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福岡高等裁判所 昭和46年(ネ)405号 判決 1974年1月17日

控訴人(被告)

前田伊佐夫

ほか一名

被控訴人(原告)

岡田覚

主文

一  原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は、控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここに、これを引用する。ただし、原判決四枚目表二行目に「同人前田は」とあるを「控訴人前田は」と改め、同五枚目表九行目に「法定利率1ケ月9/12%」とあるを「法定利率1ケ月5/12%」と改め、同九枚目裏六行目に「一乃至五の成立」とある次に「(同第一一号証については、原本の存在も。)」を加える。

(双方の主張)

控訴代理人は、次のように付加して陳述した。

一(一)  本件事故の発生については、控訴人高崎に何らの過失も存しなかつた。すなわち、本件事故発生の現場は、北九州市方面から福岡市方面に通ずる、舗装された幅員一二・二メートルの国道三号線(以下、単に本件国道という。)と、同国道から分岐する町道(以下、単に本件町道という。)が三叉に交わる交差点(以下、単に本件交差点という。)であつて、同交差点には信号機が設置されている。本件事故当時、訴外坂口章三は、その運転する自動二輪車(以下、単に坂口車という。)の後部座席に訴外亡岡田修一を同乗させて、本件国道を北九州市方面から福岡市方面に向けて進行し、同交差点で右折して、本件町道に入ろうとした。ところが、同訴外人が右交差点にさしかかつた際、同交差点における信号機の正対信号が青色信号を表示していたところより、同訴外人は、右折のため、同交差点に設けられた停止線附近で同交差点中心に近寄ろうとしたが、折しも後続車両の交通が激しく、右中心附近に近寄ることができなかつたので、右折の機会をうかがいながら、本件国道左端寄りを進行して、右停止線より約三〇メートル、同交差点中心より約一七メートル離れた地点(別紙見取図<2>の地点)にまで漫然進出したうえ、後続車両の切れ目を縫つて、時速約二〇キロメートルの速度で右折を開始した。これに対し、控訴人高崎は、普通貨物自動車(以下、単に高崎車という。)を運転して、本件国道を福岡市方面より北九州市方面に向けて時速約五〇キロメートルの速度で進行し、本件交差点にさしかかつたが、同交差点の正対信号が青色信号を表示しており、かつ、同交差点中心附近に右折の態勢をとつた車両も格別見当らなかつたところより、従前の速度のまま進行して、同交差点内に進入しようとしたところ、反対側進路右斜前方約一六メートルの位置(別紙見取図<1>の地点)に、自車進路の前面を横切つて右折しようとしている坂口車を発見し、とつさに急制動の措置をとつたが間に合わず、同車に衝突するに至つた。

(二)  前項主張の事実関係に立脚していえば、控訴人高崎が本件交差点に進入するに際しては、その正対信号は青色信号を表示し、かつ、同交差点中心附近には右折の態勢に入つている車両も格別見当らなかつたうえ、対向車両の流れもきわめて激しかつたのであるから、かような状況のもとにおいては、本件事故当時に訴外坂口がなしたごとき、同交差点中心より約一七メートルも離れた道路側端から、横断に近いような方法で右折する車両のあり得べきことについてまで、予見可能性があつたということはできない。そして、控訴人高崎が坂口車を発見したのは、同車が右斜前方約一六メートルの位置にまで進出してきたときであるのに対し、同控訴人は時速約五〇キロメートルの速度で進行していたのであるから、同控訴人が、坂口車を発見して直ちに急制動の措置をとつたものの、同車との衝突を回避できなかつたのは、やむを得ないところである。さりとて、元来、交差点中心から離れた道路側端に右折しようとしている車両があることは、通常の運転者にとつて思いもよらぬことであるうえ、坂口車は自動二輪車であつて、かつ、本件事故当時頻繁に通行する対向車のかげにかくれて見えにくい状況下にあつたのであるから、控訴人高崎が右距離に接近するまで坂口車を発見できなかつたというのも、無理からぬものがある。時速約五〇キロメートルの速度で進行していた同控訴人の、いわゆる動体視力による視野狭さくを考慮すると、なおさらである。

