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福島地方裁判所会津若松支部 昭和45年(ワ)211号 判決 1975年2月06日

原告

佐々木りつこと佐々木キヱ

ほか一名

被告

福島県

主文

一  被告は、原告佐々木キヱに対し、金六〇万七、六五一円および内金五〇万七、六五一円に対する昭和四四年九月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告佐々木キヱのその余の請求および原告佐々木靖男の請求全部は、いずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮りに執行することができる。ただし、被告が金六〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告ら

(一)  被告は、原告佐々木キヱに対し金一三四万九、五一七円および内金一一四万九、五一七円に対する昭和四四年九月二三日から完済に至るまで、原告佐々木靖男に対し金六六万九、七八五円およびこれに対する同日から完済に至るまで各年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決ならびに(一)項につき仮執行の宣言を求める。

二  被告

(一)  原告らの請求は、いずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決および被告敗訴の場合における担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

第二当事者双方の主張

一  原告らの請求原因

(一)  原告佐々木キヱ(以下原告キヱという。)は、昭和四四年九月二二日午後零時三〇分ごろ、会津若松市日新町一〇番二八号所在の同原告方付近道路上において、訴外川村清和運転の普通乗用自動車に衝突されたリヤカーにはね飛ばされた結果、左骨盤左胸部左足に打撲を受け右足を捻挫する傷害を受けたが、頭部には打撲を受けなかつた。

(二)  そこで、福島県警察会津若松警察署交通係警察官らは、同日夕刻ごろ、これにつき捜査を開始したが、リヤカーを引いていた野菜売りの女性が右場所にいなかつたので、いつたん、受傷した原告キヱを被告所有かつ保有にかかるパトロールカーに同乗させて右女性方に至り、同女をこれに同乗させたうえ、右事故現場に引き返し、同原告を下車させたが、その際、右警察官も下車しようとして勢い良くドアを開けたため、すぐそばにいた同原告の頭部に右ドアを強打させて同原告を路上に転倒させ、その結果、同原告に対し、左前頭および側頭部に強度の疼痛を残す頭部外傷後遺症・頸椎捻挫後遺症(等級・自動車損害賠償保障法施行令二条別表第一二級の一二)の傷害を負わせた(以下本件事故という。)ものである。

(三)  以上のとおり、同警察官の前記ドア開きの行為は、公権力の行使にあたる公務員がその公務すなわち右交通事故捜査に従事中の行為であるが、同警察官としては、右パトロールカーのドアを開けるに際し、その付近に人がいないこと、または、右ドアを開けることによつて人に傷害を負わせるおそれがないことを確認したうえ、右ドアを開けるべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、不用意に右ドアを開けた過失により本件事故を発生させるに至つたものであるから、公共団体たる被告は、原告らの被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(四)  原告らは、本件事故により左記損害を被つた。

1 原告佐々木キヱについて、

(1) 治療費等計金一三万二、一一七円

イ 竹田綜合病院分金四万八、三八三円

同原告は、本件事故後、頭部打撲による疼痛が去らなかつたので、昭和四四年一一月下旬ごろから昭和四五年一〇月六日ごろまで右病院に通院したが、その間の治療費として金四万八、三八三円を要した。

ロ 虎の門病院分金八万〇、三六三円

同原告は、竹田綜合病院通院中も頭痛が去らなかつたので、よりよき治療を求めて東京都所在の国家公務員共済組合連合会虎の門病院にて診察および治療を受けたが、その治療費として金三万〇、三六三円、右治療のための交通費・宿泊費等として金五万円を要した。

ハ 太田綜合病院分金三、三七一円

同原告は、虎の門病院医師の診察により頭部外傷後遺症が頑固なものであるとの判断を受けたが、さらに精密な検査を受けるため、郡山市所在の太田綜合病院脳外科で受診した結果、同病院医師より右後遺症は確定的なものである旨の診断を受けたが、その費用として金三、三七一円を要した。

