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神戸簡易裁判所 昭和33年(ハ)516号 判決 1959年8月12日

原告 株式会社 兵庫相互銀行

被告 国

訴訟代理人 大久保敏雄 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告の主張

一、請求の趣旨

被告は原告に対し、金一〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三一年一二月五日より同三二年六月五日まで年五分、同月六日より右完済に至るまで年六分の各割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求めた。

二、請求原因

(一)  訴外北村芳太郎は昭和三二年二月二六日現在別紙目録記載のとおり、既に納期限を徒過した昭和二七年度以降同三一年度に至る所得税合計金一七七、三五九円の国税を滞納している。

(二)  他方同訴外人は同日現在被告に対し、昭和三一年一二月五日預け入れた支払期日を同三二年六月四日とする利息年五分の割合の定期預金債権一〇〇、〇〇〇円を有していた。

(三)  よつて原告は第(一)項記載の国税の徴収のため、国税徴収法第二三条の一に基き、昭和三二年二月二六日右訴外人が被告に対して有する前項記載の債権を差押え、右金員を同年六月五日限り支払うよう催告し、右通知並びに催告は同年二月二六日被告に到達した。

(四)  よつて原告は被告に対し、前記差押えにかかる定期預金一〇〇、〇〇〇円及びこれに対する右預金の預入日である昭和三一年一二月五日より支払期日である同三二年六月五日まで年五分の割合による約定利息、同月六日より右完済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二、被告の答弁

一、請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求める。

二、請求原因に対する答弁

請求原因事実中第一項は不知、第二及び第三項中通知並びに催告のあつた事実はいずれも認める。

第三、被告の事実上及び法律上の主張並びに原告の法律上の主張に対する反駁

一、本件差押は無効である。

(一)  即ち、本件定期預金は、被告訴外北村間の相互掛金契約二一〇号三一〇七次一七六六号及び一七六七号につき、被告が右訴外人に昭和三一年一二月五日計金二〇〇、〇〇〇円を給付するに際し、その条件として同時に給付金中金一〇〇、〇〇〇円を預金し且つその払戻債権を以て給付後の掛金債務を担保し、自然に双方の債務が共に弁済期に至つたときは勿論のこと、掛金を二回以上遅滞しその他債務不履行の情況があると認められたときは預金の払戻期限及び掛金債務の期限如何に拘らず、何時でも、当然に対等額を以て相殺し得るものとすることが約定され、右訴外人においてこの約定に基き同日金一〇〇、〇〇〇円を定期預金として預け入れ、形式上その期間を六ケ月と定め、前示趣旨の相殺契約をなしたものである。又一方右預金に対する条件として、同時に被告から右訴外人に金五〇、〇〇〇円の手形貸付をなすこと。但し右預金の払戻債権はこの貸金をも担保し、双方の期限が共に到来したときは勿論のこと、訴外人の被告に対する他の債務につき一部不履行し又は不履行の情況があると認められたときは右預金の期限及び右貸金の期限如何に拘らず、何時でも、当然に対等額で相殺し得るものとすることが約定せられ、被告はこの約定に基き前同日金五万円を訴外人に貸付け、その期限を本件定期預金の払戻期限と同一日と定め、訴外人は右同旨の相殺契約をなしたものである。

(二)  即ち上記相互掛金債務と本件定期預金払戻債務と右貸金債務とは密接に牽連し、只金額の上で訴外人側の掛金債務が大である(金一一、九〇〇円宛一五回計金一七八、五〇〇円)ため、上記相殺契約に拘らず掛金は毎月七日限り被告岸和田支店に持参して現実に支払う定めであつたという相違点はあるが、その他の点に於ては右三者が交互計算に組み入れられたのと酷似し、右預金と貸金は時期の早晩に拘らず相殺によつて決済されるべき運命に置かれ、掛金もそれが円滑に行われないときは結局預金との相殺が第一の決済方法とされる筈であり、当事者の一方において一の債権又は債務を除去してこれを取立て若しくは他に譲渡するようなことは一切できない関係にあつたのである。

(三)  かように本件定期預金払戻債権は本来独立しては譲渡し得ないものであるから、これを差押えることもできないのであつて、この理は差押が滞納処分として行われる場合においてもこれを別異に解すべきものではない。従つて本件差押は無効である。

二、仮りに本件差押が有効であるとしても、原告の本訴請求は左に述べる理由により失当である。

(一)  一般に債権に対する強制執行は、目的債権の存否並びに態様につき執行債権者の負険負担において行われるものであつて国税徴収法による滞納処分の場合においてもこの理は同様であり、国が国税徴収のために納税人の第三債務者に対する債権を差押えた場合においても国は差押によつて被差押債権の取立権を取得し、納税人に代つて債権者の立場に立ちその権利を行使し得るだけであり、本来納税人の有する権利以上の権利を行使し得るものではない。

(二)  ところで本件定期預金の債権者たる訴外北村は、その預け入れに際し、被告に対して前項記載のとおり相互掛金債務その他一切の債務の担保として同債権を差入れると共に、これら一切の債務を完済するまでは右預金の引出をしないことを約したのである。しかして、右引出制限の約定は、単に、原告主張(後記第四の三の(二)、(三))の如く質権の効力の一内容を確認したに止るものではなく、停止条件附代物弁済の約定と共に、質権とは別に債権担保の効用のためになされた特約であり、定期預金の期間は、寄託金に対する据置期間であると同時に、利息計算の基準をなすものであつて、初め六ケ月とか一ケ年とかの期間が定められていても、所謂切り替え或いは書き替えにより所定期間毎に利息計算が行われつつ同一性を維持しながら長期間継続されることは公知の事実である。右引出制限の約定は裏返していえば、被担保債権がなくなるまで継続すべきことを明らかにしたものというべく、従つて同訴外人の債務が残存する現在においては本来の債権者たる同訴外人自身右預金の返還を請求し得ない立場にあり、況んや同訴外人に代つてその権利を行使するに過ぎない原告としては、勿論本件預金の返還を請求し得ない筋合である。