(三)  そればかりでなく、仮りに、控訴人高崎に結果発生の予見可能性があつたとしても、同控訴人は、信頼の原則の適用により、本件事故の発生について過失責任を負うことはないものと解するのが相当である。けだし、交通事故の場合、結果の発生の予見可能性があつても、他の交通関与者が不適切な行動にでないであろうことを信頼したのが相当である場合には、その信頼をした者に過失責任を問うことはできないものというべきところ、元来、自動車を運転していて交差点で右折しようとするときには、交差点の手前約三〇メートルより右折の合図をしながら(道交法施行令二一条)、あらかじめできるかぎり道路の中央に寄り、かつ、交差点の中心の直近の内側を徐行して右折しなければならないのであつて(道交法三四条)、このような右折の際の交通法規を無視して、交差点の中心からはるかに離れた地点より、横断に近いような方法で右折してくる車両はないであろうことを信頼して、叙上主張したような運転方法をとつた控訴人高崎には、当然信頼の原則の適用があるものというべきだからである。

二(一)  仮りに、本件事故について控訴人高崎にも何らかの過失があるとすれば、坂口車の運転者たる坂口と同控訴人との共同不法行為となるものであるところ、両者の過失の程度ないし関与の度合を比較すれば、後者のそれが前者のそれに比してきわめて微少であることが明らかである。しかして、かように共同不法行為者の当該不法行為に対する関与の度合が明確であり、かつ、一方のそれが他方のそれに比して極度に微少な場合には、その損害賠償義務の範囲も、その関与の度合に応じて限定されるものと解すべきである。そうであるならば、控訴人高崎に何らかの過失があつたとしても坂口の右折行為の不適切及び直進車優先(道交法三七条)の原則よりすれば、控訴人らの負担する損害賠償責任としては、控訴人ら側の強制保険より支払われた金二六九万五、六八七円をもつてつきているものというべきである。

(二)  また、被控訴人らは、亡修一が同乗していた坂口車の運転者たる坂口に対しては、本件事故による損害賠償の請求をしない意向であることを明らかにしているところ、これは、同訴外人に対して、本件事故に伴う損害賠償債務を免除したものと解すべきである。ところで、共同不法行為者の損害賠償責任は、特段の事情の存しないかぎり、不真正連帯債務の関係に立ち、従つて、その一人に対する債務免除の意思表示は、他の行為者に対して効力を及ぼすものではないと解するのが相当であるけれども、本件の場合のように、過失割合が著るしく大きい共同不法行為者が、親しい間柄の被害者を同乗させて事故を惹起したような特殊な場合に、被害者において、みずからを同乗させた共同不法行為者に対しては債務の免除をし、過失割合の著るしく少ない他の共同不法行為者(事故の相手方など。)に対して蒙つた損害の全額を請求するようなときには、前者に対する債務免除の効力を、後者に対しても及ぼすのが、公平の見地上妥当である。そうだとすれば、被控訴人らのなした、坂口に対する債務免除の効力は、控訴人らにも及ぶものというべきであるから、被控訴人らの本訴請求は、失当たるに帰着する。

三  被控訴人らの損害額に関する主張は、多額に過ぎて失当である。ことに、亡修一の逸失利益を算定するにあたつては、同訴外人の稼働可能年数が長期にわたることにかんがみ、ライプニツツ式によつて中間利息を控除するのが相当である。また、同訴外人は、単に被控訴人ら主張の就職先に就職が決定していたというに過ぎなく、はたして当該就職先に定着して稼働したかどうかも判然としないのであるから、退職金支給規定が設けられているからといつて、直ちに、その受領を収入として考えるのは、蓋然性を無視した算出方法というべく、相当とは解せられない。

