大判例

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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和63年(行コ)1号 判決 1993年3月22日

控訴人 原正義

同 樋口義

同 吉野宏

同 竹下義正

同 成合宗久

同 井上喜代司

同 出口修身

同 中山博允

同 甲斐通敏

同 井野正

同 寺坂洋子

同 戸高国博

同 本山正和

同 中田(旧姓桑原)ゑみ子

控訴人(亡小野本昌幸訴訟承継人) 吉田順子

控訴人(前同) 小野本敏

控訴人(前同) 久保田美智

控訴人(前同) 前田幸子

右一八名訴訟代理人弁護士 鍬田萬喜雄

被控訴人 宮崎県教育委員会

右代表者委員長 岩切達郎

右訴訟代理人弁護士 殿所哲

同 伴喬之輔

右指定代理人 宮路幸雄 外一三名

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は、控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人らは、「原判決中控訴人ら関係部分を取り消す。被控訴人が控訴人ら(ただし、亡小野本昌幸の訴訟承継人らの関係では、亡小野本昌幸)に対し、昭和四五年三月二四日付けでした原判決別表II処分内容欄記載の各懲戒処分はいずれもこれを取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する(なお、本判決の理由中においても、適宜、特に控訴人らの主張を摘示し、これに検討を加えることがある。)。

1  原判決五枚目裏七行目の「組合」の次に「(以下「高教組」という。)」を加え、同六枚目表九行目の「なにも」を「何も」に改める。

2  原判決一一枚目表五行目の「を含めて」を「の出席のうえ」に改める。

3  同一五枚目表三行目の「浜田宣弘」を「濱田宣弘(以下「浜田宣弘」という。)」に改める。

4  同一九枚目表五行目の「同校長執務」を「同校長の執務」に改める。

5  同二四枚目表九行目、同二七枚目表三行目、同二八枚目表末行、同二九枚目表三行目、同三一枚目表七行目、同三五枚目裏末行の各「事実について)」を「事実)について」にいずれも改める。

6  同二五枚目裏七行目の「一八日」を「八日」に改める。

7  同二六枚目裏末行の「原告成合」の前に「教務部長の」を加える。

8  同二八枚目表一行目の「さらに、」の次に「浜田校長は、一月一四日の暮礼時、控訴人ら教職員に対し、「昨日も申し上げましたが、今日は授業をやって下さい。今日は(b)の授業をお願いします。業務命令ですので、念のため申し上げます。」と言って授業の実施を指示したが、」を加え、同二行目の「一月一四日」を「右指示に反して、同日」と改める。

9  同二八枚目裏一行目の「同吉野」の次に「、同原」を加える。

10  同二九枚目表末行の「始めた。」の次に「また、控訴人井野、同甲斐、池田らは、右校長室入口ドアに「ハンスト決行中」と書いた貼り紙を貼り、控訴人竹下、同成合は、校長室に碁盤、碁石を持ち込んで、同所で碁を打った。」を加える。

11  同三七枚目裏末行の次に改行のうえ、「一審原告小野本は、生活指導部長として、特別教育活動としての生徒会活動等を校長の定めた教育計画等に従い、教育目的に沿った運営が行われるよう生徒を適切に指導すべく校長の包括的職務命令を受けていたのである。したがって、校長の個々具体的な職務命令の有無にかかわらず、右職務を懈怠する行為は生徒指導に関する校長の指示命令に違反した行為、すなわち、生徒指導を拒否した行為と評価することができる。したがって、一審原告小野本の右職務懈怠は、校長の指示命令に違反した行為ということができる。」を加える。

12  同三八枚目裏一一行目と同末行の間に、改行のうえ、「一審原告小野本の右のホームルーム活動等についての職務懈怠は、生徒会活動におけるそれと同様の意味において、生徒指導に関する校長の指示命令に違反した行為ということができる。」を加える。

13  同四〇枚目裏七行目の「生徒に」を「生徒を」に改める。

14  同四一枚目裏八行目の「たしなめるといったときに」を「たしなめたところ」に改める。

15  同四二枚目裏七行目の「一月一四日」を「浜田校長は、一月一四日の暮礼時、控訴人ら教職員に対し、「昨日も申し上げましたが、今日は授業をやって下さい。今日は(b)の授業をお願いします。業務命令ですので、念のため申し上げます。」、「生徒に対しても正規の授業を受けるよう十分指導して下さい。」と重ねて授業実施を命じたにもかかわらず、同日」に改める。

16  同四八枚目表三行目と同四行目の間に、次のとおり加える。

「1 大宮第二高校「独立」までの教育行政の実態

(一)  県議会における定時制独立の討議の経過

昭和三八年八月二九日、宮崎県高等学校定時制通信制教育振興会(会長川越石男)は、宮崎県議会に対し、「高校の再編成に当たっては、地域、環境その他本県高校教育の実態に即する定時制高校の独立設置を考慮されたい」との請願を行い、同教育振興会は、昭和四二年九月二六日にも「定通教育の充実向上のために定通制の独立校の設置実現に努力されたい」との請願を行った。さらに、昭和四三年六月一七日、同教育振興会は、「施設、設備等の全定共用はいろいろ支障があるので、定時制教育の充実向上のため定時制の独立校の設置の実現に努力していただきたい」との請願をなし、同年九月七日には、宮崎県立大宮高等学校夜間部PTA会長名で「施設設備等の全日制と、定時制の併用は色々支障があるので、定時制教育の充実向上のため定時制独立校の設置実現に努力していただきたい」との請願が行われた。これらの請願は、いずれも県議会の文教衛生常任委員会で採択されたが、請願に共通するものは、全日制と定時制との施設・設備の共用が定時制教育の充実向上の面から支障があるので独立を求めるというのであり、明らかに独立校舎の建設を要求していることにあった。

これらの請願に対し、教育長は、昭和四三年三月県議会において、全日制高校に併設されている定時制教育の実態につき「非常に満足な状態でない」事実を認め、国が考えている定時制通信制教育センター構想を「検討中」と述べ、同年一二月県議会では突如、定時制の独立校は定通併修構想との関連で検討していることを明らかにしたが、その具体的内容は県議会では明示しなかった。

(二)  県教育委員会の虚構

しかし、被控訴人は、前掲請願の趣旨に反し、しかも、県議会にも定時制通信制の独立の具体的内容を隠しながら、その実は既に昭和四二年ころから大宮高校定時制を定通併修モデル校として独立させる構想のもとに検討を進め、昭和四三年には定通モデル校として独立校舎の基本設計をすべて完了し、教職員の人数、教育課程編成などの基本構想も確定していた。しかしながら、右作業は外部に公表されることもなく秘密裡に進められた。そのため、前記教育長は、既に大宮高校定時制を定通併修モデル校として独立させることを検討完了済みであったのに、前記のとおり県議会では、いまだ「検討中」との虚偽の答弁を行ったのである。

昭和四四年四月一日、延岡高校の定時制は延岡第二高校として分離独立したが、この場合には、被控訴人は、事前に高教組に根回しをなし、独立校舎への移転、カリキュラムの編成、教職員の勤務条件等について高教組と話合いを行い、高教組も、延岡第二高校の独立を了解した経緯があったにもかかわらず、被控訴人は、大宮第二高校の独立については高教組にも秘密にしたのである。

これは、被控訴人が定通併修が生徒にとって、勉学条件の変更を伴うものであり、企業の繁忙期に通信制、閑散期に定時制ということでは生徒の利益を著しくそこなうものであることを予知していたからに他ならない。

大宮高校定時制夜間部の独立は、その具体的構想や内容を明らかにしないままに極秘裡に強行された。昭和四四年二月二一日、大宮高校の小高校長は、突然教職員に対し、夜間部を独立高校とする旨の条例改正議案が同月二二日の県議会に上程されるので明日までは外部に洩らさないよう指示し、また、定期考査終了後の三月八日には、生徒達の不安と動揺が起こらないように配慮しながら夜間部独立の趣旨を告げたい旨提案した。三月一三日、小高校長は、夜間部の独立は国庫補助による定通センターとする構想ですすめられていること、夜間部の職員は全員転勤、生徒は全員転校の形で移籍されるなどの説明をしたが、教職員はそれがどのような問題をはらんでいるのかを当時理解できなかった。

このような事態の推移を経て、昭和四四年度入学者は大宮高校夜間部への入学許可を受けたにもかかわらず、入学の時点では、知らぬ間に大宮第二高校の生徒にさせられ、大宮高校夜間部の在校生は四月一日をもって強制的に大宮高校から大宮第二高校に転校させられたのであった。」

17  同四八枚目表四行目の「1」を「2」に改める。

18  同五二枚目裏四行目の「国公立学校生徒」から同六行目の「である。」までを「国公立学校の生徒の在学関係の法的性質は契約関係であるから、契約当事者たる生徒の意向を無視して契約の内容を変更することはできない。したがって、生徒の同意なくして一方的に強制転校をすることは許されないというべきである。」に改める。

19  同五三枚目表八行目の「からである。」の次に「また、同規則五九条一項によれば、「高等学校の入学は、…入学者の選抜に基づいて校長がこれを許可する」としているところ、昭和四四年四月の入学生は大宮高校定時制の入学試験に合格して、小高校長より入学許可を受けたものであり、四月二日に大宮第二高校長として着任した福井校長より同校入学を許可されたものではないのである。」を加える。

20  同五三枚目裏二、三行目の「教育措置であり、生徒の学習権を無視した不当のものである。」を「教育措置である。また、そもそも、内容的にも、大宮第二高校の新設は、定通モデル校として定通併修を企図したものであり、それ自体定時制に通う生徒の教育条件の向上に結び付くものかどうか疑問であり、むしろ、定通併修によって、生徒は、企業主(使用者)の仕事の都合で、その意に反して、教育条件を変更させられるという制度的欠陥を内在させており、右は、教育を受ける生徒の側にとって、決して教育条件の整備・充実を意味するものではなかった。現実にも、当時、全日制との同一校舎、同一教育設備の共用により全日制が事実上優先され、大宮第二高校の生徒は常にその犠牲とされてきた。

したがって、大宮第二高校の独立は、手続的にも、実体的にも違法たるを免れない。仮に、大宮第二高校の独立に、その目的において何らかの合理性が認められるとしても、被控訴人は、右独立に当たり、生徒等に対する事前の十分な根回しをなし、条件を整備したうえで独立を行うか、あるいは、年次移行措置をとることも十分可能であったのであり、それが教育的にみても妥当な方法であったにもかかわらず、かかる措置をとらず、いたずらに文部省から定通モデル校の指定を受けることにのみ腐心し、生徒の教育要求を全く無視してその独立を強行したのであって、これは手続的妥当性を著しく欠如するものであって、違法である。」に改める。

21  同五四枚目表一〇行目の「2」を「3」に改める。

22  同五八枚目裏九行目の「3」を「4」に改める。

23  同五九枚目表一〇行目の「前提とする。」の次に「このことは、同時に、教諭の教育活動だけでなく、同条七項に定める養護教諭の養護活動、同条八項に定める事務職員の事務活動についてもあてはまる。」を加える。

24  同六〇枚目裏七行目の「教育過程」を「教育課程」に改める。

25  同六一枚目裏四行目の「4」を「5」に改める。

26  同六一枚目裏四行目と同五行目の間に、次のとおり加える。

「地公法二七条一項は処分について「公正でなければならない」と定めている。この規定の趣旨は、処分を行うかどうか、どのような処分を選択するかどうかの決定は、公正かつ適正になさるべきことを定めたものである。処分は職員にとって重大な身分上の不利益を伴うものである以上、法令に定める範囲において任命権者が裁量権を有するとはいえ、処分の選択及びその程度が、恣意にわたることのないように制約を課したものである。

一般には、処分が、<1>懲戒の目的と関係のない目的や動機に基づく場合、<2>恣意的な事実認定や事実誤認のある場合、<3>考慮すべきことを考慮せず、考慮してはならないことを考慮する場合、<4>処分理由と具体的処分との間に比例原則違反がある場合、<5>処分に平等原則違反がある場合には、公正を欠くものとして、懲戒権者の処分は、裁量権の濫用となる。

このほか、<6>該当行為についての社会的評価についての考慮も、更には、<7>懲戒処分制度の趣旨、目的から懲戒処分によって公務員が被る不利益と公務員秩序維持との比較衡量も裁量権行使についての制約となる。

本件の事実関係は多岐にわたるので、それぞれの処分事由とされた事実が、処分を根拠づけるものであるかどうかは、右の各裁量権の基準、限界に照らして判断されなければならない。」

27  同六六枚目裏四行目の「被告主張」から同六七枚目表二行目の「いない。」までを次のとおり改める。

「<1> 校務分掌業務拒否発言と公文書受領拒否との関係

控訴人原、同樋口、同井上、同成合、一審原告小野本は、浜田校長に対し、一一月一二日、「校務分掌を返上する。校長が全部せよ。」と伝え、それぞれの校務分掌に関係する文書の受領こそ拒否したものの、文書の趣旨に沿った校務分掌業務自体は行っているので、右は、学校運営には何ら支障を及ぼしていない。

なお、大宮高校定時制当時から、「各部長は校務分掌上処理すべき文書を用務員から受領すると、受領したことのしるしとして文書件名簿の受領欄に日付を書いて受領印を押し、職員に連絡を要する事項については暮礼時等において担当の部長が連絡事項の発表を行い、校長はそれによって処理状況を確認し、報告を要する文書については処理が済めば担当の部長は文書件名簿にその旨記載し、校長の確認を受ける」といった事務処理の方法はとられてこなかった。

<2> 校務分掌事務処理の実情

<一>  一審原告小野本昌幸(生活指導部長)

一審原告小野本は、事務員が持参した文書は一応全部目を通し、生徒に対して処理しなければならないものについては、暮礼時とか、職員会議の席で学級担任を通じて連絡して処理し、生活指導部長としての分掌業務を遂行した。

<二>  控訴人原正義(保健部長)

控訴人原は、被控訴人主張の件名文書について、それが事務員より持参されると、その都度メモに控え、職員会議等で学級担任の教師に依頼して生徒に連絡した。すなわち、同控訴人の、個別的な分掌業務の実施状況は次のとおりである。

<イ>「インフルエンザ予防対策の強化について」

学校の年間計画では、一一月下旬にインフルエンザの予防接種を行う予定であったところ、右文書が控訴人に持参された一二月九日には既に予防接種は終わっていたものであるところ、右文書はいまだ未接種の生徒への注意として指導を要請されたもので、控訴人原は職員会議で担任教師に注意事項を話して生徒への連絡方を要請した。右文書の処理としてはこの程度で足りるものである。

<ロ>「永年勤続給食従業員へ感謝状授与について」、「給食功労者の推せんについて」

当時学校の給食の仕事には玉井、斉藤の二名の給食係がいたので、控訴人原は、右文書の趣旨に従い、感謝状を受ける意思の確認、功労者推せんを受ける意思の有無を確認したところ、右両名は、いずれも、これを辞退したので、同原はその旨を教頭に口頭報告をした。

<ハ>「夜間給食連絡協議会の開催について」

控訴人原は、右文書についてはこれを持参された記憶がなく、文書処理簿「報告又は処理期日」欄に意味不明の「書類のみ」の記載に照らし、果たして事務員が控訴人原の下に右文書を持参したのか甚だ疑わしい。

<三>  控訴人樋口義(進路指導部長)

<イ>「第三回米国における英語研修講座」

右文書は、民間団体が英語科の教師を対象に夏期休暇等を利用して一か月程アメリカで英語の研修をする希望者を募集するための案内文書であるところ、控訴人樋口は、英語担当の控訴人原、松本両教諭に研修希望の有無を口頭で確認した。

右は、単なる募集案内文書であるから、該当者に案内内容を伝達すれば足りるものである。

<ロ>「四五年度都立大入学選抜方法について」

一二月二四日当時、四年生の大学進学希望は既に確定しており、東京都立大学への進学希望者はなかったが、進路を変更する生徒が出る可能性もあるので、控訴人樋口は進路指導部の全教師に話して確認し、さらに四年生の学級担任へ右文書の趣旨を伝えた。

<ハ>「高卒の就職のための推せん及び選考開始の時期について」

右文書は、卒業予定者のいわゆる「青田刈り」を禁止する趣旨のものであったから、控訴人樋口はその趣旨を進路指導部の全教師に知らせ、かつ、学級担任を通じて生徒へも伝達した。

<ニ>「第十回県下高校新人柔道大会について」

右文書は、昭和四五年二月に行われる新人柔道大会の開催に関する指示文書であったから、柔道部顧問でもあった控訴人樋口は、開催期日、年齢制限等の参加資格等、文書の趣旨をメモしたうえ、柔道部員である生徒に文書の趣旨を伝えて選手五名を選ばせ、その参加者名簿を大会本部に送付した。

そして、控訴人樋口は、大会当日には自ら選手生徒を引率して大会に参加した。

<四>  控訴人井野正(総務部長)

<イ>「刊行物『持田古墳群』の寄贈について」、「四四年度卒業式及び卒業予定者調査について」

前者の文書は「持田古墳群」という考古学関係の図書の受け入れに関するものであるが、本来、図書に関する事項は生活指導部の所管であった。右文書を示された総務部長の控訴人井野は、総務部の所管ではなかったが、自分が早く右文書を読みたいとの気持から、用務員の横山篤子に教頭の机の上に、右文書があるから早く受け入れの手続をとってくれるよう頼んだものである。教頭は、校務分掌上の所管を誤って、控訴人井野の下へ右文書を持参したものであるところ、控訴人井野が右横山篤子をして右受け入れの手続をとらせたのは総務部長の校務分掌業務として行ったものではない。したがって、控訴人井野が右文書の受領を拒否したからといって、総務部長としての分掌業務の拒否には当たらない。

後者の文書については、控訴人井野は文書の趣旨に従い、四年生の担任教師に普通科、商業科別の卒業予定者数を確認したうえで、その調査内容をメモし、それを山内事務官の下へ持参して、被控訴人宛の報告文書を作成するよう依頼した。控訴人井野は、例年のとおり右手順で右事務を処理した。したがって、控訴人井野には、右の点につき、総務部長としての職務の遂行に欠けるところはない。

<ロ>「PTAの現況調査について」

大宮第二高校にもPTAと称する組織は形式的には存在するが、一般の全日制高校のPTAとは異なり、「P」に当たる父兄は加入していない。生徒は自ら就労して賃金を得ているものであるから、全日制の生徒の親がPTA会費を負担するという意味での父兄はいないのである。右文書はPTAの会員数、会費の月額、活動状況についての調査を依頼してきたものであるところ、それは全日制高校のPTAに妥当する内容に関する事項であったから、文書の趣旨に沿う調査の必要はなく、控訴人井野が右文書の受領を拒否したからといって総務部長としての分掌業務を懈怠したことにはならない。

<五>  控訴人成合宗久(教務部長)

控訴人成合の分掌業務遂行の実態は、次のとおりであって、控訴人成合には、教務部長としての職務遂行に欠けるところはない。

<イ>「県教委育英資金借用書の提出について」

右文書は、育英資金の貸付けを希望する生徒から借用書の提出を求める趣旨のものであるが、大宮第二高校では当時貸付け該当者は鬼塚という生徒のみであり、被控訴人は同人に対して借用書の提出を求めていた。控訴人成合は同人と接触することが多く、直接文書の趣旨を伝えた。

したがって、控訴人成合は、右文書の受領を拒否したものの、その趣旨を該当生徒に伝えているのであり、教務部長としての職務の遂行に欠けるところはない。

<ロ>「育英会奨学金借用証書徴収について」

右文書は、前記イの文書に対応して、鬼塚生徒が記入した育英資金借用証書を県教委に送付できるよう提出を求める趣旨のものであるところ、控訴人成合としては、前述のとおり鬼塚にその趣旨を伝えたことによりその職務の遂行は完了し、その後は、右生徒から借用証書が事務官に提出され、事務官がその事後処理をすることとなるのであり、同控訴人が事後処理として自ら借用証書を受け取り、被控訴人に発送すべき筋合のものではない。したがって、控訴人成合は、教務部長としてなすべき職務は完了しているので、その職務に懈怠はない。なお、文書処理簿によれば、一二月一二日に山内事務官が処理したかのごとき記載があるが、それは同人自身の事務として処理したにすぎず、控訴人成合の業務懈怠となし得ないことは明らかである。

<ハ>「入試学力検査の出題方針について」

右文書は、昭和四五年度の全日制高校入学試験の出題方針を示したものであって、定時制高校の入学試験に関するものではなかった。いうまでもなく、大宮第二高校は定時制であるから、右文書に示された出題方針は同校入学希望者を対象とするものではなかった。したがって、控訴人成合には、教務部長として処理すべき事項は存しないのである。

なお、文書処理簿の「報告又は処理期日」欄に右文書に関する処理記載がなされていない事実は、学校自身が教務部長である控訴人成合の処理すべき事項でないことを認めていたものといわなければならない。

<ニ>「進学説明会(綾中)について」

右文書は、綾中学校で開かれる進学説明会で学校の特色や教育課程について同中学の生徒や父兄に説明するための案内文書であった。しかしながら、大宮第二高校の将来の展望については、校長や被控訴人すらも明確に生徒に説明できなかった。そのため、控訴人成合は、壺井教頭に対して、大宮第二高校がどのような学校になるのか、綾中学校の生徒や父兄に説明できない旨伝えたところ、教頭は、「ああ、そうですか」と述べて、その後、教頭自らが進学説明会に赴いたのであり、同人が控訴人成合の態度を非難したり、批判したことはなかった。これによれば、教頭は、控訴人成合の言に理解を示したものと解せられるのであって、控訴人成合の分掌業務懈怠とはいい得ないものである。

<ホ>「四十五年度県立高校生徒の募集定員について」

右文書は、被控訴人が毎年一月初旬ころに、次年度の県立高校の募集定員をマスコミを通じて発表し、かつ、高校へ送付する内容のものであった。募集定員は高校毎に何人かという広報文書といったものであり、控訴人成合が教務部長として何らかの処理を必要とするものではない。文書処理簿にも「報告又は処理期日」欄に何らの処理記載がなされていないが、この事実は学校自身が控訴人成合の処理を必要としなかったことの証拠である。