(2) 雑費金一万七、四〇〇円

同原告は、前記受傷により総合会津中央病院に五八日間(昭和四四年九月三〇日から同年一一月二六日まで)入院したが、この間の雑費として金一万七、四〇〇円(一日金三〇〇円の割合で計算)を要した。

(3) 慰藉料金一〇〇万円

同原告の前記後遺障害は当初予想した以上に重篤であり、その局所痛は生涯改善されないものであるから、その精神的苦痛は甚大である。しかるに、被告は、同原告の右苦痛を察しようともせず、同原告は芝居がうまいなどと放言している有様である。したがつて、同原告の精神的苦痛を慰藉するには金一〇〇万円をもつて相当とすべきである。

(4) 弁護料金二〇万円

同原告は、被告が本件損害賠償請求に関し任意に応じなかつたので、やむなく、弁護士たる原告ら訴訟代理人に本訴の提起を依頼し、同代理人に着手金として金一〇万円を支払い、謝金として金一〇万円を支払うことを約束した。

2 原告佐々木靖男について

(1) 休業損害補填分金五二万一、九二三円

原告キヱは、かねて菓子販売業手伝いをしていたもので、昭和四三年度金一七万円、昭和四四年度一二万八、〇〇〇円、昭和四五年度金一六万八、〇〇〇円、昭和四六年度金一六万八、〇〇〇円、昭和四七年度金二四万二、〇〇〇円、昭和四八年度金二六万円の各年収を取得し、あるいは取得し得べき筈であつたが、本件事故発生日たる昭和四四年九月二二日から前記後遺症の程度が明らかになつた東北大学医学部鑑定終了日たる昭和四七年八月一五日までの間、前記受傷のため、右仕事に全く従事することができなかつたので、右仕事によつて得べかりし利益を喪失した。そこで、同原告の実子である原告佐々木靖男(以下原告靖男という。)は、右菓子販売業者として、これにつき、昭和四四年九月二二日から同年一二月末日までの分金三万五、四一九円(円未満切捨)、昭和四五年度および昭和四六年度分各金一六万八、〇〇〇円、昭和四七年一月一日から同年八月一五日までの分金一五万〇、五〇四円(円未満切捨)合計金五二万一、九二三円をすべて補填せざるを得なかつた。

(2) 後遺症損害補填分金一四万七、八六二円

原告キヱの前記後遺症等級は前記第一二級の一二、労働能力喪失率は一四パーセント、後遺症等級認定日は昭和四七年八月一五日、労働能力喪失期間は五年であるから、その逸失利益を計算すると、金一四万七、八六二円(年収24万2,000円×労働能力喪失率14/100×ホフマン係数4.3643=14万7862円((円未満切捨)))となるが、原告靖男は、原告キヱの使用者として、右金員を補填し、または、補填し続けなければならないから、これと同額の損害を被つたものというべきである。

よつて、原告靖男は、民法四二二条により、被告に対し、右各補填分金六六万九、七八五円に相当する金員の支払いを請求し得るものである。

(五)  よつて、被告に対し、原告キヱは計金一三四万九、五一七円および弁護士費用金二〇万円を控除した残額金一一四万九、五一七円に対する本件事故日の翌日たる昭和四四年九月二三日から完済に至るまで、原告靖男は計金六六万九、七八五円およびこれに対する同日から完済に至るまで各民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため、本訴提起に及んだものである。

二  被告の答弁

請求原因(一)の事実中、原告キヱが受傷したことは知らないが、その余の事実は認める。同原因(二)の事実中、福島県警察会津若松警察署交通係警察官が、原告らの主張のころ、これにつき捜査を開始したが、リヤカーを引いていた野菜売りの女性が本件事故現場にいなかつたので、いつたん、受傷した同原告を被告所有かつ保有にかかるパトロールカーに同乗させて右女性方に至り、さらに右現場に引き返して同原告を下車させたことは認めるが、その余の事実は否認する。同原因(三)(四)1の事実はいずれも否認する。同原因(四)2の事実中、同原告ら主張の如き年収を得ていたことは知らないが、その余の事実はいずれも否認する。

