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福岡地方裁判所 平成6年(行ウ)2号 判決 1996年9月04日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

梶原恒夫

井上道夫

右訴訟復代理人弁護士

安部千春

被告

福岡中央労働基準監督署長岡末廣

右被告指定代理人

富岡淳

萩尾吉彦

西沢繁官

上田美智子

森山勝馬

坂田浩俊

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して平成三年四月二五日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の母であり、平成元年五月一九日当時、太郎に配偶者はおらず、父は既に死亡しており、他に太郎の収入によって生計を維持していたものはない。

2  労災保険給付請求等

(一) 太郎は西海冷凍株式会社(以下「本件会社」若しくは単に「会社」という。)に雇用され、冷蔵係として冷凍倉庫の管理業務を行っていたものであるが、平成元年五月一八日、翌日の早朝勤務に備えて本件会社の長浜営業所宿直室に泊り込んだところ、翌一九日午前零時ころ、急性心不全により死亡した。

(二) 原告は、被告に対し、太郎の死亡が業務上の死亡に該当するとして同年一二月二五日に遺族補償給付及び葬祭料の請求を行ったが、被告は平成三年四月二五日、右各給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

(三) 原告は、本件処分を不服として、同年六月三日、福岡労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は、平成四年六月一〇日、これを棄却した。

(四) 原告は、右棄却決定を不服として、さらに、平成四年八月六日、労働保険審査会に対して再審査の請求をし、三月以上が経過した。

3  しかしながら、太郎の死亡は、以下に述べるとおり、業務に関する過重な精神的又は肉体的負担によるものであって、業務上の事由に起因して生じたものであるから、本件処分は違法である。

(一) 太郎の健康状態

太郎は昭和三七年一月二五日に福岡県小倉市で出生して以来、本件会社に勤務し、死亡するに至るまで、その健康状態には何ら問題がなく、目立った既往症もなかった。家族親族にも本件に関連する疾病を有するものはいない。太郎は酒と煙草を嗜んだが、量は多くなかった。

(二) 本件会社における太郎の勤務状況

(1) 太郎の業務内容

本件会社における冷蔵係としての太郎の業務は、冷凍倉庫の管理であり、具体的には倉庫内の凍魚の出し入れの注文を電話で受け、伝票に記載し、倉庫から実際に魚を出し入れする下請会社に連絡するのがその主たる業務であった。

(2) 太郎の精神的負荷

太郎の業務は実際に魚の出し入れをするものではなく、肉体的にはさほどの重労働というわけではないが、魚市場の指示は間断なくなされ、それを間違いなく処理し、整理することは非常に困難な仕事であるばかりか、ミスがあった場合には相当な叱責がなされ、また、直接関係ないはずの下請会社の社員のミスもすべて自分たちで処理する必要があり、職務遂行のためには多くのストレスが溜まる職種であった。休憩時間は一応定まっていたが、電話が間断なくかかり、休憩を取ってゆっくり食事ができる状況ではなかった。

(3) 冷蔵係の勤務体制

冷蔵係においては、勤務時間は二交替制で、午前四時から一二時までの一直勤務と午前八時から午後五時までの二直勤務があるが、いずれの場合にも忙しいために残業する必要があった。日曜日と祭日が休日であり、業務はなかった。昭和六三年六月から平成元年四月末までは、冷蔵係の業務は太郎、H1、(以下「H1」という。)及びY1(以下「Y1」という。)の三名で行っており、それぞれが一週間のうち二日一直勤務をし、四日二直勤務をするという勤務分担であった。

(4) 業務体制の変動

冷蔵係は、仕事が極めて忙しいにもかかわらず賃金が低額であるため、H1及びY1は労働条件、業務内容に関する強い不満を持ち、平成元年三月下旬には、会社に対して人員の増加や賃上げを求め、これらが容れられない場合には辞職すると申し出た。会社は慰留につとめたが、Y1は同年五月一杯で、H1は同年六月一杯でそれぞれ辞職することとなり、辞職前一か月は有給休暇扱いとし、実際に出社するのは、Y1については同年四月末まで、H1については同年五月二六日までということになった。

しかし、会社から「しばらくすればきっと良くなる。」等と慰留された太郎は、三名とも辞めては会社が困るだろうと考え、H1及びY1の代わりの人員を補充することを条件に、会社に残ることとなった。