以上によれば、控訴人成合が右文書の受領を拒否したからといって、教務部長としての分掌業務を怠ったことにはならない。」

28  同六八枚目表六行目の「道理に通った」を「道理にかなった」に改める。

29  同七二枚目表六行目の「就いており、」の次に「授業はもとより、授業以外の学校の業務に支障となる事態は生じなかった。」を加える。

30  同七二枚目裏八行目と同九行目の間に、次のとおり加える。

「控訴人井上は、一月一八日午後一〇時ころ、校長席から四、五メートル位離れた場所で壁を背にして座っており、校長の前には生徒、職員が人垣のようになって校長に対し、県教育委員会に陳情のための電話をするよう要請していたが、校長は、一向にこれに応ずる気配がなかった。控訴人井上は、疲れて神経が高ぶっていたため、進展しないやりとりをみて、日頃から使っていたスポンジのスリッパでフロアを叩いて「ああ、はがいい」と言ったもので、校長の机の前まで突走って行って机を叩いたということはなかった。」

31  同七三枚目裏三行目の「次第」を「式次第」に改める。

32  同八三枚目表六行目の「原因」を「最大の原因」に改める。

33  同八三枚目表末行の「職員」の前に「また、本件では、植野教諭の卒業式における責任が不問とされている。同教諭は、校長より卒業式につき進行係を命ぜられた。しかし、同教諭は、卒業式の予行練習に際して、これをするための何らの努力もせず、また、卒業式当日も何もせず、進行係としての職責を果たさなかった。控訴人らが処分事由のとおり卒業式の実施を困難ならしめたといいうるとすれば、控訴人らと行動を共にした同教諭自身も、同様に処分の対象とされるべきであるのに、同人に対しては、何らの処分もなされていない。」を加える。

34  同八三枚目裏四行目の「以上のとおり」を「以上のとおりであって、本件各処分には、恣意的な事実認定、事実誤認、要考慮事項の不考慮、比例原則違反、平等原則違反等の懲戒処分基準原則違反がある。控訴人らは、昭和四四年四月から同四五年三月まで大宮第二高校の生徒の教育指導に専心したのであって、その活動に対してなされた本件各処分は到底容認されるべきものではない。したがって、」に改める。

35  (原判決の弁論主義違反に関する控訴人らの主張)

(一)  現行公務員法は、処分権者が公務員に対し、懲戒その他その意に反する不利益処分を行う場合には必ず、「処分の事由を記載した説明書」を交付しなければならないと規定している(国家公務員法八九条一項、地方公務員法四九条一項)。つまり、不利益処分を行うときには処分の結論を示した処分書のほかに、「処分の理由を、具体的かつ詳細に、事実をあげて(いつ、どこで、どのように、何をしたというように)記入(人事院事務総長通達昭和三五職三五四)した説明書」を交付するものとされている。

このように、公務員に対し不利益処分を行う場合に処分事由説明書の交付を処分権者に義務付けた法制度の趣旨は、懲戒処分等が処分権者によって、公正かつ慎重になされることを担保するとともに、その公務員のいかなる非違行為に対して当該処分がなされたか、その理由を具体的に明らかにすることによって、不服申立ての便宜を与えることにある。その意味では、右は、租税法規をはじめとして、各種取締法規にみられる「行政処分の理由付記」の制度と共通のものであって、公務員の身分取扱いの上での極めて重要な手続的保障としての意義を有する制度であるといわなければならない。

(二)  ところで、本件事案では、被控訴人が控訴人らに対し懲戒処分の理由として説明したものは、原判決別表1の処分事由欄記載の各事実であり、被控訴人がこれをより具体化したものは原審で提出・主張した昭和四八年一月二二日付けの「準備書面(一)」記載の処分理由であった。当然のことながら、原審においては被控訴人の「準備書面(一)」記載の処分事実の有無及びその当否が当事者双方の攻撃防禦の対象として争われた。

ところが、原判決が「本件各処分事由」として摘示した事実には、前掲「準備書面(一)」記載の処分事実以外の事実が含まれて、これに対する事実認定がなされているばかりか、右「準備書面(一)」において被控訴人が主張している処分事実が原判決の事実摘示から欠落し、したがって、事実認定がなされず、被控訴人主張事実に対する評価も欠落するという重大な判断遺脱の違法を犯しているのである。

被控訴人が前掲「準備書面(一)」で主張しなかった処分理由は、その「最終準備書面(二)」において追加主張されたが、原判決が追加して摘示した事実は右の「最終準備書面(二)」の記載によるものである。控訴人らは原審において、昭和六二年五月一一日付けの最終準備書面を提出し、被控訴人の「準備書面(一)」記載の処分事由について具体的に反論を加え、かつ、法律上の評価を行った。しかるに、被控訴人は昭和六二年八月一〇日付けで最終準備書面(一)、(二)を提出し、控訴人らの最終準備書面の記載内容を批判し、かつ、従前主張しなかった新たな主張を追加するに至ったもので、控訴人らに不当な不意打ち的不利益を与えたものであるところ、原判決も、また、これに引きずられたのか、控訴人らが防禦の対象となし得ない追加主張を処分事由として摘示したもので、右は、不当かつ不公正なものといわなければならず、弁論主義の原則に違反するというべきである。

(三)  被控訴人が前掲「準備書面(一)」で主張しなかった事実が原判決で追加された実情は以下のとおりである。

(1)  校長等排斥行為について

被控訴人の「準備書面(一)」によれば、校長等排斥行為の内容として、控訴人ら一八名の教師が学校管理に関する浜田校長の権限を排斥し、又は同校長を事実上排斥し、同人の校長としての職務遂行を妨害する目的で、昭和四四年七月二日から同年一〇月八日までの間、控訴人らに同調しない教諭を追放したこと、職員会議と称する「職員集会」を開いて、正常な学校運営事項以外の事項までも学校運営事項として討議・決議・実施したこと、浜田校長が職員会議その他の連絡等をしようと職員室に入室しようとすると、これに対して、控訴人らが校長の意見を制する等して同校長の執務を妨害したこと、が挙げられている。

この点に関する原判決の事実摘示は、控訴人らに同調しない教諭を追放した旨の主張事実を削除し、「年度当初に定められた教育課程、教育計画等に従って授業等を実施すべき責務を放棄して、校長の承認を得ぬまま連日独立問題について生徒総会、ロングホームルームを開かせ、一学期末テスト、一学期終業式、二学期始業式をしなかったほか、生徒会活動として控訴人らと一部生徒により街頭デモ行進、街頭演説、署名運動、ビラ配布、市民集会の開催、県教育委員会への要求書提出等を行った」との事実主張を摘示し、その具体的内容を詳細に羅列した。

原判決の事実摘示のうち、「授業等を実施すべき責務を放棄した」との事実は、文言上から見ても被控訴人の「準備書面(一)」に記載された「校長等排斥行為」とは異質のものである。また、七月二一日、浜田校長が総務部長の控訴人井野に校長及び教頭の職員、生徒への挨拶の時間の設定と教頭が職員室の教頭の席に着くことを認めるよう命じたが、控訴人井野はこれを拒否したとの事実、七月二二日、同校長が控訴人井野を介して運営委員会の委員に校長及び教頭の職員、生徒への挨拶の時間の設定及び教頭の職員室着席を認めるよう文書をもって命じたが、控訴人井野はこれを拒否したこと、同校長が教務部長の控訴人成合を介して控訴人井野及び同成合に夏期休業中の行事予定を知らせるよう文書をもって命じたが、控訴人成合はこれに応じなかったとの各事実、九月四日、浜田校長は一審原告小野本に対し生徒の街頭デモと市民集会の中止を指導するよう文書をもって命じたが、一審原告小野本はこれに応じなかったとの事実は、いずれも校長の職務命令違反、生徒指導拒否と評価し得るものであって、前掲「準備書面(一)」の校長等排斥行為とは全く異なるものである。

また、被控訴人は、原審「最終準備書面(二)」において「一〇月九日午後五時一五分ころ、県教育庁服部学校教育課長他一名が来校し、暮礼時同校職員室において、職員に対し浜田校長及び壺井教頭の紹介を行い、その後生徒に対しても同校体育館で同様に紹介を行った。ところが、控訴人らは、職員室での校長紹介の間、紹介者である服部学校教育課長の方に尻を向けたまま執務をするふりをし、この紹介を無視する態度を取りつづけた」と主張し、右事実が校長等排斥行為の一態様であるとしているのであるが、原判決にはこれを被控訴人の主張として摘示していない。

このように、原判決が、被控訴人の主張として摘示した事実の選択は甚だしく恣意的である。

(2)  連絡事項の発表拒否について

<1> 原判決は、控訴人らの校務分掌業務行為の一つとして、「連絡事項の発表拒否」を被控訴人の主張として事実摘示した。それによると、「一二月一九日、壺井教頭が控訴人井野、同樋口、一審原告小野本、控訴人原、同成合ら各部長を指示した際、控訴人ら各部長は、全員無言でこの指示を無視し、また、浜田校長が同月二二日、当日予定されている終業式の実施について、一月八日、始業式の実施について、控訴人成合に説明を求めたが、同控訴人は一切返事をせず、一二月一三日以来の態度を続け、その職務を放棄した」というのである。

右摘示事実のうち、一二月一九日の壺井教頭の指示に対する各部長の無視の事実は、原審において、処分事由としては全く主張されなかったものである。被控訴人の主張する処分事実は、原審で提出された準備書面(一)に記載され、これに対しては、控訴人らは昭和四九年四月一八日付の「第二準備書面」に基づいて認否し、所要の反論を加えた。この事実は、口頭弁論調書の手続記載の内容で明らかであり、裁判所に顕著な事実である。

そして、被控訴人の右主張は、原審の「最終準備書面(二)」の一三九ページ、一四〇ページに初めて記載されたものであるが、同「最終準備書面(二)」は、控訴人らの原審「最終準備書面」陳述後の口頭弁論期日に陳述されたものであり、したがって、控訴人らが最終準備書面においてこれを認否し、反論することは不可能であったものである。

このように、控訴人らの主張に対する認否及び反論が不可能で、かつ、防禦も不可能な事実を突如判決に摘示し、それに判断を加えた原判決は、明らかに弁論主義に違反するものというべく、この点において原判決の破棄は免れない。

<2> 原判決は、「連絡事項の発表拒否」の点について、控訴人成合に関し、「被控訴人主張の控訴人成合に関する同月二二日、一月八日の職務放棄の事実が認められる」と判示した。この判示認定事実は、「浜田校長が同月二二日当日予定されている終業式の実施について、一月八日始業式の実施について、控訴人成合に説明を求めたが、同控訴人は一切返事をせず、一二月一三日以来の態度を続け、その職務を放棄した」との事実摘示に沿うものである。

ところで、被控訴人の主張として摘示された事実と認定事実には極めて重要な問題が含まれている。すなわち、両者には、控訴人成合がいかなる地位、職責にある者としての職務を放棄したのかについて全く触れていない。教務部長としての職務を放棄したのか、又は、一教師としての職務を放棄したというのかが示されていないのである。

更に言うならば、原判決が「連絡事項の発表拒否」行為として摘示した事実のうち、一二月一九日の行為については、「控訴人ら各部長」が壺井教頭の指示を無視した旨を主張事実として摘示し、これを受けて原判決も、「控訴人ら各部長は、全員無言でこの指示を無視し」たと認定しているのに対し、一二月二二日及び一月八日の控訴人成合の行為については、教務部長の職務放棄としては事実摘示もなく、かつ、認定もされていないのである。

原審における被控訴人の前掲「準備書面(一)」一七ページ、一八ページの部分には、いずれも「教務部長である控訴人成合に問い合わせるも」と記載され、教務部長たる控訴人成合の職務放棄を主張していることが明らかである。このことは、被控訴人の原審最終準備書面(二)でも同様である。

被控訴人の主張が、教務部長としての控訴人成合の職務放棄であることを明示しているにもかかわらず、原判決が敢えて教務部長の職務放棄たることを削除したものであるならば、右は当事者の主張しない事実を摘示し、かつ、認定したものといわざるを得ず、弁論主義に違反するものとして許されない。

(3)  生徒指導拒否について

<1> 被控訴人の原審最終準備書面(一)は一審原告小野本が生活指導部長の職務を放棄し、もって、学校の正常な運営を妨害したと主張するが、その主張は極めて抽象的で、具体的な指導拒否行為の事実は全く指摘されていない。原判決が理由四8で判示する「生徒指導拒否行為」は被控訴人が原審最終準備書面(二)で主張した事実を基盤に認定したものである。この認定事実は、実質的な処分理由の追加であって、少なくとも控訴人らの十分な反証を待って認定すべきであるのに、原審においては、十分な反証の機会は保障されなかった。

<2> 一審原告小野本につき、訴状別表の第二の9では「生活指導部長としての職責を有しながら、生活指導に関する校長の指示に従わず学校の正常な運営を阻害」したことが処分理由とされた。ここでは、生活指導に関する校長の指示が問題とされた。

ところが、原判決は被控訴人の処分理由を整理するに当たり「9 生徒指導拒否行為(別表1・9の記載の事実について)」を摘示するが、このうちの(一) (二)は校長の指示、命令の問題ではないから、本来の処分理由ではないはずである。ところが、原判決はこの事実を処分理由ととらえているのである。指示、命令の拒否を伴わない職務懈怠は、被控訴人も一貫して処分理由としていない。原判決がこれを処分理由としてとらえ、右該当事由を認定したのは違法である。

(4)  校長室不法占拠行為について

被控訴人のこの点についての処分理由は、校長室の無断占拠・退去要求拒否・業務妨害の事実(訴状別表第二7・原審被告準備書面一48・1・22付け三一ページ以下)であり、原判決が認定する授業実施命令(一六日、一七日)違反は入っていない。原判決は処分理由の認定に当たり「右行為は…」と述べているので、右授業命令違反の事実も処分理由としていると認められるが、この点は処分者である被控訴人が処分理由としていないものであるから、弁論主義の原則からして裁判所もこれを処分理由とすることはできないというべきである。原判決がこの点を処分理由として認定したのは、弁論主義に反し違法といわなければならない。

(四)  処分事由追加の違法性

以上述べたとおり、原審審理の初期の段階において被控訴人の主張した処分事由は、弁論終結時の最終準備書面の中で基本的な事実関係と異なるものが追加されたり、抽象的な事実が著しく具体化し、それが原判決中に被控訴人の主張する処分事由として摘示されるに至ったものである。

したがって、原判決の前記処分理由の追加は公務員の身分保障の行政法的手続保障の意義を没却し、弁論主義に背く違法のもので、原判決は、この点において取消しを免れない。

36  (控訴人らの原判決に弁論主義違反があるとの主張に対する被控訴人の反論)

(一)  控訴人らは、昭和六三年一二月一三日付け第一準備書面において、被控訴人が昭和六三年八月一〇日付けで提出した原審最終準備書面(一)、(二)は、控訴人の原審最終準備書面の記載内容を批判したうえで、従前主張しなかった新たな主張を追加するに至ったもので、控訴人らに不当な不意打ち的不利益を与え、原判決もこれに引きずられ、控訴人らが防禦の対象となし得ない追加主張を処分事実として摘示したものであるから弁論主義の原則に違反すると主張するが、被控訴人の原審における準備書面(一)に記載した各処分事由と最終準備書面(二)で記載した各処分事由とは全く同一のものである。処分事由が追加された事実はない。仮に、処分事由の追加のごとく控訴人らが誤って認識しているとしても、懲戒処分の説明書の処分事由と密接な関連関係にある事実であれば、訴訟において処分事由として追加主張することが許されることはいうまでもない。

なお、被控訴人は、原審において、最終準備書面(一)、(二)を昭和六二年九月一八日の口頭弁論(結審)前の同年八月一〇日付けで提出しているのであって何ら弁論主義に違反するものではない。これに対して、控訴人らは、右最終準備書面に対して結審後の同年一二月一六日付けで準備書面を提出し、具体的に反論を加えているのである。

(二)  控訴人らは、次に、校長等排斥行為のうち次の事実は、校長等排斥行為とは異質又は全く異なったものであると主張する。

(1)  授業等を放棄したとの事実

(2)  七月二一日、浜田校長が総務部長の控訴人井野に校長及び教頭の職員、生徒への挨拶の時間の設定と教頭が職員室の教頭の席に着くことを認めるよう命じたが、控訴人井野はこれを拒否したとの事実

(3)  七月二二日、同校長が控訴人井野を介して運営委員会の委員に校長及び教頭の職員、生徒への挨拶の時間の設定及び教頭の職員室着席を認めるよう文書をもって命じたが、控訴人井野はこれを拒否したこと、同校長が教務部長の控訴人成合を介して控訴人井野及び同成合に夏期休業中の行事予定を知らせるよう文書をもって命じたが、控訴人成合は、これに応じなかったとの各事実

(4)  九月四日、浜田校長は一審原告小野本に対し生徒の街頭デモと市民集会の中止を指導するよう文書をもって命じたが、同小野本は、これに従わなかったとする事実

しかし、(1) の事実については、教諭の主たる職務は教育をつかさどることであるが、その具体的教科指導は、その職務上の上司たる校長の編成する教育指導計画によって確定するものである。したがって、年間の授業計画やそれに基づき教師に割り振られた授業時間割は、校長の包括的な職務命令とみなすことができ、正当な理由がない限り、教諭は、割り振られた学級の授業を行うべき義務を負うものである(地方公務員法三二条)ところ、控訴人らは(控訴人桑原を除く。なお、控訴人戸高は、実習助手であって、実験又は実習について教諭を助ける職務〔学校教育法施行規則六四条の三(現行学校教育法第五〇条三項)〕を有し、教諭の職務に準ずる職務を行う者として教育公務員特例法の規定が準用される(同法二二条、同法施行令三条))、右包括的職務命令に従わず、授業等を拒否したことは、右包括的職務命令を排除したことになり、校長等排斥行為に該当するものである。

次に(2) 、(3) の事実のうち、浜田校長が校長、教頭の職員、生徒へ挨拶する時間の設定をするよう文書等で命じたにもかかわらず、これに従わなかったということは、控訴人らが、校長、教頭を認めないという意思表示を行動で表わしたものにほかならず、また、同校長が、教頭が職員室の教頭の席に着くことを命じたにもかかわらず、これを拒んだことも控訴人らが教頭としての執務を現実に行わせないということであり、校長等排斥行為そのものである。

さらに、(3) の事実のうち、夏期休業中の行事予定を知らせるよう文書をもって命じたこと、(4) の生徒の街頭デモと市民集会の中止指導の文書命令に従わなかった行為も浜田校長の職務命令を現実に排除したものであるから校長等排斥行為といわざるを得ない。

(三)  次に、控訴人らは、原判決は、被控訴人が主張する一〇月九日の県教育委員会による浜田校長及び壺井教頭を紹介した際の控訴人らのとった態度を校長等排斥行為の一態様として摘示していない。このように、原判決の被控訴人の主張として摘示した事実の選択は、甚だしく恣意的であると主張する。

しかし、被控訴人は、訴状別表第二3に記載された処分事由について、被控訴人原審最終準備書面(二)七六ページ以下で、控訴人らの校長等排斥行為の態様を詳述したところである。原判決が、その態様の中の一つである右態度を摘示しないからといって、原判決が恣意的であるとする控訴人らの主張には理由がない。

(四)  控訴人らは、また、原判決の事実摘示のうち、一二月一九日、壺井教頭が控訴人井野、同樋口、一審原告小野本、控訴人原、同成合ら各部長に連絡事項の発表を指示した際、右各部長は、全員無言でこの指示を無視した、との事実は被控訴人の原審準備書面(一)では処分事由として全く主張されていないと主張する。

しかし、訴状別表第二8には「昭和四四年一一月中旬から約二か月にわたって暮礼時に校務分掌に関する連絡・発言などせず」として、校務分掌拒否行為の内容を指摘しているのであって、処分事由の追加ではない。被控訴人原審最終準備書面(二)において被控訴人は、控訴人らの校務分掌拒否行為の一態様として、同年一二月一九日の件を具体的に指摘したものであり、また、原判決の右事実摘示も控訴人らの一連の校務分掌拒否行為の態様を具体的に摘示したものであり、処分事由として新たに追加されたものではないから、控訴人らの主張には理由がない。

(五)  控訴人らは、さらに、生徒指導拒否行為について、被控訴人原審準備書面(一)は、一審原告小野本が生活指導部長としての職務を放棄し、もって学校の正常な運営を妨害した事実を主張するが、その主張自体極めて抽象的で具体的な指導拒否の事実は全く指摘されていないのに対し、原判決の事実摘示は甚しく具体的かつ詳細なものとなっていると主張する。

しかし、被控訴人原審準備書面(一)では、「一審原告小野本は、同校生活指導部長として、校長の学校運営方針のもとに同校における教育活動の一環として同校生徒会を適切かつ正常に指導すべき職責を有するものであったところ、同校生徒会が昭和四四年四月一日夜間定時制の独立校として発足して以来、昭和四五年三月一日のいわゆる『自主卒業式』に至るまでの間、生徒会活動としての正常な活動を逸脱しつづけてきた行動に対して、正常な生徒会運営がなされるべく生徒を指導すべきであるのにこれをなさないばかりか、浜田校長の生徒指導についての再三の指示命令にもかかわらずこれに従わず、自己の職務を放棄しもって同校の正常な運営を妨害した。さらに同小野本は、生活指導部長として同部が分掌する同校ホームルーム(学級活動)、クラブ活動、清掃、風美、新聞局、放送局等の活動を適切かつ正常に指導すべき自己の職務を放棄しもって学校の正常な運営を妨害した。」と、一審原告小野本の一連の生徒指導行為そのものが、自己の職務を放棄しもって学校の正常な運営を妨害したことになると主張しているのであって、被控訴人の原審最終準備書面(二)に記載する同小野本の生徒指導拒否行為の主張は、これを具体的に述べたにすぎず、原判決もまた右生徒指導拒否行為の態様のいくつかを例示しているにすぎない。

三  証拠の関係<省略>

理由

一  当事者等

請求原因1ないし3の事実(ただし、同3の事実のうち、控訴人出口については昭和四五年一月一三日分のみ)は、当事者間に争いがない。

二  本件紛争の経緯-浜田校長着任まで-

被控訴人の主張1(一)(大宮第二高校の独立)の事実、同(二)(大宮第二高校の独立に対する教職員の反応)のうち、(2) の事実は当事者間に争いがなく、<書証番号略>によれば、同(二)(1) 、(3) の事実が認められ、右事実及び<書証番号略>、原審証人福井宗兵衛、同黒木正文、同松本淳、同坂口鉄夫、同児玉郁夫、同中小路安行、同浜田宣弘の各証言、原審における控訴人出口、同成合、原審における一審原告小野本、同斉藤当審における控訴人井野の各本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  大宮第二高校の独立について