被控訴代理人は、次のように付加して陳述した。

一  本件事故発生の状況は、次のごときものであつて、控訴人高崎に過失の存したことは、明らかである。すなわち、本件事故当時、坂口は、亡修一を後部座席に同乗させて、坂口車を運転し、本件国道を北九州市方面から福岡市方面に向けて進行し、本件交差点より右折して、本件町道に進入しようとしたが、後続車両の通行が頻繁で、それまで進行してきた道路側端から同交差点中心に近寄ることができなかつたところより、方向指示器で右折の合図をしながら、暫時そのまま道路側端寄りを進行して、一旦停車し、右折の機会を窺ううち、後続車両がとぎれ、かつ、対向車両としては、前方約五七メートルの地点に高崎車が対進してくるのみであつたので、右折を開始し、時速約一〇キロメートルの速度で右折して、間もなく右折を終ろうとするときに、高崎車より衝突され、本件事故に遭遇したのである。

従つて、控訴人高崎には、次のような過失がある。

(一)  坂口車は、本件交差点においてすでに右折していたのであるから、直進車たる高崎車といえども、坂口車の進行を妨げないよう進行しなければならない業務上の注意義務があつたのに(昭和四六年法律第九八号による改正前の道交法三七条二項)、控訴人高崎は、従前の時速約五〇キロメートルの速度のまま本件交差点に進入して坂口車の進行を妨げた過失がある。従つてまた、同控訴人には、交差点内に進入するに際し、あらかじめ徐行するなど、速度を調整して安全な速度で運転すべき義務(道交法四二条及び七〇条)を懈怠した過失がある。

(二)  また、本件事故現場は本件町道が分岐する三差路交差点をなしている反面、控訴人高崎にとつて対向車両の交通量はきわめて激しいものがあつたのであるから、同控訴人としては、よしや本件交差点の中心に右折の態勢をとつている車両が見当らなかつたからといつて、後続車両の頻繁な通行のため交差点中心に近寄ることができず、そのまま道路側端寄りを進行したうえ、後続車両の切れ目を利用して右折する車両があるかも知れないことを予見して運転すべき注意義務があつたものというべきである。しかも、本件事故の場合にあつては、坂口車は、本件交差点の中心からは若干離れているとはいえ、道路側端に右折の合図をして停車していたのであるから、控訴人高崎においては、同車が後続車両の切れ目を利用して右折し、本件町道に進入するかも知れないことを当然予期し、その動静に注意して運転すべかりしものであつたことは、多言を要しない。この点について、控訴人らは、控訴人高崎が坂口車に気づいたのは、同車が右斜前方約一六メートルにまで接近したときである旨主張しているけれども、もしそうだとしても、同控訴人が過失の責を免れることはできない。何故なら、本件事故現場附近では、同控訴人の進行してきた福岡市方面より本件交差点に向つて約二〇〇メートルにわたりなだらかな下り坂となつているところ、坂口は約五七メートル前方の高崎車を認めているのであるから、同控訴人もまた、右折の合図をしている坂口車を少なくとも同程度の距離から発見し得たものと認められるし、それにもかかわらず、同控訴人が坂口車に気づかなかつたとすれば、同控訴人には脇見運転その他前方注視義務懈怠の過失あることに帰するからである。

(三)  さらに、控訴人高崎が坂口車に気づいたのが、同車が自車の右斜前方約一六メートルの位置に接近したときであり、かつ、それより以前に同車に気づくのが無理であつたとしても、同控訴人には、坂口車が右位置にあつて右折しようとしているのを発見したのち、同車との衝突を回避するためにとつた措置について、次のような過失があつた。

(1) 先ず、同控訴人は、坂口車を発見したのち、急ブレーキを踏んで、急停車の措置をとつたが、彼我の車間距離、速度よりして、急制動によつては衝突を避け得ない場合であつたから、減速をせず、かつ、ハンドルを切つて進路を左に転ずれば、坂口車の前面を通過することができた筈であり、この意味において、同控訴人は、不用意にも有害な急停車ないし減速の措置をとつたものというべきである。

