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神戸地方裁判所 昭和50年(行ウ)23号 判決 1979年6月01日

原告 李純司

被告 法務大臣 ほか一名

代理人 坂本由起子 宮本善介 石田赳 山野義勝 ほか二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一  原告は、韓国国籍を有する者であつて、一六才の頃、本邦へ入国し、一八才の頃一旦帰国して一月余韓国に滞在した後、再び本邦に入国していたものであるが、昭和四三年八月一日頃長崎市長崎港から韓国へ向け不法に出国し、再び同月一一日午前零時頃岡山県児島群東児町大字胸上地内海岸に上陸して本邦に不法に入国したという出入国管理令二四条一号該当の容疑で、神戸入管入国警備官の違反調査を受け、右違反事件を引継いだ神戸入管入国審査官が、昭和五〇年二月一八日、審査の結果原告が出入国管理令二四条一号に該当すると認定したので、同日、口頭審理を請求したところ、神戸入管特別審理官が、同年三月七日、口頭審理の結果、右認定に誤りがないと判定したので、同日法務大臣に対し異議の申立をしたが、被告法務大臣が、同年四月三〇日、右異議の申立は理由がないとして棄却する裁決をし、これを被告神戸入管主任審査官に通知し、被告神戸入管主任審査官が、神戸刑務所の長を通じて、服役中の原告にその旨を告知し、同年五月一二日、原告に対し、退去強制令書を発付したことは当事者間に争いがない。

二  原告は、原告には出入国管理令二四条一号に該当する事実はないし、仮に右条項に該当する事実があつたとしても、原告は特別法一条二項に基づき本邦で永住を許可されているので、原告には出入国管理令二四条一号の適用がないのにかかわらず、同条項に該当するとしてなされた被告法務大臣のした裁決は、事実の認定及び法令の適用を誤つた違法があるから取り消されるべきでありまた被告主任審査官のした退去強制令書の発付処分は、裁決の違法を承継するものであるから裁決とともに取り消されるべきであると主張する。

しかしながら、出入国管理令四七条ないし四九条によれば、法務大臣が異議の申立を理由がないとして棄却する裁決は、特別審理官によつて誤りがないと判定されたことによつて維持された入国審査官の認定を原処分として、その当否を審査し、これを維持する処分であると解するのが相当であるところ、法務大臣の右裁決のうち、入国審査官の認定の当否の判断を争う部分については、原処分の違法を理由として、その取消を求めることは許されないというべきである(行政事件訴訟法一〇条二項参照)。

ところで原告の主張する違法事由は、結局、入国審査官が原告には出入国管理令二四条一号に該当する事由があると認定した処分についての違法事由に他ならず、本件裁決及び本件退去強制令書発付処分について原処分と異なる別個の違法事由をいうものではないから、原告の右主張は許されないものといわなければならない。

ところで法務大臣が異議の申立を理由がないとして棄却する裁決の性質は前述したところであるが、右裁決は、同時に法務大臣が出入国管理令五〇条による特在許可をしない旨の処分でもあると解すべきであるから、右特在許可をしなかつた法務大臣の判断に違法があるときは、右事由をもつて、法務大臣が異議の申立を理由がないとして棄却した裁決自体が違法であるとして、その取消を求め得ると解すのが相当である。そして、出入国管理令五〇条により法務大臣がなす特在許可は、退去強制事由がある者に対して例外的に付与される恩恵的な措置であつて、出入国管理令は、法務大臣に対し、右特在許可を与えるか否かについて諸般の事情を考慮して決定しうる広範な自由裁量権を許容していると解すべきであるから、法務大臣が特在許可を与えなかつたことが著しく人道に反し、正義にもとる等の場合に限つて、その裁量権の範囲を逸脱し、濫用したものとして、法務大臣のした裁決を違法として取り消しうるというべきである。