(一)  独立の目的について

被控訴人は、宮崎県における定時制通信制教育の改善充実を図るため、昭和四三年度まで対策の検討を進めていたところ、文部省の定時制通信制モデル校(定通モデル校)制度が宮崎県がかねてより大宮高校定時制を対象に内部的に検討をしていた定通教育振興策と軌をいつにするものであったため、右目的を達成するため、昭和四四年四月一日をもって大宮高校の定時制の課程を分離し、大宮第二高校として独立させ、同年(遅くとも昭和四五年度)には、定通モデル校の文部大臣指定を受けて独立校舎の建設を行い、同高校を宮崎県の定通教育の在り方を研究し、在るべき姿を作り上げていく中心校として発展させていくこととした(もっとも、現実には、右校舎の建設が遅れ、独立校舎(一部)が完成したのは昭和四九年七月であった。)。

(二)  定通モデル校、定通併修制度について

右の定通モデル校の制度は、文部省が昭和四二年度から働く青少年のための楽しく充実した学校を作ることを目的として設けた制度であり、地域の勤労青少年教育の振興を図るために、地方公共団体が設置する定時制の課程と通信制の課程を併置する独立の高等学校(定時制のみ先に発足し、翌年度に通信制を併置する場合も可能である。)のうち、一定の条件を備えるものを「定時制通信制教育モデル校」として文部大臣が指定し、その施設、設備の整備費に特別の助成をするとともに勤労青少年の生活実態に応じる定通教育の運営について研究を委嘱するというのが定通モデル校を指定する趣旨であった。なお、定通併修や技能連携制度は必ず実施しなければならないものではなく、希望する生徒がいる場合に実施するというものであって、地域における勤労青少年教育の振興を図るために、二部制又は三部制や定通併修など多様な教育形態、教育方法等について研究を行うことが指定の条件となっていた。

また、定通モデル校の研究対象の一つとされていた定通併修制度は、勤労青少年が高等学校定時制に通学する場合、家庭や勤務の都合等で一定期間通学できない等の事情があって、やむをえず退学しなければならない者も多い中で、そうした生徒ができるだけ就学が継続できるように配慮するため設けられた制度で、生徒の方に希望がある場合に、希望する単位を通信制で履修させ、定時制と通信制の単位を合わせて高等学校の課程の履修とみなすことによって就学条件の改善を図るものであって、あくまで生徒の希望が前提であって、制度の利用を強制するものではない。

2  大宮第二高校独立に当たっての県教育委員会の対応

(一)  独立決定までの経緯

被控訴人は、前述の目的を達成するため、大宮第二高校の独立に向けて、昭和四三年度においては、独立校としての基本設計(教室数、教職員数、教育課程等)を終了させるとともに、独立に伴う新年度予算要求(専任校長、教頭配置に伴う人件費等)を行い、昭和四四年二月の新年度予算案確定を受け、同月二四日の県教育委員会において大宮第二高校分離独立のために宮崎県条例の一部改正案を三月宮崎県議会に提案することについて意思決定を行った。この後、同年三月一日開会の宮崎県議会に、新年度予算案とともに大宮第二高校分離独立のための宮崎県条例の一部改正案が提案され、同月二九日に可決され、大宮高校の定時制の課程を正式に大宮第二高校として独立する旨が決定された。

また、前記のとおり大宮第二高校は、大宮高校からの分離独立後に文部省の定通教育モデル校の指定を受けて独立校舎の建設費を補正予算で組み、昭和四四年、四五年度で校舎の建設を行う計画であった。

なお、被控訴人としては、独立の内容について、昭和四三年三月県議会、同年一二月県議会において、定通教育センター構想、あるいは定通併修構想との関連で検討していることを明らかにしていたが、右構想が生徒の教育条件等の関係で問題となるようなことは全くなかった。

(二)  独立に当たっての県教育委員会の教職員・生徒に対する対応

大宮高校夜間部の大宮高校からの分離独立については、同校夜間部の教職員等も望んでいたが、被控訴人は、独立の趣旨について学校現場への周知を図り、独立が円滑になされるよう事前に次の措置をとった。

(1)  新年度予算案の確定後、大宮高校夜間部の分離独立に係る宮崎県条例の改正についての県教育委員会としての最終意思決定を前に、昭和四四年二月二一日、被控訴人は、大宮高校の小高校長に夜間部の独立が県議会に上程される旨を内示した。これを受けて、同校長は、同日暮礼時にその旨を全職員に伝えた。しかし、教職員からは、格別具体的な反応はなかった。

(2)  昭和四四年二月二四日、被控訴人において大宮高校夜間部の分離独立が決定された(なお、右事実は、同年三月三日に新聞報道された。)。同年三月二日に行われた大宮高校夜間部の昭和四三年度の卒業式において、当時の県議会議長が来賓祝辞の中で「大宮高校定時制の独立の件が県議会に提案されており、独立が実現することは大変喜ばしいことである。」旨述べた。昭和四四年三月八日、同校長は、生徒達にも独立に伴う不安、動揺が起こらないよう配慮しながら独立の趣旨を告げたいので、どのような注意を与えて生徒に連絡したらよいかを同校の運営委員会に諮問したが、同委員会において、この点について、具体的な意見等は提示されなかった。

(3)  同年三月一三日、同校長は、同校の定時制の職員会議を招集し、その席上、同校定時制の独立について、

イ 校舎建設については、国庫補助による定通センターという形で進められているようであり、場所としては、交通の便利なところが考えられているようであること

ロ 校舎の使用区分でトラブルが起こらないよう注意したいこと

ハ 現在の通信部の職員室を校長室にし、通信部の面接室を夜間部に譲りたいこと

ニ 夜間部の職員は全員転勤という取扱いとなり、生徒は全員転校ということになること

ホ 新しい校長がみえるので、今までのような校長の兼務がなくなり、学校管理の面はもっと行き届いたものになるということが大きな利点であること

等の説明をしたが、個々の教師からは、独立につき何らの疑問や不安も出されなかった。

(4)  同年三月二二日、同校夜間部の終業式において、同校の小高校長が在校生に対して、定時制の独立の件を発表した。この終業式終了後生徒総会が開かれたが、生徒から不安の念が表明された事実はなく、独立に関する質問等は出なかった。

以上の経過を経て、大宮第二高校の独立に関する宮崎県条例の一部改正案は三月二九日の宮崎県議会で可決成立された。

以上のとおり、被控訴人としては、大宮第二高校の独立に当たって、事前に十分な対応をしており、教職員からはもちろん、生徒からも異議は出なかった。

3  本件紛争の発端

昭和四四年四月一日大宮第二高校が開設され、被控訴人により、大宮第二高校の初代校長及び教頭として、それぞれ福井校長、重信教頭が発令された。その新任式において、小高校長離任の挨拶の中で「福井校長は県教育委員会第一指導係長として大宮第二高校の独立の問題を扱ってきたので、経過も知っているし、大変都合がよかろう。」という紹介がなされた。

四月二日、同校の第一回の職員会議(なお、この時点で、大宮第二高校の教職員二七名中、組合員は控訴人ら一七名を含めて二〇名、非組合員は七名であった。)が開かれ、その冒頭において、福井校長は、「職員会議の結論については尊重するが、場合によっては校長が決定するようなこともある。発足後一年間は夜間部時代の慣習を尊重して学校運営を行い、一年経過後は問題のある点については修正をお願いするし、職員の方からも問題を提起してもらって逐次良いものにしていこう。」という趣旨の挨拶を行ったが、これに対し、控訴人ら分会員は、校長が管理者的態度を打ち出してきたものとして、反発と対決の気持を抱いた。

昭和四四年四月九日、四年A級から独立の経過と内容について納得し難い点があるので、校長から直接説明してほしいとの要求がクラス担任を通じて出された。福井校長はいきなり校長が行くよりも、生活指導部長である一審原告小野本に説明させた方が良いという判断のもとに一審原告小野本に説明させた。四年A級(以下「四A」の要領で略称する。)の生徒が問題にしていた点は次のとおりである。

<1>  大宮高校を卒業するつもりで頑張ってきたのに、卒業する前になって何の相談もなく、いきなり大宮第二高校という、いつ消えてなくなるかもしれないような名前の学校に移されることは納得がいかない。

<2>  生徒達に事前の何の相談もなく、また希望もしていないのに強制転校させられたのは基本的人権の無視である。

<3>  独立とは名目だけで、何らの実質的な保障もなければ将来へのビジョンもない。

その後、四Aから出された右問題意識は他の生徒の間に広がり、生徒会総務委員会は右独立問題を取り上げるようにとの生徒達の要求を受けて、同会代議委員会において右独立問題について討議がなされ、その中で、代議委員会から校長に対する同委員会への出席要請がなされたが、校長は四Aの場合と同様に一審原告小野本を出席させたため代議委員会は右措置に納得しなかった。五月一〇日、代議委員会は、具体的に独立問題を掘り下げて検討する体制を作るため、独立問題を専門的に検討する機関として独立運営委員会の設置を決議した。

五月一七日から同月一九日にかけて開かれた生徒と教職員によるリーダー研修会の第一分科会において独立問題が取り上げられ、生徒達から独立問題について福井校長に対し質問がなされた。福井校長はそれに対し、独立について事前に生徒達に知らせなかったのは校舎の敷地の値上りの思惑など政治的理由によるものであること、大宮第二高校の新校舎はいずれ大宮高校の近くにできるであろうこと、校名については仮の名前であるから、通信制とも協議して生徒達の納得のいく名前に変えることも十分可能であること、将来は定通併修制の導入も検討されていること等を説明したうえ、生徒達の独立に関する問題提起に対しては将来の大宮第二高校の発展のために理解を求めた。

六月八日には生徒総会(リーダー研修会報告会)が開かれ、独立問題について福井校長は生徒達へリーダー研修会第一分科会と同様の説明を行ったが、生徒は校長の説明に納得せず、再度、大宮第二高校の独立の経過と内容について、校長の明確な説明を求めたい旨を校長に要求し、生徒総会を六月一四日に開催することとしたため、福井校長はその対応について検討すべく、六月一三日、教師に職務命令を発して、翌一四日に職員会議を開くこととした。控訴人ら分会員は、福井校長が管理者的態度を強く打ち出し、民主的な学校運営の諸原則を否定するものであるとの独自の考えから、福井校長が右職務命令を発したことに著しく反発し、職員会議の前に分会総会を開き、右職務命令の撤回を要求し、場合によっては職員会議をボイコットすることも辞さないとの方針を決定したうえで六月一四日の職員会議に望んだが、前日代議委員会において生徒総会を六月一六日に延期したのを受けて、職員会議も同日に延期されることになった。

六月八日の生徒総会後、福井校長の説明に納得しない生徒は、その意識を次第に尖鋭化させ、そうした生徒の中からは、県教育委員会の責任者を呼んで来て説明させるようにとの要望も出されており、職員会議において右要望等が討議されていたが、福井校長は、「職員が県教育委員会の責任者から説明を受けることには便宜を図るが、職員、生徒一緒の場で説明を受けることには同意できない。生徒の指導としては、職員が説明を受け、それを共通理解した後で、職員から生徒に説明すべきである。」との意見であった。

これに対し、控訴人ら分会員は、福井校長が議決機関としての職員会議の役割を済崩しにしようとするものと考え、少なくとも、職務命令で開催された職員会議においては無言戦術で対抗し、校長が職員会議の決定を無視する場合は、不服従運動や校務分掌の返上等によって校長と対決するほかないと考えるに至り、生徒らとともに、次第に要求内容を拡大させるとともに、行政当局に対し、対決姿勢を強めていった。分会員の中には、内部的には校長の前記意見に同調する意見があったものの、それは少数で、控訴人ら分会員は、最終的には分会総会で意思を統一したうえ、六月一六日の職員会議に臨み、県教育委員会の責任者が直接生徒及び教職員の前で独立の経過と内容を説明し、質問に答えることを賛成一八、反対五(反対五は非組合員)の採決で可決した。福井校長は右決議に対し、最終決定権は校長にあるとして右要求には従えないとの意向を示した。右職員会議の後で開かれた生徒総会においては、控訴人らは生徒とともに福井校長に対し、定通併修制等について質問した。

4  職員会議の生徒傍聴問題

学園民主化委員会(独立運営委員会が改称)では、独立問題に対する各教師の対応に不統一がみられることなどから教師に対する不信感も生じ、独立問題が職員会議でどのように討議されているのかを知りたいとして職員会議傍聴の要求が提案され、それを受けて、六月二一日暮礼時、生活指導部長である一審原告小野本から福井校長に対し、「職員会議の生徒傍聴を認めたいので、第一時限目をロングホームルームとし、生徒傍聴についての話合いをさせたい。」との申し出がなされた。これに対して福井校長が職員会議の生徒傍聴は認められない旨答えたところ、控訴人ら分会員は一斉に反発し、分会員全員で校長を追及し、数の優位により、結局、校長の右前言を撤回させるとともに、六月一六日の職員会議における一八対五の決議を校長が否認したことも事実上撤回させた。このやりとりのため、一時限目の授業は自習となった。

六月二三日、一年生が生徒会執行部のやり方はてぬるいとして体育の授業をボイコットするという事態が発生し、同日この問題について代議委員会が開かれ、慎重な行動を一年生に望むとともに、職員会議傍聴を一五クラス中一四クラスの賛成で可決した。それを受けて、翌二四日、学園民主化委員会においても、生活指導部の一審原告小野本や控訴人斉藤の出席のもとに、六月二五日に予定されている「職員会議傍聴について」の職員会議を傍聴することを決定した。この状況の中で控訴人ら分会員は、六月二三日及び二五日両日分会総会を開き、二五日の職員会議を含めて生徒の職員会議傍聴を認める方向で意思集約を行った。

六月二五日午後二時から「独立問題及び職員会議の生徒傍聴について」を議題として開かれた職員会議の最中、突然約二〇名程度の生徒会の学園民主化委員会や総務委員会に属する生徒が職員室に入室してきたので、福井校長が何度も生徒らの退室を求めたのに対し、控訴人ら分会員は、「生徒らが入ってきたという新しい事態を踏まえて審議すべきである。」とか「生徒達を退室させる権利は、校長にも誰にもない。」などと校長に対し激しく反発し、生徒もその場を動こうとしなかったので、福井校長は、それ以上職員会議を続行することはできないと判断して、職員会議を打ち切り、職員室から退室した。校長及び教頭の退席後、控訴人ら分会員と非組合員との間で生徒の職員会議傍聴をめぐって意見が対立したが、結局、控訴人ら分会員は、校長、教頭のいないままで職員会議を続行することをルール違反だとする非組合員の反対を採決により押し切り(続行二〇名、打ち切り三名(非組合員))、職員会議の傍聴を認めることを強行採決(傍聴を許すことに賛成二〇名、反対〇名、保留三名(非組合員)、棄権一名(非組合員))により決定した。

そして、このころから、次第に、控訴人ら分会員と一部生徒とが一体となって行政当局に対し政治的な要求運動を展開することとなった。

六月二六日、生徒総会において生徒は独立問題に関する要求を次のとおり整理した。

<1>  夜間部単独の完全独立を要求する。

<2>  国庫補助を目当てにした現在の独立を撤回せよ。

<3>  生徒自治を無視し、教師集団を無視した現在の独立を撤回せよ。

翌二七日午後二時から「給食費関係の決算及び昭和四四年度予算について」を審議内容とする職員会議が開催される予定であったが、会議の開催前から生徒たちが傍聴のため入室していたため、福井校長は生徒の退室を求めたが、生徒はこれに応じず、また、控訴人ら分会員は、「職員会議を生徒に傍聴させることは既に決まっている。」と六月二五日の強行採決の結果を盾に校長を追及したため、福井校長は職員会議を開催することができないと判断し、職員会議を打ち切り退席した。また、非組合員の議長も生徒らの退室を強く求めたため、これに反対する控訴人ら分会員により不信任案が提出され、これが可決されて議長から降ろされた。

職員会議の後の暮礼において、控訴人らは福井校長に対し、職員会議の途中で退出したことを無責任であると追及したのに対し、同校長は、職員の協力一致を呼びかけた。

5  県教育委員会の来校説明

右職員会議終了後開かれた生徒総会において、六月二八日に県教育委員会を呼んで来るか、来校の目処を示さなければ六月三〇日から全学ストに入るという生徒会の決意表明が決議された。控訴人ら分会員は、右全学ストの意思集約を背景に、福井校長に対し、独立問題についての県教育委員会の来校説明を要求したため、同校長は、事態の打開のためには、やむをえないと考え、同日、県教育委員会に赴き、来校を要請したが、県教育委員会は右要請に応じなかった。そこで、控訴人ら分会員らは、同月二八日午前〇時職員会議を開き、教育次長宅の訪問・来校陳情を決議し、同日午前一時半ころ、被控訴人の事務局である宮崎県教育庁の教育次長穂積正晴宅に押しかけ、来校するように要請したが、これに応ずる回答はなかった。福井校長は、控訴人らの強い要求を受けて、同日午前八時半ころ、やむなく再度県教育委員会に赴き、来校を要請したが、県教育委員会側の回答は、「校長と生徒会代表に県教育委員会事務局で会う。」というものであったため、控訴人らは右回答に納得せず、その後直ちに穂積教育次長に会って来校を要求する交渉を行ったが、その回答は変わらなかった。一方、同日開かれていた高教組の定期大会において一審原告小野本が大宮第二高校の実情を報告し、その支援を求めたため、高教組は支援を確約し、県教育委員会との交渉がもたれた結果、生徒総会において具体的なスト決行の意思集約が討議されていた同日午後八時ころになって、福井校長のもとに穂積教育次長が同日八時三〇分から一時間の予定で来校説明を行う旨の連絡が入った。福井校長は控訴人ら教師に対し、職員の質問は控えるようにと要請し、控訴人らもこれを受け入れ、同日午後八時三〇分から、穂積教育次長は生徒の質問に答える形で生徒及び全職員の前で同校の独立についての説明を行った。生徒からは、事前に相談なく強制転校の措置をとった理由や定通併修制度について質問がなされたが、穂積教育次長の説明はこれまで福井校長が繰り返し説明してきたところを、再三にわたり詳細に説明したが、生徒達や控訴人らは、既に、独立問題に対する対応を政治的要求運動として位置付ける姿勢に立っていたため、右説明に納得する態度を示さず、穂積教育次長が当初の約束の時間である午後九時三〇分を過ぎたので説明を終えて退場しようとすると、控訴人らは騒わぎ出し、生徒達は退場しようとする校長を取り囲み、事実上の団体交渉に及び、校長に対し、再度県教育委員会に来校して説明してもらうよう執拗に要求し、一方、控訴人ら分会員は高教組の支援メンバーとともに体育館併設の準備室において、穂積教育次長に対し、事実上の団体交渉に及び、同人に再度生徒との話し合いの場を持つよう執拗に要求し、右状態が結局、午前二時三〇分ころの深夜にまで及んだ。そして、このころ、福井校長は、やむなく生徒の要求を受けて穂積教育次長を呼んで再度の来校説明を申し入れ、穂積教育次長も再度来校し説明すること、自分が来れない場合は代わりの者を寄こすことを約束した。

6  福井校長及び重信教頭の辞表提出と新校長の発令

福井校長は大宮第二高校の独立問題をめぐる生徒らの要求への対応について、控訴人らとその指導等の方針が対立する中で、控訴人らが数の優位と職員会議の最高議決機関性の考え方の下、これを梃子として校長と全面的に対峙し、校長の承認のないまま生徒傍聴を許して職員会議の続行を不可能ならしめるなどしたため教師との信頼関係を喪失したと判断し、また、本来、学校内で教職員が一致協力して処理すべき生徒指導につき、高教組を通じて生徒の要求である県教育委員会の来校説明の実現をはかるなどしたため、交渉のテーブルは組合と県教育委員会との間に移り、もはや校長の力では学校運営の責任を果たし得ないと判断し、穂積教育次長らが帰った後、重信教頭と話し合って、共に辞任することを決意し、福井校長及び重信教頭は、同月三〇日、同校の長谷部事務長を通じて辞職願と同三〇日の休暇申請を県教育委員会に提出し、そのまま出校しなくなった。

一方同日午後六時三〇分ころ、県教育委員会学校教育課産業教育係長坂口鉄夫外一名は、同月二八日の穂積教育次長来校の際の再度来校するとの約束を受けて教育次長代理として大宮第二高校に赴き、同校体育館で職員、生徒を前に独立までの経緯、定通併修制度の考え方、定通センター等について説明を行ったが、生徒、控訴人らは納得せず、行政当局において直ちに対応が困難であることを承知のうえで、「県単独事業として定時制を独立させることをここで確約せよ。」「定通併修をやめるということをここで確約せよ。」と要求し、翌朝午前七時ころまで両名を取り囲んで、執拗にその回答を迫った。その後、控訴人ら分会員の連絡により高教組委員長が来校し、教育長との面会を申し入れ、七月一日午前九時四〇分、右機会が持たれたが、その際、控訴人ら教師と生徒の一部が高教組委員長とともに教育長と両次長に対し、大宮第二高校の独立に関する県教育委員会の対応の是非等を声高に追及したため、教育長は、その場に対する配慮から、控え目に、「独立の時点で定通併修については検討したが、即結びつけたわけではない。定通併修制については将来の問題として検討していきたい。独立の時点で前もって根回しが足りなかったことは認める。」と答えた。なお、同教育長は、その際、「校長と教頭については本日中に学校に出すよう努力するが、校長不在の責任は臨時管理職を選ぶということを含めて考えている。」と述べた。七月二日県教育委員会は、大宮第二高校のこれ以上の混乱を回避するため、辞職願を提出していた福井校長を県教育委員会事務局付けとして、後任の校長に宮崎県立宮崎工業高等学校の教頭であった浜田宣弘を七月一日付けで発令することを決定し、翌二日、右浜田に辞令を交付した。

これに対し、控訴人ら分会員は、直ちに分会総会を招集し、「校長が変わっても、我々の要求と校長に対する基本的姿勢は変わらない。分会内部からの教頭起用には応じない。新校長に対する要求(現在の要求と従来の諸権利の確認)を出し、確認させる。」との三点を確認した。

