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福井地方裁判所 昭和41年(行ウ)2号 判決 1972年4月07日

福井市中央一丁目一八番三号

原告

福井勤労者音楽協議会

右代表者会長

塚本勝昌

右訴訟代理人弁護士

梨木作次郎

豊田誠

訴訟復代理人弁護士

八十島幹二

右訴訟代理人弁護士

吉田隆行

福井市春山一丁目六番一〇号

被告

福井税務署長

下口実

被告指定代理人

辻肇

松原正作

高島光男

金井治夫

横山二雄

和田二郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告が原告に対してなした別紙(一)目録記載の処分はいづれもこれを取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二、当事者の主張

一、原告の主張

1  原告の団体としての性格と実態

(一) 結成の経過

原告は昭和三三年一一月福井市及びその近郊の職場、地域、学校等における勤労者、農民、学生、一般市民の音楽愛好サークルを単位として結成された。当時同市及びその近郊における職場、地域、学校には無数の音楽愛好サークルが存在していたが、せいぜいLPレコードによる音楽鑑賞しかできず、自分達の手で企画した健康で文化的な「生まの」音楽を鑑賞したいという希望を充足することは全く不可能であつた。こうした状態は地方において特に顕著であつたとはいえ、都会でも興行師等の企画する「催物」は、勤労市民にとつて金銭的にも内容的にも満足なものではなかつた。昭和二四年一一月大阪に誕生した所謂「労音」は、全国津々浦々にひろがり大きく運動が発展する内で、福井市及びその近郊の音楽愛好サークルも勤労者の感情に合つた生まの音楽を協同して企画、鑑賞するため、原告を結成するに至つたのである。

(二) 目的

原告は「一、私達はよい音楽をより安く、より多くの人達と楽しみ、私達の生活にひろく音楽文化をもたらせるとともに地方における音楽文化を向上させます。一、私達は全国各地の労音、文化人、音楽関係者と手をつなぎ国民音楽を創造します。一、私達は労音の自主性を堅持し常に会員の希望、意見を尊重した企画運営を私達の手で行ないます。」という基本的運動方針を堅持し実践することによつて、「日本民族の進歩的音楽運動の伝統を受け継ぎ発展させ、海外諸民族の民主的遺産に学び、芸術家・知識人並に進歩的諸勢力と協力して、自分自身の成長と社会の進歩に役立つ音楽文化を創造することを目的とし、またそのことによつて勤労者の人間性を高めその連帯性を強化する。そしてサークルの活動を基礎にした民主的運営を組織原則として勤労者の立場に立つた民主的音楽運動を展開する」ことにある。

(三) 活動の実態

原告の活動は極めて多種多様である。定期的な音楽会開催(例会と呼ばれる)、レコードコンサート、合唱、フオークダンス、社交ダンス、レクリエーション、音楽講座、例会の合評会、座談会、文化人等の提携、音楽関係の資料蒐集、機関紙、ニユース等の発刊等である。原告の組織単位であるサークル、あるいはいくつかのサークルを包含する地域においてもこれらの活動が自主的に行われており、労音活動の全ぼうをつぶさに掌握することは極めて困難でさえある。こうした自主的な活動の一部として「例会」が開催されているものであつて「例会」は労音活動の全てではない。これらの諸活動は原告の会員のみが参加し得るものであり非会員は参加できない。しかもこれらの諸活動のすべては会員の全く自発的な運営に委ねられている。例えば例会活動は会員の自主的な企画運営によつて行われており、例会当日の会員受付整理、会場の設営、接待、場内アナウンス等の進行、照明、裏方、清掃等一切が会員の手によつて自主的に行われている。

(四) 組織の運営

原告の運動の基礎はサークルの活動である。サークルは三名以上の会員によつて職場、地域、学校等において構成される。会員資格の取得喪失はサークルへの加入脱退となる。会員は毎月一定の会費をサークル代表者を介して醵出し、この会費によつて原告の前記諸活動が行われる。会員はサークル活動の諸機会に、原告のすべての活動について前記基本任務に即して徹底的に討議して意見を集約する。サークル代表者会議又は総会には集約されたサークルの意見が反映され、これに基いて原告の例会を含む諸活動が展開されている。このことは原告の規約の中で組織的に保障されているにとどまらず、いくつかのサークルが自由に地域別会議、地域活動委員会(いずれも規約上存在しない)を組織して、より多くのサークルの意見が適確に運営に反映する活動を行う慣行を生み出してさえいる。つまり原告の活動は、原告の全会員が自主的に、従つてまた民主的に行なつているのである。

(五) 原告は静的にみれば個人の集団であり、動的にみればサークルを基礎とした集合体であり運動体である。そして法的には「独自の具体的性格と実態を帯びた団体」であり、法人でも個人でもない、

