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福岡地方裁判所 平成6年(ワ)3979号 判決 1997年4月25日

主文

一  原告らの被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

理由

第一  請求原因1(一)の事実は、被告日経新聞との間においては当事者間に争いがなく、被告第一交通との間においては《証拠略》によりこれを認め、同1(二)の事実は当事者間に争いがない。

第二  同2の事実は当事者間に争いがない。

第三  請求原因3(被告日経新聞の責任)について

一  安全配慮義務違反による債務不履行責任について

原告は、被告日経新聞は小林に対し、雇傭契約と同視しうる労務指揮権を行使する関係に立っていたということができ、被告日経新聞は安全配慮義務を負う旨主張する。

しかし、《証拠略》によれば、被告日経新聞は、平成二年一一月一七日に長崎県南高来郡小浜町所在の雲仙・普賢岳(以下「普賢岳」という。)が噴火を開始した後、平成三年五月ころからその取材のため記者やカメラマンを継続的に派遣するようになったこと、同月二五日、現地に派遣された被告日経新聞の記者が市役所前で客待ちをしていた被告第一交通の松野運転手のタクシーを利用したことがきっかけで、被告日経新聞の記者やカメラマンは取材のため被告第一交通のタクシーを利用するようになったこと、その利用形態は、いずれも走行距離とは無関係に拘束時間に一時間当たりの価値(三〇〇〇円)を乗じた運賃を支払う「貸切り」であったこと、黒田は同年五月三一日、東京から現場に派遣され、島原グランドホテルの一室を拠点として取材活動をしていたが、同年六月三日朝、被告第一交通に電話し、八時二〇分までに同ホテルに来て欲しい旨配車を申し込んだこと、同被告の配車係大場勝彦は待機中の車の中から次の順番であった小林に対し、無線で、同ホテルに行くよう指示したこと、小林は同ホテルに赴き、黒田から「貸切り」の注文を受け、これを無線で配車係に連絡し、以後黒田を乗車させて黒田の指示に従い賃走に入ったこと、以上の事実が認められる。

右認定によれば、現地に派遣された被告日経新聞の各記者らは、必要に応じて被告第一交通にタクシー利用を申し込み、利用の都度個別に同被告との間で旅客運送契約を締結しており、平成三年六月三日の黒田の利用に際しても、その旅客運送契約は黒田と被告第一交通との間で締結されたものと認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、被告日経新聞は右同日の黒田のタクシー利用について、旅客運送契約の当事者の地位には立たないものというべきである。

もっとも、直接の契約関係にない当事者間においても、当事者の一方が事実上他方を自己の支配管理下におき、業務の遂行について指揮命令しうる地位にある場合は、右当事者の一方は他方に対し安全配慮義務を負うと解すべき余地もあるが、本件においては、右認定のとおり、被告日経新聞の記者らによるタクシー利用は同被告の意思決定とはかかわりなく、現地において記者らの必要に応じて偶発的に行われていたものであるから、被告日経新聞と小林との間には右のような関係を認めることができず、安全配慮義務の存在を肯定すべき前提を欠くといわざるをえない。

したがって、安全配慮義務違反を理由とする原告らの被告日経新聞に対する請求は理由がない。

二  不法行為責任(民法七一五条)について

1  被告日経新聞が黒田の使用者であること、本件事故は黒田の取材活動の際に発生したものであることは当事者間に争いがない。

2  一般にタクシーの乗務員は地元の地理や交通規制を熟知しているものであるから、タクシーに乗車する乗客は、報道機関の従業員であると否とにかかわらず、目的地または経由地において何らかの災害に遭遇すべきことを予め認識すべき注意義務を負うものではない。しかし、道路運送法一三条五号は天災その他やむを得ない事由による運送上の支障があるときは運送の引受を拒絶しうることを定めているから、乗客が一般的には周知されていない天災等に関する情報を有し、そのため災害に遭遇する具体的危険性を認識しながら、あえてこれを秘匿し、又は過失によりこれを告げないで、乗務員をして危険地域に赴かせ、その結果災害に遭遇して乗務員に損害が発生した場合には、乗客の右運送契約締結の申込は道路運送法上認められた運送の引受拒絶権を侵害する行為として不法行為を構成すると解すべきである。

