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福井地方裁判所 昭和28年(タ)12号 判決 1956年3月31日

主文

原告と被告野坂貞美とを離婚する。

原告と被告野坂貞美との長男康夫の親権者を原告とする。

被告等は連帯して原告に対し金二〇〇、〇〇〇円を支払わなければならない。

被告野坂貞美は原告に対し昭和二八年一〇月二三日より本裁判確定に至るまで毎月金二、〇〇〇円宛を支払わなければならない。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告等の連帯負担とする。

この判決は主文第三、四項に限り仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

先づ第一に離婚の請求について判断する。

公文書であるが故に真正に成立したものと認められる甲第八号証(戸籍謄本)の記載によれば、原告と被告貞美が昭和二三年一一月二五日婚姻の届出を為し現に夫婦なる身分関係にあることが明かである。そこで原告本人尋問(第二回)の結果により野坂守一が被告貞美名義で作成したものであることが認められる甲第三号証の一、二、当裁判所が離婚届出用紙であると認める甲第四号証の各記載に、証人杉本らく(第一、二回)、同松田つぎ、同杉本タマ、同中島はま子、同中島繁朔、同杉本彦三(一部)、同松井貞子の各証言に原告本人尋問(第一、二回)の結果に当事者弁論の全趣旨を併せ考えると、次の各事実を認定することができる。

「原告と被告貞美との縁談の際被告等方では原告に対し婚姻の支度等は一切不要である。原告が農業に従事しなくてもよい、ただ被告貞美と先妻の子二名(当時六年と四年)を養育してくれさえすればよいと言つて原告との婚姻を懇望した。そこで原告が右各条件を信じて被告と婚約し、原告主張のような僅な仕度で昭和二三年四月一七日挙式後被告貞美外被告等方の家族と共に居住し、昭和二四年初頃まで正常な家庭生活を営んだ。その間原告は妊娠し被告等方の指図で原告の母の実家である大野の松田方で出産をすることになり同年三月五日長男康夫を分娩した。原告が出産のため大野へ行く前に原告の妹松井貞子が原告を迎えに来た際、原告が手土産として餅一〇個、缺餅一輪、晒木綿の端切一丈を与えるべく用意したのを被告茂太夫に発見されて取上げられ被告あきのより叱責を受けたが、陳謝して赦して貰つた、このことを原告から聞いた被告貞美はただ笑つていたに過ぎなかつた。これより先出産が近づいた際被告あきのから福井市開発町の風習として初産の子を連帰るときはその家の身分に相応するような初着の紋付を着用させ近隣へはお祝として赤飯饅頭を配布しなければならないがその用意をしておくべき旨(被告等方は同町内届指の資産家である)要求されたが、原告は勿論のこと原告の実家でも到底このような用意ができず、さりとて姑の言付けに背くこともできず原告一人日夜懊悩苦慮していた。そうしてその結果止むを得ず浅慮にも被告茂太夫の袷一枚、同あきののメリンスの袷一枚を出産のため大野へ行く際無断で持参し、それで子の「おべ絆伝」にしようとしたができなかつたので一枚を売却してそれで「おべ絆伝」の表を購入した。後日被告等方からこのことを咎められて一部原告の母が弁償し母や仲人杉本タマ中島繁朔中島はま子等も加わつて被告等方に対して陳謝し、被告等方では内輪のこととして容赦し、被告貞美は原告のために出費してやらなかつたことにつき責任を感じ、その後このことが原因となつて離婚話へ進展するようなことはなかつた。康夫出産について被告あきのが大野へお祝に来て餅と人絹銘仙夜具地一反を与えたが、被告等方ではその後も襦袢一枚すら与えなかつた。原告は康夫が出生してから舅姑に対する関係で日常心配事が多く母乳が乏しくなつたので近所の人から貰乳をしたことを被告あきのに叱責され、配給の紛ミルクで同児を保育したが、特配の砂糖も同被告が管理していて少量宛しか与えてくれず、遂に保健所で栄養失調の診断を受けその発育が危ぶまれた。(原告は経済的には全く被告茂太夫同あきのに従属し被告貞美から毎月金一〇〇円の小使を貰う外何の裁量もなかつた。)これに対し被告茂太夫同あきのには後妻が生んだ子の保育につき気を使うことをせず、被告貞美も消極的であり原告一人苦労するのを放置していた。先妻の二児は原告によく懐いていたが、被告あきのから原告が盗人であると教えられてからは原告に投石するようになつた。そうして原告は被告茂太夫同あきのから義弟を通じて農業の手伝を促され朝早くから暗くなるまで働いた、農業に経験のない都会育ちのため要領を得なかつた。被告等方とは前示のような約束があるにも拘らず、初孫は小学校入学まで原告の実家で経済的な補助を為すべきだとの被告あきのの考からすると、同被告は康夫出産の時の原告の実家の用意が不充分でありその上原告が農業の手伝にも些程役立たなかつたこと等から次第に原告に対する嫌気が高まつてきて役に立たない嫁として日夜原告を冷い目で見るようになり(その頃になつて原告の前示不仕末に対しても腹立たしくなった)、前に先妻を経済的理由で離婚せしめたこともあつたのでこの嫁もと思うようになつてきた。

