメートル位出張つたコンクリートに足を掛けながら、横歩きして逃げ場をさがしたが、安全な避難場所がないので、再び三二三号室に戻り、部屋の中から布団を取り出してホテル大浴場の屋根に投げ下ろし、その上に右与儀、宮原らとともに次々に飛び下り、次いで同じ方法で順次地上に飛び下りたが、その際判示別表記載の如きの傷害をそれぞれ負つたこと、ホテル三階廊下東端には前記の如く非常口および避難階段が設置されていたから右三二三号室からも廊下に出さえすればその非常口、避難階段を伝わつて脱出することが可能な状況にあつたことを認めることができる。そこで右の諸事実に照らせば、ホテル三階に救助袋等の避難器具が設置されていなかつた瑕疵は、経営の責任者たる右川崎らがこれを負うべきものであること前記認定のとおりであるとしても、他方、もしホテル会計室内に設置されていた火災報知受信機が正常に作動してホテル全館にベルが鳴り、あるいはホテルフロントからのマイク放送による火災の発生ないし避難の通報があつたならば、右川崎は他の宿泊客らとともに廊下より非常口に出、さらに避難階段を伝わつて脱出することが十分に可能であつたことが認められる。したがつて、この点において右川崎の負傷もその余のホテル二、三階にいた宿泊客、従業員らで窓から飛び下りて負傷した者と比較し格別の差異を設くべき理由を見い出し難いから、右川崎の負傷も被告人佐賀の前記火災の発生ないし避難の通報に関する注意義務違反と因果関係があるといわなければならない。

3  中山博光、斉藤健一の死亡について

弁護人は、「中山博光は金粉シヨーダンサーのリーダーであり、失火の責任を痛感し初期消火活動に努めたがこれに失敗し、内妻山中由起子を安全な所に救出して再度火焔の中に入つて三人の客を救出したが途中力尽きて窒息死したもの」、「斉藤健一は金粉シヨーダンサーで中山博光と同様に失火責任者でありその責任を痛感し初期消火活動に狂奔して逃げ遅れて窒息死したもの」であり、いずれも被告人佐賀の注意義務違反と何らの因果関係がない旨を主張するところ、前掲関係各証拠、とりわけ司法警察員樫村丑男作成の昭和四四年二月八日付実況見分調書によれば、失火した後中山および斉藤が消火器を求めて初期消火活動に狂奔したこと、中山および斉藤の窒息死していた場所はいずれもパラダイス大浴場南側特別脱衣室の入口付近であつたこと、を認めることができ、右の事実によれば、中山および斉藤の初期消火活動後の行動は詳らかではないものの、窒息死していた場所がパラダイス娯楽コーナー奥非常口に近かつたことより見れば、右両名とも建物外に脱出しようとしてそれを果たせずに窒息死するに至つたものと認められる。したがつて右両名が仮に失火の責任者だと仮定したとしても、なおかつ脱出自体は当然の行為であるから、それを妨げられた障害が判示認定のとおり被告人佐賀の注意義務違反に起因する以上その因果関係を肯定すべきで、これに反する弁護人の主張は理由がない。

4  松本織江、大山佳男の焼死ないし窒息死について

弁護人は、松本織江および大山佳男は避難しようとした形跡は全くなく、覚悟の心中であつた旨を主張するところ、前掲関係各証拠、とりわけ右実況見分調書(謄本)によれば、右松本および大山はホテル本館三階三一六号室内で焼死ないし窒息死していたことが認められ、避難しようとした形跡は殆ど窺われないのであるが、他方、右両名が本件火災を機に心中を企てたと見ることは全く無理で、矢張り火災報知器が鳴らず、またマイク放送による火災発生および避難方の通報がなかつたために就寝中で本件火災を覚知することができない間に室内で焼死ないし窒息死するに至つたものと認めるのが相当である。然れば、松本および大山が覚悟の心中をしたものであるとの弁護人の主張は理由がない。