(三) 平成元年五月の太郎の勤務状況

H1は平成元年五月からは一直勤務はしないとの約束で勤務していたので、太郎は一直勤務を余儀なくされた。五月一日から一八日までの所定労働時間が一一二時間であるのに対し、太郎の勤務時間は合計二七二時間である。発症前一週間に限っても所定労働時間が四八時間であるのに対し、六四・五時間と著しく長くなっている。

(四) 太郎の死亡

太郎は、平成元年五月一九日未明、長浜営業所二階の部屋で死亡しているところを発見された。検死をした加藤医師の診断書によれば、直接の死因は「急性心不全の疑い」であり、死亡時刻は同日午前零時ころ、発病から死亡までの時間は数分間とのことである。

4  業務起因性

労災保険法において、被災者の発症、死亡について業務起因性が認められるには、業務と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要であり、かつそれで足りると解すべきところ、前記3の事実に照らせば、太郎の死亡は発症前の精神的又は肉体的に過重な業務に起因するものである。

5  よって、本件処分は違法であるから、原告は、被告に対し、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2(一)  同3冒頭の主張は争う。

(二)  同3(一)の事実中、太郎が本件会社に勤務していたことは認め、その余は知らない。

(三)(1)  同3(二)(1)の事実は認める。

(2) 同3(二)(2)の事実中、太郎の業務が実際に魚の出し入れをするものではなく、肉体的にはさほどの重労働というわけではないとの点は認め、その余は知らない。

(3) 同3(二)(3)の事実中、冷蔵係においては勤務時間は二交替制で、午前四時から一二時までの一直勤務と午前八時から午後五時までの二直勤務があること、日曜日と祭日は休日であり、業務はなかったこと及び昭和六三年六月からは、冷蔵係の業務は太郎、H1及びY1の三名で行っており、それぞれが一週間のうち二日一直勤務をし、四日二直勤務をするという勤務分担であったことは認める。ただし、平成元年四月二〇日以降については否認する。同日以降はH2(以下「H2」という。)が勤務することになった。その余については知らない。

(4) 同3(二)(4)の事実は知らない。

(三)(ママ) 同3(三)の事実は知らない。

(四)(ママ) 同3(四)の事実は認める。

3  同4の事実は否認する。

三  請求原因に対する被告の主張

1  太郎の健康状態等

昭和六二年一〇月一四日、同六三年五月三〇日、同年一〇月二六日及び平成元年五月一一日の各健康診断の実施結果によれば、太郎の血圧は境界域高血圧で要観察となっていた。

また、太郎には多量の飲酒習慣があった。

2  太郎の通常業務

太郎は、昭和六〇年四月一日に本件会社に採用され、死亡するまで四年以上冷蔵係として勤務していたもので、業務について習熟していた。太郎の業務内容は、事務所内における魚市場関係者の冷蔵貨物の入出庫受付事務、入出庫依頼伝票の起票、入出庫保管台帳の照合記入、電話の対応等の事務作業及び検品・検数等であり、入出庫作業に伴う冷蔵庫からの品物の搬入出業務(肉体労働)は、荷役会社であるニチレイサービスの社員が行っていた。一日のうち、伝票の起票は午前八時前後が一番多かった。一年のうち一番忙しいのは一二月で、それ以外は余り変わらず、一日の入出庫伝票の起票数は、一〇〇枚から二〇〇枚であった。

3  冷蔵係の人員体制

昭和六三年六月以降は、太郎、Y1及びH1の三名体制であったが、平成元年五月末にY1が、六月末にH1が退職することになり、同年四月二〇日からH2が新たに勤務することになった。

平成元年五月からは、Y1が年次有給休暇の消化を理由に出勤しなくなり、太郎、H1及びH2の三名体制となった。

4  発症前日及び当日の模様

(一) 太郎の発症前日である平成元年五月一八日の様子をみると、太郎は当日二直勤務であったため午前八時に出勤し、通常業務である入出庫依頼の伝票起票(入庫伝票発行二二枚、出庫伝票発行六一枚、合計八三枚)、台帳記入、照合、検品、検数を行い、その後午後五時三〇分ころまでH2に仕事を教えていたもので、当日の業務は、入出庫伝票発行が八三枚であることからすると比較的少なかったものと推認され、業務に関して突発的な異常な事態の発生した事実も認められない。

