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福岡地方裁判所 昭和46年(わ)981号 判決 1974年10月15日

被告人 有川満伸 外五名

主文

被告人小宮祥蔵を懲役一〇月に処する。

未決勾留日数のうち三〇日を右本刑に算入する。

被告人有川満伸、被告人川上進、被告人小菅順子、被告人高木くに子および被告人讃井嘉樹はいずれも、無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人小宮祥蔵は、昭和四六年一二月一八日、福岡市天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館内において、同日午後二時から同会館三階大ホールで開催予定の日本マルクス主義学生同盟中核派(以下「中核派」という。)主催の「12・18中核派大政治集会」と称する集会の会場の準備など行なつていたところ、同日午後一時一〇分前ごろ、中核派とはかねてから主義主張をめぐり対立抗争関係にあつた日本マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(以下「革マル派」という。)に属する者ら一〇数名がそれぞれ手に鉄パイプ等を所持して右三階大ホール南側出入口付近に押しかけて来たため、その場で右集会の準備にあたつていた中核派に属する者らとともに右出入口から出て右革マル派の者らを追い払おうとしたが、

第一、同被告人は、その際、同一時一〇分前後ごろ同会館南側階段三階から二階に通じる階段付近において、同被告人らに追われて逃げる右革マル派に属する者の一人である氏名不詳の男一名(年令二一、二才、身長一・六メートル位、やや長めに髪を伸ばした学生風、その際黒コート着用)を見るや、同様に右革マル派の者らを追つてその場に出て来た仲間の清原信子ほか二名(二名はいずれも男性、氏名不詳)とともに、被告人らがそれぞれ手に握る木刀一本(昭和四九年押第五二号の二)および長さ四、五〇センチメートル位の鉄パイプ様の棒三本位を兇器として右革マル派に属する氏名不詳の男に対し共同してその生命、身体に危害を加える意を共通にし、その目的のもとにその場に集結し、もつて兇器を準備して集合し、

第二、同被告人は、右第一の犯行の直後ごろ同会館二階廊下において、右仲間の清原信子ほか二名と意思相通じたうえ共同して、右革マル派に属する氏名不詳の男に対し、同被告人らが各自一本位づつ握る前記木刀および鉄パイプ様の棒でその頭部、肩、腕などをこもごも乱打する暴行を加え、もつて数人共同して暴行した。

(証拠の標目)(略)

(確定裁判)

被告人小宮祥蔵は、昭和四七年三月一日に東京地方裁判所において、兇器準備集合および威力業務妨害の罪により懲役一年二月(三年間執行猶予)に処せられ、右裁判は昭和四八年三月二二日に確定したものであつて、この事実は、同被告人の当公判廷における供述および検察事務官吉竹省蔵作成の前科調書によつて認める。

(法令の適用)

被告人小宮祥蔵の判示第一の所為は、刑法二〇八条の二第一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号(ただし、刑法六条、一〇条に従い、軽い行為時法である、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号を適用する。)に、判示第二の所為は、暴力行為等処罰に関する法律一条(刑法二〇八条)、罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条に従い、前同改正前の罰金等臨時措置法三条一項二号を適用する。)に該当するところ、右各罪は前記確定裁判を経た罪と刑法四五条後段の併合罪の関係にあるので、同法五〇条によりまだ裁判を経てない判示各罪についてさらに処断することとし、判示各罪についていずれもその所定刑のうち懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で同被告人を懲役一〇月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇日を右本刑に算入することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して全部同被告人に負担させないこととする。

なお、被告人小宮の判示第一の犯行にかかる訴因は、同被告人は昭和四六年一二月一八日午後〇時ごろから同日午後一時二〇分ごろまでの間、その余の被告人らを含む中核派の学生ら一〇数名とともに、判示教育会館内において兇器を準備して集合したというのであるが、後述のとおり判示集会の準備のため同日午後〇時一〇分ごろ右教育会館に到着した被告人小宮を含む右中核派の者ら一〇数名について、その到着時から同日午後一時一五分過ぎごろ警察官らによつて革マル派の者らが同会館から排除されるまでの間全般にわたる全体としての兇器準備集合罪の成立を認めるには、なお共同加害の目的の存在の立証が十分でないので、被告人小宮のみについては判示のとおり加害意思の存在が肯定できるにしても、他の者らの共同加害意思の立証がない以上、同被告人についても右全時刻にわたるその場にあつた全員との間における兇器準備集合罪の成立を肯定することは許されず、結局、右訴因の範囲内でその証拠上明らかな判示第一の事実を認定した次第である。

(被告人小宮祥蔵および弁護人の主張に対する判断)

被告人小宮祥蔵および弁護人は、同被告人に対する本件公訴事実中暴力行為等処罰に関する法律違反の事実について、本件は人の身体に対する罪であるところ、その相手方であるいわゆる被害者が特定されていないから、訴因において罪となるべき事実が特定されていないことに帰し、したがつて起訴自体が刑事訴訟法二五六条三項に違反する無効なものであつて、同法三三八条四号に従い公訴を棄却すべきものである旨主張する。

そこで検討するのに、本件起訴状の記載においては、その被害者については「学生風の男(年令二一才位、身長一六二、三センチメートル、長髪、黒ぽいコートを着用した男)」とのみしか表示されていない。そして本件審理の全過程を通じても、検察官が右被害者の氏名、住居、本籍、生年月日などを特定することができず、本件全立証の結果によつても、被害者の特定については検察官の右のような主張の範囲を出ないことは弁護人らの主張のとおりである。

ところで、いうまでもなく暴力行為等処罰に関する法律一条違反の罪においては、被害者は罪となるべき事実の構成要素であつて、具体的な特定の被害者が明示されない公訴事実は公訴事実そのものとしての要件を欠く。しかしながら、公訴事実において被害者の氏名が不詳とされているということは、直ちに被害者が不詳であること、すなわち具体的な特定の被害者の明示がないということを意味するのではなく、性別、人相、風体、年令に関する記載とともにその訴因の全記載から被害者が特定日時に特定場所に存在した具体的な特定の人間であることが示されている限り、その氏名が不詳とされていても被害者の明示はあるというべきである。この点から本件をみると、被害者の性別、風体、体格、推定年令等は、起訴状の記載により前記のとおり明らかであり、これと公訴事実に記載された犯行日時および場所(判示認定とほぼ同じ)とを合わせれば、本件公訴事実が具体的な特定の人間に対し数人共同して暴行を加えた事実であることが明示されていると認められるから、その意味で公訴事実そのものとしての要件に欠ける点は全くない。

