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神戸地方裁判所 昭和33年(ヨ)18号 判決 1958年8月13日

申請人 小倉国男

被申請人 株式会社田中鉄工所

主文

被申請人が、昭和三十二年十二月二十五日申請人に対して休職を命じた意思表示の効力は、本案判決が確定するまで仮に停止する。

被申請人は申請人に対し、本案判決の確定に至るまで、仮に金二千五百円並びに昭和三十三年二月以降毎月十日限り、金一万六千円ずつを支払うことを命ずる。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人代理人は主文第一乃至第三項同旨の判決を求め、

その理由として、被申請人会社(以下本判決書を通じ単に会社と略称することあり)は神戸市兵庫区和田崎町所在新三菱重工業株式会社神戸造船所(以下単に神戸造船所と略称する)において造船工事の下請を業とするものであつて、申請人は昭和三十一年十月十四日以降被申請人会社に雇われて電気熔接工として神戸造船所構内の現場に就労して来たものであるが、昭和三十二年夏施行せられた被申請人会社従業員に対する定期健康診断において申請人は肺結核に付要注意者と診断されたけれども引続き何等の支障なく就業を継続していたのである。

ところで被申請人会社の従業員として右造船所内において就業している人数は七十名前後であるが、末だ労働組合を結成していないので申請人はかねて右従業員による労働組合の結成を志していたところ、昭和三十二年年末が近づくと共に神戸造船所内の下請業者従業員の労働組合連合会が越年資金の要求運動を展開する気運を示すに至つたのに呼応し、申請人は先ず被申請人会社従業員に対して越年資金の要求をしようと呼びかけ、更にこれを機として漸時従業員の結束を固めて昭和三十三年新年早々労働組合の結成を達せんものと企図し、昭和三十二年十二月二日越年資金要求の目的を掲げて従業員に呼びかけたところ、同月三日十名が従業員代表として選出せられ申請人も船殻課電気熔接関係従業員代表として最高点で選出された。そして同月九日右代表は協議の結果日給の十五日分相当額の越年資金支給を要求すべきことを決定し、沖富雄を通じて被申請人会社に右要求を申入れるべきこととしたのであるが、他方その間にも申請人は労働組合結成の賛成者を求めていたのである。ところが被申請人会社が前記越年資金要求申入に対し回答をしないので同月二十二日申請人は単身被申請人会社社長田中日出夫に面会して越年資金要求に対する回答を質したところ、同社長は「君等が騒げば零回答だ」と答えたほか「組合結成は自由であるがそのため新三菱に迷惑がかかると会社も従業員も困ることになる。」等と応答するのみで前記要求に対する確答を与えなかつた。

これより先同月十四日被申請人会社は申請人に対し初めは健康保険期間の満了を理由に、申請人より毎月保険料の差引をしていることを指摘して疑問を述べるや、転じて同年夏施行の前記健康診断の結果を援用して申請人の健康を案じて再診断を求めることを理由として健康診断書の提出を求めた。そこで申請人は吹田市民病院で診察を受けたところ従来通り就労してよいとの診断であつたので同病院医師作成の「病名肺結核、劇務を避けるなら正常勤務可能」なる旨の診断書を同月二十四日被申請人会社に提出したところ、翌二十五日に至り会社側は申請人が肺結核であつて労働により病状悪化の虞あるものとして休職を命じ通勤用定期乗車券及び神戸造船所工場の入門に必要な稼働証明書を取り上げ同月二十六日以降申請人の就労を禁止するに至つた。

