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福岡地方裁判所久留米支部 昭和56年(ワ)333号 判決 1986年12月03日

原告

兵道有

原告兼右法定代理人親権者(父)

兵道保男

同(母)

兵道光子

右原告ら訴訟代理人弁護士

稲村晴夫

池永満

椛島敏雅

被告学校法人

久留米大学

右代表者理事

吉久勝美

右訴訟代理人弁護士

大石幸二

堺紀文

主文

1  被告は、原告兵道有に対し金三八八二万六五二三円、原告兵道保男、同兵道光子に対し夫々金一六二万円宛並びに右各金額に対する昭和五三年九月二〇日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、被告と原告ら各自の間に生じたものを夫々一〇分して各六を当該原告の負担としその余を被告の負担とする。

4  本判決主文第1項は、仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  請求の趣旨

1  被告は、原告兵道有に対し金一億〇七〇六万円、原告兵道保男、同兵道光子に対し、夫々金五五〇万円宛、並びに右各金額に対する昭和五三年九月二〇日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言。

二  答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

3  仮執行免脱の宣言。

第二  事実上の陳述

一  請求原因(原告)

1  原告有(昭和四二年一〇月八日生)は、原告保男、同光子の長男であり、被告は、医学部の附属施設として、久留米大学病院(以下被告病院と表示)を設置し、医療業務を行つている。

2  原告有は、昭和五三年一月二四日、自宅の火事で全身に熱傷をうけ、筑豊労災病院に入院して応急治療をうけた後、同年二月二〇日、皮膚移植手術等本格治療をうけるため、被告病院に入院し、五回にわたる植皮手術をうけて、同年一二月二六日に退院した。

主治医は次のとおりであつた。

永田正和医師 (イ)入院時から昭和五三年三月末まで。 (ロ)昭和五三年一〇月一日から退院まで。

古賀英昭医師 昭和五三年四月一日から同年九月末日まで。

右両医師は、いずれも被告病院に勤務する医師である。

3  原告有は、右入院中昭和五三年六月頃から、難聴、耳鳴りをおぼえ、これを訴えたが、右両医師らが何らの処置もとらないうちに、聴機能が低下し、同年九月二〇日頃には、両耳の聴力を喪失した。この聴力障害は、不可逆的な生涯疾患として固定し、日常会話は、全くできない。

4  右の原因は、右医師らが、緑膿菌感染症防止の目的で、入院時から原告有に投与したバラマイシン軟膏、コリマイフォーム(泡沫エアゾール剤)、ポリミキシンB(散布剤)、ゲンタマイシン等の副作用である。

なお本件薬剤中バラマイシン軟膏は、昭和五三年二月二〇日(入院時)から後述の耳鼻科による聴力検査の結果、原告有につき感音系難聴の事実が明らかになつた同年八月一八日まで、ポリミキシンBは、同年二月二〇日から同年五月一八日まで、コリマイフォームは、同年五月一八日から同年七月二一日まで、夫々塗布、散布等外用の方法により大量に継続して投与された。

5  しかして、本件薬剤等アミノ配糖体系抗生物質(抗生物質名フラジオマイシン、ゲンタマイシン、ストレプトマイシン等)が、いずれも難聴等の聴力障害をひきおこす副作用を有することは当時広く知られていたことで、外用による症例の報告もある。

そうして、いずれも外用剤であるバラマイシン軟膏、コリマイフォームの能書には「難聴、腎障害があらわれる可能性があるため、長期連用を避けること」「広範囲な熱傷、潰瘍のある皮膚には長期間連用しないこと」と記載され、またポリミキシンBについても「経口以外の投与法により腎または神経系に重篤な副作用を起すことがあるので、本剤以外に使用する薬剤がない場合にのみ使用すること」と記載され副作用として難聴、知覺異常、頭痛等が挙げられている。