偶々原告が翌昭和二五年八月一三日に被告等方の許を得て康夫を伴い山形県鶴岡市の実家へ帰省することになつたので、同被告両名は原告に小使銭金一、〇〇〇円を与えて原告を帰省せしめ、これを幸として同年九月初旬「喜代子帰るに及ばず」と言う趣旨の打電を為し、被告貞美の弟野坂守一もこれに加わり同人において被告貞美名義でその筆跡に似せて、文面には仲人とも話合をしたように装い原告の母のみ相談のため福井へ来ることを促す趣旨の手紙を送り、暗に原告を離婚する相談を持ちかける意思を仄めかした。そこで原告は急ぎ同月一二日福井へ帰り被告貞美をその勤務先へ訪れたところ同被告から被告等の家の空気では到底家へ帰ることができない旨告げられ、被告貞美の指図で大野の祖母のもとに行かざるを得なかつた。その後原告は同年中毎土曜日に被告貞美から福井市松本町のアパートへ呼出されて宿泊し、翌昭和二六年より昭和二八年一月まで同被告が毎土曜日に大野の原告方へ来て宿泊し、夫婦の性的関係を続けざるを得なかつた。その間同被告は原告に対し康夫の養育費を毎月一、五〇〇円乃至二、〇〇〇円交付したが(同被告が毎週大野の原告方へ来て宿泊したのでその酒食に費した分を差引けば計算上僅しか残らなかつた)、原告の生活費を支出しないばかりでなく、原告と康夫の主食配給移動証明手続を為さず(後日移動証明手続の請求を受けた被告茂太夫同あきのは籍と共にやる(原告の協議上の離婚の承諾をして届用紙に押印することと引換に右手続を為す趣旨)と言つて応じなかつた)、これらのことを併せ考えるといわゆる妾にも劣る待遇であつた。被告あきの同茂太夫の原告に対する取扱に遺憾の点が多々あるのに被告貞美(その性質は温順である)は夫として妻たる原告を庇護することをせず原告に未練を残しながらも親達の言に諾々として従つていた。そうして遂に昭和二八年一月中同被告が原告に協議離婚届用紙を呈示して協議上の離婚を求めたが原告に拒まれると、同年二月三日被告あきのが原告方に来て同届用紙に押印を迫つたけれども原告においてこれに応じなかつた。その後被告貞美は大野の原告方へ来なくなり養育料(原告は其の後も引続き同児を養育している。)の支払をしなくなり夫婦関係も没交渉となつた。そこで原告はその主張のとおり家事調停の申立を為したが、その調停期日に被告等方は原告が無断で持出した前示物品の外に紛失した被告等主張の多数の衣類等を原告が窃取したとその時始めて主張し、原告に盗癖ありと速断して非難を浴せ(被告等の家には原告の婚姻前に盗難事件があり警察において捜査した事実がある)、慰藉料の支払を拒否したので右調停は不成立となつた。」

敍上各認定に反する乙第一号証の記載部分、証人鈴木そと、同杉本彦三、同野坂守一の各証言部分並に被告等三名の各本人尋問(被告あきのについては第一、二回)の結果は前顕各証拠に照して信用し難い。(被告等の主張については後に判断する)。