2  被告の処分

被告は原告に対し、別紙目録(一)記載のごとく入場税決定等の処分をした。

3  処分の違法

(一) 入場税法の予定する納税義務者は個人または法人に限定されるべきであるから、そのいずれでもない原告に対する叙上の処分は結局税法第八四条に違反し、かつ入場税法の納税主体の解釈を誤つたものにほかならない。

すなわち、入場税法第三条によれば、「興業等」の「経営者」又は「主催者」が「興行場等」への「入場者」から多数人に「催物を見せ又は聞かせる」対価として「入場料金」を領収した場合当該「経営者等」はその「入場料金」について納税義務者となると定められている。しかしながらこの規定は納税義務者の外観的標準を定めるものであつて、主体の属性について同法は明文を欠く。この欠缺を補完しているのが同法第二三条、第二五条ないし第二八条の規定であると考えられる。即ち第二三条は納税義務の承継について法人が合併、解散によつて消滅した場合と個人が死亡した場合をのみ定め、第二五条ないし第二八条の犯則に関する規定は、可罰対象者として個人、法人、同上の代表者、代理人又は使用者その他の従業者を掲げるに過ぎない。これを納税義務者についていえば個人及び法人に限られているというべきである。ちなみに入場税法には所得税法第七二条一項(但し括弧内の規定)、同条二項、法人税法第五一条二項(但し、いづれも昭和四〇年改正前の旧法規定の条数による。なお、現行法上は所得税法第二四四条一項、法人税法第一六四条二項)のような規定はない。

よつてこれらの規定をあわせ考えるならば、入場税法上の納税義務者は個人又は法人に限定されていると考えるべきである。

(二) 原告のいわゆる例会は入場税法の催物にはならないから原告に対する前記処分は違法である。

すなわち原告の会員は会員各自が協同して音楽会等を企画し会員各自がこれを鑑賞するものであるから、この音楽等は第三者たる「多人数に見せ又は聞かせるもの」ではない。従つて入場税法第二条一項に規定する「催物」ではない。所謂「催物」は「多数人に見せ又は聞かせる」側の者とこれを「見たり聞いたりする」側の者とが存在することを前提とするものであるが、例会にはかかる対立した当事者がなく、「見せる」者と「見る」者とが同一人であるから法定の催物でないことは明白である。

また会員と別個に音楽等を企画上演する主体が存在するものではないから、原告は入場税法第二条二項に規定する「主催者」には該当しない。

(三) 例会の会費は入場料金にあたらないから、原告の前記処分は違法である。

例会の費用は会員各自が定期的に醵出する会費によつて賄われる。会費は会員持ち寄りの実費弁償たる性格を有し、また会員たる身分の取得及び存続のための条件であつて入場の対価ではない。従つて入場税法第二条三項に規定する「入場者」「入場料金」なるものは存在しない。

(四) 仮に原告が「人格なき社団」であるとしても、以上の理に変りはない。

(1) 多数人が相談し持ち寄る会費で音楽家を招き音楽鑑賞会を開いたとする。この多数人の集団に規約、代表者の定めがなく、社団性がなければその鑑賞会につき入場税を課し得ないこと異論を聞かない。

この鑑賞会においても上演音楽曲目、上演者、会場、開催日時が決定されねばならず、第三者との間の取引行為も随判して行われる。しかしその決定の方式、取引行為の態様によつて前段に述べた鑑賞会の入場税法上の地位は左右されない。

そうとすれば、右音楽会が反覆され一定の音楽思想上の理念、音楽運動上の目的をもち、規約、代表者を定め第三者との取引関係においてはいわゆる「人格なき社団」と云い得る程社団性を帯びるに至つた場合、右鑑賞会の入場税法上の性質に何の変動を生ずるであろうか。変動を生ずべき理由は見出し難い。

よつて原告が人格なき社団であるとしても、これによつて原告が入場税法上の「主催者」となりその「例会」が同法の「催物」になる理由はない。

(2) 原告が「人格なき社団」であるとしても、それは第三者との取引関係における問題である。第三者との取引関係において取引主体であるということは直ちに社団内部の活動、社団の構成員との間の生活関係においても第三者との取引と同じような対立的な契約関係を生ずることを意味するものではない。本件の場合も、人格なき社団たる原告がたとえば福井市と契約し、同市所有の建物の使用権を取得したとすれば、その使用権は社団構成員に総有的に帰属するのであるから、会員がその建物を使用するについては社団たる労音との間に格別の取引をするを要しない。この点は別の視点から考えればいつそう明白となろう。すなわち、主催者が人格なき社団である音楽会であつても入場税法上は二つのタイプが考えられる。その一つは人格なき社団が興行師であつて広く第三者を入場せしめる場合である。その二はその社団の構成員のみが入場する場合である。この二つのタイプは経済的に見る限り異質であることは明らかである。