ちなみに、これらの能書において、特に広範囲な熱傷、潰瘍ある皮膚への長期連用が禁じられているのは、これらの場合熱傷、潰瘍面から薬剤の吸収がよいからである。

しかも被告病院では、本件前に熱症患者柿元美智江にアミノ配糖体系抗生物質を外用及び注射して難聴が発生した事例があり、このことは永田医師も承知していた。

6  また、本件当時緑膿菌感染症については、腎や聴覚障害の副作用を有しないサルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイアジンがあつて、本件薬剤を長期にわたり投与する必要はなかつた。サルファマイロンクリームは塗布後に疼痛があるとしても聴力を失うか否かの選択を迫られるのであれば、これを使用すべきであつたし、シルバーサルファダイアジンは、右サルファマイロンクルームの「疼痛」を克服するために開発され、昭和五三年当時各種医学雑誌で紹介され、各大学病院(九州では熊本大、長崎大、宮崎医大等)や有力な病院で広く使用されていた。

7  従つて右医師らとしては、原告有に本件薬剤等アミノ配糖体系抗生物質を投与するにあたつては、その広範囲な皮膚面への長期連用は、外用であつても聴力障害等の結果を生ずべきことを予見し、たえず聴力検査を行うなどしてこれを観察し、危険を発見した場合は直ちに前述の代替薬剤の投与に切り替えるなどして聴力障害等重大な結果が生ずるのを回避すべき注意義務があつたものである。

8  しかし、右両医師は、前記能書の記載等により当然その結果を予見し得る立場にあつたのにこれを予見せず、また仮に予見していたとしてもその結果回避に意を用いず、原告有に前記アミノ配糖体系抗生物質を投与しながら原告有の聴力についての日常の観察をせず、定期的な聴力検査も行わないで、長期にわたり右投与を継続した結果、前述の如く重大な結果を生ぜしめた。

9  被告は、右両医師の使用者であつて、民法第七一五条により右の結果によつて生じた損害を賠償すべき義務を負う。

10  また、原告有は、被告に右全身熱傷の治療を委託したものであつて、その治療に際し、被告の履行補助者たる右両医師の行為により、被告が通常課せられた治療上の注意を払えば回避できた聴力障害の結果が発生したので、右は被告の債務不履行により生じたものというべく、被告は、原告に発生した損害を賠償すべき義務を負う。

11  原告らの損害は、別紙損害一覧表に記載のとおり、原告有において一億〇七〇六万円、原告保男、同光子において夫々五五〇万円である。

12  よつて、原告らは、被告に次のとおり支払を求める。

(一) 原告有。一億〇七〇六万円とこれに対する損害発生の後である昭和五三年九月二〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金。

(二) 原告保男、同光子。各五五〇万円及びこれに対する前同日から支払ずみまで前同年五分の割合による遅延損害金。

二  答弁(被告)

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実も認める。

3  同3の事実中、原告有の聴力障害の程度は不知。その余は否認。

4  請求原因4の事実中、永田、古賀医師らが、原告ら主張の期間、夫々バラマイシン軟膏、ポリミキシンB、コリマイフォームを原告有に投与したこと、またゲンタマイシンを投与したことは認める。但し緑膿菌感染症の防止を主たる目的とし、外用塗布したものである。その余は争う。

5  その余の請求原因事実は、担当医師らの過失を否認し、その余の事実を争う。

6(一)  原告有は、昭和五三年一月二五日筑豊労災病院に入院したが、そのとき頭部、前胸部を除き全身八〇%に二ないし四度の熱傷を負い、悪寒を訴えていた。同病院では、直ちに輸液を開始すると共に、全身麻酔をして受傷部の汚染を清掃した。翌二六日までの原告有の尿量は八〇〇cc、二七日以降一〇〇〇ccであつたが、同月二八日より貧血、低蛋白が著明となり、輸血が行われ、同年二月七日、培養検査の結果緑膿菌が検出されたので、デキマイシン(抗生物質名フラジオマイシン)が多量に投与された。

同月二〇日、植皮術を行う必要があるため、被告病院に転院した。

(二)  被告病院に転入院当時、原告有には、顔面、頭部、胸部、腹部、上肢の一部を除き、全身の七六%に熱傷三度による潰瘍が認められ、潰瘍面には緑膿菌感染による汚染が顕著に認められた。