もつとも、刑事訴訟法二五六条三項は、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と定めているから、訴因における被害者の特定のための記載においても、とりわけ被告人の防禦という見地から、氏名等が明示されることが望ましいことはいうまでもない。しかし、右に述べたように、本件被害者が具体的な特定の人間であることは訴因の全記載によつて明らかであるうえ、一応他と識別できる程度に具体的な表示がなされているから、これ以上に氏名等によつて詳しく具体的に表示されなくても、本件公訴が審判を求めようとする対象は明確であり、被告人の防禦の範囲もおのずから限定されているというべきであつて、その意味で訴因の特定に欠けるということもできない。

したがつて、本件訴因が罪となるべき事実の特定を欠くとの弁護人らの主張は理由がなく、これを採用することができない。

(被告人有川満伸、同川上進、同小菅順子、同高木くに子および同讃井嘉樹の無罪の理由)

第一、公訴事実の要旨

被告人有川満伸に対する昭和四六年一二月三〇日付起訴状記載の公訴事実ならびに被告人川上進、同小菅順子、同高木くに子および同讃井嘉樹に対する本件各公訴事実の要旨はいずれも

「被告人は、いわゆる中核派に属する者であるが、同派の学生ら約一〇数名と共謀のうえ、昭和四六年一二月一八日午後〇時ごろから同日午後一時二〇分ごろまでの間、福岡市天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館内において、かねて対立関係にあつた革マル派などの学生らの生命、身体に対して共同して害を加える目的をもつて、前記中核派の学生らとともに、多数の木刀、鍬の柄、ホッケーのステイツク、鉄パイプなどを兇器として準備して集合した」

というのであり、被告人有川満伸に対する昭和四七年一月一二日付起訴状記載の公訴事実は、

「被告人は、いわゆる中核派に属する者であるが、同派の学生ら数名と共謀のうえ、これらの者と共同して、昭和四六年一二月一八日午後一時一五分ころ、福岡市天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館三階において岩下宏正、上野俊英、谷川敬介およびおよび合田修二に対し、こもごも所携の鉄パイプなどを用いて突くなどの暴行を加え、もつて数人共同して暴行を加えたものである」

というのである。

第二、当裁判所の判断

一、本件各公訴事実に相応する事実関係

被告人六名の当公判廷における各供述、証人吉住幸太郎、同増田二郎、同永野益子、同小田守(二回)、同木村健司(二回)、同清原信子、同田辺文隆、同宜保安正、同島景子および同尾上和子の当公判廷における各供述、貝原種夫、桜木亘、石村恒勇および木村勇夫の検察官に対する各供述調書、内野晃の検察官に対する供述調書謄本、宜保安正の検察官に対する供述調書謄本第五項および第六項、司法警察員中村益幸作成の「福岡県教育会館における中核、革マルの内ゲバ事件現認報告書」と題する書面、司法巡査籾井誓および司法警察員百田英二のそれぞれ作成した各現認報告書、司法巡査江崎修ほか一名、司法巡査川口九州男および同末永孝男のそれぞれ作成した各現行犯人逮捕手続書謄本、司法巡査木村健司、司法警察員米田穣二、司法巡査八尋茂忍、司法警察員中村益幸、司法巡査冨田一夫、同福島勇および同樋口八郎ほか一名のそれぞれ作成した各現行犯人逮捕手続書、司法警察員高村昭三作成の捜索差押調書、司法巡査岡元裕二および同久保茂文のそれぞれ作成した各写真撮影報告書、司法巡査籾井誓および同福島勇のそれぞれ作成した各現場写真撮影報告書、司法巡査桑原勝己作成の各鑑識写真撮影報告書、当裁判所の検証調書、司法警察員吉住幸太郎ほか一名作成の実況見分調書ならびに押収してあるホツケーステイツク五本(昭和四九年押第五二号の一)、木刀一本(同押号の二)、鍬の柄四本(同押号の三および四)、鉄棒(両端鉤型)一本(同押号の五)、鉄パイプ(八〇センチメートル×一・四センチメートル)一本(同押号の六)、鉄パイプ(七六センチメートル×二・四センチメートル)一本(同押号の七)、鉄パイプ(三五センチメートル×二・三センチメートル)一本(同押号の八)、鉄パイプ(長さ三九センチメートル)一本(同押号の九)、樫棒一本(同押号の二二)、足場用鉄パイプ(長さ二二一センチメートル)一七本(同押号の二三、二四および二五)、足場用鉄パイプ(長さ一一〇センチメートル)二本(同押号の二六)、ヘルメツト二個(同押号の二七および三四)、入場券一一〇枚(同押号の二八、三〇および三六)およびビラ(「一二月復讐戦に起て」と題するもの)一枚(同押号の四一)によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

(一) 被告人ら(被告人小宮祥蔵を含む。以下同じ)はいずれも、中核派に所属する者であるか、またはそのいわゆる同調者であること

(二) 中核派においては昭和四六年一一月下旬ごろから当時同派の主張していたいわゆる沖縄返還協定批准反対のための政治集会を福岡市内において開くことを企画し、その日取りを同年一二月一八日と定め、被告人小宮がその会場の借受けその他の準備の責任者となつて、同市内のあちこちの貸ホールと会場の借受けの交渉をしたり、入場券の印刷、宣伝ビラ、ステツカー(ポスター)などの準備をしたりし、会場借受けについてはいわゆる過激派の集会ということでいつたん貸して貰えることになつたところからものちに拒絶されるなど交渉が難航し、ようやく福岡市天神二丁目五番四七号所在の福岡県教育会館三階大ホールを右一二月一八日午後二時から同六時まで借受ける約束ができ、同月一七日に同会館事務局に対しその使用料等六、五四〇円を支払つたこと、また、右集会には中核派の構成員ないしはその固定的な同調者以外の者にも参加を呼びかけ五〇〇名程度の多数人の集会としたかつたところから、これを「一二・一八中核派大政治集会」と銘打つて、市内の各所に宣伝用のステツカー(ポスター)を貼つたり、同市天神所在の西鉄福岡駅構内などで宣伝用ビラ(昭和四九年押第五二号の四一はそのうちの一枚)を配つたりするとともに、被告人らが中心となつて入場券(カンパと称する入場料三〇〇円)を売り歩いていたこと