前者の場合には社団と入場するものとの間に取引行為―対立関係が想定せられ、後者の場合にはそれが想定せられないのであつて、この前者の場合のみが入場税法上問題になるものと云うべきである。

よつて原告と会員との間に入場に関する取引行為が観念されない以上、右の例会は入場税法上の「催物」とならず、その会費は「入場料金」とはならない。

4  不服申立前置手続

原告は別紙目録(1)ないし(5)の処分につき昭和四〇年六月七日、また同目録(6)(7)の処分につき同年七月三一日それぞれ異議の申立をなしたが、被告は前者につき同年六月三〇日また後者につき同年八月二六日にそれぞれ棄却の決定をした。そこで原告は前者の棄却決定に対し同年七月三一日また後者のそれに対し同年九月二五日にそれぞれ審査請求をしたが、金沢国税局長は前者の審査請求を同年一〇月四日また後者のそれを同年一二月一六日いずれも棄却する裁決を行つた。原告は前者の裁決のあつたのを同年一〇月二一日知つた。

5  よつて原告は被告に対し前記処分の取消を求めるべく本訴請求に及んだ次第である。

二、被告の答弁および主張

1  原告の団体としての性格と実態について

原告が法的には法人でも個人でもないことは認める。その余は不知。

原告は人格なき社団にあたる。

現在の通説ならびに判例が権利能力なき社団の社会的作用ないし活動に着目してこれに社会生活の単位としての法律的地位を認めていることは明らかであり、その権利能力なき社団が具有すべき要件としては、団体としての組織を備え、そこには多数決の原則が行われ、構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、その組織の代表者の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定していれば足りるのである。

原告は「福井勤労者音楽協議会」なる名称をもち、その名を冠した規約があり、その規約に基づいて「最高議決機関」である総会(第九条)「執行機関」である運営委員会(第九条)をおき、「代表者」である会長、「会長を補佐」する副会長、「日常業務」を処理する事務局長、「会計を監査」する会計監査の役員を定め(第一六条)、「多数決の原則」が行われる(第一四条)等社団としての組織を備え、音楽会、その他の事業を行い、結成以来会員の増減変動があつたにもかかわらず現在に至るまで団体の統一性を持続していることは明らかであるから、単なる個人の集団ではなく現実に社会的に実在している「人格なき社団」にあたることは何ら疑う余地がない。

また人格なき社団といえどもその代表者を通じ自己の名において有効に私法上の契約をなし得ることは判例のすでに認めているところであり、人格なき社団が対外的に第三者と自己の名において私法上の契約をする場合に、契約の当事者としての社団は法律上も正式に社団自体一個の独立した法律関係の主体として認められているものであり、この社団の意思決定機関ないし社団の構成員個人とは全く別個の独立した法律的存在であるといわなければならない。

2  被告の処分について

認める。

3  処分の違法について

争う。

(一) 原告は入場税法上の納税義務者にあたる。

(1) 入場税法は前述した現在のわが国における通説的見解に立つて人格なき社団といえども自然人法人と同様に入場税の納税義務者としているものである。

税法のうちにはたとえば法人税法のように人格なき社団の営む収益事業に対し課税する旨の規定を設けるなど、入場税法の規定の方法と異なる態度をとつている法律もある。しかしこれは法人税法が法律上の課税能力を有する対象(人格)を本来法人に限定しているため、これを権利能力を有しない対象(人格)に適用するためにはこのような規定を特に設け、これによつて権利能力なき社団にも同法の適用を図るという方法をとる必要があるからである。これに対し入場税法ではたとえば法人税法のような規定はないが、それはその必要がないことによるものである。

すなわち入場税法上の納税義務者は現実の経営者または「主催者」であれば足りる(入場税法第三条)のであつて、この主催者が入場税法第二条第三項の規定による入場料金を「領収」すれば課税要件が充足される(「催物」の点は暫くおく)のである。

入場税法では「主催者」は法人であれ、個人であれ、また権利能力なき社団であれ、会場の借入れ契約、演奏者との契約、印刷物の請負契約等法律行為の当事者となり、現実に催物を行ない、入場料金を領収し得る法律上の地位を有するものであれば足りるのであつて、特に法人税法のように、あらかじめ法人という権利能力を有するもののみを立法上予定している法律とは根本的に制定の趣旨対象を異にしているものなのである。