なお、当日の冷蔵係の出勤状況は、H1が午前四時から午後三時、H2が午前八時から午後五時であり、午後三時から午後五時まで、冷蔵課長M(以下「M」という。)が手伝っている。

(二) その後、第二営業所勤務のO(以下「O」という。)とともに、午後六時ころに近くの焼鳥屋に行き、二人でビール中瓶二、三本を飲み、さらに太郎は焼酎とお湯が一対一程度の割合のお湯割りを四、五杯飲み、焼き鳥を食べた。そして、午後九時過ぎに会社に帰り、長浜マルイチ加工株式会社のY2社員を誘い、福岡市西区今宿所在の「牧のうどん」店に行き、Oと二人でビール大瓶一本を飲み、めん類を食べて午後一一時ころ、会社に帰った。太郎は夜勤者に翌朝午前四時ころ起こしてくれるよう依頼し、事務所二階の休憩室に泊まった。

(三) 以上のとおり、太郎の勤務時間及びこれに続く就寝までの時間において、太郎に業務に起因する突発的な異常事態が発生した事実は認められない。

平成元年五月一九日午前四時ころ、ニチレイサービスの社員が太郎を起こしに行ったところ、同人の異常に気づき、救急車を呼んだが、すでに死亡していることが確認された。

遺体は、仰向けで半袖シャツとパンツのままで、膝まで毛布をかけていた。特に外傷等の損傷は認められなかった。

5  発症前々日までの一〇日間の業務状況

平成元年五月八日から同月一七日までの太郎の業務従事状況は、勤務日数九日、休日一日、労働時間は一日当たり八時間から一二時間で合計九六時間(一日平均一〇時間四〇分)、時間外労働時間は合計二四時間(一日平均二時間四〇分)である。この間の冷蔵係三名による一日の入出庫伝票発行枚数については、五月八日は二四〇枚と多いが、同月九日は一七六枚、それ以降は一日平均一二八枚と減少傾向にあり、通常の発行枚数が一〇〇枚から二〇〇枚であるので、特にこの間に太郎に加(ママ)重負荷があったとは認められない。

6  発症一二日前までの一か月間の業務状況

発症一二日前までの一か月間における太郎の勤務日数は二二日、休日は八日であり、労働時間は一日当たり八時間から一三時間三〇分までで合計二〇四時間(一日平均九時間一六分)、時間外労働時間は二八時間(一日平均一時間一六分)にすぎない。

したがって、この程度の業務は明らかに通常業務の範囲内というべきである。

7  精神的負荷

太郎の業務は、精神的に激しい緊張を要する業務ではなく、太郎に相当の経験があったことからすれば、同人に過大な精神的負担をかけるものではなかった。

8  太郎の死因

太郎の死因については剖検がなされておらず、明確にされていないが、脳出血等いくつもある突然死のうち、心臓性突然死によると認められ、その原因については、太郎の年齢、健康状態等からみて、狭心症や心筋梗塞といった虚血性心疾患は考えがたく、結局太郎は前日の飲酒、半裸に近い状態での睡眠、低温等が相重なった急激な体温の低下により、急性心不全を生じ死に至ったと考えるべきである。

9  以上により、発症前の太郎の業務が特に過重であったとはいえないのであって、太郎の死亡は私的要因の強い関与によって生じたものとみざるを得ない。

よって、太郎の業務と同人の死亡との間に相当因果関係は存しないとした本件処分に何ら違法はない。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張を争う。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  争いのない事実

請求原因1(当事者)、同2(労災保険給付請求等)、同3(二)(1)(太郎の業務内容)、同3(二)(2)(太郎の精神的負荷)の事実中、太郎の業務が実際に魚の出し入れをするものではなく、肉体的にはさほどの重労働というわけではないこと、同3(二)(3)(冷蔵係の勤務体制)の事実中、冷蔵係においては、勤務時間は二交替制で、午前四時から一二時までの一直勤務と午前八時から午後五時までの二直勤務があること、日曜日と祭日は休日であり、業務はなかったこと及び昭和六三年六月からは、冷蔵係の業務は太郎、H1及びY1の三名で行っており、それぞれが一週間のうち二日一直勤務をし、四日二直勤務をするという勤務分担であったこと、並びに同3(四)(太郎の死亡)の各事実については当事者間に争いがない。

