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福岡地方裁判所 平成4年(行ウ)13号 判決 1996年10月23日

甲・乙事件原告(以下「原告」という。)

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

前田豊

古屋勇一

甲事件被告(以下「被告」という。)

福岡県警察本部長

加藤孝雄

甲・乙事件被告(以下「被告」という。)

福岡県

右代表者知事

麻生渡

右被告両名訴訟代理人弁護士

森竹彦

右訴訟復代理人弁護士

三ツ角直正

右被告両名指定代理人

中ノ森稠基

外一名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告福岡県警察本部長(以下「被告県警本部長」という。)が原告に対し昭和六一年一〇月九日付でした諭旨免職処分及び辞職承認処分を取り消す。

二  原告が福岡県巡査としての公務員の地位を有することを確認する。

三  被告福岡県(以下「被告県」という。)は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、福岡県警察(以下「県警」という。)に警察官として勤務していた原告が、のぞき目的の住居侵入事件の嫌疑をかけられ、被疑者として取調べを受けていた間に、辞職願を作成し、これを提出したところ、被告県警本部長はこれを受けて辞職承認処分をしたが、右辞職願は、原告の上司の、被害者を納得させ、穏便に事態を収拾するために必要なものであり、受理されることのないものであるから作成せよとの言を信じて作成・提出されたものであって、原告の真意に基づくものでないから、これを受けてした右辞職承認処分は違法であり、また、右辞職承認処分の後、当時の県警監察官が新聞記者の取材に応じて、当該辞職承認処分が、原告の非違行為すなわちのぞき目的の住居侵入を前提とするいわゆる諭旨免職処分である旨公表したが、原告は、そもそも住居侵入を犯していないのであるから、それを前提とする諭旨免職処分は前提を欠くものであって違法であるとして、被告県警本部長に対してそれぞれの処分の取消しを求め、被告県に対して、県警警察官(巡査)としての地位を有することの確認を求めるとともに、原告の意思に反する右辞職承認処分及び県警監察官による原告がのぞき目的の住居侵入を犯し諭旨免職処分になったとの真実に反する事実の公表について、原告に対する不法行為としての名誉毀損が成立するとして損害賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、昭和五五年四月八日県警に巡査として採用され、警察学校を卒業後、県警飯塚警察署勤務を経て、昭和五九年三月二八日以降県警本部警備部警備課特捜第一係に勤務していた(争いのない事実)。

原告は、平成四年七月一〇日妻の実母甲野春子と養子縁組をしたことに伴い、その姓が「甲野」となったが、その以前の姓は「乙川」であった(争いのない事実)。

2  原告は、昭和六一年一〇月一日午後八時一五分ころ、福岡県宗像市日の里六丁目八番地の一七所在のA方前路上付近において、同人方敷地内に侵入した疑いにより、同人に腕を掴まれるなどしたものの、同人の手を振り払って進んだが、同市日の里六丁目三番一一号先橋の上において同人に再び捕らえられ、同人の妻Bの一一〇番通報により到着した県警宗像警察署(以下「宗像署」という。)のパトカーに乗車させられ、当日午後八時五〇分ころ宗像署東郷派出所(以下「東郷派出所」という。)に連行された(争いのない事実、甲一六)。

3  原告が昭和六一年一〇月六日、同日付辞職願(以下「本件辞職願」という。)を作成・提出したところ、被告県警本部長(当時は鳴海國博である。)は、原告に対し、同月九日付で辞職承認処分(以下「本件処分」という。)をした(争いのない事実、甲七五、七六)。

4  昭和六一年一〇月二二日及び同月二三日、新聞社三社の新聞記者から、順次、県警に対して本件処分に関する取材の申込みがあり、当時の県警監察官阿野富圓(以下「阿野」という。)がこれに応じたところ、同日付の毎日新聞(朝刊)、朝日新聞(夕刊)及び西日本新聞(夕刊)に、本件処分が諭旨免職処分である等本件処分に関する記事がそれぞれ掲載され、そのうち毎日新聞には阿野のコメントが掲載された(争いのない事実、甲五〇、五三、五四、証人阿野)。

5  原告は本件処分を不服として、昭和六一年一二月八日、地方公務員法(以下「地公法」という。)四九条の二に基づき、福岡県人事委員会に対して審査請求をしたが、右人事委員会は、平成四年六月一六日、本件処分を承認する旨の採決をした(争いのない事実)。

6  被告県は、県警を管理・運営する地方公共団体である(争いのない事実)。

二  争点

1  諭旨免職処分とはどのような法的性格のものか。

2  辞職承認処分は取消訴訟の対象となる不利益処分(地公法四九条一項)に該当するか。

3  本件処分は適法か(本件処分の前提である原告の本件辞職願の提出が原告の意思に基づくものといえるかどうか。)。

4  本件処分及び阿野が本件処分に関する新聞記者らの取材の申込みに応じ、本件処分が原告の住居侵入を前提とする諭旨免職処分であると公表したことについて不法行為が成立するかどうか。

5  右不法行為が成立すると認められる場合、それに基づく損害賠償請求権が時効により消滅しているかどうか。

三  争点に対する当事者の主張

別紙記載のとおり

第三  争点に対する判断

一  争点1(諭旨免職処分の法的性格)について

諭旨免職処分は、現行法令上これについて定めた規定が存在せず、その概念も一義的に明確ではないが、証人阿野の証言及び弁論の全趣旨によると、県警においては、地方公務員(以下「職員」という。)に懲戒処分に該当するような非違行為があり、本人がこれを反省し、辞職を申し出た場合において、任命権者がその申出を承認する場合を、通称として諭旨免職処分と呼んでいることが認められる。この諭旨免職処分はあくまでも正式な処分ではないから、その本質的な法的性格は、職員から任命権者に対し、書面による辞職の申出(退職願の提出)があった場合において、とくに支障のない限り、任命権者がこれを承認するという行政行為すなわち辞職承認処分の一類型に他ならないと解するのが相当である。

原告は、諭旨免職処分が公表された場合には地公法四九条一項の不利益処分となる旨主張するが、被処分者にとって処分が不利益かどうかは、当該処分が公表されたかどうかに関わるものであるとは考えられないから、諭旨免職処分の法的性格が辞職承認処分の一類型であるということは、当該処分が諭旨免職処分である旨の公表等をされた場合においても異なるものではないと解される。

ところで、原告は、甲事件において、辞職承認処分の取消し以外に、それとは別個独立の処分としての諭旨免職処分の取消しを求めているものと解されるところ、前記のとおり、本件における諭旨免職処分の法的性格は辞職承認処分に他ならない以上、辞職承認処分とは別個独立の処分としての諭旨免職処分の取消しを求めることはできないものというべきである。

二  争点2(辞職承認処分の地公法四九条一項の「不利益処分」該当性)について

前記のように、辞職承認処分は、職員が任命権者に対し書面による辞職の申出(退職願の提出)をした場合に、任命権者がこれを承認するという行政行為である。そして、地公法四九条の二が不服申立てができる処分につき、同法四九条一項に規定する処分と定め、同項が「懲戒その他その意に反すると認める不利益処分」としていることからすると、職員の辞職の申出すなわち同意の下に行われる辞職承認処分は「その意に反する」ものであるとはいえないから、原則として、右不利益処分には該当しないものというべきである。しかしながら、職員が詐欺や強迫等によって辞職の申出をした場合等、職員の辞職の申出が真意に基づくものではないと認められる場合には、右のような職員の辞職の申出を前提とした辞職承認処分は、結局、職員の意に反する離職という効果を生じるのであるから、地公法四九条一項にいう不利益処分に該当すると解するのが相当である。