三  被告の抗弁

(一)  因果関係

仮りに、原告キヱに原告ら主張の如き後遺症が存在していたとしても、請求原因(二)記載の事故のように身体衝撃も意識障害も伴わない頭部単純打撲によつて右後遺症が生ずる可能性はまれであるのに対し、同原因(一)記載の事故のように身体の回転空走や腰胸部打撲等の身体衝撃を受けたような場合には、頭頸部に異常屈伸作用が働いて右後遺症を起す可能性が多大である。したがつて、原告ら主張の右後遺症は、請求原因(一)記載の事故に基因して生じたものであつて、同原因(二)記載の事故に基因して生じたものではない。よつて、被告は、原告らに対し、その主張の同原因(二)記載の事故発生を原因とする損害賠償の請求に応ずることはできない。

(二)  過失相殺

仮りに、同原因(二)記載の事故発生につき、被告の職員たる前記警察官に原告ら主張の如き過失があつたとしても、原告キヱにも次のような重大な過失があつたものである。すなわち、原告ら主張の如く右パトロールカーに同乗していた同原告は、昭和四四年九月二二日午後八時ごろ、本件事故現場で前記パトロールカー後部左側ドアから下車して半開きになつた右ドア付近に立つたのち、車内にいた同警察署交通係警察官鈴木峯夫らに会釈しようとして不用意に前かがみになつた際、たまたま右警察官が右パトロールカーを発進させるべくそのドアを車内から閉めようとしてこれを手前に引いたため、ドアが同原告の左側頭部に当つたものであるが、このような場合、同原告としては、右パトロールカーが発進するに際し、当然半開きのドアが閉められるのを承知していた筈であるから、危険を避けるため、ドアと一定の間隔を置いて路上に立つべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠つた過失により右事故を発生させるに至つたものである。したがつて、本件損害賠償額を算定するに当つてはこの点を斟酌すべきである。

(三)  消滅時効

1 仮りに、原告靖男が、原告ら主張の如く、原告キヱの休業および後遺症損害を補填したため、同原告の被告に対する右損害賠償請求権が原告靖男に移転したとしても、同原告の右請求権は、本件事故日の翌日たる昭和四四年九月二三日から三年の時効期間の満了、すなわち、昭和四七年九月二二日の経過により消滅したものというべく、被告は、本件第一五回口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

2 仮りに、原告キヱに前記の如き後遺症が存在していたとしても、少なくとも、原告靖男が本訴を提起した日である昭和四九年四月一〇日の三年前に当る昭和四六年四月一〇日より以前に右後遺症が症状として固定していたことが明らかである。そして、原告靖男は、その段階で、原告キヱの右傷害によつて生ずべき範囲の損害を予見し得ることおよび具体的にその損害額を算定したうえで権利を行使することが十分可能であつたにもかかわらず、右本訴提起に至るまでなんら請求を行なわず、また、被告も、同原告に対し本件損害賠償責任を承認した事実はない。したがつて、同原告の右損害賠償請求権は、少なくとも、右本訴提起当時すでに時効により消滅したものである。

3 仮りに、右消滅時効の起算点が同原告が原告キヱに給料を支払つた日であるとしても、右本訴提起三年前である昭和四六年三月分以前の原告キヱに対する給料相当額の損害賠償請求権は右本訴提起前である昭和四九年三月三一日の経過をもつて時効により消滅したものというべきである。

四  原告らの答弁

被告主張の抗弁事実は、いずれも否認する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  被告の責任原因