二  太郎の生育歴等

証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

太郎は、昭和三七年一月二五日に出生し、高等学校卒業後経理専門学校に進んだが、健康状態に特に異常はなかった。本件会社に入社して死亡するに至るまで目立った既往症の記録はないが、会社が昭和六二年一〇月一四日、同六三年五月三〇日、同年一〇月二六日、平成元年五月一一日にそれぞれ行った健康診断のいずれにおいても、太郎の血圧は境界域高血圧であり、要観察とされている。

太郎はもともと酒が強く、よく飲酒していたし、一日二〇本程度の喫煙習慣もあった。

三  太郎の業務

太郎の業務が冷凍倉庫の管理であり、その主たる業務が倉庫内の凍魚の出し入れの注文を電話で受け、伝票に記載し、倉庫から実際に魚を出し入れする下請会社に連絡することであることについては当事者間に争いがない。右争いのない事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  冷蔵業務

太郎は昭和六〇年四月一日に本件会社に採用され、死亡するまで四年以上一貫して長浜営業所の冷蔵係として勤務していた。右営業所は、福岡市中央卸売市場開設にあわせて建設され、市場周辺型の冷凍工場の冷蔵庫として、魚市場が午前三時に営業を開始するのに応じて午前四時に冷蔵庫の出庫業務を開始している。

2  冷蔵入出庫に伴う通常業務

長浜第一営業所の冷蔵業務には、冷蔵入出庫作業と事務作業があるが、入出庫作業は荷役会社であるニチレイサービスの社員が行い、太郎の所属する冷蔵係は事務作業を担当していた。

出庫事務作業は、荷主からの電話又はファックスによる出庫依頼を受けて、貨物受取書、通知書、出庫指示書及び送り状の四枚が綴られた複写式の出庫伝票に所定事項を記入してこれを作成し、出庫指示書を渡して出庫作業にかからせるとともに、荷物引き取り者からは貨物受取書、通知書及び送り状に受領サインをもらったうえ、送り状を渡して荷物を一緒に持ち帰ってもらい、荷主には後に通知書を渡す、というものである。貨物受取書は本件会社の控えとなり、これを保管物台帳に転記し、庫腹動態表の出庫トン数の集計に使用する。また、荷主(魚市場)から新規荷主(仲買)への名義変更があった場合には、出庫伝票にその旨記載し、保管物台帳の抹消及び新規台帳の作成を行う。

入庫事務作業は、送り状とともに送られてきた納品書をもとに、受入側である本件会社が、入庫検数表、寄託申込書、入庫品保管料計算書(控え)、入庫品保管料計算書(正)、入庫通知書及び受領書の六枚が綴られた複写式の寄託申込書に所定事項を記入してこれを作成し、入庫検数表を荷役会社の社員に渡して納品書と照合してチェックさせるとともに、その外の五枚の伝票に持ち込み者(寄託者は運送業者を使って入庫するので多くの場合は運送業者)のサインをもらったうえ、受領書を渡し、持ち込み者から要請があれば、送り状写しの受領欄に捺印し、荷主へは翌日入庫通知書を提出して報告する、というものである。保管物台帳へは寄託申込書から転記する。また、(控え)、(正)の両保管料計算書は月末集計して請求書に添付する。

冷蔵係で一日に処理する入出庫伝票は合計で一〇〇枚から二〇〇枚程度である。

3  その他の業務

太郎は、前記2の入出庫に伴う通常業務のほかに、通計表の作成、作業会社であるニチレイサービスに対する右通計表に基づく作業量(トン数)の報告、一か月間の保管料、入出庫料を魚市場等に提出するため、月末に伝票を集計して行う月末売上伝票の作成、公務課長に対する一日の冷蔵トン数の報告、毎月の利益を報告するための確報の作成、月末倉庫使用状況報告書の作成、毎月の売上・利益に関する業績表の作成、売掛金の入金・残金に関する本社との照合、冷蔵水産物在庫量調査票の作成、在庫品保管料計算書の作成、福岡魚市場請求書(保管料)の作成、一般請求書(保管料、凍結料、分割出庫手数料、名義変更手数料)の作成等の業務にも従事していた。

毎月二五日以降は、請求書の作成が忙しくなるため、M及びFの二名のうち一名又は両名が冷蔵係を手伝っていた。太郎は昭和六三年一〇月三〇日にはアパートに、同年の年末には実家にそれぞれ仕事を持ち帰り、伝票整理をしていたこともあるが、太郎が発症当時も仕事を家に持ち帰っていたと認めるに足る証拠はない。