5  粟津堅一の窒息死について

弁護人は、粟津堅一はパラダイス大宴会場から客を誘導した後再び火焔の中に入つて行つて救出活動に従事中窒息死したもので、被告人佐賀の本件注意義務違反とは何らの因果関係がない旨を主張するところ、前掲関係各証拠によれば、右粟津は磐光ホテル従業員であり、パラダイス大宴会場の客を一度その玄関口まで誘導し終えた後再び残りの客を誘導しようとして大宴会場の方に戻り、その救出活動中に窒息死するに至つたことが認められるが、他方において、ホテル、ことにパラダイスの正面玄関、さらにパラダイス娯楽コーナー奥非常口が完全に迅速に開放されていたならばたとえ右粟津が二度目の救出活動のため大宴会場の方に戻つたとしても容易に建物の外に脱出することが可能であつたと認められる。よつて、この点に関する弁護人の主張も理由がない。

6  塚本恵子、ガートルード・Kマースの窒息死について

弁護人は、塚本およびガートルードの二人は一度誘導されて戸外へ救出されたが自分の装身具、化粧品、貴重品等に未練を感じ事務室に引き返して窒息死したもので、右死亡と被告人佐賀の本件注意義務違反とは何らの因果関係がない旨主張するところ、前掲関係各証拠によれば、右塚本とガートルードの死亡していた場所はパラダイス一階西側便所内であつたこと、然ればパラダイス娯楽コーナー奥の非常口のドアさえ開放されていたならば右両名が便所内に逃げ込まずに建物の外へ脱出することは十分に可能であつたと認められる。よつて、この点に関する弁護人の主張も理由がない。

第九一部無罪の理由(被告人佐賀について)

検察官は、金粉シヨーのダンサーであつた山中由起子(当時二〇年)が本件火災の際に加療約三か月を要する顔面、頸部、両側上肢、前胸部、背部第一・二・三度火傷の傷害を負つた点についても、被告人佐賀が防火管理者として「シヨーの観客等に対する出入口、非常口の位置等の告知をなすべき注意義務」を怠つた結果である旨を主張するので判断するに、医師中村興太郎作成の診断書(山中由起子分、謄本)によれば、右山中が本件火災の際に右の如き傷害を負つたことは認められるが、前記したように、右検察官主張の点について被告人佐賀に注意義務違反は存せず、さらに、前掲関係各証拠によれば、右山中は磐光ホテル大広間裏控室において中山博光らがたいまつにベンジンを浸み込ませる作業中火を失した際に右控室内ないしその近くにいて逸速く右出火を覚知したことが認められ、また、司法警察員佐藤俊男外一名作成の捜査復命書(謄本)によれば、右山中は捜査官による取調べを拒否しているためその脱出経路、受傷の状況が不明であるところ、他に前記認定の被告人佐賀の注意義務違反と右山中の負傷との因果関係を窺わせるに足りる証拠がなく、この点について犯罪の証明を欠くこととなるが、右は他の死傷の結果と観念的競合の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