(三)  よつて、敗血症防止のため、バラマイシン軟膏(抗生物質名フラジオマイシン、パシトテシン)の外用塗布、ポリミキシンB(同ポリミキシンB)の撒布及び入浴等が緑膿菌対策として行われ、入院時より一週間目位までは毎日、その後は二ないし三日目毎にガーゼが交換されて、パラマイシン軟膏やエキザルベの外用、緑膿菌感染が強いときは、ポリミキシンB剤やコリマイフォーム(抗生物質名コリスチン、フラジオマイシン)等の撒布も行われた。原告有は、感染による潰瘍面の汚染が強いときはしばしば発熱し、体温が三九度をこえることもあり、細菌培養検査が定期的に行われた。

(四)  そうして、内科、麻酔科医師の参加による全身的管理下に、植皮術の実施時期が選択されて、①昭和五三年三月一四日、②四月一八日、③五月一六日、④七月一八日、⑤一一月七日の五回にわたり本人及び母原告光子の皮膚による網状植皮術が、またその間しばしば局所麻酔によるチール植皮術が行われた。

(五)  そうして、右第四回目の全身麻酔による手術の翌日(昭和五三年七月一九日)、被告病院は、原告有に軽度の聴力障害があることに気付き、同月二四日耳鼻科に照会したが、全身状態が悪く、聴力検査は行えなかつた。しかし、この時点で被告病院は、抗生物質による副作用を考慮し、感染の強い背部のみバラマイシン軟膏を用い、下肢等は〇・一%リバノールソルベース外用にかえた。

(六)  同年八月一八日、聴力検査が実施され、原告有は感音性難聴と診断されたので、耳鼻科の指示により、ビタメジン、カルナクリン等の処方投与を行い、治療につとめると共に、以後二週に一回の聴力検査を行つたが、軽快しなかつた。右診断後原告有に対する抗生物質系薬剤の使用は全て中止された。

(七)  前記五回目の植皮手術後、原告有は背面の一部に潰瘍を残すのみとなり、治療はほぼ終了したので、昭和五三年一二月二六日退院した。

7  予見不可能。

本件当時医学界では、アミノ配糖体系抗生物質による副作用としての難聴は、静脈又は皮下注射を一週間以上行うかたちで投与することにより発生するが、外用によつては発生しないとする見解が一般であつた。

また、当時外用による難聴が発生した例を記載した文献もなかつた。能書の記載は、医療水準上は文献も知見もない極めて稀な症例との認識であるにすぎない。

よつて、本件当時、右担当医師らが、本件薬剤の外用投与により難聴が発生するとの予見は不可能であつた。

8  原告有は、広範かつ重症の熱傷をうけ、緑膿菌により高度に汚染され、これを抑制しない限り敗血症合併による死亡が確実であつた。そうして、本件当時、アミノ配糖体系抗生物質以外に緑膿菌抑制に有効な薬剤はなく、担当医師らはバラマイシン軟膏、ポリミキシンB、コリマイフォーム等の本件各薬剤を使用するほかはなかつた。そうして原告有に難聴のきざしが見られた七月一九日以降は適切な使用制限ないし使用中止の処置をとつた。

9  よつて、前記医師らの治療に過失はなかつた。

10  サルファマイロンクリームは、難聴の副作用こそないが、塗布後数時間にわたり激烈な疼痛があり、小児の場合にはこれによるショック症状のおそれもあり、適当でない。その他の副作用もあり、当時文献上も小児または重症の熱傷患者には使用されていなかつた。

シルバーサルファダイアジンクリームは、一部臨床医で試験中のもので、汎用されておらずまだ研究過程にあつた。本剤が市販されるようになつたのは、昭和五七年一月からである(商品名ゲーベンクリーム)。