したがって、当該辞職承認処分の前提となる職員の辞職の申出が、職員の真意に反する場合には、取消訴訟の対象になるというべきである(行政事件訴訟法三条二項、地公法五一条の二参照)。

本件において、原告は、本件処分の前提となった本件辞職願の提出は、原告の真意に反するものであると主張しているのであるから、辞職の申出があるということから直ちに不利益処分ではないということはできず、本件処分は、取消訴訟の対象となるというべきである。

三  争点3(本件処分の適法性)について

1  争いのない事実及び証拠によると以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和五五年三月に大学を卒業し、同年四月八日県警に巡査として採用され、警察学校を卒業した後、飯塚警察署勤務を経て、昭和五九年三月二八日以降県警本部警備部警備課特捜第一係に勤務していた者であり、将来を嘱望されている警察官であった(争いのない事実、甲一六、一一〇、原告本人)。

(二) 原告は、当時県警幹部であった警察官の父を持つ妻と見合いで知り合い、昭和五七年三月二一日結婚し、妻の実家である原告の住所地において、妻及び妻の両親の四人で生活していた。原告は帰宅にあたり、当時の国鉄鹿児島本線吉塚駅(以下「吉塚駅」という。)で電車に乗車する前か、あるいは同線東郷駅(以下「東郷駅」という。)で下車した後に、自宅に電話を掛けて、妻か妻の母に車で東郷駅まで迎えにきてもらうのが通常であった(甲二、一〇三、一一〇、一一五、原告本人)。

(三) A方住居侵入被疑事件の発生(昭和六一年一〇月一日)

(1) 原告は、昭和六一年一〇月一日午後五時一〇分ころ退庁し、帰宅途中、県警本部警備部警備課特捜第一係の伏原康規巡査部長(以下「伏原」という。)、本多正幸巡査部長(以下「本多」という。)及び國崎浩二巡査(以下「國崎」という。)とともに、同日午後五時三〇分ころから同日午後七時一〇分ころまで、吉塚駅前の飲食店で飲食した。そのときの原告の飲酒量は、ビール大ジョッキ一杯、日本酒(冷酒)三合くらいであった(甲一六、八二、八三、一一〇、一一四、原告本人)。

(2) 原告らは、同日午後七時一五分ころ右飲食店を出て、原告、伏原及び本多は、吉塚駅を同日午後七時二二分に出発する鹿児島本線の上り電車に乗車し、原告は、同日午後七時五二分ころ東郷駅で下車した。当日、原告は、吉塚駅でも東郷駅でも自宅に電話をしなかった。原告は、東郷駅前にあるバス停留所「東郷日の里口」に停車していた西日本鉄道株式会社の路線循環バス(日の里線、西大回り、東郷日の里口午後七時五八分出発予定)に乗車したものの、右バス路線の原告の自宅から最寄りの「日の里八丁目」バス停留所を乗り越し、「第二公団住宅前」バス停留所で下車した後、別紙図面の赤色線に沿ってA方付近路上まで歩いた(甲一六、九六、九七、一一〇、原告本人)。

(3) A方付近は住宅地で、午後八時ころの人通りは比較的少ないところであるが、同人方では、昭和六一年五月ころから数回にわたって風呂場等をのぞかれるということがあっため、門扉・門灯を新しく設け、周囲の庭木を切るなどの対策を講じていた。

昭和六一年一〇月一日午後八時過ぎころ、A方には、同人、B及び当時一九歳の娘の三人が在宅し、居間でテレビを見ており、風呂場では風呂の給湯をしていたところ、家の外から「ガチャン」というような音がしたのを家族三人が一様に聞いた。

なお、A方においては、風呂の給湯中は風呂場の電灯を消しているものの、風呂場横の洗面所兼脱衣所は就寝まで電灯を点けたままにしているのが通常であった。

そのころ、A方の風呂場の外の窓の下に、ビール瓶の入ったビールケースが置いてあり、その上に古い車のホイルキャップを乗せていたが、右音はそのホイルキャップの音のようであった。

右音の聞こえた方向が風呂場の方であったため、Bは居間の東側の窓を開けて周囲を伺い、その後風呂場の方に行って、懐中電灯で風呂場付近を照らして周囲を検索し、Aは表に回ったが、玄関を出たところで、東隣のK方方向から草木をなぎ倒すような「ザザザッ」という音を聞き、続いてAが家の前の道路に出てK方方向を見ていると、そちらから原告が歩いてきた。

(甲八〇、八一、一〇七)

(4) Aは、原告がAの前を通り過ぎたので、同人方西隣E方前路上において、原告の腕を掴むなどして誰何し、「K方に用事があったのか。」などと話しかけたところ、原告はAに対し「日の里団地に住む田中である。」と名乗り、同人の手を振り払って行こうとしたため、同人は、原告がA方敷地に侵入したものと判断し、同人方前路上に出てきていたBに対して一一〇番通報するように告げた。

原告はAが話しかけるなどしても立ち止まらずに歩いて行ったので、同人はこれを追って行き、宗像市日の里六丁目三番一一号先橋の上(別紙図面×印地点)において同人が原告をはがい締めにしているところに、Bの一一〇番通報を受けて急行した宗像署のパトカー(乗務員二名)が到着したため、原告及びAは右パトカーに乗車して、同人方前路上付近まで戻った。

Aは、同人方前付近路上において、パトカーから降車し、乗務員一名から一〇分弱の事情聴取を受け、その後、パトカーは原告のみを乗せて東郷派出所に向かったが、原告はパトカー内で乗務員に対して氏名、身分等を告げた。

(争いのない事実、甲一六、八一、八二、八三、一〇七、一一一、原告本人)

(四) 原告が自白する以前の事情聴取及び取調べの状況

(1) 昭和六一年一〇月一日から翌二日未明までの状況

ア 東郷派出所において、当直員及びパトカー乗務員らが原告に対して簡単な事情聴取をしたところ、原告はA方敷地への侵入の嫌疑について否認したが、右派出所の当直員は、原告の身元がはっきりしていることなどから、原告を一度帰宅させることにした。

原告は、同日午後九時ころ、東郷派出所を出て東郷駅に向かい、東郷駅で自宅に電話を掛けて妻と妻の母に車で迎えにきてもらい、同日午後九時一五分ころ帰宅したが、このとき原告は、A方敷地に侵入したという嫌疑がかかり、東郷派出所で事情聴取を受けたことについて妻らに話をしなかった。

(甲一六、一〇三、一一五、原告本人)

イ 同日午後一一時ころ、自宅にいた原告は、宗像署警備課の小田守巡査部長から呼出しを受け、家族には仕事の関係で呼出しがあったと告げた上で、妻の母に車で送ってもらい、同日午後一一時二〇分ころ宗像署に到着した。原告は当日の当直員のひとりであった同署刑事課木下善蔵巡査部長(以下「木下」という。)から事情聴取を受けたが、その際、A方敷地内への侵入の事実については、「酒に酔ってよく覚えていない。」旨述べて容疑を否認したので、木下は原告の申立書を作成させた。このとき、原告は飲酒検知を受けたが、その結果、原告の呼気一リットル中に0.3ミリグラムのアルコールが検出された。原告は、翌二日午前一時ころ帰宅した(甲一六、一〇三、一一一、一一三、原告本人)。