第一〇被告人井上を無罪とした理由

一  被告人井上に対する公訴事実

被告人井上に対する本件公訴事実は、

被告人井上馨は、昭和四三年一〇月より昭和四四年七月二五日まで磐梯観光株式会社管理部長をしていたもので、同会社管理部長に在職中、同会社経営にかかる郡山市熱海町高玉字仲井三九番地所在ホテル業磐光ホテルおよびホテル兼興行場磐光パラダイスの建物の維持、管理、修理並びに災害防止に必要な施設の整備等を担当していたほか右建造物の管理権原者として、防火の対象物である磐光ホテルおよびこれに接続する磐光パラダイスの建物について防火管理の業務に従事していたものであるが、右建造物は客室一〇三室を有し多数の宿泊客を宿泊せしめるとともに、劇場、映画館、その他の興行物を行なう施設を有し、一か所に多数の観客を集めることにしていたので、同所付近より万一火災発生の場合に右宿泊客並びに観客に対し火災の通報、避難誘導を適切にし、特に宿泊客、観客らをして自ら出入口並びに非常口などから迅速、安全に脱出しうるよう平素より諸設備を整備、点検し、かつ従業員にもこれが取扱いに習熟せしめるべき業務上の注意義務があるので平素より従業員をして火災発生の際は速やかにその状況を電話等により全館に対し放送設備のある磐光ホテルフロントに通報せしめ、同フロント要員を必ず一名待機せしめて右通報により直ちに放送設備を通じ全館に通報させるとともに磐光パラダイス並びに磐光ホテル一階の玄関の出入口の扉につき、万一の場合その全扉を迅速に開扉することができるようフロントの従業員らを訓練し、かつ磐光パラダイス娯楽コーナー奥非常口その他の非常口についてもハンドルなどの簡易な操作により容易に開放できるよう点検整備をなし、また二階以上の宿泊客の避難のため同館二階以上に非常口は設置されていたがこれに続く避難階段が設けられていない状況に鑑み通常の避難口である廊下などに火焔が充満した場合に備えて、各客室等の窓側より容易に脱出しうるよう避難ロープなどの設備をなすべきであるのにこれ等を怠つたのみならず、昭和四四年二月五日午前九時四五分福島地方気象台より福島県内一円に強風波浪注意報、山沿いには風雪注意報が発せられ、正午ごろ磐光パラダイス三階ジヤングル劇場の屋根の一部が強風で吹き飛ばされるなど異常気象の状態にありかつ当夜磐光パラダイス一階大宴会場のステージにおいて約二〇〇名位の多数の観客を集めて金粉シヨーなどのシヨーの開催があつたので万一火災等発生の場合は重大な結果を招来する危険があるので特にフロント要員などに対し右火災通報、ホテル並びにパラダイスの玄関の扉、パラダイス娯楽コーナー奥の非常口のドアの開放等につき一層注意を喚起するとともに右シヨーの観客の中には外部よりの観客も多数含まれていたのでそれらの観客の避難のため右シヨーの合い間等を利用し、非常の場合の出口、非常口の位置並びに避難方法等をスピーカーで放送する等なし、もつて火災発生の場合においても人命の被害を最小限に抑止すべきであるのにこれらを怠つた結果、同日午後九時一〇分ごろ磐光ホテル一階大広間ステージ裏控室において金粉シヨーダンサー松下正樹らが同シヨーの出演準備のため松明の先端にベンジンを浸透させる作業中に火を失し、火災を発生させた際、同控室付近にいた者より火災の通報が電話でなされ、これを知つた電話交換手より全館に対し放送設備のあるホテルフロントに電話が入れられたが、同所にフロント要員が不在であつたため直ちに全館に対し火災並びに避難の通報をなし得なかつたため全館の従業員、宿泊客並びに観客らに対し避難の開始を遅らせ、特に前記磐光パラダイス並びに磐光ホテルの正面玄関より脱出するに際し八枚の扉の中一か所しか開扉しなかつたことと一部の観客らが娯楽コーナー奥非常口より脱出を試みたが右非常口が施錠されていたことと相俟つて脱出を著しく困難にし、また磐光ホテル二階、三階の宿泊客についても前記避難ロープなどの備えつけがなかつたため逃げ場に窮し地上などに飛び下りるの止むなきに至らしめ、よつて、別紙一覧表(一)記載のとおり、松原政雄外三〇名を焼死させ、別紙一覧表(二)記載のとおり、稲村満里子外三〇名および前記山中由起子に対し火傷などの傷害を負わせたものである。

というのである。

二  そこで先ず、被告人井上が右公訴事実に掲記された如き業務上の注意義務を負つていたか否かを検討するに、前掲関係各証拠によれば次の諸事実を認めることができる。

1  被告人井上の経歴等

被告人井上馨は、福島県双葉郡双葉村に生まれ、同地の尋常高等小学校を卒業したのち逓信省簡易保険局に勤務し、終戦を経て昭和二五年六月ごろ藤田観光株式会社に入社して同社の経営する箱根小涌園の番頭となり、次いで新潟観光株式会社ビーチセンター支配人、仙台観光株式会社秋保ドリームランド支配人を順次勤め、同四二年二月一一日ごろ招聘されて磐梯観光株式会社に磐光ホテルの支配人として入社し、同四三年一一月二〇日ごろ同社管理部長となり、同四四年七月二五日ごろ同社を退職した。