三  校長の職務権限と職員会議の法的性質について

本件各処分事由は、一部生徒から提起された独立問題が行政当局への政治的な要求運動へと進展していく中で、右要求運動を積極的に支援する控訴人らと独立問題に理解を求め、自制を要請する浜田校長との対立の中で発生したものであり、それは、具体的には、主として浜田校長の職務命令に対する違反行為として構成されているものである。この点について、控訴人らは、教育課程の編成・実施、指導要録の作成、校務分掌、生徒の処分など全校的教育事項、すなわち教育の内的事項に関しては、校長を含む職員会議こそが審議・決定権を有するとしたうえで、全校的教育事項については校長は指導・助言をなすことができるにとどまり、職務命令を発することができないと主張する。そして、実際に、後述するとおり本件各処分事由(職員会議放棄行為、校務分掌業務拒否行為、授業放棄行為、卒業式妨害行為)の経緯において、控訴人らは、職員会議が最高議決機関であることを主張し、職員会議を校長の補助機関ととらえる浜田校長と対立しているのである。そこで、まず、校長の職務権限と職員会議との関係、校長の職務命令の限界等について検討を加えることとする。

1  校長の職務権限について

学校教育法五一条が準用する同法二八条三項は、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と規定する。右規定は、校長の職務権限を定めたものであり、右規定によれば、校長はすべての校務について決定権があるというべきである。そして、右の校務としては、人事、予算編成、施設管理などの人的、物的教育条件に関する事務のほか、教育課程編成、全校的な教材選択、生活指導の方針などそれ自体教育内容を規定する全校的教育事項ともいうべき事務があり、さらに、教育活動そのものがある。

もっとも、右のうち、全校的教育事項については、それが個々の教師の教育活動と密接に関連するうえに、教育専門的知識、経験の豊富な専門家によって多面的に検討されることを要する事項であることからすると、校長に最終的決定権があるとはいえ、右決定に際し、個々の教師の意思を事実上尊重することが望ましい場合があることは否定しえないところである。また、教育活動そのものについても、校長に監督権があるとはいえ、その性質上、個々の教師の意思を尊重すべき場合が多いことを否定しえないところである。

しかしながら、この点、憲法二三条が普通教育においても、大学におけると同一の意味で教師に教授(教育)の自由を保障していると解すべき根拠はない。すなわち、小・中・高等学校は、一般社会人として、また、国民として共通の基礎的な知識、技能、態度を養うことを目的とする普通教育を行うものであり(学校教育法一七条、三五条、四一条)普通教育の内容については、その目的からいって、偏ったものであってはならず、広く妥当な普遍的、一般的なものであることを要するほか、全国的に均質で、かつ、一定の水準が確保されていることが必要であって、このような普通教育の目的及び性質から、小・中・高等学校においては、憲法二三条が大学と同格の意味で教授(教育)の自由を保障するものでないことは明らかである。

そうである以上、教師の教育活動及び全校的教育事項につき、教師の意思を尊重すべき場合があるとしても、それは絶対のものではない。

学校の校務の円滑かつ適正な運営のため、教師の自主性、教育専門家としての知識、経験を尊重する立場から、全校的教育事項については、その決定手続において、教師集団の討議を経ることが望ましく、その討議の場として、通常、学校内組織として職員会議が設置されているところである(このことは、大宮第二高校においても同様である。)。校長は、右の全校的教育事項につき、意思決定をするに際し、職員会議を自ら主催し、教師間における十分な検討を経ることが望ましいといえるが、校長が右手続を経ないでこれを決定したとしても、右決定が当然に違法・無効のものとなるものではない。その意味において、職員会議は、校長の補助機関たるにすぎないということができる。このことは、職員会議が法律上の裏付けのある組織ではなく、事実上のものであることからも明らかである。

ところで、この点に関し、控訴人らは、憲法二三条、二六条、教育基本法一〇条の解釈として、教師に教育の自由、ひいては、学校自治の原則が認められ、それゆえ、学校教師集団の討議の場である職員会議は学校の最高議決機関であり、その決定に校長は拘束されると主張する。しかしながら、前記のとおり憲法の解釈として教師の教育の自由を認めるべき根拠はないし、大学と異なり、教育活動に主眼のある下級の教育機関について、憲法上、大学の自治に相応する学校自治ないし教育の自治が保障されていると解することはできず、また、全校的教育事項に限っても、校長が教師多数の意思を尊重するのが望ましいということはいえるとしても、そのことから、教師の職員会議での討議の結果が校長の最終決定権を拘束するものと解することはできない。

2  校長の職務命令について

学校教育法五一条により準用される二八条三項は、高等学校等の校長の職務権限につき、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と定めており、右規定によれば、校長が校務全般につき決定権を有し、校務を掌理するうえで教師を指揮監督する権限を有することが明らかであり、右の校務の中には、教育課程の編成などの全校的教育事項はもとより教育活動自体も含まれることは前記のとおりである。一方、同法二八条六項は、「教諭は、児童の教育をつかさどる。」と定めているが、これは、教師の主たる職務を摘示したにすぎないと解すべきであるから、同条六項の規定を根拠として、児童に対する教育活動以外は一切教諭の職務に含まれないものと断ずることはできない。それゆえ、校長は、教育課程の編成などの全校的教育事項は児童の教育に密接に関連し、教師の職務に相応しい事項であるから、これを校務監督権に基づき教師に分掌させ、これにつき包括的あるいは個別的に職務命令を発することができるというべきである。また、教育活動そのものについても、職務命令を発することができるというべきであるが、教師の主体性、自主性を尊重するうえで、おのずから制約が存することがあるということができるが、教育活動のうち、授業の実施そのものなどについては当然に職務命令を発することができるというべきである。

四  控訴人らの違法行為

控訴人らは、昭和六三年一二月一三日付けの当審第一準備書面において、被控訴人が昭和六三年八月一〇日付けで提出した原審最終準備書面(一)、(二)は控訴人の原審最終準備書面の記載内容を批判したうえで、従前主張しなかった新たな主張を追加するに至ったもので、控訴人らに不当な不意打ち的不利益を与え、原判決もこれに引きずられ、控訴人らが防禦の対象となし得ない追加主張を処分事実として摘示したものであるから弁論主義の原則に違反すると主張する。

そもそも、処分事由の追加主張の問題と弁論主義違反の問題は別個の問題であって、区別されるべきところ、右は両者を混同しているといわざるを得ない。弁論主義とは、権利の発生消滅という法律効果の判断に直接必要な要件事実は必ず当事者の弁論に現われない限り、裁判所はこれを事案の解決のための判決の基礎として採用できないことをいうところ、処分事由の追加主張の問題は、その事実が弁論に現われていたとしても、それが新たな処分事由の追加であると認められる以上、これを理由に処分の適法性を基礎づけることはできないというものである。この点、被控訴人の原審における準備書面(一)に記載した各処分事由と最終準備書面(二)で記載した各処分事由を比較するとき、基本的には同一のものであり、また、右各準備書面に記載された処分事由は、原判決別表Iの処分事由とも同一性を欠くものではない。したがって、右の各準備書面により処分事由が新たに追加されたということはできない(なお、懲戒処分の説明書の処分事由と密接な関連のある事実であれば、訴訟において処分事由として追加主張をすることが許されるところであって、本件において、被控訴人が右各準備書面で主張する処分事由は、少なくとも右のはんちゅうに入るというべきであるから、これを主張することが許容されるべきである。)。

なお、被控訴人は、原審において、最終準備書面(一)、(二)を昭和六二年九月一八日の口頭弁論(結審)前の同年八月一〇日付けで提出し、同期日に陳述しているのであって、何ら弁論主義に違反するものではない。

1  校長等排斥行為(被控訴人の主張2の事実)について

(一)  被控訴人主張の2の(一)、(二)の事実のうち、控訴人らが職員会議の決定として浜田校長の着任を認めないと主張したこと、校長、教頭が職員会議の開催等のため職員室に入室しようとするのを阻止したこと、一〇月八日までの間、控訴人らは、浜田校長、壺井教頭を排除した原判決別表III 記載の職員集会を開催し、同表中生徒総会等実施状況の欄記載のとおり、連日独立問題について生徒総会、ロングホームルームを開かせ、一学期末テスト、一学期終業式、二学期始業式を実施しなかったこと、生徒会活動として一部生徒とともに街頭デモ行進、街頭演説、署名運動、ビラ配布、市民集会の開催、県教育委員会への要求書提出等を行ったこと、七月三日、浜田校長からの着任挨拶の申し入れに対し、控訴人らが、校長の紹介は、正式文書による事務引き継ぎを済ませ、福井校長が連れてきてなされるべきこと、県教育委員会に混乱の責任を明確にさせることを決め、その旨校長に申し入れたこと、七月七日浜田校長が県教育委員会において福井校長との間で事務引き継ぎを行ったこと、県教育委員会が壺井秀生を七月一五日付けで大宮第二高校の教頭に発令したことは当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原審証人黒木正文、同松本淳の各証言、原審における控訴人出口、同成合、一審原告小野本、同斉藤の各本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人の主張2の(一)、(二)のその余の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(二)  右事実に対する控訴人らの反論について検討する。

控訴人らは、校長等排斥行為のうち、次の事実は、校長等排斥行為とは異質又は全く異なったものであると主張する。

<1> 授業等を放棄したとの事実、

<2> 七月二一日、浜田校長が総務部長の控訴人井野に校長及び教頭の職員、生徒への挨拶の時間の設定と教頭が職員室の教頭の席に着くことを認めるよう命じたが、控訴人井野はこれを拒否したとの事実、

<3> 七月二二日、同校長が控訴人井野を介して運営委員会の委員に校長及び教頭の職員、生徒への挨拶の時間の設定及び教頭の職員室着席を認めるよう文書をもって命じたが、控訴人井野はこれを拒否したこと、同校長が教務部長の控訴人成合を介して控訴人井野及び同成合に夏期休業中の行事予定を知らせるよう文書をもって命じたが、控訴人成合は、これに応じなかったとの各事実、

<4> 九月四日、浜田校長は一審原告小野本に対し生徒の街頭デモと市民集会の中止を指導するよう文書をもって命じたが、同小野本は、これに従わなかったとする事実、

しかし、<1>の事実については、教諭の主たる職務は教育をつかさどることであるが、その具体的教科指導は、その職務上の上司たる校長の編成する教育指導計画によって確定するものである。したがって、年間の授業計画やそれに基づき教師に割り振られた授業時間割は、校長の包括的な職務命令とみなすことができ、正当な理由がない限り、教諭は、割り振られた学級の授業を行うべき義務を負うものである(地方公務員法三二条)ところ、控訴人らは(控訴人桑原を除く。なお、控訴人戸高は、実習助手であって、実験又は実習について教諭を助ける職務〔学校教育法施行規則六四条の三(現行学校教育法五〇条第三項)〕を有し、教諭の職務に準ずる職務を行う者として教育公務員特例法の規定が準用される(同法二二条、同法施行令三条))、右包括的職務命令に従わず、授業等を拒否したことは、右包括的職務命令を排除したことになり、校長等排斥行為に該当するものである。

次に<2>、<3>の事実のうち、浜田校長が校長、教頭の職員、生徒へ挨拶する時間の設定をするよう文書等で命じたにもかかわらず、これに従わなかったということは、控訴人らが校長、教頭を認めないという意思表示を行動で表わしたものにほかならず、また、同校長が、教頭が職員室の教頭の席に着くことを命じたにもかかわらず、これを拒んだことも控訴人らが教頭としての執務を現実に行わせないということであり、校長等排斥行為そのものである。

さらに、<3>の事実のうち、夏期休業中の行事予定を知らせるよう文書をもって命じたこと、<4>の生徒の街頭デモと市民集会の中止指導の文書命令に従わなかった行為も浜田校長の職務命令を現実に排除したものであるから校長等排斥行為といわざるを得ない。

したがって、控訴人らの主張には理由はない。

なお、被控訴人は、原審最終準備書面(二)において「一〇月九日午後五時一五分頃、県教育庁服部学校教育課長外一名が来校し、暮礼時、同校職員室において、職員に対し、浜田校長及び壺井教頭の紹介を行い、その後、生徒に対しても、同校体育館で同様の紹介を行ったところが、控訴人らは、職員室での校長紹介の間、紹介者である服部学校教育課長の方に尻を向けたまま執務をするふりをし、この紹介を無視する態度を取り続けた。」と主張し、右事実も校長等排斥行為の一態様としているが、原判決別表Iの3の処分事由記載のとおり、右処分事由は昭和四四年一〇月八日までの控訴人らの行動を問題とするものであるから、昭和四四年一〇月九日の控訴人らの行動を右処分事由に該当する事実として主張することは許されない。この点、控訴人らは、原判決が右事実を校長等排斥行為の一態様として事実摘示しないのは恣意的であると主張するが、右のとおりであるから、控訴人らの右主張は理由がないことが明らかである。

控訴人らは、控訴人らが浜田校長の着任を認めないとの姿勢をとったのは、県教委の無責任な姿勢が原因となって福井校長が突然辞任するという異常事態のなかで、浜田校長の着任をそのまま認めると学校をより一層混乱せしめるものであったからであり、学校の混乱をおさめるための教育的配慮として、校長の紹介は福井校長からの正式の文書による引継ぎをすませ、福井校長が浜田校長を連れてきてなされるべきこと、この混乱を招いた福井校長、被控訴人の誤りを明確に分析し、認識し終わるまでは新校長を受け入れられないことの二点を浜田校長に申し入れ、右申し入れが受け入れられるまでは、やむなく同校長の着任を拒否する姿勢をとった旨主張する。

しかしながら、そもそも任命権者である県教育委員会が適法な手続に従って校長として任命した以上、浜田校長が大宮第二高校の校長であることは明らかであって、控訴人らが校長として認められないとしてその排斥を行うことはその不当性が明白であって、いかなる理由があれ、許されるものではない。そもそも、福井校長が辞任をするに至ったについては、前記認定のとおりその責任は控訴人らが負うべきところ、後任の校長である浜田校長により、学内の秩序の回復と混乱の防止が図られる必要があったのに、控訴人らは、根拠のない不当違法の要求をなし、しかも、これを浜田校長が受け入れない以上、その着任を拒否するとのかたくなな姿勢をとった(このことによって、学内が一層混乱したことは明らかである。)のであって、浜田校長の排斥行為は、何らの合理的理由を見い出すこともできない。

次に、控訴人らは、「県教委の無責任な姿勢が原因となって福井校長が突然辞任した」旨主張する。

しかしながら、前記認定によれば、控訴人らは、昭和四四年四月以降、校長に管理者的指向があるとして反発と対決姿勢を深めていたところ、一部生徒の提起した独立問題を契機として、右問題を政治闘争の手段として発展させ、もって、校長をして学内の管理運営を不可能と観念するに至らしめたため、福井校長がついに辞任を決意するに至ったものということができるので、控訴人らの右主張は理由がない。

控訴人らは、浜田校長は校長の立場で学校運営に関与していたのであり、教職員との間には必要な範囲で校務運営上の連絡は保たれていた旨主張する。しかし、前記三のとおり、教育課程の編成等全校的教育事項についても、校長に決定権があると解すべきところ、右認定事実によると、控訴人らは、事実上、校長及び教頭を排除した職員集会において、年度当初において校長により定められた教育課程、行事予定を一方的に変更して、授業時間を生徒総会、ホームルーム等に振り替え、一学期末テストを中止し、終業式、始業式を実施しなかったなど長期にわたって校長の権限を著しく侵奪したということができ、この点は地方公務員の服務上の義務違反の情状として極めて重いものがあるといわざるを得ない。なお、控訴人らはテストは生徒に対する教育評価であるから、教師又は教師集団が決定すべきことであり、一学期末テストの中止を決定した職員会議は正当であると主張する。たしかに、テストの種類又はその内容いかんによってはその実施の時期、方法は教師の自主性に委ねられるべき場合があるというべきであるが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における一審原告小野本、同控訴人成合の各本人尋問の結果によれば、大宮第二高校においては、例年、学科については統一テストを実施してきており、昭和四四年度においても、年間の教育課程の作成に当り、校長が中間テスト、期末テスト等の統一テストの実施を職員会議の議にはかったうえこれを決定していることが認められるのであって、右事実によれば、統一テストは教育課程の一内容として全校的教育事項としての性質を有し、その変更は最終的には校長が決定すべき事項であるというべきであるので、教師は、校長の意向を問うことなく、統一テストの実施を勝手に中止等することが許されないことは明らかであって、この点の控訴人らの主張は理由がない。

次に、控訴人らは、被控訴人の主張のうち、正常な学校運営事項以外の事項までも学校運営事項として討議・議決・実施したという点について、何が正常で、何が非正常であるか特定されていないと主張するが、正常な学校運営事項については、校長、教頭を排除した職員集会で決定し、実施したこと自体が違法であり、それ以外の事項はいずれも大宮第二高校の独立に関するものであって、これらの事項について同じく校長らを排除して職員集会で決定し、殆ど連日にわたって生徒会を開催させ、さらに校長と対立した形で生徒らとともに街頭デモ、市民集会等を行ったことが公務員としての服務違反になることも明らかであるから、ことさら何が正常か否かを論ずる程の必要はない。

控訴人らは、それぞれの職員集会には控訴人らの何人かは欠席しており、被控訴人の主張は控訴人らの個別的事情を無視したものであると主張する。<書証番号略>によれば、原判決別表III の職員集会欠席者欄記載のとおり、欠席者がいたことが認められるが、七月初めから一〇月初めまでの間に開催された三五回の職員集会の議題は独立問題をめぐる一連のものであり、控訴人ら全員がほとんどの職員集会に参加し、一番欠席の多い者でも二〇数回は参加し、その決定に従って行動しているのであるから、控訴人らの行為を校長等排斥行為として処分事由の対象として評価するにつき、控訴人らの出欠状況の多少を考慮すべき必要はないというべきである。

(三)  以上によると、前記(一)認定の控訴人らの各行為は、職員の法令等及び上司の職務命令に従うべき義務を定めた地方公務員法(以下「地公法」という。)三二条、職務に専念すべき義務を定めた同法三五条に違反することは明らかである。また、控訴人らの行為は長期間にわたって、学校の正常な運営を阻害し、その殆んどが生徒の面前で一部生徒を巻き込んでなされたものであるから、教育効果上も、有害性は明らかで、見過ごし得ないものがあり、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によると、控訴人らの行為は父母や県民の知るところとなり、新聞等でも報道され、教職の信用、名誉をも傷つけたことが認められるから、同法三三条にも違反するものである。

2  職員会議放棄行為(被控訴人の主張3の事実)について

(一)  控訴人らは浜田校長から二度にわたり、「二学期授業の正常化並びに行事予定について」を議題とする職員会議を開催するので出席されたい旨の文書通知を受けたが、予定されたいずれの職員会議にも出席しなかったことは当事者間に争いがない。そして、右事実に、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における一審原告小野本の本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人の主張3(一)の事実を認めることができ(なお、九月一日の職員会議につき、植野、松本、永峯の三教諭が出席のため職員室に赴いたが、同様、入室できなかった。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。

控訴人らは、八月二九日及び九月一日の職員会議の出席拒否には合理的ないし正当な理由があるとして、<1>八月二八日に控訴人らが行った職員集会において同じ議題について既に討議、検討済みであった、<2>福井前校長と浜田校長との事務引き継ぎが済むまでは浜田を校長として受け入れる筋合のものでなく、教育の混乱の責任は県教育委員会の教育行政の不手際にあったから、同校長の職員会議出席命令に応ずることは到底できなかった旨主張する。しかし、<1>については、右議題は明らかに全校的教育事項に関するものであり、校長において決定すべき事項であるところ、控訴人らが校長等を排除して開催した集会はそもそも職員会議と評価するに値しないものであるから、出席拒否の正当な理由にはなり得ず、<2>についても、前記四の1のとおり控訴人らが浜田校長の着任を拒否することが許されない以上、出席拒否が正当化されるものではないことは明らかである。

なお、控訴人らは、浜田校長は、自ら関与しない職員会議の結果を事実上追認していたと主張するが、仮に特定の事項につき、同校長が関与しない職員集会の議決と、同校長の決裁が結果的に同一であったとしても、そのことから直ちに同校長が右集会を適法な職員会議として追認したことにはならず、右主張は失当であるばかりか、同校長が右の意味で追認したことを認めるに足りる証拠もない。

(二)  次に、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、被控訴人の主張3(二)の事実が認められる。

この点について、控訴人らは、一二月一〇日の職員会議については、その前日の九日の深夜まで浜田校長との間で職員会議開催をめぐる交渉が行われたが、決着がつかず、翌一〇日の開催そのものが決定されなかったと主張し、一審原告小野本も、これに沿う供述をする。しかしながら、原審証人浜田宣弘の証言によれば、九日深夜の交渉の内容は、職員会議が最高議決機関であることを浜田校長が認めないならば、職員会議には出席しないとする控訴人らの抗議行動であることが認められるところ、前記三のとおり職員会議が最高議決機関であるとの主張は明らかに根拠のないものであり、また、職員会議の性格付けについて校長と考え方が異なるからといって、そうしたことを理由に、一方的に職員会議への出席を拒否することが許されないことは明らかであり、また、浜田校長において、右の職員会議出席命令を撤回したことを認めるに足りる証拠もないので、控訴人らの右主張は採用できない。

以上によると、控訴人らの行為が地公法三二条、三五条に違反することは明らかである。

3  校務分掌業務拒否行為(被控訴人の主張4の事実)について

(一)  校務分掌組織及び校務分掌拒否発言

<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における一審原告小野本、同斉藤、同控訴人成合、当審における控訴人井野の各本人尋問の結果によれば、被控訴人の主張4(一)の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。この点について、控訴人らは、校務分掌については、教師の本務でない校務を校長に代わって行うということであるから、校長が職務命令として行わせるというのは本来違法であると主張する。しかし、学校教育法五一条が準用する同法二八条六項は前記三2のとおり、教師の主たる職務を摘示したものであって、教育以外の事務がその職務に属しないなどということは到底いえず、一方、学校運営は、校務をつかさどる校長の責任において、教師を含む全職員が一致協力して行うべきものであるから、校長が校務分掌権の一内容として、校務分掌の組織及び人事を決定し、教師に校務を分掌させ、その職務につき監督権に基づき職務命令を発することができることは当然である。

控訴人らは、公文書の受領を拒否する旨の発言をしたものの、提示された公文書には目を通し、校務分掌業務として必要な処理は行ったので、校務分掌に従った職務遂行がなかったとはいえない旨主張する。