そうすると右認定のとおり、被告等方では婚姻の時の約旨に反して被告あきの同茂太夫両名が原告を虐待侮辱したのに、被告貞美は、親孝行者ではあつても夫として妻たる原告を擁護することなく、原告が鶴岡へ帰省したのをきつかけとしてその後大野に居住せざるを得ないようになり追出をされる破目になつても両親と妻の間を円満に導くよう努力せず、その後も大野で原告が苦しい生活をしているのに僅に康夫の養育費を出したのみで原告の生活費は勿論のこと主食配給の移動証明手続すらしてやらなかつたこと等夫として為すべきことすら為さず、被告あきの同茂太夫の言付に諾々として従つたのみか、遂にはこれに加担して原告に対し自ら離婚を求めるに至つた。その結果婚姻関係は有名無実となつてしまつたのであるから、これ以上原告と同被告の婚姻生活を継続することは不可能であり、この夫婦間の婚姻を破綻に導いた責任は同被告にあるものとする。さればこれは民法第七七〇条第一項第五号所定の婚姻を継続し難い重大なる事由あるときに該当するから、これを原因として同被告との離婚を求める原告の請求は理由がある。

第二に親権者の指定について考察する。

康夫が出生してより原告が母として経済的に無力である上に被告あきのから虐待を受けながらも強い愛情によつて栄養失調とまで診断された同児を多大の苦心を払い身をもつて保育したこと、原告が大野へ移つてからも僅な収入(後に説明する)で学齢に達するまでよく養育してきたこと(以上前段認定のとおり)、被告貞美も康夫を可愛いがり前示養育料を支出し同児の養育を希望しており、同児も亦同被告に懐いていたが(このことは原告(第二回)、同被告(一部)各本人尋問の結果により明かである)昭和二八年二月より同児を全く顧みなくなつたこと(前段認定のとおり)被告等方には先妻の子等がありこの子等に比較して後妻の子である康夫が被告あきの同茂太夫等より軽んぜられていた事実(前段認定の事実より推知せられる)に右のとおり被告貞美が両親の言いなりになつていることを併せ考えると康夫が将来右の子等と同程度に幸福になれるかにつき懸念が感じられること、その他本件弁論に顕われた一切の事情を考量すると、仮令原告が経済力に乏しくとも強い愛情を有し真剣に養育しているので原告を康夫の親権者とすることが寧ろ同児の将来に幸福をもたらすものと考えられる。されば民法第八一九条第二項により原告をして康夫の親権者と定めるのが相当である。

第三に慰藉料の請求について判断する。

初婚の原告が被告等から離婚を迫られいわゆる追出離婚をされようとするに至るまでの経緯並にその後甚だしい侮辱を為したことは前段認定のとおりである。これを要するにその主たる原因は被告あきのが婚姻の際の約束があつたにもかかわらず原告の実家が貧しく康夫出産の時に同被告の思うような用意ができず亦親戚附合にも事欠いていたことに基因し、その上原告の農業の手伝が不手際であつて生産に寄与すること甚だ少く収入の補助とならなかつたことにあり(更に原告の前示不始末が後日になつて腹立たしくなつたこともこれに加わつた)、被告茂太夫も同あきのに和して原告を虐待する結果となり、被告貞美も亦両親の得に従い遂に両親に加担するようになつた(同被告の責任については前段にも説示した)。被告等の虐待侮辱に因り原告は数年に亘り非常に苦しい思をして過してきたこと前段認定の事実よりして容易に首肯することができる。そうすると被告等三名の所為は民法第七一九条所定の共同不法行為に該当するので被告等三名は連帯して原告に対し原告が蒙つた多大の精神的苦痛を慰藉するに足りる金員を支払うべき義務あるものと言わなければならない。

そこで慰藉料の数額について調べてみるに、右甲第八号証、公文書であるが故に真正に成立したものと認められる同第一号証(県立高等女学校の賞状)、同第二号証(県立高等女学校長の賞状)、原告本人尋問(第二回)の結果により真正に成立したことが認められる同第七号証の各記載に原告本人尋問(第二回)の結果を綜合して原告が三四才でありその学歴は青森県立八戸高等女学校卒業であること、現に大野の高瀬商店に勤め月収金七、〇〇〇円程度であること、昭和二八年一二月原告の母が大野に移り針仕事をして若干の収入を得るまでの間原告の勤務時間中康夫を一カ月一、二〇〇円に食糧等を出して預けていたこと、離婚後は自立して引続き康夫を養育しようと決意していることを窺知するに足りる事実、原告(第二回)、被告茂太夫(一部)及び同貞美(一部)の各本人尋問の結果並に当事者弁論の全趣旨より被告貞美が四〇才でありその学歴は明治大学商学部卒業であること、現に大陽染色株式会社に勤務し月収金一〇、〇〇〇円と称していること、被告茂太夫が農業に従事し田一町二反、畑四〇坪余を所有し人夫を雇つて耕作し、間口一〇間奥行五間程度の家屋の附属建物の外土蔵二棟並にその敷地を所有し町内では資産家の列に入つていることを看取するに足りる事実(右認定に反する被告茂太夫本人尋問の結果の一部は右証拠に照し信用し難い)に原告と被告貞美の同棲期間等及び原告が前示不始末を為した事実、その他本件弁論に顕われた諸般の事情を綜合斟酌して、被告三名連帯の上原告に支払うべき慰藉料は金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