三、仮りに右主張がいずれも理由がないとしても、

(一)  右訴外人は本件預金預け入れと同時にこれを被告に対する一切の債務の担保として差入れ、前記相殺契約をなしたものであるところ、前記相互掛金契約の給付後の掛金につき昭和三二年一月分及び二月分をいずれも遅滞したので同年二月七日の徒過の時を以て、同訴外人は被告に対する全債務につき期限の利益を失い、一時に支払わねばならないこととなり、被告は何時でも右時期現在における相殺計算をなし得るに至つた。

そこで被告は、昭和三十二年六月五圧、先ず本件定期預金の内金五〇、〇〇〇円と前記貸金五〇、〇〇〇円との相殺計算をなし、同訴外人との契約では何等の意思表示を要しないのであるが、念のため訴外人にも原告にもその頃この旨を通告した。よつて本件定期預金払戻債権は本件差押の前である同年二月八日に遡り元金五〇、〇〇〇円に減縮されたものであるから、本訴請求は右相殺された限度において失当である。

(二)  原告は被告主張の右相殺契約は絶対的に無効であるか少くとも第三者に対する関係では無効である旨主張する(後記第四の四の(四))が右相殺契約は原告の主張の如き相殺予約ではなく、契約自由の原則に鑑み特に法律上禁止規定のない限り固より有効である。

即ち、右相殺契約は旧民法に所謂「合意上ノ相殺」又は「任意上ノ相殺」に属し、現在民法にはこれに関する規定を欠くが、これを許さない趣旨と解すべきものではなく、又契約を以てすればその要件(例えば債権の相互対立性、相殺適状その他)も随意にこれを定めることができるのである。

本件についてこれをみれば、前記訴外人より被告に差入れた担保差入証(乙第一号証の四及び同第二号証の三)に「当方がその債務の一部を履行しないとき若しくは不履行の情況があると認められたときは、右の債権は総て期限が到来したものと看做して前記物件の期限に拘らず又当方への通知を要せず随意相殺計算をなされ(中略)ても異議ありません」という文意があるのに照しても、右前段の条件が充足された場合にはその時以後何時でも相殺計算を随意なされ得るものであり、これをなし得るに至つた時より後は、既に相殺計算がなされたものとして法律関係を処理すべき旨の合意があつたことが明らかであつて、相殺権発生契約或いは厳格な意味での相殺予約とは異なるものであり、固より予約完結の意思表示を必要とするものではない。尤も、前記担保差入証の第二項には「、、、相殺計算をなされるか又は担保権を実行せられ」とあり、一見選択を要するかの如き観があるけれども、そのいずれにせよ、元利金の全部又は一部を以て債務の弁済に充当するのであるから、経済的には差異がなく、法律上の形式が違うだけであつて、故らそのいずれを選択するかの意思表示を必要とすべき理は存しない。却つてこれが選択乃至予約完結につき意思表示を要するものとすれば、「当方この通知を要せず」かつ「随意」なし得るとの明文に反することとなるから、予約に過ぎないとの原告の主張は失当である。只事後において速かに計算の結果につき観念通知をなし、その内容を知らしめると共に異議を述べる機会を与えることが妥当と考えられるのみである。かような特約を認めると原告の主張する(後記第四の四の(四))ように、当事者間の法律関係が浮動的になり法的安定性を害するとの非難は、或程度これを甘受せねばならない。しかしながら、すでにそのような特約をなし且つ債務不履行若しくはこれに準ずべき不信行為を冒した当事者としてはその程度の不利益は已むを得ないところというべく(同種の事例は、期限の利益喪失の特約、停止条件附契約解除約款等において常にみられるところであり、現に本件において訴外人は被告のなした相殺計算に対し異議を申し述べたことはない)、又誠実な当事者間においては何時でも相殺計算の結果を知ることができるのであるから、実際に法律生活上の不安定を生ずることは稀であるといわねばならない。

更に、少くとも右特約を以て第三者に対抗できないとの原告の主張に対しても、前記第三、一、(一)項で述べたとおり、右相殺契約の特約は本件預金払戻債権の発生と同時にその内容の一部としてなされたもので、同債権の原来的属性の一をなすのであるから、少くとも前記第三、二、(一)項で述べた如き単に納税人たる右訴外人の立場にあるに過ぎない原告に対しては対抗問題を生ずる余地はなく、原告は元々かような態様の債権につぎその取立をなし得る地位を得たに過ぎないのである。この意味で原告のいう「単なる私人間の契約によつて法律上の認める以上に相殺の対抗力の拡張を容認すること」にも「差押による処分禁止の効力を認めた法律の精神を無視すること」にもならない。

原告の右主張(後記第四の四の(四)、(五))の立論は契約又は合意による相殺を認めず、専ら民法第五〇五条並びに第五一一条によつて事を律しようとする前提において被告の肯認し難いところである。