(三) 右一二月一八日当日、被告人有川、同小宮、同讃井および同高木は、清原信子ほか四、五名の中核派にいわば属する仲間らとともに、午前一一時過ぎごろ同市曙町所在の前進社九州支社からタクシー二台位に分乗して右教育会館に向い、途中同じ仲間の間淵徳寿も合流し、午前〇時一〇分前後ごろ同会館に到着したこと、その際、同被告人らは、右集会に使用する女性の写真入り額(黒枠で飾つたもの)一個、赤旗一七枚などや会場設営に必要な用紙等のほか、白ヘルメツト数個(前記押号の二七および三四はそのうちの二個)、木刀一本(前記押号の二)、ホツケーステイツク五本(前記押号の一)、鍬の柄四本(前記押号の三および四)などを紙袋に入れたり、風呂敷や毛布に包んだりして持つて来たこと、また、被告人小菅はこれよりやゝ遅れて同会館に到着し、被告人川上も午後一時前には同会館に到着したこと、さらに同じく中核派の同調者の一人である宜保安正もそのころ同会館にやつて来ていたこと

(四) 被告人らは、右教育会館に到着後しばらく入口ロビー付近でたむろし、その間一緒に来ていた仲間の一人が材木屋等に電話をかけて竹竿を配達してくれるよう注文し、結局相手に断わられて果さずに終るなどのことがあつたのち、右清原および間淵が右入口ロビーに見張り兼案内役として残り、被告人らおよび前記同行して来た仲間ら計一〇名位が三階大ホールに上つて、会場の設営などの準備を始めたこと

(五) 午後一時一〇分前ごろ、かねてから主義主張をめぐり中核派とは対立抗争関係にあつた革マル派の構成員ないし同調者ら一〇数名が右教育会館に押しかけて来たこと

(六) これを見た前記見張り役の清原および間淵が急いで三階大ホールまで駈け上り、その場にいた被告人らを含む前記一〇名位の者にその旨知らせたこと、そのため被告人らがその一部の者においては前記持ち込んでいた木刀やその場にあつた鉄パイプ様の棒を手に持つて、三階大ホールに通じる二ヶ所の階段のうち南側階段を大声で喊声をあげながら駈け降りて行き、そのころすでに同階段の二階から三階に通じる階段付近までやつて来ていた右革マル派の者らを追い払おうとしたこと、そして、右革マル派の者らはその勢いに押されていつたん同会館一階付近まで逃げて行つたこと、なおこの間に被告人小宮らの前示「罪となるべき事実」掲記の各犯行が行なわれたこと

(七) ついで、被告人ら、前記清原、間淵、宜保を含むその際同会館に準備のため到着していた中核派の者ら合計一〇数名(少なくとも一二名以上)は、直ちに三階大ホールに戻り、右革マル派の者らの再襲撃に備えて、右南側階段に通じる出入口の内側に同ホール内にあつた木製長机や木製長椅子(背もたれに次列の者のための細い机様の板のとりつけてあるもの)を使つてバリケードを作り始めたこと、まもなく革マル派の者らが右出入口の前に押しかけて来て所携の鉄パイプ等で突くなど始め、さらにその一部の者が三階大ホールに通じるもう一ヶ所の階段である西側階段にも上つて来たこと、そのため被告人らも急拠二手に分かれ、右西側階段に通じる出入口内側にも同様に机や椅子でバリケードを築き始めたこと

(八) 被告人らは、こうして急ごしらえながら各出入口に高さ一・五ないし一・七メートル幅二メートル奥行二メートルばかりのかなり堅固なバリケードを築き、自分達も外に出ることができなくなるとともに、右革マル派の者らのホール内への侵入を防いだこと、そして、被告人らと右革マル派の者らとは、右各バリケードをはさんで対峙し、右革マル派の者らがその持つて来た鉄パイプや折から同会館内にあつた工事足場用の鉄パイプ(長さ約二・二メートルで黄色がかつたオレンジ色のもの。前記押号の二三、二四および二五と同種)を握つて各バリケードのすき間から被告人らに突きかかつたり、右鉄パイプ等を投げつけたりし、一方、被告人らも右西側階段に通じる出入口においては同様に工事足場用の鉄パイプ(前記押号の二三は少くともその一部が使われた)でバリケードのすき間から右革マル派の者らに突きかかつたこと、その際、被告人有川は西側出入口においてその外側にやつて来た右革マル派の者らの岩下宏正、上野俊英、谷川敬介および合田修二の身体めがけ、工事足場用鉄パイプ一本で、二、三回突きかかつた(ただし相手の身体にはあたつていない)こと

(九) 一方、右のような事態の発生を知つた右教育会館の関係者らがこれを警察に通報したため、制、私服の警察官らが午後一時一五分ごろ同会館に駈けつけて来て、右革マル派の者らはその一部が逮捕され、その余は逃走して同会館内から排除されたこと、被告人らはこれを右警察官らから知らされたのち、前記各出入口のバリケードを自らの手で解き、机、椅子等を元の位置に並べるなど再び集会の準備にとりかかり始めたこと、そのころ右集会に参加しようとして同会館にやつて来ていた者も若干名いたこと

(一〇) ところが、被告人らはじめ三階大ホールにいた中核派の者らは全員、午後一時三〇分過ぎごろ右警察官らによつて兇器準備集合罪の現行犯人として逮捕されるに至り、同ホール内での集会は流れるに至つたことなどの事実は、疑いをいれる余地なく認定できる。