しかしながら、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、通常公文書の処理としては各部の部長が文書を受領し、職員に連絡を要する事項については暮礼時等において担当部長が連絡事項の発表を行い、校長はそれによって処理状況を確認し、必要に応じて指示を行うことになっていたこと、右文書のうち、公文書による報告を必要とする文書については、処理がすめば、担当部長が文書件名簿にその旨記載し、校長の確認を受けることになっていたこと、しかしながら、控訴人らのうち前記各部長は、後記(六)のとおり一二月一三日から暮礼時における各部の連絡事項の発表を拒否し、また、公文書による報告を必要とする文書について、文書件名簿に処理の記載を怠っていることが認められ、右事実によれば、控訴人らのうち前記各部長は、後記各文書(ただし、後記のとおり一部文書については、その所掌事務に属さないため、この点の職務を怠ったことにならないものがある。)について、既に、右の点において、校務分掌業務を怠ったということができる。

(二)  公文書の受領拒否等(同4(二)の事実)について

(1)  一審原告小野本昌幸(生活指導部長)

「学校管理と冬期休業中の指導について」、「年末年始の交通安全指導の徹底について」、「冬の青少年を守る運動の実施について」、「家庭の日ポスターの配布について」、「衆議院選挙運動用ポスターについて」、「「レクレエーションみやざきNo一一」の送付について」、「高校図書館部会開催について」、「生徒の免許所有者並びに通学状況等の調査結果について」一審原告小野本は、原判決別紙校務分掌目録中校務分掌欄記載の生活指導部長として同部の運営に当たらねばならない職務を有しながら、同目録中件名欄記載の公文書等の受領を同目録中受領拒否年月日欄記載の各年月日にそれぞれ拒否したことは、当事者間に争いがなく(なお、一審原告小野本は、当審第二準備書面において、「生徒の免許所有者並びに通学状況等の調査結果について」の文書の受領を拒否した事実はないと主張するが、一審原告小野本は、原審最終準備書面において右受領拒否の事実を認めており、自らもその旨供述するところでもあり、また、<書証番号略>によっても認めることができる。)、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における一審原告小野本の本人尋問の結果によれば、従来より、各部長は校務分掌上処理すべき文書を用務員から受領すると、受領したことのしるしとして文書件名簿の受領欄に日付を書いて受領印を押し、職員に連絡を要する事項については暮礼時等において担当の部長が連絡事項の発表を行い、校長はそれによって処理状況を確認し、報告を必要とする文書については処理が済めば担当の部長は文書件名簿にその旨記載し、校長の確認を受けることとされていたが、一審原告小野本が文書の受領を拒否した結果、右文書のうち、「高校図書館部会開催について」はその処理を校長に報告を要する文書であるのに期限までに報告がなかったこと、一審原告小野本は、前記文書のうちポスター(「家庭の日ポスター」、「衆議院選挙運動用ポスター」)については、右受領を拒否し、これを配布等しなかったこと、その余の文書につき、一審原告小野本は、暮礼時や職員会議の席で、その内容等につき、連絡等しなかったことを認めることができる。

この点について、一審原告小野本は、所管事項で教師に伝えるべきことは暮礼時や職員会議の席で伝え、生徒に伝えるべき注意事項は学級担任を通じて指導するなどの処理をしていたと主張するが、これに沿う一審原告小野本の供述は、結局、どの文書についてどのような処理がなされたか具体的に明らかでないし、後記(六)のとおり一審原告小野本ら各部長は一二月一三日以降、連絡事項の発表を拒否していることに照らし、措信できない。

右認定の事実によれば、一審原告小野本は、この点においても、校務分掌に従った職務の遂行をしなかったものということができる。

(2)  控訴人原正義(保健部長)

<1> 「インフルエンザ予防対策の強化について」

控訴人原は、右文書について、職員会議の席で、文書の趣旨を生徒に伝えるよう各担任に連絡した旨主張し、当審において、控訴人原は、これに沿う供述をするが、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、右文書は、昭和四四年一一月末ころまでのインフルエンザ予防接種の実施状況を同年一二月一五日までに県保健体育課長あて報告を要するものであったところ、控訴人原が右処理をしなかったため、やむをえず事務職員が同年一二月一九日に処理したことを認めることができるので、控訴人原の右主張は理由がない。

<2> 「永年勤続給食従事員へ感謝状授与について」、「給食功労者表彰の推せんについて」

控訴人原は、右該当者が授与等を受けることを辞退することの確認を得た後、その旨壷井教頭に報告した旨主張するが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、控訴人原から右のような報告がなかったことを認めることができ、右認定に反する当審における控訴人原の供述は右各証拠に照らして措信し難い。

<3> 「夜間給食連絡協議会の開催について」

控訴人原は、校長、教頭等のいずれからも、右文書を提示されたことがないので、校務分掌として処理すべくもない旨主張するが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人原が右文書の受領を拒否したこと(なお、そもそも、控訴人原は、原審最終準備書面において、右文書の受領を拒否したことを認めるところである。)、控訴人原は、右文書に関する事務を処理しなかったことを認めることができ、この点の当審における控訴人原の供述は措信し難い。

なお、控訴人らは、控訴人原が「学校保健の研修会開催について」と題する文書を受領拒否したにもかかわらず、この点を同控訴人の処分事由としていないのは、本件処分が恣意的であることの徴憑であると主張するが、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、右文書については、控訴人原により適宜処理されたことが認められるので、右の点が処分事由に含まれていないことは当然であって、控訴人らの右主張は理由がない。

(3)  控訴人樋口義(進路指導部長)

<1> 「第三回米国における英語研修講座」、「高卒の就職のための推せん及び選考開始の時期について」

右文書について、控訴人樋口は、右文書の受領拒否は行ったものの、必要な処理は行っていた旨主張するが、前者については、進路指導部長たる控訴人樋口の所掌事務であると認めるに足りる証拠がないので、この点につき、控訴人樋口の校務分掌に関する職務義務違反を問うことができない。後者については、仮に右主張のとおりであるとしても控訴人樋口が校長に校務の処理状況を不分明にしたとの点において既に校務分掌に関する職務義務違反があることは前記(一)のとおりである。

<2> 「四十五年度都立大入学選抜方法について」

右文書について、控訴人樋口は、大宮第二高校では昭和四四年一二月上旬ころに大学受験希望者は確定しており、都立大学の希望者はいなかったので処理する必要はなかった旨主張する(控訴人らの当審第二準備書面)が、当審における控訴人樋口の本人尋問の結果によれば、昭和四五年一月以降、右大学受験希望者が現われる余地がないとはいえないことが認められるので、右事実によれば、控訴人樋口は、右事務を処理する必要があったということができるところ、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人樋口は、他の職員等に右内容の連絡等をせず、右文書に関する事務処理を怠ったことを認めることができる。

なお、控訴人樋口は、控訴審第四準備書面では、進路を変更する生徒が出てくる可能性があるので、右文書につき、その内容を進路指導部職員及び四年生の学級担任に伝えたとも主張し、当審における控訴人樋口の本人尋問の結果はこれに沿うが、その主張の変遷にかんがみるとき、右は直ちに措信し難く、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

<3> 「第十回県下高校新人柔道大会開催について」

控訴人樋口は、右文書の要点をメモして参加生徒を選び、参加者名簿を大会本部に送付したうえで、右大会に生徒を引率して参加した旨主張するところ、当審における控訴人樋口の本人尋問の結果により右事実を認めることができる。もっとも、<書証番号略>からは、控訴人樋口が参加者名簿を大会本部に送付した事実を確認することはできないが、事の性質上、正式な大会につき、事前の参加者名簿の送付もしないまま事実上、生徒を引率して右大会に参加しえたというがごとき事態は容易に推認し難いので、<書証番号略>に処理に関する記載がないことから、控訴人樋口の右供述を措信できないものとすることはできない。

なお、控訴人樋口において右分掌事務を処理したものか否か校長において不明の事態にしたとの点において、既に職務義務違反があるといわざるを得ないことは前記(一)のとおりである。

(4)  控訴人井野正(総務部長)

<1> 「刊行物『持田古墳群』の寄贈について」

右文書について、控訴人井野は、学校図書に関する事務は生活指導部の所掌であるから、総務部長である控訴人井野が右文書を受け取らなかったのは正当な理由があり、なお、控訴人井野は、用務員の横山篤子に対し、右文書を図書台帳に記載のうえ、図書室に陳列して置くよう命じ、同人によりその旨事実上処理したと主張するところ、当審における控訴人井野の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、学校図書に関する事務は生活指導部の所掌に係る事柄であって、総務部の所掌にないことが認められるので、控訴人井野が右文書の受領を拒否したからといって、総務部長としての職務を怠ったことにはならない。もっとも、被控訴人は、壺井教頭が控訴人井野に対し、社会科担当の教師として右文書に関する事務を処理するよう命じたとも主張するが、仮にそうだとしても、右の点についての本件処分事由としては、控訴人井野の総務部長としての校務分掌事務の拒否行為をその対象とするものであるから、被控訴人は、本件訴訟において、新たに全く別個の理由により控訴人井野の職務義務違反を問うことは許されないというべきであって、この点の被控訴人の主張は採用し難い。

<2> 「四十四年度卒業式及び卒業予定者調査について」

右文書について、控訴人井野は、事務職員である山内俊清に事務処理を依頼して、総務部長としての職務を実行した旨主張し、当審における控訴人本人尋問の結果はこれに沿うが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人井野が右文書の受領を拒否したので、やむをえず、事務職員の山内俊清が右卒業予定者数を調査する等して右文書に関する事務を処理したことが認められるので、控訴人井野の右供述は措信し難い。

<3> 「PTAの現況調査について」

右文書について、控訴人井野は、右文書の受領を拒否したが、大宮第二高校にはPTA組織がなく、右文書の趣旨に沿う調査の必要はなかったので、控訴人井野が職務を放棄したことにはならない旨主張するが、<書証番号略>、当審における控訴人井野、原審における控訴人成合の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、大宮第二高校の学校要覧に、同校の校務分掌のうち、総務部の所掌事務として「PTA」に関する事務が明記されていること、現に、同校には、PTA類似の組織があり、その関係の予算等が存したことが認められ右事実によれば、控訴人井野において、右の関係の調査をする必要がなかったとはいえないところ、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、この点において、控訴人井野がその職務を怠ったことを認めることができる。

なお、控訴人井野は、当審において右文書を見た覚えがない旨供述するが、右は<書証番号略>の記載に反するところであり、右受領拒否をしたことを認める旨の従前からの主張にも反するもので、到底措信し難い。

(5)  控訴人成合宗久(教務部長)

<1> 「県教委育英資金借用書の提出について」

右文書について、控訴人成合は、右文書の内容を確認し、事務処理そのものは事務職員をして行わしめた旨主張するが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人成合が右文書の受領を拒否したことから、やむを得ず、事務職員において右文書に関する事務を処理したことが認められるので、この点の控訴人成合の右主張は理由がない。

もっとも、控訴人成合は、控訴審第四準備書面において、右貸付けの該当者は鬼束という生徒であり、同生徒に控訴人成合が直接文書の趣旨を伝えたと主張し、当審において控訴人成合はこれに沿う供述をするが、右は控訴人井野の前記主張とも明らかに矛盾するものであって、到底措信し難い。

<2> 「育英会奨学金借用証書の徴集について」

右文書について、控訴人成合は、右文書の内容を確認し、<1>の文書とは別途事務職員が処理したと主張し、あるいは前記<1>の文書に対応して事務職員が処理した旨主張するが、<書証番号略>、当審における控訴人成合の本人尋問の結果によれば、右文書は、前記<1>の文書とは全く別個のもので、その間に対応関係がないことが認められるところ、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人成合がその責任において中身まで処理しないために、やむを得ず、事務職員が右文書に関する事務を処理したことを認めることができるので、控訴人成合の右主張は理由がない。右認定に反する当審における控訴人成合の本人尋問の結果及び<書証番号略>は右各証拠に照らし措信し難い。

<3> 「入試学力検査の出題方針について」

右文書について、控訴人成合は、右文書は全日制高校入学試験の出題方針を示したものであり、定時制高校の入学試験に関するものではなかったから、控訴人成合が処理すべき事項はなかった旨主張するが、<書証番号略>によれば生徒の入学に関する事務は教務部の分掌であることが認められるところ、当審における控訴人成合の本人尋問の結果によれば、高等学校の入試問題が全日制、定時制を問わず同一であることが認められるので、控訴人成合の右主張はその前提において失当であって、以上の事実及び弁論の全趣旨によれば、控訴人成合が教務部長として右文書に関する事務を怠ったことを認めることができる。

<4> 「進学説明会(綾中)について」

右文書について、控訴人成合は、大宮第二高校がどのような学校になるのか明らかでなかったから、進学説明会に出席できない旨壺井教頭に申し入れたところ、同教頭がこの申入れを了解したのであるから、同控訴人が職務を怠ったとはいえないと主張するが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、壺井教頭が、控訴人成合主張の理由により控訴人成合が右進学説明会に欠席することを了解した事実はないこと、同教頭は、控訴人成合が右説明会への出席を拒否したため、やむを得ず、自らが右出席することの連絡をしたうえ、昭和四四年一二月一二日綾中学校体育館に赴き、右進学説明会に出席したことを認めることができるので、この点の控訴人成合の職務の懈怠は明らかであって、当審における控訴人成合の本人尋問の結果及び<書証番号略>は措信し難い。

<5> 「四十五年度県立高校生徒募集定員について」

控訴人成合は、右文書はマスコミを通じて発表される広報文書であるから、控訴人成合が教務部長として処理する必要はない旨主張するが、生徒の在籍関係の事務が教務部の分掌であることは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人成合が右文書の受領を拒否し、これを掲示等する事務を怠ったため、事務職員においてやむを得ず右事務を処理したことを認めることができる。この点の当審における控訴人成合の本人尋問の結果及び<書証番号略>は右各証拠に照らし措信し難い。

(三)  運営委員会への出席拒否等(同4(三)の事実)について

一審原告小野本、控訴人原、同樋口、同井野、同成合、同井上ら六名が一一月一三日午後二時及び同月一七日午後二時にそれぞれ予定されていた運営委員会に出席しなかったことは、当事者間に争いがなく、右事実と原審証人浜田宣弘の証言によれば、同4(三)の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

この点について、控訴人らは、予算審議に必要な資料の提出を校長が拒否したので審議をしても無意味と判断して出席しなかったのであり、むしろ、浜田校長が控訴人らの審議権を認めない態度をとったのであるから出席拒否には正当な理由がある旨主張する。しかし、<書証番号略>、原審における控訴人成合、同井上の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、前記控訴人らは、結局、予算審議に必要な資料の範囲を含め、運営委員会の性格及びその審議の在り方などの点に関する意見の対立を理由に運営委員会に出席することを拒否したものと認められるが、前記の校長の地位、権限にかんがみるとき、右運営委員会は、その性質上、独自の予算審議権を有するものではなく、校長の予算の編成と配分に関する意思決定を円滑に行うための諮問的機関たるにすぎないというべきであるから、右控訴人らが運営委員会を主催する校長に対し、当然に、あらかじめ予算審議に必要な資料の提出を求めるがごとき権限を有しないし、控訴人らと校長との間で、運営委員会の性格付けについて見解の対立があるからといって、これを根拠に同委員会への出席を拒否することなど許されようはずもないので、右控訴人主張の右理由は、運営委員会への出席拒否を正当化する理由とならないことはいうまでもなく、また、浜田校長が控訴人らの審議を不要とする態度をとったことを認めるに足りる証拠もないのであるから、右控訴人らの右主張は理由がない。

(四)  二学期末テストの不実施(同4(四)の事実)について

控訴人成合が二学期末テストの時間割を発表しなかったことは当事者間に争いがなく、右事実に<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における控訴人成合、同一審原告小野本の各本人尋問の結果によれば、同4(四)の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

これに対し、控訴人らは、教師は、教育の内的事項については自主性、専門性が保障されており、校長の指揮監督権限は右の教育の内的事項には及ばないとし、控訴人成合に対する右時間割作成に関する職務命令は、校長による教師の教育活動に対する不当な支配であって、違法であると主張するが、右主張のうち、校長の指揮監督権が右のいわゆる教育の内的事項には及ばないとの部分は正当であるとはいい難いし、また、右職務命令は単に時間割作成という校務分掌上の事務処理を対象としてなされたものであって、教育活動に対する不当な支配といえないことは明らかである。また、控訴人らは、控訴人成合は、一二月段階での生徒の状況を踏まえ、期末テストの実施の可否について教科担任の意見を聴取した結果、期末テストの実施は不可能と判断し、そのうえで、一二月一七日の暮礼時に、期末テストの中止を提案したところ、浜田校長も、右テストの不実施を承認した旨主張し、控訴人成合は、これに沿う供述をする。しかしながら、控訴人成合が時間割を発表すべき期限である一二月八日以前において、時間割作成に向けて努力した形跡は全くないうえに、一二月九日には前記認定のとおり「本校の校務分掌の組織はなくなっているので、教務ではなく、校長がやるべきだ。」として時間割作成を拒否する意思を表明しているのであるから、同控訴人の行為が控訴人らの一連の校務分掌拒否の一環としてなされたことは明らかである。さらに、当時の生徒の状況についても、原審証人黒木正文の証言、原審における控訴人成合の本人尋問の結果によれば、二学期中間テストの際に、ごく一部の生徒が、定期テストをボイコットするように生徒に呼び掛けたことがあり、一二月九日の代議員大会で定期テストの廃止等が職員会議への要求として提案されたことは認められるとしても、それが、生徒大多数の意見であったかは証拠上断定しえず、かえつて、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘、同黒木正文の各証言によれば、一二月一八日の生徒総会では生徒から、学期末テストを行わなかったことに対する懐疑の声が出ていることが認められるのであって、果たして期末テストの実施が不可能な状況が学内にあったのかは疑問であるというべきである。また、仮に、テストを実施する意思のない教師が大半であったとしても、他にテストを実施する意思を有する者がいる限りは、時間割を作成しなければならないのであって、教科担当の教師全てが、テストを実施しない旨の意思を積極的に表明していたと認めるに足りる証拠もない以上、控訴人成合の右職務が解除されたということもできない。また、浜田校長が一二月一七日の暮礼時に、控訴人成合の期末テスト中止の提案を承認したとの事実はこれを認めることができない(なお、<書証番号略>及び原審証人浜田宣弘の証言によれば、浜田校長は、「今学期の(テストの)実施は困難になったが、来学期早々実施するよう」控訴人らに指示したことが認められるが、本件に現われた浜田校長の従前からの教育に対する姿勢、態度及び弁論の全趣旨によれば、右は、控訴人らの校務分掌拒否行為により年内に期末テストを実施することが困難となったので三学期早々にテストを実施するよう指示したにすぎないものと解釈することができ、したがって、これにより同校長が期末テストの中止を承認したと認めることはできない。)。よって、控訴人らの右主張は理由がない。

(五)  生徒の登校拒否に対する指導拒否(同4(五)の事実)について

まず、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、一二月一七日、浜田校長は、生徒総会における生徒の登校拒否の提案が誤っていることを指導するよう職員特に生活指導部長である一審原告小野本に指示したこと、さらに、一二月一八日、浜田校長は暮礼時に、同日の生徒総会で生徒会総務委員会からの登校拒否の提案(右提案がなされたことは当事者間に争いがない。)についての審議が行われることにかんがみ、職員特に生活指導部の職員に対し、生徒が登校拒否をしないよう十分指導されたい旨指示したが、一審原告小野本、控訴人原、同井上、同出口らは、浜田校長に対し、「どのように指導したら良いのか。校長が指導せよ。我々はそのような指導はしない。責任は校長にある。」、「校長には教育者としての資格がない。」などと述べたこと、また、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘、同黒木正文の各証言、原審における一審原告小野本、同斉藤、同控訴人成合、当審における同井上の各本人尋問の結果によれば、控訴人らは、一二月に入って生徒とともに校長に対し、校名変更等について再三県教育委員会への陳情を要求していたが、一二月一五日以降は、生徒とともに、浜田校長に対し、校名変更が一八日の県議会に提案されるように知事や議会への働きかけを要求し、同月一七日の生徒総会において登校拒否提案が審議された際、浜田校長が登校拒否提案が誤っていることを説いたのに、一審原告小野本らは「校長は行政的立場のみを考えて積極的に動こうとしない。」として県議会に対する校長の働きかけが足りない旨非難するなど、登校拒否提案を積極的に支持する方向で行動していること、総務委員会が代議委員会に対し生徒総会へ登校拒否の提案をすることを決める際には、一審原告小野本ら生活指導部の職員が出席していたこと、一審原告小野本の指導により、登校拒否提案の審議のため、定足数が不足していたにもかかわらず、一二月一八日、一九日、二〇日に生徒総会を開催させて右討議をさせたことが認められ、右事実によれば、一審原告小野本は、総務委員会が生徒総会に登校拒否の提案をすることを支持し、生徒総会においても、右登校拒否提案につき賛成の議決がなされるよう動いたこと、それゆえ、一審原告小野本は、生徒総会に対し登校拒否の提案をしないよう説得するなどの指導をしなかったものと推認することができる。この点、一審原告小野本、同斉藤は、同人らにおいて、総務委員会に対し、登校拒否の提案をしないよう説得し、生徒総会においても、同様の説得をした旨供述するが、右は、右各証拠に照らし措信し難い。

(六)  連絡事項の発表拒否(同4(六)の事実)について

<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における一審原告小野本、同控訴人原、同成合の各本人尋問の結果によれば、一二月一九日、壺井教頭が控訴人井野、同樋口、一審原告小野本、控訴人原、同成合ら各部長を指名して二学期末を控えての各部の連絡事項の発表を指示した際、右控訴人ら各部長は、全員無言で右指示を無視し、一二月一三日以来の態度を続け、その職務を放棄した事実のほか、被控訴人主張の教務部長たる控訴人成合に関する同月二二日、一月八日の職務放棄の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠がない。

控訴人らは、「一二月一九日暮礼時、壺井教頭が控訴人井野、同樋口、一審原告小野本、控訴人原、同成合ら各部長を指名して二学期末を控えての各部の連絡事項の発表を指名した際、控訴人ら各部長は、全員無言でこの指示を無視し、一二月一三日以来の態度を続けその職務を放棄した事実は、原審において、処分事由としては全く主張されていない」旨主張する。

しかしながら、控訴人らの校務分掌業務拒否行為の処分事由は、原判決別表1番号8に記載のとおり「昭和四四年一一月中旬から約二か月にわたって、公文書等の受領作成をせず、また、暮礼時に校務分掌に関する連絡・発言などせず、校務分掌による自己の業務の遂行をしなかった。」ということであって、一二月一九日における右控訴人ら各部長の右職務放棄行為が右処分事由に含まれていることは明らかであり、この点は、被控訴人の原審準備書面(二)において主張するところでもあるが、右は、被控訴人において、右処分事由と同一性のない事実を新たに処分事由として追加主張したものではないということができる。したがって、控訴人らの右主張は理由がない。