なお我が国金融業界において定期預金を担保として貸付をなす場合には、本件と同旨の特約をなすことが慣習となつており、各銀行によつて多少字句に相異があつても殆ど一定の型をなすに至つている。原告としてはかような慣習を知らぬ筈もなく、又税務調査の上から昭和二七年来所得税を滞納している納税人が、突然何ら負担のない定期預金をするわけのないこと、被告に対し多額の債務を延滞し当然該預金がその担保に供せられているべきこと、従つて将来相殺計算の一項目をなすに過ぎない運命にあることは熟知している筈であり、上記特約の影響をうけても格別の不利益を蒙る立場にあるものではない。

四、被告の主張する前期相殺計算において、原告主張(第四の四の(四))の如く本件定期預金の利息を全期間につき計上していることは認めるが、これは前記第三、一、(一)項記載の事情並びに定期預金払戻債権者の利息に対する一般的期待利益とに鑑み、訴外人にとつて最も有利な計算方法をとるためにしたのであつて何ら他意はなく、すでに債務不履行の情況にありと認めた以上その後いかなる時期にいかなる範囲において相殺計算をなすかは被告の自由に決定し得るところであるから、顧客たる訴外人の利益のため計算の時期を三ケ月余遅られ、又これによつて弁済に充当すべき債権を手形金五万円のみに限定したとしても敢えて異とするに足りない。

五、手形金債権を相殺の自働債権とする場合にも、契約による相殺においては原告主張(第四の四の(八))の如く該手形の交付を要しないのであるが、本件においては相殺計算の当時念のためその旨の通知をなすと同時に当該手形を訴外人に交付している。

六、なお国税と雖も第三者の権利や利益を侵してまで徴収し得べきものでないこと勿論であるから、殊に主権在民の新憲法下において国税徴収法第三条を拡張解釈し、本件引出制限や代物弁済に関する契約にまでそれが担保方法の一であるという理由で推し及ぼし、これを無視しようとすることは断じて許されるべきではない。

第四、原告の被告主張事実に対する認否及び被告の法律上の主張に対する原告の見解

一、訴外北村が昭和三一年一二月五日被告より金五〇、〇〇〇円を弁済期間三二年六月五日として手形貸付をうけた事実、被告が同年六月二一日右訴外人並びに原告に対し、被告の有する右手形貸付債権金五〇、〇〇〇円と本件定期預金払戻債権金一〇〇、〇〇〇円とを同月五日以を以て対等額で相殺した旨通知がなされた事実はいずれも認めるがその余の事実はすべて不知。

二、被告の本件差押は無効であるとの主張(前記第三の一)について、

原告は、被告主張の前記第三の一の(一)記載の如き約定があつたかどうか知らないが、仮りにこのような約定があつたとしても、被告主張のようにこれを以て商法上の交互計算契約と同一の効果があるものということはできない。蓋し、商法にいう交互計算は商人間又は商人と非商人間の取引関係において一定の期間の取引から生ずる債権債務の総額につき一括相殺をなし、その残額についての支払をなすべき取引関係の決算方法であり、債権債務の総額についての相殺であるから、この場合交互計算に組入れられた各個の債権債務は、計算書の項目をなすものであつても各個の債権の独立性は極めて薄弱となり、個々別の債権の行使は許されず、従つて各個の債権債務の相殺も制限されることとなり、すべて一定期間の債権債務の総額について不可分的に処理されるべき筈である(交互計算不可分の原則)。しかるに被告の主張する約定によれば、該債権債務関係は、未だ以て各個債権債務の独立性を失わしめるものではなく、個々の権利行使も許されているものである。現に被告は手形貸付債権を自働債権とし本件定期預金払戻債権を受働債権としてこれを相殺したと主張せられて個別的に債権債務を行使せられており、このようなことは交互計算契約の存在とは相容れないものである。従つて被告主張の前記約定は、いまだ交互計算契約におけると同様の効力を有するものではない。この約定は、訴外人に対する相互掛金債権、手形貸付にかかる債権と、本件定期預金払戻債務との相殺の予約をなしているものに過ぎない。もつとも本件定期預金払戻債権の譲渡を禁止する約定が仮になされていたとしても、それは右相殺予約に際して行われた被告と訴外人間の特約として当事者間にその非譲渡性の効力が生ずるに過ぎないものであつて、国税徴収法の規定による債権差押並びに取立権の行使に何等の制限をも加えるものではなく、本件差押が無効となるいわれはない。

三、引出制限の約定(前記第三の二)に関する被告の主張について、

(一)  被告の前記第三の二の(一)の主張は、国税徴収法上の滞納処分としての差押の効力並びにその際における国税の優先的効力を無視した見解である。

(二)  仮りに被告と訴外北村との間に被告主張(前記第三の二の(二))の如き担保設定契約があつたとしても、この担保の設定は、被告が訴外人に対して有する債権(担保差入証によれば現在並びに将来の一切の債務とうたわれている)を担保するため、右訴外人が被告に対して有する本件定期預金払戻債権につき、その定期預金証書を差出させ被告がこれを留置してなされたもので、通常預金担保と称されているのが、その法律的性質は定期預金払戻債権の質入、即ち債権質と解される。だとすると、この担保権の効力を原告に対抗し得るためには、国税徴収法第三条により、右担保権の設定が国税の納期より一ケ年以前になされたことを公正証書により証明し得た場合に限られるのである。ところが、被告と右訴外人間の前記担保設定契約は、本件滞納国税の納期限後の昭和三〇年一二月五日になされたのであるから、右担保権の効力を以て原告に対抗し得ない筋合にある。被告と右訴外人間で本件定期預金を一切の債務完済前に引出さない旨約定してもこれは債権質(いわゆる包括的根質権の設定であり、この有効性についても相当の疑問がある)の効力の内容を構成するものであつて、担保差入証(乙第一号証の四、同第二号証の三)によつても明らかな如く、本件定期預金を担保に差入れた際の確認条項にすぎず、従つて右担保権を以て原告に対抗し得ない以上、右引出制限条項が、原告の滞納処分による取立権を制約する理由とはならない。

