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福岡高等裁判所 昭和50年(ネ)217号 判決 1979年6月18日

控訴人(原告) 秋根康之 外四名

被控訴人(被告) 財団法人小倉地区労働者医療協会

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人(以下控訴代理人という)は、「原判決中控訴人ら五名関係部分を取り消す。控訴人らが被控訴人に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。被控訴人は、(1)昭和四七年二月二七日以降毎月二五日限り控訴人秋根に金一八万一、四七五円、同佐藤に金一三万一、八二五円、同成瀬に金三四万五、八〇〇円、(2)昭和四七年七月一三日以降毎月二五日限り控訴人坪井に金二〇万六、〇〇五円、同河野に金一八万二、一四五円をそれぞれ支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、当審で請求を減縮して「控訴人らが被控訴人に対し、三萩野病院の建物内に立入り診療する権利を有することを確認する。」旨の訴を取り下げた。被控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、控訴人らの右訴の一部取り下げに同意した。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、控訴代理人が甲第一二四ないし第一二九号証をいずれも写を原本に代えて提出し、当審における証人鎌谷真彦、同三宅正夫、同安永京子、同寺島礼子、同原久子、同細田尚彦、同中西実之、控訴人佐藤誠本人の各供述及び当審鑑定人細田尚彦の鑑定の結果を援用し、「後記乙号各証の成立(乙第一七七号証の一ないし三、同第一七八号証は原本の存在も)は不知。」と述べ、被控訴代理人が、乙第一七五、第一七六号証、同第一七七号証の一ないし三、同第一七八号証(但し、乙第一七七号証の一ないし三、同第一七八号証は写を原本に代えて)を提出し、当審証人平井忠雄の供述を援用し、「前記甲号各証は原本の存在及び成立ともに不知。」と述べたことを附加するほか、原判決の事実摘示(原判決二枚目―記録一一丁―裏一行目から原判決一四一枚目―記録一五〇丁―裏一一行目まで。)のうち、控訴人ら関係部分と同一であるから、これを引用する(但し、原判決二枚目―記録一一丁―裏二行目の「三萩野病院」の次に「(以下病院ともいう)」を加え、原判決六枚目―記録一五丁―表一四行目に「同清水」とあるのを「訴外清水」と、原判決七枚目―記録一六丁―裏三行目に「せい弱」とあるのを「ぜい弱」と、原判決二八枚目―記録三七丁―裏五・六行目に「ないのであるから」とあるのを「ないのに」と、原判決三三枚目―記録四二丁―表七行目に「趣旨に基く」とあるのを「右の趣旨に基づく」と、原判決三四枚目―記録四三丁―表一行目に「前記六月一七日」とあるのを「前記昭和四七年六月一七日」と、原判決三五枚目―記録四四丁―表一〇行目に「言々」とあるのを「云々」とそれぞれ改める。原判決三九枚目―記録四八丁―表一行目に「原告等は」とあるのを削る。原判決五三枚目―記録六二丁―裏八行目に「改え」とあるのを「変え」と、同裏一〇行目に「事をここに記す。」とあるのを「事実もある。」と、原判決七四枚目―記録八三丁―裏一・二行目に「(公的病院とに比較して)」とあるのを「(公的病院に比較して)」とそれぞれ改める。原判決九二枚目―記録一〇一丁―表一三行目から原判決九三枚目―記録一〇二丁―表三行目までの全部を削る。原判決九五枚目―記録一〇四丁―表九行目の「就職したのであるが、」の次に「これより先」を加える。原判決九六枚目―記録一〇五丁―裏一三行目から原判決九八枚目―記録一〇七丁―表四行目までの全部を削り、同表五行目に「(3)」とあるのを「(2)」と、同表八行目に「(4)」とあるのを「(3)」と、原判決九九枚目―記録一〇八丁―表一〇行目に「(5)」とあるのを「(4)」と、同裏六行目に「(6)」とあるのを「(5)」と、同裏九行目に「(解約の根拠)」とあるのを「(解雇の根拠)」とそれぞれ改める。原判決一〇一枚目―記録一一〇丁―表二行目から同裏一行目までの全部を削る。原判決一〇二枚目―記録一一一丁―表九行目の「組合員に対し、」の次に「情報宣伝活動の一環として」を加え、同表一〇行目の「情宣し」を「宣伝したのみで」と改める。原判決一一二枚目―記録一二一丁―表六行目の「(解約の手続)」を「(解雇の手続)」と、原判決一一三枚目―記録一二二丁―表一二・一三行目に「被告等は多勢に無勢で原告秋根等を敷地内に引きずり込み、」とあるのを「被控訴人側こそ多勢で控訴人秋根らを病院敷地内に引きずり込み、」と、原判決一一六枚目―記録一二五丁―裏一四行目の「三十六協定」を「三六協定」と、原判決一二五枚目―記録一三四丁―表一二行目の「慮み、」を「鑑み、」と、原判決一三七枚目―記録一四六丁―表一一行目の「原告ら主張」を「控訴人らの主張」と、同表一四行目の「原告主張」を「控訴人らの主張」とそれぞれ改める。)。

