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神戸地方裁判所 昭和43年(ワ)994号 判決 1972年2月23日

原告 富士川汽船株式会社

右代表者代表取締役 金谷広次

右訴訟代理人弁護士 佐藤恭也

同 赤木文生

被告 大正海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 村瀬逸三

右訴訟代理人弁護士 山道昭彦

同 魚野貴美夫

右訴訟復代理人弁護士 二宮征二郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(一)  当事者の申立

(1)  原告

「被告は原告に対し金三、五〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年九月一五日から支払済まで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(2)  被告

「主文第一、二項と同旨」の判決を求める。

(二)  当事者の主張

(1)  被告の請求原因事実

(イ)  原告は海運業者であり、被告は損害保険業者であるところ、原告は昭和四〇年五月三日被告との間において、原告所有の貨物船富士川丸(一九六〇年建造、鋼製汽船、総トン数三九〇・三三トン)(以下本船という)について、保険契約者・被保険者を原告、保険者を被告、保険期間を昭和四〇年五月三日正午から昭和四一年五月三日正午までの間、填補すべき損害の範囲を全損・救助費・共同海損・単独海損および四分の四衝突損害賠償金、保険価額および保険金額をいずれも金三五〇〇万円とする旨の海上保険契約を締結した。

(ロ)  本船は昭和四〇年九月一五日午前二時頃伊勢湾入口の伊良湖水道を航行中、同水道の神島附近において座礁し、そのため沈没し、現在に至るまで、その所在が不明である(以下本件事故という)。本件事故は前記保険期間内の保険事故に該当するところ、原告は本件事故により、本船について全損をきたした。

(ハ)  よって、原告は被告に対し、前記海上保険契約に基づく保険金三五〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年九月一五日から支払済まで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(2)  被告の答弁(抗弁を含む)

(イ)  原告主張の右事実はすべて認める。

(ロ)  ところで、原告主張の海上保険契約は船舶保険普通保険約款をもその内容とするものであるところ、同約款第四条第一号として、『船舶が発航(寄航地からの発航を含む)の当時、安全に航海を行うに必要な準備をせず、若しくは必要な書類を備えず、又は必要な官庁の検査を受けることを怠ったとき』には、被告は『その時以后に生じた損害を填補する責に任じない』旨の条項がある。そして、同条項中の『安全に航海を行うに必要な準備を』としては、船体およびその設備品に異常がなく、当該航海を安全に行うに充分堪え得ることのみならず、関係法規所定の資格および能力を有する乗組員が乗船し、且つその員数においても不足のないことが要求されるものである。そして、船舶職員法第一八条、同法別表第一によれば、本船にはそれぞれ法定の資格を有する船長・一等航海士・機関長・一等機関士の海技従事者が乗り組まなければならないことになっている。しかるに、本船の船長藤田修治(以下藤田船長という)が和歌山県御坊市の港外で下船したため、本船が昭和四〇年九月一四日同港外を発航するとき、本船に乗り組んでいたのは、一等機関士である丙種機関士の免状を有する万谷昭八、海技免状を何ら有していないにも拘らず船長に代って本船の運航の指揮をとっていた甲板長長野雪雄(以下長野という)および甲板員・機関員各一名の合計四名のみであった。右のように法定乗組員の四分の三に欠員が生じている状態は、本船の航行の安全を図ることが到底困難な状態であったにも拘らず、本船は前記御坊港外を発航したのである。従って、本件事故は本船がいわゆる堪航能力をその人的要素の面において欠いていた(以下このような場合を人的不堪航という)にも拘らず、発航した後の事故であることになるので、前記約款第四条第一号所定の場合に該当し、被告は同約款により、本件事故による原告の損害についての填補義務を免責されるべきである。

(ハ)  前記御坊港が船舶保険普通保険約款第四条第一号所定の寄港地に該当しないとしても、本船の機関長である乙種二等機関士藤田強が福岡県大牟田港で下船したことにより、本船が大牟田港を発航した際、既に前記(ロ)掲記の法定乗組員の二分の一に欠員を生じていたのであるから、人的不堪航の状態になっていた。従って、前記(ロ)と同様、右免責約款により、被告は保険金支払義務を免責されるべきである。

(ニ)  本件訴訟における請求額金三五〇〇万円の内金二〇〇〇万円については、昭和四四年九月一七日になって請求するに至ったものであるから、商法第六六三条所定の二年の消滅時効が完成している。よって、被告は本訴において右消滅時効を援用する。

(3)  被告の右抗弁(ロ)ないし(ニ)に対する原告の答弁(再抗弁を含む)