被告らは、法務大臣の右裁決は、入国審査官が出入国管理令二四条各号の一に該当すると認定し、特別審理官がその認定に誤りがないと判定したことについて、その判定に誤りがないかを判断したものであり、特在許可を与えるか否かの判断は、これとは全く関係のない別個独立の処分であると主張する。しかしながら、出入国管理令五〇条三項は、同令二四条各号の一に該当するので、異議の申立は理由がないとの判断をしたうえで、更に特在許可を与えるという体裁をとつておらず、特在許可を異議の申立は理由がある旨の裁決とみなす旨規定していることからすれば、法務大臣が異議の申立を理由がないとして棄却する裁決をなす場合には、特在許可を与えることはあり得ないということができ、結局、異議の申立を理由がないとする旨の裁決は、同時に特在許可を与えない旨の処分としての性質をも具有するというべきである。被告らの主張するように、両者は、全く別個独立の処分であるとはいいがたいと考える。

以上のとおりであるから、本件について、原告に対して特在許可をしなかつた被告法務大臣の判断に違法があるか否かについて以下判断する。

三  原告の生いたち、経歴、家族関係について

請求原因2の(一)のうち、原告に対する退去強制手続が出入国管理令二四条一号該当を理由に進められたこと、原告はその主張の協定永住許可を受けたこと、原告主張の判決を受けたこと、同2の(二)の(1)のうち、原告の出生、朴順玉との婚姻、李栄三の出生についての事実が原告主張のとおりであること、同2の(二)の(2)のうち、朴順玉が昭和一四年五月一五日大阪で生まれ、神戸市立西代中学を卒業したこと、朴順玉が昭和三五年一一月、原告と内縁関係に入り、昭和三六年九月李栄三を出生したこと、その後、須麿赤十字病院及び国立神戸療養所に入院したこと、退院の後、東京に住所を移したこと、朴順玉につき昭和四二年一月三〇日付で、李栄三につき同年三月二日付で協定永住許可がなされていること、同2の(二)の(3)のうち、原告が、その主張の罪を犯して懲役一年六月に処せられたこと、同2の(二)の(4)のうち、昭和五〇年五月二六日刑期満了により神戸刑務所を出所し、同日退去強制令書の執行を受けて大村入国者収容所に収容されたことは当事者間に争いがなく、また、被告ら主張1(但し、同1の(二)の認定事実の存在については除く)も当事者間に争いがない。そして、以上の当事者間に争いがない事実に、<証拠略>を総合すれば次の事実が認められる。

原告は、大正一二年一〇月一八日、韓国済州道北済州群朝天面咸徳里一一七五において、韓国人父李殷度、同母李己玉の長男として出生し、韓国国籍を有する。原告の父は、原告が三才の頃死亡し、母は再婚したため、本籍地で尋常小学校を卒業後、一六才の頃に大阪市に居住していた父の弟李京度を頼つて来日し、一八才の頃に一旦帰国して韓秋蓮と婚姻し、約一ヵ月の結婚生活を送つた後、単身で再び来日して、昭和一九年金秋子と婚姻し、李光子をもうけて二年間の結婚生活の後別居、離婚をしたが、終戦後李光子は原告の母が引取つて韓国へ連れて帰つた。原告は昭和三五年一一月朴順玉と内縁関係に入り、昭和三六年九月李栄三が出生し、昭和四六年二月三日婚姻を届出ている。原告は来日後は、大阪、神戸において、工員船内清掃夫として働き、昭和四一年頃から神戸市長田区松野通に居住し、プレス工として稼働していたが、仮放免後現在は、ケミカルシユーズの販売店を朴順玉と二人で経営している。この間に、原告は、昭和二〇年二月二〇日、大阪区裁判所で国家総動員法違反により罰金一万五、〇〇〇円に、昭和二三年六月二四日、岡山地方裁判所で窃盗により懲役八月、三年間執行猶予に、昭和二六年一一月一七日、大阪高等裁判所で強盗により懲役七年に、昭和三三年五月一六日、神戸簡易裁判所で港則法違反により罰金三、〇〇〇円に、昭和三五年三月二三日神戸簡易裁判所で外国人登録法違反により罰金三、〇〇〇円に、同年一〇月二九日大阪地方裁判所で窃盗、業務上横領により懲役四年に、昭和四三年六月七日神戸簡易裁判所で道路交通法違反で罰金三、〇〇〇円に、昭和四四年六月一一日、神戸簡易裁判所で道路交通法違反により罰金八、〇〇〇円に、昭和四五年二月二四日、神戸地方裁判所で、窃盗、関税法違反、出入国管理令違反、同幇助により懲役一年六月に処せられ(昭和四七年四月一五日確定)た。