なお、被告人らまたはその仲間の者らが本件の際三階大ホール内に持ち込んでいた兇器として使用されうる物としては、前記(三)認定のとおり木刀一本、ホツケーステイツク五本および鍬の柄四本があつたことは認められるが、鉄パイプについてはこれが果して持ち込まれていたかどうか、持ち込まれていたとしてどのような大きさの物を何本位かなどこれを認定する十分な資料がない。すなわち、証人永野益子の当公判廷における供述、石村恒勇および木林勇夫の検察官に対する各供述調書、司法警察員高村昭三作成の捜索差押調書、司法警察員吉住幸太郎ほか一名作成の実況見分調書ならびに押収してある鉄棒一本(前記押号の五)、鉄パイプ計一六本(前記押号の六ないし二一)、足場用鉄パイプ一七本(前記押号の二三、二四および二五)および足場用鉄パイプ二本(前記押号の二六)によれば、本件直後に三階大ホールの内外に鉄パイプ一七本(その多くは新聞紙を巻いたりビニールテープを巻いたりして、闘争用に加工した形跡がみえる。)、足場用鉄パイプ(長さ約二・二メートルのもの)一七本および足場用鉄パイプ(長さ約一・一メートルのもの)二本が散乱していたこと、そのうち足場用鉄パイプは、当時右教育会館で行なわれていた内装改良工事の組立式足場用のもので、被告人らが前記のように同会館に至る前は右工事にあたつていた業者が前記西側階段の二階から三階に通じる踊り場付近に一ヶ所にまとめて置いていたものであること、その他の鉄パイプ等は被告人らがやつて来るまで同会館内に存在しなかつた物体であることなどが認められるから、右足場用鉄パイプは、被告人らおよびその仲間の者らまたは前記革マル派の者らのいずれかまたはその双方が右踊り場から持ち出して来て使つたもの、その他の鉄パイプ等は右のいずれかまたはその双方が同会館に持ち込んで来たものと考えるべきは当然である。また、証人永野益子の当公判廷における供述中には、被告人小宮の前示第二の犯行の際、同被告人およびその仲間らが長さ五〇センチメートル内外の棒で触れ合うと金属音を出すものをそれぞれ手に持つていた旨の供述があり、宜保安正の検察官に対する供述調書謄本第五項では、同人が三階大ホールに最初に入つた際同ホール演壇上に鉄パイプ一〇本位が置いてあるのを見た旨述べているから、これらの供述を一応信用するものとすれば(ただし、右宜保の供述は、仮に鉄パイプを見た旨の供述は信用するとしても、その本数については後記のとおり信用できない)、被告人らまたはその仲間らが前記木刀等とともに鉄パイプを持つて来たことも窺える。しかしながら、本件直後に存在していた各鉄パイプについて、前記捜索差押調書および前記実況見分調書の記載と押収してあるその物の形状等を対比してその所在していた場所を検討すると(なお、本件においては、仮に被告人ら中核派が鉄パイプ等を持ち込んでいたとしても、革マル派も鉄パイプ等を使用したことが窺える事実であるから、本件直後に発見された各鉄パイプ等はそのいずれの派と結びつくのか明確にされなければならないところ、そのためには当該鉄パイプ等の発見場所が重要な意味を持つにもかかわらず、本件捜査に際し実況見分および捜索差押でこの点顧慮することなく右教育会館南側車庫内で発見された物まで無条件で被告人らの準備した兇器と断定し、かつ、現に押収されている各鉄パイプ等が具体的にどの場所で発見されたものか明確にする資料も作られていないことは、極めて杜撰というほかない。したがつて、当裁判所においては、現に押収してある物の形状と実況見分調書添付の写真とを対比して、発見当時のその物の所在を推認することに努めたが、類似の形状の物もあり、若干の正確性に欠けることは否定できない)、押収してある(1)鉄棒一本(前記押号の五。以下この節においては符号番号のみ記す。)は、三階大ホール演壇上(前記実況見分調書添付の見取図②点。以下同様)で、(2)鉄パイプ(八〇センチメートル×一・四センチメートル)一本(六)は、三階大ホール演壇上(③点)で、(3)鉄パイプ(七六センチメートル×二・四センチメートル)一本(七)は、三階大ホール東側ベランダ(⑨点)で、(4)鉄パイプ(三五センチメートル×二・三センチメートル)および同(長さ三九センチメートル)各一本(八および九)は、三階大ホール東側ベランダ(⑪点)で、(5)鉄パイプ(四一センチメートル×二・七センチメートル)、同(四一センチメートル×二・〇センチメートル)、同(四三センチメートル×二・七センチメートル)および同(六〇・五センチメートル×二・〇センチメートル)各一本(一〇ないし一三)は、三階大ホール西側出入口外の踊り場(⑭点)で、(6)鉄パイプ(六一センチメートル×二・〇センチメートル)および同(六六センチメートル×二・〇センチメートル)各一本(一四および一五)は、西側階段二階と三階との間の踊り場(⑮点)で、(7)鉄パイプ(三七・五センチメートル×二・〇センチメートル)一本(一六)は、西側階段二階と三階との間の踊り場(⑯点)で、(8)鉄パイプ(五九・五センチメートル×一・八センチメートル)一本(一七)は、同会館南側車庫内(点)で、(9)鉄パイプ(六一センチメートル×一・八センチメートル)一本(一八)は、右車庫内(点)で、(10)鉄パイプ(四〇・五センチメートル×二・〇センチメートル)一本(一九)は、一階廊下の右車庫に通じる入口付近(点)で、(11)鉄パイプ(四一センチメートル×二・〇センチメートル)一本(二〇)は、二階廊下(点)で、(12)鉄パイプ(八〇センチメートル×二・〇センチメートル)一本(二一)は、一階廊下(点)でそれぞれ発見領置されたものと窺え、なお、(13)足場用鉄パイプ(長さ二二一センチメートル)七本(二三)は、三階大ホール長椅子上(⑱点)(ただし、実況見分調書では六本となつている。)に、(14)足場用鉄パイプ(長さ前同)二本(二四)は、三階大ホール東側ベランダ(⑪点)に、(15)足場用鉄パイプ(長さ前同)八本(二五)は、三階大ホール西側出入口外の踊り場(⑬点)に、(16)足場用鉄パイプ(長さ一一〇センチメートル)二本(二六)は、三階大ホール東側ベランダ(⑨点)にそれぞれあつたものであることが推認できる。ところで、被告人ら中核派の者らは、前記のとおりバリケードを築いてから逮捕されるまでの間は三階大ホールから一歩も外に出ていないことが明らかであり、また、前記(六)認定のバリケードを築く前に前記革マル派の者を追つて外へ出た際、仮に鉄パイプ等を持つて出たとすれば、これを諸所に投げ捨てて三階大ホールに立ち帰つたということは、その後再襲撃に備えてバリケードを築いたことに照らしても、再襲撃を予測しながらいわばその武器を捨てたということになつて不合理であり、結局、バリケードを築く前においても被告人らが鉄パイプ等を三階大ホール以外の場所に置いたり捨てたりしたと考える余地はない。したがつて、三階大ホールおよびその東側ベランダ以外の場所で発見された鉄パイプ等は、他に特段の事情の存在も窺われない以上、その場所的関係において被告人らとの結びつきが否定されなければならない。すなわち、仮に被告人らが右教育会館内に鉄パイプ等を準備携行して来ていたうえ、工事用に置かれていた足場用鉄パイプを三階大ホール内に持ち込んだものとしても、携行していた鉄パイプ等は右(1)の鉄棒一本と(2)、(3)および(4)の鉄パイプ計四本以外にはありえず、また、持ち込んだ足場用鉄パイプは右(13)、(14)および(16)の計一一本のみであるということになる。そして、被告人らの当公判廷における各供述ならびに証人清原信子および同宜保安正の当公判廷における各供述中では、被告人らおよび右各証人いずれも一致して、右三階大ホールおよびその東側ベランダで発見された長短とりまぜた鉄パイプ等や足場用鉄パイプは前記革マル派の者らからバリケードのすき間越しに投げつけられたものである旨供述し、宜保安正の検察官に対する供述調書謄本第五項においても足場用鉄パイプを投げ込まれた旨の供述があり、これらの供述を全面的には信用できないにしても、これが全く虚偽であると断じる根拠もない。ただ、足場用鉄パイプ以外の短いパイプ等については、宜保安正の検察官に対する供述調書謄本第六項ではこれを投げ込まれた憶えがない旨述べているが、宜保の右供述中には前記のとおり事前にこの種鉄パイプ「一〇本」位固めて置いてあるのを見た旨の供述部分があり、この供述部分がその数量の点において右認定のようにその際鉄パイプ等を見たとしても鉄棒を含めても五本以内であつたはずと考えられることに照らし信用できないことは明らかであるから、その意味で短い鉄パイプ等を投げ込まれたことがない旨の供述部分もこれに全面的な信を置くことができない。さらに足場用鉄パイプについては、前記(八)認定のとおり前記革マル派の者らもこれを使用したことが認められるところ、被告人らが仮に右革マル派の押しかけて来る前に右足場用鉄パイプの西側階段から三階に通じる踊り場に置かれていることを知つて、右革マル派の襲撃に備え三階大ホールに持ち込んだものとすれば、わざわざその一部だけを持つて来て(右場所以外にも足場用鉄パイプが置かれていたということは、本件全証拠によるもその立証がない)、いわば「敵」に利用させるために一部を残しておくというのは通常の人間の行動として極めて不合理であり、したがつて右のように右革マル派の者らがこれを現に使用している以上、被告人らはその存在に気づかなかつた、すなわち事前には三階大ホール内に持ち込んでいなかつたと疑う余地が十分ある。結局、前記(1)ないし(4)の短い鉄パイプ等五本についてはこれを被告人らが事前に携行して来ていた嫌疑もかなり濃いが、少くともその一部は右革マル派の者らから投げ込まれたのではないかとの疑いもあり、前記(13)、(14)および(16)の足場用鉄パイプ一一本についてはこれが被告人らの事前に持ち込んだものでない可能性が大きく、これら鉄パイプ等を被告人らが準備したと認定することには合理的な疑いが残るというほかはない。

