大判例

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福岡高等裁判所 昭和54年(う)136号 判決 1981年5月27日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

<前略>

所論は、要するに、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ならびに法令適用の誤りがあるから、原判決は破棄を免れないというのである。しかし、原判決のかかげる証拠を総合すれば、原判示各事実を優に認めることができ、所論にかんがみ記録および証拠物を精査し、かつ当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決には所論のような事実誤認も法令の適用の誤りも認められない。また記録によれば、原判決が「弁護人の主張に対する判断」として説示するところは、相当であつて、この判断内容にも誤りはないと認められる。以下主な論点につきその理由を述べる。

一本件入会金は、権利能力なき社団である第一相互経済研究所(以下、第一相研という。)に帰属するもので、被告人の所得ではないという主張について。

所論は、原判決は、第一相研が権利能力なき社団としての実体を備えていないというが、これは既に完成した団体について社団か否かを判断したものであつて、未だ権利能力なき社団の完成を目指して設立され、形成、整備されていく過程にあつた本件当時の第一相研にはあてはまらない、その後第一相研は、昭和四七年五月二〇日をもつて、名実ともに権利能力なき社団として完成、国もこれを認めて法人税等を賦課しており、本件当時の第一相研は、その胎児ともいうべきものであるから、両者は実質的には全く同一の存在と解すべきであり、設立中の権利能力なき社団として被告人とは別個の人格を認めるべきである。しかも当時の第一相研は、不完全とはいえ、設立以来天下一家の思想・救け合いの精神に基づく相互扶助の実をあげるために、第一相研の名で、被告人を代表者として親しき友の会など各会を運営・各種福祉を実施する等の事業を行い、かつ福田ビル、玉名保養所などを購入し、また多数の職員および構成員たる会員を有し、会員の納める入会金によつて財産的基盤を確保し、各会のパンフレット、第一相研主旨綱領という定款に準じる団体の根本規則を備えていたのであつて、これらを全て否定的に解し、第一相研を被告人個人の事業と認めた原判決は、社団として完成途上にあつた当時の第一相研の特殊性を考慮しないでその実態を誤認し、権利能力なき社団についての法令の解釈を誤つているなどと主張する。

しかし、記録によれば、原判決が弁護人の主張に対する判断で説示しているところに不合理な点はなく、この説示はほぼ正当であると思われる。確かに設立中の団体については、社団として形成・整備されていく過程にあるものとして、既に出来あがつた団体と全く同一視するのは相当でないであろう。しかし当時の第一相研の状況をみると、もともと第一相研は、誠相互経済協力会の仕組にヒントを得た被告人が自らその名を付し、昭和四二年三月自己の住居を事務所にあて、親戚、知己九名を初代親会員にしていわゆるネズミ講と呼ばれる「親しき友の会」の事業を開始し、家族らに事務的な仕事を手伝わせながらその運営にあたつていたものであること、右会は、会員になろうとする者が、第一相研の指定する先順位会員に一〇〇〇円、第一相研に対しては入会金として一〇八〇円を送金することによつて会に加入し、各加入者がそれぞれ新規加入者を四名あて獲得して行くことによつて、五代後の会員一〇二四名から一〇〇〇円あて合計一〇二万四〇〇〇円の送金を受け完結するというもので、入会者が増加すれば入会金収入もネズミ算式に増大するという仕組になつていたこと、その後被告人は入会金の増収を図り、そのため更に魅力のある方式の会にするように種々工夫をこらし、昭和四四年六月から四五年一二月までの間に「第一相互経済協力会」(入会金一万円)、「交通安全マイハウス友の会」(入会金二万円)、「中小企業相互経済協力会」「入会金一〇万円)の各会を次々に考案して実施に移し、莫大な富を得るに至つたこと(なお右各会に仕組の詳細については、原判示第二の被告人の事業内容の項に認定されたとおりと認められる。)これらの会はいずれも、その加入者がうまくいけば自己の拠出金額をはるかに越える利益を得られる反面、予期に反して後順位会員が集まらなければ損を覚悟しなければならないという射幸的な不健全なものであるばかりでなく、遅かれ早かれ会員が飽和状態に達して会員の獲得が困難となり、会の運営が不能となることが必至ないわば破壊的な事業であり、救け合いの精神とはほど遠い代物であること、したがつて、これらの会を考察した当の被告人が、かような会のもつ本質に気づかなかつたとは考え難く、入会者を客として営利事業を営んでいたことは明らかであり、このような会員を団体の構成員とすること自体に無理があること、それにも拘らず被告人は、天下一家の思想を唱え、救け合いを強調し、あたかも第一相研がこれらの理想を実現するための会員の結合体であるかの如く呼びかけ、昭和四五年一一月出稼ぎ農家に対する救済と消費者に廉価で良質の牛肉を供給することを目的とするものであるとして「畜産経済研究会」という事業を創始したり、同年一二月には第一相研の主旨・綱領を作るなどしたりし、また福田ビル、玉名保養所を買い受けるにあたつては、第一相研の親しき友の会の代表者内村健一名義で売買契約を締結しているが、これらはいずれも前叙のような被告人の事業の本質をカムフラージュし、これに対する世間からの批難を回避するためであつたといつても過言ではないこと、以上の見地に立つて記録・証拠物を検討すると、原判決が説示するとおり、第一相研には社員の資格の得喪、機関の構成、資産の管理等の社団に関する重要な事項を定めた定款はなく、各会のバンフレットは勿論、前記主旨・綱領も、その内容は「友愛と信頼、親和の基礎に立つ真実の福祉社会を実現させるため、相互が救け合い共済する親和の精神による会を創る」とし、第一相研は右主旨に賛同する親和の友の集りで組織され、入会金によつて運営されること、創始者内村健一をもつて終身代表責任者とし、組織運営責任者を所長(会長)一名、常務六名とする旨規定するにとどまつており、極めて不十分なもので、到底定款の実質を備えたものとはいえないこと、会員は社団の構成員とは認め難く、団体意思を決定する社員も、業務執行について決定権を有する業務執行機関も存在せず、各会の考察、資産の購入・処分、職員の採用・解雇等は殆んど被告人の一存で決定されていたこと、入会金も被告人が管理し、全く恣意的に自己の生活費等に費消し、何らの収支報告、事業報告もしていないこと等が明らかなこと、以上の諸点が注目され、これらの事情に徴すれば、本件当時の第一相研は社団といい得るような実体を全く欠如していたことが明白であり、第一相研は被告人が本件各会を運営するうえでの名称にすぎなかつたものとしか考えられない。このような実質が全く個人企業と認められる当時の第一相研については、権利能力のない社団の胎児というような概念を容れる余地はなく、したがつて第一相研を被告人個人の事業とし、本件入会金を被告人の所得と認めた原判決には、所論のような事実誤認あるいは法令の解釈適用の誤りは存しない(なお、被告人が福田ビル、玉名保養所を買い受けるにあたり、その売買契約等に買主が第一相研であるかのよう記載した点については、前記のほかにも、原判決が指摘するような「被告人自身の日常生活上の財産と事業財産とを便宜上区別するためであつた」こと(被告人の検察官に対する供述調書中には同趣旨の供述部分があり、全く証拠に基づかない認定とはいえない。)その他色々な思わくがあつたことが考えられるが、いずれにしてもその記載だけから第一相研の実体を決定することは相当でない。)。論旨は結局理由がない。