また今日においても緑膿菌抑制に有効な抗生物質は本件で使用したアミノ配糖体系の医薬以外に存在しない。

11  担当医師らが聴力検査を行つた状況は前述のとおりでこの点についても過失はない。またアミノ配糖体系抗生物質による難聴は、血中濃度の関係から投与中止後も進行することがあり、不可逆的で治療不可能である。よつて、聴力検査で難聴の徴候を発見し、右薬剤の投与を中止しても、難聴の進行を防止することはできない。

三  抗弁(被告)

仮に担当医師らに過失があつたとしても、(イ)原告有の熱傷は全身の七五%に及び、しかも二ないし三度の極度の重症で、入院時緑膿菌に高度に汚染されていて、敗血症予防のためには、アミノ配糖体系抗生物質を使用せざるを得ない状況を有していたこと(原告側の原因)、(ロ)抗生物質による難聴はその発生に個体差があり、これを予見するための医学的な検査方法がなく、またその難聴の発生を発見しても予防、治療の方法がなく、不可逆的に進行して治癒は不可能であること、(ハ)被告病院は、原告有に対し、長期にわたる考え得る最善の献身的な治療を行い、生命の危険を完全に救つたことなどにてらして、八割の過失相殺をなすべきである。

四  答弁(原告)

抗弁事実は争う。

第三  証拠の関係<省略>

理由

一請求原因1、2の各事実並びに同4の事実中永田、古賀医師らが、原告主張の期間夫々バラマイシン軟膏、ポリミキシンB、コリマイフォームを原告有に投与(外用)したこと、またゲンタマイシンを投与したことは、当事者間に争いがない。

二右事実、<証拠>をあわせると、

1  原告有は、昭和五三年二月二〇日、被告病院に転入院時、顔面、頭部、胸部及び腹部の一部を除いて、全身の約七六%に火傷(大部分が三度)による潰瘍が存在し、緑膿菌の感染が認められ、敗血症を併発するおそれがあり、その予防のためにも植皮手術が急がれたこと、

2  しかし、検査の結果、低蛋白と電解質異常が認められ、全身麻酔に耐える全身状態ではないことが明らかになり、全身状態改善のための治療(前述のバラマイシン軟膏、ポリミキシンB、コリマイフォーム等の抗生物質投与は潰瘍面全体が植皮手術により消滅するまでの緑膿菌対策。)が行われたこと、

3  その結果、どうにか全身麻酔に耐えるという見通しがつき、本人及び母原告光子から採取した皮膚をもつて、①昭和五三年三月一四日両膝関節、左足関節、大腿部、下腿伸側に、②同年四月一八日、背・臀部、大腿後面に、③同年五月一六日、両下腿、かかと、足背、左側腹部に、④同年七月一八日、臀部、大腿後面に、⑤同年一一月七日背部に、夫々全身麻酔による網状植皮手術が行われ、その間一〇回にわたり局部麻酔による表皮植皮手術が行われて潰瘍面はほとんど消滅し、同年一二月二六日退院したこと、

4  前述の如く原告有は、筑豊病院当時からすでに緑膿菌感染が認められ(二月七日培養検査の結果)、また被告病院入院後右植皮手術実施中も、潰瘍面は緑膿菌感染の状態であり続けたので、筑豊労災病院においてデキマイシン(フラジオマイシン)が投与されたほか、被告病院においてもポリミキシンBの撒布(ガーゼ交換時に一回につき一アンプル五〇万単位を約二〇ccの生理的食塩水に溶解して注射器を使用し潰瘍面に撒布する。必要に応じて潰瘍面全体を洗うまで薬剤を更に五〇万単位追加する。創面を洗つたあとの薬剤は流れ落ちるにまかせる。)、バラマイシン軟膏の塗布(ガーゼに厚さ一ないし二mm位に伸ばしたものをガーゼ交換に際して潰瘍面に当て、被覆する。)、コリマイフォームの撒布(泡沫エアゾール剤。)が行われたこと、