二、正当防衛の要件の存否

右一認定のように、被告人ら中核派の者ら一〇数名は、右教育会館三階大ホールにおいて集会を開催するに際し、兇器となりうる前記木刀一本、ホツケーステイツク五本、鍬の柄四本を準備携行して同ホールに至り、前記革マル派の者ら一〇数名が同ホールに押しかけて来るや、いつたんは同ホール外に出てこれを追い払い、ついで同ホールの各出入口にバリケードを築き、これを挾んで右革マル派の者らと対峙して、足場用鉄パイプで互いに突きかかり合つた事実が肯認できるから、一応外形的には兇器準備集合罪および暴力行為等処罰に関する法律違反の罪(訴因としては被告人有川のみ)に該当する行為があつたといいうるようである。しかし、弁護人は、本件において被告人らが右革マル派の者らを追い駈けたり鉄パイプで突きかかつたりしたのは、防禦行為としてである旨主張し、被告人らならびに前記仲間であつた証人清原信子および同宜保安正もその当公判廷における各供述中で、被告人らとしては右集会を無事に開くために右革マル派の者らを追い払おうとしただけであつて、それ以上にその際右革マル派の者らに危害を加える意図もなかつたし、またそのような加害行為には出ていない旨供述している。したがつて、本件においてもし被告人らが右革マル派の者らに突きかかるなどした行為が正当防衛としての要件を備えていると認められるならば、その所為(暴力行為等処罰に関する法律違反の所為)が罪とならないものとなることはいうまでもない。さらに、兇器準備集合の点についても、いわゆる共同加害の目的の存在が認めうるかどうかは本件の場合一にかかつて現実の加害行為の存在が立証されるか否かにかかつていると考えられるところ、同罪にいう共同加害の目的とは、相手が襲撃して来た際にこれを迎撃して、相手の生命身体等に危害を加える目的であつてもたりるが、単に相手方の襲撃から自己の身体や権利などを防衛するために、その防衛に必要な限度で相手方に危害を加えることのあることを認識している程度ではいまだたりないというべきであるから、右のような現実の「加害行為」と目される行為が正当防衛の要件を備えていると認められれば、事実問題として他に特段の事情の存在しない限り共同加害の目的の存在を否定するほかはない。

(一) そこでまず、本件革マル派の者ら一〇数名の行為について考えると、被告人らの本件集会は前記のとおり一般参加者に対し開かれた集会であつたとはいえ、右革マル派の者らが一般の参加者として右教育会館に至つたものとは窺われず、むしろ前記一冒頭掲記の各証拠によれば、右革マル派の者らは鉄パイプ等を携行して来ていたこと、同会館前に至つた際その玄関付近にいた右集会の参加予定者の一人に鉄パイプ等で殴りかかつたことなどの事実も認められるから、右のような事実と前記一認定のその後実際に右革マル派の者らの行なつた襲撃行動とを合わせ考えれば、右革マル派の者らが同会館に赴いた目的は被告人らの開こうとしていた本件集会をまさに妨害することにあつたと推認できるのである。そして、たとえ中核派がいかにいわゆる過激派であつて、しばしば反法的行動を繰り返す暴力的団体であるとしても、本件集会はそれ自体なんら犯罪を構成するものでないことも明らかであるから、本件のような集会を開くことも被告人らの自由であり、他からの妨害に対して保護される権利を持つ。とりわけ、本件集会の会場である右教育会館三階大ホールは、前記一、(二)認定のとおり被告人らがその管理者から使用料を支払つて正当に借り受けたものであり、大学構内の広場のように当該大学の構成員であれば誰でも自由に使用でき、たまたま先に使い始めたからといつて他に対し独占的な使用権を主張できない場所とは異なり、その使用に関する契約に限り他からの侵入に対しては自己の排他的な使用権限を主張しうる場所である(なお、前記一冒頭掲記の各証拠によれば、被告人らが同ホールを借り受けるに際し主催団体や集会内容について多少偽りを管理者に申し向けたことも窺えるが、そのことは管理者から使用契約を破棄される原因とはなりえても、第三者が被告人らの同ホールの使用を妨害したり干渉したりすることを許容する根拠となるものではもとよりない)。すなわち、被告人らは、何人の妨害も受けることなく三階大ホールを使用して平穏に本件集会を開く権利を有していたことは明らかである。してみると、右革マル派の者らの本件行動は、右教育会館に押しかけて来たこと自体すでに右のような被告人らの三階大ホールを使用して平穏に集会を開く権利に対する不正の侵害であることが明らかであり、そのような全体的な行動の違法性に照らせば、被告人らに対し足場用鉄パイプ等で突きかかるなどした行為も被告人らの身体に対する不正の侵害と目しうることもいうまでもない。