以下、右の見地から、黒田が小林の運転するタクシーに乗車し、本件事故現場に向かわせたことに関し、黒田に不法行為責任が成立するか否かについて判断する。

(一) 証拠によれば、次のとおり認められる。

(1) 《証拠略》によれば、普賢岳の火砕流の発生状況及びこれに関する報道について、次のとおり認められる。

<1> 平成二年一一月一七日、普賢岳は九十九島、地獄跡両火口において寛政四年の噴火以来一九八年ぶりに噴火し、以後平成三年五月まで普賢岳一帯においては、群発地震、噴煙、噴石、山頂の移動、火山性微動、地獄跡火口における溶岩ドームの発生、成長、崩壊等の火山活動が観測された。なお、付近の地理状況は、普賢岳を源流としてほぼ東方に向かって水無川が流れ、同川は島原市北上木場町を経て有明海に注いでいる。

また、平成三年五月一五日を皮切りに同月一九日、二〇日、二六日には降雨を契機に水無川流域にて土石流(土砂と水の混合体で、火山灰が堆積した状態で降雨により比重の重い泥流が発生し、地盤を洗掘する現象)が発生した。

<2> 平成三年五月二四日、地獄跡火口東側において溶岩崩落現象が発生したが、翌二五日調査の結果右現象は火砕流であったことが初めて判明した。火砕流とは、高温の溶岩塊に火山灰、火山ガスが混合した流動体であって、数百度ないし一〇〇〇度の高温を保ち、傾斜面を流れ下る速度は時速一〇〇ないし二〇〇キロメートルに達する。その生成原因は、火口で爆発的に発生する場合と、形成された溶岩ドームが崩落破壊されて発生する場合があり、普賢岳の火砕流の生成原因は後者であると考えられているが、本件火砕流はそれまで観測されていなかったほどの強い空気振動が観測されたことから前者の原因による可能性もあると報じられている。わが国においては、右当時までに火砕流の発生状況を直接に観測した研究者はない状態であり、現在においても本件火砕流の発生、発生した場合の規模、到達範囲の予測は困難である。なお、同月二七日付日経新聞は、火砕流について「噴火に伴って発生した高温ガスと火山灰、溶岩の破片など粉状の混合物が山腹に速い速度で流下する現象」であって、「高熱を帯びて圧力が高いため、直撃すれば人や家屋も吹き飛ばし危険。大規模なものは火砕流と土石流で死者一一五一人を出した天明三年の浅間山噴火が有名。このほか、有珠山、十勝岳、桜島等でもしばしば起きている。」旨報道している。しかし、右二五日の調査結果を報道した同月二六日付日経新聞と朝日新聞には、通産省工業技術院地質調査所や福岡管区気象台の担当者の話として、今後大規模になる心配は余りないのではないかとの談話が報道された。

<3> 同月二六日、二七日にも火砕流は続発した。火砕流の発生に関する記事は連日新聞で報道されるようになり、二六日には火砕流の先端部分は島原市北上木場町の人家から三〇〇メートル付近に達した旨報道された。

<4> 同月二六日、水無川上流の治山ダムの作業員が火口から約三キロメートル下流で火山ガスに巻き込まれ、腕に火傷を負った。これについて同月二七日付日経新聞は、火砕流の火山ガスに巻き込まれた作業員の談話として「灰に巻き込まれないよう、すぐ近くの草むらに飛び込んだ。熱いという感じはなかったが、後に、腕まくりをしていた二の腕が赤くなり、むけているのがわかった。」との報道をしている。

<5> 同月二七日、西日本新聞の記者は火口から約三・三キロメートルの水無川上流地点で火砕流に遭遇したとする体験談を同日付夕刊に掲載した。右記事は「山上方向にものすごい勢いで黒煙が膨れ上がったので、逃げ出し、三〇メートル先の作業小屋に避難すると、三〇秒後に周囲が暗くなり、生暖かい風が襲ってきた。口にタオルを当て、三分後に小屋を出たが、一面灰色の煙で何も見えなかった。」というものである。また、二七日付日経新聞には、火砕流は今後も発生し、さらに人家に迫る危険もあるとの火山噴火予知連絡会長の指摘が報道されている。

<6> 同月二九日、それまでで最大規模の火砕流が発生し、翌三〇日、日経、毎日、西日本の各新聞は、火砕流の先端は火口から東南三・二キロメートルの場所にある火口に最も近い北上木場町の人家(伊賀輝虎方)まで三〇〇メートルないし四〇〇メートルの地点に迫った旨報道し、翌六月一日付の朝日新聞は、火砕流が北上木場町の人家まで約二〇〇メートルに迫っている旨報道した。

<7> 同年六月一日付の日経新聞は、マグマの活動は依然として続いており、溶岩噴出、火砕流、土石流の発生が続くとの火山噴火予知連絡会の見解と、より大規模な火砕流の発生を否定する根拠はないとの同会長の見解を報道した。