そこで申請人は被申請人会社の前記休職命令の措置を不服として県立病院において胸部のレントゲン断層写真撮影をなし、また東神戸診療所においても診察を受けたがその結果は従前通りの労働可能との診断を得たので同月三十日之を会社に報告して休職命令の取消方要求したところ、会社はその指定すべき病院において更に診察を受けるよう指示しながら、申請人の催促にも拘らず病院を指定せず、昭和三十三年一月八日に至り「指定はしない。申請人の健康が保証できないから休職にする。」と通告してその誠意のない態度を明にした。しかしながら申請人は前記健康診断実施後も引続き異常なく仕事に従事して来たのであつて、その勤務状況は昭和三十二年九月中欠勤二日、同年十月中は欠勤一日、同年十一月は欠勤一日、同年十二月に入つて一回の早退があるだけでその間九月乃至十一月には残業もし、またその三ケ月は各月とも精勤手当を受けており、しかも気候は労働に好適な十二月に入つて敢て申請人に休職を命じた被申請人の真意は、受注工事量漸減し、やがては賃金の切り下げ、従業員解雇の必要も予測さるべきに至つた経済情勢に鑑み、前記の如く被申請人会社従業員の間に越年資金の要求を組織し且労働組合結成を勧奨する申請人の行動を嫌忌し、右要求及び労働組合結成の運動を破壊する方策として申請人を一般従業員より切り離さんがためであつて、偶々申請人の肺結核を奇貨として故なく労働基準法(以下単に労基法と略称する)第五十一条、労働安全衛生規則第四十七条を濫用し不利益な取扱として右措置に出たものであつて、休職命令後における被申請人の態度、例えば申請人が配布したビラに関し被申請人が従業員に対し署名を要求したこと、又は前記越年資金要求及び労働組合結成に関し積極的に活動した他の従業員に転勤を命じたこと等を綜合してみれば右休職命令が不当労働行為に該当すべきものたることは自ら明でめる。

かくて被申請人会社は前記休職を命じて就業を禁止した日の翌日たる昭和三十二年十二月二十六日以降申請人に対し賃金の支払をしないのであるが、被申請人会社においては毎月十日前月分の賃金を支払う定めであり、申請人の税金を差引いた平均賃金は一ケ月金一万六千円、一日の平均賃金は五百三十三円であるから、被申請人会社は申請人に対し一日分たる右額の内金五百円として算出した昭和三十二年十二月二十六日以降同年末日迄の日数の内五日分の賃金二千五百円並びにその後の賃金として一ケ月金一万六千円の割合による金員の支払義務がある。

仍て申請人は被申請人に対し前記休職命令無効確認並びに賃金支払請求の訴を起さんとするのであるが、申請人家族(申請人夫婦と子供一人)は専ら申請人が被申請人会社より受ける賃金によりその生計を維持しているため、右賃金の支給を断たれるときは即時その生存上重大な脅威に曝されるものであるから、本案訴訟の判決確定に至るまでとり申えず仮に右休職命令の効力を停止し且被申請人が申請人に対し前記休職を命じた日の翌日たる昭和三十二年十二月二十六日以降同年末日までの日数の内五日分の賃金として金二千五百円並びに昭和三十三年一月以降毎月十日一ケ月に付金一万六千円の割合で算出した金員を仮に支払うべきことを命ずる仮処分を求めると述べ、

被申請人の主張に対し、労基法第五十一条、労働安全衛生規則(以下単に規則と略称することがある。)第四十七条が「肺結核」罹患者を当然の就業被禁止者と定めているものでないことは同規則第二号が「病毒伝播の虞ある結核」、第四号が「労働のため病勢が著しく増悪する虞ある結核」に付規定していることに徴し明であり、申請人の病状に付ては医師は開放性でない故伝染の危険のないものと診断しているのであるから、申請人の病状が右規則に該当すべきことを被申請人側において証明することなく労基法第五十一条に基き本件休職を命じたのは権利濫用として無効な処分である。被申請人が「申請人の就労継続によりその病勢が悪化すべきは常識に属しその悪化の転機が果して何時発生するやは医師と雖も予測不能である。」と主張すること自体正に前記休職命令がその主張の如き申請人の病状を原因とするものでないことを自認するに等しいものである。次に被申請人援用の労基法第四十九条、規則第四十五条の諸規定は元来技能経験の有無、程度による就業制限に関するものであつて、本件の如き休職命令の根拠法令となし得べきものではない。而して申請人は肺結核に罹患した疾病者ではあるが前記のように末だその就業を禁止せらるべき者に該当しないものであるから、自発的に休業して健康保険の支給を受けると就労を継続して賃金収得の途を選ぶとは専らその意見に従つて自由に之を決定し得るところである。更に労基法第二十六条は休業が使用者の責に帰すべき事由による場合に関し且その事由は違法に非ざる場合を謂うものであつて、本件休職命令の如く違法なる事由による場合に適用さるべき規定ではないのであつて、申請人はもとより賃金全額の請求権を有するものであると述べた。(疎明省略)