2  被告人井上の会社内における地位、職務内容

被告人井上は、前記したように、昭和四二年二月一一日ごろ磐梯観光株式会社に磐光ホテルの支配人として入社し、同年二月一四日磐梯観光株式会社代表取締役社長川崎正蔵名義で事業所名磐光ホテルの事業主代理人が大原勇から被告人井上に変更された旨の事業主代理人変更届が郡山消防署長宛提出され、同年三月頃郡山消防署の勧告により同署宛に被告人井上および同佐賀において作成して提出した磐光ホテル防火管理機構組織編成表には管理権原者として被告人井上が記載された。その頃は、被告人井上は、磐光ホテル支配人として営業全般に関与し、ともかく実権もあつたが、次第に施設が拡張され、ホテル業務だけではなく娯楽場の経営にも重点が移つて来て経営規模が拡大し、複雑かつ斬新な経営方針を要請されるに至り、営業面への人材の登用が急務となつて新たに監査役与儀弘一が第二営業部長に選任され、同四三年五月二〇日ごろには磐光パラダイスがオープンして同人がパラダイス支配人と芸能部長を兼ねて総支配人の地位に立ち、同年一一月二〇日ごろには磐光ホテルの支配人には内藤暢重が任命され、その頃被告人井上は管理部長となつた。磐梯観光株式会社において管理部長の職制はこのとき新たに設けられたものであり、被告人井上が磐光ホテル支配人から管理部長に任ぜられたことは表面上は昇格の形ではあるが、会社側の事情としては被告人井上が高齢かつ高血圧のため磐光ホテル支配人として新営業形態に適合した活動が期待できないために若い内藤を磐光ホテル支配人に選任するとともに被告人井上に対しては管理部長という名称の閑職を設けていわば事業遂行の第一線から退いて貰うという狙いであつた。したがつて、管理部長としての被告人井上の職務権限は極めて限られたものであり、磐光ホテル、同パラダイスおよびニユー磐光の各建物の維持、管理の全般におよぶものではなく、主として右各建物およびその内部造作の修繕、絵画の管理などの雑務が多く、実際上殆んど管理職として経営に参画できる実権ある地位にはなかつた。本件火災発生当時熱海事業所には常務取締役江口菊雄が常勤していて業務全般を監督し、代表取締役社長川崎善之助も毎月二回磐光ホテルに宿泊して右江口や他の取締役らと会議を開き、その意見を徴しつつ会社の事業全般を総括していた。もちろん被告人井上は右川崎や江口の指揮、命令下にあつたのであつて、建物の修繕等のための比較的少額の支出については格別、多少とも多額の支出については何らの権限をも有せず、それらについては右川崎社長や江口常務、さらには業務部長菊池などの許可を受けなければならず、これらの者が実権を有して事業を運営していた。

三  以上の諸事実によれば、被告人井上が磐光ホテル、同パラダイスおよびニユー磐光各建物の消防法上のいわゆる管理権原者であつたと認めることはできない。消防法八条一項にいう「……防火対象物……の管理について権原を有する者」(以下、単に管理権原者と略称する。)とは建物の所有者、賃借人ないしこれらの者からその維持、管理について委任を受けた者、または職務上建物の維持、管理について責任を負う者をいうと解すべきである。けだし、管理権原者とは消防法一七条の四に定める消防用設備等に関する措置命令が発せられた場合には当該命令の内容を法律上履行できる地位にあるものでなければならないからである。しかし、右認定の諸事実によれば、被告人井上が磐光ホテル各建物の維持、管理について代表取締役社長川崎善之助から委任を受けたことはなく、またその職務内容に照らしても被告人井上が右各建物を維持、管理し、自らの権限で消防法令に規定する技術上の基準に適合しない消防用設備等をその技術基準に適合するようにし、その他防火に関する機械、器具等を発注、購入ないし修繕する等、費用を要する事務につき決定権を有する立場にあつたと認めることはできない。したがつて、右の如く磐梯観光株式会社の代表取締役その他の役員でもなく、同社熱海事業所たる磐光ホテルの事業責任者でもなく、また同社内において比較的軽微な権限しか有していなかつた被告人井上磐光ホテルの管理権原者であつたということはできない。