右の出入国管理令違反、同幇助の犯罪事実は、

1  原告は有効な旅券もなく、乗員でもないのに、本邦外の地域である韓国へ出国する目的をもつて、昭和四三年八月一日頃、長崎市長崎港から漁船魚生丸(約七・四屯)に乗船して韓国向け出港し、もつて不法に本邦から出国し、

2  李萬寿らと共に、韓国から本邦へ密入国者を運搬して利益を得ようと企て共謀のうえ、昭和四三年八月上旬頃、韓国において漁船魚生丸(約七・四屯)に有効な旅券または乗員手帳を所持しない韓国人康申生等二九名を積込み、同月一一日午前零時頃、岡山県児島群東児町大字胸上地内海岸まで運び上陸させ、もつて、同人等の密入国を幇助したというものである。

原告は右の罪を真実犯したものであるが、それは、本件犯罪の首謀者である李萬寿から、当初、長崎で船を買い入れたのでそれを大阪へ廻送するからという口実で機関長として船に乗つてくれるように依頼されて、これを承諾したが、その後、李萬寿から、長崎で韓国から密行者を運ぶ計画を一部打ち明けられ協力を求められたので、一旦はこれを拒絶したものの、承諾して実行すれば金一二〇万円を渡すという条件で、最終的には、これを承諾し、李萬寿と共に韓国に行き、韓国から密行者を日本へ運ぶことを決意して、昭和四三年八月一日長崎市長崎港を出港するに至り、当初の計画どおり韓国の釜山に上陸し、同月六日頃密行者二九名を魚生丸に乗船させ、同所を出発して、同月一一日午前零時頃岡山県児島群東児町大字胸上地内海岸まで運び同所に上陸させるに至つたものである。その後、原告は李萬寿から金五〇万円を報酬として受け取つた。その後、ほどなく、原告は、右犯罪事実により逮捕され、裁判を受けるに至つたものであるが、前記のとおり、神戸地方裁判所で懲役一年六月の判決を受け、最高裁判所まで上告して争つたが、最高裁判所で上告棄却の判決を受けるや、保釈の身であることを利用して刑の執行を免れるために逃亡し、逃亡中は東京で、プレス工をしていたが、昭和四八年一二月二五日収監されて刑の執行を受けた。一方、前記一の経緯で、昭和五〇年五月一二日、被告主任審査官は原告に対し、退去強制令書を発付して、同月二六日、原告が神戸刑務所を満期出所したので同日退去強制令書を執行して大村入国者収容所に収容し、昭和五二年八月二一日、原告の病気を理由に仮放免して現在に至つている。

原告は、朴順玉と婚姻後、本件各処分がなされるまでの一四年余りの間に五年六月に亘り刑務所で服役していたが、更に、その後、二年三月に亘り大村収容所に収容されており、それ以外の期間も逃亡等のため妻子らと離れて生活しており、その間の妻子の生活は、朴順玉の兄等の援助により維持されていた。朴順玉は昭和一四年五月一五日大阪で生まれ、神戸市立西代中学校を卒業の後、昭和三五年一一月原告と内縁関係に入り、昭和三六年九月李栄三が出生したが、その後、健康を害し、昭和三八年頃肺結核により、約七年間、自宅療養、須麿赤十字病院国立神戸療養所等に入院し、手術を受ける等の闘病生活を続けており、昭和四一年一〇月に原告が徳島刑務所から出所してきたときも入院中であつた。原告は韓国語に通じているが、朴順玉は韓国語には聞取りや簡単な日常会話程度が可能であるにすぎず、李栄三も聞取りが少しできる程度である。朴順玉は昭和四二年一月三〇日、李栄三は同年三月二日、いずれも協定永住許可がなされている。そして、原告が大村入国者収容所入所中、原告と妻の朴順玉との間で離婚の話がもちあがつたものの、仮放免後、原告は妻子と共に三人で円満な家庭生活を送つており、現在の住居の近所でケミカルシユーズの販売店を妻と二人で経営している。なお、韓国には、原告の親族として、母李己玉、姉李玉熙、長女李光子がいる筈であるが、いずれも所在がわからず、韓国に原告の資産はない。

以上の事実が認められ、<証拠略>中、右認定に反し、原告が韓国へ行く意思もなく、また、実際に行つてもいない旨の供述部分は前掲各証拠に照らし採用できない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