(2) 反面、同控訴人が坂口車を発見したのち、急制動の措置とあわせてハンドルを右に切つていたとすれば、坂口車を先に通過させることができ、従つて、本件事故の惹起を避けることができたものというべきである。なお、坂口は、後続車両の進行の途絶えるのを待つて右折を開始したのであるから、控訴人高崎としても、対向車両(坂口車の後続車両)との衝突をおそれることなく右に進路を変ずることができた筈である。

(3) また、この場合、もし同控訴人が警音器を吹鳴して坂口に自車の接近を警告したとすれば、坂口としても、さらに徐行もしくは一旦停車して、高崎車を先に通過させる措置をとつたであろうと認められるので、この点においても、同控訴人には過失がある。

叙上これを要するに、通常の運転者であるならば、控訴人らの主張する位置で坂口車を発見したものとしても、なお、適切な措置をとつて同車との衝突を避けることができたものと認められるから、控訴人高崎には、やはり過失が存したものといわざるを得ない。

二(一)  控訴人ら主張二(一)の事実を否認し、その法律的見解を争う。本件事故の発生について控訴人高崎に過失が存する以上、よしやそれが坂口の過失と対比して微細なものであつたとしても、同控訴人及び高崎車の保有者である控訴人前田としては、坂口と共同不法行為者の関係に立つものであるから、本件事故によつて亡修一及び被控訴人らの蒙つたすべての損害について賠償すべき義務を負うことは、いうをまたないところである。

(二)  控訴人ら主張二(二)の事実を否認する。また、仮りに、被控訴人岡田覚が坂口に対して債務免除の意思表示をしたとしても、同訴外人の損害賠償債務と控訴人らのそれとは、不真正連帯債務の関係にあるものと解すべきであるから、右債務免除によつて、控訴人らの損害賠償債務に何らの影響を及ぼすものではない。

(証拠関係)〔略〕

理由

一  被控訴人ら主張の日時に、その主張の場所で、控訴人高崎の運転する高崎車と坂口の運転する坂口車が衝突するという交通事故が発生し、その結果、坂口車の後部座席に同乗していた亡修一が死亡するに至つたことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、先ず、本件事故に関して、控訴人らが損害賠償責任を負つているかどうかについて判断する。