(イ)  被告主張の抗弁(ロ)の事実のうち、被告主張のとおりの免責約款の条項が存在すること、藤田船長が御坊港外で下船したこと、本件事故当時の本船には四名の乗組員のみで、船舶職員法所定の海技従事者のうちの四分の三が乗り組んでいなかったこと、長野が本船の運航指揮をとっていたことは、いずれも認めるが、その余の事実は争う。抗弁(ハ)のうち、本船が人的不堪航の状態であったことは争う。抗弁(ニ)の事実は認める。

本船が御坊港に立ち寄ったのは、藤田船長が下船するためだけあって、一時的なものであり、被告主張の約款所定の寄港地には該当しない。なお、藤田船長が御坊港で下船したのは、裁判所からの同人に対する呼出に応ずるためであったのであり、また、長野は乗船の経歴も長く、本件事故当時既に乙種二等航海士の筆記試験には合格していたのであり、長野が藤田船長よりも操船技術において劣っていたとはいえない状態であった。そして、御坊港から名古屋港までの航路には狭隘水路もなく、開けた外洋のみの航海であったから、長野を含めた四人の乗組員によって、本船を御坊港から発航させたことについては、格別異とするに足らず、人的不堪航の状態にあったとはいえない。

(ロ)  被告主張の免責約款が適用されるためには、不堪航の事実と損害との間に因果関係の存在が必要であるところ、本件事故の原因は視界不良時における長野の操船上の過失により、座礁したことであり、藤田船長が乗り組んでいれば、本件事故に遭遇しなかったとはいえない。従って、本件事故による損害と人的不堪航との間には、因果関係が存在しない。

(ハ)  被告主張の免責約款適用のためには、不堪航の事実に対する被保険者たる原告の過失が要件とされるところ、藤田船長は原告に了解を求めることなく、原告不知の間に下船したのであるから、原告としては藤田船長の下船を知らなかったことについて過失はない。

(4)  原告の右(ロ)および(ハ)の主張に対する被告の答弁

原告主張の右(ロ)および(ハ)の事実は争う。

(三)  当事者の立証≪省略≫

理由

(一)  原告主張の請求原因事実のうち、(イ)および(ロ)の事実と、被告主張の抗弁(ロ)のうち、原告と被告間の本件海上保険契約中の船舶保険普通保険約款第四条第一号として、被告主張のとおりの免責条項が存在すること、藤田船長が御坊港外で下船したこと、本件事故当時、本船には長野、万谷昭八その他二名合計四名が乗り組んでいたのみであって、船舶職員法所定の海技従事者のうち四分の三が乗り組んでいなかったこと、長野が本船の運航指揮をとっていたこと、および被告主張の抗弁(ニ)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。そして、被告主張の抗弁(ハ)のうち、本船の機関長の乙種二等機関士藤田強が大牟田港で下船したこと、それにより、本船が大牟田港を発航した際、法定乗組員の二分の一に欠員を生じていたことは、いずれも被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

(二)  そこで、被告主張の抗弁(ロ)の免責約款の適用の有無について検討するに、その前提として、御坊港が本船の航海にとって、被告主張の免責条項所定の寄港地に該当するか否かを判断することが必要である。前記当事者間に争いのない事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、本船は福岡県大牟田港から名古屋港へ向けて、亜鉛板四二五トンおよび雑貨一トンを積載し、瀬戸内海を航行して、昭和四〇年九月一三日和歌山県御坊港の海岸線近く(御坊鰹島燈台から真方位八度・二〇〇〇米の地点附近)に錨を下ろして碇泊したこと、本船が同地に碇泊したのは、藤田船長が今治簡易裁判所から出頭方の呼出を受けていたので、陸路で今治市まで行くのに、上陸する必要があったためであったこと、長野が同日午後一〇時頃藤田船長を本船から伝馬船で御坊市に送り、同船長を上陸させたこと、および同月一四日午前八時三〇分頃長野が本船の運航指揮をとり、名古屋港に向って御坊港を出航するまでの間、本船は御坊港に一〇時間以上碇泊していたことが認められ、右認定を左右するに足る資料はない。右認定の本船の碇泊位置、碇泊理由、碇泊時間および碇泊中の船長の下船などの各事情からすれば、本船は御坊港に寄航したものと判断するのが相当である。

(三)  そこで次に、本船が御坊港発航時において、人的堪航能力を有していたか否かについて判断する。

前記当事者間に争いのない事実に、右(二)掲記の各証拠を総合すれば、

(イ)  本船は一九六〇年に建造された総トン数三九〇・三三トンの鋼製の貨物船で、長さ四三・六米、幅七・二米、深さ三・七米、船首の吃水二・四米、船尾の吃水三・五米で、沿海区域を航行区域とするものであり、昭和四〇年九月当時においては、ディーゼル機関の調子も良好で、レーダーが設置されていない外は、設備品に特段の異常はなかったこと

