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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和55年(ラ)1号 決定 1980年3月24日

抗告人 江島光男

相手方 江島キヨ

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由

別紙記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

抗告人は、抗告人及び相手方の父江島守が、遺言により、守の死亡時における財産中、特定の不動産を相手方の相続分とし、その余の財産は包括的にこれを抗告人の相続分としたものであるから、右死亡時における財産に含まれ、且つ右特定の不動産に当たらない「江島カネの遺産の三分の一を相続した守の相続分」は、当然、右遺言により、抗告人が全部これを相続し、結局、抗告人はカネの遺産に対し三分の二の相続分を有するものである趣旨の主張をする。

そこで、まず、この点について按ずるに、一件記録によれば、抗告人及び相手方の父江島守(明治三〇年一一月一九日生)は、昭和四〇年三月九日、公正証書による遺言(以下「本件遺言」という。)により、守所有の財産につき、宮崎県東諸県郡○○町○○○○字○○××××番田一反三畝四歩ほか一二筆の不動産は相手方の、右以外の不動産並びに動産は全部抗告人の、各相続分とし、相手方は右相続分のほかに自己の相続権を主張することができない旨の、相続分の指定を伴う遺産分割の方法を指定するとともに、抗告人夫婦は江島カネ(守の妻で、抗告人及び相手方の母。明治三三年二月二五日生)に孝養を晝すべき旨を命じていること等が認められる。しかして、遺言は、その文字のみに拘泥することなく、遺言者の個人的事情、遺言当時の状況等をも斟酌して、遺言者の真意を探究し、これを合理的に解釈すべきものであるところ、一件記録によれば、守は、本件遺言当時、カネは健在であつたので、同女が自己よりも先に死亡し、守がカネの遺産を相続するような事態は勿論、守の年齢(当時六七歳)及び職業(農業)等からして、将来即ち同人の死亡するまで更に自分の財産(特に不動産)が増加するものとは全く想像していなかつたことが推認されるから、右事実に守が同人の死亡後もカネの健在を予想して、抗告人夫婦にカネに対する孝養を命じた本件遺言の趣旨を併せ考えると、本件遺言の対象となつた守の財産(特に不動産)は、右遺言当時守の所有であつたものに限られ、その後守の取得した財産、即ちカネの死亡により守が相続人として取得した財産(相続分)については、本件遺言による処分の対象外であつたものと解するのが相当である。

ところで、一件記録によれば、カネは昭和四九年一月一日原審末尾添付の目録1ないし6記載の遺産(不動産)を遺して死亡し、同日相続人である守、抗告人及び相手方がそれぞれ三分の一の割合で右カネの遺産を相続したこと、その後、守は昭和五二年七月八日死亡したこと並びに守の相続人は抗告人と相手方のみであることが認められる。抗告人も主張するとおり、遺言者は、何時でも、遺言の方式に従つてその遺言の全部又は一部を取り消すことができるものであるが、カネの死亡により守が相続した右三分の一の相続分については、前示のとおり本件遺言による処分の対象となつていなかつたものであるから、守においてカネの死亡後、右相続により取得した相続分につき、改めて遺贈又は遺産分割方法ないし相続分の指定等の処分をしない限り、守が取得した前示三分の一の相続分は、守の死亡により、更に同人の相続人である抗告人及び相手方に、法定相続分に従つて、それぞれ、その二分の一が相続されるものといわなければならない。そして、本件全資料によるも、カネの相続開始後守の死亡までの間に、守が前示三分の一の自己の相続分につき、右遺贈等特別の処分をした事実は遂にこれを認めることができない。

そうとすれば、抗告人の前記主張は、既にその前提において理由がないこと明らかであるから、到底採用できないものというの外ない。

したがつて、カネの遺産に対する相続分は、結局、抗告人及び相手方とも、各二分の一であることを前提として、右遺産の分割をした原審判は相当である。そして、一件記録を精査しても、他に原審判を取り消すべき事由はみあたらない。

よつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 古川純一 裁判官 松信尚章 西川賢二)

抗告理由書<省略>

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