(一)  右に示した当事者間に争いのない事実に、〔証拠略〕を総合すると、本件事故の発生した状況は、次のごときものであつたことが認められる。

本件事故の発生した現場は、北九州市方面から福岡市方面に通ずる本件国道より本件町道が分岐する三差路交差点(本件交差点)であつて、信号機が設置されている。同交差点を形成する本件国道の幅員は約一二・二メートル、本件町道のそれは約一〇メートルであつて、前者はコンクリート舗装、後者はアスフアルト舗装が施されており、かつ、同交差点の中心点は、ペイントで表示されていた。なお、本件国道は、ほぼ一直線をなし、見通しは良好である。その他、同交差点の位置関係等の諸状況は、概略、別紙見取図記載のとおりである。右交差点に設けられている信号機のうち、北九州市方面から福岡市方面に向う車両に正対するそれは、赤色信号を表示している際に、本件国道横断歩道附近に設けられている歩行者用信号機が青色信号を表示しているのと対応して、その下部に矢印の青色信号が表示される構造となつており、本件町道に右折する車両は、正対する右信号機の青色信号のときのほか、右矢印の信号が表示されている間にも、右折して進行できるようになつている。本件事故が発生した際における本件国道の交通量は、北九州市方面より福岡市方面に向う車両はきわめて多く、間断なく車両が通行している状況であつたが、福岡市方面より北九州市方面に向う車両は、比較的少なかつた。控訴人高崎は、本件事故当時、控訴人前田保有の高崎車にスチールサツシユ一、五〇〇キログラムを積載し、これを福岡市より徳山市に運搬するため、同車を運転して、右国道の中央寄りの進路を、時速約五〇キロメートルの速度で福岡市方面より北九州市本面に向けて進行し、本件交差点にさしかかつたのであるが、正対する信号機が青色信号を表示し、かつ、本件交差点中心附近に右折の態勢をとつて待機する車両も格別見受けられなかつたところから、従前の速度のまま同交差点内に進入しようとして、同交差点横断歩道の附近(別紙見取図<イ>の地点)に到達した際、右斜前方約一六メートルの位置(同見取図<1>の地点)に自車進路を斜めに横切つて本件町道に進入しようとしている坂口車のあることを発見し、直ちに急制動の措置をとつたが、間に合わず、約五・五メートルのスリツプ痕を残して、自車前部を坂口車の左側部に衝突させた。なお、同控訴人が坂口車を発見した位置から右衝突地点(別紙見取図<×>の地点)までの距離は、坂口車が高崎車の進行してくる方向に向つて斜めに進んできたため、約一一・七メートルに過ぎなかつた。また、同控訴人は、坂口車を発見したのち、とつさに急制動の措置をとつたものの、警音器を吹鳴することはしなかつた。他方、坂口は、通学先の八幡工業高校より帰宅のため、後部座席に学友である亡修一を同乗させて、坂口車を運転し、本件国道を北九州市方面より福岡市方面に向つて進行して、本件交差点にさしかかつたが、正対する信号機の信号が青色信号を表示しているところから、同交差点で右折して、自宅に向う順路である本件町道に入ろうとした。そのため、同訴外人は、右交差点北九州市寄りの停止線(別紙見取図表示のそれ)の手前より、方向指示器で右折の合図をしながら、それまで進行してきた本件国道左側端寄りの進路を変じて、本件交差点中心附近に近寄ろうとしたが、折りから後続車両の進行が頻繁で、殆んど間断なく進行してくるため、同交差点中心附近に近寄ることができなかつた。そこで、同訴外人は、右折の合図を継続したまま、かつ、後続車両の進行状況を見ながら、本件国道の従前の進路をそのまま進行したが、依然右折の機会が得られないため、ついに前記停止線より約二七メートル、本件交差点中心より約一五メートルの位置(別紙見取図<2>の地点)にまで進行して、一旦停車した。そして、同訴外人は、同位置で坂口車を停めて、右折の機会を窺ううち、後続車両の通行が一時途切れたので、福岡市方面よりくる対向車両の有無及びその動静を見たところ、前方相当距離の位置を対進してくる高崎車を認めたが、その車速よりして、同車の直前を横切つて右折し終わることができるものと判断し、その後は後続車両の接近に注意を払いながら、坂口車を発進させて、時速一〇数キロメートルの速度で、本件国道を左斜前方に横切るようにして右折し、本件町道に進入しようとしたが、本件国道の中央線を越える頃になつて、予期に反して高崎車が自車に接近していることに気づき、衝突の危険を感じたが、急制動その他何ら臨機の措置をとるいとまもなく、高崎車と前叙衝突個所で衝突し、後部座席に同乗させていた亡修一を路上に転落せしめるという本件事故を惹起した。

叙上の事実を認めることができる。尤も、〔証拠略〕中には、坂口車が本件国道の側端から同国道を横切るようにして右折してきた旨を述べる部分も存するけれども、該供述部分は、前掲甲第八号証の三(実況見分調書)によつて明らかな、本件事故発生直後における同控訴人の指示説明と比照し、かつ、その供述全般の経過に徴すれば(さらに、右甲第二三号証については、それが、坂口の司法警察職員に対する被疑者調書たる前掲甲第八号証の七及び同訴外人が立会した実況見分調書たる同号証の五が作成され、同訴外人の右折方法が明らかにされたのちに録取されたものであることも参酌する。)、本件事故発生原因が坂口の不当な右折方法にあるとの、同控訴人の判断を説明するためのものであることが明瞭であつて、いまだ、叙上認定と相容れないものとはいえない。また、〔証拠略〕中には、坂口が高崎車を発見した際の、同車までの距離が、少なくとも五七・三メートルを超えるものであつたかのごとくに述べる部分も存するけれども、同供述部分は、時速約五〇キロメートルの速度で対進してくる車両(高崎車)との距離を数字的に述べるものであつて、元来正確を保しがたい事柄に関するものであるばかりでなく、当該供述を前提とした場合における坂口車及び高崎車相互の位置関係とその各速度、さらには高崎車の急制動の施用等をかれこれ考慮すると、両車が同時に衝突地点に到達することは困難であると認められることにかんがみ、たやすく信用することができない。その他叙上認定を左右するに足る的確な証拠は存在しない。