四  そこで、被告人井上が磐光ホテルの管理権原者であるとする検察官主張の事実についてさらに検討するに、前掲関係各証拠によれば、被告人井上が磐光ホテルの支配人をしていた当時郡山消防署の勧告を受け、前記したように、自ら箱根小涌園の番頭や他の娯楽センターの支配人をした経験と防火管理に関する講習会の課程を修了した知識を有していたことから、昭和四二年三月一四日被告人佐賀が磐光ホテル防火管理機構組織編成表を作成した際参画し、これを郡山消防署に提出したこと、右組織編成表において管理権原者が被告人井上となつていたこと、が認められ、右によれば、被告人井上は磐光ホテルの支配人であつた当時には少くとも磐光ホテル全般について防火管理上現場の直接の最高責任者であつたと認めることができる。しかし、同四三年一一月二〇日ごろ磐光ホテルの支配人を解かれて新たに設けられた管理部長の地位に就いた被告人井上は、前記したようなその職務内容に照らし、磐光ホテルの防火管理上の右のような責任をも解かれたものと認められる。したがつて前記防火管理機構組織編成表はその後の会社内の人事の変動に伴い当然に実態に合つた編成替えをして新たに消防署に提出されるべきものであつたといわなければならないから、右編成表の記載から被告人井上を管理権原者と断定することはできない。このことは、昭和四三年一二月一六日磐光ホテルが郡山消防署と共同して実施した防火訓練に際して編成された自衛消防隊においては自衛消防隊長が磐光ホテル支配人内藤暢重、副隊長が営業係長砺波尊憲であつて被告人井上は磐光パラダイス三階の避難誘導係にすぎなかつたことに照らしても明らかである。また、被告人井上は磐梯観光株式会社に入社して間もなく熱海事業所たる磐光ホテルの事業主代理人として郡山消防署に届け出られているが、これも前記の如くその後の会社の人事変動、少くとも被告人井上が磐光ホテルの支配人を解任された際に当然に事業主代理人変更届が届けられねばならなかつたというべきである。現に、被告人佐賀を防火管理者として届け出た昭和四三年五月三〇日付届書には選任者(管理権原者)が磐梯観光株式会社代表取締役川崎正蔵名義となつているのもこれを裏付けているといわなければならない。したがつて、被告人井上が磐光ホテルの管理権原者であるとする検察官の主張は、実質的にも形式的にもその理由はないといわなければならない。

五  然して、本件火災当時事業主代理人でなく、また当然に管理権原者でもなかつた被告人井上は、消防法上防火対象物である熱海事業所たる磐光ホテルの防火管理者である被告人佐賀を選任、監督する地位にはなく、したがつて消防法施行令四条一項に基づいて防火管理者たる被告人佐賀が「防火管理上必要な業務を行うとき」必要に応じてその指示を求める相手方でもなかつたから消防法令に定める防火管理上の義務(消防法八条一項)を防火管理者をして誠実に行なわしめる責務を負担させられていた者ではなく、また経営の責任としての実権をもつ者ではなかつたから、消防設備等が消防法に定める技術基準に適合していない欠陥につき直接その責任を負う者でもなかつた。もつとも、磐梯観光株式会社管理部長として経営責任者から命ぜられた雇傭契約上の職務についてはその誠実な履行を求められることはけだし当然であるところ、被告人井上が右管理部長として防火管理上検察官の主張するような注意義務を負つていたか否かを前掲関係各証拠に照らして検討することとする。

1  火災報知等義務について

前記したように、本件火災発生当時磐光ホテル会計室に設置されていた受信機スイツチ盤の主電鈴スイツチと地区電鈴スイツチとが下げられて断の状態になつていたのであるが、右受信機を常に正常に作動しうる状態にしておくように監督すべき義務は磐光ホテル防火管理者である被告人佐賀にはあつたが、管理部長たる被告人井上が右義務を負つていたとは認められない。けだし、会計室内の従業員は管理部長の監督下には所属していなかつたからである。もちろん被告人井上といえどもホテル事務室内において被告人佐賀と机を並べて執務していたのであり、かつ防火管理者たり得る資格を有する者であつたのであるから、条理上は右受信機のスイツチ盤の状態についても注意を払うことが望ましかつたであろうが、それは防火管理者たる被告人佐賀の法令上の注意義務とは質的な隔たりが存するというべきで、管理部長としての職務内容に照らし、被告人井上が右の点について業務上の注意義務を負つていたとは認められない。

また、フロント要員を含めて磐光ホテルおよび同パラダイスの接客部門に属する全従業員に対する業務上の指揮、監督の権限はすべてそれぞれの支配人に属し、管理部長であつた被告人井上には属さず、また防火管理でもなかつた同被告人は、防火対象物について消防計画を作成し、当該消防計画に基づいて消火、通報および避難の訓練を実施すべき職責を有せず、したがつて火災発生の際速やかにこれを全館に通報するためにフロント要員のうち一名は絶えずフロントに待機させ、右通報を行なうよう平素より訓練しておくべき注意義務を負つていたとは認められない。