換言すれば興行者等の経営者とそれ以外の主催者(この両者を法が区別しているのは徴税上の必要からであり何れも催物を行なう点では変りがない)はその者が入場者から入場料金を領収して同法所定の催物を行なう限り、たとえ国、地方公共団体のその他の公共団体であろうと、あるいは人格なき社団であろうと、自らが領収した入場料金につき納税義務を免がれることはできないのである。このことを更に敷衍すれば、入場税法中に人格なき社団等を含めて主催者とする規定があり、この顕著な例は同法第八条の免税興行に関し同法別表上欄に「主催者」と題し第四号に「社会教育法(昭和二四年法律第二〇七号)第一〇条の社会教育関係団体」と規定しているが、社会教育法第一〇条は『この法律で「社会教育関係団体」と同法人であると否とを問わず公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行なうことを主たる目的とするものをいう』と規定しており、人格のない社団等といえども社会教育関係団体に含めることを明らかにしているのである。したがつて入場税法においては、人格のない社団等に納税義務のあることを規定しているといわざるを得ないのである。要するに同法が自然人法人のみならず原告のような人格なき社団をも入場税の納税義務者としていることは明らかである。

(2) 原告は「入場税法の予定する納税義務者は個人または法人に限定されるべきである」旨主張し、その論拠として入場税法第二三条、第二五条ないし第二八条の規定を挙げている。

しかしながら右同法第二三条、第二八条は行政の必要ないし立法政策上設けられた特例であつて、これがため入場税の納税義務者が個人・法人に限られると解すべきでない。

けだし同法第二三条は個人または法人が死亡または合併により消滅した場合に、その消滅後の個人の相続人または合併後存続する法人または合併により設立された法人(以下合併法人という)に同法第一〇条または第二一条の申告義務および第二二条の記帳義務を負わしめることとしたものであるが、これは従来人格なき社団または財団等が催物を主催する実例についてみれば、そのほとんどが臨時的に興行場等を設けまたは借り受けて極めて短期間だけ主催する者が多くそれらの者が興行場等を常設し同一場所で長期間継続して催物を行うという例は全くみうけられなかつたところから、人格なき社団等が主催となる場合を含め一般に臨時興行の形態をとる主催者については、法第二一条の開催申告をさせ、催物を終えたときは遅滞なく終了申告をさせ、かつ催物終了後五日以内に課税標準額の申告をなさしめたうえ直ちに納税させる建前となつていたばかりでなく(同法第一二条第二項)開催にあたりあらかじめ入場税を担保させるため金銭、国債等を提供させるのを原則としていたため、興行主体の変動に併う前記申告ないし記帳の遅延または懈怠に対する予防措置をとるまでの必要がなかつたことによるのである。

これに対し、専ら個人・法人がその経営主体となつている常設館等による興行形態では、法第二一条の開催申告があつて毎日催物を行つていても、入場税は翌月末日まで納入すれば足り、しかも長期間継続興行して入場者から多額の入場料金を領収しながら、担保も無資力等の例外的なときに限り提供するのであるから(同法第一四条第一項第二号)、徴税手続上経営主体の変動に併い法第一〇条、第二一条の申告義務および同第二二条の記載義務をその相続人もしくは合併法人に負わしめ、もつて徴収効果の実効を期することが必要であり、そこで前記のような特別措置を法は講じたのである。

したがつてこのような手当をしていないからといつて法人格なき社団等の主催者に対し納税義務を負わしめていないと速断することはできない。

次に法第二八条法(第二五条ないし法第二六条は罰則規定である)はいわゆる両罰規定である。

前述したように法人は個人とともに常設館等の経営者となつて月間相当多額の入場料金を領収しており、入場税の徴収に必要な申告や入場券の交付ないし半片の切り取りその他同法所定の義務を怠ることは、徴税効果を著るしく阻害するおそれなしとしない。

これに反し当時の人格なき社団の主催する催物は臨時的かつ小規模でその領収する入場料金も多くなかつた。そこで立法政策的見地から前者につき両罰規定を適用しこの面から徴税効果の実効を担保しようとしているわけである。故に人格なき社団に対し両罰規定がないからといつてこれに対し納税義務を負わしめない趣旨に解すべきものでない。

以上述べた如く原告がいずれも徴税上の行政的ないし立法政策的諸規定を引用して入場税の納税義務の存否を論ずることは明らかな誤りであるといわなければならない。

(二) 原告の主張する例会は入場税法上の催物にあたる。

原告が主催した例会の内容および被告の課税状況は別表(二)のとおりであるが、例会の内容が入場税法上の課税範囲である「音楽」であり(同法一条第一号)例会を開催した福井市公会堂および福井市体育館が入場税法上の多数人に聞かせる場所(法第二条ではこの場所を興行場等と呼んでいる)であることは論ずるまでもない。

本件例会の開催主体は原告自身であつて会員はその観客たるに過ぎず、例会は会員と呼ばれる多数人に見せ聞かせるものにほかならない。

入場税法第二条第一項が、催物を定義づけるにあたつて興行場等という物的設備場所と音楽等の出し物という人的要素を規定し、この組み合わせによる上演興行(多数人に見せまた聞かせること)をもつて催物と定義づけたのは、社会的に催物とはとりもなおさず、多数人を同時に収容できる場所において多数人を動員し得るに足る出し物をかけ、かくて得られる入場料収入をもつてこれを賄つているのが実体であるということに根ざしているのである。故に法の規定する「催物」の重要な要素は会場の設営と上演者とその出し物これを組み合せて行ういわゆる興行上演に外ならない。