<8> 同月三日付毎日新聞は、火砕流の速度は新幹線並みであるとして、火口から直下の滝壷までは時速一〇〇キロメートル程度、水無川源流付近で時速二〇〇キロメートル程度、同川上流付近ないし砂防ダムの間では時速一〇〇キロメートル程度と考えられる旨の九州大学理学部助手の説明を報道している。また、同日付の朝日新聞は、九州大学島原地震観測所助手の至近距離からの火口観測の結果として、「もうマグマは残り少ないと考えられ、大規模な地殻変動はないのではないか。」との同観測所長の談話を報道している。

(2) 《証拠略》によれば、火砕流に対する災害防止対策の状況について、次のとおり認められる。

<1> 島原市防災対策本部(以下「防災対策本部」という。)は、平成三年五月一五日以降、水無川の土石流対策として北上木場町を含む各地域に対し、数回にわたり、災害対策基本法六〇条に基づく避難勧告を発令していたが、同年五月二六日、初めて火砕流対策のため北上木場町、南上木場町、白谷町、天神元町、札の元町の五町二五二世帯に対し避難勧告を発令し、広報車で避難を呼び掛け、住民を小学校、公民館等に避難させた。これらの事情は新聞に報道されている。また、地域内への道路には避難勧告地域であることを示す標識等が設置された。

<2> 水無川左岸には、ほぼこれに沿って普賢岳方向へ向かう複数の道が通じているが、これらの道は北上木場町の東端部付近に当たる筒野バス停留所の地点で合流している。島原警察署は、同月二六日、一旦筒野バス停留所以西への一般車両の通行を禁止する措置をとったが、翌二七日、右措置を解除した。

<3> 同月二九日、九州大学島原地震火山観測所所長太田一也は防災対策本部に対し、火砕流の影響がわからないので筒野バス停留所以西を進入禁止とするよう申し入れた。これに基づき防災対策本部は、消防署及び報道機関に対し、筒野バス停留所まで退却するよう協力を依頼するとともに、広報車で呼び掛け、島原警察署にその旨連絡した。

<4> 同月三〇日及び翌三一日、島原市長は報道機関に対し、火砕流が迫っている状況であるので避難勧告を継続すると発表し、三一日には筒野バス停留所以西へは進入しないよう協力を要請した。しかし、翌六月一日、島原市長は、普賢岳に最も近い北上木場町及び南上木場町を除き右避難勧告を解除した。

(3) 《証拠略》によれば、報道機関の取材状況について、次のとおり認められる。

被告日経新聞ら報道機関の記者やカメラマンは、普賢岳の噴火状況を取材するため、普賢岳を正面に望むことのできるほとんど唯一の地点であった本件事故現場を「定点」と称して取材場所とし、当時一〇人ないし二〇人のカメラマン等が取材に当たっていた。本件事故現場は水無川の左岸にほぼ沿った道を筒野バス停留所から西へ約七〇〇メートルないし八〇〇メートル進行した地点であり、前記伊賀輝虎方から東方へ約八〇〇メートル程度の地点である。右地点は高台になっており、水無川とは相当の標高差があった(証人三浦秀行はこれをはっきり分からないが一〇ないし二〇メートルと証言し、証人太田一也は四、五〇メートルと証言し、日経新聞は約四〇メートルの高さの丘と報道している。)。また、右地点の上方には緩斜面があり、従前の火砕流はここで止まっていたため、地元民も右取材地点まで火砕流が及ぶことはないであろうと考えていた。当時、取材に当たっていたカメラマン等は、火砕流とは山頂で黒煙が上がった後、どろどろした溶岩のような重たい成分のものが流れてくる現象であると理解しており、したがって、高台にいれば大丈夫であり、車で逃げれば十分間に合うと考えていた。黒田が同僚のカメラマン三浦秀行とともに取材に派遣された平成三年五月三一日ころには筒野バス停留所付近で警察官が道にロープを張っていたが、報道機関の取材活動であることを告げると、通行を阻止されることはなかった。また、黒田らは同年六月一日に九州北部地方が梅雨入りしたことから専ら土石流の発生を警戒していた。

(4) 前記争いのない事実及び認定事実並びに《証拠略》によれば、本件事故の状況について、次のとおり認められる。

平成三年六月三日午後四時ころ、本件火砕流が発生した。当時黒田はカメラマンとして本件事故現場において取材に当たっており、小林も付近で待機していた。普賢岳方面に黒い噴煙が上がったとき、黒田は無線で、島原グランドホテルで取材準備中であった三浦秀行に対し、ホテル屋上から噴煙の写真を撮るよう連絡した。そして、黒田は本件事故現場にいた人々らが避難を開始する中で火砕流の写真を六枚撮影し、その直後に被災した。黒田及び小林の被災は火砕流本体によるものではなく、火砕流本体の前面に生じる高温の衝撃風(ブラスト)によるものであった。