(ロ)  船舶職員法第一八条、同法別表第一によれば、本船には、それぞれ法定の資格を有する船長・一等航海士・機関長・一等機関士の各海技従事者の乗船が必要であったのに、本来の乗組員のうち、一等航海士たるべき藤田良登は海技試験受験のため乗船せず、病気中の前機関長に代って、乙種二等機関士の免状を持つ藤田強が機関長を勤めていたが、同人は原告の用務のため、原告本社に帰るべく、本船の本件航海における発航地であった大牟田港で下船し、結局、本船の大牟田港発航時においては、前記法定の要件に該当する上級乗組員は藤田船長および一等機関士万谷昭八の二名のみであり、その他の乗組員は長野と甲板員および機関員各一名合計三名であったこと

(ハ)  藤田船長は昭和四〇年九月一三日に本船を御坊港に寄港させて、下船したが、同船長は下船に際し、法定の上級乗組員の四分の三が不足となるのを認識していたにも拘らず、長野に対し、取引の協定書・送り状・印鑑などを引渡し、「翌一四日の朝、名古屋港に向けて、本船を出航せしむべき」旨を申し向けたこと

(ニ)  そして、長野が船長代理として、本船の運航指揮をとり、同月一四日午前八時三〇分頃御坊港を出航したが、発航時既に、折柄本州に接近中であった台風の影響で、雨が降り、風が強く吹き、海も荒れ、視界も不良であったのであり、紀伊半島の海岸沿いに航行し、同月一五日午前二時頃の本件事故に遭遇する前項には、長野ら四名の乗組員のみでは、燈台の光を見逃さないようにすることのみに追われ、転針の結果を確認したり、水深を測ることなどは、人手不足のためにできなかったこと

(ホ)  長野は本件事故当時既に六年間の乗船経験を有し、その航海技術も一応のものを備え、乙種二等航海士の筆記試験には合格済であったのであり、本件事故後の同年一〇月一〇日にはその口述試験にも合格しているのであって、藤田船長も長野から操船技術を習って、本船々長の資格である乙種二等航海士の免状を取得したものであること

(ヘ)  長野においては本件事故前にしばしば御坊港から名古屋港までの水域を航行した経験があること

をそれぞれ認めることができる。≪証拠判断省略≫

右の各認定事実を総合して判断するに、船長以下四人の海技従事者を要求する船舶職員法の趣旨、および「航路・航海の時期・その時期における海上の危険等をも斟酌し、現実に当該航海をするに適し、その航海における通常の海上危険に堪えることのできる状態」としての堪航能力の性格から考えれば、本船が御坊港を発航する当時の悪天候と船員の不足とは、堪航能力の欠缺を推認せしめるに足るのであり、これが欠缺は長野の多年の経験のみによって補い得るものとは認められず、本件事故発生の経緯にみられる如く、本船の御坊港発航時の乗組員の構成では、その質量両面において、海上危険に対し適切な処置をなすのに不充分であったと認められる。

そうすると、本船は寄航地たる御坊港発航時において、被告主張の船舶保険普通保険約款第四条第一号所定の「安全に航海を行うに必要な準備」、即ち、「船舶自体の安全のほか、船員・食糧・艤装等の整備により、当該船舶が当該被保険航海をなすに必要な準備」のうち、乗組員の技倆および員数の点における充足がなされていなかったことになり、右約款の条項により、被告は本件事故の損害についての填補義務を免責されることになる。従って、右の点を理由とする被告の抗弁は理由がある。

(四)  そこで次に、原告主張の再抗弁(ロ)の点について判断するに、保険者が免責されるには不堪航の事実と損害の発生の間に因果関係の存在することを要し、且つ右因果関係の不存在については被保険者が立証の責任を負うものと解するを相当とするところ、前記当事者間に争いのない事実と右(三)の認定事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、本件事故による損害発生の原因の一つには、長野が視界不良により、本船の位置も不分明のまま転針を重ね、本船の速度を落すこともなく、漫然と航行を続け、そのために本船を座礁せしめ、沈没させたことがあるといえるが、長野としては、燈台の光を見逃さないように見張り続けることに専念せざるを得ず、その他の安全な航行のための点検などは一切する余裕がなかったのであり、それは海技従事者があまりにも不足していたこと、特に、冷静な判断と慎重な運航指揮をなすべく法律などにより責任を負わされている船長が乗り組んでいなかったことと無関係であったとはいえない。そうすると、本件事故による原告の損害が、本船の御坊港発航時の不堪航の事実とは因果関係のないものであるとは考えられず、この点に関する原告の再抗弁は理由がない。

(五)  最後に、原告主張の再抗弁(ハ)の点について検討するに、前記船舶保険普通保険約款第四条第一号の規定の解釈として、不堪航の事実に対し、被保険者に過失がないときは、同条項の適用が排除されるものと解することは、同条項の文言および保険法の一般法理に照らして困難であるから、この点に関する原告の再抗弁は、採ることができない。

(六)  そうすると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂上弘 裁判官 松村恒 伊東正彦)

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