(二) つぎにその急迫性についてみるのに、たしかに、中核派と革マル派とが当時主義主張をめぐり激しい対立抗争関係にあつて、国内各地でしばしば暴力を伴う抗争を繰り返えしていたことも公知の事実であるうえ、被告人らが前記一認定のように木刀、ホツケーステイツク、鍬の柄など平和な集会には全く不必要な闘争用の道具類を準備携行していたということは、なんらかその必要の生じる事態のあることを予期していたことを示すものにほかならず、なお押収してあるビラ(「一二月復讐戦に起て」と題するもの)一枚(前記押号の四一)によれば、本件集会への参加を呼びかけるビラにおいて革マル派を激しく罵しり、本件集会も革マル派の「殲滅」のための闘争の一環として行なわれるものである旨書いて、革マル派を挑発するような態度をとつていると認められることにも鑑み、被告人らにとつて革マル派に属する者達が本件集会の妨害のために押しかけて来ることはある程度予期されたでき事であつたことも窺える。のみならず、右のように被告人らが木刀、ホツケーステイツク、鍬の柄などを準備携行していた(鉄パイプについては、前記一で述べたとおり短いもの数本を持つて来た形跡もあるが、その具体的な特定はできない。)ことは、その予期される襲撃に対して一定の対抗措置をとる準備を整えていたことを意味する。しかしながら、刑法三六条にいう「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫つていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されたものであるとしても、そのことからただちに急迫性を失うものでないと解される(最高裁判所昭和四六年一一月一六日判決、刑事判例集二五巻八号九九六頁参照)ところ、本件の場合も、右のように被告人らが革マル派の者達に押しかけて来る態様、時刻、人数等について具体的に知つていたのではなく、ただ漠然とそのような事態のありうべきことを知つていたというだけであるから、前記のように本件革マル派の者らが鉄パイプ等を携行して押しかけて来たことの急迫性が右予期の故に失われるものとは認められない。また、右のような対抗措置をとる準備を備えていたことも、防衛意思およびいわゆる相当性の要件の検討にあたつては十分考慮を要することではあるが、これが本件侵害行為の急迫性を失わせるものではない。

(三) 問題は、被告人らが果して右革マル派の者らのいわゆる襲撃に対し単に防衛の意思のみでもつてこれに立ち向つたものか、これを機会に積極的な攻撃を加える意図で迎撃したものかである。この点たしかに、被告人らが防衛意思以上の積極的な攻撃意思を有していたのではないかと疑わせる根拠もないではない。まず第一に、右(二)で述べたように被告人らが中核派として革マル派と激しい対立抗争関係にあり、本件集会の開催にあたつても革マル派の「殲滅」を呼びかけていることである。第二に、被告人らが木刀、ホツケーステイツク、鍬の柄など反撃の際の兇器となりうべき物を準備携行していたこと、および前記一、(四)認定のとおり被告人らの仲間の一人が被告人らとともに右教育会館に到着した直後に同会館の公衆電話から材木屋に電話して竹竿を配達してくれるように注文した(相手方には拒絶されて入手は果さなかつた)ことである。第三に、現に被告人らの一人である被告人小宮が判示罪となるべき事実第二認定のとおり、仲間の清原信子ほか二名とともに、同会館に押しかけた革マル派の者らの一人に到底防衛行為とは認められない激しい暴行=攻撃を加えている事実である。

しかし一方、被告人らが現実に本件革マル派の者らに対し行なつた対抗行動は、被告人小宮ほか三名の右行為を除けば、前記一、(六)ないし(八)認定のように、まず右革マル派の者らが右教育会館の三階大ホールに通じる南側階段の二階から三階に通じる付近まで当初に進出して来た際、被告人らのほとんど全員が大声で喊声をあげて立ち向つて行き、その一部の者にあつては前記木刀やその場にあつた鉄パイプ様の棒を握り、同会館一階付近まで激しい勢いで右革マル派の者を追い駈けたこと、そして、その直後被告人らが三階大ホール内に立ち戻るや、再び右革マル派の者らに同ホール出入口付近まで駈け上つて来られたため、まず南側階段に通じる出入口内側に、続いて西側階段に通じる出入口内側にいずれも同ホール内にあつた木製長机や木製長椅子で高さ一・五ないし一・七メートル、幅二メートル、奥行二メートルばかりのバリケードを築き、被告人ら自身を含め誰もこのバリケードを取り除かなければ出入り不能の状態としたうえ、右革マル派の者らから右バリケードのすき間越しに足場用鉄パイプ等で突きかかられるなどしたのに応じ、被告人らも同様に右西側階段に通じる出入口においては足場用鉄パイプでバリケードのすき間越しに相手に突きかかつたこと(双方とも身体には当つていない)だけである。なお、右の被告人らが用いた足場用鉄パイプは、前記一に詳述したようにこれがあらかじめ被告人らの三階大ホール内に持ち込んでいたものと認めるには合理的な疑いが残り、したがつて右革マル派の者らの投げ込んだものを拾つて応戦した可能性を肯定しなければならない。さらに、右革マル派の者らが再度三階大ホール近くに来た際、南側階段に通じる出入口付近で被告人らと右革マル派の者らとどのような攻防があつたかについては、わずかに宜保安正の検察官に対する供述調書謄本第五項中に南側の「入口の方に革マルが来たので、その入口の方に中核の者が多数行き応戦しているようでした」との供述部分があるのみで、本件全証拠によるもその具体的状況は明確でなく、被告人らが同所において西側階段に通じる出入口での右のような対抗行動以上に激しい行動に出たと認定することの許されないのは当然である。また、桜木亘の検察官に対する供述調書中には、警察官が右教育会館に駈けつけて来た際すなわち被告人らが右バリケードを築いたのちにも、同会館一階廊下で二派の学生集団が互いに鉄パイプ等を用い乱闘していた旨の供述があるが、警察官としては初期に同会館に到着したはずの証人増田二郎、同小田守および同木村健司いずれも、その当公判廷における各供述中でそのような状況を見たことを述べておらず、その意味で右桜木の供述の信憑性にはかなりの疑問があるし、仮にその述べるような事実があつたとしても、右一階で乱闘していたという集団(これの一方を中核派であるとして)の行為が被告人らとの共謀に基づくことは全く立証がない。したがつて結局、被告人らの行為としては右に述べたような右革マル派の者らを追い駈ける行動とバリケードを挾んで足場用鉄パイプで突きかかり合うという行動以外には積極的に認定できる行動はないに帰し、かつ、これらの行為のみであるならば、右革マル派の者らの本件襲撃の態様と対比してこれに対する防衛行為の域を越えていないといいうることも明らかである。加えて、被告人らは、本件集会を無事に開催したいという強い気持を抱いていたことも窺えるから、この点も被告人らが防禦的行動に終始しようとしたと認める一つの根拠となりうる。すなわち、右のような気持を抱いていたことは被告人らが当公判廷における各供述で一致して述べるところであるところ、前記一、(二)認定のように被告人らは本件集会を開くために会場を借り受けるについてもかなりの困難のあつたこと、その他その準備に相当の労力や金銭を費やしていること、すでに代金を得て入場券を販売していることなどの事実に鑑みれば、被告人らがいまここで集会を流すようなことはしたくないと考えたとしても不思議はなく、また、前記一、(九)認定のとおり警察官らが駈けつけて来て革マル派の排除されたことを知つたのち、被告人らが自主的に各出入口のバリケードを撤去して集会の準備にとりかかつた事実も、被告人らの右のような気持の表われと考えられる。そして、右のような気持は、それ自体被告人らがいわば本件集会を防衛するために本件行動に出たと認める一つの根拠となりうるし、少くとも右集会を流すような事態に立ち至つてでも革マル派の者らに対し攻撃を加えるというまでの意図のなかつたことを窺わせるものである。

