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福岡高等裁判所 昭和30年(ネ)217号 判決 1956年2月28日

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金十万円及びこれに対する昭和二十九年一月十日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

被控訴人のその余の請求権を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分しその一を被控訴人の負担としその余を控訴人の負担とする。

本判決は被控訴人において金二万円の担保を供するときはその勝訴の部分に限り仮にこれを執行することができる。

事実

(省略)

理由

控訴人と被控訴人とが媒酌人の仲介により結納を取り交した上、昭和二十八年二月二十四日中津市合元寺において結婚式を挙げ、爾来控訴人方において事実上の夫婦として同棲していたことは当事者間に争がない。而してその後控訴人が被控訴人を離別するに至つたことは控訴人のこれを認めて争わないところであり、なお当時両者間に正式婚姻届出がなされていなかつたことは本件弁論の全趣旨に徴して明らかである。

ところで控訴人は、被控訴人を離別するに至つたのは、被控訴人の性格が強情、傲慢、陰険で控訴人及びその家族と精神的に調和せず又被控訴人が精力的で性的要求が激しく頑健でない控訴人とは肉体的にも調和せず、到底円満な家庭生活を営む見込がなかつたので、自己を保護し家庭生活を維持するためであつて、自衛行為として正当の処置であると主張するので、まずこの点について考えてみるに、原審証人末宗真直、村上弘瑞、原審並に当審証人藤内芙美、村上幸子、当審証人岩田孝の各証言及び原審並に当審における控訴本人訊問の結果中には、控訴人の右主張事実に添う部分が存するけれども、この点に関する右証人藤内芙美及び控訴本人の各供述部分は後記各証拠と対照して措信し難く、又爾余の前掲各証人のこの点にふれる供述部分は、おおむね控訴人からの伝聞事実にかかり控訴人の該供述部分が前記の如く措信し難い以上、これら証人の各供述部分も亦直ちに控訴人の右主張事実を認める証拠としては採用に値しない。その他控訴人の提出援用にかかる全立証によつても該事実を肯認するに足りない。

むしろ各成立に争のない甲第一、二、三号証の各一、二に原審証人鶴山ちゑ、村上幸子、神田その、末宗真直、村上弘瑞、藤内芙美の各証言(但し証人末宗真直、村上弘瑞、藤内芙美の各証言は一部)及び原審並に当審における当事者双方各本人訊問の結果(但し控訴本人は一部)を綜合すれば、控訴人と被控訴人とは訴外鶴山ちゑ、村上幸子両名の仲介により見合をなし双方互に満足の上、前記の如く結納を取り交し右訴外人両名の媒酌により結婚式を挙げ、爾来控訴人方において控訴人の父及び姉と共に同居し、事実上の夫婦生活を営んで来たが、被控訴人は何分にも新制高等学校を卒業したのみで、当時ようやく成年に達したばかりの農家育ちの女子であり、商家たる控訴人方に入り、にわかにその生活環境になじめず、これがため幾分粗野の言動も見られ、その趣味、教養の程度等必ずしも控訴人の意に添わないところがあり、又洗濯、炊事等家事の処理についても万事不慣れのため、控訴人の姉から時たま注意を受ける位のことはあつたけれども、控訴人との夫婦仲は勿論その父及び姉との間にも格別不和を生ずることもなく、結婚後数ケ月を過したところ、控訴人は慶応大学を卒業して高等学校教諭の職にあるいわゆる知識階級に属し、結婚についても、理想を抱いていたので、被控訴人の言動、趣味及び教養の程度等が自己の理想に添わないところから、次第に被控訴人に対する愛情を失い、媒酌人の一人である村上幸子に対し被控訴人を離別したいとの意嚮を洩し、結婚後四ケ月を経た昭和二十八年六月下旬頃被控訴人が農繁期に実家の手伝に赴き約一週間滞在し帰宅しようとしたところ、被控訴人との性格の相違による精神的融和のないこと及び被控訴人は性慾強烈で且性器が大き過ぎて肉体的調和の保てないこと等を理由として、被控訴人及びその母に対し被控訴人との離別を申し出るに至つたが、その際は媒酌人鶴山ちゑ、村上幸子に説得せられて一応飜意し、被控訴人との同棲を肯んじたけれども、その後被控訴人とは寝室を別にするなど夫婦としての愛情は全くなく、それから僅か一ケ月を出ない同年七月二十四日頃に至り、更に被控訴人に対し離別を迫り遂に被控訴人をしてその頃実家に立ち帰らしめ、数日後被控訴人の荷物をも実家に送り届けたこと及び被控訴人は常人に比し性慾が著しく強烈であつたとはいえず又その性器に異常はなく通常の性生活には何等支障のなかつたことを窺うに十分である。