理由

一  当裁判所は、控訴人らの本訴請求を棄却すべきであるとするものであつて、その事実認定及びこれに伴う判断は、次のとおり改め、加え、削るほか原判決の理由説示(原判決一四二枚目―記録一五一丁―表二行目から原判決一八九枚目―記録一九八丁―裏二行目の「棄却することとし、」まで)のうち、控訴人ら関係部分と同一であるからこれを引用する。

1  原判決一四二枚目―記録一五一丁―裏一一行目の「証人池永弘充」を「原審証人池永弘充」と、同裏一二行目の「証人市橋昭平」を「原審証人市橋昭平」と、同裏一三行目の「原告」を「原審における控訴人」とそれぞれ改める。

2  原判決一四三枚目―記録一五二丁―表一行目の「原告成瀬」を「原審における控訴人成瀬」と、同表三・四行目の「証人市橋昭平、」を「原審における証人市橋昭平、」とそれぞれ改め、同表四行目の「の各証言、」を「及び当審証人鎌谷真彦、」と改め、同行の「原告秋根」を「原審における控訴人秋根」と、同表五行目の「尋問の結果を総合すると、」を「の各供述を総合すると、」とそれぞれ改める。

3  原判決一四四枚目―記録一五三丁―裏四行目の「整形外科をおこう」を「整形外科の診療をおこなう」と改める。

4  原判決一四五枚目―記録一五四丁―表二行目の「就職担当者」の次に「鎌谷真彦」を加え、同表二・三行目の「数回接衝」から同表四行目の「同人らと」までを「三萩野病院の池永事務長とが話し合い、その後同事務長及び当時の病院理事長中西実之が、控訴人秋根、控訴人坪井の妻、一審原告清水正法及び右鎌谷並びに訴外梅村某と面接した結果それからは控訴人秋根、同坪井、同河野、一審原告清水らが、病院側と」と改め、原判決一四六枚目―記録一五五丁―表一二行目の「打解」を「打開」と改める。

5  原判決一四七枚目―記録一五六丁―表一三行目の「残してしまつた。」の次に以下のとおり加える。「もつとも、前顕乙第七五号証(昭和四六年四月一日から昭和四七年三月三一日までの病院会計の貸借対照表)には、当期欠損金として七二一万二、七〇五円が計上されているのに対し、前掲乙第八八号証(監査概要書)附属表には、右同期の欠損が六九一万一、〇〇〇円と記載されていて両者の間に食い違いがあるが、当審証人平井忠雄の供述によつて原本の存在及び成立の真正を認め得る乙第一七八号証によると、被控訴協会(財団法人)の一部門である病院会計を独立事業体とみなして区分経理を行なつた場合は乙第七五号証記載のように七二一万二、七〇五円の欠損となり、財団法人を主体としてその一部門としての病院会計の収支計算をすれば、乙第八八号証記載のように六九一万一、〇〇〇円の欠損となるのであつて、右のような差異が生ずる所以は、税法上区分経理が要求されるので病院会計の収支計算に調整を加え、被控訴協会の一部門である北九州労働安全センターの収支計算剰余金三〇万円を病院会計の支出から除外し、再計算した結果であると認められるから、病院会計の欠損は、七二一万二、七〇五円と認めるのが相当である。」。

