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神戸地方裁判所姫路支部 昭和32年(わ)392号 判決 1958年9月27日

被告人 川本倉蔵

主文

被告人を懲役四月に処する。

但しこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

押収してある角形印一個(証第一号)はこれを没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

罪となる事実

被告人はその二女まさ子の婿である川本義秋(大正十一年生)に対し、資金を融通し、兵庫県神崎郡神崎町東柏尾において同人に精麦業を営ませていたものであるが、右義秋が昭和三十一年一月五日妻子を捨てて家出し、家庭を顧みず、更に被告人が資金を調達して購入させ、義秋名義となつていた自動三輪車をも売却処分せんとする形勢にあつたのでこれを防止するため、右自動三輪車の登録名義を被告人名義に変更しようと考え、先づその手続上必要な義秋名義の印鑑証明書を入手すべく、昭和三十一年二月二十八日、かねて保管中の義秋の印判(角形印)を携え、神崎郡神崎町役場に赴き、義秋名義の印鑑証明書の交付を求めたところ、同所係員宮本幹夫より、被告人の持参した右印鑑は昭和三十年九月十日義秋の届出により改印(楕円形印)せられている旨聞知するや、所携の角形印に改印の届出をしてその印鑑証明書の交付を受けようと企て、即時同所において、行使の目的をもつて、同役場備付の同町長宛の改印届用紙に擅にインクを用い所要事項を記入した上その届人欄に川本義秋と冒書し、その名下及び印鑑押捺欄に所携の角形印を押捺し、もつて川本義秋名義の「従来使用中の印鑑を紛失したるにより改印する」旨の私文書一通を、更に同様備付の同町長宛の委任状用紙に擅にインクを用い所要事項を記入した上その届出人欄に川本義秋と冒書しその名下に前記角形印を押捺し、もつて川本義秋名義の「神崎町役場に出向き私使用の改印届、印鑑証明を受くることを川本倉蔵に委任する」旨の委任状一通をそれぞれ偽造し、これを恰かも真正な文書の如く装つて前記係員宮本幹夫に一括して提出行使したものである。

証拠(略)

弁護人の主張に対する判断

弁護人は

(一)  川本義秋は昭和二十七年八月十八日被告人方にあり合わせの本件角形印(証第一号)を自己の実印として印鑑の届出をなし、以後この実印を被告人に預け、何に使つてもよいとその使用権限の一切を被告人に委任していたものである。ところが義秋は昭和三十年九月十日右印鑑を紛失したとして、円形印に改印の届出をしたのであるが被告人には何等その事を知らせていなかつたので、被告人は依然自己の保管する角形印が義秋の実印なりと信じていた。そして昭和三十一年二月二十八日本件自動三輪車の名義書替手続上義秋の印鑑証明書が必要であつたので、その証明を求めるため神崎町役場に赴きその請求手続をしたところ、意外にも義秋が前記の如き改印の手続を採つていることを知つた。しかし被告人としては義秋の元の実印(角形印)は紛失することなく依然自分が保管していることであるし、既にこの実印につきその使用の一切を委されている以上再びこの実印(角形印)に改印することは当然その権限行為として許されるものと信じ本件の改印届をしたものであつて、またかく信ずるにつき正当な理由があつたと認めるべきであるから、被告人の本件所為は罪とならない旨主張するから、この点について考察するに、被告人と川本義秋が実質上の婿養子(但し戸籍上の養親子関係はない)関係にあり、被告人が義秋の実印を預かり何に使つてもよいとその使用権限の一切を託され、しかもその実印が後日義秋により改印の手続が執られながら義秋より何等その通知がなされていなかつたとしても、被告人は前記の如く神崎町役場に赴きその保管中の角形印をもつて義秋の印鑑証明書を取ろうとした際役場係員から義秋の実印は既に楕円形印に改印の手続がなされていることを知らされたのであるから、このとき義秋においては楕円形印に改印の届をした昭和三十年九月十日以後は従前届出の角形印は自己の印鑑としてこれを認めない意思であることを十分に窺知し得たものといわなければならない。若し被告人がこのことを意識しなかつたとしても、それは相当性を欠くものと認めなければならない。なお義秋が前記改印の理由とした「紛失」なる事実が真実に反するものであり従前の印鑑が依然被告人の手許に保管されていた点も、被告人の本件所為を正当化する理由とならない。即ち義秋において真実従前の印鑑を紛失した故に改印の手続を執ろうとするものであるならば、その印鑑を託していた被告人に紛失の有無を十分に確かめ、改印すべきことを被告人に諮つたうえで、その手続を執り、更にその改印後の実印を被告人に託すべき筋合である。しかるにそのことなくして、義秋が秘かに改印の手続を執り、改印後の実印を被告人に預託しなかつたのは、とりもなおさず、実印を被告人に預けておくことに都合の悪い事情があつたため実印は自己において保管しようとした行為に外ならない。従つて義秋が従来届出の角形印を改印の上その実印を被告人に預けることなく自己において保管した事実は、かねて被告人に預けその使用権限を委かせていた右角形印に対する法律関係の一切を解除する意思の表現行為とみるべきであり、このことは被告人において右改印の事実を知つた本件行為当時容易に窺知し得たものといわなければならない。