被申請代理人は「申請人の仮処分命令申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」旨の裁判を求め、

申請人主張の事実中、被申請人が申請人主張の場所でその主張の業務を営む会社でありその神戸における従業員の数が七十名前後であること、申請人が被申請人会社の新三菱重工業株式会社神戸造船所における下請工事に付電気熔接工として被傭稼働していて、その平均資金が一ケ月金一万六千円であること被申請人会社においては申請人主張の日に主張の如き方法で賃金の支払をしていること、被申請人が申請人に対し昭和三十二年夏施行された健康診断の結果申請人が要注意と診断せられたので申請人の健康を慮つて再診断を求めるものである旨理由を示して申請人の健康診断書の提出を求め、同年十二月二十四日申請人より同月二十三日附の申請人主張の内容の診断書が提出せられたので被申請人は申請人が肺結核であつて労働により病状悪化の虞あるものとして申請人に休職を命じ、同月二十六日以降申請人の就労を禁止し同人の稼働証明書の返還を受け爾後賃金の支払をなしていないこと、申請人が被申請人に対し同年十二月三十日受診の結果を報告をなすと共に前記休職取消の要求をなしたこと並に申請人が同月二十二日単身被申請人会社々長に面会したことはいずれも之を認め、その余の申請人の主張はすべて之を争う。被申請人は昭和三十年十月七日設立せられ造船造機の組立、熔接切断並に陸上建設用機器の製作、建設工事請負等を目的とする資本の額五十万円の株式会社であつて、大阪市に本店を置く外神戸市兵庫区和田崎町所在新三菱重工業株式会社神戸造船所内に出張所を設置し同造船所船穀課及び船体課工事場において同造船所の下請工事に従事し、且日本鋼管株式会社鶴見造船所より請負つた瓦斯管工事のため堺市内に工事場を有し、従業員現在数は八十六名であつてその内六十名を前記神戸造船所内工事場に派遣従業せしめているものである。申請人は昭和三十一年九月五日から被申請人会社に勤務し電気熔接工として神戸造船所工事場に派遣従業せしめていた。

ところが申請人が被申請人会社に提出した履歴書に依れば、申請人は以前福岡県戸畑市所在洞海製作所において電気熔接工として、次で岡山県倉敷市所在山陽鉄工熔接工として勤務した旨の記載があるが、最近に至り申請人の告白するところに依れば右履歴書の記載は真実と相違しているのであつて、申請人は昭和二十四年頃から愛媛県下の妻の実家で病気療養をしていたことが判明した。此の様に申請人は性来身体が虚弱であつて、被申請人会社が労基法第五十二条に基き年一回定期的に行う健康診断として昭和三十二年八月二十四日施行した健康診断の際胸部レントゲン検査の結果「要注意・要観察継続」と診断されたので、爾来被申請人会社としては可及的に申請人に残業をさせないように取扱をして来たが、やがて申請人が会話中口唇に黄色様の唾液を溜めるようになつたことを知り同年十二月初頃申請人に対し健康診断を受けるよう命じたところ、申請人は同月二十三日吹田市民病院において診察を受け肺結核と診断されその旨の同病院医師の診断書を被申請人に提出した。そして同診断書には劇務を避けるならば正常勤務可能なりと記載せられているけども、被申請人会社が前記神戸造船所内において請負施行している船体熔接作業場は強烈な騒音に包まれ、電気熔接に従事する工員は長時間に亘り一定の姿勢を保つたまま全神経を集中して熔接作業に当らねばならないのであつて、通常重労働と目されているところであり、加之その作業現場は多数労務者が縦横に蝟集して居るのであつてその間に伝染病予防の措置を講ずべき方法なく、結核患者の就業は本人はもとより他の労務者に悪影響を及ぼし、又前記診断書に従い劇務を避けんとせば船体熔接作業の如き重労働は就業不適当である。従つて申請人の如く既にその外観上よりするも時と共に痩せ細つて行く虚弱者をして右作業に強いて就労させるときはその病勢を著しく増悪せしめる虞があり、肺結核患者に安静を要することは殆ど自明の常識といい得べきところであつて、たとえ病勢一時少康を保ている間も何時病巣より大喀血を生ずるやは医師と雖も予測し難いものであるから、肺結核に罹患せる申請人に対して労基法第五十一条労働安全衛生規則第四十七条に則り之に就労禁止を命ずべきは当然というべきである。