さらにひるがえつて、被告人らの積極的な攻撃意思を窺わせると考えられる前記各事情について再度検討するのに、中核派と革マル派の従来からの対立抗争関係や被告人らの革マル派の「殲滅」の呼びかけについては、たしかに被告人らが革マル派に属する者らに憎しみのような感情を抱いているのではないかとすら窺わせるのであるが、本件全証拠によるも、被告人らが本件当時ごろ革マル派の者らと出会えば常に暴力沙汰に及んでいたと認められるような状況にあつたとはいえず、また「殲滅」という語も、同じビラの中で「機動隊殲滅」という語を同時に使用しており、世上しばしばいわゆる過激派団体の呼びかけなどにみられる大言壮語ないし具体的内容を伴わないスローガン的用語の一つとも考えられ、いずれにしても右事情だけでは本件の場合も具体的に革マル派の者らに積極的な危害を加える意図のあつたことを認める根拠として不十分である。つぎに、木刀等の闘争用の道具類を用意していたことについては、その用意したことの明らかなものは、前記一認定のとおり木刀一本、ホツケーステイツク五本および鍬の柄四本であり、用意したと疑えるものを含めても、前記一で述べた(1)の鉄棒一本、(2)、(3)および(4)の鉄パイプ計四本が加わるのみであり、その種類、形状、数量等においてこれらは防禦のために準備されたものと考えてもそれに必要な限度を著しく越えているとはいいがたく、むしろ、被告人らが現実にとつたバリケードを築いて立て籠るという戦法においては、これらの道具類はほとんど利用できず、もし被告人らが真にこれらを武器(兇器)として本件革マル派の者らに危害を加える意図があつたとすれば、逆に積極的に三階大ホールを出て相手方に打ちかかるなどするのが通常であると考えられるのに、バリケードを築いてのちは被告人ら自身をもその中に閉じ込めて同ホール外に打つて出る途を塞いでいることは右のような危害の加える意図のあつたことを否定する根拠とすらなりうる。その意味で、右木刀類を用意した事実も、少くとも積極的な攻撃意思を認定する根拠として薄弱である。これに関連して、前記竹竿を注文した事実であるが、被告人らはその当公判廷における各供述中で、これは本件集会後に予定されていたいわゆるデモ行進に使う旗竿を用意しようとしたものである旨述べ、その入手しようとした竹竿の形状、数量等を明らかにする証拠は一切ないし、一方、司法警察員高村昭三作成の捜索差押調書によれば、被告人らの仲間の一人の持つているシヨルダーバツグの中に道路使用許可申請書のあつたことも窺われるので、被告人らが本件集会に引き続きデモ行進を計画していたというのも全くの虚構とはいいえず、結局これらのことからみると、竹竿を入手しようとした被告人らの意図に関する被告人らの右供述が虚偽であると断ずることもできない。さらに、被告人小宮ほか三名が現に積極的な加害行為を行なつたという事実は、被告人小宮を除くその他の被告人らにも同様の意図のあつたことを窺わせるかなり有力な資料である。しかし、被告人小宮らの右犯行は、前記一、(六)で述べたとおり被告人らが当初に南側階段に来た本件革マル派の者らを追つて出た際のでき事であるところ、被告人小宮を除くその他の被告人らがその際具体的にどこでどのようなことをしていたのか、被告人小宮らの右犯行を知つていたのかどうか、被告人小宮らとなんらかの意思連絡を有していたのかどうかなどについては、本件全証拠によるも一切不明である。とくに、証人永野益子の当公判廷における供述においては、被告人小宮らの右犯行の際およびその前後ごろ被告人小宮ら四名以外には革マル派の者らを追う者の姿を見たことを述べていないから、右供述によれば、被告人小宮を除くその他の被告人小宮らの右犯行を直接には知らなかつたということにならざるをえない。もつともこの点、貝原種夫の検察官に対する供述調書中では、長さ二メートル位の黄色いパイプ様の棒を持つた男四、五人が黒つぽい服装の男を追つて来て、右棒でその黒つぽい服装の男をめつた打ちに殴りつけ、さらに逃げ出したその男を追つて行つたが、その際追う側の人数は一四、五人に増えていた旨述べているから、もしこの供述部分が真実とすれば、被告人小宮を除くその他の被告人らもただ単に被告人小宮らの右犯行を知つていたというにとどまらず、同被告人らとその意思を共通にしていたことも窺えるとしなければならないが、右供述部分は前記永野の証言と喰い違い(証人永野益子の当公判廷における供述によれば、教育会館事務局長である右貝原と同会館管理人の右永野は同会館二階の事務局出入口付近で一緒に被告人小宮らの右犯行を目撃したことが明らかである)、とくに右貝原の供述部分で追う側の男達(被告人小宮ら)が長さ二メートル位の黄色いパイプ様の棒を持つていたとする点は前記永野の証言と喰い違うばかりでなく、前記一で詳述したように被告人らがバリケードを築く以前に足場用鉄パイプを手にしたとすることには多大の疑問があるから、その意味でも右貝原の供述部分の信憑性には疑いが残り、これに全面的に信用を置くことは許されない。してみると、他になんらの証拠も見出せない本件においては、被告人小宮らの右犯行は、その余の仲間らの意向とはかかわりなく突発的に行なつた犯行ではないとの確証なく、その意味で右犯行の存在をもつて被告人らの全体としての積極的な加害=攻撃意思の認定根拠とすることにはなお疑問が残る。