(二)  本件の自動三輪車は被告人が義秋の連帯保証人となり、自己所有の山林を担保に但陽信用金庫粟賀支店から金借し、その資金をもつて購入し、これを義秋名義に登録し、精麦業に使用させていたものであつて、実体上の所有権者は被告人であるから、被告人においてその登録名義を自己名義に変更することは当然の権利行為であつて義秋において反対すべき理由なく、また従つてその手続上必要な改印の届をすることも、義秋は当然に承認するものと予想していたものである。そして被告人がこのように信じたことには相当性があるから被告人の本件所為は罪とならない旨主張するから考察するに、仮に本件の自動三輪車が被告人の所有であり、その登録名義を変更すべき必要があつたとしても、その故に義秋の届出印鑑を擅に改印することが当然に許さるべきものでないことは多くの説明を要しないところである。(よつて本件自動三輪車の所有権の帰属についてはその判断を省略する)被告人は義秋において、この手続を当然に承認するものと予想していた旨主張するけれども、判示証拠によれば、義秋としては、本件自動三輪車の購入資金が被告人の力により調達できたといえ、借入金の主債務者は自分であり、一応自分が但陽信用金庫から資金を借用してその購入代金に充てた形となつており、登録名義も自分名義となつている点、精麦業も被告人から資金の調達を受けたとはいえ自己の独立計算において経営していた等の点(被告人の当公判廷における供述によると義秋の右負債は義秋の債務としてそのままにしてあるのである)からして、自己の所有であることを主張しないとは限らぬ事情にあつた(現に義秋は右自動三輪車を自己の所有物件として石橋義清に売却したのである)と認められるから、被告人において義秋に何等諮ることなく一方的にその登録名義を被告人名義に変更すること、しかもそのため擅に義秋名義の改印届をしその印鑑及び印鑑証明書を使用して右の手続をすることを、義秋が何等の異議を留めず当然に承認するものとはたやすく推認しがたいところである。従つて仮に被告人が右の如く信じたとしても、右のような事情のもとにあつては、かく信じたことにつき相当性があるものとは認め難い。