又船舶はもとより安全航海に堪えるに足るべき構造を具えねばならないから、そのためには船体を構成する個々の各部無数の鉄板が電気熔接により完全に熔接されて風波震動に耐えなければならないのであつて、労基法第四十九条規則第四十五条第一項十三号が相当の技能を有する者でなければ電気熔接業務に従事できない旨定めている所以もここにある。然るに病弱な者が作業に当るときは作業上手先が鈍り根も続かないため仕事完成に支障を生ずることも多くなり、又電気熔接は危険作業であつて病弱者を以て之に充てることはできない。しかも被申請人会社には申請人を配置しその安静を保ち得る軽労働の適職がない。そこで被申請人会社としては申請人が病気治療に専念し速に健康を回復し本来の電気熔接作業に復帰するのが申請人にとつても得策と考え前記休職を命じたものである。

被申請人会社は昭和三十三年一月十六日申請人に対したとえ休職になつても健康保険法に基き傷病手当として標準報酬日額の百分の六十を一年六ケ月継続して支給を受け得るから早期治療の望ましいこと、従業員の中にこれまでに四人肺結核に罹患したがいずれも休職して治療に従いその内の三人は全快して復職している例を挙げて申請人を激励し、申請人も亦之を諒解したのであつて、申請人が組合結成を図つたことの故を以て休職を命じたものでなく、申請人が組合結成を図つたことは被申請人の全然知らなかつたところである。仮に申請人が組合結成を図つていたとしても現に肺結核に罹患している以上その療養のため之に休職を命ずることは、人道上の観点よりするも当然の措置であるから申請人主張の如き不当労働行為に該当しない。

申請人がその病状が開放性でなく伝染の危険性なしとの主張の根拠として援用する診断は、医師浦井洋の申請人に対する打聴診、血沈検査及びレントゲン写真のみに基いてなされたものであるが、伝染の危険の存否は専ら結核菌の存否に依り決定さるべきであるから右検査を得ずしてなした開放性でないとの決定は誤であり、又右診断後同医師の実施した喀痰検査は塗沫検査の方法に依つただけであるから、その結果のみを以て陰性と速断するわけにはゆかない。そもそも結核菌の喀痰検査は四十日乃至六十日を要して培養せられたものに付検査することをいい此の結果に依てのみ菌の存否を決定すべきものであるから、前記塗沫検査の結果を以て申請人の病状を確定することはできない。

ところで被申請人は昭和三十三年一月二十九日申請人に対し厚生年金病院において検査を受くべきことを命じその費用として金二千五十円を申請人に支給したのに拘らず、申請人は唾液のみ出して痰を出さないため検査不能に帰したのである。

次に申請人は同人に対する前記休職命令が申請人において組合結成の活動又は組合活動をしたことを理由とするから不当労働行為であるというが、申請人の行為はそもそも組合結成の活動となるものでなく、組合活動でもないから右休職が不当労働行為を構成するに由ないところである。即ち先ず組合結成に関していえば、申請人主張の日本労働組合総同盟神船下請合同労働組合の規約に依ると同組合は下請業者、常傭工等を以て組織せられ、その支部は別個独立に規約を設定することを許されず、すべて同組合の統制に服し、従て支部は独自の意思決定をなさず、独自の会計を具えず、社団たる実体を有せず、下請業者全体を包含して結成されたものであるから、之に加入するや否やの決定があるのみであつて、申請人主張の様に新に組合結成すべき余地は存しないから、申請人が組合を結成せんと志したとか組合結成の賛成者を求めたとかいうけれども虚偽である。

次に申請人主張の越年資金要求に付考えるのに、此の要求は被申請人会社の職長山本康身、同治利栄、同井並を始め神戸造船所内各職場の代表者と称する者約十人に沖富雄を加えた者によりなされたのであるが、沖富雄は被申請人会社神戸出張所の長であつて労働組合法第二条第一号にいう「使用者の利益を代表する者」に該当し労務管理及人事管理を担当するもの、前記職長とは監督的地位に在て右沖富雄の補助者たる地位に在るものであつて、若し右の者等を含む労働組合が存するとすれば斯る組合は法外組合であり自主性を欠く御用組合となるべきものであるから、此等の者により決定せられた越年資金の要求は到底法律上の組合活動と目さるべきものでないし、その他組合が結成された事実はないから右越年資金の要求を以て労働組合法第七条第一号の労働組合の活動に該当するものとなすことを得ない。しかも右要求は夜勤者を除外し昼勤者のみで決定されたもので到底従業員全部の間に団結ありということができないから法律上組合活動と目されないものである。

