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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和51年(ワ)523号 判決 1979年7月20日

原告

三好禮子

ほか三名

被告

岩滝孝一

ほか一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告ら)

一  被告らは各自、原告禮子に対し金七八八万七五円、同勢津子、同博和、同奈緒子に対し各金三二四万三三八三円(三二四万六三八三円とあるは後記のとおり誤りと認める。)、およびそれぞれにつき昭和四九年六月一八日から右支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言

(被告ら)

主文同旨

第二当事者の主張

(請求原因)

一  本件交通事故の発生

1 日時 昭和四九年六月一七日午前七時五〇分ころ

2 場所 尼崎市東難波町三丁目七番一号先道路上

3 加害車 普通貨物自動車(神戸四四ふ五七六三号)

4 右運転者 被告和田秀昭

5 被害車 軽四輪自動車(八神戸と八七二七号)

6 右運転者 山田時男(同乗者亡三好明)

7 事故の態様

前記道路を北から南に進行中の山田時男運転(亡三好明同乗)の被害車が交差点手前で停車していたところ、被告和田運転の加害車が右山田運転の車に後続して停車していた他の車に追突し、そのため右後続車が山田運転の車にさらに追突した。

8 受傷と死亡

亡三好明は、右追突により頸部挫傷兼捻挫の傷害を受け、それにより同年八月二日死亡した。

二  責任原因

1 被告岩滝は、加害車を所有して自己のために同車を運行の用に供しているものであるから、自賠法三条に基づく責任がある。

2 被告和田は、進路の前方を注視して進行すべき注意義務があるのにかかわらず、これを怠つて漫然進行した過失により前記の追突をしたものであるから、不法行為に基づく責任がある。

三  損害

1 逸失利益

亡三好明は、本件事故当時四五歳で株式会社浅山商事に勤務し、年収一九五万六五二〇円を得ていたものであり、以後一八年間は就労可能であるので、ホフマン式計算法によりその間の得べかりし収入の現価を求めると二三六二万八八九二円(二四六五万八四一二円であるが、その内金と認める。)となる。そして、同人の生活費は右金額の三割に相当するものとみるべきであるから、これを控除すると、同人の逸失利益は一六五四万二二四円となる。

2 慰藉料

原告らは、亡三好明の収入のみにより生計をたてていたもので、一家の支柱を失つたことにより甚大な精神的苦痛を受けた。諸般の事情によれば、慰藉料額は原告禮子につき五〇〇万円、その余原告らにつき各一五〇万円とするのが相当である。

3 弁護士費用

原告らは、本訴追行を弁護士に委任したが、弁護士費用として相当範囲の額は原告禮子が七〇万円、その余原告らが各二九万円である。

四  原告禮子は亡三好明の妻、その余原告らは同人の子であるが、同人の死亡により、原告禮子は前記逸失利益一六五四万二二四円の三分の一にあたる五五一万三四〇八円、その余原告らはその九分の二にあたる各三六七万五六〇五円(三六七万八六〇五円とあるは計算の誤りと認める。)を相続取得した。

五  そして、原告らの自賠責保険金一〇〇〇万円の支払を受けたので、法定相続分に応じ、原告禮子が三三三万三三三三円、その余原告らが各二二二万二二二二円の損害の填補を受けた。

六  以上の次第で、被告らは各自、原告禮子に対して七八八万七五円、その余原告らに対して各三二四万三三八三円(三二四万六三八三円とあるのは計算の誤りと認める。)、およびそれぞれにつき、本件不法行為日の翌日にあたる昭和四九年六月一八日から右支払ずみまで、民法所定率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(答弁)

一  認否

1 請求原因一の事実のうち、1ないし4は認めるが、5ないし7は争う。加害車が山田時男運転の車に追突し、同車が久保征昌運転の軽四輪自動車に追突したのであり、亡三好明は右久保運転の車の助手席に同乗していたものである。