控訴人らは、「控訴人成合が、浜田校長から昭和四四年一二月二二日と同四五年一月八日に、終業式及び始業式の件で説明を求められたにもかかわらず黙ったまま何も答えなかったのは、教務部長たる控訴人成合の職務ではないから回答できなかっただけのことであり、職務放棄にならない」旨主張する。

しかし、右終業式及び始業式は、教育課程上は学校行事(儀式的行事)に位置付けられており、教育課程の編成、実施等の事務は教務部の分掌であることは、当事者間に争いはなく(<書証番号略>の一・五ページ参照。被控訴人原審準備書面(一一)八ページ注2に対する控訴人原審第二準備書面第二・三・(8) では「注2は争わない」旨の認否がある。なお、控訴人らの右主張は、学校行事は総務部のみの分掌業務であることを前提にした主張であるが、学校行事そのものの実施計画を総務部がやるとしても、その内容としての教育課程の編成、実施等に関する事務は、教務部が(総務部と連携をとりながら)行うべきものであるから、終業式及び始業式は教務部に関係がないなどという控訴人らの主張は、失当であることが明らかである。)、したがって、教務部長たる控訴人成合は、教育課程上の編成としての儀式的行事をいかになすべきかを把握しておく義務があるというべく、右校長から説明を求められれば右行事の時間割等につき直ちに校長に説明しなければならないのにこれをせず、黙ったまま回答しないなどということは到底許されるべきことではなく、この点、控訴人成合が教務部長としての職務を放棄したことは明らかであって、控訴人らの右主張は理由がない。

以上によると、控訴人らの各行為は、地公法三二条、三五条に違反するということができる。

4  授業放棄行為(被控訴人の主張5の事実)について

(一)  同5の(一)の事実のうち、一月一二日生徒総会で授業拒否の提案が可決されたこと、原判決別紙担当授業目録中控訴人氏名欄記載の控訴人らは、同目録職名欄記載の職にあり、大宮第二高校生徒の教育を掌る職務上の義務を負い、具体的には同目録「昭和四五年一月一三日から同月一七日までの具体的授業の義務」欄記載の義務を負っていたが、右授業の実施をしなかったことは、当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、同5(一)のその余の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

この点について、控訴人らは、当時、教師らが授業を実施できるような客観的状況は存せず、むしろ登校拒否が学校内に生徒不在の事態を起こさせるおそれがあったのであるから、登校させて生徒間の討議を保障するのが教育的配慮であり、適切な生徒指導であったと主張する。

そこで、まず、生徒の授業拒否の決議までの経緯をみると、前記認定のとおり、一二月ころから、生徒らは恒久的な校名変更を要求して、県教育委員会、県議会、知事への陳情の取り付けを浜田校長に要請し、右要求を実現するため、同月中旬には否決はされたものの、総務委員会から登校拒否の提案が生徒総会になされたのであるが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘、同黒木正文、原審における一審原告小野本、同控訴人成合、同原、一審原告斉藤、当審における控訴人井上の各本人尋問の結果によれば、生徒は、一月八日、九日の生徒総会(ただし、定足数不足)において、二月県議会での校名変更を実現するため、知事、県議会への陳情の取り付けを浜田校長に要求し、それが受け入れられない場合には一月一二日から同月一七日まで一週間の授業拒否を行うことを討議し、一〇日にはその旨浜田校長に申し入れ、同校長の授業に専念するようにとの説得にもかかわらず、一二日の生徒総会において授業拒否提案を賛成一一六、反対八九(ただし、定足数不足)で可決した。一方、浜田校長は、授業時数を確保するため、一月九日の暮礼時にホームルーム主任に正規の授業がなされるよう指示したが、控訴人らはこれに反発し、授業時数確保の件を議題とする一〇日の職員会議においては、現状を打開するには校長が教師代表と生徒代表とともに知事部局、県教育委員会に陳情の取り付けをする以外にない旨主張し、職員会議を学校の最高意思決定機関と認めない限りは審議に応じられないとした。一月一二日、浜田校長は、職員会議において控訴人らに対し、正規の授業が行われるように生徒を指導するよう指示したが、控訴人らはこれに反発して、浜田校長の指示に従おうとはせず、また、議長による職員会議打ち切りの採決に対し、同校長が職務命令によって会議続行を命じたにもかかわらず、控訴人らは、右命令に従わず、職員室を退室した。その後、控訴人らは、校長室に押しかけ、生徒総会における授業拒否の可決を背景に「職員会議が学校における最高議決機関であることを認めよ。」「知事交渉に行け。」と浜田校長に強く迫った。以上の事実が認められる。

右事実によると、生徒総会に出席した生徒のうち授業拒否の決議に賛成したのは、一一六名で全校生徒の約四分の一にすぎず、しかも右決議において反対者が八九名もいたのであるから、生徒の大多数が授業を拒否している状況にあったとは認められず、また、教師と生徒間の信頼関係が失われるなど授業の実施を不可能ならしめるような特別の事情も窺えないことからすれば、控訴人らが主張するように当時、授業を実施し得ないような客観的状況にあったとは認められない(現に<書証番号略>によれば、控訴人らに同調しない教師により、一月一三日一〇授業時数、同一四日七授業時数、同一六日一〇授業時数、同一七日六授業時数の各授業が実施されていることを認めることができる。)。さらに、控訴人らは教育的配慮により、授業を実施しなかったと主張するが、一月八日以降、控訴人らが、授業拒否の提案をやめるよう説得するなどした形跡はないことや、一月八日以降の控訴人らの前記言動やハンストの目的等を総合して考えると、むしろ、控訴人らは、一部の生徒と一体になって、浜田校長に対し、県議会、知事への陳情取り付け要求を行い、生徒の要求に歩調を合わせる形で授業を実施しなかったものと認めるのが相当である。

次に、控訴人らは、校長の授業実施命令は、その指揮監督権の及ばない主体的な専門的教育活動に対する不当な干渉であるので、違法であると主張するが、教師の教育活動については、教師の自主性ないし主体性を尊重すべき領域があるとしても、その主たる職務である授業を実施するか否かについてまでその自主性ないし主体性を尊重すべきであるといえないことは明らかであって、この点、校長において、右指揮監督権に基づいて、教育課程の実施のため、教師に対し、授業実施の職務命令を発したことは当然の措置であって、何ら問題とすべきものではない。よって、控訴人らの右主張も理由がない。

(二)  <書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によると、被控訴人の主張5(二)の事実が認められる。右認定に反する原審における一審原告小野本の供述は、前掲証拠に照らし採用できない。

この点について、控訴人らは、右は生徒間の無用の混乱を回避し、整然とした行動をとらせるためのやむをえない措置であったと主張するが、控訴人らの授業放棄自体が違法であるうえに、右行為は授業を受けている生徒の学習権を侵害するものであるから、右主張は到底採用できない。

以上によると、控訴人らの行為が地公法三二条、三五条に違反することは明らかである。

5  無断出張行為(被控訴人の主張6の事実)について

一審原告斉藤、控訴人出口、一審原告小野本、控訴人吉野、同原は、延岡第二高校に同年一月一四日午前一〇時から午後六時三〇分までの予定で出張したい旨の出張伺を壺井教頭を通じて浜田校長に提出し、一月一四日、延岡第二高校に赴いたことは当事者間に争いがなく、右事実に、<書証番号略>及び原審証人浜田宣弘の証言を総合すると、被控訴人の主張6の事実を認めることができる。

控訴人らは、「昭和四五年一月一三日、壺井教頭が控訴人らに対し控訴人らが提出した出張伺について校長が認めない意向である旨伝えながら、なお再考の余地がある含みをもたせて出張伺を受理したのであるから、控訴人らが校長の出張許可があったものとして扱うことは慣行からしても何ら差し支えないし、『自宅研修』の扱いになるものと考えていた」旨主張する。

しかしながら、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、そもそも「職員の出張は、校長が命ずる。」(県立学校管理規則二三条)ものであり、大宮第二高校における職員が出張する場合の手続としては、出張伺(<書証番号略>参照)に氏名、出張日時、用務、出張先等必要事項を記入して教頭を通じて校長に提出し、校長が承認したものについては本人にその旨を通知するとともに、出張命令簿(<書証番号略>)に記載するという方法が取られ、職員は、校長の承認があって初めて出張することが認められるものであるところ、<書証番号略>、原審における控訴人原本人尋問の結果、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、浜田校長は、右控訴人らに対し、教頭を介して、右出張伺については許可できないことを明確に通知したこと、なお、右通知の際、壺井教頭が再考の余地があるとの含みをもたせて右出張伺を受理したことはないことを認めることができるので、右控訴人らの主張は、その前提を欠くものであって、理由がない。

また、控訴人らがいういわゆる自宅研修は、教育公務員特例法第二〇条二項に基づき教員が(授業に支障のない限り)校長の承認を得て勤務場所を離れて(各自の自宅等において)研修を行うものであるところ、<書証番号略>によれば、この場合とて、校長の承認をあらかじめ得ておくことが必要であることが認められるが、前記のとおり本件において右承認がないことは明らかであり、また、本件において、校長の許可なく職員が出張したことが自宅研修扱いにされるというような慣行の存在を認めることができないことはいうまでもない。浜田校長において、控訴人らの右出張を自宅研修として処理すべき理由もない。したがって、右控訴人らの右主張は理由がないこと明白である。

以上によれば、控訴人らの右行為が地公法三二条、三五条に違反することは明らかである。

なお、このことは、右控訴人らが授業に差し支えのない時間帯に右出張をしたからといって、変わりがあるものではない。

6  校長室不法占拠行為(被控訴人の主張7の事実)について

控訴人原、同井上、同樋口、同成合、同竹下ら五名が校長室においてハンストを行ったことは、当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における控訴人成合、同原、当審における同井上の各本人尋問の結果を総合すれば、

昭和四五年一月一六日暮礼時、浜田校長は控訴人らを含む各職員に対して授業実施命令書を手渡し、授業を行うよう業務命令を発したが、これに反発した控訴人らの一部が暮礼後校長室に押し掛け、「授業へ行きなさい。」と命ずる同校長に対し、暴言、罵声を浴びせたうえ、控訴人樋口が「校長が我々の言うことを聞かなければ我々もこれからハンストに入る。」と宣言し、控訴人原、同井上、同樋口、同成合、同竹下ら五名は、同校長の制止を押し切ってその場に座りこんでハンストと称する校長室占拠を始めた。右控訴人らのうち、同竹下と同成合は、碁盤を持ち込んで碁を打つなどして、他の控訴人らとともにハンストを続行し、同校長の退去要求にも応じなかった。同校長が同日午後一一時すぎに帰宅した後、右控訴人らは、校長室に体育館の柔道用畳五、六枚と五名分の布団を持ち込んだ。

翌一七日暮礼後校長室に帰った浜田校長が、ハンスト中の右控訴人ら五名に「出ていって授業をしてもらいたい。」と職務命令を発したのに対し、右控訴人ら五名は、「お前は人間ではない。」「校長が我々の言うことを聞かないからこういうことになるんだ。」と強く反発し、同校長の職務命令を無視し、これに応じなかった。この後、右控訴人ら五名とその余の一部の控訴人らは、右校長室で校長交渉と称して同校長に対して知事、県教育委員会への陳情取付けを行うよう要求し、控訴人原は、前日控訴人らに同校長が発した授業実施命令書一〇数枚を「こんなものは返してやるから受け取れ。」などと申し向けて、同校長の着用していた上着のポケットへ無理に押し込むという暴行を加えたが、同校長は手でこれを振り払った。

さらに、同一八日午前〇時三〇分ころ、浜田校長が椅子を元に戻して机のところに再び座っていると、控訴人井上が、同校長が職員会議の決定に従わないというようなことで非常に激昂して「校長」と大声で言いながら同校長の机の横にあった応接椅子のところから同校長の前まではだしのまま突っ走って来て、畳のへりのそばにあった靴を振り上げて、「ああ、ハゲラシイ。」と叫びながら同校長の前の机を右靴でたたくという暴行を加えた。同日午前二時五〇分ころ、長椅子のところにいた控訴人原は、同校長に対して、「ハンストをやっていても、最後には校長と刺しちがえるだけの余力は残しておくぞ。校長は出刃包丁がよいか、刺身包丁がよいか。」と述べて脅迫した。

控訴人原の右発言の後、分会長である控訴人出口が、ここで相談するため休息を取るから、校長、教頭は外に出てもらいたいと言ったため、浜田校長及び壺井教頭は校長室を出て職員室の方に行っていたが、しばらくして入ってくれということで再び校長室に入ったところ、控訴人出口が「今日はこれで終わります。帰ってください。」と言ってその場に残っていた控訴人らが囲みを解いたため、同一八日午前三時ころ、ようやく同校長と教頭は解放された。

以上の事実が認められ、右認定に反する原審における控訴人原、当審における同井上の各供述、<書証番号略>は、<書証番号略>、当審証人浜田宣弘の証言に照らし、採用できない。

なお、被控訴人の主張のうち、一月一七日午後一〇時五〇分以降、同校長に対し、抗議と称して、控訴人原、同樋口、同井上らが、口々に「校長はやめてしまえ。」「校長、お前は土下座して謝れ。」などと暴言、罵声を浴びせ、また、事務机に座っていた同校長を椅子のまま後から押して柔道用具のところに身体ごと持っていき、「ここに座れ、早うせんか、ばか。」と暴言をはき、暴行を加えながら校長を前へ突き出し畳のところへ座りこませたという点については、それに沿う証拠として<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言があるものの、右のいずれからも、右発言及び暴行の主体は不明であって、本件においてこれを特定するに足りる証拠がない。

前記控訴人ら五名は、校長室不法占拠行為の処分理由の一つとして原判決が認定した授業実施命令(一月一六日、一月一七日)違反は、被控訴人が処分理由としていないのであるから、弁論主義の原則からして裁判所がこれを処分理由とすることはできない旨主張する。

しかしながら、被控訴人の主張内容にかんがみるとき、右の授業実施命令違反は、右控訴人らによる校長室不法占拠行為における控訴人らの不法占拠の行為態様を明らかにするための事情と解釈することができる(したがって、当裁判所も、本件において、右性格のものとして評価することとする。)ので、この点の右控訴人らの右主張は理由がない。

また、前記控訴人らは、控訴審第四準備書面において「校長室不法占拠」の処分理由の中に授業実施命令違反が含まれていることになれば、同一事実を二度の処分理由としたものであると主張する。

しかしながら、前記のとおり、被控訴人は、右授業実施命令違反自体をも処分理由としているのではないと解すべきである。なお、被控訴人の主張によれば、控訴人原、同井上、同樋口、同成合、同竹下らは、共同して昭和四五年一月一六日午後六時ころ、浜田校長の制止を押し切って「ハンスト決行」と称して同校長室に侵入し、同所に寝泊りするなどして座り込み、同校長室を同月一八日午後三時ころまで占拠して同校長の職務執行を妨害したとの点がいわゆる「校長室不法占拠行為」という処分理由であり、一方、右控訴人ら五名が昭和四五年一月一三日から同月一七日までの間、授業を放棄して学校の正常な運営を阻害したとの点が前記4認定のいわゆる「授業放棄行為」という処分理由であるところ、前記認定のとおり、右控訴人ら五名は校長室不法占拠行為をするとともに、一月一六日、一七日につき、授業放棄行為をも行っているのであるから、本件処分に当たり、右の二つの事実をそれぞれ処分の対象として差し支えないことは明らかである。よって、この点につき、被控訴人の「同一の事実を二度の処分理由とした」との非難が当たらないことは明らかである。

なお、右控訴人ら五名は、ハンスト自体は、浜田校長のいわばなすべき学校運営(この場合、県教育委員会や県議会への交渉)の懈怠を正す性格を持つものであり、その目的において正当であり、手段も特に非難するに当たらないと主張する。しかしながら、生徒及び控訴人らの要求は、校名変更についての県教育委員会や知事への陳情の取り付けという校長本来の職務を明らかに超える行為を求めるものであって、そもそも浜田校長において、これに協力して取り付けをなす義務はないというべきであるから、浜田校長が右要求に応じないからといって、実力行使に及ぶなどということが到底許されないことは明らかであるから、右目的は正当とはいい難く、その手段も、前記のとおり、校長室を占拠し、同校長の執務を妨害したばかりでなく、深夜まで抗議行動を繰り返したというものであって、著しく常軌を逸しているといわざるを得ない。よって、控訴人らの右主張は到底採用できない。

前記控訴人らは、被控訴人主張の「昭和四五年一月一八日午前〇時三〇分ころのハンスト実施中の控訴人井上の行為について、控訴人井上が自分のはいていた片方の『靴を脱ぎ、これを右手でふりあげて』という処分理由(被控訴人原審準備書面(一))と、前記の『はだしのまま突っ走って来て畳のへりのそばにあった靴を振り上げて』との認定事実との間には、行為の態様において全く差異があるので、右後者の事実を認定することは弁論主義に反すると主張する。

しかしながら、控訴人井上の右行為の態様には、右処分理由と右認定事実との間には若干の差異があるものの、その程度はさして著しいものではないので、右後者の事実を認定したからといって、右の点に、弁論主義違背があるということはできないので、控訴人の右主張は理由がない。

以上によれば、控訴人らの右行為は、地公法三二条、三五条に違反することは明らかであるが、さらに前記認定のとおり、控訴人らの行動は学校内において生徒の面前で一部生徒をも巻き込んでなされ、教育上、多大の悪影響を与えたことのほか、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び原審における控訴人原の本人尋問の結果によると、控訴人らの行動が新聞等の報道で父母や県民の知るところとなり、著しく教職の信用、名誉をも傷つけたことが認められるから、同法三三条にも違反するものである。

7  卒業式妨害行為(被控訴人の主張8の事実)について

二月一四日の職員会議で企画委員会が設置され、同月一八日には右委員会の構成が決められたこと、壺井教頭が同月二七日の職員会議で卒業式の式次第に関する修正案を提出したこと、浜田校長は同月二八日控訴人らに対し、同校長の決めた式次第のとおり卒業式を実施するようにとの職務命令を発し、右式次第を記載したプリントを生徒に配布するよう求めたが、控訴人らは、これを配布しなかったこと、三月一日午前六時ころ、控訴人成合が浜田校長に対し、同校長の右職務命令に従う旨の連絡をしたこと、卒業式の会場で生徒会長が卒業生にマイクで呼びかけていたこと、浜田校長が卒業式を中止し、会場から退出し、控訴人らが校長不在のまま卒業式を行ったことは、当事者間に争いがない。

<書証番号略>、原審証人浜田宣弘、同坂口鉄夫、同黒木正文の各証言、同一審原告斉藤、当審における控訴人吉野の各本人尋問の結果によれば、被控訴人の主張8の(一)及び(二)のその余の事実を認めることができ、原審における一審原告斉藤、当審における控訴人吉野の各本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分及び右認定に反する当審証人片山金兵衛の証言は、右各証拠に照らして措信し難く、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

ところで卒業式は、高等学校生活の締めくくりをつけ、これからの社会生活(あるいは上級の学校生活)のあり方を自覚させるとともに父母や広く地域住民の祝福する場に参加させることによって社会や国家への所属感を深めさせるところに、教育上の意義があり、この点に、重要な学校行事の一つとされるゆえんがある。

前記認定によると、結局、控訴人らが校長の職務命令に従わなかったため、在校生、父兄、来賓が列席する中で、卒業式のやり方をめぐって紛糾するという事態を生ぜしめたのであるから、控訴人らの行為は地公法三二条、三五条のほか、三三条にも違反するというべきである。

控訴人らは、校長は二月二七日の職員会議で決定した企画委員会の案で卒業式を実施する義務があると主張するが、前記認定によると、同日の職員会議では卒業式の式次第を決定するまでには至っていなかったのであり、また、職員会議の性格は、前記三で述べたとおり、校長が意思決定をするに際しての諮問機関的なものにすぎず、特別教育活動の一つである卒業式の式次第の決定権は本来校長にあるというべきであるから、浜田校長が右企画委員会の案で卒業式を実施することを拘束されるいわれはなく、同校長がこれに従う旨約したとの事実も認め難いので、控訴人の右主張は理由がない。

次に、控訴人らは、校長は同月二八日突如、卒業式の式次第を記載した文書を生徒に配布するよう指示して職務命令を発したが、これまでの経過から右職務命令は実施不能であったので、生徒の混乱を避けるため右文書を配布しなかった旨主張するので判断するに、前記認定の経過のほか、原審証人浜田宣弘の証言によると、浜田校長としては控訴人らや生徒の案に取るべきものがあれば取り入れるつもりで、企画委員会の設置を承認したが、控訴人らは企画委員会や職員会議において、学校の意思は最高議決機関である職員会議で決定され、校長もこれに従わなければならないとの独自の立場から、数において劣勢の校長や教頭の意見を取り入れることを拒否し、卒業式の式次第の中から校長の別れの言葉を不要としたばかりでなく、校長の承認がないのに、卒業証書をその授与権者である校長(学校教育法施行規則六五条、二八条、宮崎県立学校管理規則一一条)の手を経ずして全職員の手によって卒業生に渡すという、校長の立場を無視し、その権限を排除するかのような式次第で卒業式を強行しようとの態度を示したため、浜田校長としても最終的には職務命令を出さざるを得なかったこと、控訴人らとしてもそれまでの経過からして校長が企画委員会の案を到底受け入れないであろうことは十分予測していたこと、浜田校長は二月一九日、同月二七日には一審原告斉藤に従来の方式で実施したい旨主張したほか、同月二一日、同月二五日には一審原告斉藤、控訴人成合に対し、生徒にも右同様のことを伝えて指導するよう指示したが、同人らは全く取り合わず、式当日早朝になって電話で校長の意図するような卒業式を実施することになった旨連絡をとりながら、実際にはその方向に向けて生徒を指導するような措置を全くとらなかったことが認められるのであって、以上の経過からすると、控訴人らとしては卒業式の実施についてむしろ敢えて校長と対決する途を選んだというほかはなく、二月二八日の段階に至っては、もはや職務命令に従って生徒を指導するには相当の困難を伴う事態になっていたことは否めないところである。しかし、そのような状況に追い込んだ責任の大半は控訴人らにあるというべく、控訴人らとしては全力を挙げて職務命令に従った卒業式が実施できるように準備し、生徒を指導すべきであったのにこれを全くしなかったため、結果として従前の式次第による卒業式の実施を困難ならしめたのであるから、この点に、控訴人らに職務命令違反があるので、控訴人らの右主張は理由がない。なお、仮に、二月二八日の時点では、従前の式次第による卒業式の実施が不可能であったとしても、右職務命令が直ちに無効となるものではない(控訴人らが右の指導をしたが、結果的に整然とした形で卒業式が実施できなかったとしても、全く指導の努力をしなかったのとはおのずからその評価が異なることはいうまでもない。)。