したがつて会場の設営者が誰であるかということは、当該催物の主体を決定するについて重要な意義をもつてくるのである。

この点で本件別表(二)記載の催物の上演において、多数人を同時収容できる福井市公会堂、体育館等を設営している者はもちろん原告自身であつて会員個々人ではない。さらに詳述すれば、例会を行う場合には、担当者は原告の代表者として交渉にあたり、会場の所有者である福井市長の使用許可を受けるため使用申込等会場貸借の契約を行い、原告の名で貸借契約を締結し、その名で貸借料を支払つているのであつて、会員個々の委任に基づいた代理人として行為しているのではなく、あくまで原告の機関または役員として行為していることは明らかである。もちろん右貸借上代表者が会員個々の代理人であるという表示もされていないばかりでなくその代理を認める規約はどこにもないのである。さらに上演者との出演契約についても同様である。すなわち原告の規約にもあるように、業務の執行機関である運営委員会が例会を企画し、上演種目を決定し、各出演者と交渉してこれを定めるものであつて、個々の会員自ら上演方を決定するものでないことはもちろんである。

したがつて原告の主張する「会員各自が協同して音楽等を企画し」というのは「原告の業務執行機関である運営委員会が企画し」ということであり(規約第一一条)、「会員各自がこれを鑑賞する」というのは「会費という名の入場料金を支払つた労音の会員のみが聞く」ということであつて、例会を企画主催して見せまた聞かせる側の原告と例会を見また聞く側の者(会員と呼ばれる)とが本質的に存在しているのである。何故ならば福井市公会堂等に入場して音楽を聞くのは自然人たる会員個人であり、組織体である原告は聞き得ようはずがない。「見せる者」と「見る者」とは同一人であるとの原告の主張は原告自身の社会的実在性と法律的地位およびその法律行為を忘却したものである。

(三) 例会の会費は入場の対価であり入場料金にあたる。

例会の費用である会場使用料、舞台装置費、ポスター、チラシ、機関紙等の広告宣伝費、出演者に対するギヤラ、同宿泊料、旅費等の諸経費および事務局職員等に対する給与等諸経費は、現に会員とよばれまた将来会員と呼ばれるであろう者をある程度試算して収支計算を立て、その結果今月の例会費はいくらと決定して参加希望者を誘引し、希望者から徴収した会費等で賄われるのが原則であり、会費の払込は会員の取得(新視加入)および存続(引き続き加入)の一面的条件であることは一応うなずけるとしても、反面原告の主たる事業である例会参加への意思表示であり、会費を払わないときは会員たる資格を喪失し例会場へは入場できない他面性を没却している。現に原告の企画等が悪いため、退会者が多く入場者が少くて結局欠損になつたことが間々あるという事実を見ても、また例会の内容に応じて会費が変動するという点、例会ごとに会員が浮動するという点などからみても、明らかに会費には入場の対価性があると認めざるを得ないのである。更に要言すれば、原告は前記のとおり個々の会員とは別個独立であること、例会に参加する者は会費を納入して会員券の交付をうけこれによつて入場すること、会員といえども会費を納入しない限り当該例会に入場できないこと、会員資格を有しない者でも当該例会一回限りの会員券のみを譲り受けて所持する限りにおいては一回限り当該例会に入場できること、例会に参加したくなければ会費を納入しなければよいこと、会費不納者は何らの意思表示を要せずして自動的に会員たる資格を喪失し新規に例会参加を希望する者は入会金と会費を支払い会員券を得なければならないこと、会費は原告の業務執行機関が決定し例会の内容によつて必ずしも一定していないことおよび会員券の譲り渡しが可能であること等の事実を考えあわせれば、原告のいわゆる会費は例会において音楽等を鑑賞するための入場の対価たる性質を有し入場料金に該当することは明らかである。

(四) 原告は「持ち寄り会費により音楽鑑賞会」を開いた場合で規約、代表者の定めがない場合と「鑑賞会構成員の集団が社団性を帯びるに至つた場合」を比較して、前記鑑賞会の入場税法上の性質に何の変動も生じないから入場税を課し得ないと主張し、また「仮に原告が人格なき社団であるとしても、それは第三者との取引関係にある問題である。第三者との取引関係において取引主体であるということは直ちに社団内部の活動、社団の構成員の生活関係においても、第三者との取引と同じような対立的な契約関係を生ずることを意味するものではない」と主張する。