6  原判決一五〇枚目―記録一五九丁―裏五行目の「原告」を「控訴人秋根」と改める。

7  原判決一五一枚目―記録一六〇丁―表四行目の「就業規則(」の次に「成立に争いがない甲第三七号証。」を加える。

8  原判決一五三枚目―記録一六二丁―表九行目の「問題と関りなく、」を「問題はともかく、」と、同裏一・二行目の「金二七〇万余」を「金二七〇万円余」とそれぞれ改める。

9  原判決一五四枚目―記録一六二丁―裏四行目の「選定することは、」の次に「その診療行為が妥当なものである限り」を加え、同裏五行目の「あるが、」を「ある。ただ」と改める。

10  原判決一五五枚目―記録一六四丁―表一行目冒頭の「が」の次に「経営者側の明らかな怠慢により容易に採り得べき方策を構ぜず放置するなど」を加え、同裏三・四行目の「証人池永弘充」を「原審証人池永弘充」と改め、同裏九行目の「被爆量」を「被曝量」と改める。

11  原判決一五六枚目―記録一六四丁―表二行目の「土地購入の点も、」の次に「なるほど医療法は、医療機関においても営利性を否定し、剰余金の配当を禁止している。しかし、医療機関の経営においても他の一般企業と同様、いわゆる医業の再生産に必要な資金の蓄積を欠くことはできない。したがつて、医業経営に当つて右のような使途にあてる資金を留保することは必要であり、これを目して営業活動とはいえないものというべきところ、」を加え、同行の「証人池永弘充」を「原審証人池永弘充」と改め、その次に「当審証人中西実之」を加える。同表一一行目の「いうことはできない。」の次に以下のとおり加える。「さらに、当審証人三宅正夫の供述中には、昭和四七年二月従前の看護基準に加え特類看護の制度が設けられ、その認可を受ければ三萩野病院も年間約六〇〇万円の増収となるのであつて、同病院は右制度の認可を受ける資格は充分あつたのに、被控訴協会の理事はその申請をしなかつた旨のあたかも被控訴協会が当時病院の経営改善のため可能な努力を怠つたかのように受け取れないではない部分があるが、当審証人平井忠雄の証言と、これによつて真正に成立したものと認められる乙第一七五、第一七六号証、右証言によつて原本の存在及び成立の真正を認め得る乙第一七七号証の一ないし三によると、右特類看護制度が設けられた当時三萩野病院は、この制度の適用を受けるには、病棟看護婦の数が認可基準より八名不足しており、これを充足した上特類看護の認可を得ても、収入増を上廻る人件費を要し、病院経営上の採算がとれない状況であつたと認められるから、右三宅証人の供述部分を前叙事実の証拠として採用することはできない。なお、当審鑑定人細田尚彦の鑑定の結果によると、同鑑定人は次のような意見を表明し、原審証人市橋昭平の供述とこれによつて真正に成立をしたものと認められる甲第一〇一号証にも右鑑定人の意見と略々同趣旨の記載がある。すなわち、

(一)  被控訴協会の会計書類は、<1>同協会の評議員である公認会計士木戸次生が監査人として作成したものであるのに、被控訴協会と利害関係がある旨の記載がないか、或いは逆に利害関係がない旨の記載がなされているから信頼性がない。<2>法人会計、病院会計、安全センター会計の各部門別の会計書類の内容が不明確であるし、減価償却の予算と実績との間にかなりの差額が存在しているので、信頼性が極めて稀薄である。

(二)  昭和四七年二月当時の被控訴協会の経営状態は倒産必至とはいい難い。

(三)  昭和四七年二月当時被控訴協会に生じた赤字の原因は、<1>再来患者数の減少。<2>昭和四五年九月以降の医師数の増加と、これに伴う被控訴協会理事者の患者獲得への努力不足。<3>基本及び通常財産形成についての理事者としての認識不足、殊に被控訴協会の理事は、財団法人の役割りと三萩野病院の役割りとを混同視し、財団法人としての広汎な活動についての唯一の財源として病院収入を位置づけていること、以上三点が相互に作用しながら形成された。

