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神戸家庭裁判所姫路支部 昭和51年(少ハ)1号 決定 1976年1月26日

少年 M・T(昭三一・一・八生)

主文

少年を、昭和五一年三月三日から同年六月二日まで、中等少年院に継続して収容する。

理由

(本件申請の理由)

本件申請の理由は、奈良少年院長作成の収容継続申請書記載のとおりであるのでこれを引用するが、その要旨は、「少年は、入院後はその希望にもとづき電気工事士養成所一ヶ年訓練コースに編入され、昭和五一年三月中旬の同所卒業までに電気工事士の資格を取得することはほぼ確実であるところ、現在、保護者たる実父の消息が不明の状況であり、少年の少年院への入院に至る経緯、すなわち、幼いころ、実父母が離婚し、祖母に養育されたり、養護施設に預けられたりするなどし、転退職のあげく、心のよりどころを見失つたまま全国各地を放浪し、刹那的な発散を求めて窃盗事件を繰り返したことに鑑みれば、右養成所卒業式までは院内処遇として右資格を取得させ、出院後は、過去の放浪生活を完全に絶ち切れる見通しの得られるまでのある程度の保護観察期間が必要と思料するので、昭和五一年三月三日より向う三ヶ月間の収容継続を申請する次第である。」というにある。

(当裁判所の判断)

一  一件記録及び調査審判の結果によれば、次の事実が認められる。

一 少年院収容に至る経緯と収容時における少年の問題点

少年は、岡山県下で出生し、まもなく実父母が別居したため約一年間伯父夫婦のもとに預けられ、その後実父が引きとつて、主に祖母の世話を受けながら成長したが、中学三年生になつてから教護施設に収容され、昭和四六年三月三一日に中学を卒業し、倉敷市内の会社で保全工として勤務しながら、訓練校の機械科に通学し、当初は、意欲的であつたが、後には、訓練を怠けたり、生活が派手になつたことなどを理由に、昭和四七年四月二〇日解雇となり、その後、理容師見習(約八ヶ月で辞める。以下同。)左官見習(約一ヶ月)、飯場(約一ヶ月)や実母の再婚先の兵庫県佐用郡○○町で生活したが、いずれもしつくりせず、以後九州、四国、山陰、中国、名古屋地方を転々とし、昭和四八年一〇月初旬東京都八王子市に従兄を尋ねて工員となるもすぐに辞め、同月中旬には同市内のスナックのボーイを、下旬には、キャバレーのボーイをしたが、年令が若いと言うことで辞めさせられ、昭和四八年一一月中旬倉敷市に帰つたが、そこで窃盗事件(計六件、被害見積金額一八万一、一七三円、被害品は現金、靴、鞄、タバコ、サングラス、懐中電灯など)を犯した。

当裁判所は、昭和四八年一二月二六日に、少年を試験観察(補導委託)に付した。委託先においては、少年は、当初、仕事に熱意を持ち真面目に励み、高校進学を希望して、定時制高校に合格し、勤務先の家族とも折合いがよかつたが、従業員との折り合いが悪くなつたためのけ者にされたように感じ、仕事をするのが嫌になつて、昭和四九年三月二一日に至り急に態度を変え、同月二六日に委託先を飛び出した。出奔後は、岐阜県大垣市、名古屋、仙台、青森地方を旅行して、同月三〇日に函館に行き、同地の自衛隊に入隊志願したところ、発覚したため、当裁判所において、昭和四九年四月一五日、再度試験観察(補導委託)となり、前同の委託先に復職したが、同僚の少年と折り合いがうまくいかなくなり、又、委託先の家族が、同僚のみを可愛がると感じたため、同年五月二六日になつて再び無断外出し、名古屋、横浜、東京などで一時働いたりしたが長続きせず、東北方面を旅行している時に、罪の清算をしようと考えて最寄の警察に出頭した。昭和四九年八日七日、当裁判所は、三たび少年を試験観察(補導委託)に付したが、同日夜、委託先を無断外出し、東京、静岡県三島、修善寺、沼津、浜松、広島、下関、岡山、高松、丸亀等を転々としたあげく、窃盗一〇件、同未遂五件、詐欺、有印私文書偽造、同行使罪(総額三七万四、六八二円、被害品は現金、カメラ、ライター、貯金通帳など)を犯した。