(二)  そこで、叙上認定した事実関係を基礎として、本件事故発生の原因について考える。

(1)  坂口は、本件交差点で右折しようとするにあたり、後続車両の間断ない進行のため、即座に同交差点中心に近寄ることができなかつたところから、前叙停止線附近で一旦停車して、右折の機会を待つなどの挙に出ることなく(遅くとも、正対する信号機が赤色信号で、右折を許す矢印を表示するまで待機すれば、右折の機会は十分得られた筈である。)、あえて道交法上要請されている右折方法(右折に際し、あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り、かつ、交差点の中心の直近の内側を徐行するというもの。道交法三四条二号。)に違背して、右折の合図をしながらであるが、前叙停止線より約二七メートル(交差点中心より約一五メートル)道路左側端寄りを進行したうえ、後続車両の切れ目をねらつて、本件国道を左斜めに横切るような方法で右折しようとしたものであり、しかも、高崎車が対進してくるのを認めながら、彼我の距離、車速よりして、同車の到達前に右折を終わることができるものと軽信し、後続車両の動静に気をとられて、高崎車のそれに対する注意を欠いたものであるから、本件事故の発生については、同訴外人に過失の存したことは、多言を要しない。

(2)  進んで、控訴人高崎の過失の存否について検討する。

先ず、同控訴人が本件交差点に進入するに際しての、高崎車のとつていた速度は、時速約五〇キロメートルであつたが、これに対し、同控訴人が坂口車を発見した位置から同車との衝突地点までの距離は、約一一・七メートルに過ぎないものであつたところ、かように時速約五〇キロメートルで進行している。約一、五〇〇キログラムの積荷を積んだ普通貨物自動車が、急制動の措置をとつたとしても、約一一・七メートル走行する以前に停止することはできないのが、通常の事態であると認められるから、同控訴人が坂口車を発見したのちの措置についてみるかぎり、同控訴人に本件事故発生の原因たる過失ありということはできない。尤も、この点について、被控訴人らは、控訴人高崎としては、ハンドル操作によつて高崎車の進路を右または左に転じ、あるいは警音器を吹鳴して、衝突を回避することができた筈であるし、また、急制動の措置をとつたこと自体が、有害な減速をしたことにあたる旨主張している。しかし、本件事故当時、高崎車は本件国道の中央線寄りを走つていたのであるから、ハンドルを右に切つて進路を転じようとすれば、右中央線を越えて反対側進路にまで進出せざるを得ないこととなるところ、折りから対向車両(北九州市方面より福岡市方面に向う車両)の交通はきわめて頻繁で、間断なく進行していた状況にあつたのであるから、かような反対側進路にまで進出するような運転方法をとるべきことを、控訴人高崎に課することは相当でない。また、ハンドルを左に切つて進路を左に転じたり、あるいは、急制動の措置をとらなかつたとしても、高崎車及び坂口車の進路、車速、本件事故の際における右両車の衝突部位その他前叙認定したごとき事情のもとにおいては、高崎車が坂口車の前面をすりぬけて衝突を回避できたとまでは認められないし、本件事故によつて蒙つた亡修一(坂口についても、同様である。)の受傷の程度が軽減されたと断ずることもできないから、同控訴人が、ハンドルを左に切らなかつたり、急制動の措置を施したことをもつて、同控訴人の過失と目し得ないことは、いうをまたないところである。さらに、同控訴人が坂口車を発見したのち、警音器を吹鳴していないことについても、その際の高崎車及び坂口車相互の距離、車速等よりして、同控訴人が急制動の措置をとるとともに、警音器を吹鳴すべきことを期待するのは、いささか酷に過ぎるし、また、これを吹鳴したからといつて、坂口車が急停車するなどして高崎車との衝突を回避する余裕があつたとも認められない。