(三)  更に、被告は、右引出制限条項は、結局、定期預金の弁済期到来を右訴外人の一切の債務完済の際にかからしめられていると主張するが、右定期預金はその名称並びに性質からも明らかなように、その弁済期について確定期限の約定(即ち預入の日から六ケ月を経過した昭和三〇年六月五日)がなされており、この約定された確定期限が即ち本件定期預金払戻債権の本来の弁済期であり、これ以外に右定期預金の弁済期の約定はないし、又あるべきものでもない。それ故に右引出制限条項は本件定期預金払戻債権を被告に質入した際の質権設定契約の内容をなすとみる外はないというべきである。

四、被告が右訴外人に対して有する手形貸付債権金五〇、〇〇〇円を自働債権として、前記相殺契約に基き本件定期預金払戻債権と対等額で相殺したとの主張(前記第三の三)について、

(一)  被告が相殺の自働債権に供したという手形貸付債権は、原告主張の差押がなされ、この通知が被告に到達し、差押の効力が発生した昭和三二年二月二六日現在においては、いまだ相殺適状になかつたものであるとともに、被差押債権(受働債権)もまた当時弁済期が到来していなかつたものである。

(二)  ところで、債権差押により支払差止の効力が生じた当時において、自働債権及び受働債権の双方がいまだ弁済期が到来していない場合には、第三債務者は相殺をもつて差押債権者に対抗でき得ないものと考える。

支払の差止を受けた第三債務者の相殺の可否については、民法第五一一条において、差押後に取得した債権により相殺をもつて差押債権者に対抗することができないと規定しているのみであつて、本件のごとき場合についての直接の明文の規定はない。けれども同条は、一方では差押の効力を維持して差押債権者の利益を確保し、他方では一般に相対立する債権が弁済期にある場合、当事者としては相殺の意思表示前から既に対等額において決済したように信頼し合い、債権の取立にも債務の履行にも殆ど関心を失つているのが通常であることに鑑み、このような当事者双互の信頼を保護し差押の一事によつて第三債務者に特段の不利益を蒙らせることのないようにしようとの公平の考慮のもとに、差押債権者と第三債務者の利害の調節をはかることを目的としたもので、民法第五〇八条と同様の趣旨に出た規定である。従つて両条の解釈は同一の方法によりその間に異同があつてはならない。これを要するに、差押後に第三債務者のおこなつた相殺が差押債権者に対抗できるものであるためには、一般に対立債権が既に決済されたと考えられている状態、即ち、差押前に自働債権と受働債権がともに弁済期にあるか、又はともに期限の利益が失われていることを必要とし、単に差押当時に自働債権が存在していたとか、その期限の利益を放棄でき得るような場合にあつたとかいうだけでは足りないものである。

(三)  本件についてこれをみるに、被告が相殺の自働債権に供したという訴外人に対する手形貸付金債権の弁済期及びその受働債権たる定期預金払戻債権の弁済期は、いずれも昭和三二年六月五日であつて、差押迄に弁済期が到来しておらず、且両債権とも差押迄に期限の利益を喪失せしめ又は放棄もせず、まして相殺の意思表示をなした事実も存しないから、被告は原告主張の金員の支払義務があるものといわなければならない。

(四)  尤も被告は前記相殺契約に基き「訴外人が椙互掛金契約の給付後の掛金につき昭和三二年一月分及び二月分をいずれも遅滞したので同年二月七日の徒過の時を以て、全債務につき期限の利益を失い、一時に支払わねばならないこととなり、被告は何等でも右時期現在における相殺計算をなし得るに至つた」旨主張する(前記第三の三の(一)前段)。しかしながら仮に被告主張のように、何等の意思表示を要せず「何時でも当然に」相殺し得るものとする約定が存在するとしても、このような特約は無効である。

蓋し被告主張の右特約は、訴外人において債務不履行又は不履行の情況のあると認められた場合において、民法所定の相殺適状の状態にない場合でも、被告に一方的に相殺をなしうる権限を与えたものと解すべきであり、所謂相殺予約の性質を有するものである。かような相殺予約のなされた場合には、停止条件付相殺契約の場合とは異なり、被告の予約完結権行使の意思表示を俟つて初めて相殺の効力を生ずべきものである。従つて、予約においてそもそも完結権行使の意思表示を要せずして本契約に移行するというような予約は、それ自体法律上無意味である。しかも意思表示又はこれに代る何等の表象なくして訴外人不知の間に被告の内心において任意法律関係を変動し得るものとすれば、相手方は相殺の対象となつた債権債務の内容、相殺後の当事者間の法律関係を知り得ず、且亦相殺権者の恣意により後に相殺内容の変更、取消も不能となる等、当事者間の法律関係を浮動的なものとし、相手方及び第三者が当事者間の法律関係を前提として法律行為をしようとする場合でも、その立場を極めて不安定なものとして法律生活の安定性を阻害するものである。このような相殺予約において、完結の意思表示を要しないとする特約は、意思表示によつて行使すべきものとする形成権の本質に反するばかりではなく、取引の安全を害するから、相殺の意思表示を不要とする部分の特約は絶対的に無効であるか少くとも第三者に対する関係では右特約部分の効力を主張し得ないものと考えるべきである。だとすると本件の場合、相殺の予約に基き相殺権を付与された被告が予約完結権の行使として相殺の意思表示をなし、その効力が発生することによつてはじめて相殺の効力が生ずるものといわなければならない。これを更に分析すれば、相殺の意思表示によつてはじめて本来の相殺適状の時期と異る特約上の時期、即ち、被告において特約に基き自働債権の期限の利益を剥奪した時期において相殺適状の情況が具現されるという関係に立つのである。