〔証拠略〕によれば、原告キヱは、昭和四四年九月二二日午後零時三〇分ごろ、会津若松市日新町一〇番二八号所在の同原告方付近左側路上(西側に向けて)に停車していたリヤカー荷台の側で、これに野菜類を積んで行商をしていた訴外岩橋キヨノと商談中、約二メートル東側の左側路上(前同)に停止していた訴外川村清和運転の普通乗用自動車が時速約五キロメートルで右斜めに発進してきてその左前部をリヤカーかじ取り棒左先端部(発進前の右自動車側からみて右前部)に衝突させたため、その衝撃により、リヤカー後部荷台が当つて半回転もしくは一回半回転を余儀なくされ、転倒はしなかつたものの、二・六メートルほど西側にはね飛ばされた(ただし、同原告が、右日時ごろ、同所において同訴外人運転の右自動車に衝突されたリヤカーにはね飛ばされたことは当事者間に争いがない。)うえ、鉄とブロックで作られたプロパンガスボンベカバー(高さ約一・二九メートル、幅約〇・七一メートル、奥行き約〇・三九メートル)に胸部等を衝突させ、その結果、右骨盤、左胸部、左膝および左足打撲症、右第六肋骨不全骨折、右足捻挫等の傷害を受けた(以下A事故という。)こと、右衝突事故現場は、国鉄会津若松駅の南西約一・四キロメートルの市街地で、車両歩行者とも交通量の少ない見通しの良い歩車道の区別のない幅員約五・六メートルのコンクリートで舗装された支線道路であつたこと、その後、同原告は、同日夕刻、右事故につき捜査を開始した福島県警察会津若松警察署交通係警察官らとともに右衝突事故現場の検証に立会つたが、重要参考人と目されていた右訴外岩橋が右現場にいなかつたので、右警察官らとともに、被告所有かつ保有にかかるパトロールカーに同乗して同訴外人方に至り、同人からの事情聴取を終えた右警察官らと再び右事故現場へ引き返したこと、そして、同原告は、同日午後八時ごろ、同所付近で、パトロールカー後部座席の左側ドアを開いて下車した(たゞし、前記警察官らが、同日夕刻、右事故につき捜査を開始したが、右訴外岩橋が右現場にいなかつたので、同原告が右警察官らとともに被告所有かつ保有にかかるパトロールカーに同乗して同訴外人方に至り、再び右事故現場へ引き返して下車したことは当事者間に争いがない。)のち、そのドア付近で、同車内にいた同警察官訴外鈴木峯夫らに向い、別れの挨拶をしようとして前かがみの姿勢になつたのであるが、その際、右警察官鈴木としては、同原告が前記ドア付近に立つていたのを知つていたのであるから、これを閉めることによつて、同原告に傷害を負わせることがないよう十分注意しながらこれを閉めるべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、突然、前記ドアを閉めようとしてこれを手前に引寄せた過失により、そのドアを同原告の左側頭部に強打させ、よつて、同原告に対し頭部打撲(皮下血腫を伴う。)の傷害を負わせた(以下本件事故という。)ことが認められ、これを覆すに足る証拠はない。

右事実に照らすと、本件事故は、被告(公共団体)の公権力の行使にあたる同警察官(公務員)がA事故に関する捜査(公務)を行なうにつき前記の如き過失によつて違法に同原告の権利を侵害し同原告に損害を加えた場合に該当することが明らかである。

したがつて、被告は、同原告に対し、国家賠償法一条に基づき、その被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

二  原告キヱの被つた損害

(一)  同原告の受けた傷害の部位、程度

〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

1  原告キヱは、A事故発生後本件事故発生前、星中央病院で右肋骨亀裂骨折、両側胸部、右骨盤打撲症として診療を受けたが、本件事故発生後、まもなく左側頭部痛と耳鳴りを感じたので、とりあえず氷で頭部を冷やし、念のため、その翌日の昭和四四年九月二三日、同病院で頭部検査をしてもらつたところ、医師より、頭部には特に異常な点は見当らなかつたと言われた。ところが、同原告は、その後左膝、左足関節部の疼痛が著しくなつてきたほか、頭痛(ことに左側)、頭重が持続し、嘔気や両側肩緊張も感ずるようになつた(なお、同月二七日付の医師の局所々見では、同原告には両側僧帽筋の圧痛があつた旨指摘されている。)ので、同月三〇日から同年一一月二六日までの間、総合会津中央病院に入院して注射および薬物治療を受けたが、この間も、左膝疼痛、頭痛、頭部から腰部にかけての疼痛、頭頂骨部の疼痛、左側後頭部痛、頸部の違和感等を訴えていたけれども、他覚的所見としては項部圧痛軽度、両側僧帽筋圧痛、左側頭部圧痛、第四、五腰椎圧痛、両側胸部圧痛、右足腫脹、シヨーパルー関節部圧痛、右腸骨櫛部圧痛があつたほかは特に異常な点は認められなかつた。