そうすると、次に問題となるのは、控訴人高崎が坂口車を発見するまでの運転方法に過失の咎を帰せしむべきものがあつたかどうかである。しかし、この点についても、前叙認定したところによれば、同控訴人は、本件交差点にさしかかつた際、正対する信号機が青色信号を表示し、かつ、同交差点中心附近には右折のため待機する車両も見受けられなかつたところから、従前の速度(時速約五〇キロメートル)を維持して同交差点内に進入しようとしたところ、右斜前方約一六メートルの位置に、自車進路を斜めに横切るようにして右折しようとしている坂口車を発見した、というのであり、かつ、本件事故当時、坂口車が横断右折してきた反対側進路の交通は頻繁で、対向車両が間断なく通行していた、という状況にあつたのであるから、坂口車を発見するまでの控訴人高崎の運転方法にも、格別過失とみなすべき廉はないものといわざるを得ない。けだし、通常の自動車運転者としては、ただちに道交法の要請する右折方法に従わないというのみならず、交差点中心を約一五メートルも通り過ぎた道路側端より、間断なく進行してくる後続車両の間隙をぬつて、道路を斜めに横断するような方法で右折してくる自動二輪車その他の車両があることまで予期して運転すべき注意義務があるものとは、到底解せられないからである。尤も、被控訴人らは、本件国道は一直線の見通し良好な道路であるうえ、本件事故発生現場附近では、福岡市方面より北九州方面に向つて若干下り勾配となつているので、控訴人高崎としては、本件交差点(ないし衝突地点)に至るかなり以前の距離から、坂口車が本件国道側端に右折の合図をして停止しているのを発見でき、かつ、これを発見しておれば、速度調整その他本件事故回避のための適切な措置をとり得た筈であり、もしこれを発見していないとすれば、それは、同控訴人の脇見運転その他前方不注視に由来するものというべきである旨主張している。しかし、同控訴人が現に坂口車に気づいたのは、同車が高崎車の右斜前方約一六メートルの位置に接近したときであることは、前叙認定のとおりであるところ、同控訴人において、本件交差点(ないし衝突地点)に至るかなり以前の距離から、坂口車が本件国道側端に右折の合図をして停車しているのをたやすく発見し得べき状況下にあつたかどうかについては、本件にあらわれた全立証によるも、いまだこれを肯認することができないが(ことに、控訴人高崎が時速約五〇キロメートルの速度で進行していたこと、反対側進路を対進してくる対向車両の交通がきわめて頻繁であつたこと、坂口車の右折方法が、通常の運転者には想定しがたい異常なものであつたこと、などの諸事情からすれば、かえつて、控訴人高崎が前叙認定の位置まで坂口車を発見できなかつたのも、無理からぬものがあるというべきである。なお、〔証拠略〕によれば、本件事故現場附近における本件国道の勾配は、三九四分の一であることが明らかである。)、よしや、そのような状況下にあつたものと仮定しても、やはり、叙上説示した道理に何らの消長をきたすものではない。何故なら、交差点の中心から離れた道路側端に右折の合図をしている自動二輪車が停車しているのを現に認め、かつ、同車が道路中央寄りに発進するのに気づいたとしても、同車が、信号機の表示する青色信号に従つて直進する自車の進路に飛び出して、自車の進行を妨げるかごとき挙にでることはないものと信頼するのが通常であり、このような場合にまで、該自動二輪車が自車の進路に飛び出すかも知れないことを念頭において運転すべきことを、直進車の運転者に期待することは、酷に過ぎるというべきだからである。