ウ 同月一日午後一一時ころ、宗像署次長は原告によるA方住居侵入被疑事件の発生について、県警本部警備課次席濱地貢警視(以下「濱地」という。)の自宅に電話で連絡し、これを受けた濱地は県警本部警備課長倉本嘉于警視(以下「倉本」という。)に電話で連絡をするとともに、県警本部警備課特捜班長嶋田凱充警部(以下「嶋田」という。)に対して電話で直ちに警備課に出向くように指示し、嶋田は翌二日午前一時ころ県警本部警備課に出向き、待機していた。

同日午前一時ころ、宗像署次長は、再度濱地の自宅に電話し、原告は容疑を否認しているものの、一度帰宅させ、後日調べる旨述べた。

(甲一〇一、一〇五)

(2) 昭和六一年一〇月二日から翌三日未明までの状況

ア 原告は、同月二日午前八時ころ県警本部警備課に出勤し、濱地に前夜のA方住居侵入被疑事件の発生について報告した。

この件について、濱地が倉本に報告をしたところ、倉本は事件についての事実関係の調査を指示した。

國崎は、同日、前日の夕方以降の原告らとの飲酒状況について、嶋田から事情を聞かれた。

(甲一六、一〇五、一一四、証人倉本、原告本人)

イ 同月二日の午前中、原告は、県警本部警備課特捜第一係長川野尊裕警部補(以下「川野」という。)から、県警本部警備課の取調室でA方住居侵入被疑事件について事情聴取を受けたが、その際、原告が容疑を否認したので、川野はその旨倉本及び濱地に報告した(甲一〇一、原告本人)。

ウ 同日午後五時過ぎころ、Aから宗像署に電話があり、これを同日の当直であった同署強行犯係長間地洋之警部補(以下「間地」という。)が受けたが、Aは、前夜同人が捕まえた男の処分について問い合わせるとともに、Aは夜間勤務が多いので、夜間の家のことが心配である旨述べた(甲一〇八)。

エ 同日午後七時ないし八時ころ、宗像署長は倉本に電話をかけ、原告の申し立てている内容と、Aの申し立てている内容に食い違いがある旨連絡し、これを受けた倉本は既に帰宅していた濱地に電話で連絡し、濱地は当直員を指示して、嶋田、川野及び原告に県警本部警備課に出て来させるとともに、自らも出向いた(甲一〇五)。

オ 原告は、同日午後八時三〇分ころ川野から呼出しを受けて県警本部警備課に出向き、A方住居侵入被疑事件について、川野及び嶋田から同日午後一〇時ころから翌三日午前零時過ぎまで事情聴取を受けたが、その際、原告は、「酔っていたのでよく覚えていないが時間的・場所的に不審者と思われても仕方がない。」等の供述をしたので、川野らはその旨県警本部警備課に出向いていた倉本及び濱地に報告した。

このとき、原告は、川野から同月一日に原告が着用していたジャンパーを提出するように言われた。

原告は、翌同月三日午前一時ころ帰宅した。

(甲一六、一〇一、一〇五、原告本人)

(3) 昭和六一年一〇月三日の状況

ア 同日午前一〇時一〇分から同日午前一〇時五〇分まで、A方住居侵入被疑事件について、Bを立会人として、間地、木下及び宗像署刑事課小西昭八郎巡査(以下「小西」という。)によるA方付近一帯の実況見分が実施され、その実況見分調書は同月六日に作成された(甲八〇、一〇八、一一三)。

イ 原告は、同月七日に実施される公用自動車の運転技能検定において大型車・初級を受検する予定であったが、同月三日午前中に、右検定の受検に必要な過去の出題傾向メモや捜査資料等を「もう必要ない。」等と言って、國崎に渡した(甲九二の一ないし四、九三、九四、一一四)。

ウ 原告は、同月三日昼ころ、川野及び県警本部警備課重松義輝主任巡査部長(以下「重松」という。)に送られて、県警本部から宗像署まで行き、同署防犯課少年補導室において、同日午後二時ころから同日午後六時三〇分ころまでA方住居侵入被疑事件について間地及び木下(補助者)から被疑者として取調べを受けたが、「酒に酔っていてよく覚えていない。入ったかどうかについてはよく覚えていない。」等容疑について否認する旨の供述をしたので、間地らは否認調書を作成し、読み聞かせたところ、原告はこれに署名押印した。

原告は、取調べの際、自分に対する処分を気にしているような発言をしていた。

また、原告は、宗像署において同月一日に着用していたズボン、ジャンパーを任意提出し、間地はこれを領置した。

原告は、取調べ終了後の同月三日午後六時三〇分ころ、宗像署から川野及び重松に送られて帰宅した。

(甲一六、八二、八五、八六、一〇二、一〇八、一一一、一一三、原告本人)

(五) 原告の自白及び本件辞職願提出の状況

(1) 昭和六一年一〇月四日の状況

同日午前中、倉本の指示を受けた嶋田の命により、重松が県警本部警備課取調室において原告の事情聴取をした。この事情聴取において、原告は「部長、すみません。実は行きました。」「隣の車庫のような空き地から奥へ入っていって、ブロック塀を乗り越えて、風呂場の見えるところまで被害者方の庭に入った。」「どうせ辞めるつもりだったから、この事実については言うつもりはなかった。」等と述べてA方敷地内への侵入の事実を認め、また、辞意を表明した。

そこで重松は、嶋田、濱地の立会いの上、倉本に対し、原告がA方敷地への侵入の事実を認め、辞意を表明していると報告し、原告が倉本に直接会いたいと言っている旨を伝えたところ、倉本は原告のいる取調室に行った。原告は、倉本に対し、謝罪の言葉を述べたので、倉本は被告県警本部長に原告が被疑事実を認めたこと及び辞意を表明していることを報告したところ、被告県警本部長は、倉本に対し、原告の辞意を承認する意向を示した。

(甲一六、一〇一、一〇二、一〇五、証人倉本、原告本人)

(2) 昭和六一年一〇月六日の状況

ア 同日午前九時ころ、Aが宗像署を訪れ、同月一日にAが捕まえた男の処分がどうなったのか、またその男が公務員なのであればその上司の謝罪を求めたい、また、Aの隣人の話では同月一日以前にもAが捕らえた男がA方をのぞいたらしいこと等について、およそ三〇分にわたり間地と話をした。

間地は、上司である宗像署刑事課長の指示を仰いだところ、県警本部警備課に連絡するよう指示されたので、嶋田に対し、原告に余罪の嫌疑がある旨連絡した。

(甲一〇八)

イ 嶋田は、これを受けて、重松に再度原告から事情聴取をするよう指示し、重松が、同月六日午後一時三〇分ころから同日午後三時ころまで、再度原告から事情聴取をしたところ、原告は余罪を認めたので、重松は嶋田を通じてその旨倉本に報告した(甲一六、一〇一、一〇二、一〇六、原告本人)。

ウ 同日午後四時ころ、倉本は濱地に対し、原告の辞意を確認した上、辞意を確認できた場合には、原告に辞職願を書いてもらうように指示し、濱地はこれを嶋田に命じたところ、同人は、県警本部警備課取調室において、原告の辞意を確認したので、用紙を用意して原告に辞職願を作成させた。

原告は右用紙に縦書きで辞職願を作成し、署名押印をし、これを嶋田が監察官室に持参したところ、監察官室から辞職願の書式は横書きであると指摘を受けたので、原告にその旨伝えると、原告は横書きの書式に書き直して署名押印し、再度提出した。

(甲一六、七五、一〇一、一一一、原告本人)