2  しかるに、同原告は、右病院退院後も頭部に疼痛を感じたので、同日ごろから昭和四五年七月二九日ごろまでの間、竹田綜合病院、虎の門病院、総合会津中央病院、太田綜合病院に各通院し、前同様の治療を受けた。そして、この間、同原告は、頭頸部に関して、昭和四五年一月一六日に竹田綜合病院で頭部打撲、同年五月二三日に虎の門病院で頭頸部外傷後遺症、同年七月九日に総合会津中央病院で外傷性頸部症候群、同年一〇月一〇日に太田綜合病院で頭部外傷後遺症および頸部捻挫後遺症(左三又―神経第一枝走向の圧痛)ありとの各診断を受けたが、頭部等に関するレントゲン検査、脳波検査、眼底検査等によつては特に異常な所見は認められなかつたばかりか、意識明瞭、精神状態正常、頭部および顔面その他正常と判断されていた。

3  同原告は、現在、特に耳鳴り、目廻い、肩や手のしびれはないものの、発作的に頭痛(ピクツという型とチクツという型の二種類)が起り、天気の良い時は比較的軽度であるけれども、寒い時は吸い込まれるように痛み、なにか仕事をしても頭頂部が熱くなつて嫌気がさしてくると訴えている有様である。しかし、同原告は、本件事故後家事手伝いや孫の子守り等をしていた(なお、同原告の本件事故前後の仕事内容は異なつているけれども、いずれも同程度の単純労働である。)が、これをするにつき格段の支障を生ずるようなことはなかつた。

4  ところで、同原告は、かつて、息子が交通事故を起こし、これにつき被害者との関係で苦しみを味わつたことがあつたので、本件事故に関しては社会的問題として自己の立場を強く主張したいという希望を強く抱いていた。

右のような同原告の傷害の部位、程度、治療経過、その間における同原告の自覚的他覚的症状等を検討し、かつ、これに、〔証拠略〕を参酌すると、同原告の訴える頭痛は真実であり、同原告には頭部および頸部後遺症が存在している(なお、鑑定人瀬野庄助は、同原告の頭痛の原因を左側頭部を主とした知覚神経終末で説明し、頸性頭痛の存在を否定しているけれども、同原告の前記入通院期間中にみられた項部、両側僧帽筋圧痛の存在、A事故および本件事故の態様等に照らすと、同原告の頸部障害を否定するわけにはいかない。)ことが明らかであるが、同原告には疼痛以外の他の身体的症状が極めて少ないうえ、右後遺症には感情的・心因的要素が或る程度含まれており、さらに、本件事故により、同原告の労働能力が格段の低下をきたしたものとは到底認め難いこと等を考慮すると、同原告の右後遺症状は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表の第一四級に該当し、その労働能力喪失率は五パーセントと認めるのが相当である。

(二)  本件事故と右後遺症との間の因果関係

被告は、同原告の前記頭部および頸部後遺症は、A事故によつて生じたものであつて、本件事故との間には因果関係がない旨主張するので判断するに、前記認定のとおり、同原告は、A事故により直接頭部打撲を受けてはいなかつたけれども、右認定のようなA事故および本件事故の際の受傷態様とその後における症状の有無・程度、〔証拠略〕を彼此総合検討してみると、同原告の右後遺症状には本件事故によるものとこれ以前のA事故によるものとの双方が含まれており、そのうち本件事故の占める割合は八〇パーセント程度と認めるのが相当である。したがつて、本件において、被告が同原告に賠償すべき損害の範囲は右割合部分に限られるべきものというべく、同原告は、残り二〇パーセントの部分については本件事故との間に因果関係がないものとして、被告にその負担を求めることはできないものといわなければならない。