被申請人会社が申請人に対し休職を命じた唯一の理由は同人の疾病のためであり、申請人に対する休職措置に依つて他の従業員がその団結権を侵害せられたとの感を毫も抱いて居ないことは、昭和三十二年十二月二十八日従業員全員が申請人の病毒の感染を恐れ自発的にハウスを消毒したことに依ても明である。

そして同月三十日越年資金を支給するまでその要求の衝に当つていた沖富雄その他の関係者に対して被申請人会社は一切不利益な差別待遇を与えたことはなく、元来前記越年資金の要求自体極めて軽微の申出であつて之を以て労働組合活動とは解していないのであるから、申請人に対する休職を以て同人がその主張の様な組合運動をしたことに対する不利益な差別待遇となすはあたらない。

そうでないとしても申請人は労基法第二十六条に依り平均賃金の百分の六十以上を請求する権利は有しないものである。

次に本件仮処分の必要性に付、被申請人は申請人が本件仮処分命令申請の手続をなした後に至つても前記の如く申請人に金員を支給して尚精密検査を受くべきことを求めたのであるが、申請人は厚生年金病院で改めてレントゲン検査を受こたところその結果予期に反し病気の悪性を発見され喀痰検査実施にまで進むに至つたが被検資料として提出したものが喀痰でなく唾液であることを発見され、医師から痰を提出すべきことを要求せられると痰が出ないと称してその要求に応ぜず、その態度は誠実性を欠くものである。被申請人は申請人の精密検査の結果病気伝染の虞なく、熔接作業に就いても病勢増悪しないことが一応証明されれば休職を取消すに吝でない旨申入れて居るのであるが、前記の如く申請人は精密検査に協力せず、また申請人は健康保険法第四十三条に依り入院その他の措置等の給付を受け得べく同法第四十五条による傷病手当も受け得るに拘らず、敢て斯る給付を受けることを拒み只管訴訟による解決をこととしている。元来労働関係は労使相互の信頼による結合関係であつてその間の紛争は先ず自主的解決をなすよう双方努力をすべきものであるから、被申請人の誠意を無視して飽迄法廷斗争の手段を選ばんとする申請人の態度からして既に仮処分の必要性を欠くというべきである。

仮に以上の被申請人の主張が理由なしとしても、申請人が肺結核に罹患している事実は争のないところであつて、若し治療のため休業するならば健康保険法第四十五条による傷病手当として標準報酬日額の百分の六十に相当する金額を受給し得る外、同法第四十三条所定の療養給付により治療薬剤は無料給付を受け得るのである。そして昭和三十二年度における健康保険法第三条第一項及び第二項による社会保険出張所に届出た申請人の標準報酬は金二万二千円(十四級)であるから、その六十パーセントに相当する金一万三千二百円が傷病手当として支給せられる上、入院すれば食事も支給せられ治療費は支出する必要はないから、妻子二人が右金額を生活費に充て得るのであり、右傷病手当金は結核性患者の場合は一年六月の期間受給権が存するのである。しかも斯る権利を申請人は自ら抛棄して給付を受けようとしないのであるから申請人に金銭的満足を与えるべき平均賃金の支払を命ずる仮処分はその必要性を欠くものである。と陳述した。(疎明省略)

理由

被申請人会社が昭和三十年十月七日設立せられ造船造機の組立、熔接、切断並びに陸上建設用機器の製作、建設工事請負等を目的とする資本金五十万円の株式会社であつて大阪市に本店を置き、且日本鋼管株式会社鶴見造船所より請負つた瓦斯配管工事のため堺市内に工事場を開設していることは申請人の明に之を争わないところであるから之を自白したものと看做すべく、申請人が右被申請人会社の神戸市兵庫区和田崎町所在新三菱重工業株式会社神戸造船所における下請工事に付、昭和三十一年九月五日以来電気熔接工として勤務従業していること、昭和三十二年八月中被申請人会社が右造船所内において就業している従業員に対し定期健康診断を実施し、申請人が右健康診断の結果肺結核に罹患しているものとして要注意、要観察継続との診断を受けたが爾後も引続き右造船所における被申請人会社の作業現場において電気熔接工として就業を継続して来たところ、同年十二月十四日に至り被申請人会社の命により吹田市民病院において改めて健康診断を受けた結果肺結核であつて劇務を避けるなら、正常勤務可能なりとの診断を受け、同月二十四日右病院医師作成の同旨の診断書を被申請人会社に提出したところ、翌二十五日被申請人会社は申請人が肺結核であつて労働に依り病状悪化の虞あることを理由として申請人に対し休職を命じ同月二十六日以降の就業を禁止したことはいずれも当事者間に争がない。