二原判示罪となるべき事実三の被告人の所為は、逋脱罪の要件としての不正の行為にはあたらないという主張について。

所論は、被告人は小畑和生事務官らから昭和四五年度の所得調査を受けたのではないから、その際に申し立てた内容と同年度の税額確定に関する不正行為に問擬することはできない、またその内容にも虚偽はなく、真実とこれに基づく意見を述べたにすぎず、昭和四五年度の所得税の賦課徴収を不能若しくは著るしく困難にするような工作を行つたこともない、なお第一相研の事業を自己個人の事業と思料しない被告人が、その収入を申告しないことは、虚偽過少の申告に当らない、原判決は所得税法の解釈適用を誤り、事実を誤認していると主張する。

しかし、被告人が、昭和四二年三月第一相研の名で事業を開始し、毎年多額の入会金の納付を受けていたのに、昭和四三年、四四年の両年度にわたり、個人としては勿論第一相研名でも、何らの確定申告もしなかつたこと、そのため国が調査に乗り出し、昭和四五年七月二四日ころから小畑和生ら税務職員が第一相研に出向いて被告人を質問したが、被告人は「第一相研は法人でも個人でもなく、その財産は会員のものである。入会金は会員に帰属するものであつて、被告人個人の所得ではない。被告人は営利事業を営んでいるものではなく、会員相互の救け合い運動を行つているものである。」との旨申し立てたうえ、昭和四六年三月一五日ころ熊本税務署副署長柳田泰信が、第一相研は被告人個人の事業と考えられるから確定申告するよう慫慂したにも拘らず、被告人は前同旨の申し立てを繰り返したこと、そして同日中に熊本税務署長宛てに、昭和四五年度における被告人の所得は家賃収入金三六万円しかなく所得控除の結果納付すべき税額がない旨の確定申告書を提出したことは、証拠上疑いがなく、右申立および申告の内容がいずれも虚偽と認められること、被告人が第一相研の事業を自己個人の事業と認識していたと思われることは、前に説示したところから明らかである。以上の事情に徴すれば、被告人は、真実の所得(入会金)を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、前記虚偽の申し立てをし、所得金額をことさら過少に記載した確定申告書を提出したものと認めるほかはなく、かような過少申告行為自体詐偽その他の不正の行為にあたると解するのが相当であるから(昭和四八年三月三〇日最高裁判所第三小法廷判決参照)、これら被告人の所為を一連の行為として認定し、これに所得税法二三八条一項、一二〇条一項三号を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認はなく、法令の解釈適用の誤りがあるとも考えられない(なお、原判決が小畑事務官らの調査を昭和四五年度の所得調査と認定した点は、記録および当審における事実取調の結果に徴し誤認と認められるが、右誤認が判決に影響を及ぼさないことは既に説明したところから明らかである。)。論旨は理由がない。

三本件入会金については、各地の裁判所において、被告人が会員に対し返還すべき義務があるとの判断が示されているので、結局課税の対象になる所得はなかつたことになるとの主張について。

第一相研は被告人の個人事業であり、いわゆるネズミ講を営み、客(会員)から一定額の入会金を徴収することによつて莫大な額にのぼる金員を所得していたと認められることは既に判断したとおりである。しかもこれらの入会金は、ひとたび授受されれば返還され得ない約束のもとに徴収されたものであり、また実際に返還されてもいないこと証拠上明白であるから、被告人が現実にその経済的利益を享受していたものとして税法上その存在を無視することはできず、税法の見地からは課税の対象となる所得と解するのが相当である。したがつて、右所得については各課税年度ごとにこれを確定申告すべき義務が被告人にあつたことは明らかであり、後日これら入会金の返還が民事上強制されるに至つたからといつて、被告人の右義務が遡及的に消滅するとは到底考えられない。そうだとすると、原判決が右義務の存在を前提に、被告人の本件各不申告行為および虚偽過少申告行為をそれぞれ所得税法に違反する犯罪に当るとして処罰したことは相当であり、論旨は採用できない。

そこで、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文に従い全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(徳松巖 斎藤精一 桑原昭煕)

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