8のうち、亡三好明が原告主張の日死亡したことは認めるが、右死亡が原告主張の原因によることは否認する。

亡三好明の死因は脳出血によるものであり、同人の死亡と本件事故との間には相当因果関係はない。

2 同二の事実は認める。

3 同三の事実のうち、1、2は知らない。3のうち、原告らが本訴追行を弁護士に委任したことは認めるが、その余は争う。

4 同四の事実のうち、原告らがその主張のように亡三好明の相続人であることは認めるが、その余は争う。

5 同五の事実は認める。

6 同六の事実は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  昭和四九年六月一七日午前七時五〇分ころ、尼崎市東難波町三丁目七番一号先道路上において、被告和田運転の加害車が追突事故を起したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲三号証、乙五号証の一、同号証の四ないし九によると、被告和田は、前記道路を北から南に時速約三〇粁で加害車を運転して進行中、交差点手前で一時停止中の山田時男運転の軽四輪自動車の左後部に自車の右前部を追突させ、その衝撃により右軽四輪自動車を前進させ、同車をその前方に停車中の久保征昌運転(亡三好明同乗)の軽四輪自動車に追突させ、右追突により亡三好明に頸部挫傷の傷害を与えたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  被告岩滝が加害車を所有して自己のために同車を運行の用に供しているもので、同被告に自賠法三条の責任があること、被告和田が進路前方の注視を怠つた過失により前記追突事故を起したもので、同被告に不法行為に基づく責任があることは当事者間に争いがない。

三  次に、亡三好明が昭和四九年八月二日死亡したことは当事者間に争いがないところ、本件事故と右死亡との間の相当因果関係の有無について争いがあるので、以下その点につき判断する。

成立に争いのない甲二、三、五号証、乙一号証、同六ないし八号証、証人中田勝次、同堀正治、同浅山和三部の各供述を総合すると、亡三好明は、本件事故当日の昭和四九年六月一七日尼崎市西難波町所在の昭和病院において、前記追突事故による頸部痛、悪心、嘔気、頸部強直のほか事故当時の意識消失の発作など訴え、同病院脳神経外科堀正治医師によつて頸部挫傷と診断されたが、頭部を打撲した事実はなく、同日から右病院に入院して治療を受け、徐々に軽快しつゝあつたところ、同年八月一日頭痛と共に意識消失し、嘔吐から除脳強直をきたし、翌二日午前零時二分死亡したこと、そして、翌三日大阪医科大学中田勝次医師による解剖の結果、亡三好明の死因は脳出血によるものと診断され、脳橋部のほゞ中央に出血があり、直径約二・五センチメートルの出血塊が存してこれが左三叉神経起始部の内側から腹側面に破れていたこと、亡三好明は、本件事故以前にも昭和四四年五月一二日追突事故による鞭打ち症のため昭和病院で診断を受け、同日から同年一〇月二日まで同病院に入院し、同年一〇月三日から昭和四五年三月三一日まで同病院に通院したが、もともと高血圧の傾向があり、右入通院の間には血圧の変動が著しく、正常血圧の基準値より高く一七〇―一二〇(mmHg、以下同じ。)、一六〇―一一〇など示すこともあつたが、本件事故後の入院期間中も前同様であつて一五〇―一〇〇より高い血圧が数度にわたつて測定されていること、亡三好明の前記解剖結果によつても、冠動脈内膜の線維性肥厚、心肥大、細動脈の内膜肥厚等の動脈硬化・高血圧に関連ある所見が存すること、以上の事実を認めることができる。

右認定事実によると、亡三好明の死因は脳出血であり、同人の高血圧症に基づく体質的要素がその主因をなしたものであり、本件事故による頸部挫傷の事実が脳出血による死亡の結果を招来したとの関係につき、これを肯定するに足りるものはない。

もつとも、成立に争いのない乙二ないし三号証によると、堀正治医師は、脳出血は脳底動脈領域に高血圧症または動脈硬化性変化のため血管壁の脆弱部があり、頸部捻挫により椎骨動脈からそれにつながる脳底動脈附近の循環動態に何らかの変化が生じて脳幹の出血を惹起したものと想像される旨記載しているが、前記乙号各証の記載のほか証人堀正治の供述によると、堀医師の右意見は、推測ないしは想像の域を出でないものであり、これを裏づける患部の所見はなく、またこれを証明することもできないものであることが認められるから、およそ蓋然性の高いものということはできず、採用するに値しない。また、前記認定に反する証人浅山和三部、原告三好禮子本人の各供述はいずれも措信することができない。

そうすると、亡三好明の本件事故による受傷とその死亡との間には相当因果関係はないものというべきである。

四  原告ら主張にかかる各損害がいずれも亡三好明の死亡を前提とすることはその主張自体に徴して明かであるところ、同人の死亡の結果生じた右各損害は本件事故との間に相当因果関係がないこと前述のとおりであり、他に右各損害についてこれを認容すべき余地もないから、右の点において原告らの本訴請求は理由がないものといわなければならない。

五  以上の理由により、原告らの本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訟訴費用の負担につき民訴法九三条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 奥輝雄)

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