ところで労働基準法第五十一条第一項は使用者に対し伝染性の疾病、又は労働のため病勢が増悪するおそれのある疾病にかかつた者に付就業を禁止すべきことを命じ、右規定に基き就業を禁止すべき疾病の種類及び程度を定めた労働安全衛生規則第四十七条は『使用者は左の各号の一に該当する者を就業させてはならない。』と定め、肺結核に就てはその第二号に於て『病毒伝ぱのおそれある結核』、第四号に於て『結核にかかつている者であつて労働のために病勢が著しく増悪するおそれのある者』と規定しているが、右以外には肺結核に付規定するところはないのであるから、単に労働者が肺結核に罹患しているというだけでは之を原因として当該労働者の意に反して就業の禁止をなすことはできないというべきである。被申請人の申請人に対する前記休職・就業禁止命令が申請人提出の前記吹田市民病院の医師作成の診断書に依拠してなされたこと前示の通りであつて、各診断書のほかに尚休職及就業禁止の措置の要件存否判断の資に供せられた医師の意見が存していたことは之を認めるに足る疎明がない。成る程証人藤岡布理彦及び山本康身の各証言によれば、前記造船所において申請人と同一作業現場で就業している電気熔接現場の職長山本康身等において、昭和三十二年夏以降申請人が外見上次第に痩せてゆき疲労の様子が見え、同年初冬の頃になると屡々口辺に黄色の唾液様の分泌物を溜めているのを認めたことが疎明せられるけれども、此の様な申請人の身体外観に関する所見も畢竟医学的意味を有するものとは解し難く、もとより斯る所見を採つて以て申請人の病状判断の資となし申請人の肺結核が伝播性を有するものと断定すべき根拠となし得るものでないことは、証人山本康身及び破魔豊候の証言により疎明せられる、申請人が同年八月以降もその勤務状況は少くとも普通の程度を下らず、時には残業もし、精勤賞の交付を受けたこともあるとの事実と対比すれば自ら明である。被申請人は疾病者が電気熔接作業に従事するときは作業能率、技術共に劣悪化し注文者の要求する基準に達しない仕事の結果となると主張するが、申請人に付右主張の如き作業能率、技術の低劣化、ひいては仕事の結果の粗悪化の事実があつたことの疎明はない。次に被申請人会社は現に申請人が従事する電気熔接作業が右に所謂劇務に該当し、しかもそれ以外申請人に代替配置すべき適当な職種がないものと判断して前記休職を命じたものと主張するが、右に関し客観的、合理的資料が存したことは之を肯認するに足る疎明はない。成る程被申請人会社代表者田中日出夫の本人訊問の結果により真正に成立したものと認められる乙第三号証(大阪府立労働科学研究所次長医学博士三浦武夫作成名義の『熔接作業の身体に及ぼす影響について』と題する鑑定的所見を記載した書面)に依れば、一般に電気熔接という作業が之に従事する者の身体各器管に医学上諸種の著大な悪影響を及ぼし、疾病惹起の原因たるべき性質を有することが疎明せられるけれども、斯る身体諸器管への生理的悪影響力の存在を以て直に前記診断書にいう劇務たることを意味するものなるやにわかに決し難いところであるのみならず、右乙号証は前記休職命令を発したる後に作成せられたことがその日附により明であるから、被申請人が右乙号証を休職命令の要件存否判断の資に供したものでないことも亦明である。却て証人浦井洋の証言によればその医師たる立場よりするも、電気熔接という作業が一般的に常に必ず右診断書にいう劇務に該当するものと断定し難いものであることが窺われるのであつて、被申請人会社代表者本人訊問の結果中、電気熔接作業が造船所において行われるときは重労働である、旨の供述を以て直に申請人が右診断書に禁ずる劇務に従事しているものと認定すべき疎明となすことはできないし、その他申請人が前記造船所において従事していた作業が右診断書にいう劇務に該当するものと認むべき疎明はない。