(四)  昭和四七年二月当時被控訴協会に生じた赤字の解決策として、医師の解雇による人件費削減によることの経営上の是非については、医師の数を減らすことは従来提供してきた医療サービスを直接に減らすことになるので、理事者としては、先づ外部への働きかけによって基本金を充実し、借入金への依存度を軽減し、そのことによつて支払利息の減少や投下資金の短期回収を目的としてきた減価償却費の計上の低速化をもたらし、損益計算上及び収支計算上の負担を削減すべきである。

そこで、以上の諸点を検討してみるに、(一)<1>の点は、成立に争いのない甲第五九号証(被控訴協会の寄附行為書)によると、評議員は役員ではなく(第一五条)、評議員会は財団法人の意思決定機関ではなくして諮問機関に過ぎないことが明らかであるが(第三四、第三五、第三七条)、同号証の第三五条によると、評議員会は協会の運営に関する重要な事項で理事会が必要と認めて附議したものにつき諮問に応ずべきものとされているので、各評議員は右の事項につき間接的に理事会の決議に影響を及ぼし得る立場にあるものというべく、従つて少くとも会計監査に関する限りでは役員に準ずるものとみるのが相当である。しかし、乙第六号証、同第一二号証、同第二〇号証、同第二七号証、同第三四号証、同第四三号証、同第五三号証(以上いずれも監査報告書)、及び同第八八号証(監査概要書)の作成者である公認会計士木戸次生が、右各書証作成当時被控訴協会の評議員であつたとの点については、同人が昭和四六年一〇月一三日の評議員会開催当日評議員として出席したことが成立に争いのない乙第六四号証によつて認められるので、同一年度である同年七月七日作成の右乙第五三号証作成当時同人が評議員であつたと推認できなくはないが、その余の右乙号各証については、かかる推認をする余地がない。のみならず木戸が右監査報告書等作成当時被控訴協会の評議員であつたとしても、公認会計士法二五条二項は公認会計士の職務の公正を担保するものに過ぎないから、同条に違反する監査報告書がその一事のみをもつて具体的な根拠を明示することなくその作成した報告書を実質的にも信頼に値しないものということはできない。(一)<2>については、当審証人細田尚彦の証言によると、被控訴協会における法人会計、病院会計、安全センター会計の各部門における会計書類は、資産、負債の一部が本来計上すべきでない部門に計上されているなどの点があるので、一貫した会計処理であると断じ難い点もあり、各部門の会計に鮮明を欠く点もないではないが、さりとて違法な会計処理ではなく、被控訴協会では病院経営が非常に大きな役割を占めているところ、三部門全体の損益計算書等会計書類をまとめてみることにより病院経理全体の推移をおおむね理解することができると認められ、また減価償却費の予算と実績との間にかなりの差がある旨の鑑定意見は、要するに右差異の生ずる原因を更に検討する必要があるという趣旨のもので、減価償却の対象となつている資材の購入につき理事会がいかなる決定をしたかまでの調査をした上での具体的な意見ではないことが認められるから、各部門の会計の部分的不鮮明及び予算と決算との前叙くい違いから直ちに被控訴協会の会計書類の信頼性を否定することはできない。(二)の点については、被控訴協会が昭和四七年二月当時直ちに倒産する状況になかつたとしても、同協会は前認定のとおり累積赤字を抱え、いわゆる先行投資的に過剰な医師を雇傭し結局累積赤字を即効的に解消することができなかつたのであるから、右医師の雇傭を続ければ、遠からず病院経営は行き詰るのは見易いところであつて倒産を招く危険はやはり大であつたというべきである。(三)及び(四)については、前顕細田証人は、被控訴協会は設立当初から寄付の獲得につとめ、基本金の増加をはかる努力をしていれば赤字は出なかつたはずであるとの趣旨の供述をし、同証人の鑑定人としての意見も当面の赤字の解決策として、医師を減員するより寄附及び患者の獲得につき努力すべきであつたというのであるが、同証人自身も認めているように法人病院の寄附集めが非常に困難であることは認めるに難くないし、新患者の獲得も宣伝さえすれば簡単に実現できる性質のものではなく、医療設備や技術の向上を含めた医療サービス全般の改善に対する資金面の裏づけや関係者全員の熱意を必要とするのであるから短期間で達成できるものではない。さすれば、累積赤字に悩んでいた被控訴協会が、右のように成否不確実な寄附集めや資金及び相当の期間を要する新患者の獲得によつて経営のたて直しをはかるよりも従業員中比較的高給で、転職も容易な医師の解雇という挙に出たことは、まことにやむを得ない処置であつたというべきである。」