(六) 原告の本件退職願提出後、被告県警本部長の人事異動通知書交付までの状況

(1) 昭和六一年一〇月六日夕方以降の状況

同日午後七時ころ、倉本の指示により、原告とともに濱地、嶋田、川野が原告の自宅に行き、原告と川野に席を外させた上で原告の家族に対し、原告がA方敷地に侵入したこと、原告が県警を辞職することになったことを説明した(甲一六、一〇三、一〇五、一〇六、一一一、一一五、証人倉本、原告本人)。

(2) 昭和六一年一〇月七日の状況

ア 原告は、同日午前九時ころ、間地、濱地、嶋田らとともにA方付近まで出向いた。原告はA方付近で待機していたが、濱地らがA方を訪問し、濱地が名刺を出して原告が同人の部下であることを告げて謝罪し、「本人も責任をとって辞めるといっているので、ことを公にしないで下さい。」等と述べ、一時間弱の間Aと話をし、「本人も謝罪したいとのことで近くまで来ている。」旨伝えたものの、Aが「今から本人に会ってもしかたがない。」等と述べて断ったので、原告がAに直接会うことはなかった(甲一六、一〇五、一〇七、一〇八、一一一、原告本人)。

イ 原告は、この日に予定されていた前記運転技能検定に欠席した(甲九三、九四)。

(3) 昭和六一年一〇月九日の状況

ア 同日午前中、木下らがA方に赴き、同人から事情聴取をし、調書を作成した(甲八一、一〇七、一〇八、一一三)。

イ 同日朝、伏原らが原告を自宅まで迎えに行って、宗像署に直接同行し、原告は宗像署で取調べを受けた(甲一六、原告本人)。

ウ 同日午前九時ころから午後一時ころまでは、間地が小西(補助者)とともに取調べに当たったが、このとき原告は同月一日にA方敷地内に侵入した事実を認めたので、間地は自白調書を作成した。

右調書(甲八三)には、六枚目裏八行目から「実はこの付近の住宅街については、一週間程前の九月二五日ごろの午後九時ごろ帰宅途中にある民家から少年らしい不審者が飛び降りるようにして逃げ去ったことがあり、私も警察官であることから職務柄是非捕まえてやりたいということから追跡しましたが逃げられてしまったという苦い経験から当日この付近を通りかかったときそれを思い出し、それが丁度今回不心得にも私がつい、他人屋敷内に入った家が、<地番略>会社員Aさん方であった訳です。」との記載が、また、七枚目裏六行目から「ついその家から東側の隣家の車庫から入りブロック塀づたいに歩いて、高さ一メートル位のブロック塀を乗り越え、屋敷内に入り、その家の裏庭のところに回ったときと思いますが、別に私自身はそのとき認識してなかったのですが、そのとき私に気づいたその家の人達が物音に気づき、騒ぎ出した等は気(ママ)憶にあまりないのですが、そのあといつの間にか私はブロック塀を飛び降り、その家の隣家の庭先に飛び降りていたのは確かです。そして隣家の車庫から表の道路に飛び出したとき、私が入った家の主人とみられる年令四〜五〇歳の男の方と出くわしたのであります。」との記載がある。

右調書の署名押印に当たっては、原告が読み聞けの他、閲覧を要求したので、間地がこれに応じ、調書の閲覧をさせ、その後に原告が署名押印したものである。

なお、右調書の添付図面は原告が書いたものである。

(甲一六、八三、一〇八、一〇九、一一一、原告本人)

エ その後、同日午後二時ころから木下が原告を取り調べ、余罪についての自白調書を作成し、原告に読み聞けをし、原告が署名押印をした。

右調書(甲八八)には、本年九月二〇日過ぎころ、A方の隣家から不審者が飛び出してきたのを認め、A方で何かあったのではないかと思い、A方敷地内に入り、裏手の方を検索したところ、水の音がしたのでそこが風呂場でしかも入浴中であることが判り、風呂場の窓の右側が一〇センチ位開いているのを見つけた旨の記載があり、また、九枚目表五行目から「私はこれを見て先程の男は風呂場を覗きに来たのではないかと相(ママ)像ができました」との記載が、同裏三行目から「誰が風呂に入っているのだろうかと興味がわき、悪いとは思いましたが覗いてみようと言う気持ちになったのであります。」との記載がある。

(甲八八、一〇八、一一三)

オ また、原告は、同月三日に任意に提出していたジャンパーとズボンについて同月九日付所有権放棄書を作成した(甲八七)。

カ 同月九日の夕方、原告らが宗像署から県警本部警備課に戻ると、原告は同警備課長室に呼ばれ、同室において倉本、濱地及び県警本部警備課管理官山田豊警視立会いのもと、倉本から原告の辞職を承認する旨の人事異動通知書を交付されこれを受け取り、倉本及び濱地から餞別を渡されてこれを受け取った。

このとき、原告は右通知書の交付について何らの抗議もしなかった。

(甲一六、七六、一〇五、一〇六、一一一、一一六、証人倉本、原告本人)

(七) 検察庁送致と処分

昭和六一年一〇月一三日、宗像署は、原告のA方住居侵入被疑事件を検察庁に送致したが、原告は、右住居侵入被疑事件について、検察官の取調べを受けないまま、同月二八日付で起訴猶予処分を受けた。

なお、宗像署は、原告の余罪を検察庁に送致していない。

(甲七九、一〇八、原告本人)

(八) 本件処分に関する新聞記事の掲載

昭和六一年一〇月二二日及び同月二三日に、三社の新聞社の記者が、県警に対し、本件処分に関する取材を申し込み、県警監察官である阿野がこれに応じ、原告がのぞき目的で住居侵入を犯したことと諭旨免職処分となったことを話したが、その結果、同日付の毎日新聞(朝刊)、朝日新聞(夕刊)及び西日本新聞(夕刊)に、本件処分に関する記事が掲載され、毎日新聞には、阿野のコメントが掲載された。

本件処分についての右各新聞記事は、いずれも匿名ではあるものの、県警警備課特捜班の巡査がのぞき目的で宗像市日の里団地の民家の敷地に侵入したため、諭旨免職処分とされ、また、送検された旨が記載されているものである。

(争いのない事実、甲五〇、五三、五四、証人阿野)

(九) 退職金の支給等

昭和六一年一一月六日、被告県から原告に対し八三万三四〇〇円の退職手当が支給されたが、同日、右金額から警察共済組合に対する貸付償還金(六三万〇〇〇七円)及び警察互助会に対する物資代(一六万八三〇〇円)が控除され、結局三万五〇九三円が原告の口座に振り込まれた(甲六〇ないし六五、一一一)。

(一〇) 被告県警本部長宛抗議文

原告が作成し、被告県警本部長に郵送した被告県警本部長宛昭和六一年一一月二九日付書面(以下「本件抗議文」という。)には、原告がA方敷地内にのぞき目的での住居侵入をしたことがない旨の記載がある他、四枚目の一行目から七行目までに「二、依願退職(一〇月九日付諭旨免職になっていた)に関しては一度『保護』という形にしろ、保護されたということは、一生警察官として傷が残り、どういう形にしろ、警察官としては、誤解を招いたことについて反省し、まだ若いので辞めてもよいという気持ちになったので辞職願を書いただけであります。」との記載がある(甲七七、一一六、原告本人)。