(二) 右認定によれば、平成三年五月下旬以降普賢岳においては火砕流が続発し、大きな火砕流は北上木場町の人家から約二〇〇メートルの距離にまで達していたこと、防災対策本部によって北上木場町を含む地域に避難勧告が発令され、住民が避難していることは、島原市及びその周辺の住民には公知の事実であったということができる。

一方、前記認定のとおり、火砕流が発生した場合の規模ないし到達範囲を具体的に予測することは困難であり、また、火砕流本体の前面にブラストが発生するとの認識を黒田が有していたことを認めるに足りる証拠もない。これらの事実に、前記認定のとおり、避難勧告が発令され、勧告地域へ進入しないよう協力を要請されていたものの、勧告地域内への取材のための通行は事実上制限されなかったこと、取材現場はそれまでの最大規模の火砕流の到達した地点より約一キロメートル下流の地点であり、地元住民も安全と考えていた地点であって、水無川より高台に位置すること、黒田らは高台にいれば火砕流に巻き込まれることはなく、火砕流が接近したとき車で避難すればよいと考えていたこと、従前火砕流によるものとして報道された人的被害はせいぜい軽度の火傷程度のものであったこと、人的被害が今後生じるとすればそれは土石流によるものと考えていたことを総合すれば、黒田は本件事故当時、本件事故現場に滞留すれば火砕流による死亡事故が発生する恐れがあるとの具体的認識を有してはいなかったものと認めるのが相当である。

なお、前記のとおり同年五月二七日付日経新聞は、火砕流は高温ガスと火山灰、溶岩の破片など粉状の混合物が山腹を速い速度で流下する現象であるとの記事、本件事故当日の毎日新聞は火砕流の速度は新幹線並みであるとの記事を掲載しており、黒田が右記事を読んでいたか否かは明らかでないが、黒田が本件事故前に火砕流の速度等について右記事のような認識を有していなかったことは、前記認定のとおりの黒田の被災直前の比較的余裕を持っていたと窺われる行動から十分推認できるところであるし、仮に同人が右記事を読んでいたとしても、火砕流の性状について特段の予備知識を有していたとは認められない黒田において、右記事内容から直ちに本件事故現場における取材に具体的危険があると予測することはできなかったものと認めるのが相当である。また、前記認定のとおり同年五月二九日にそれまでの最大規模の火砕流が発生した後、より大規模な火砕流の発生を否定する根拠はないとの見解も発表されていたが、右予測はそれ自体極めて抽象的なものにすぎない。したがって、右各事実はいずれも前記判断を左右するものではないし、この点を捉えて、黒田は取材活動を行う新聞社のカメラマンとして一般人の有しない火砕流の危険性に関する情報を有していたのに過失によりこれを被告第一交通ないし小林に告知しなかったと認めることもできない。

(三) 右のとおりであるから、原告らの被告日経新聞に対する民法七一五条に基づく請求は理由がない。

第四  請求原因4(被告第一交通の責任)について

一  小林が被告第一交通の運転手であり、両者の間に雇用関係があったことは当事者間に争いがなく、したがって被告第一交通は当時小林に対してその生命、身体の安全に配慮する一般的義務を負っていたと言える。

二  ところで、安全配慮義務違反を理由として損害賠償を求める訴訟においては、原告においてその義務内容を特定し、義務違反に該当する事実を主張立証する責任がある(最高裁判所昭和五六年二月一六日判決・民集三五巻一号五六頁)ところ、本件において原告らが主張する被告第一交通の安全配慮義務の内容は、前記のとおり、危険地域への配車要求があったときは乗客に対し目的地ないし経路の安全を確認すべき義務であるというのである。

しかし、前記認定のとおり、乗客である黒田には、被告第一交通に対して配車を依頼する電話をした当時、本件事故現場の危険性については、火砕流に対する避難勧告地域内であるとの一般的認識以上に特段の具体的な認識はなかったのであるから、仮に配車係の大場勝彦において黒田に対し右の趣旨の質問をしたとしても何ら安全配慮義務の履行上意味のある回答は期待できない状態であったことは明らかである。そうすると、仮に被告第一交通が小林に対し、原告ら主張の内容の安全配慮義務を負うとしても、本件においては義務違反と結果発生との間の因果関係の存在を認めることができないから、原告らの被告第一交通に対する請求は理由がない。

第五  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、その余の主張につき判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野崎弥純 裁判官 上田洋幸)

裁判官 向野 剛は、転補のため署名押印することができない。

(裁判長裁判官 野崎弥純)

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