前の点については、個人の集団が一定の要件を備えて「人格なき社団」と称し得る段階に達すれば、そこには個人の複数という権利義務の主体の複数の外に、これを構成員とする別の法律的単位が別個に存在するにいたるから、主催者と観客という関係が生ずるにいたり、このことは、一つが他の構成員であるかどうか、催物開催を援助するかどうか、或は「自主的運営」であるかどうかということにはかかわりないことである。

この点を言すれば、原告が構成員の総合的意見に基づいて会員の希望する音楽家を招き、会員のために興行の日時場所を決定し、会員に見せ又は聞かせるためその音楽等を上演することは、同法所定の「催物」であることを妨げるものでなく、また会員が協同して音楽を企画するいわゆる「自主的上演」とか、あるいは「会員各自による鑑賞」ということは団体運営上の特色に過ぎず、入場する多数の者(会員)から入場の対価を得て催物を主催し、多数の入場者に音楽を鑑賞させるものであることは何ら変りがないのである。ただ一般の興行と異なるのは、その団体の設立の目的・組織・運営上の特色にかんがみ、観客が会費を納めた「会員」という名で呼ばれるものである点であるが、それも「多数人に見せまたは聞かせるもの」であれば、ここにいう「催物」に該当するのである。

また後の点について云えば、音楽等の上演の主体は原告であつて、会員はその観客に過ぎないこと縷述のとおりである。すなわち、人格なき社団を一個の社会的実在として法律的に認識し、これに法律的な単位たる地位を賦与する以上、人格なき社団はその名において法律上他の法律主体たる個人と別個の存在を主張しうるのであり、人格なき社団以外のものという場合、その構成員たるものも指示することになるのであつて、会員は主催者たる人格なき社団に対し、見せられ聞かされる関係に立つことになるのである。

(五) 以上の次第であるから本件課税処分には何らの違法な点はない。

4  不服申立前置手続について

認める。

第三証拠

一、原告

1  証人塚本勝昌の証言援用。

2  乙第六号証の一ないし三、第七号証の一の成立は否認、第八号証の一ないし三、第一一号証の一、二、第一二号証、第一九、第二〇号証、第二一ないし第二五号証の各一、二、第二六号証、第二八号証、第三〇号証、第三二号証、第三四号証、第三六号証の一、二、第三九号証の成立は不知、その余の乙号証の成立は認める。

二、被告

乙第一号証の一ないし三、第二号証、第三、第四号証の各一、二、第五号証の一ないし八、第六号証の一ないし三、第七号証の一ないし五、第八号証の一ないし三、第九号証、第一〇、第一一号証の各一、二、第一二号証、第一三号証の一、二、第一四号証の一ないし三、第一五号証、第一六号証の一、二、第一七号証の一(同号証の二は欠番)、第一八ないし第二〇号証、第二一ないし第二五号証の各一、二、第二六号証、第二七号証の一、二、第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇号証、第三一号証の一、二、第三二号証、第三三号証の一、二、第三四号証、第三五ないし第三七号証の各一、二、第三八号証、第三九号証各提出。

理由

一、被告が、別紙(二)表記載の音楽会について、原告をその主催者であるとして、入場税法を適用して、原告に対し別紙(一)記載の賦課課税処分(以下本件処分という)をなしたことおよび4記載の原告が本件処分につき各不服申立手続をとつたことは当事者間に争いがない。

二、原告は本件処分は違法であると主張するので以下逐次判断する。

1  原告の主張1について

原告は静的にみれば個人の集団であり、動的にみればサークルを基礎とした集合体かつ運動体であり、法的には「独自の具体的性格と実態を帯びた団体」であつて、法人でも個人でもないと主張する。

成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、第二号証、証人塚本勝昌の証言により真正に成立したと認められる乙第六号証の二ならびに証人塚本勝昌の証言によると次の事実が認められる。

原告は昭和三一年一一月ごろ、よい音楽をより安くより多くの人達と鑑賞し、日本民族の進歩的音楽運動の伝統を承継発展させることなどを目的として、福井市およびその周辺の職場、地域、学校等における勤労者、学生、一般市民等の音楽愛好者約五〇〇名をもつて発足し、その間に人員の増減はあつたが一時的には約三〇〇〇名を擁したこともあり、その活動としては定期的な音楽会の開催(以下例会という)音楽講座、レコード・コンサート、ダンスパーテイ、機関紙・ニユースの発刊等音楽活動一般を行い現在に至つている。

原告は規約を有し、会員としては三名以上をもつてサークルを構成する一般会員を基本とし、個人をもつてする特別会員その他を含み、その機関として各単位サークルの代表者で構成されその成立と決議が多数決により行なわれる総会(規約上の機関ではないが同趣旨のものとして代表者会議)、運営委員会、専門部が設けられ、役員として会を代表する会長、副会長、事務局長、運営委員、会計監査が置かれ、日常業務を行うため事務局がある。