2  以上の事実を前提として、本件辞職願の作成・提出が原告の意思に基づくかどうかについて判断する。

(一)  右各認定事実によると、原告は、県警幹部である警察官を岳父に持ち、将来を嘱望される警察官であったにもかかわらず、昭和六一年一〇月一日、勤務終了後、酒を飲んで帰宅する途中、一般人から住居侵入の疑いで通報され、パトカーで宗像署に連行されたばかりでなく、その後住居侵入被疑事件の被疑者として所轄の同署で取調べを受け、また、所属の県警本部警備課においても上司から事実関係について詳しく事情聴取を受けるなどしており、自らに対する処分を気にしながら、当初は否認していた住居侵入の事実について、同月四日には上司に対してこれを認めるとともに、辞意を表明するに至っていること、同月六日には辞職願を作成・提出していること、同月九日には宗像署での取調べにおいても事実を認め、自白調書に署名押印していること、原告は、本件処分について、同日の辞令交付時から、本件処分に関する新聞報道があるまでの間、県警に対し何ら抗議等をしたことはないことが認められる。

(二)  原告が真実住居侵入を犯したかどうかは、本件の主たる争点であり、後記四2(五)で判断するが、原告が住居侵入を犯していたことを前提にすると、本件辞職願の作成・提出の経過は極めて自然であるということができる。他方、原告が住居侵入を犯していないことを前提にしても、住居侵入の疑いで宗像署に連行されたり、事情聴取や取調べを受けたりしたということは、警察官として将来を嘱望されていた原告にとっては、警察官としての経歴に傷がつくことであり、また、住居侵入についての嫌疑が晴れなければ重い懲戒処分を受けるおそれも考えられることから、そのような処分を避け、できうるかぎり穏便に事態を収拾するため辞職しようとすることは、原告でなくとも原告と同様の立場に置かれた人がとる行動として通常と考えられるところであって不自然とはいえず、この認定は、本件抗議文(甲七七)の記載とも合致するものである。そうすると、本件辞職願は原告が真実住居侵入を犯したかどうかにかかわりなく、原告の自発的意思に基づいて作成・提出されたものと認めるのが相当である。

この点、原告は、Aの被害感情が異常なほど深刻であったため、同人に見せ、宥めるためだけのものであって、たとえ辞職願を作成・提出したとしても任命権者に受理されるものではないと重松らが請け合ったので辞職願を作成・提出したものである旨主張し、また、これに沿う原告の供述もあるが、前記認定のとおり、原告は一度は縦書きの書式で作成した辞職願を、横書きの書式で書き直している点に照らせば、正式な行政文書としてこれを作成したものというべきであって、任命権者によって受理されることを前提としていることを認識していたものと認めるべきものであり、原告の主張は採用できない。

(三) 以上のとおり、原告の本件辞職願の提出は、原告の意思に基づくものというべきであるから、これを受けて、被告県警本部長がした本件処分は適法と認められる。

四  争点4(本件処分及び阿野が新聞記者の取材に応じたことの不法行為性)について

1  まず、本件処分が原告に対する不法行為となるかどうかを検討するに、前記判断のとおり、原告の本件辞職願の作成・提出は原告の意思に基づくものであるから、これを受けて行われた本件処分は原告の意に反するものではなく、適法であって、原告に対する不法行為を構成するものと認めることはできない。

2  次に、阿野が本件処分に関して新聞記者の取材に応じたことについて、原告に対する不法行為たる名誉毀損が成立するかどうかを検討する。

(一) 本件処分についての各新聞記事は、いずれも匿名ではあるものの、県警警備課特捜班の巡査がのぞき目的で宗像市日の里団地の民家の敷地に侵入したため、諭旨免職処分とされ、また、送検された旨が記載されているものであることは前記認定のとおりであるところ、右のような記事は、匿名であっても複数の読者に当該人物が原告であると特定することを可能ならしめるものであること、また、犯罪行為に関するものであることから、原告の社会的評価を低下させる性質のものであり、原告の名誉を毀損するものであるということができる。

(二) ところで、前記認定のとおり、本件処分に関する各新聞記事は、新聞記者が県警監察官である阿野に対して取材し、阿野から聞いた内容を記事としたものである。このような場合、阿野が新聞記者に話した内容が公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合で、その内容が真実であることが証明された場合か、右証明ができなかったとしても、事実が真実であると信じることにつき相当の理由がある場合には、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

(三) そこで、この点について検討するに、警察官がのぞき目的で住居侵入をしたこと、そしてそれを前提に県警が当該警察官に対し諭旨免職処分をしたとの事実を新聞記者に話すことは、公共の安全と秩序の維持に当たることをもってその責務とする警察(警察法二条一項)の組織の一員の犯罪行為及びその行為に対する警察の対応を公衆の批判にさらすことであり、公共の利益に役立つものであって、右話の内容は公共の利害に関する事実ということができ、もっぱら公益を図る目的があるものと認めるのが相当である。

(四) 間題となるのは、右話の内容のうち、本件処分を諭旨免職処分であると話したこと及び原告がのぞき目的で住居侵入をしたことが真実であると認められるかどうかである。

そこでまず、本件処分を諭旨免職処分であると話した点について検討するに、県警においては、職員の非違行為の存在を前提に、職員がそれを反省して辞職の申出をした場合に、任命権者がこれを受けてする辞職承認処分の類型を、通称として諭旨免職処分と呼ぶ慣行があることは前記認定のとおりである。そして、本件処分は、前記認定のとおり、原告が同人による住居侵入被疑事件の存在を前提とし、これを反省して辞職の申出をしたところ、被告県警本部長がこれを承認したものとして取り扱われているものであることが認められることからすると、通称として諭旨免職処分と呼ばれている類型に該当するものである。

諭旨免職処分という用語は現行法令上に根拠がなく、その概念は一義的に明確ではないため、多様な使われ方をされるので、受け取る方の印象も多様であり、この点で望ましい用語であるとは思われないが、阿野が本件処分が諭旨免職処分であると新聞記者に話したことは、県警で慣行として使われている用語をそのまま使用したものであるから、その限りにおいては真実であると認められる。したがって、この点については、真実性の証明があったものというべきである。

(五) 次に、原告がのぞき目的で住居侵入をしたことが真実であると認められるかどうかについて検討する。

(1) 前記争点3について認定した事実によると、原告は帰宅にあたり、吉塚駅あるいは東郷駅において、東郷駅まで車で迎えに来てもらうため、自宅に電話をすることが通常であったが、昭和六一年一〇月一日は、退庁後、帰宅にあたり、右いずれの駅においても自宅に電話をせず、東郷駅前のバス停留所で西大回りの路線バスに乗り、自宅から最寄りのバス停留所である「日の里八丁目」を乗り越し、「第二公団住宅前」で下車したのち、別紙図面の赤色線に沿って歩いていることが認められるところ、これは原告の自宅の位置からすると遠回りになる道筋であること、また、Aが自宅の風呂場の外でガチャンという音がしたことに気付いて表に回り、玄関に出ると、東隣のK方方向から草をなぎ倒すようなザザザッという音が聞こえ、Aが自宅前の道路に出たところ、K方方向から現れたのが原告であったこと、原告がAから誰何されたとき「田中である。」と名乗り、Aに話しかけられるなどしても立ち止まらず、また、その場所にいた理由を釈明せずに、Aに掴まれた腕を振りほどいて、歩いて来た道を戻る方向に歩いていること、同日及び同月三日の宗像署での事情聴取及び取調べにおいては「酒に酔っていてよく覚えていない。」等と弁解しているものの、同月四日には上司である重松の事情聴取に対して同月一日のA方敷地侵入の事実を認めている上、そのことについて倉本に謝罪していること、同月六日には重松からの事情聴取において同月一日以前にもA方敷地に侵入した事実を認めていること、原告が同月九日、宗像署での取調べを受けた結果、A方敷地の侵入の事実を認め、その動機・目的、さらに余罪についての供述が記載されている同月九日付自白調書二通(甲八三、八八)が作成されたことなどを総合すると、原告が同月一日A方にのぞき目的で侵入したことを強く疑わざるを得ない。