以上要するに、被告人小宮を除くその他の被告人らの外形的行動からみると、これが防衛意思に基づいてした行為であると考えられないものではなく、一方、被告人らに積極的な攻撃意思のあつたことを認定するには、本件全証拠によるもなお合理的な疑いが残るということである。

(四) 最後に、本件において被告人らの所為が正当防衛といいうるためには、これが防衛のためやむをえざる行為、いいかえると法秩序全体からみて防衛行為としての相当性および必要性が肯定されなければならない。この点まず、本件が中核派と革マル派の相連続する暴力抗争の過程の中でたまたま中核派が守勢にたつた場合であるならば、必ずしもやむをえない行為とは認めえないことになろう。前記(二)で述べたような両派の対立関係や本件集会への参加を呼びかけたビラの文言などからするとその疑いもないではない。しかし、本件全証拠によるも、本件に相接する前後の時期に具体的に被告人らを含む中核派が革マル派との間に暴力抗争を繰り返していたことを認めるにたりる証左なく、また、被告人らが右教育会館に集つていたのも、前記一認定のとおりそれ自体としては暴力的行動を伴うものではない集会を開催するためであつて、いわゆる暴力団などが抗争中の他派からの殴り込みに備えて待機した場合などとはその意味を異にし、したがつて本件が一連の喧嘩闘争の一過程でたまたま被告人らが守勢をとつた場合にすぎないと認めるにはいまだたりないというべきである。つぎに、本件の場合、前記のように革マル派の襲撃はあらかじめ予期できていたのであるから、本件集会を中止して紛争の発生を回避するか、法的機関の保護を受ける余裕があつたのではないかという疑問もある。たしかに、被告人らは事前に警察による警備を求めることが可能であつたはずであるが、これをしていないことは明らかである。しかし、本件のようなそれ自体としては適法かつ平穏な集会を開く場合、それに対する妨害が予想されるからといつて、これを中止する義務のないことはいうまでもなく、また、警察の保護を受けることは市民の権利であつて義務ではなく、仮に警察に事前に警備を要請したとしても警備を実施するかどうかは警察の独自の権限と判断に基づくのであり、その意味で集会の妨害行為が現実化した際にその集会の参加者らが防衛行為に出る権利は失われることはない。いいかえると、急迫不正の侵害に対し自己の身体や権利を防衛することは市民の固有の権利であつて、その者があらかじめ予期された侵害行為について警察の保護を求めていたと否とによつて左右されるものではない。そこでさらに、被告人らの本件において現実にとつた行動について法秩序全体の見地から防衛行為として許容される限度を越えないものかどうか再度検討する。被告人らの現実に行なつた所為は、繰り返し述べるように、被告人小宮の前記犯行を除けば、いつたん右教育会館三階大ホールの外に出て、南側階段を上つて来た本件革マル派の者らに大声で喊声をあげて立ち向い追い駈けたこと、およびその後同ホール各出入口にバリケードを築き、とくに西側階段に通じる出入口においてはバリケードのすき間から足場用鉄パイプで相手方に突きかかつたことである。まずバリケードを築く前の所為については、その直後にしたようにバリケードを築いてその中に閉じ籠もることによつて自己の生命や身体に対する直接の危害は避けえたであろうと認められる。また、バリケードを築いたのちは、これがかなり堅固なものであつて、同ホール内にいた被告人らとその仲間一〇数名とがこれを支えていれば、バリケードの外側に立つ右革マル派の者らにバリケードのすき間から足場用鉄パイプで突きかからなくても、同様に生命や身体に対する危害は避けえたはずと認められる。しかし、本件の場合は、前記のとおり右革マル派の者らの襲撃は本件集会の妨害を目的としたものであつて、これが前述のようにそれ自体として合法な集会である以上右革マル派の者らの行為は被告人らの本件集会を平穏に開くという法益に対する侵害行為でもあるから、これに対応する防衛行為も許容されるというべきであり、とくに前述のような本件集会の会場が被告人らの排他的な使用の許される場所いいかえると集会開催という目的に即している限り第三者に対しては自己の住居にあると同様の権利を主張できる場所であることを考えると、右革マル派の者らを本件程度の実力をもつてその場から追い払うことも防衛行為としての必要性および相当性を欠くものとはいいがたい。なお、本件のような足場用鉄パイプで人間に突きかかるという行為は一般的には相手方に生命の危険すら伴うかなり激しい暴行であるが、本件のように木製長机や木製長椅子で作つたバリケードの狭いすき間を通して突きかかつた場合には、前記のとおり現に相手方の身体に突きあたつていないことからも窺われるように、バリケードから突き出る部分の長さが二、三〇センチメートル程度にとどまることもあつて、相手方に実際にあたる可能性はかなり少なく、その攻撃力もかなり弱いものと認められる。したがつて、以上いずれの見地からすると、被告人らの所為を防衛行為としてみることが法の理念に反するとまではいいえないというのがその結論でなければならない。

(五) 以上から結局、本件においては、被告人らが現実に本件革マル派の者らに対しとつた行動が正当防衛の要件を備えていると認めうる一応の根拠があり、本件全証拠によるもその要件の欠けることを積極的に認定しうるだけの資料はないというべきである。すなわち、被告人有川の本件バリケード越しに鉄パイプで相手方に突きかかつたという所為については、証拠上、これが正当防衛行為とならないことが合理的な疑いを越えて証明されないから、刑法三六条一項を適用して罪とならないものとして取り扱うほかはなく、さらに、被告人小宮を除くその他の被告人らの木刀等を準備した所為も、本件全証拠によつても、同被告人らにこれらのいわゆる兇器となりうる物を防衛目的以上の積極的な迎撃などに用いる意思があつたこと、すなわちいわゆる共同加害目的のあつたことが合理的な疑いを越えて証明されないから、これまた刑法二〇八条の二第一項前段に定める兇器準備集合罪を構成すると認めることは許されないのである。

三、以上の次第で、被告人有川に対する兇器準備集合および暴力行為等処罰に関する法律違反の各公訴事実ならびに被告人川上、同小菅、同高木および同讃井に対する各兇器準備集合の公訴事実については、いずれもその犯罪の証明がないに帰するから、刑事訴訟法三三六条に則り、同被告人らに対しそれぞれ無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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