なお、被控訴人らは、本件事故の場合、坂口車はすでに右折していた車両にあたるから、直進車たる高崎車といえども、坂口車の進行を妨げないような方法で進行すべき注意義務があつた旨をも主張しているところ、本件事故当時施行されていた道交法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの。)には、被控訴人ら指摘の条文の存したことが明らかであるけれども、坂口車がすでに右折していた車両ということのできないことは、前叙認定したところよりして明瞭である。これに加えて、被控訴人らは、控訴人高崎が本件交差点に入るに際して速度調整を怠るなど、安全運転義務に違背した旨主張しているけれども、これが失当たることも、前叙認定した事実関係に照らして、すでに明らかなところである(ことに、本件交差点は、信号機の設置された交差点であるから、被控訴人らの指摘する道交法四二条を直接問題とすることは相当でない。)。

しかして、その他本件全立証を仔細に検討してみても、本件事故の発生について、控訴人高崎に何らかの過失の存したことを首肯せしめるに足る証拠は、これを見出すことができない。

(三)  叙上説示したところに従えば、控訴人高崎については、本件事故の発生に関して過失と目すべきものが見当らないのであるから、被控訴人ら主張の不法行為責任を帰せしめらるべきいわれはなく、すなわち、同事故によつて亡修一及び被控訴人らに生じた損害につき、これが賠償義務を負うことはないものというべきである。

次に、控訴人前田の賠償責任の有無について案ずるに、〔証拠略〕によると、控訴人前田は、本件事故当時、高崎車を保有して、これを自己のため運行の用に供していたものであることが明らかであるけれども、他面、本件事故に関しては、高崎車の運転者たる控訴人高崎には過失がなく、同事故は第三者たる坂口の過失に起因して惹起されたものであつて、運行供用者たる控訴人前田及び運転者たる控訴人高崎において、同車の運行について注意を怠らなかつたものというべきことは、叙上認定判断したとおりであるところ、同車に構造上の欠陥または機能の障害がなかつたこともまた、〔証拠略〕に徴して明瞭であるから、控訴人前田については、自賠法三条但書に定める要件を満たすものと認めるのが相当であり、従つて、同条本文の規定による損害賠償義務を負わないものといわざるを得ない。なお、被控訴人らは、控訴人前田について、民法七一五条の使用者責任をも主張しているけれども、被傭者の立場にある控訴人高崎に不法行為責任がない以上、控訴人前田に対して使用者としての責任を問うことができないのは、多言を要しない。

三  ところで、被控訴人らは、仮定的に、控訴人前田が被控訴人らに対し金五八〇万三、四八四円の限度で本件事故に伴う示談金の支払を約束した旨主張して、同控訴人に対してこれが支払を求めている。

なるほど、〔証拠略〕によると、本件事故後、亡修一の父親である被控訴人覚と高崎車の運行供用者である控訴人前田との間において本件事故に伴う損害賠償について種々交渉が行われ、同被控訴人より、同控訴人に支払を求める具体的金額の提示が行われたことを認めることができるけれども、右各証拠をもつてしても、いまだ、右両者間において被控訴人ら主張のごとき約束が成立したとまで認めることはできず、他に、被控訴人らの右主張事実を肯認せしめるに足る証拠は存在しない。そればかりでなく、かえつて、〔証拠略〕をあわせると、控訴人前田は、任意保険(金額七〇〇万円)を加入していた保険会社の意向もあつて、被控訴人らの求めた損害賠償の請求に応じない態度を明らかにして、右交渉を打切つており、従つて、被控訴人ら主張のごとき約束が成立したことはないことが窺われる。

従つて、被控訴人らの前記主張は、これを採用することができない。

四  以上の次第であるから、控訴人らのその余の主張の当否について判断するまでもなく、控訴人らに対して亡修一及び被控訴人らが本件事故によつて蒙つた損害の賠償を求め、かつ、控訴人前田に対して予備的に同事故に伴う示談金の支払を求める被控訴人らの本訴各請求は、いずれも失当であつて、これが排斥を免れない。

よつて、これと結論を異にする原判決を取消して、被控訴人らの右各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤秀 麻上正信 篠原曜彦)

見取図

<省略>

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