(2) この点、原告は、Aが異常なまでに深刻な被害感情をもっていることから、これを宥める必要があると上司に説得されて、Aが申し立てている内容と辻褄を合わせる虚偽の自白調書(甲八三)の作成に応じたに過ぎず、また、余罪についての自白調書(甲八八)は捏造されたものであり、右調書末尾の原告の署名押印は、原告が白紙に署名押印したものを利用したものであって、真実は、A方前を通りかかったのは昭和六一年一〇月一日が初めてであるし、同日は帰宅途中に飲酒したために、酔って吐き気がしたので、K方駐車場前の側溝に吐こうとしてうずくまっていただけである旨供述している。

しかし、捜査段階で被疑者の調書を被害者に閲覧させることは通常あり得ず、原告は当時現職の警察官であってこのことを知っているはずであるから、Aを宥めるために自白調書を作成するように上司に説得されてこれに応じた旨の弁解はにわかに信用することができないし、また、甲八八号証の調書に添付された図面には原告の署名押印があり、その記載内容は甲八八号証の調書の内容に沿うものであるところ、右図面は甲八二号証及び八三号証のそれぞれの末尾に添付された図面と極めて類似しており、これらの図面は同一人すなわち原告が作成したものと認めるのが相当であり、このような図面の添付された甲八八号証の原告の署名押印が白紙にされたものであるとの原告の供述も信用することができない。

また、Aに呼び止められ誰何されたときに、偽名を名乗り、酒に酔って吐き気がしたので休んでいた旨の説明などをせず、立ち止まらずにAの追跡を振り切ろうとしているし、Aに呼び止められた後は原告が吐き気を催したことが認められないことなどからすると、吐き気を催したためにK方前でうずくまっていたとする原告の供述は不自然であって直ちに採用することはできない。

(3)  以上によると、原告がのぞき目的で住居侵入をしたことが強く疑われるのであるが、これを認めるには更に慎重な検討が必要であると考える。なぜなら、原告がのぞき目的で住居侵入を犯したと認めることは、原告が住居侵入罪の犯人であると断ずるに等しいと言えるからである。本来、このような争点は、刑事訴訟において刑事訴訟法に従い、厳格な証拠法則(伝聞証拠の排除、自白の任意性等)に則って、検察官と被告人との攻撃防御を通じて判断すべきものである。本件は、刑事事件としては起訴猶予で終了している事案の犯人であるかどうかを、証拠法則や訴訟当事者の異なる名誉毀損に関する民事訴訟で判断するものであるといえるが、このような場合、右の点に留意する必要がある。したがって、本件のように犯罪を犯したと認められるかどうかが問題となる場合は、民事訴訟であっても、刑事訴訟における厳格な証拠法則や疑わしきは被告人の利益にという原則をも考慮し、犯人と断ずるに等しいことは、通常の民事訴訟よりも慎重に行う必要があり、刑事訴訟においても確実に有罪が宣告できる程度にまで原告が住居侵入を犯したと証明されていることが必要である。

しかるに、本件においては、Aが原告を発見したのはK方方向から歩いてきたところであり、原告がA方敷地内にいるところをAやその家族が現認したわけではない。また、捜査官に対する原告の自白は、前記認定の取調べの経緯に鑑み、原告の任意によるものであると認められるのであるが、原告は、本件抗議文(甲七七)の中でも、A方敷地内にのぞき目的で住居侵入をしたことはない旨の記載をしているのみならず、当裁判所においても、一貫して、同様の供述をしており、原告の自白調書(甲八三、八八)の信用性に疑問を差し挟む余地もないではない。これらの点を合わせ考慮すると、原告が住居侵入を犯したことが刑事訴訟においても確実に有罪が宣告できる程度にまで証明されていると認めるには躊躇せざるをえず、その結果、この点については事実の真実性の証明が十分であるとは認められないといわざるを得ない。

(六) ところで、右のように事実の真実性の証明に成功しなかった場合、直ちに不法行為たる名誉毀損が成立するというわけではなく、阿野において、事実が真実であると信ずることについて相当の理由があることを認めることができれば不法行為たる名誉毀損は成立するものではない。

そこで、この点について判断するに、前記認定によれば、原告がAに発見された時の状況、その後の原告の事情聴取や取調べに対する対応等から見て、原告が犯人であると疑われ、また、阿野が新聞記者の取材に応じて話をした時点では、原告は自白調書の内容を否定していなかったこと、県警においては、原告について同人がのぞき目的で住居侵入をしたことを前提に諭旨免職処分にしたと取り扱われていたことが認められ、これらの事実に鑑みると、阿野が原告をのぞき目的で住居侵入をした犯人であると信じたことには無理からぬものがあるといわなければならない。したがって、本件においては、阿野において原告がのぞき目的で住居侵入をしたことを真実であると信じたことに相当の理由があると認められるので、結局阿野が新聞記者の取材に応じて原告がのぞき目的で住居侵入をしたことを話したことについて不法行為たる名誉毀損は成立しないというべきである。

五  以上の次第であるから、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官草野芳郎 裁判官和田康則 裁判官松本有紀子)

別紙争点に対する当事者の主張

一 争点1(諭旨免職処分の法的性格)について

1 原告

県警監察官が新聞に発表したところによると、本件処分は諭旨免職処分であり、その処分理由は、原告が昭和六一年一〇月一日にA方敷地内にのぞき目的で侵入したという非違行為にあるとのことである。

ところで、諭旨免職処分については法律上の規定がなく、これは形式論理的には辞職承認処分の一類型にすぎないので、それ自体は処分を受けた者に対する不利益は重大ではないけれども、諭旨免職処分にしたことが公表された場合には、処分を受けた者の名誉は著しく毀損され、重大な社会的不利益を被ることになる。したがって、諭旨免職処分はそれ自体では不利益処分ではないが、その公表が一体となった場合には、地公法四九条一項の不利益処分になると考えられるべきである。

その上、原告は昭和六一年一〇月一日にA方敷地内にのぞき目的で侵入するという非違行為をしていないので、右諭旨免職処分は理由がない。

したがって、右諭旨免職処分は違法であり、取り消されるべきである。

2 被告ら

県警においては、職員に非違行為があり、同人からこれを反省して辞職の申出があった場合、任命権者がこれを承認する処分を通称として諭旨免職処分と呼んでおり、これは法的には辞職承認処分の一類型にすぎないものである。本件における諭旨免職処分はこのような法的性格のものであるから、諭旨免職処分の取消しはあり得ない。

二 争点2(辞職承認処分の地公法四九条一項の「不利益処分」該当性)について

被告ら

辞職承認処分は、被処分者本人から辞職の意思表示がなされていることを前提として任命権者がこれに同意を与える行為にすぎないから、取消訴訟の対象にならない。

三 争点3(本件処分の適法性)について

1 原告

原告の辞職の申出は、上司らの強制か少なくとも上司らとの通謀によりAを慰撫、納得させる目的でされたものであって、原告の真意に基づくものではないから、これを前提とする辞職承認処分は違法であり、取り消されなければならない。

(一) 原告は、昭和六一年一〇月一日午後五時過ぎ、直属の上司であった伏原から誘われて、当時の国鉄吉塚駅前の飲食店で飲食した後、帰宅のために同駅から電車に乗り、同日午後七時五三分ころ東郷駅で下車した。