太郎はニチレイサービスの社員が忙しいときに、まれには、品物の入出庫の手伝いをすることもあった。

四  冷蔵係の業務体制及びその変動

前示争いのない事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の各事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

1  冷蔵係の業務体制

冷蔵係においては、勤務時間は二交替制で、午前四時から一二時までの一直勤務と午前八時から午後五時までの二直勤務がある。日曜日と祭日は休日であり、業務はない。昭和六三年六月からは、冷蔵係の業務は太郎、H1及びY1の三名で行っており、それぞれが一週間のうち二日間一直勤務をし、四日間二直勤務をするという勤務分担であった。

2  Y1の退職とH2及びMの配置

平成元年三月ころ、太郎、H1及びY1の三名は、冷蔵係の業務が忙しい割に給料が安いとして、当時の長浜営業所長S(以下「S」という。)に対して辞表を出した。Sはこれを慰留して個別に話し合った結果、Y1は同年五月末で退職することになり、年休消化のため四月末まで仕事にでればよいことになった。

右Y1の退職を控え、同年四月二〇日からH2が派遣労働者として冷蔵係の仕事を行ったが、同人が不慣れなため、主として太郎がその業務内容を教えていた。また、冷蔵課長のMも兼務という形で冷蔵係に配置されたが、同係には午後三時ころから応援に来ていた。

3  H1の退職

H1については、四月中賃金の値上げについての話し合いが行われたが進展はなく、同人は五月一日には出社しなかった。SがH1宅に訪れてさらに慰留したところ、H1は賃金を一万円弱上げることと一直勤務をしないことで一旦は納得して出社したが、五月九日には結局六月末日付で退職することに決まり、同月二六日まで出社してその後は年休消化に当てるということになった。

4  太郎の負担増加

Sが太郎に対して、「将来は役職者になっていくのだから頑張ってくれ。」、給料の点についても「今から良くなっていく。」と言って慰留したところ、太郎は冷蔵係への人員補充を条件に会社に残ることになった。かくして前記のとおり、Y1が退職し、H1が一直勤務をしないこととなったため、太郎は五月一日から一直勤務を一人で担当しなければならなくなり、その負担は従来よりも増加した。

五  死亡前の太郎の状況

証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  平成元年四月以前の勤務状況

平成元年二月の太郎の時間外労働は二二時間であり、太郎自身が一週間の社員旅行に行ったために一直勤務も六回と少なかったが、三月は逆にH1とY1がそれぞれ一週間ずつ社員旅行に行ったために時間外労働は五四・五時間、一直勤務は一二回と多くなった。四月になると時間外労働は一三・五時間と再び少なくなり、一直勤務の回数も九回と平常に戻った。二月から四月のいずれについても休日に勤務したことはない。

2  平成元年五月一日から同月一七日までの勤務状況

平成元年五月にはいると、前記のとおりY1が出勤しなくなり、H1も一直勤務をしなくなったので、一直勤務を担当するものは事実上太郎しかいなくなった。また、Y1に代わり配置されたH2も未だ仕事に慣れておらず、応援に来ているMも終日事務所にいるわけではないことから、太郎の時間外労働は増加し、一六日までで四二・五時間であった。一七日は残業はなかった。

3  死亡前日及び当日の状況

太郎は、発症前日である平成元年五月一八日は二直勤務であったため、午前八時に出勤し、通常業務である入出庫依頼の伝票起票(入庫伝票発行二二枚、出庫伝票発行六一枚、合計八三枚)、台帳記入、照合等を行い、その後午後五時ころまでH2に仕事を教えていた。なお、当日の冷蔵係の出勤状況は、H1が午前四時から午後三時、H2が午前八時から午後五時であり、午後三時から午後五時まではMが手伝っている。