5  ポリミキシンB(硫酸ポリミキシンB。ポリペプチド抗生物質。)の昭和五一年一〇月改訂分以後の能書には、用法用量として局所投与(撒布を含む)につき一回の最高投与量は、五〇万単位を超えてはならない旨の記載があり、その理由は、「炎症局所へ高濃度或いは広範囲にわたる投与の場合、吸収されて腎障害、神経障害等の副作用が発現する可能性が否定出来」ないからであること、被告病院においては、昭和五三年二月二一日以降同年五月一〇日までの間、入院直後は毎日、二月末頃以降は症状に応じて毎日または一日ないし三、四日おきに、初期においては一回あたり一〇〇万単位宛、その後は五〇万単位宛原告有に投与したこと、

6  バラマイシン軟膏(バシトラシン、硫酸フラジオマイシン軟膏)の昭和五三年二月作成の能書には、使用上の注意として「広範囲な熱傷、潰瘍のある皮膚には長期間連用しないこと。」「腎障害、難聴があらわれる可能性があるので、長期連用を避けること。」と記載されているが、被告病院においては、昭和五三年二月二一日から後述の聴力検査による両側耳感音系難聴の事実が判明して同年八月一八日投与を中止するまで、前述のような方法で広範な潰瘍面に塗布の方法で原告有に投与したこと、

7  コリマイフォーム(硫酸コリスチン、硫酸フラジオマイシンエアゾール)の昭和五二年七月改訂の能書には、使用上の注意として「広範囲な火傷、潰瘍のある皮膚の患者」には「長期間投与しないこと」の記載があること、被告病院においては、右ポリミキシンBに替え、昭和五三年五月一八日から七月二〇日まで、数日に一度位の割合でコリマイフォームを緑膿菌により強く汚染された潰瘍面(背部)に撒布する方法で原告有に投与したこと、

8  原告有は、昭和五三年六月中旬頃、テレビの音を小さくしたら他の患者に聴きとれる音がきこえないということで、まず父原告保男、母原告光子に異常を気付かれ、また同年七月頃右原告光子にキーンと音がすると耳鳴り様の症状を訴え、同年八月頃には、会話にも差支えを生ずるに至つたこと、聴覚の異常は、おそくとも同年七月一二日には病院側に申出られて看護日誌にも「最近耳が聞こえにくくなつたと父親いう」との記載があること、

9  しかし右の申出があつた当時、なお通常の会話能力はあり(看護日誌にも右以外特段の記載がない。)、主治医であつた古賀医師も聴覚異常を気附かなかつたこと、しかし、そのいきさつは明らかでないが、同七月一九日、病棟勤務の名嘉眞医師が原告保に軽度の聴力障害があることに気附いてその旨カルテに記入したこと、

10  そこで古賀医師は、同月二四日、耳鼻科に紹介して検査を求めたが会話領域及び音叉による検査では難聴とまでは認められず、ただ耳鳴りと言葉を明瞭に聞きとりにくいという原告有の訴えにより、担当の江崎医師は、なおオージオメーターによる精密検査の必要があると判断したが、右の検査は前記第四回目の植皮手術(七月一八日)の後間がなく、検査室に連れて行くのが難かしいという皮膚科側の意見で、移動ができるようになるまで精密検査をまつことにしたこと、

11  八月に入り、原告有の難聴は明らかとなり、右古賀医師は再度耳鼻科に紹介して同月一八日精密検査が行われた結果、原告有に両側感音難聴(平均七〇デシベルの聴力喪失。)が認められたこと(担当川崎医師)、そこで皮膚科側は、バラマイシン軟膏、ポリミキシンB等の投与を中止し、リバノール・ソルベースに変更するなどの処置をとると共に耳鼻科の指示による治療、被告病院退院後も福岡大学病院での治療が行われたが、右の聴力障害の度合いは軽快せず、むしろ進行して昭和五六年六月四日現在右八九デシベル、左八七デシベルの聴力喪失で固定したこと、右は、身体障害者福祉法別表二の1に該当すること、ちなみに聴力喪失が五〇デシベルを越えると普通の会話の声は聞こえなくなり、八〇デシベルを越えると耳もとの話声にも反応できなくなることもあり、大多数の者は母音の弁別もできなくなること、学校教育上は聴力喪失九〇デシベル以上を聾としていること、