12  原判決一五七枚目―記録一六六丁―表八行目の「権原」を「権限」と改める。

13  原判決一五八枚目―記録一六七丁―表一一行目の「整理基準の設定には」を「整理基準を設定したことには」と改め、同裏一二行目の「証人池永弘充」を「原審証人池永弘充」と、同裏一三行目の「原告秋根」を「原審における控訴人秋根」とそれぞれ改め、同裏一四行目の「二回)」の次に「の一部」を加える。

14  原判決一五九枚目―記録一六八丁―表一行目に「同原告」とあるのを「控訴人秋根」と、同裏四行目の「原告本人」を「原審における控訴人秋根本人」とそれぞれ改める。

15  原判決一六二枚目―記録一七一丁―表六行目の「原告成瀬、」を「原審における控訴人成瀬、」と、同表一〇行目の「評議会」を「評議員会」とそれぞれ改める。

16  原判決一六三枚目―記録一七二丁―表八行目の「原告秋根本人」を「原審における控訴人秋根本人」と、同裏七行目の「原告成瀬本人尋問の結果」を「原審における控訴人成瀬本人の供述の一部」とそれぞれ改める。

17  原判決一六四枚目―記録一七三丁―裏三行目の「原告成瀬本人」を「原審における控訴人成瀬本人」と改める。

18  原判決一六五枚目―記録一七四丁―表三行目及び同裏八・九行目に各「原告成瀬本人」とあるのをいずれも「原審における控訴人成瀬本人」と改める。

19  原判決一六六枚目―記録一七五丁―表七行目の「原告成瀬本人」を「原審における控訴人成瀬本人」と、同裏一〇行目の「原告秋根」を「原審における控訴人秋根」とそれぞれ改める。

20  原判決一六七枚目―記録一七六丁―表一行目の「平井課長」を「平井医事課長」と改め、同表一一行目の「証人池永弘充」を「原審証人池永弘充」と改める。

21  原判決一六八枚目―記録一七七丁―表四行目の「従つて、」の次に「右のように外科の患者数が減少傾向に転じた原因は単一ではないであろうが、少なくとも」を加え、同表六行目の「原告成瀬本人」を「原審における控訴人成瀬本人」と、同表一二行目の「証人浜田勝憲」を「原審における証人浜田勝憲」と、同行の「原告佐藤本人」を「控訴人佐藤本人」とそれぞれ改める。同表一三行目の「尋問の結果」の次に「の一部」を加え、同行の「同原告」を「同控訴人」と、同裏一一行目の「原告佐藤本人」を「原審における控訴人佐藤本人」とそれぞれ改める。

22  原判決一六九枚目―記録一七八丁―表一四行目の「実にいいかげんなものであつた」を「真摯な態度に欠けていた」と、同裏六行目の「原告佐藤本人」を「原審における控訴人佐藤本人」と、同裏一一行目の「(3)」を「(2)」とそれぞれ改め、同裏一四行目の「言動に走りがちであつた」の次に「(当審証人安永京子、同原久子、同寺島礼子の各供述中以上の認定に反する部分は採用できない。)」を加える。

23  原判決一七一枚目―記録一八〇丁―表六行目の「同原告ら就職の経緯と原告ら」を「病院が右控訴人らを採用したのは、主に第三期新病棟建設計画実現の際の要員とするためであつたところ、前叙のとおり右控訴人らが採用の当初から自己らはおもに右新病棟建設計画の実施に必要な増員医師として採用されたことを知り、かつその後三萩野病院の危機打開のため協力すべき意思を表明しつつ、これらの控訴人ら」と、同表一一・一二行目の「之を認むべき証拠がなく失当である。」を「当審における控訴人佐藤本人の供述と、これによつて原本の存在及び成立の真正を認め得る甲第一二五ないし第一二九号証によつてもこれを認めるに由がなく、他に右主張を認めるに足る証拠はない。」とそれぞれ改める。同裏七行目の「同条一項各一号」を「同条一項各号」と改める。