次に前記造船所内においては申請人に対し電気熔接作業に代えて就業せしむべき適職がないとの被申請人の主張は、証人破魔豊候及び同藤岡布理彦の各証言(但し証人藤岡の証言中後記信用しない部分は除く)に依り疎明せられる、申請人と同じく前記造船所における被申請人会社の下請工事の従業員であつた破魔豊候は、年齢も既に四十才を超えており、しかも瓦斯工及電気熔接工の技能を有しない未経験者であつたにも拘らず、熔接棒の出納・整理・ガス部門における仕事の配分・その他の雑役に従事し、職長の補佐をしていたとの事実に徴し、到底之を容認することを得ないのであつて、結局被申請人会社は、申請人に対し前示休職を命ずるに際し、申請人の病状が休職及び就業禁止をなすべき場合に該当することに付何等具体的にして確然たる医師の専門的知識に基く判断等の根拠・客観的資料を把握するところなく、漫然と申請人の肺結核罹患の事実のみより休職を命じたものと認めるの外なく、証人藤岡布理彦の之に反する証言はにわかに措信し難いところである。しかも該休職命令たるや、前記診断書提出に接しその翌日発せられたこと前示の通りであることに徴すれば、その理由の奈辺に在るやは暫く措き、被申請人会社が申請人に休職を命ずるに付急を要するものとなしたこと自ら瞭然たるものがあるというべきである。

ところで成立に争ない甲第五号証、乙第八、第十及び第十一号証、証人破魔豊候の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証に証人破魔豊候、山本康身の各証言並に申請人本人訊問の結果を綜合すれば、左記の如き事実を一応認定することができる。即ち前記造船所に働いている被申請人会社従業員は未だ労働組合を結成していなかつたが、従業員の間ではかねてから労働組合を結成したいとの意向が底流していたので、昭和三十二年十一月初頃に至り、申請人は自ら中心となつて右従業員間に労働組合の結成気運を推進しようと考え、志を同じくする者に働きかけて賛意を表する趣旨の署名を集めたりしている内、やがて年末が近づくと共に、前記造船所内にある下請業者の労働組合においては越年資金要求の運動を開始する気配を示して来たのを見て、被申請人会社従業員の間にも漸く労働組合結成の動きは暫く停止し、むしろ先ず差し当り越年資金の要求をしようとの意向が擡頭し、その動きが主流をなす勢に在つたので、申請人も越年資金獲得という具体的目的を追つて従業員の運動意欲を統一結集し、その気運に乗じて新年早々労働組合を結成すれば足ると考えるに至つたが、もとより窮極の目的は労働組合の結成にあつたので十二月に入つて申請人は前記破魔その他数名と共に日本労働組合総同盟神船下請労働組合に赴き、同組合の綱領を記載した書面を貰つて職場に持帰り従業員等に閲覧せしめていたのである。そして右越年資金の要求に付てはガス関係従業員間で日給の二十五日分を要求すべしという意見に一致し、電気関係従業員間では二十日分を要求すべしという意見が多かつた。そこで同年十二月九日頃電気及び瓦斯各職場従業員その他の中から代表として合計約十名が集会協議することになり、申請人も電気関係従業員中より選ばれて右協議に参加したが、右約十名中には、前記造船所に就労している被申請人会社の従業員全員を同会社のため指揮監督すべき地位に在る訴外沖富雄外各職場の職長等の所謂被申請人会社の職制に属する者が約半数参加して話合の結果、会社に対する従業員側の要求をするという形式を避け、日給の十五日分相当額を支給されるよう飽迄懇願の形式を以て会社側に従業員の意向を伝えることとし、右沖富雄が全従業員のために右懇願の任に当るべきものと決定したのであるが、その後沖富雄から従業員に対し右申出に対する会社側の確たる回答のあつた旨の報告はなく、単に例年の扱に準じ酒肴料名義で幾許かの金は出すであろうという程度の説明しかなかつたので、申請人は改めて全従業員一致の委任を受けたわけでもなく、その代表者の集会において改めて代表として交渉すべきことを委任されたわけでもなかつたけれども、前記の代表者協議の際には前記の如く電気関係従業員中より選出されてその意思を代弁したことでもあるし、又二、三の者より頼むと言われたこともあつたので、同月二十二日単身被申請人会社代表者たる訴外田中日出夫をその宅に訪問し、年末に支給さるべき所謂酒肴料に付、その支給の有無、額等に付会社側の意向を質し、且その際近く従業員による労働組合を結成せんとしている旨述べたが、田中社長は越年資金に関しては回答を避け、労働組合の結成に付てはそのため新三菱重工業株式会社に迷惑を及ぼすことあるを理由として暗に労働組合結成を悦ばない意向を示唆したのみで申請人は何等得るところなく辞去したこと、被申請人会社は同年末に至り酒肴料名義で従業員に対し最高額金二千円の範囲において金員を給したが、その額は全従業員に付その希望した十五日分より遙かに少額であつたことが疎明せられ、以上の認定に反する前顕被申請人会社代表者本人の供述は容易に措信できず、他に右認定を覆すべき疎明はない。