(三)  本件自動三輪車の購入経緯は上記のとおりであるが、(仮にその所有権が義秋にあるとしても)義秋は昭和三十一年一月五日妻子を捨てて家出をし、その際妻まさ子(被告人の二女)に対し「精麦所の方は一切父(被告人)に任かせる」と言つて出たのであるから、義秋は本件自動三輪車を含む右精麦事業に関する一切の経営管理権を被告人に委任したものである。そして義秋の家出後は被告人において人を雇い右精麦業の経営を継続していたところ、昭和三十一年二月に自動車損害賠償保障法が全面実施となり、右自動三輪車も右損害賠償責任保険に加入しなければならないこととなつたのであるが、所在不明の義秋名義のままでは具合が悪いと考え、その登録名義を被告人名義とするため、かねて使用を任かされていた義秋の実印(角形印)を使用してその印鑑証明書の交付を受け、昭和三十一年三月二日自己名義に登録替をすると共に前記保険に加入したものである以上のとおり被告人は本件自動三輪車を他に売却処分するためその登録名義を変更したものではなくて、いわゆる不在者の財産管理行為として行つたものであるから、その手続上必要な改印届についても、義秋において当然承認するものと予想していたものであり、被告人がこのように信じたことには相当性がある旨主張するから検討するに、前掲宮本幹夫の検察官に対する供述調書、石橋義清の司法巡査に対する供述調書の各記載及び証人川本義秋同橋本新太郎の各証言を綜すると、川本義秋は家出後の昭和三十一年二月二十二、三日頃から三月中頃までの間神崎町寺野にある実弟石橋義清方に一時帰省し、親戚の者と同人の今後の問題につき協議し、被告人に対しても親戚の者がその交渉をしたのであるが被告人においてこれを受けつけなかつたこと、義秋は同年二月二十七日本件の自動三輪車を右石橋義清に売却し、この売買を仲介した橋本郁太郎において、翌二十八日午前中に被告人にその旨伝えたことが、それぞれ認められ、以上の事実と、被告人がその二十八日(宮本幹夫の検察官調書によると多分午前中)に本件の改印手続をなし、大阪陸運局神戸事務所に対する登録名義書替手続も自らわざわざ関係書類を持参して三月二日に取急ぎその手続をとつている事実とを対比すると、被告人は当時義秋が神崎町に帰つておることを知り、同人がその名義となつておる本件の自動三輪車を処分する虞のあることを察知し、被告人の手裡にこれを保全するため、急ぎ右名義書替の手続に出たものであることが窺われるから、その主張の如く単に自動車の損害賠償責任保険に加入する必要のみの理由から前記の名義書替手続に及んだものとは認め難い従つて右行為を目して、不在者の財産管理行為(即ち義秋のためにする財産の保全又は改良行為)とみることはできない。

(四)  被告人において、仮に本件自動三輪車を他に売却する等処分の目的があつたとしても、義秋は家出の際その処分の一切を被告人に任かせ黙示的にこれを承認していたものである旨主張するけれども、右事実は証人川本義秋同川本まさ子の証言に照し、これを認めることができない。

よつて弁護人の右各主張は採用することができない。

法令の適用

被告人の判示所為中私文書偽造の点は各刑法第百五十九条第一項に、同偽造文書の一括行使の点は刑法第百六十一条第一項第百五十九条第一項同法第五十四条第一項前段に各該当し、右私文書の偽造と同行使は手段結果の関係にあるから同法第五十四条第一項後段第十条により重い偽造私文書行使罪の刑に従い、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により刑法第二十五条を適用し一年間右刑の執行を猶予し、刑法第十九条第一項第二号第二項により主文第三項の通り押収物の処分を定め、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により主文第四項の通り訴訟費用の負担を定める。

一部無罪の判断

本件公訴事実によると、被告人は判示認定の各私文書を偽造行使し、よつて公務員に対し虚偽の申立を為し、公正証書である印鑑原本(印鑑簿)にその旨不実の記載を為さしめ、即時これを同役場に備えつけしめて、これを行使したものである、というにあるから考究するに、被告人が右の如く川本義秋名義の改印届を偽造行使して神崎町役場吏員に虚偽の申立を為し、情を知らない同吏員をして印鑑原本(印鑑原簿)その旨不実の登載を為さしめ、これを同役場に備えつけしめて行使したことは、判示の証拠に照し明かなところであるけれども、市町村役場に備付の印鑑簿は市町村長が届出に係る印鑑を所定の簿冊(印鑑簿)に登載して保管し届出人がその印鑑につき証明を求める場合、証明を求める印鑑と印鑑簿に登載の印鑑とが相違ないことを証明し、もつて印鑑の真正を公証しようとするものであるから、一種の公証制度であることは疑いのないところであるけれども、しかし印鑑簿は右のとおり専ら事実証明に関する公簿であつて、権利義務に関する公正証書ではないと解すべきであるから、被告人が右の如く虚偽の申立をして印鑑簿に不実の記載をなさしめ、これを同役場に備えつけさせた行為は刑法第百五十七条第一項及び同法第百五十八条に該当せず、従つて被告人の右所為は罪とならないものと認めるべきであるが、右は判示認定の私文書(改印届)偽造同行使と手段結果の関係に立つものとして起訴せられたものと認め、主文において特に無罪の言渡をしない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 原田久太郎)

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