ところが本件にあつては、被告も自認するように、原告の差押前に相殺の意思表示(正確には相殺予約完結の意思表示)がなされておらず、単に昭和三二年六月五日付で被告の内部的相殺計算がされた旨の通知が昭和三二年六月二一日になされているにすぎない。

従つて右の通知はこれをもつて直ちに形成権の行使としての相殺の意思表示とは解し難く、単に相殺済であるという観念の通知にすぎないから、本件についてはいまだ相殺の意思表示なく、被告の相殺の主張は理由がない。

(四)  仮に右通知が相殺の意思表示とみなされるとしても、右意思表示は、前記相殺予約に基く完結権の行使としてなされたものではなく、自働債権、受働債権が履行期を共に経過したことによる民法第五〇五条に基くものである。

蓋し右意思表示の内容は、手形貸付債権金五〇、〇〇〇円と定期預金払戻債権金一〇〇、〇〇〇円とを昭和三二年六月五日付で対等額で相殺するという趣旨であつて、右期日は、右手形貸付債権並びに本件定期預金払戻債権の本来の弁済期であり、これを相殺適状の時期として相殺しているのである。このことは被告の内部的な計算も右同日を計算の最終日とし、受働債権である定期預金払戻債権の利息も全額金一〇〇、〇〇〇円につき昭和三二年六月四日までの六ケ月分を計上して決済していることによつても明らかであり、被告の意思においても本来の相殺適状の時期であつた昭和三二年六月五日において相殺決済し、前記相殺予約の特約にもとずく自働債権の期限の利益の剥奪をなし得る権限を行使したものではない。従つて原告の差押後において相殺適状となり、しかる後相殺の意思表示をなしたとしても前記第四の三の口に述べた理由により原告に対抗できない。

(五)  しかも、債権の差押によつて支払を差止められた第三債務者が、差押にかかる債権と反対債権との相殺をもつて差押債権者に対抗し得るかどうかは、専ら法律の規定するところによつて決せられるべきであつて、単なる私人間の契約によつて法律の認める以上に相殺の対抗力の拡張を容認することは、差押による処分禁止の効力を認めた法律の精神を無視することとなるから許されない。従つて、被告が仮に相殺予約にもとづいてその相殺の時期を昭和三二年二月七日に繰上げる旨決定してみても、これが単に内部的計算方法としてなされたものであれば何等の効力を生じないことは固より、この旨の意思表示がなされたとしても、これを差押債権者である国に対抗し得るためには、右差押の効力発生前にすることが必要である。ところが本件においてこれがなされたと見得る時期は、昭和三二年六月二一日即ち本件差押の後であるから、右差押後になされた相殺適状の時期繰上げの意思表示もまた無効であるといわねばならない。

(六)  仮に被告の前記相殺契約に関する主張が、債務不履行等の情況が発生した場合には、これより後は既に相殺計算がなされたものと処理すべき合意であるとして、債務不履行等を停止条件とする相殺契約であるとの主張であるとしても、かかる主張は、右当事者間の相殺に関する約定の趣旨に反するものである。

蓋し、前記担保差入証(乙第一号証の四、同第二号証の三)の相殺に関する条項からは、債務不履行等の情況が発生した場合に当然相殺の効力が発生する旨の約定とは到底考えられず、右は担保権設定契約に附随して、債務不履行等の情況が発生した場合、自働債権並びに受働債権の本来の弁済期末到来に拘らず、被告において相殺計算をなし得る旨を約定したものにすぎず、従つて前叙の如き相殺予約の性質を有するものである。そうであるから、右条項も債務不履行等の情況の発生した場合に、相殺をなすか、本来の約定ともいうべき担保権の実行をなすかを被告の意思にゆだねているのである。停止条件附相殺契約とするならば、受働債権である定期預金について一定の情況の発生により相殺又は担保権の実行をなし得る旨被告に選択の余地を認めた約定は全く無意味となり、右条項の存在、のみならず担保差入契約自体を理解し難いものにして、被告が金融業界で行われているという本件同旨の預金担保の一般的性格を否定することとなり、被告の本来の目的である担保設定契約の趣旨を没却するにいたるであろう。

(七)  被告はまた金融業界において定期預金を担保として貸付をなす場合、被告主張のような特約をなさしめることが慣習となつている旨主張するが、仮にそれが事実であるとしても現行国税徴収法上その担保権設定の特約が、国税滞納処分に優先するとなし得ないことは既に明らかにしたとおりである。

(八)  のみならず、被告は、訴外北村が相互掛金契約にもとづく払込金の昭和三二年一月分、二月分を遅滞したが故に同年六月五日現在で相殺適状の時期を同年二月八日として相殺計算した旨主張する(前記第三の三の(一))が、右相殺計算のなされた同年六月五日当時においては、右のような情況は左に述べる如くなかつたのであるからこの点からも被告の相殺の主張は理由がない。