しかして総会において原告の業務運営に関する基本方針が決定され、それが代表者会議の議を経て具体化され、この具体化された運営方針を執行するのが運営委員会あるいは各専門部であり、事務局がこれを補助する。

原告の経費は会員の提出する会費その他でまかない、その管理の手続は別途定められている。

以上によると原告はいわゆる人格なき社団の性格を有するものということができる。

すなわち人格なき社団の要件としては「団体としての組織を備え、多数決の原則が行なわれ、構成員の変更にかかわらず団体が存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定していること」(最高裁判所昭和三九年一〇月一五日第一小法廷判決)であるところ、前記認定によれば右の要件をすべて充足するものであるからである。

従つて原告が原告主張の「独自の具体的性格と実態を帯びた団体」であるとしても、法律上は原告の構成員とは別個独立の存在である人格なき社団としての性質を認め、これに沿う法律的処理を否定することはできない。

2  原告の主張の(一)について

原告は入場税法の予定する納税義務者は個人または法人に限定されるべきとし、そのいずれでもない原告は納税義務者でない旨主張する。

ところで前認定のとおり原告は人格なき社団であるから、これが入場税法第三条に規定する納税義務者である「経営者」又は「主催者」に含まれるかにつき検討する。

そこで入場税法をみるに、同法第三条に規定する納税義務者は興行場等の「経営者」または「主催者」とする用語は、必ずしも人格のない社団を排除するものでないこと、また同法第八条第一項は、「別表の上欄に掲げる者が主催する催物が左の各号に掲げる条件に該当する場合において、第三項の規定による承認を受けたとき当該催物が行なわれる場所への入場については入場税を免除する」と規定しているが、右別表上欄の主催者欄には「一、児童、生徒、学生、又は卒業生の団体、三、学校の後援団体、四、社会教育法第一〇条の社会教育関係団体」等と掲記されているところ、このような団体は必ずしも法人とは限らず、かえつて通常は人格のない社団である場合が多いこと、さらに社会教育法第一〇条は『この法律で「社会教育関係団体」とは法人であると否とを問わず公の支配に属しない団体で会社教育に関する事業を行うことを主たる目的とするものをいう』と規定し、人格のない社団を含むことを明記していることを考え合せるならば、入場税法は人格なき社団といえどもそれが興行場等を設けまたは他から借り受けて催物を主催し興行場等への入場者から入場料金を領収する場合には、同法第三条により入場税の納税義務者としていることは明らかである。

なお原告は同法第二三条、第二五条ないし第二八条の適用が個人および法人に限られていることを理由に、原告が納税義務者たりえないことを主張するが、右条項はいずれも納税義務者を定めた規定でなく、徴税の効果を期するため設けられた規定であるから、このことから人格のない社団が入場税法第三条の納税義務者に含まれないとはいえず、従つてこの点に関する原告の主張も理由がない。

3  原告の主張3の(二)(三)(四)について

原告は、その例会は入場税法第二条第一項の「催物」に該当せず従つて原告は同条第二項の「主催者」とは言えず、また同条第三項の「入場者」および「入場料金」も存在しないと主張するのでこの点につき検討する。

入場税法第二条第一項は、「催物」とは興行場において映画、音楽等で多数人に見せ聞かせるものと規定しているので、右「催物」が多数人に見せ聞かせる側の者と、見たり聞いたりする側の多数人の存在を当然の前提とする概念であることが理解される。このうち見せまたは聞かせる側の者が、同法第二条第二項の「主催者」あるいは同法第三条にいう「経営者」であり、見たり聞いたりする側の者が同条にいう「入場者」に該当すること、および右の見せ聞かせる側の者が見たり聞いたりする側の者から名義如何をとわず領収すべき入場の対価が、同法第二条第三項にいう「入場料金」に該当することは右第二条および第三条の規定の趣旨からみて明らかである。

そこで本件についてみると、前認定のとおり原告が人格なき社団としての法的性格とその実態を有し個々の会員とは別個の法的および社会的存在であること、それに成立に争いのない乙第三、第四号証の各一、二、第五号証の一ないし八、第七号証の二、三、第九号証、第一〇号証の一、二、第一三号証の一、二、第一四号証の一ないし三、第一五号証、第一六号証の一、二、第一七号証の一、第一八号証、第二七号証の一、二、第二九号証の一、二、第三一号証の一、二、第三三号証の一、二、第三五号証の一、二、第三七号証の一、二、第三八号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第七号証の一、第八号証の一、二、第一一号証の一、二、第一九、第二〇号証、第二一、第二二号証の各一、二、第二三ないし第二五号証の各一、第二六号証、第二八号証、第三〇号証、第三二号証、第三四号証、第三六号証の一、二、第三九号証、第二三号証の一ならびに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる第二三号証の二第二四号証の一ならびに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる第二四号証の二、第二五号証の一ならびに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる第二五号証の二、および証人塚本勝昌の証言を総合すると次の事実が認められる。