2  出入口、非常口の位置等の告知をなすべき注意義務

磐光ホテルおよび同パラダイスには一応各所に非常口の表示はあつたのであつて、この点は本件客ないし従業員らの死傷の結果とは因果関係がなく、また出入口、非常口を告知して客を案内、誘導すべき義務はホテルおよびパラダイスのすべての従業員が負い、これを訓練しておく義務は双方の支配人、すなわちホテルについては内藤暢重、パラダイスについては与儀弘一がそれぞれ負つていたのであつて、この点について被告人井上は注意義務を負つていなかつたし、さらに、前記したように、シヨー観覧中の客に非常口等の位置を告知すべき義務は否定されるべきもので、結局これらの点において被告人井上は前同様注意義務を負つていなかつたものというべきである。

3  ホテルおよびパラダイスの玄関の全扉を開放すべき注意義務

本件火災により多数の死傷者の出た大きな原因の一つはパラダイス玄関のドアがガラス戸一枚しか開放されなかつたことにあるのであるが、そのような結果を招来した理由は第一には各玄関ドアの施錠の構造に求められなければならない。すなわち一般的にいつてもホテル等多数の客を収容する建物の玄関ドアはたとえ施錠してあつても非常の場合には内側から容易に開放できる構造になつていなければならず、そのような構造を持つ錠は通常何処にでもみられるものであるから、簡易に設置できるというべきである。ところで磐光ホテルおよびパラダイス各玄関の錠はそれぞれガラス戸の上下において施錠する構造になつていて鍵を用いてこれを外さなければガラス戸を開放できない仕組みであつたのであり、右のような構造のドアは防災上不適当であつたといわなければならないから、早急に右構造は改善を要したと言うべきであるが、この点の落度については管理部長とはいえ精々建物の軽微な修繕の限度においてしか決定権限を有していなかつた被告人井上にはその責任はないといわなければならない。けだし、右のような錠の構造は修繕の対象ではなかつたからである。また、非常の場合にはパラダイス玄関の全扉(ホテルも同じ)を直ちに開放するようそれぞれフロント要員を訓練しておく義務は第一次的には両支配人、第二次的には前記のとおり消防計画を作成して防火訓練を実施すべき職責を負つていた防火管理者たる被告人佐賀が負つていたのであつて、これらの点についても被告人井上は職務内容上格別な権限はないのであるから業務上の注意義務を負つていなかつた。

4  パラダイス娯楽コーナー奥非常口のドアの錠をはずしておくべき注意義務について

磐光パラダイス娯楽コーナー奥の非常口は非常口の標示灯はあつたものの日頃は殆ど商品等の搬入口として使用され、それ以外の時は施錠されていたため本件火災発生の際にも非常口としての機能を果たさなかつたのであるが、非常口ドアの錠の構造については玄関の扉にも増して緊急の場合内部より容易に開放できる構造にすべきであるが、この点の落度についても前項の説明と同旨で被告人井上には責任がなく、またパラダイス娯楽コーナー奥非常口の平常の使用方法についての落度もその直接の責任はこのような使用方法をとつたパラダイス支配人兼第二営業部長与儀弘一らに帰せられるべきであつて、被告人井上にはパラダイス売店コーナーの拡張、それに伴う右非常口の前記の如き使用方法を変更さすべき何らの権限はなく、また管理部長としての前記の如き職務内容に照らせば、被告人井上には防火管理上右非常口をして常にその機能を保持せしめるよう経営の責任者ないしパラダイス支配人与儀に助言、勧告すべき注意義務ないし同支配人を介して従業員を監督、訓練すべき注意義務を負つていなかつたというべきである。

5  避難ロープ等を設置すべき注意義務

磐光ホテルおよびパラダイスの二、三階には、ロープ、すべり台等の避難器具は全く設置されていなかつたのであるが、その責任は建物の維持、管理について権原を有していた代表取締役社長川崎善之助ないし常務取締役江口菊雄らにあり、右の点について何ら権限を有していなかつた被告人井上にはまたそれらを備え付けるべき注意義務も存しなかつた。

六  以上によれば、被告人井上には検察官主張のような注意義務は、法令、契約その他いずれの観点から検討しても、これを肯定すべき証拠はないから、その余の点について判断するまでもなく、同被告人に対する本件公訴事実については結局犯罪の証明を欠くこととなる。よつて、刑事訴訟法三三六条により被告人井上に対し、本件公訴事実について無罪の言渡をすることとする。

第一一量刑の事由(被告人佐賀について)

