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福岡家庭裁判所田川支部 昭和34年(家)111号 審判 1959年4月13日

申立人 仁後春郎(仮名) 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人等は申立人等の氏「仁後」を「小西」と変更することを許可する旨の審判を求め、その申立の実情として、申立人等の氏「仁後」は他人に奇異の感じを与え日常生活において不便であるのみならず、申立人春郎はともかく申立人とめや申立人夫婦の娘等は「にごー」(二号)と呼ばれ他人の嘲笑侮辱を受けるため、身を切られるような思いをしたこと数知れない。よつて長女の結婚を間近にひかえたこの際養父亡仁後秋郎の前氏「小西」に変更することを許可されたく本申立に及ぶと述べた。

よつて案ずるに、申立人両名及び長女美子(当二四年)二女恵子(当二〇年)等審問の結果によれば申立人等の氏「仁後」は「にご」と呼称するのであるが、他人から「にごーさん」と呼ばれるため二号即ち妾を連想させ好奇の目を以て見られ恥しい思いを経験したことが多いこと。殊に申立人等の娘美子、恵子の陳述するところによると、同女等は幼少の頃は「にごのじゆう」(2×5=10)などと云つてからかわれ、長じては二号を連想され他人から嘲笑的態度で接せられ、又他人に紹介される時は相手が妙な顔をするので随分と辛い思いをすると云うのである。

ところで申立人等は「仁後」という氏が他人をして奇異の感じを与え日常生活において不便であると主張するけれども「仁」という字はまことに立派な文字であり、「後」という字も平凡な文字であつて「仁後」という氏が殊更他人をして奇異の感じを与えるとか、通有性に乏しいものとは考えられない。ただ問題は「にご」という呼び方が直ちに二号を連想させるかどうかである。「にご」をさんづけで呼ぶ場合に「にごー」という方が呼び易いこと、二号が俗に妾を意味すること、しかも適齢期にある娘にとつては二号と呼ばれることが何よりもの侮辱、しゆう恥感を与えるものであることは容易に理解できることではあるが、さりとて「仁後」と呼ばれることによつて、いつ、いかなる場合においても直ちに二号を連想させるとは云い難い(妾を呼ぶのにこの人は二号さんですと云う人がいるとは考えられない。)人の氏はケチをつけようと思えばいくらでもケチをつけられることは吾人の広く経験するところである。恐らく申立人等の一家はたまたま人をひやかす悪趣味な者がいて不快な経験を味つたであろうことは相違なかろうが、常に一般通常人をして二号を連想させるというのは申立人等の思い過し又は意識過剰としか考えられない。

要するに申立人等の氏は、社会生活上著しい困惑と不便を自他共に蒙るような珍奇性は全く認められず、又申立人等の品位を失墜し人格を不当に傷ける虞ある氏と云うにはなお程遠いものがあるといわねばならない。しかりとすれば本件申立は氏の変更を許可するについての要件である「やむをえない事由」の存在を認めることができないので却下するのが相当である。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 高石博良)

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