即ち、昭和三二年一月分、二月分の相互掛金契約にもとづく払込金は、同年一月一六日、二月二二日にそれぞれ払込まれ、被告においては何等の異議なく受領しているのである。このような場合、被告において訴外北村の債務不履行を理由とする相殺計算をなし得る権限を行使するためには、当該債務不履行の情況が相殺計算をなす当時まで存続することが必要と考えられるから、右不履行を理由とする相殺計算は、昭和三二年二月八日以降町月分払込にいたる同月二二日までの間になされるべきであつて、同月分についてすでに履行されその法律関係が決済された後に、更に遡つて同月分の不履行を理由として相殺計算をなすことは、相互掛金契約等継続的給付契約における当事者の法律関係を不確定ならしめるから許されないというべきである。

(九)  そのうえ、右相殺の自働債権は訴外人、振出した手形につき被告の有する手形上の債権であるから、この債権を行使し相殺に供するためには手形の呈示証券性並びに受戻証券性から考えて、当該手形を相手方に交付し又は呈示することが要件とされるのであるが、本件において被告の相殺は右手形の呈示ないし交付もせずになされたのであるから、この点からも被告の相殺の主張は理由がない。

以上述べる理由により被告の主張はいずれも理由がないものというべきである。

第五、立証<省略>

理由

一、訴外北村芳太郎が、昭和三二年二月二六日現在被告に対し、昭和三一年一二月五日預け入れた支払期日を昭和三二年六月四日とする利息年五分の割合による金一〇〇、〇〇〇円の定期預金払戻債権を有していたこと、原告は同訴外人に対する原告主張の滞納国税徴収のため、昭和三二年二月二六日同訴外人が被告に対して有する右定期預金債権を差押え、同金員を同年六月五日限り支払うよう催告し、右差押通知並びに催告が同年二月二六日被告に到達したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証によれば、原告は昭和三二年二月二六日現在において右訴外人に対し原告の主張するような別紙目録記載の租税債権、従つて前記差押の基本債権を有していたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

だとすると原告は国税徴収法第二三条ノ一第二項の規定に基き、被差押債権である右定期預金債権につき右訴外人に代位すすることとなつたものというべきである。

二、そこで以下被告の主張について判断する。

(一)  本件差押は無効であるとの主張について、

仮に被告主張のように本件定期預金払戻債権につき譲渡し得ざる旨の特約があつたとしても、私人間において債務者の一般財産の中に差押えられないものを作ることは、一般債権者にとつて、不測の損害を蒙らしめることとなるから、譲渡禁止の特約はその債権の差押可能性を奪うものではないと解すべきである。この理は差押債権者が国である場合においても異別に解すべき理由はない。

ただ右定期預金払戻債権を譲渡し得ざる理由が被告の主張するように、被告の右訴外人に対して有する相互掛金債権、手形貸付金債権と同訴外人の被告に対して有する本件定期預金払戻債権とが交互計算に組入れられた結果だとすると、その交互計算契約の効果として、右定期預金払戻債権を他に譲渡することも、従つてまたこれを差押えることも差押債権者の善意悪意に拘らず許されない(蓋し交互計算は債権債務決済のため法の認めた制度的なものであつて、交互計算に組入れられた以上当事者間の特約による譲渡制限と異り、法律上の効果として各個債権はその個別性を喪失するものというべきだからである)こととなる。

そこで右訴外人と被告との間で右三個の債権につき交互計算契約が結ばれたか否かについて按ずるのに、

成立に争いのない甲第二号証の二及び三、同第四号証の一及び二、乙第一号証の一乃至四、同第二号証の一乃至三、同第三号証、証人岡本和夫の証言を綜合すれば、訴外北村は被告より金一五〇、〇〇〇円を借受けるために、昭和三一年七月七日被告との間に一口一〇〇、〇〇〇円の相互掛金契約を二口 (二一〇号三一〇七次一七六六及び一七六七号)締結し、五ケ月分の掛金を順次支払つて同年十二月五日金二〇一、六〇〇円の給付をうけることとなつたが、その際右給付後の掛金債務を担保するために、同日右給付金中金一〇〇、〇〇〇円を定期預金として被告に預け入れることとなつた。従つて同訴外人が現実に被告より受領する金員は金一〇一、六〇〇円となり、同訴外人の希望借用金額になお約金五〇、〇〇〇円不足を生じたため、同日手形貸付によつて被告より更に金五〇、〇〇〇円を借受け、同じく右定期預金払戻債権を右貸金の担保に供した。

しかして右いずれの担保設定に際しても、同訴外人は

(イ)  右定期預金払戻債権を同訴多人が給付、貸付、手形割引、当座貸越、保証債務等一切の銀行取引によつて被告に対し負担する現在並びに将来の一切の債務の担保として差入れたことを確認し、

(ロ)  右定期預金債権は債務その他一切の債務完済前には引出は勿論他人に譲渡しないこと。

(ハ)  右訴外人がその債務の一部を履行しないとき若くは不履行の情況があると認められたときは、右の債権は総て期限が到来したものと看做して本件定期預金払戻債権の期限に拘らず又同訴外人えの通知を要せず、随意相殺計算されるか又は担保権を行使せられてその元利金を以て債務の弁済に充当されても異議はないこと。