控訴人らは、「二月二八日に、浜田校長が控訴人らに中身の説明のないまま生徒へのプリント配布を命令したため、中身がわからなければ配れないと言ったのみで、校長の命令を拒否したわけではない」旨主張する。

しかしながら、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、浜田校長は、二月二八日の暮礼時、職員に対して、「明日の卒業式は昨日の暮礼で申し上げた式次第でやって頂きたい。業務命令といたしますが、生徒へ徹底させるためのプリント(<書証番号略>)も用意して教頭の机の上にありますので、ホーム担任はそれをすぐに配布して下さい。」と指示命令したこと、右の次第で、右プリントは従前の式次第による卒業式の実施を求めることを内容とするものであることがうかがえたこと、これに対し、各ホームルーム担当のうち非組合員を除く控訴人中山(普通科1年B担任)、同甲斐(商業科1年S担任)、同成合(普通科2年A担任)、同原(普通科2年C担任)、同吉野(普通科3年C担任)、同竹下(商業科3年S担任)、一審原告斉藤(普通科4年A担任)、控訴人井上(商業科4年S担任)、訴外池田(普通科4年C担任)ら九名は、右命令を拒否して右プリントを配布しなかったことを認めることができる。右認定事実によれば、右控訴人らの右主張は理由がない。

8  生徒指導拒否行為(被控訴人の主張9の事実)について

(一)  生徒会活動に対する指導懈怠(同9(一)、(五)、(六)、(八)の事実)について

<書証番号略>、原審証人黒木正文、同松本淳、同浜田宣弘の各証言、原審における控訴人出口、同一審原告斉藤、同控訴人成合、同一審原告小野本の各本人尋問の結果を総合すれば、

(1)  クラブ活動、生徒会活動、ホームルームに対する指導(生活指導)は教育課程上特別教育活動の一つであるとされ(学校教育法施行規則五七条)、大宮第二高校の昭和四四年度の行事計画では、生徒総会は、四月に一回だけ開く予定であった。

(2)  七月一日以降、浜田校長が受け入れられた一〇月九日までの生徒総会(その実施状況については原判決別表III のとおり)では、独立問題・浜田校長への対応・県教育委員会への要求書提出・夏季休業中の独立問題への取り組み(具体的には街頭デモ、署名活動等の実施)・浜田校長受入れ等の議題が、生活指導部に属する教師立会いのもとに討議され、その決議に基づき生徒の一部と控訴人らが、生徒会活動として街頭デモ、署名活動等(その実施状況は原判決別表III の生徒総会の実施状況欄のとおり)を行った(九月七日の街頭デモについては当事者間に争いがない。)。これらの行動に伴ってビラや文書が生徒会によって作成され、生徒や一般市民に配布された。

(3)  一〇月三一日、一審原告小野本の「一一月二日にデモを行う。そのため、本日生徒総会を開きたい。」との提案に対し、浜田校長は「デモは認められない。そのための生徒総会は必要ではない。」と指示したが、一審原告小野本らはこれに従わず、三、四限目に生徒総会を行った(同9(五)の事実)。

一一月五日、職員会議において、文化祭の一環として街頭デモを行うことについて控訴人らと浜田校長との間で意見が対立し、校長は控訴人らに対し、文化祭でデモを行うのは勤務時間中であるので好ましくない旨指示した。

同控訴人らの要請で開催された同月七日の職員会議で、控訴人らがデモ行進の実施について採決を強行したため、浜田校長は勤務時間中のデモ参加は認められないと控訴人らに指示したが、同控訴人らはこれに従おうとせず、一方、生徒は同日の生徒総会(三、四限)においてデモ行進を全員参加の建前で実施することを決定した。

同月八日暮礼時、浜田校長が同控訴人らに対し、生徒に翌日予定のデモ行進を中止するよう指導されたい旨指示したが、同控訴人を含む控訴人ら数名はこれに反発し、生徒一四名とともに校長室に押しかけ、深夜に至るまで抗議した。同控訴人らは翌日、生徒(約一五〇名)とともに県庁前から学校までデモ行進を行った(同日のデモ行進の事実は当事者間に争いがない。同9(六)の事実。)。

(4)  一一月一五日、二二日の生徒総会では校名変更について討議がなされ、二三日、生徒は街頭で校名変更の署名活動を行った。一一月二七日、浜田校長は、職員に対し、「生徒会開催による教科授業の削減が心配されるので、その点を考慮して生徒指導されたい。」と指示したが、控訴人らは「これは校長の責任だ。校長がやれ。」と反発し、結局、同日三、四限には生徒総会が開催され、署名簿提出、陳情、デモ、校名問題等について討議された。また、一一月二八日には、ロングホームルーム(二限)、生徒総会(三、四限)でストライキ提案について討議されたが、右提案は否決された。一一月三〇日、生徒及び控訴人らは街頭デモを行った。

(5)  一二月五日、浜田校長は全職員、生徒代表二〇名とともに県教育委員会に独立問題について陳情を行った。一二月一三日、生徒総会では、控訴人ら及び生徒の一部は、浜田校長に対し、校名変更について県教育委員会、県教育委員長宅、県教育長宅に陳情に行くことを要求し、その後生徒の一部と控訴人らは深夜県教育委員長宅へ押しかけた。

一二月一五日浜田校長は控訴人らの一部とともに県教育委員会へ校名変更についての陳情を行った。同日浜田校長は二学期末テストが実施できないのであれば、授業を実施するよう指示したが、控訴人らはこれを拒否し、この日も校名変更、登校拒否について生徒総会(一ないし四限)が開かれた。一二月一六日、生徒総会において、控訴人らは生徒とともに知事への陳情行動を要求し、午後八時ころ、校長の制止を振り切って生徒(約一四〇名)とともに知事公舎へ赴いた。

(6)  一二月一七日、生徒総会(一、二限)では、校長に対し、開会中の県議会への陳情を要求され、浜田校長は右要求が適切でないこと、要求実現の手段として登校拒否は誤っていること等を説いたが、控訴人らは、浜田校長は県議会に対する働きかけが足りないと非難した。ロングホームルーム(三、四限)では登校拒否問題等について話し合われた。翌一八日、暮礼時、浜田校長は生活指導部においては生徒の登校拒否が行われないよう指導することを指示したところ、控訴人らは「校長が指導しなさいよ。我々はそんな指導はせん。責任は校長にあるんですよ。」等強く反発した。一二月一八日(一~四限)、一九日(二~四限)、二〇日(二、三限)に生徒総会が開かれ、総務委員会からの登校拒否提案について討議されたが、結局賛成五、反対一二八で否決された(同9の(八)の事実)。

(7)  一月八日、九日のホームルーム、生徒総会(ただし、定足数不足)において、生徒は、二月県議会での校名変更を実現するため、知事、県議会への陳情の取り付けを浜田校長に要求し、それが受け入れられない場合には一月一二日から同月一七日まで一週間の授業拒否を行うことを討議し、一〇日の生徒総会においてその旨浜田校長に申し入れた。一二日の生徒総会において、同校長の授業に専念するようにとの説得にもかかわらず、授業拒否提案が賛成一一六、反対八九(ただし、定足数不足)で可決された。その間、浜田校長は、控訴人らに対し、再三にわたり正規の授業が行われるよう生徒の指導を指示したが、一審原告小野本らは生徒と同様、浜田校長に知事・議会への陳情取り付けを要求し、右指示に従おうとはしなかった。

生徒は右決議に基づき一月一三日から一七日まで授業を拒否し、その間、控訴人らも授業の実施を放棄した。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

被控訴人は、生徒会活動は学校が教育目的のために定めた授業計画等と調和がとれるように行われるべきであり、まして生徒会活動として街頭デモ等の政治行動をすることは正常な生徒会活動から逸脱していることは明らかであると主張し、控訴人らは高校生にも政治活動の自由が保障されており、生徒会活動が逸脱しているかどうかは客観的状況を踏まえ慎重に判断すべきであり、当時の学校紛争の状況に鑑みると、一審原告小野本の生徒指導は適切であった旨主張する。

そこで、まず、右主張の対立点の一つである高校生の生徒会活動として政治的行動が許されるかという問題について検討する。この点について、教育基本法八条一項は「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」と定め、これを受けて学校教育法四二条三号は「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」を教育の目標として掲げているが、一方、教育基本法八条二項は、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と定めているところであって、これらの規定を参酌すると、未成年者を主な対象とする高等学校(なお、<書証番号略>によれば、大宮第二高校は定時制高校であるが、昭和四四年当時、生徒のうち、二〇歳未満の未成年者が六七・四パーセントであることを認めることができる。右事実によれば、大宮第二高校は、実質的にも、いまだ心身ともに発達の段階にある生徒が大部分であるということができる。)においては、生徒は、まず基礎的教科の学習によって、政治的教養を含む基礎的教養とそれに裏打ちされた健全な批判力を身につけることが期待される過程にあるのであるから、特別教育活動としての生徒会活動が生徒の学校生活の充実向上を図るための自治活動の範囲を超えて、政治的実践活動をも取り込むことは、政治的中立性のみならず教育効果の点からも、大いに疑問の存するところである。また、生徒総会において、街頭デモ等を決議し実施することは、決議に賛成しない生徒個々人の政治的自由を事実上侵害するおそれがあり、いずれにしろ政治的中立性の要求される公教育の性質に照らし妥当とはいい難いこと等からすると、生徒会における政治的実践活動は、特別教育活動の限界を超えるものとして許されないというべきである。

かような観点からすれば、本件における大宮第二高校の独立問題とそれに伴う生徒等の要求運動は、生徒の本質的な教育条件の改善のための行動というよりは、教育上の行政施策の要求する政治活動であって、定通併修反対や校名変更の要求にみられるとおり極めて政治性の強いものであって、生徒会活動として右要求運動を行うことは、たとえ、それが日曜日等の休日であっても、政治的中立性の観点及び教育的観点から妥当でないので、生活指導部長たる一審原告小野本としては、これを中止させるべく指導するのが相当であったということができる。

この点、<書証番号略>、原審証人黒木正文、同松本淳の各証言によれば、控訴人らは、六月末の生徒会のスト決議に対し、分会においてスト支援態勢について意思集約をなし、七月一日には、校長に解決の努力を迫りながら、一一月まで期限付の授業放棄を繰り返していく旨確認し、浜田校長の着任については、生徒と意見交換をしながら最終的には浜田校長を受け入れないということで意思統一をはかったこと、七月九日の職員集会においては、「独立問題解決のため、テストを直ちに放棄して生徒総会を行う姿勢を確立できる力量が生徒にあることが望ましいが、現実にはテストに入ることにより、闘いの体制を弱めることになる。」として、一学期末テストを中止し、七月一一日、一二日には、県教育委員会への独立問題に関する要求書を作成したうえ、七月一四日生徒とともに右要求書を提出したこと、また、控訴人らは、「夏休みに入れば、せっかく盛り上がった生徒の運動が沈滞してしまうので、何とか維持するために、夏休みに入っても週二回は登校させる。」ことを決め、同月二一日には、控訴人らの夏休み中の取り組みとしても週一回程度の街頭デモ行進、署名運動を行い、市民集会を開催し、県教育委員会へ再度回答を迫る等の運動を行うことを決定し、生徒とともに実施していったことが認められ、右認定事実に、前記(1) ないし(7) の事実を総合すれば、控訴人らは、七月一日以降、教育専門的見地から前記の諸点を配慮しつつ指導したというよりはむしろ生徒と一体となって、生徒の要求運動を支援し、生徒会活動としてのデモ行進等を自らの意図する方向に積極的に指導、助長していったものということができ、控訴人ら、特に生活指導部長である一審原告小野本の生徒会活動に対する対応は、著しく適切さを欠いたものといわざるを得ない。

さらに、生徒会、ホームルームで登校拒否、授業拒否、ストライキについて議題とした際の生徒指導の在り方について検討する。公教育における学校は、生徒の人間的成長を含む教育の目的達成のために一定の計画に基づき、多数人を対象とし、継続的に教育活動を行う社会的使命を担う施設であり、生徒はこのような教育施設に自己の教育を包括的に委託したものであることにかんがみると、生徒の在学関係は一面的な権利義務のみでは律し得ないのであって、生徒が学校の定めた計画に従って授業等を受けること、あるいはそのために登校することは、生徒の教育を受ける権利に属するとともに、学校が教育機関として機能するための不可欠の前提となる意味で義務とも目される側面を有し、また、反面、生徒の教育を受ける権利を実質的に保障する立場にある学校側からすると、生徒が登校拒否等をすることを、自から教育を受ける権利を放棄するものとして放置することは許されず、登校拒否等自体がまさしく生活指導の対象として教育的措置を必要とするところである。また、生徒会の意思として登校拒否等の決議をして、これを実施することは、これに反対する生徒の授業を受ける権利を侵害することにもなるのであるから、このことをも勘案すると、前記認定の校名変更の手段としてはもとより、その他、いかなる手段としても是認し得ないといわざるを得ない。

したがって、一審原告小野本としては、生徒会活動、ホームルーム等の活動についても、生活指導部長として、教育目的に沿った運営が行われるよう生徒を適切に指導すべく、校長から包括的職務命令を受けていたというべきであるから、右の登校拒否等の提案が生徒会において討議すべき事柄ではないことを指摘して、適切に指導する義務があったのに、一月八日以降の「授業拒否について」の生徒総会(集会)に対して、何ら指導をした形跡はないのである。

一方、前記(1) ないし(7) の事実のとおり、一審原告小野本が部長を務める生活指導部は、七月一日以降、独立問題を討議するため、年度当初に校長が定めた教育計画を無視し、また、校長の指示に反して、極めて多くの授業時間を変更して生徒総会等に充てており(<書証番号略>によれば、昭和四四年度においては、いわゆる独立問題の起こった六月末から翌年二月末までの授業予定日一二〇日余りのうち少なくとも五〇回以上生徒総会が開かれていることが認められる。)、その結果、原審証人浜田宣弘の証言によれば、当時高等学校において学習指導要領に示された一単位当たり年内授業時数三五時間を確保できなくなり、生徒は、年間の教科の授業時数が足りなくなり、卒業認定に当たり、やむを得ず、救済措置として、特別教育活動を便宜的に教科の単位認定に充てたことが認められるのであって、これは、授業を希望する生徒の側からみれば、年度当初に定められた教育課程に従って教育を受けるという基本的な利益を一審原告小野本らの生活指導により特別教育活動の名のもとに不当に奪われたことを意味するものである。

以上によれば、一審原告小野本の生徒会活動に対する指導は、内容的に特別教育活動としての限界を著しく超え、また、過度に生徒会活動を実施した結果、生徒の諸教科を学習する権利を侵害したものとして著しく不当であり、生活指導部長としての職務に明らかに違反したということができる。

(二)  ホームルーム活動等の指導懈怠(同9(二)の事実)について

<書証番号略>、原審における一審原告小野本、同斉藤の各本人尋問の結果及び前記(一)(1) ないし(7) 認定の事実によれば、ホームルーム活動も生活指導部の担当のもとに実施されることとされているところ、前記生徒総会の前後等に、生徒総会と同様の議題で、校長の指示によらないで、多くの授業時間を変更して実施していることが認められ、前記(一)と同様、一審原告小野本は、生活指導部長としての職務に違反したというべきである。もっとも、新聞局活動、ビラ等の文書の配布については、被控訴人主張の新聞局発行の各新聞やビラ等は、<書証番号略>によれば、その内容は主観的な記述が多く、また、過激でいささか適切を欠く点がみられるが、右の新聞等の作成・配布は、特別教育活動の観点から評価するとき、総じていえば独立問題等の経過についての事実の報道とそれをめぐる関係者の意見を掲載したものであることが認められ、特定の人物の名誉を毀損するような内容とまではいい難く、生徒会といえ、自己の意思を外部に表現すること自体はそれ相応に尊重されるべきであるので、その表現の中に多少政治的な表現がみられ、過激なものとなって適切さを欠く点が認められるとしても、生活指導上特に是正を要するほどのものではない。したがって、この点については、一審原告小野本に生活指導上の職務違反があったということはできない。

(三)  浜田校長の指示命令に従わなかった事実(同9(三)ないし(一〇)の事実)について

<書証番号略>、原審証人浜田の証言及び原審における一審原告小野本本人尋問の結果によると、被控訴人の主張9(三)の事実を認めることができる。右認定の状況からすると、生活指導部長である一審原告小野本としては、浜田校長が適切な生徒指導について注意を喚起するため、その場に残るよう指示したことを知りながら、これを無視して校長室から退室したことが推認されるから、これは生徒指導に関する指示・命令違反事由としてとらえることができる。

被控訴人主張9(五)、(六)、(八)の事実については前記(一)に認定したとおりであり、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言を総合すれば、同9(四)、(七)、(九)、(一〇)の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右認定事実によれば、一審原告小野本は、浜田校長の生徒指導に関する各指示命令に違反したということができる。

控訴人らは、浜田校長の生活指導についての右各指示命令は、教育の内的事項に対する不当な干渉であり、違法であると主張するが、右の各指示命令は、既に述べたところから明らかなように、その性質上、いずれもこれを発することが許容されるべき職務命令であって、何ら違法というべきものはない。

控訴人らは、生徒指導拒否行為について、被控訴人原審準備書面(一)は、一審原告小野本が生活指導部長としての職務を放棄し、もって学校の正常な運営を妨害した事実を主張するが、その主張自体極めて抽象的で具体的な指導拒否の事実は全く指摘されていないのに対し、原判決の事実摘示は甚だしく具体的かつ詳細なものとなっていると主張する。

しかしながら、原判決の事実摘示は、被控訴人主張の処分事由、これを具体的に述べたものとしての被控訴人原審準備書面(一)、同最終準備書面(一)、(二)を基礎とするものであって、右の処分事由と右各準備書面の主張との間には基本的に同一性が存するところ、原判決が右主張事実に従って一審原告小野本の各態様の生活指導拒否行為を認定したことは何ら違法不当なものではないということができる。

控訴人らは、一審原告小野本の生徒会活動及びホームルーム活動等に対する指導懈怠は、校長の指示命令を伴わないものであるから生徒指導拒否行為という処分理由には該当しないし、被控訴人も一貫してこれを処分理由としていない、にもかかわらず、原判決が右の点をも含めて処分事由を認定したのは違法であると主張する。

しかしながら、一審原告小野本の処分事由である「生徒指導拒否行為」の内容については、訴状別表第二9の記載のとおり「大宮第二高等学校の生活指導部長としての職責を有しながら、生活指導に関する校長の指示に従わず学校の正常な運営を阻害した。」ということであって、右は、「校長の指示」の内容について、被控訴人において、個々具体的な校長の指示命令違反行為のみに処分事由を限定しているわけではないというべきである。なお、この点一審原告小野本は、そもそも生活指導部長として、特別教育活動としての生徒会活動及びホームルーム活動等を、校長の定めた教育計画等に従い、教育目的に沿った運営が行われるよう生徒を適切に指導すべく校長の包括的職務命令を受けていたというべきであるから、校長の個々具体的な職務命令の有無にかかわらず、その職務を懈怠する行為は、生徒指導に関する校長の指示命令に違反した行為、即ち、生徒指導を拒否した行為と評価できるのであるから、控訴人らの右主張はいずれにしても理由がないというべきである。

次に、控訴人らは、控訴人らの生徒指導の実態について、大宮第二高校独立に伴う生徒の教育条件の重大な変化、不利益に対する生徒の要求に対し、控訴人らは教育的視点から解決しようと努力しようとしただけである旨主張する。

しかしながら、大宮第二高校の分離独立は、前記認定のとおり生徒らの教育条件の整備充実の目的を実現するものでこそあれ、分離独立後教育条件で特に生徒に不利益に変更された点はないというべきであるから、控訴人の右主張は、その前提において理由がない。

また、控訴人らは、「ホームルーム活動についての指導は、担任教師によって行われており、生活指導部長の権限ではないから、一審原告小野本には生活指導部長としての職務違反の生ずる余地はない」旨主張する。

しかしながら、<書証番号略>、原審証人黒木正文の証言及び弁論の全趣旨によれば、ホームルーム活動についての指導は、生活指導部の校務分掌であること、その開催に当たっては、生徒は、一審原告小野本が部長をつとめる生活指導部の了解を取った上で行われていること、また、生活指導部長のホームルーム活動についての職責は、生徒指導に関する校内組織の責任者として、担任教師等によるホームルーム活動の運営が、教育目的に即し、計画的、組織的に行われるよう担任教師その他の関係の組織の教師に対して指導助言を行うことにあることが認められ、右事実によれば、一審原告小野本は、年度当初に校長が定めた教育計画、行事予定表等に従い、ホームルーム活動が適切に運営されるよう担任教師等に対し指導助言を行う職責を有していたにかかわらず、前記認定のとおりこれをなさなかったのであるから、その職務懈怠は明らかであり、控訴人らの右主張は理由がない。

次に、控訴人らは、「生徒会の要求内容は、生徒の直接の教育条件にかかわる問題であって、生徒会が自主的に県教育委員会や県議会に対する要求の実現を求めて、街頭デモ、署名運動、、県教委への陳情等の行動をとることは、生徒の表現の自由ないし生徒の教育上の権利に属し是認すべきであるから、教師がこれを中止ないし禁止する必要もないし、教師が生徒会の考え方に同調し、生徒と一緒にこれらの行動に参加した行為も非違行為ではない」旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、生徒会の要求内容は、生徒の直接の教育条件とは無関係の政治的事項にかかわるものであって、その目的実現のため、生徒会が街頭デモ、署名運動、県教育委員会への陳情等の行動をとることは、生徒会としての正常な活動の限界を超えた行動であって、教育的にみても、不適切なものであるから、生活指導部長としての一審原告小野本は、これを中止等指導すべきであったのであるから、控訴人らの右主張は理由がない。

控訴人らは、昭和四四年一一月二八日と同四五年一月一四日の一審原告小野本の校長の指示命令違反行為について、校長の指示命令に出されていないので、指示命令違反を処分事由として認定することはできないと主張する。