12  右原告有の聴力喪失は、全立証を検討しても他にその原因を窺うに足る資料はなく、前述の如く本件緑膿菌対策として継続的に外用投与されたデキマイシン、バラマイシン軟膏、ポリミキシンB、コリマイフォームの副作用とみざるを得ないこと、

13  右副作用の存在は、本件当時付されていた能書によつても、すくなくとも医師であれば予見が可能であつたこと、

14  本件主治医であつた永田、古賀両医師らは、当面の緑膿菌対策と植皮手術の成否に注意を集中していたこともあり、かつ右各抗生物質の投与が外用であつて、過去被告病院では外用による右各抗生物質の副作用としての難聴の事例もなかつたため、注射による全身投与の場合ほど副作用に留意せず、その結果副作用(難聴)の発現の可能性について考慮していなかつたこと、従つてまた定期的な聴力検査や付添いの原告保男、同光子らに対する観察の指示もせず、また自らもその点に留意した観察もしていなかつたこと、

15  そうして前述のとおり、七月、難聴の報告をうけた後もなおバラマイシン軟膏、コリマイフォームの投与を完全には中止しなかつたこと

の諸事実を認めることができる。原告本人兵道光子の供述中以上の認定に反する部分は採用できない。

三被告は、本件当時前述の各薬剤の外用による副作用(難聴)の発生は予見不可能であつたと主張するが、同旨の前記永田、古賀両証人の供述は、書証(一九七五年(昭和五〇年)版薬剤による副作用)、(各日本薬局方解説書、各フラジオマイシンの副作用の記載部分)、証人井上勝平の供述(特にアミノ配糖体系の抗生物質はすべて聴毒性を持つ旨、ポリミキシンも動物実験上聴毒性があることが知られている旨、血行のない壊死物質が付いている部分は別として、肉芽面に塗布された薬品の吸収率は、正常な皮膚面に塗布した場合の約一〇倍の吸収率がある旨の供述部分)にてらして採用できない。他にこの判断を左右するに足る証拠はない。

四被告は、また当時他に緑膿菌に有効な入手できる薬品はなかつた旨主張するが、<証拠>によれば、一般に市販されるに至つてはいなかつたとしても昭和五〇年頃からいわゆる治験薬として本件のような副作用を伴わないサルファマイロンクリーム、シルバーサルファダイアジン等(非抗生物質)が文献にも発表され、また大学病院、大病院でも使用されていたこと、もつともサルファマイロンクリームは投与後の副作用として疼痛を伴い、またシルバーサルファダイアジンは投与後の副作用とみられる白血球減少の事例が判明したので、共に萬能の代替薬ではないが、緑膿菌対策としては有効であり、シルバーサルファダイアジンは現在も他の消毒剤やゲンタマイシン等の組合わせにおいて使用されていることが認められ、被告病院もまた大学病院としてこれらの情報を収集し使用できる立場にあつたことが明らかである。証人永田正和、古賀英昭の供述中この認定に反する部分は採用できない。他にこの点に関する被告の主張を首肯するに足る証拠がない。

五以上の理由により、原告有を担当した医師らが、当面の植皮手術の成否や緑膿菌対策に没頭するあまり、予見し得るバラマイシン軟膏、ポリミキシンB、コリマイフォームの副作用(難聴)発現の可能性を考慮せず、定期的な聴力検査や付添いの父母(原告保男、同光子)に対する観察指示又は自らその点に留意して観察するなどの処置をとつて聴力障害の徴候の発見に務め、かつこれを発見したときは、直ちにその投与を中止して他の代替薬剤に切りかえるなどの対策を講じていなかつた点、右医師らの過失を否定することはできない。