等を約定し、更に前記給付後の相互掛金の総額を金一七八、五〇〇円として同金員を昭和三一年一二月七日を始めとして、爾後毎月七日限り一回金一一、九〇〇円宛一五回に分割して支払うこと、但し、右分割金の支払を遅滞したときは、弁済期日の翌日から完済まで金一〇〇円につき日歩金五銭の割合による遅延損害金を支払うこと、なお右分割金の支払を二回以上遅滞したときは別に催告を要せず当然期限の利益を失いなお右同様の遅延損害金を支払うこと等を約定し、右掛金の支払は事実上殆んど被告において集金し、なお遅滞したときは督促していたが、同訴外人は右分割金の初回分を期限前の昭和三一年一一月三〇日に支払つたのみで、同三二年一月分を同月一六日に、同年二月分を同月二二日に支払い、その後の分割金の支払も可成り遅れ勝であつた等の事実を肯認し得、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで交互計算とは商人間又は商人と非商人間で平常取引をなす場合において、一定の期間内の取引から生ずる債権債務の総額について相殺をなし、その残額の支払をなすべきことを約する契約であつて、その当然の効果として、一定期間内に生じた債権債務は一項目として、その計算に組入れられ、それらの債権債務は独立性と、それに附着する個性とを喪失し、計算期に一括して相殺されるまでは停止状態におかれ、債権を個々的に行使し得ず、他方履行遅滞の問題も生じないものである。

しかるに被告はその主張自体その主張の如き相殺契約に基き手形貸付債権を自働債権とし定期預金払戻債権を受働債権として相殺した旨主張し、個別的に債権債務を行使しているが、このようなこと自体交互計算契約の存在と相容れないものであること前述のとおりである。被告の右主張が、交互計算契約の存在が認められなければという仮定的な主張であるとしても、前認定の如く、右相互掛金債権については、月々の分割金債権が行使されており、弁済期を徒過したとき又は期限の利益を失つたときは金百円につき一日金五銭の遅延損害金を支払うべきこと、又二回以上支払を遅滞したときは期限の利益を失う等右分割金支払について履行遅滞の効果が約定されている等の点より考えれば、前認定の如き本件定期預金がなされるに至つた事情、を考慮しても、担保設定についての前記約定が法律上被告主張の如き交互計算契約と同一の効果を有するものとは解し難く、この点に関する被告の主張は採用できない。

(二)  引出制限の約定に関する被告の主張について、前記訴外人が本件定期預金払戻債権を、給付後の掛金債権及び手形貸付金債権の担保として差入れるに際し、右定期預金を右各債務及びその他被告に対して負担する一切の債務完済に至るまでは引出さないことを約したことは前記認定のとおりである。

ところで被告は右引出制限約定は、単に原告主張の如く質権の効力の内容を確認したに止るものではなく、質権とは別個の債権担保の効用のためになされた特約であつて、換言すれば、被担保債権が消滅するまでは引出制限約定は効力を持続し、訴外人は右定期預金の引出はできないものであり、このことは同訴外人に代つて同訴外人の有する権利を行使し得るにすぎない国が右定期預金払戻の請求をする場合においても同様である旨主張するのに対し、原告は、右定期預金払戻債権を担保に供することはその性質上法律的に債権質とみるべきであり、右引出制限約定は右債権質の効力の内容をなすものであるところ、右債権質が国税徴収法第三条により原告に対抗できないものである以上、右引出制限約定をもつて原告に対抗できるものではないと主張するので案ずるのに、

本件定期預金払戻債権を右訴外人の被告に対する前記債権の担保に供するに際し、その定期預金証書が被告に交付されているとの原告の主張については被告において明らかに争わないのでこれを自白したるものと看做す。しかして債務者が債権者に対する自己の債権に対し質権を設定することは法律上特にこれを禁止する規定はないから固より有効であると解せられるから、前記認定のような事情の下に本件定期預金払戻債権を担保に差入れる行為は法律上指名債権質の設定行為に該当するものというべきである。

ところで右質権設定契約成立の日が昭和三一年二一月五日であり、本件差押がなされた日が同三二年二月二六日であることは当事者間に争いがないところであるが、本件滞納国税の最終の納期限が同三一年一一月三〇日であることは前記認定のとおりであるから、国税徴収法第三条に規定するところにより、その余の点について判断するまでもなく被告は右質権を以て原告に対抗できない。

しかしながら本件の如く質権者と第三債務者が同一人である場合においても、質権者が質権を以て原告に対抗できないということと、原告が質権の目的たる債権の履行を第三債務者に請求できるか否かとは自ら別個の問題であつて、国が滞納国税の徴収のため納税人の第三債務者に対する債権を差押えた場合、国はただ被差押債権者に代位して被差押債権を取立て得るに過ぎないものであり、国がこの取立権によつて取立てるべきものは従来のままの被差押債権であり、取立権者たる国との関係においても、この債権が私法上の債権たる性質を変ずるものではない。これを第三債務者側からいえば、差押によつて履行の相手方が被差押債権者より国に代つただけのことであつて、履行すべき債務の性質態様に何等変化を蒙るに至るものではなく、第三債務者は本来の債権者が自らその履行を請求する場合に比して格別不利益な地位に立たされることはない。とすれば、原告が被差押債権たる本件定期預金払戻債権の履行を第三債務者たる被告に請求できるか否かは、専ら右定期預金払戻債権の性質態様によつて決せられるものといわなければならない。