一  本件磐光ホテル火災は、昭和四三年一一月二日に発生し、三〇名の犠牲者を出した神戸市の有馬温泉池ノ坊満月城の旅館火災から僅か三ヶ月後に発生し、判示のとおり多数の死傷者を出し、当時としては戦後最大のホテル火災として、その惨禍は社会に大きな聳動を与えたものであるが、その結果の重大性を思えば、防火管理者として前判示のような注意義務の懈怠により、かかる重大な結果を斉した被告人佐賀に対し強い非難が加えられるべきことは当然である。

二  しかし本件を総合的に考察すると、このような重大な結果を招いた原因については、被告人佐賀の責任に帰し得ない他の諸要因が競合的に作用し、それらが被告人佐賀の過失とあいまつてこのような重大な結果を招来したものと考えられる。すなわち、

1  本件火災の出火原因についてみるに、本件火災は前認定のとおり、金粉シヨーダンサーらが狭くかつ可燃物の多いそれ自体危険な準備室でたいまつの準備をするうち、暖房用の反射式石油ストーブの火がたいまつのベンジンに引火したことから発生したものと認められるが、その際の火気およびベンジンの取扱いについての金粉シヨーダンサーらの不注意もさることながら、同ダンサーらを指揮監督する会社側の責任者芸能部長与儀弘一の右ダンサーらに対する危険物取扱上の監督不行届が本件出火の基本的原因の一つとして非難されるべきである。

2  また本件火災による死傷者が多く生じたことの一つの原因としては、前認定のような異常強風のため火のまわり方が異常に速かつたことが挙げられるが、そのような異常強風の下で、危険な裸火を用いる金粉シヨーを中止せず、前記のとおり会場を変更してまでこれを強行したのは、シヨーの責任者与儀弘一の判断によるもので、直接には同人の責任であり、間接には当日磐光ホテルに在勤した社長川崎善之助の責任というべきである。

3  本件火災により多数の死傷者を出した重大な原因の一つが、パラダイス正面玄関および同娯楽コーナー奥非常口の各ドアが施錠されて開放されなかつたことにあり、この点について被告人佐賀が責任を負うべきことは前判示のとおりである。しかし、この点についてさらに考えるに、これらのドアの施錠構造自体にも問題があるというべきである。すなわち、これらのドアの施錠方式はいずれも差込式の鍵で施錠する構造のものであつて、このような構造では、危急の場合避難客がドアに殺到すれば、仮に鍵を持つた係員が居ても、人波にさえぎられ、その開放が困難となることが考えられる。したがつて、旅館、興業場等の出入口、非常口の施錠構造としては、仮りに強風その他の理由で外部に対しては一旦施錠閉鎖したとしても、内部からは誰でも容易にこれを開放できるような構造でなければ危険であることは見易い道理といわなければならない。ところで、右のような施錠構造自体の問題については、被告人佐賀の直接の責任とはいえず、管理権原者たる川崎社長ないし江口常務らの責任といわなければならない。

4  さらに被告人佐賀は、管理権原者たる社長によつて防火管理者に選任され、その職責上判示のとおりの業務上の注意義務を負い、その懈怠によつて生じた結果につき刑責を負うことは前記のとおりであるが、会社組織上一総務課長に過ぎない被告人佐賀が防火管理者としての職務を遂行するには、会社経営責任者の物心両面にわたる熱意ある協力が欠かせないこと、また防火管理者としての職務に対する熱意の程度も、会社経営者の経営姿勢によつて左右されざるを得ないことも当然と考えられる。ところで、磐梯観光株式会社は、その会長川崎正蔵が商品取引の仲介業を営み、次いで神奈川県下における宅地開発事業により巨額の利益を得、その投資先として磐光ホテルの経営に乗り出したもので、ホテル経営の経験はなく、社長川崎善之助はじめ他の取締役らもホテル業には全く素人であつて、当時の経営姿勢については上来説示のとおり、営利の追及に急なあまり、安易に物的施設を過信し、防災についての関心は極めて稀薄であつたというほかはなく、本件災害の根源的な原因は、そのような企業責任者の人命軽視の経営姿勢に胚胎するものと言つて過言ではない。

三  以上のような諸点は、本件事案の結果が重大であるにもかかわらず、被告人佐賀にとつて十分斟酌すべき情状であると言うべきであるから、これら諸般の事情を考慮し主文の刑を量定し、その執行を猶予するのを相当と認めた。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 林田益太郎 白石悦穂 松本勝)

別紙一(略)

別紙二(略)

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