24  原判決一七二枚目―記録一八一丁―表九行目の「右規則が、このような規定の仕方をしているのは、」を「右各規定は医療法一条一項にいう、病院は、傷病者が科学的で且つ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを主たる目的として組織され、且つ、運営されるものでなければならない旨の病院の目的を具体化するための規定であり、医療法施行規則一九条一項が前記のように規定し、その違反者に対し罰則を設けていない所以は、」と改め、同裏三行目の「判断において」の次に「医療法一条一項掲記の病院の目的に反しない範囲での」をそれぞれ加え、同行の「解すべきであり、」を「解すべきである。」と改める。同裏四行目の「従つて、」の次に「任意退職によると、解雇によるとを問わず」を加え、同裏六行目の「これによつて」から同裏七行目の「いうべきである。」までを「民法九〇条に違反するとはいえない。」と、同裏八行目の「被告の解雇」を「被控訴人のなした第一次解雇」とそれぞれ改める。

25  原判決一七三枚目―記録一八二丁―裏一行目の「証人浜田勝憲」を「原審証人浜田勝憲」と改め同裏一六行目の「本件の場合、」の後に「予告手当の提供・支払のあつたという主張はなく、」を加える。

26  原判決一七四枚目―記録一八三丁―表一一行目の「証人池永弘充」を「原審証人池永弘充」と、同表一三行目の「原告坪井本人」を「控訴人坪井本人」とそれぞれ改める。

27  原判決一八〇枚目―記録一八九丁―裏四行目の「認めなかつたことが」の次に「前顕各証拠によつて」を加え、同裏七行目の「証人浜田」を「原審証人浜田」と改め、原判決一八一枚目―記録一九〇丁―表一四行目の「重大な挑戦」を「反抗」と改める。

28  原判決一八三枚目―記録一九一丁―裏一四行目から原判決一八四枚目―記録一九一丁―表一行目の「労働関係調整法三六条類似の立法の有無にかかわらず」を削る。

29  原判決一八四枚目―記録一九三丁―裏四行目の「原告坪井、」を「原審における控訴人坪井、」と改め、同裏五行目の「尋問の結果」の次に「の一部」を加える。

30  原判決一八五枚目―記録一九四丁―裏八行目の「原告坪井、」を「原審における控訴人坪井、」と改め、同裏一四行目の「乙第一三〇号証」の次に「、」を加える。

31  原判決一八六枚目―記録一九五丁―表一二行目の「原告坪井、」を「原審における控訴人坪井、」と、同裏六行目の「との理由からでも」を「ことを理由として」と、同裏七行目の「ことは出来ない。」を「こともできない。」と、同裏一〇行目の「労働法上」を「労働法三七条」とそれぞれ改める。

32  原判決一八七枚目―記録一九六丁―表一行目の「争議行為が」の次に「対使用者の関係において」を、同表六行目の「病院従業員」の次に「殊に医師」を、同表七行目の「品位を疑わせ」の次に「、被控訴協会の経営する三萩野病院に対する信用を失墜させ」を、同表一〇行目の「一一一号証によると、」の次に「被控訴協会は」をそれぞれ加え、同裏四行目の「相当であつて、」を「相当であり、」と改める。

33  原判決一八八枚目―記録一九七丁―表四行目の「証人浜田勝憲」を「原審証人浜田勝憲」と改め、同表五行目の「第一次解雇以来、」の次に「前認定のような」を加える。

34  原判決一八九枚目―記録一九八丁―裏一・二行目の「理由がないから、これを棄却することとし、」を「失当として棄却すべきである。」と改める。

二  よつて、控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却すべく、控訴費用の負担につき同法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 園部秀信 森永龍彦 土屋重雄)

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