昭和五〇年三月三日、当裁判所は、少年を中等少年院に送致する決定をなしたが、その際に指摘された少年の問題点の主なものは、幼時より父母と別離し、一貫した愛情関係を経験していないための社会適応力のなさと自信欠如、生活の場が定まらないという不安定さ、自分の思いどおりに行かないと不安定感、緊張感を持ち、最後は投げやりになる傾向などであり、少年院での処遇の目標は、第一に教官などとの個人的な深い接触のなかで、少年の内的葛藤を発展的建設的方向に向ける、第二に、職業訓練により自信をつけさせる、第三に実父との関係を維持する、ということであつた。

二  少年院における処遇経過及び出院後の保護環境等

少年は、奈良少年院に入院後は、希望により電工科に編入され、通信教育で電気工事士の資格を得るために勉強し、なんとかして独立して生活を立て直さねばならないとの力強い気迫により、作業には若干のむらと焦りがあるものの努力賞を二回受賞するなど好成績を収めて順調に進級した。(入院中の事故としては、昭和五〇年八月七日に、単独処遇を希望し勉強しようとしたが、許可が貰えず、不当な扱いを受けたと感じて感情が昂ぶり、情緒不安定となり、器物破損と自損行為を起こし、謹慎五日減点三点の処分を受け、同月一五日から、九月六日までは、京都医療少年院において精神面の治療を受けたことがある。)

少年が勉学に励んだ結果、昭和五一年二月に電気工事士の最終試験があり、同年三月一五日の卒業式には、右資格取得の予定である。そして、出院後の就職先については、昭和五〇年夏以後、少年の境遇に同情した保護司○野○規が面会、文通等親身になつて接触を保つていたが、同保護司の世話で内定し、少年は右就職と共に、電気関係の勉強をさらに深めるべく、今春大阪府立の工業高校に進学を希望している。

ところで、少年の実父が所在不明ということ(私文書偽造等で指名手配中とのことである。)(又、実母の所在は判明しているも、当裁判所の呼出に出頭せず、少年に対する指導監督の意欲は認められない。)、前記詳述した少年の生育歴や放浪性、あるいは院内における情緒不安定感による事故の点などを考えると、院内での強制力を伴つた規則正しい生活指導の期待できなくなる退院後において、順調に職場や社会に定着できるか否かについてはなお不安が残ると言わざるを得ず、少年自身も不安感を払拭し切れないため、院内で電気工事士の資格を取得したいとの希望と前記○野保護司との接触を積極的に保つていきたいとの気持を有していることが認められる。

二  収容継続の必要性について

以上のような事実を前提に収容継続の必要性について考察するに、少年は院内において積極的に勉学や技能修得に励んだ結果、前記のように一件の事故以外は問題行動はなく、矯正効果はあがつており、少年院における所期の目標は一応達成されたと言え、この点からみれば、収容継続の理由は一応薄弱と言わざるを得ない。

しかしながら、前記したような少年の生育歴、補導委託先における三度にわたる逃走歴、放浪性、気負いや背のびした目標設定とその失敗による挫折感、又、それに基づく自棄的行動、院内での情緒不安定による自損行為などに思いをいたす時、少年に電気工事士の資格を取得させることは、目標達成という満足感や自信を持たせるだけでなく、現実に生活していく上での一助となることから、少年の社会復帰をより順調にすることになると言うべきである。

又、前記したように、少年の情緒の安定についてなお一抹の不安が残り、しかも、少年の父母等保護者が所在不明あるいは監督意欲を喪失していて、少年に肉親の監督者がいない現状の場合には、少年の在院中より親身になつて接触し、激励、指導、助言を与えることのできる信頼関係で結ばれた保護司の存在することは、少年が実社会で直面するであろうさまざまな問題に対して、従前のようにおしつぶされることなく処理していくための有用な保護環境であると考える。

そして、前記資格取得のためには、少年を院内処遇を続ける以外に方法はないとのことであり、その期間も昭和五一年三月三日を同月一五日に延長するという比較的短いものであり、その後の仮退院中の保護観察期間も少年の安定性を維持するためには相当な期間と言うべきであり、院内処遇と保護観察期間との区別も少年院よりの申請で明確であり、少年自身も、右申請の意味を理解した上で右延長を望んでおり、客観的に判断して、少年の右希望が合理性を有する場合には、収容継続を認めるのを相当と考える。

三  結論

以上のとおり、昭和五一年三月三日より同月一五日までは院内処遇を、同月一六日以降同年六月二日までは仮退院中保護観察処遇ということを前提に、同年六月二日までの収容継続を認めることとする。

よつて、少年院法一一条四項、少年審判規則五五条により主文のとおり決定する。

(裁判官 古川博)

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