第四に被告等の主張について判断する。

被告等は、本件婚姻破綻の原因が原告の違法な行為並にその性癖に基くのであつてその責任は原告にあり、原告の精神的損害はこのことより自ら招いたものである旨屡々主張する。先づ原告が無断で妹に手土産として缺餅等を与えるべく用意したことは前段説示のとおりである。原告が被告等と同居中における地位は甚だしく従属的なものであつた(前段認定のとおり)ので被告茂太夫同あきのから考えれば原告の右行為は不法なものと見られるのであろうが、親族が訪れた時に土産物を与えるようなことは一般社会において日常行われている儀礼であり、後日原告からこのことを聞知した被告貞美が一笑に付した点(前段認定のとおり)に鑑みるも、原告には妻として又両親を含めた野坂の家族の一人として親戚附合のためこの程度の品物を与えることは後で被告等方の承諾を得られるものと考えていたことを推知するに足りる。従つてこれをもつて窃取と見るのは妥当を欠く。次に原告が出産のため大野へ行く際被告茂太夫同あきのの袷二枚を無断で持参したことは、前段説示のとおりであつて、その時の事情が前に説明したとおり同情を禁じ得ないものであつても原告として浅慮も甚だしいことである。ところが原告が被告等方において虐待侮辱を受けいわゆる追出離婚をされようとした原因はこの事実のみにあるのではないこと既に説明したところである。更に被告等方では右物品以外に数年間に紛失したらしい多数の物品につき被告等は原告がこれを窃取したのでありその故に原告に盗癖ありと高言するが、当裁判所が右に信用しない証拠を除き他にこれを肯認するに足る資料がなく、却つて右甲第一、二号証、公文書であるが故に真正に成立したものと認められる甲第五号証(県立高等学校長証明書)原告本人尋問(第二回)の結果により真正に成立したものと認められる同第六号証の各記載に証人杉本らく(第二回)、同松田つぎ、同中島はま子、同中島繁朔の各証言によれば原告は高等女学校在学の成績操行とも佳良であり、大野で食糧販売協同組合連合会その後の高瀬商店でも実直に経理事務を処理していること、原告は盗癖のないことが認められる。よつて婚姻生活破綻の原因が原告にあるのではなく原告の精神的損害が原告自ら招いたものではないから、被告等の右主張は採用に値しない。

第五に養育料の請求について判断する。

婚姻から生ずる費用は夫婦がその資産、その他一切の事情を考慮して分担すること民法第七六〇条に規定するところであり、子の養育費は婚姻から生ずる費用に含まれるものと解する。本件においては、婚姻前に別個の契約を為したとの資料がないので、右法意に照し康夫の養育料は原告と被告貞美において分担すべきである。そうしてこれを分担する期間は婚姻継続中である。

そこで被告貞美が養育費を分担すべき額を調べてみるに、康夫の養育費が(前示康夫を他に預けた時間以外の労務を除く)昭和二八年度は一カ月金二、〇〇〇円程度、昭和二九年度は一カ月金二、五〇〇円程度、昭和三〇年小学校へ入学してからは衣類等を購入しない通常の月は一カ月金二、五〇〇円程度を要したこと原告本人尋問(第二回)の結果により明かである事実、原告と同被告がそれぞれ前示のとおりの収入を得ていること、原告が同児を養育しその労務を負担していること前認定のとおりである事実、その他本件口頭弁論に顕われた一切の事情を考慮して同被告の分担すべき養育料は一カ月金二、〇〇〇円が相当である。従つて同被告は、原告に対し原告が請求する訴状送達の翌日であること記録に徴し明かである昭和二八年一〇月二三日より本裁判確定に至るまで一カ月金二、〇〇〇円宛を支払うべき義務あるものと言わなければならない。

よつて原告の本訴請求を右認定の限度で相当として認容し、その余を失当として棄却し、民事訴訟法第九二条第九三条第一九六条を適用して主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 市原忠厚)

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