(三)  同原告の損害

1  治療費等計金一〇万五、六九三円、雑費金一万三、九二〇円

〔証拠略〕によると、同原告は、本件事故後、竹田綜合病院に治療費金四万八、三八三円、虎の門病院に治療費金三万〇、三六三円、治療のための交通費・宿泊費金五万円、太田綜合病院に治療費金三、三七一円(以上合計金一三万二、一一七円)を各支払つたほか、綜合会津中央病院入院期間(昭和四四年九月三〇日から同年一一月二六日までの五八日間)中の雑費金一万七、四〇〇円(一日金三〇〇円の割合で計算)を支払わざるを得なかつたことが認められ、これに反する証拠はない。右事実に基づき、本件事故により同原告の被つた損害を寄与率八〇パーセントとして計算すると、治療費および交通費・宿泊費は金一〇万五、六九三円(132,117円×80/100=105,693円((円未満切捨)))、雑費は金一万三、九二〇円(1万7,400円×80/100=13,920円)計金一一万九、六一三円となる。

2  慰藉料金四〇万円

前記認定の同原告の受傷態様・部位・程度、治療経過、右後遺症の程度およびこれが本件事故以前のA事故における第三者の行為によつて寄与されている部分(二〇パーセント)もあることならびに本件事故に関する原告キヱと右訴外鈴木の後記過失割合等諸般の事情に鑑みると、本件事故により被つた同原告の精神的苦痛を慰藉するためには金四〇万円をもつて相当とすべきである。

3  弁護料金一〇万円

〔証拠略〕によると、同原告は、被告が任意に本件損害賠償請求に応じなかつたので、やむなく、弁護士たる原告訴訟代理人に本訴の提起と追行を委任し、同代理人に着手金一〇万円を支払つたほか、成功報酬として金一〇万円を成功時に支払う旨約定していたことが認められ、これを左右するに足る証拠はない。しかしながら、本件事案の難易、審理の経過および本件認容額に徴すると、同原告が被告に負担を求め得る弁護士費用は金一〇万円をもつて相当とする。

三  原告靖男の被つた損害

(1)  休業損害補填分金一六万六、〇八五円

〔証拠略〕によれば、原告キヱは、本件事故当時、満五二才の女性であつて、原告靖男(原告キヱの実子)夫妻の営なんでいた菓子問屋業の手伝いをしていたが、本件事故による受傷のため、右事故日たる昭和四四年九月二二日から太田綜合病院での前記後遺症認定日たる昭和四五年一〇月一〇日までの間、前記のとおり、星中央病院、総合会津中央病院、竹田綜合病院、虎の門病院、太田綜合病院に入通院などして右仕事に従事することができなかつたので、この間右仕事をすることによつて得べかりし利益、すなわち昭和四四年九月二二日から同年一二月末日までの収入金三万五、四一九円(円未満切捨)、昭和四五年一月一日から同年一〇月一〇日までの収入金一三万〇、六六六円(円未満切捨)を喪失したこと、そこで、この間、原告キヱの使用者たる原告靖男は、原告キヱに対し、右計金一六万六、〇八五円を支払つた事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

(2)  後遺症損害補填分金一万九、六七六円

原告キヱの右後遺症の程度が自動車損害賠償保障法施行令二条別表の第一四級に該当し、その労働能力喪失率が五パーセントであることは前記認定のとおりであるが、同原告の労働能力一部喪失期間は、右後遺症の程度、本件事故前における同原告の仕事の性質、内容等に照らして、右後遺症認定日の翌日たる同年一〇月一一日から昭和四七年一〇月一〇日までの二年間と認めるのが相当である。そこで、これに基づき、前掲各証拠によつて認められるこの間における同原告の逸失利益を計算すると、昭和四五年一〇月一一日から同年一二月末日までの収入金一、八六六円(円未満切捨)、昭和四六年一月一日から同年一二月末日までの収入金八、四〇〇円、昭和四七年一月一日から同年一〇月一〇日までの収入金九、四一〇円(円未満切捨)となるが、右各証拠によると原告靖男は、この間、前同様原告キヱに対し、右合計金一万九、六七六円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。ところで、本件の如く、第三者たる被告が原告キヱの右傷害について国家賠償法に基づく損害賠償義務を負担している場合には、右三(1)(2)記載のとおり右損害を補填した使用者たる原告靖男は、賠償者の代位に関する民法四二二条の類推により、その履行した時期および程度で原告キヱに代位して被告に対し損害賠償請求権を取得すると解するを相当とするので、被告に対し右三(1)(2)記載の計金一八万五、七六一円の損害賠償請求権を取得したものと認められる。