原告は、東郷駅前に丁度到着していた路線バスに乗車したが、疲れと酒の酔いのため、一時居眠りをした。そのため、原告は下車予定の「日の里八丁目」バス停留所を乗り過ごした上、気分が悪くなったことから、「第二公団住宅前」バス停留所で下車した。

原告は、バスを下車した後、自宅方向に歩いているうちに、ますます気分が悪くなって嘔吐感を催した。そのため、原告は、とっさに帰宅路から少し横道に入ったA方前路上の街灯の下の側溝の前にしゃがみこんで嘔吐感がおさまるまで数分間休んだ後、帰宅しようと元の道の方向に歩いたところ、路上にいたAからはがい締めにされ、右腕を掴まれた。Aは、原告の右腕を掴んで「警察を呼んでくれ、一一〇番。」等と大声でわめいた。原告はAを振り払って歩いて行ったが、なおもAが理由も告げずに原告の腕を掴んだり、ネクタイを掴んで強く引っ張ったりしたので、Aに対し、「警察署で話をつけましょう。」等と話をしているうちに宗像署のパトカーが到着した。

原告は、警察署で事情説明をするつもりで自ら進んでパトカーに乗車し、パトカー乗務員に対し、県警本部の通門証を示して自分の身分所属を明らかにし、東郷派出所に連れて行かれた。

原告は、東郷派出所において、当直の派出所員から、A方敷地内から男が出てきたので一一〇番通報があった旨告げられて、初めて、自分がA方敷地侵入の疑いをかけられていることを知り、派出所員に対して、自分には全く身に覚えがないことを訴えた。

原告は、同日午後九時一五分ころ派出所から帰宅したものの、その後、同日午後一一時二〇分ころ電話で呼び出されて宗像署に出頭し、飲食検知を受けるなどした後、翌二日午前一時ころ帰宅した。

(二) 同月二日、原告は県警本部警備課に出勤したが、同日午前一〇時ころから同日午後五時ころまで、昼食と用便の時間を除いて終日同課取調室内において待機を命じられ、重松、嶋田及び川野らから事情聴取を受けた。その際、原告は、事件の概要を説明し、A方侵入の事実がないことを述べ、Aに事情を話して誤解を解くために同人との面会を希望し、その旨重松に対し申し出たが、重松は、原告ひとりの問題ではない、警察全体にかかわることであり、組織として動いているので指示に従わなければならないとして、Aとの接触を禁止した。同日午後五時過ぎ、原告は一旦帰宅したが、同日午後八時三〇分ころ川野から呼び出しを受けて再び県警本部警備課に出向くと、濱地から「今日になって、相手方から問い合わせをしてきており、『公務員で保護した。』と宗像署が回答したらしく相手方は、公務員やったらどこの誰か教えないのか、と騒いでいるらしい。……一応対策をたてておかんとな。」等と言われ、取調室で翌三日午前零時過ぎまで事情聴取を受け、同日午前一時ころ帰宅した。

(三) 原告は、同月三日午前一〇時三〇分ころから宗像署において間地からA方住居侵入被疑事件の被疑者として取調べを受けたが、その日作成された被疑者調書の内容が、原告はA方の隣家のK方駐車場と道路との境界付近において、嘔吐するためにうずくまっていたとなっており、A方に侵入したとの内容になっていなかったため、被疑者調書への署名押印に応じた。

(四) 同月四日、原告は、午前八時二〇分ころから午後三時ころまでの間、県警本部警備課取調室において重松から事情聴取を受けた。その際、重松は、一貫してA方侵入の事実を否認する原告に対し、「どうしても相手方とお前の言っていることが違う。矛盾があったら、相手方と交渉する幹部がうまく対応できんじゃないか。同じ寝食をともにしてきた特捜班員ではないか。俺を信じろ。決して悪いようにはせんよ。」等と言って涙まで見せ、さらに、「相手も気難しいということだから話を合わせておけば後は心配いらん。上の人がうまい具合にしてくれる。お前がもしこのことで辞めさせられるようなことがあったら、俺も一緒に辞めてやる。俺もそこまで覚悟している。こんな社会には未練はない。」等と申し述べて、いかにも原告のことを親身に心配しているかのように見せかけて、原告をして、形だけAの主張事実に合わせておけば、原告には何の不利益もなく本件事件が円満に解決するかのように誤信させた。そのため、原告は、重松に対し、形だけAの主張事実に合わせることに同意した。

(五) 同月六日、原告は、午前八時二〇分ころから、県警本部警備課において重松から事情聴取を受けた。その際、重松は原告に対し、「上の者が相手方と交渉に行く場合、何か形をつけ、例えば辞職願を書いて警察官が職をかけて誠意を示しているところを示さないかん。相手は将来のある若い警察官にそこまで要求しないと思う。もちろん、上の人も土下座でもして納得してもらう。本当に辞める必要はない。形だけ作っとく。」等と申し述べて辞職願を書くよう強要した。

さらに、同日午後三時過ぎには、濱地が取調室に入ってきて原告に対し、「とにかく、相手のAの方は弁護士や近所の新聞記者に相談に行って騒いでいたらしいが、今は宗像署が対応して感触はよくなっているそうだ。しかし、一触即発の状態で、こちらから交渉に行く場合、『本人は、このように社会的責任という形で辞職願まで書いているんですよ。』と言えば、一応納得するだろう。相手も将来のある警察官にそこまでは要求しないだろう。そのときは、俺が土間に額をすりつけてでも、どんなことをしても了解してもらうから任せておけ。」等と申し述べて、辞職願を書くよう強要した。

原告は、直属の上司である重松が涙を流し、警備課次席の濱地までもが自分のために土下座までしてくれるつもりであると言ったため、重松や濱地の言を完全に信用した。原告は、Aを納得させるためには原告の辞職願が必要であり、たとえ原告が辞職願を提出しても、それはあくまでAを納得させる道具に使用されるだけであって、原告の辞職の意思表示が真意に基づくものとして取り扱われるような事態にはならないものと誤信した。

そこで、原告は、濱地や嶋田に対し、辞職願が本当に受理されることのないことを質し、その確認を得たので、一身上の都合を理由とする本件辞職願を作成して嶋田に渡した。

(六) 同月九日午後六時ころ、原告は、県警本部警備課長室に呼ばれ、倉本、山田立会いの上、濱地から辞職を承認する旨の同日付人事異動通知書を手渡された。

原告は、上司である濱地、重松らに騙されて本件辞職願を提出してしまったことに気付いたが、その場で何を言っても無駄だという無力感におそわれ、人事異動通知書を受け取ったが、辞職を容認したものではない。

2 被告ら

原告の本件辞職願は、以下の経緯で提出されており、原告の真意に基づくものであるから、これを前提とする本件処分は適法である。

(一) 昭和六一年一〇月一日午後八時一五分ころ、<住所略>のBから宗像署に「今、主人が私方の庭に入ってきた男を追いかけている。」との電話通報があった。

そこで、宗像署のパトカーと東郷派出所の山口巡査部長がA方に直行し、Bから事情聴取したところ、「同日午後八時一五分ころ、家族三人で居間でテレビを見ていたところ、裏側の風呂場付近で物音がしたので、何者かがのぞきに来たと直感し、主人に知らせるとともに、私も勝手口を開け、裏庭に出てみると、男が走り去るのが見えた。主人は、玄関先を飛び出して行ったが、隣のKさん方駐車場の所で、主人が怒鳴る声がしたので、私も表に出てみると、年齢三〇歳くらい、メガネをかけた男と一緒に家の前を通り、バス停方向に左折していくのを見て、主人の身に何かあってはと思い、警察に電話した」旨申し立てたので、付近の捜査を開始した。