その後、Oが事務所に来て、「明日は早出だから会社に泊まる。」と言ったところ、太郎が、「自分も早出だから一緒に泊まろう。二人で飲みに行こうか。」と誘い、二人で酒を飲みに行くことになった。太郎は残りの仕事を済ませ、午後六時ころからOと近くの焼鳥屋に行き、ビール中瓶二、三本を二人で飲み、焼酎とお湯が一対一程度の割合のお湯割りを一人四、五杯ずつ飲んで、焼き鳥を食べた。午後九時過ぎに会社に戻った二人は、長浜マルイチ加工株式会社のY2社員を誘って、福岡市西区今宿所在の「牧のうどん」店へ行き、太郎とOの二人でビール大瓶一本を飲み、めん類を食べて午後一一時前に会社へ帰った。太郎は夜勤者に翌朝午前四時ころに起こしてくれるよう依頼し、事務所二階の休憩室に泊まった。

六  太郎の遺体発見の状況と検案の結果

証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  太郎の遺体発見時の状況

ニチレイサービスの従業員Nが平成元年五月一九日午前四時に出社し、太郎を起こしに行ったところ、様子がおかしいのでKを呼び、二人で足などを触ったが、呼吸もなく体が冷たいので異常に気づき、一一〇番通報した。太郎は頭を東に足を入り口に向け、枕を正常に据えて、マットの上に仰向きの姿勢で、半袖シャツとパンツを装着し、膝まで毛布をかけた状態で既に死亡していた。

2  検案の結果

太郎の遺体については剖検が行われていないが、死体を検案した医師により、全身に外傷はなく、項部、四肢関節に強直、背部及び腰部に紫斑があったこと、左右の瞳孔は散瞳を呈するが、眼瞼、眼球及び結膜には溢血点がなかったこと、直腸温と室内温度を参考にすれば、死後四ないし五時間を経過しており、死亡時刻は平成元年五月一九日午前零時零分ころと推定されることがそれぞれ報告されている。また、嘔吐等脳血管疾患に特有の症状や、大動脈が破裂した形跡などを認める報告はない(<証拠略>)。

七  太郎の死亡原因

太郎の死亡が急性心不全と総称される心臓性突然死によるものであることは当事者間に争いのないところであるが、右心臓性突然死の原因についてはさらに検討を要する。

心臓性突然死の原因には虚血性心疾患とそれ以外があり、虚血性心疾患は一次性心停止、狭心症、心筋梗塞症、虚血性心疾患による心不全及び不整脈に分類され、それ以外のものとしては解離性大動脈瘤及び二次性循環不全があるとされる(<証拠略>)。

太郎の健康状態等前示認定の各事実から検討すると、同人は死亡時二七歳と若年であること、喘息その他目立った既往症もないこと、健康診断の胸部エックス線にも所見が認められないこと、同人の血圧は要観察とされてはいたものの境界領域であり、高血圧症とまではいえないこと及びリスクファクターとして飲酒習慣と喫煙習慣が存在するが、これらはいずれも遠因としてしか考えられないことに照らせば、太郎の死亡は虚血性心疾患以外の原因によるものと考えるのが相当である。さらに前記のとおり、大動脈破裂の形跡がないこと、外傷がなく、出血、ショック等の事実も認められないことからすれば、解離性大動脈瘤破裂及び二次性循環不全の各可能性も否定されるべきである。

右の検討からすれば、太郎の死亡は、ふだん元気のよい主に二〇、三〇歳代の男性が夜間睡眠中に突然うめき声を上げて突然死亡するという、一次性心停止の一つである急性心機能不全(いわゆる「ポックリ病」)の発症による可能性が高い。右急性心機能不全については、本件のように剖検されていないと急性心筋梗塞症との区別がつきにくい場合があるとされるが、本件の場合は、前記のとおり虚血性心疾患以外の原因によるものと考えるべきであることに加えて、嘔吐等心筋梗塞に特徴的な症状の形跡も見られないことからすれば、右の結論を左右するものではない。

八  業務起因性についての判断

1  業務起因性が認められるためには、業務と死亡の原因となった発症との間に相当因果関係が認められることが必要であるが、右相当因果関係とは、当該発症が業務に内在する危険の現実化と評価できる場合に認められると解するのが相当である。

本件の発症は急性心機能不全の場合であるが、急性心機能不全自体は、その病因が医学的に解明されておらず、いわば原因不明の心臓性突然死の総称ともいえるものである。したがって、急性心機能不全の業務起因性の判断にあたっては、一般人の社会的常識から見て、本件死亡の原因に影響があるのではないかと思われるものを考慮し、太郎の発症が業務に内在する危険の現実化と評価できるかどうかを検討しなければならない。