四  過失相殺

前掲各証拠によると、被告主張の右抗弁三(二)記載の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。そうだとすると、本件事故発生については、原告キヱの右認定のような過失も一原因となつていたことが明らかである。そして、同原告の右過失と訴外鈴木峯夫の前示過失とは、すでに認定した事実に照らし、本件事故発生につき同原告が一、同訴外人が九の原因力を有していたものと解するのが相当であるから、同原告の被つた前記二(三)1記載の損害額(治療費、交通費、宿泊費、雑費)計金一一万九、六一三円を右過失割合で相殺すると、同原告の被告に対して請求し得る右損害額は計金一〇万七、六五一円(円未満切捨)となる。

五  消滅時効

原告靖男の本訴提起の日が、昭和四九年四月一〇日であり、本件事故発生日たる昭和四四年九月二二日および太田綜合病院での右後遺症認定日たる昭和四五年一〇月一〇日からすでに三年を経過していることは、本件記録および前記認定の事実によつて明らかであるところで、被害者たる原告キヱの第三者たる被告に対する前記三(1)(2)記載の休業・後遺症損害賠償請求権は、民法四二二条により賠償者たる原告靖男の履行の時期および範囲内で法律上当然に賠償者に移転するものと解すべきであるから、賠償者の第三者に対する賠償請求権には、民法七二四条(国家賠償法四条)が適用されるとともに、その時効期間は被害者が損害および加害者を知つた時から起算して三年であると考えられるところ、前掲各証拠によると、原告キヱは、本件事故当日、右事故に基づく前記三(1)記載の休業損害を伴うことを常態とする違法行為がなされたこと、および右警察官による本件事故の発生が公共団体の公権力の行使にあたる公務員の不法行為であることを知つていたことが明らかである。そうだとすると、右休業損害賠償請求権は、これにつき中断事由がない以上、原告キヱが損害および加害者を知つた日の翌日である昭和四四年九月二三日から起算し三年を経過した昭和四七年九月二二日の満了とともに消滅時効が完成したものというべきである。次に、前記三(2)記載の後遺症損害については、前掲各証拠によると、本件事故当時、原告キヱの右後遺症は判明していなかつたけれども、その後同原告は、遅くとも、太田綜合病院で右後遺症の認定を受けた昭和四五年一〇月一〇日には、これに関する損害の発生および右損害と牽連一体をなす損害の発生を認識し、あるいは、認識し得たことが認められる。してみると、右後遺症損害賠償請求権は、これにつき中断事由が認められない以上、原告キヱが右損害の発生を知つた日の翌日である同年一〇月一一日から起算し三年を経過した昭和四八年一〇月一〇日の満了とともに消滅時効が完成したものといわなければならない。

以上の事実に照らすと、原告靖男の民法四二二条に基づく前記三(1)(2)記載の損害賠償請求権は、同原告の本訴提起当時、すでに時効により消滅したものといわざるを得ない。(被告が、本件第一五回口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をしたことは本件記録により明らかである。)したがつて、この点に関する被告の右抗弁は理由があるといわなくてはならない。

六  結論

結局、原告らの被告に対する本訴請求中、原告キヱの損害額計金六〇万七、六五一円(治療費、交通費、宿泊費、雑費計金一〇万七、六五一円、慰藉料金四〇万円、弁護士費用金一〇万円)および弁護士費用金一〇万円を控除した残額金五〇万七、六五一円に対する本件事故日の翌日たる昭和四四年九月二三日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるからこれを認容するが、その余の部分ならびに原告靖男の請求全部は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行およびその免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松本朝光)

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