次に控訴人は、被控訴人に対し結婚生活の維持し難きを述べその解消をはかつたところ、被控訴人はこれを承諾し合意の上離別することとなり、実家に帰つたものであると主張するけれども、右主張事実に添う前顕控訴本人訊問の結果は前記各証拠に照し、にわかに措信し難く他にこれを認め得る証拠は存しない。もつとも被控訴人が控訴人から離別を迫られ実家に立ち帰る際、控訴人に慰藉料を要求したことは、原審における同本人訊問の結果により、これを認め得るけれども、夫婦の一方が自己の納得の行かない理由で相手方から離別を迫られた場合反射的にかかる言辞を弄することは世上稀なる事例でないことが経験則上明らかであるから、これをもつて直ちに被控訴人が控訴人の離別の申出を承諾した証拠とはなし難く、又被控訴人の当審における供述中に、控訴人との離別を望んでいたかの如き部分が存するけれども、このことはいずれかかる結果になるならば、その時期が早くてむしろ幸であつたとの現在の心境を物語る趣旨であると忖度できないこともないので、これをもつて本件離別が合意によることを認める確証となすに足りない。

してみれば控訴人は、被控訴人に格別取り上げる程の落度もなく、その他被控訴人との婚姻予約不履行につき正当と認められる何等の事由もないのに、ほしいままに被控訴人を離別し、もつて該予約を破毀したものと認めざるを得ないので、これがため被控訴人の被つた精神上の苦痛に対し相当の慰藉料を支払う義務があるものといわなければならない。

そこで右慰藉料の数額について考えるに、原審証人神田その、神田斌の各証言及び原審における被控訴本人訊問の結果を綜合すれば、被控訴人は当年二十三歳昭和七年七月五日出生で、居町における中流程度の農家に育ち新制高等学校を卒業し、初婚であつたことが認められ、一方控訴人が慶応大学を卒業し現に高等学校教諭の職にあることは当事者間に争なく、各成立に争のない甲第三号証の一、二、第四、五、六号証に、原審証人藤内芙美、末宗真直、当審証人岩田孝の各証言及び原審並に当審における控訴本人訊問の結果を綜合すれば、控訴人は当年三十一歳(大正十三年九月二十三日出生)で、高等学校教諭として月俸一万二、三千円程度の収入がある外他に格別の資産を有せず、殊に現在胸部疾患のため昭和三十年春頃から休職中で再起の時期も不明であり、控訴人方は中津市において眼鏡商を営み年間約二十万円の収益を挙げているが、それは控訴人の父藤内忠司の営業に属し、父が老令且不具のため控訴人においてその経理面の手助をしているに過ぎないこと及び控訴人は被控訴人に対し先に結納金九万円を贈り現在これが返還を求める意思を有しないこと等が認められるので、右認定の各事実に前記の如き諸般の事情を参酌するときは、控訴人の被控訴人に支払うべき本件慰藉料は金十万円をもつて相当と認めるべきである。

然らば被控訴人の本訴請求は、右金十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和二十九年一月十日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める範囲において正当としてこれを認容すべく、その余は棄却すべきである。

よつて右と一部趣を異にする原判決を変更すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第九十六条、第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 野田三夫 中村平四郎 天野清治)

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