前記認定した事実によれば、太郎の発症に影響を与える可能性があるものとしては、業務による疲労やストレス及び死亡直前の飲酒がある。

2  業務による疲労やストレスの影響

太郎の通常業務の内容は前記認定のとおりの伝票処理の事務作業であり、もともと過度の精神的緊張を強いられるものではなく、また、肉体的に過度の疲労が生じるものでもない。処理すべき伝票の量は時期によって変動があったが、一日あたりおよそ一〇〇枚から二〇〇枚で推移しており、冷蔵係三名の仕事としては過重とはいえないし、その他の業務についても、いずれも伝票の記載事項をもとに集計する作業であり、通常業務と質的に異なる業務ではない。それに、太郎は冷蔵係として四年以上の経験があることも考えると、太郎の平成元年四月までの業務が精神的に過重負荷であるとも考えられない。

ところが、平成元年五月からはY1が出社しなくなり、H1も一直勤務をしなくなったため、同月一日から一六日まで太郎が連続して一直勤務を担当したこと、時間外労働も四二・五時間あったことは前記認定のとおりであり、この間の太郎の精神的・肉体的負担が通常時に比べ相対的に増加していることが認められる。これは、太郎に疲労やストレスが存在していたことをうかがわせるものであり、このことが本件発症に影響を与えなかったかが問題となる。

しかしながら、太郎は当時二七歳の若者であり、血圧が若干高い他は目立った既往症のない健康体であったこと、五月一日以降四日間の休日を消化し、特に連休前の一日及び二日という忙しい時期の後は太郎も連続して休みを取っていること、業務内容自体に質的な変化はなく、時間外労働も主としてH2に仕事を教えるためのものであること、H1も五月一日以外は時間どおり二直勤務を担当していたばかりか一七、一八の両日は一直勤務に復帰してきていること、右両日は太郎も残業はなく、定時に退社していること、死亡前夜には、自ら同僚を飲酒に誘っていることも前記認定のとおりである。これらのことを併せ考慮すると、心臓性突然死に影響を与える程度に疲労やストレスが蓄積していたとは推認できない。

以上により、この間の太郎の業務がそれ自体精神的・肉体的に過重であったとはいえない。

3  死亡直前の飲酒の影響

証拠(<人証略>)によれば、人間の睡眠にはノンレム睡眠とレム睡眠の二種類があり、入眠後ノンレム睡眠に入り、その後次第に睡眠深度を増してゆき、しかる後にレム睡眠が出現すること、以上を一つの周期とみると約九〇分が一周期であり、人間は睡眠中にこの周期を四回ほど繰り返して、朝になり覚醒すること、ノンレム睡眠中は身体の恒常性維持機能が低下するという特徴があることが認められる。

前記の認定のとおり、太郎は発症前日に相当程度の飲酒をした後、午後一一時ころに会社に帰り、休憩室で就寝したものであり、発症したのは入眠後一時間前後の平成元年五月一九日午前零時ころであるから、右の当時太郎はノンレム睡眠中であったと考えられる。以上に前記六の1のとおり認定された太郎の遺体の発見時の状況を併せ考えると、太郎がアルコールを飲んだために血管が拡張していたところ、半袖シャツとパンツだけを装着し、毛布を膝までしかかけずに入眠して外気にさらされたため、ノンレム睡眠中の恒常性維持機能の低下を原因として急速に体温を奪われ、急性心機能不全に陥った、という発症経過が有力なものとして考えられる。

4  前記検討したところによれば、太郎の業務は本来危険が内在しない伝票処理の仕事であり、発症前の一八日間は残業や早朝からの勤務が恒常化していたことはうかがえるが、急性心機能不全を発症させる程度にまで業務が過重であったとは認められない。これに対して、死亡直前の飲酒及び就寝状況は、太郎の恒常性維持機能を低下させ、急性心機能不全を発症させたことを強く疑わせるものであり、飲酒、入眠行為が発症に最も近接していることに照らして、太郎の発症及び死亡に影響を与えた可能性が高いと認められる。

結局、太郎の発症及び死亡は、業務に内在する危険が現実化したものと判断することはできず、業務と発症との間に因果関係を認めることはできない。

九  結論

以上によれば、太郎の発症及び死亡の業務起因性を否定して被告がなした本件処分は適法であり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 草野芳郎 裁判官 岡田治 裁判官 杜下弘記)

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