原告の業務のうちもつとも重要なものは、その設立目的にあるように毎月例会を開催して音楽を上演し、会員に鑑賞する機会を提供することであるところ、右例会における上演種目の決定は、会員からアンケートあるいはサークルの討議結果を求めるなどして会員の希望が反映するよう配慮されてはいるけれども、決定そのものは原告の機関である総会、代表者会議がその権限においてなし、運営委員会がその実行の任にあたるものであること、原告の例会々場の使用契約の締結、その使用料の支払、広告物件の許可申請、上演音楽家との出演契約の締結、これに対する出演料の支払等は原告の代表者である会長が原告の名と責任においてなしているものであること(時には事務局長がなす場合もあるがそれは代表者である会長からの委任に基づくものというべきである)。

原告の会員が例会に出席するためには、原則としてあらかじめ会費を納入し、それと引換えに整理券の交付を受け、これを持参することを要し、会員であつても整理券を持参しなければ原則として例会々場に入場出来ず、また逆に整理券さえ持参すれば会員でなくとも例会々場に入場できるのが実情であること、これに対し従来会員でなかつた者がある月の例会の上演物の鑑賞を希望するときには、入会金とその出席を希望する例会の月分の会費を納入しいずれかのサークルに加入するか又は個人として会員となり例会に出席することができること、会員の納入した会費は事実上原告に帰属しその管理するところとなり前記会場賃借料、出演料等すべて例会の経費は右の会費によつて支払われているものであること。

右の確定した事実を総合考察すれば、本件処分の対象となつた原告の例会は、個々の会員とは別個独立の法的および社会的存在である原告自身が、会員である多数人に見せ聞かせるために主催したもの、すなわち入場税法第二条第一項に規定する「催物」に該当するものと解するのが相当であり、従つてこれを主催した原告は同条第二項の「主催者」に、これを鑑賞した多数の会員は同条第三項にいう「入場者」に、そして会員が納入した会費は同項の「入場料金」にそれぞれ該当するものと認めるのが相当である。

原告は会員各自が音楽会等を企画し鑑賞するものであるから、その例会には見せまたは聞かせる側の者と見たり聞いたりする側の者との対立はないとし、よつてその例会は「催物」にあたらず原告は例会の「主催者」にあたらないと主張する。しかしながら右認定のとおり原告はすでに個々の会員とは別個独立の社会的および法的存在をなし、その主催する例会は原告が会員である多数人に見せまたは聞かせるために催しているものであるから原告の主張は失当である。

また、原告はその会費は会員が持ち寄りの実費弁償たる性格を有し、かつ会員たる身分の取得、存続のための条件であつて、例会において音楽等を鑑賞するための入場の対価でないと主張する。

確かに、原告の会費が、会員たる身分の取得・存続のための条件である一面を認めることはできるが、同時にそれは例会において音楽等を鑑賞するための入場の対価たる性質も合わせ有するものと認められるのである。すなわち、入場税法第二条第三項の規定から明らかなように、入場料金であるか否かはその名義いかんを問わず実質的に入場の対価たる性質を有するか否かによつて決せられるべきものであるところ、原告の会費は前記認定のとおり入場税法上の入場料金に当るものということができ、原告のこの点の主張も失当である。

更に、原告は原告が人格なき社団であるとしても、人格なき社団とは言えない多数人の集団の場合と対比して考えると、その集団が人格なき社団であるために入場税法上の「主催者」となり、その例会が同法の「催物」となる理由はない旨を主張するが、入場税法上は人格なき社団といえども所定の要件を充足すれば「主催者」となり、その例会が「催物」となることは前認定のとおりであつて、人格なき社団とは言えない多数人の集団と別異に扱つているわけであるから、この点に関する主張も理由がない。

次に、原告は原告が人格なき社団であるとしても、例会の入場につき原告と会員の間には第三者が入場する際に生ずるような取引関係がないのであるから、その例会は入場税法の「催物」とは言えず、原告の会費は「入場料金」とはならないと主張する。

しかしながら、原告の行う例会に対し、会員が見たり聞いたりする多数人たる関係に立つことは前認定のとおりであり、そうである以上、入場税法上はその多数人が一般第三者的観客として入場しようが、原告の構成員であるとして入場しようが「催物」の要件に欠けるところはなく、またその多数人たる入場者から原告が取引として領収しようが、会費として領収しようが、実質的な入場の対価と観念されるものは「入場料金」となるのである。

結局この点に関する原告の主張も理由がない。

以上のとおりであるから原告の主張はいずれも採用できない。

三、よつて、本件処分には原告主張のようなかしは何もないから、原告の本訴請求は理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山内茂克 裁判官 西岡宜兄 裁判官 大渕武男)

別表(一) 目録

<省略>

以上

別表(二)

<省略>

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