六なお、右医師らが当初ポリミキシンB、バラマイシン軟膏等を使用したことは、<証拠>にてらして、当時右薬剤が有効な緑膿菌対策として一般に使用されていたこと、ことに被告病院の場合その外用投与による副作用とみられる重大な障害発生の事例がなかつたこと、また当時一般に被告病院が入手する範囲内では、そのような症例を報告した文献もなかつたこと等の事情が認められ直ちに過失があるということはできない。

しかし、右各薬剤の副作用としての難聴が投与中止後も不可逆的に進行することを理由に、聴力検査による結果回避は不可能である旨の被告の主張はこれを認めるに足る証拠はなく、むしろ、証人井上勝平の供述に証人川崎洋、同江崎修市らの供述をあわせると、右各薬剤の副作用としての感音難聴は不可逆的ではあつても、極めて初期の徴候をとらえて対策を講じるならば、本件のような高度の聴力障害に至る前に進行を停止させ得たもの(同じアミノグリコシド抗生物質であるストレプトマイシンの注射を行うときは、一、二週間置きに聴力検査を行つている)と認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。他に全立証にてらしても原告有が当時重篤な難聴という結果が生じることを承知の上で、なお右の各薬剤を継続して投与されなければならなかつた事情を首肯するに足る証拠はない。

七よつて、爾余の点を判断するまでもなく、右永田、同古賀両医師の使用者たる被告は、原告らのうけた損害を賠償すべき義務がある。

八損害

1  原告有(合計三八八二万六五二三円)

(一)  慰藉料。

以上の認定事実によると、本件聴力障害によつて原告有が重大な精神的苦痛をうけたことは否定できないが、そのよつて生じたいきさつにてらして、被告側にも宥恕すべき事情があり、このような重度の熱傷を負つた原告に対する本来の治療が成功した以上は、原告側もある程度不本意な結果が生じたことを受忍すべきものであるから、諸般の事情を勘案して三〇〇万円の限度でこれを認めるのが相当である。

(二)  逸失利益

原告有は、本件症状固定時一四才の男子であつて、本件聴力障害がなかつたならば、おそくとも一八才からすくなくとも六五才までの四八年間稼働し、別紙逸失利益一覧表(1)記載のとおりの給与額相当(賃金センサス昭和五六年第一巻第一表)の収入を得べかりしところ、本件により、すくなくとも労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表第六級の三「両耳の聴力が耳に接しなければ大声を解することができない程度になつたもの」を下らない聴力障害を残すことになつたことが認められ、労働能力喪失率は、六七%を下らないと認められる。よつて、民事法定利率年五%の率によるライプニッツ方式計算係数表(年毎方式)を用いてその逸失利益の現価額を求めると、別紙逸失利益一覧表(2)記載のとおり三三〇二万六五二三円となることが明らかである。

(三)  弁護士費用

二八〇万円と認めるのが相当で<ある>。

2  原告保男、同光子ら(各一六二万円)

右原告らは、原告有の父母であつて、前記認定の事実関係並びに原告本人兵道光子の供述によれば、原告有の聴力喪失についての治療、監護、教育及びその将来の生活問題等に関し、右原告有が死亡した場合とくらべても著しく劣らぬ心労を余儀なくされ、精神的苦痛を蒙つたことが認められる。このことと、前同様重度の熱傷を負つた原告に対する本来の治療が成功していることなど諸般の事情もあわせて勘案すると、本件では被告に対し右原告らに夫々一五〇万円宛の慰藉料の支払を命じて右原告らを慰藉させるのが相当である。

また、弁護士費用は夫々一二万円宛と認めるのが相当で<ある>。

九被告主張の過失相殺は、これを首肯するに足る証拠がなく採用できない。

一〇よつて原告らの請求は、原告有につき三八八二万六五二三円、原告保男、同光子につき夫々一六二万円宛並びにこれらに対する本件不法行為の後である昭和五三年九月二〇日から各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で相当としてこれを認容し、その余はいずれも失当であつて棄却することとして民事訴訟法第八九条、第九二条、第一九六条を適用し主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱の宣言は、相当でないから、その申立を却下する。

(裁判長裁判官岡野重信 裁判官有満俊昭 裁判官奥田哲也)

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