しかしながら、昭和四四年一一月二八日の件については、本来、一審原告小野本は、生活指導部長としての職責から生徒を適切に指導すべきことを包括的に校長から指示命令されていたというべきであるから、生徒の校長に対する暴力行為に対して、生徒に注意を促し、あるいはそれを制止するのが生活指導部長として当然になすべき職務であったというべきところ、前記認定のとおり一審原告小野本は、生徒の校長に対する暴力行為に対して、これを制止等しなかったばかりか、むしろ生徒の乱暴を慫慂するかのごとき態度をとったのであるから、一審原告小野本の右職務を懈怠する行為は、右指示命令に違反する行為というべきであるので、控訴人らの右主張は理由がない。

また、昭和四五年一月一四日の件についても、前記認定によれば、一審原告小野本は、校長の授業実施命令等にかかわらず、授業を受けるよう生徒を適切に指導するどころか、自らの授業も放棄し、さらに授業を受けている生徒に対し、授業を妨害し、校長に無断で開催されている生徒集会に出席するよう強制までしているのであるから、一審原告小野本が生活指導部長として校長の右指示命令に違反したことは明らかである。

以上によると、一審原告小野本の行為が地公法三二条、三五条に違反することは明らかである。

五  裁量権の濫用

公務員に対する懲戒処分については、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか、を決定することができるものと考えられるのであるが、その判断は、右のような広範な事情を総合的に考慮してされるものである以上、平素から庁内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝に当たる者の裁量に任せるのでなければ、到底適切な結果を期待することができないものといわなければならない。そして、裁判所が右の処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである。

右の理は、本件のごとき教育公務員に対する懲戒処分についての司法審査においても妥当するものである。

そこで、右観点から、本件各処分が裁量権を濫用したといえるか否かについて検討する。

福井校長辞任に至る学内の混乱の原因については、本件各処分に当たって考慮すべき事情の一つであるが、この点について、当事者は互いに相手に非がある旨主張するので、以下、検討を加える。

1  学内混乱に対する控訴人らの責任の有無

前記二(本件紛争の経緯-浜田校長着任まで-)の事実及び原審証人福井宗兵衛の証言によれば、控訴人らが、福井校長と激しく対立した根本の原因は、独立問題に対し、大宮第二高校発足に当たっては、生徒にその意図するところを理解してもらうとの立場で生徒指導を主張する福井校長と、生徒の疑問、要求を実現する方向に積極的にこれを指導助言等する控訴人らとの意見対立にあったものであるところ、独立問題は、当初生徒の一部(4A)から提起された独立に関する疑問・不満が生徒会で討議され、他の生徒の間に広がりをみせるなかで、独立に伴う定通併修構想導入反対等へと発展し、県教育委員会に対する来校説明を要求して、全学ストを決議するにまで至ったものであり、それは一部生徒の自主的な行動であると認められるものの、その過程で、前記認定のとおり、六月上旬以降、生徒指導の方針が全校的に統一されていない状況のもとで、生徒の要求を支持する態度を生徒総会における校長への質問等で明らかにし、校長の承認のないまま職員会議の生徒傍聴を許し、職員内部の対立状況を生徒の目前に曝した結果、生徒に校長への不信感を生じさせ、独立問題の動向に少なからぬ影響を与えたこと、また、本来、職員会議は、教師が教育専門家として主体性をもって教育事項等につき討議する場であるのに、これをあらかじめ分会の討議事項に取り上げ、組合員内部の少数意見を多数意見に統合して職員会議に臨み、数の優位と職員会議の最高議決機関性の考え方の下、これを強力な挺子として、校長と全面的に対峙するという行動をとったため、教育の場をいわば政治闘争の場としたため、職員会議の調整機能を失わしめ、更には、生徒に職員会議を傍聴させ、職員会議の開催を不能ならしめるなどして、福井校長の責任ある学校運営を著しく困難にさせたものであって、この点、控訴人らは生徒を自らの意図する方向に煽ったと評価することも不可能ではない。したがって、この点の控訴人らの責任は重大であるといわざるを得ない。

2  強制転校の違法性と県教育委員会等の対応の問題性について

控訴人らは、大宮第二高校の分離・独立は生徒の強制転校を伴うものであって違法であるとしたうえで、独立問題に対する県教育委員会ないし福井校長の対応には問題があったと主張する。

大宮第二高校の分離・独立は、前記認定のとおり、宮崎県議会の昭和四四年三月二九日の条例改正による大宮第二高校の設置と、被控訴人教育委員会が、同年四月一日、大宮高校定時制課程の在学生を大宮第二高校への全員転校させた措置の二つからなるところ、以下この点につき、生徒らの同意なくしてなしうるか否かについて検討する。

そこで、まず、高校生の在学関係についてみるに、

国立又は公立学校の学生生徒の在学関係は、入学の許可により公の営造物たる学校の施設、設備を利用する関係が形成されるのであって、右は、公法上の営造物利用関係として特別権力関係に属するというべきところ、右学校の設置者(本件においては、宮崎県)は、公教育の目的を達成するために必要があると認められる場合には、法令上の根拠がなくても一方的に内部規律を制定し、具体的な指示命令を発して生徒を規律することができる自律的、包括的権限を有しているのである。ところで、高等学校は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律三〇条の規定に基づき学校教育法四一条に定める目的を実現するものとして地方公共団体が設置する教育機関であり、その設置、廃止、名称、位置は、条例により定められている(地方自治法二四四条の二)ところであり、設置者は、その一環として、公教育としての高等学校教育の目的を達成するために、あるいは一定の教育水準の確保を図るために、総合的かつ長期的な計画のもとに教育内容や教育環境の問題、生徒の通学条件、財政的事情等諸般の事情を総合的に勘案のうえ、最終的に議会による条例の改正を経て高等学校の分離独立を実施に移すことができるというべきところ、右は、その性質上、高度の教育的ないし専門的、技術的判断を必要とする組織的行為というべきものであるから、その包括的権限に基づき、個々の生徒の事前の了解を得ることなく、一方的に、しかも、全体的かつ画一的に右実施を決定することができるというべきである。

憲法が保障する国民の教育を受ける権利自体から、設置者と生徒とが対等の権利義務関係に立つものと立論することはできない。

なお、控訴人らは、学校教育法施行規則六一条の規定により生徒を転学させる場合には生徒の志望が必須条件とされているとするが、同規定は、生徒自身の側の理由(例えば保護者の転勤等)により他の高等学校に転学する場合の手続を定めた規定であり、設置者の行う高等学校の分離独立に伴う生徒の転学とはその性質を異にするものである。したがって、右規定の存在を根拠に、本件分離独立につき生徒の同意を要するということはできない。

前記認定のとおり大宮高校定時制の生徒につき、独立校たる大宮第二高校への全員移籍(転校)の方法がとられたものであるところ、この点、控訴人らは、各年ごとに段階的に移籍させる、いわゆる年次移行の方法によるのが相当であったと主張するが、右の年次移行の方法をとるためには、その性質上、独立時に、既に校舎が完備されている必要があるが、前記認定のとおり、大宮第二高校については定通モデル校の指定を受けたうえで、独立校舎の建設を行う計画の下に準備を進めていた(なお、このこと自体、<書証番号略>によれば、何ら合理性を欠くものでないことを認めることができる。)ものであって、右の点からも、大宮第二高校の独立に当たり年次移行方式をとることはできなかったし、また、<書証番号略>によれば、昭和四四年度当初の大宮第二高校の生徒数は五二五名であって、年次移行方式をとれば、同校を定通モデル校として文部省から指定を受ける際の条件である定時制生徒の総定員が四八〇名という条件(この点は、<書証番号略>により認めることができる。)を満たさなくなり、このことは、延いては独立校舎の建設もより困難となる可能性があったことが認められるのであるから、右の年次移行の方式をとらなかったからといって、独立の方法に問題があったということはできない。

また、前記認定のとおり大宮第二高校の分離・独立に当たり、その事前の説明等に不十分な点があったとはいえないし、また、右の分離独立は、生徒の教育条件の整備・充実を図ることを目的としているもので、合理性を有するものであるところ、これにより生徒が教育条件等につき不利益を受けたとの事実は認められない。

この点につき、控訴人らは、「大宮第二高校の分離・独立は形だけのものであったから、校舎その他の学校設備は大宮高校夜間部当時と同じく全日制生徒との共用であった。しかし、分離・独立後は午後五時半以降、校舎、運動場、体育館の管理権が大宮第二高校に移るといわれながら、実際には大宮高校の生徒がいつまでも使用していたり、特に大宮高校野球部は練習のため運動場を占拠して夜間部生徒に使用させない状況が起こってきた。体育館を明け渡さないために体育の授業にも支障が生ずることがあった。授業中に大宮高校生徒らの所かまわぬ高笑いが聞えたり、授業中に鞄を忘れた者が教室に立入って授業を中断させていた。分離・独立前は全日制と定時制との教育課程の違いこそあれ、同じ大宮高校在学生の行為であるからと我慢できたことが、分離・独立後には間借り生活の身だからと劣等感、屈辱感に悩みながらの学習条件は従前より悪化したものと捉えられていた。明らかに生徒らの教育環境は不良となったもので、教育条件改善の情況はなかった。同じ校舎、同じ施設のままだから教育条件で生徒に不利益に変更されていないというのは形式論である。また、生徒にとって校名が変更されたことに対する不満、不利益は形式論では解消し得ない重大な意味をもっているのである。」などと主張するが、仮に、右のとおりとしても、右は基本的には従前においても同様の事実が存したというべき問題であるし、また、過渡的かつ派生的な現象であってさして問題とするに足りない。控訴人らは、大宮第二高校の分離独立は、定通併修構想の本質において非教育的であると主張しながら、本件において、右の点に格別問題等の存した事実を認めることはできない。

したがって、大宮第二高校の分離・独立とこの点についての県教育委員会等の対応には何ら違法・不当というべきものはない。

3  以下、個々の処分事由につき必要な限りで、裁量に当たって考慮すべき事情の有無を検討する。

(一)  浜田校長等排斥行為について

控訴人らが浜田校長の受け入れの手続について種々要求し、その着任を拒んできた理由は、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言、原審における一審原告小野本の本人尋問の結果及び前記経過からすると、福井校長が職務を放棄し、その後の混乱を招いたとして同校長、県教育委員会の責任者を生徒、教師らの前に出させ、その責任を追及することにあったと考えられるが、控訴人らには、被控訴人により浜田校長が正式に発令された以上、これを受け入れないなどという権限は一切存しないし、また、右受け入れに当たって、条件を提示する権限などもない。そもそも、福井校長が辞任するに至ったについては、前記のとおりその責任が控訴人らにあることを考えると、右のごとき要求をすることは到底許されるものでないことは明らかである。なお、この点について、控訴人らは、浜田校長が、七月三日、控訴人らの要求に対して努力する旨約したにもかかわらず、何らの努力もしなかったのであって、この浜田校長の背信的行為が尾を引いてその後の着任拒否が継続された旨主張するが、右は着任拒否ないしその行為を継続することの正当理由とはならないし、また、このうち浜田校長が努力する旨約した点については一審原告小野本は、これに沿う供述をするが、その余の点は、控訴人らが作成した<書証番号略>に徴してもこれを認めるに足りるものはなく、右主張は採用できない。また、着任拒否の結果、控訴人らにおいて自主的に学校運営を行い、教師の生徒指導という枠を超えて、生徒と一体になって要求運動を行ったその後の経過をみると、右着任拒否は要求運動遂行のための口実といわざるをえず、特に、控訴人らが前記のとおり授業、テストを実施せず、むしろ生徒の活動を煽動するがごとき行動をとったことや、校長や教頭のみが、後述するように控訴人ら分会員と意見を異にする三教師を職員会議から排除するなどしたことは到底許容されるべきものではない。福井校長の辞任後、その後任として浜田校長が就任したのであるから、学内の混乱の解消は、困難を伴うとはいえ、右校長等による自治的解決に委ねるのが相当であって、この点、県教育委員会が直ちに、教育現場の前面に出て、右事態の解決を図るのは決して妥当なものではなく、これまでに認定の控訴人らの従前からの態度等に照らすとき、かえって、いたずらに対立と混乱を深めるのみであったと推認されるところである。したがって、県教育委員会が浜田校長等の着任拒否による前記混乱に対し、学内正常化のため昭和四四年一〇月上旬まで動き出さなかったことも、その対応として妥当性を欠くというべきものではない。

(二)  校務分掌業務拒否、授業放棄、校長室不法占拠行為について

これらの処分事由は、いずれも、控訴人らと浜田校長との間で、一部生徒や控訴人らの要求に対する対応をめぐって対立し、控訴人らが浜田校長が右要求を受け入れようとしないことに反発し、あるいは、その要求を貫徹する過程でなされたものである。控訴人らは、このような行動に出たのは浜田校長の職員会議の結果を尊重せず、生徒らの要求を押さえ込もうとする強硬な態度に原因があった旨主張するが、控訴人らの要求内容は、独立問題の要求運動や校名変更につき県議会や知事への陳情に浜田校長が協力することを求めるなど、明らかに、校長に対しその職務外のことを求めるものであって、そもそも、かかる要求をすることは許されないものであるので、これに対し、浜田校長が拒否したのは当然というべきである。したがって、責められるべきは控訴人らであって、同校長の対応に問題があったということはできない。

(三)  卒業式妨害行為について

原審証人浜田宣弘の証言によると、浜田校長は、二月二二、三日には既に式次第を記載したプリントを印刷していたことが認められるが、原審証人浜田宣弘の証言によれば、浜田校長は、従前の式次第による卒業式を念頭におきながらも、企画委員会の案を一部取り入れてもよいと考え、職員会議でその調整をはかろうとしたために、右印刷物の配布を先送りにしたことが窺われるが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言によれば、浜田校長は、自ら又は教頭を介して、控訴人らに対し、既に二月一九日の暮礼時や、二月二〇日の卒業式企画委員会の席上や、二月二一日、二月二七日の各暮礼時にも従前の式次第に従って卒業式を実施してもらいたい旨伝えているのであって、結果として、右式次第を印刷したプリントの配布が卒業式の前日となったとしても、これを非難するに当たらないというべきである。

4  福井校長・重信教頭・三教師との平等原則違反について

控訴人らは、本件の一連の過程で最も重要な職務違反を犯した福井校長と重信教頭には何らの処分はなく、また、控訴人らと夏休み中まで行動を共にした松本、永峯、植野の三教師に対しても何の処分もないと主張する。

(一)  福井校長、重信教頭の辞職について

福井校長、重信教頭の辞職は、前記二の本件紛争の経緯から明らかなように、福井校長は、独立問題をめぐる生徒らの要求への対応について控訴人らとその指導等の方針が対立する中で、控訴人らが数の優位と職員会議の最高議決機関性の考え方の下、これを挺子として校長と全面的に対峙し、校長の承認のないまま生徒傍聴を許して職員会議の続行を不可能ならしめるなどしたため、教師との信頼関係を喪失し、また、本来、学校内で教職員が一致協力して処理すべき生徒指導につき、高教組を通じて生徒の要求(県教育委員会の来校説明)の実現を図るなどしたため、福井校長と重信教頭は、今や、交渉のテーブルが高教組と県教育委員会との間に移り、もはや、自らの力では、学校運営の責任を果たし得ないと判断して辞職を決意するに至ったものであって、その経緯からみて、福井校長らの辞職は、結局は、控訴人らの行動によってもたらされたものであり、控訴人らにおいて同校長らの辞職を職務放棄と非難すべき筋合のものではない。したがって、福井校長、重信教頭には、何らの職務違反も認められないので、控訴人らの右主張は理由がない。

(二)  三教師について

<書証番号略>、原審証人松本淳、同浜田宣弘の各証言によると、浜田校長着任後、三教師は、事務引継ぎないし福井前校長の紹介がないから浜田校長の着任を認めないという控訴人らの主張に反対していたが、七月八日の職員集会で、控訴人らにより「浜田校長を認めないということを非組合員である三教師に申し入れさせ、申し入れの状況は分会員が後ろから監視する。」ということをその反対にもかかわらず決議、強要され、さらに、七月一一日の職員集会でも控訴人らにより非組合員が県教育委員会に対する要求書を作成することや取り付け交渉に行くことを一方的に決定、強要された。また、福井校長辞任後、連日のように開かれた職員集会において、三教師は、控訴人ら分会員から「なぜ組合に入らないのか、組合に入らなくてどうやって生徒たちの要求を貫徹できるのだ。」という激しい追及を受け、また、控訴人らの職員会議を最高議決機関として認めろという議論についてこれを認めようとしないため、年休をとって家にいると「職員会議を今やっているから出て来い、出て来なければ生徒に授業をボイコットさせるぞ。」ということで連れ出されたり、「馬鹿殿に馬鹿家来ではないか。」とか、「権力の犬、バカ死ね、人間じゃない。」などと罵詈雑言を浴びせられ、連日つるし上げを受けていた。七月一九日の職員集会において、三教師は、学校における最終決定権は校長にあるという点はどうしても譲れないとしたため、職員会議の最高議決機関性をめぐる議論に終始して、議事が進行しないことから、控訴人らから「君たちは大宮第二高校の職員としては認められない。」ということで、結局職員会議に対する自分の考えを文章にし、それに署名、押印のうえ、職員会議から出ていけということを決議されて、三教師は職員会議及び暮礼の場から追放され、職員室にも入れない状態になった。

以上の事実が認められる。右認定に反する原審における一審原告小野本、同控訴人成合の各本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らし採用できない。

右認定事実によると、三教師らが、控訴人らの浜田校長排斥行為に加担したものでないことは明らかである。

なお、控訴人らは、三教師は生徒指導の方針や指導の仕方について常に控訴人らに同調していた旨主張する。たしかに、<書証番号略>原審証人松本淳の証言によれば、三教師らは、七月一九日までの間、浜田校長を排除した職員集会に参加し、一学期末テストの中止や、県教育委員会に対する要求書提出に賛成したことは認められるところではあるが、原審証人松本淳は、控訴人らとは、主張に対立があるものの、独立問題は生徒からの要求でもあり、生徒を抱える立場としては、何とか控訴人らと協調してやって行かなければならず、この時期は非常に教師として苦しんだ旨供述しており、前記認定事実に照らして考えれば、右供述内容は当時の三教師の心境として理解できるところであって、このような当時の三教師の置かれた立場からすれば、三教師が一時期、結果として控訴人らと同一の行動をとったとしても、その立場上やむを得ず右行動に及んだと推認できるので、右の点をもって生徒指導等の方針について控訴人らに同調していたと断じるのは相当ではない。

なお、控訴人らは、植野教諭は、校長より卒業式について進行係を命ぜられながら、その予行練習に際してこれをなすための何らの努力もせず、また、卒業式当日も何もせず、命ぜられた進行係としての職責を果たさなかったにもかかわらず何らの処分を受けていないのは、平等原則に反すると主張するが、<書証番号略>、原審証人浜田宣弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、植野教諭は、基本的には、浜田校長の意図する従前の式次第による卒業式の実施に向けて同校長に協力していたことを認めることができる。しかしながら、前記四の7認定のとおり浜田校長が二月二八日付けで、従前の式次第による卒業式を実施するため、控訴人らに対し、その趣旨を徹底させるため作成したプリントを生徒に配布するよう命じたのに対し、これを拒否し、卒業式当日の三月一日も、従前の式次第に従った卒業式が実施できるよう協力を求めたのに対し、これに従わず、数の優位により、右式次第による卒業式の挙行を不可能ならしめたのであって、右認定の経緯にかんがみるとき、植野教諭は、進行係を務める意思を有しながらも、その役割を遂行する余地はなかったものと認めることができるので、この点につき、植野教諭が非難されるべき余地はない。この点の控訴人らの右主張は理由がない。

以上のとおり、三教師には処分事由として評価できるような職務違反事実は認められないのであるから、控訴人らの平等原則違反の主張は採用できない。また、三教師に職務違反が認められない以上、控訴人らに対する処分は控訴人らが組合に属することを実質的な理由とするものであるとする他事考慮の主張も理由がないことに帰する。

5  比例原則違反について

控訴人らは、被控訴人が本件において処分の有無、程度を決するに当たっては控訴人らの行動に至る経緯、その動機、校長や被控訴人の行為との比較、生徒の動向などを考慮しつつこれを決定すべきところ、本件各処分は、控訴人らの行為に対する感情的報復としてなされたもので、それは停職、減給という極めて苛酷なものであって、行為に対する処分としては余りに重く、比例原則に違反すると主張するが、既に判示したところから明らかなとおり、控訴人らの行動がやむを得ずなされたとは到底認め難く、生徒の行動等に対する各校長の対応や被控訴人の措置は相当であって、格別非難されるべき余地はない。また、本件各処分が控訴人らの行為に対する感情的報復というべき根拠はない。そして、本件各処分が控訴人ら各自の行為の違法性の程度を逸脱した苛酷なものというべき根拠もない。

6  まとめ

そもそも、本件独立問題は、被控訴人が生徒の就学条件の改善充実のため定通モデル校としての文部省指定を受け、国庫補助事業として独立校舎の建設を進めようとしたのに対し、独立当初に生徒の本件独立についての素朴な疑問が生じたことはあったものの、控訴人らは、その後、定通モデル校制度、定通併修構想といった高度に専門的な教育上の施策に対し、その合目的的性に理解を示さず殊更に控訴人らの独自の見解を持ち込み、右制度の趣旨を曲解し、いたずらに一部生徒の不安を助長し、昭和四四年六月以降一貫して定通併修反対の立場から県単独事業での夜間部単独の校舎建設を求め続け、要求実現のためには手段も選ばないという強硬な姿勢と実力行使に終始したため、長期にわたる学校内の混乱を招いたものである。これにより、学校の教育の現場としての静謐を害し、学内の混乱を招いたことは明らかであって、各控訴人らの前記認定の各処分事由にかんがみるとき(なお、前記のとおり各控訴人らのうち一部については被控訴人主張の処分事由を一部認めることができないものがあるので、この点を考慮しても、)、控訴人らの責任は重大であるので、本件各処分は極めて当然の措置というべきである。この点、被控訴人の懲戒権の行使につき、裁量権の範囲を超えた違法があるというべき余地はない。

六  結論

よって、控訴人らの各請求はいずれも理由がない(なお、控訴人らは、本件において、その他るる主張するが、これらは既に判示したところから理由がないことが明らかであるか、それ自体失当であることが明らかなものである。)のでこれを棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないので失当としていずれも棄却し、控訴費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、九三条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鐘尾彰文 裁判官 中路義彦 裁判官 郷俊介)

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