四  裁量権の逸脱濫用の有無について

原告に対する協定永住許可は、昭和四三年八月一日頃、再入国許可を受けずに本邦から出国した時点で消滅し、その後出入国管理令三条の規定に違反して本邦に入国すれば出入国管理令二四条一号に該当するというべきではあるが、法務大臣の特在許可の許否の判断にあたつては、「多年の間日本国に居住している大韓民国国民が日本国の社会と特別な関係を有するに至つていることを考慮し」て、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれ、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」が制定されるに至つた歴史的背景、及び、原告が協定永住許可を与えられた事実を軽視することはできないというべきである。

しかしながら、原告は前科を九犯も重ね、そのうちには強盗により懲役七年、窃盗及び業務上横領により懲役四年、窃盗、関税法違反、出入国管理令違反、同幇助により懲役一年六月に処せられる等の悪質な犯歴が含まれており、今回の出入国管理令違反幇助の罪については、韓国から二九名にものぼる多数の韓国人を不法に本邦に入国させたもので、これら不法入国者に対し検疫も受けず、出入国管理令五条の上陸拒否事由の審査も受けずに上陸させるという状況を作り出したものであるから、我国の出入国管理体制を乱し、我国の治安上、保健上の見地から極めて重大な影響を及ぼしたものであるといわなければならない。そして、協定永住許可を受けている者に対する退去強制事由を定めている特別法六条一項各号が、無期または七年をこえる懲役、禁錮に処せられるという悪質な犯罪を犯した者や、内乱罪、営利目的の麻薬取締法違反等の治安上、保健上の見地から我国の存立に影響を与える者を退去強制させる旨定めていることに照らしあわせて考慮しても、原告の犯した罪は重大で、決して特在許可を与えるのに支障とならないような軽微なものということはできないというべきである。しかも、原告は出入国管理令違反、同幇助の罪を終始否認し、改悛の情が窺われないばかりか、今回の判決が確定するや、その刑の執行を免れるため逃亡する等、到底善良な市民としての生活を送つているとはいいがたい。

更に、原告には、協定永住許可を受けた妻子があるが、朴順玉と婚姻後本件各処分を受けるまでの一四年余の間に、五年六月服役し、その余の期間も原告の逃亡、別居、朴順玉の長期に亘る入院等により、妻子と共に同居して平穏な家庭生活を送る期間は少なく、妻子の生活は朴順玉の兄達の援助によつて維持されていたのであるから、原告が退去強制されても妻子の生活に支障をきたすとはいいがたいし、また、原告は一六才までは韓国におり、韓国語を話せるうえ、韓国には音信不通とはいえ、母や姉や子供等の近親者がいるわけであるから、韓国における生活ができないわけではない。そして、妻子が韓国に帰れば家族が一緒に生活することもできるし、本邦にとどまつたとしても、原告が再び本邦に入国することも可能であり、妻子が韓国と本邦との間を出入国することもできるわけであるから、従来の原告一家の別居がちな生活状況を考慮すれば、原告を退去強制することにより、夫婦、親子関係を分断し、人道に反する結果を招来するものとは認めがたい。のみならず、かかる状況はそもそも、原告の浅はかな犯罪行為により自ら惹起したというべきであり、原告においてもかかる状況を当然予見し得た筈であるから、原告においてこれを甘受しなければならないとしても、やむをえない筋合のものである。

したがつて、原告の犯した罪が極めて悪質重大で、これを看過しがたく、また、原告の従来の生活状況、家族との生活状況等が前記認定したとおりである以上、原告がかつて協定永住許可を受けていたことを考慮に入れても、被告法務大臣が原告に対して特在許可を与えなかつたことが、人道に反し、正義にもとる結果を招来するということはできず、被告法務大臣においてその自由裁量権を逸脱濫用した違法があるということはできない。

五、結論

してみると、被告法務大臣のした裁決には裁量権を逸脱濫用した違法があるということはできないのであるから、被告主任審査官のした退去強制令書発付処分もまた取り消すべき違法はないというべきである。

よつて、被告法務大臣が原告に対してなした本件裁決および被告主任審査官が原告に対してなした本件退去強制令書発付処分の各取消を求める原告の本訴各請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九号を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 阪井いく朗 谷口彰 上原理子)

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