同日午後八時三〇分ころ、パトカーが宗像市<地番略>先橋の上で年齢三〇歳くらい、メガネをかけた男と後ろからはがい締めにしていた男二人を認めたので、近づいて事情聴取をしたところ、はがい締めにしていた男(後にAと判明)が「この男が、私方の風呂場付近でのぞきをしていた男です。ここでやっと捕まえたところです。」と言って男を引き渡した。

そこで、その男(後に原告と判明)から簡単に事情聴取をした後、同日午後八時五〇分ころ、原告を東郷派出所に同行した。その際、原告はパトカー内で身分を明らかにした。

東郷派出所において、山口巡査部長らが原告から住居侵入容疑について事情聴取をしたが、原告は、「同日午後七時五〇分ころ、東郷駅に着いて、駅前から日の里団地循環バスに乗ったが途中で気分が悪くなり、バスを降りました。自宅方向に歩いているとき、気分が悪くなって吐きそうになったので、街灯のある所でしゃがみこんでいた。少し気分も良くなったので、立ち上がったところ、男の人からいきなり腕を掴まれた。自分は何事かわからなかったので、歩き出したが、自分の身分がわかるとまずいと思って、『私は日の里五丁目の田中です。』と言いました。酒を飲んで他人の家の所にいたことは都合が悪かったと反省しています。」と申し立てたので、山口巡査部長は、身元もはっきりしていたことから、住居侵入容疑については事後捜査することにして、同日午後九時三〇分ころ一応帰宅させた。

パトカー乗務員から報告を受けた当直主任の指示で、宗像署警備課小田が、同日午後一〇時五〇分ころ、原告の自宅に電話し、同署への出頭を求めた。同署に出頭した原告の承諾を求めたうえ、飲酒検知をしたところ、呼気一リットル中にアルコール0.3ミリグラムが検出された。

その後、木下が、原告から事情聴取したが、原告は、「酒を飲んでいたのでよく覚えていない。」と繰り返すので、木下は「一般人から捕まえられ、突き出されている。当時の行動を書いてくれ。」と言って原告に白紙を渡し、申立書を書いてもらった。

同署では、住居侵入の容疑は残るものの、後日改めて事情聴取をすることとして、翌二日午前一時ころ帰宅させることとしたところ、原告が「私はこれ(首)になるんですか。」と心配そうな顔をして聞いたので、小田は「次長から、おたくの次席に連絡している。保護という形にしておく。(身柄)受取人はうまい具合にしておくから心配いらん。これくらいのことは大したことないよ。」という趣旨のことを言った。

(二) 原告は、同月二日、当時の勤務先である県警本部警備課に出勤し、濱地に対し、「このような事案を起こし申し訳ありません。」と謝罪した。同課川野及び伏原が同課取調室において事情聴取をしたところ、原告は前記山口巡査部長に述べたこととほぼ同趣旨の事情を語った。

その後、宗像署から「原告の住居侵入の容疑は濃厚である。」旨の通報があったので、同課では再度原告から事情聴取の必要があると認め、嶋田と川野が同課取調室で事情聴取をしたが、原告は、A方侵入の事実を否認した。

(三) 翌同月三日、原告は通常どおり出勤し、身辺整理をしていたが、「同月七日に行われる運転技能検定は受けられないだろうから資料をもっていても仕方がない。」と言いながら、過去の出題傾向等を書いたメモや捜査資料等を同僚の國崎に渡した。

その後同日、宗像署において、間地が住居侵入被疑事件の被疑者として原告を取り調べたが、原告が「バスより下車した後、自動販売機でジュースを買って飲みながら歩いたが、酔っていたので、どこをどのように歩いたか覚えていない。気分が悪くなったので、道路の端の街灯の明かりのあるところでしゃがみ込んで吐こうとするうちに意識がもうろうとなり、この後のことがわからなくなった。その後、立ち上がってどこかを歩いたという意識はあったが、男の人から腕を捕まえられ、怒鳴られてから我に返った。Aが表に飛び出したところ、私がいたので捕まえたとのことだが、このことについて申し開きをするつもりはなく、時間的、場所的にも私が不審者であったと言われても仕方がない。」という内容の供述をしたので、間地は被疑者調書を作成し、原告はこれに署名押印した。

なお、原告は、取調べの過程で、「私は首になるのでしょうか。」「いずれこの件で責任を取らんといかんでしょうが、覚悟はできています。」等と自分の将来に不安を感じているような発言をしていた。

(四) 翌同月四日午前中、県警本部警備課取調室において重松が原告から事情聴取をし、重松が「本当のことを話さないと警備課の、あるいは警察の幹部も対応できないではないか。」と言って、原告の供述内容の矛盾点や納得できない部分を追及したところ、原告は「辞めるつもりでしたから、絶対このことは言うまいと思っていました。実はA方敷地に行きました。辞めます。」と述べ、A方侵入の事実を認めた上で辞意を表明した。

重松は、直ちに倉本に対し、原告がA方侵入の事実を認めた上、辞意を表明している旨の報告をした。

(五) 同月六日、濱地から指示を受けた嶋田が、県警本部警備課取調室において原告に対し辞意を確認したところ、原告が「警察官でありながら、住民に不安を与えるようなことをしでかしたことには、十分責任を感じています。これ以上迷惑をかけたくないと思います。自分もまだ若いし、出直して頑張りたいと思いますので辞めます。」と辞意を表明したので、鳴田は「本当に辞めるのか。」と念を押し、原告の辞意が固いことを確認した。

原告は、その場で書面に一身上の都合により辞職する旨を記載し、署名押印した辞職願を作成して嶋田に手渡した。

(六) 同月九日、被告県警本部長は原告から提出されていた辞職願を承認し、人事異動通知書を発した。倉本は同日午後五時三〇分ころ、県警本部警備課長室において原告に対し人事異動通知書を手渡した。すると、原告は「皆さんにいろいろご迷惑をかけました。」と言いながら、人事異動通知書を受け取った。

その後、原告は、倉本らから餞別を受取り、警察手帳等の給貸与品の返納手続を完了し、退職手当金の申請手続等の説明を受けた。

四 争点4(本件処分及び阿野が新聞記者の取材に応じたことの不法行為性)について

原告

1 本件処分は、濱地、重松らの強要あるいは欺罔により、原告が受理されることがないと誤信してその真意に反する辞職願を作成・提出したところ、被告県警本部長がこれを受理し、辞職を承認したというものであって、原告の意に反して失職を強いたものである。

2 阿野は、真実に反することを知りながら、新聞記者に対し、原告がのぞき目的で住居侵入をしたこと、原告が容疑を自白したこと、その結果、原告が諭旨免職という厳しい処分を受けたこと等を発表し、そのため、虚偽の事実が報道され、原告の名誉は著しく毀損された。

3 これらの不法行為による原告の精神的損害に対する慰謝料としては五〇〇万円が相当である。

五 争点5(不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の成否)について

1 被告県

仮に、阿野が新聞記者の取材に応じたことについて、不法行為が成立するとしても、不法行為の日から三年以上が経過しているので、被告県は消滅時効を援用する。

2 原告

(一) 原告の被告県に対する損害賠償請求権の行使は、人事委員会の審理中は事実上不可能だったので、消滅時効は成立しない。

(二) 原告が加害者すなわち新聞記者に虚偽の事実を公表したのが阿野であることを知ったのは平成五年七月七日であるから、消滅時効は成立していない。

別紙図面<省略>

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