しかして指名債権質権設定者は右質権設定後と雖も質権の目的たる債権の全部又は一部を消滅させる取立、弁済その他これに準ずべき処分権限を失うものではないが、質権設定により質権者が法律上既に質権の目的たる債権の取立権を取得している以上、かの支払の差止をうけた第三債務者が自己の債権者に対し弁済をなしても、これをもつて差押債権者に対抗できないとする民法第四八一条の規定を右の場合に類推適用し、右のような債権の処分行為を以て質権者に対抗することができないと解せられるところ、質権設定者が質権設定に際して「被担保債権の完済に至るまでは質権の目的たる債権の取立その他これを消滅さるような行為をなさない旨約することは、元来質権の設定そのものが被担保債権の担保のためであり、且つ設定者の債権処分行為が質権者に対抗し得ないものである以上寧ろ自明の理を表明したに過ぎないもので、仮りに右の如き約定がなかつたとしても、右に述べた債権質権の効力として質権設定者は質権の目的たる債権の取立及びこれに準ずる処分行為を制限されるものというべきである。このことは質権者と第三債務者とが同一人である場合においても同様であるといわなければならない。

本件についてこれをみれば、前記引出制限の約定は質権設定者たる訴外人と質権者たる被告との間における債権質権の一内容を確認したものにすぎないということができる。

ところで原告は右引出制限約定が、右に述べたように債権質権の一内容を確認したものにすぎない以上、債権質権を以て原告に対抗し得ない被告は、右引出制限約定を以ても原告に対抗できないと主張するが、既に述べた如く質権を以て原告に対抗できないということと、質権の目的たる債権の履行を被告に請求できるか否かということは別個の問題であるから、右引出制限約定が質権の目的たる本件定期預金払戻債権の性質態様に如何なる影響を及ぼすものであるかについて以下按ずるに、

もとより債権質権の目的たる債権の性質態様は、債権者(質権設定者)と債務者(第三債務者)間の契約によつて取極められるものであるところ、前記甲第二号証の二、乙第一号証の四、及び同第二号証の三はいずれも担保差入証という表題でその内容も専ら質権設定者たる訴外人と質権者たる被告との間に結ばれた担保設定に関する約定であることが明らかであるが、本件の場合の如く質権者と第三債務者が同一人である点、担保に供された本件定期預金債権は期間六ケ月の定期預金債権(即ち昭和三二年六月五日を以て期限到来となる)であるにかかわらず、被担保債権の一である掛金債権の最終支払日は昭和三三年二月七日(前記認定のとおり右掛金債務は昭和三一年一二月七日を始として毎月七日限り、一五回分割支払の約束である)であつて、しかも右担保差入証によれば、右掛金債権も含めた一切の債権を完済するまでは

右定期預金を引出さない旨約している点、右定期預金払戻債権が右掛金債権等の担保に供されるに至つた前記認定の事情等を考慮すれば、成程担保差入証の文面からは債権者たる被告と設定者たる訴外人間の契約の如く認められるけれども、同時に第三債務者たる被告と債権者たる右訴外人との間においても、同訴外人は六ケ月間の経過により当然右定期預金を引出し得るものではなく、被担保債権の完済されるまでは右定期預金払戻債権を行使しない旨をも約したものと解するのが相当であり、又当事者の意思にも合意するところである。

原告は本件定期預金債権はその名称及び性質からも明らかなとおり、その弁済期については昭和三二年六月五日という確定期限の約定があり、この確定期限が即ち本件定期預金債権の本来の弁済期であり、これ以外に右定期預金の弁済期はない旨主張するが、それは定期預金払戻債権の通常の場合にそうであるというだけであつて、当事者間の特約により、右確定期限経過後と雖も定期預金払戻債権を或る時期まで行使しない旨約することも、また事情により或る時期まで定期預金証書をその満期毎に書替えて、確定期限を実質的に延期することも可能であり、右にいう「或る時期まで」というのが本件のように「被担保債権の完済される時まで」という場合を包含すると解して差支えないこと勿論である。

本件定期預金債権は成程原告の主張するように支払期日を昭和三二年六月五日と定めた確定期限ある債権であることは当事者間に争いがないところであるが、これは定期に払戻をうけるという定期預金であることの性質上、一応、確定期限を定めたものではあつても、証人岡本和夫の証言によれば、右定期預金債権が前記掛金債権等の担保に供せられ、その完済に至るまでは右確定期限の到来に拘らず右定期預金を引出さない、換言すれば右定期預金払戻債権を行使しない旨の約定に基き、右期限後も依然右定期預金払戻債権を掛金債権等の担保として保有しておく関係上、右期限の到来と共に所定期間毎に利息計算を行いつつ、所謂る書替えによつて右期限を実質的に延期している事実を肯認することができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうだとすると、本件のように定期預金払戻債権に質権が設定された当初より、債権者債務者双方にとつて満期に至れば書替えにより実質的に期限が延期されることが予想されているような場合には、定期預金払戻債権の確定期限は、その支払時期を定めたというよりはむしろ、寄託金に対する据置期間であると同時に利息計算の基準をなす点に意味があるというべきであつて、此の点に関する原告の主張は採用し難い。

だとすると本件定期預金払戻債権は被担保債権が残存する限り、右訴外人はこれが履行を求め得ない立場にあるものというべく、右被担保債権が消滅したことについて何等の主張並びに立証がない本件においては、結局、右訴外人は本件口頭弁論終結当時においてもなお被告に対して右定期預金払戻債権の履行を求め得ないものであること明らかであるから、同訴外人に代つて右定期預金払戻債権の履行を求める原告の本訴請求も失当というべく、被告の此の点に関する主張は理由があるものといわなければならない。

そうだとするとその余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当として棄却を免れず、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 重富純和)

別紙目録<省略>

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