そして更に成立に争ない乙第八、第十号証に証人山本康身の証言並びに被申請人会社代表者本人訊問の結果及び証人藤岡布理彦の証言(但しいづれも前記信用しない部分を除く)を綜合すれば、造船事業部門における景気後退のため昭和三十二年下半期に至り被申請人会社の前記造船所における下請受注工事量は漸減の徴を示し、次第に残業の必要もなくなつて来たに止らず、やがては仕事量に対し従業員数の過剰の傾向を現し始める様になり、更に昭和三十三年度に入れば此の経済状勢は顕著に悪化進行すべく、これに即応するため被申請人等下請業者としては、やがて人員の配置転換・更に進んでは従業員の解雇による企業規模の縮小の必要にも迫られるべきことが予測せられるに至つたことが疎明せられこれに反する疎明はないから、昭和三十二年末においては被申請人会社としても近い将来に労務管理上極めて困難な情勢に立至るべき機に臨んでいたことが認められる。

そこで以上疎明せられた各事実と先に認定した申請人に対する休職及び就業禁止をなすに至つた経緯とを対比考察すれば、被申請人会社は、申請人が被申請人会社の神戸造船所における従業員間において、被申請人に対する経済的要求に之を結束せんとの積極的意思を有したり、又は労働組合結成の気運を醸成し積極的に之を推進するの行動に出るのを知つて之を嫌い、その行動を萠芽の間に封殺し去らんとの意図の下に、偶々申請人が肺結核に罹患している事実を捉え、既にその罹患は同年八月中に明となつて居り、その後特に病勢増悪したりとの具体的資料も十分に把握しないのに拘らず、速かに申請人をその職場より排除せんがため療病に藉口して休職を命じたことを推認するに難くないところであつて、証人山本康身、同藤岡布理彦の各証言又は被申請人会社代表者本人の供述中之に反する供述はいずれも容易に採用することはできないところである。

次に被申請人は、新三菱重工業株式会社神戸造船所の下請業者たる被申請人会社の従業員としては、同造船所下請業者従業員全体を包含して結成されている日本労働組合総同盟神船下請合同労働組合に加入するや否に付選択の余地を残すのみで、新に労働組合を別個に結成することを得ないから、申請人が自ら労働組合を結成せんと志し又は組合結成の賛成者を求めたとの事実は有り得べからざることであると主張するが、一定範囲の勤労者が相寄つて新に独立の労働組合を結成すると既存の職種別或は産業別の労働組合に各個に加入するとは、唯当該労働者の団結権の行使の具体的態容が異なるということにすぎず、そのいずれの形式に依るとするも相共に当該勤労者に保障せられた団結権の行使に外ならず、法の保護を受くべき適格性においてはその間に何等の差異の存するものと解すべき理由はないから、申請人にとつて新に組合を結成する余地がないからとて直に申請人に勤労者として法により保障された団結権の行使を目的とする行為が存せず、又は斯る行為の成立する余地のないものと断定することはできないものといわねばならないし、そもそも「組合を結成せんと志し又は組合結成の賛成者を求めた」との主張の趣旨を以て、専ら新に別個独立の組合結成を意図したとの意と解釈しなければならないとは考えられず、之を以て畢竟申請人が勤労者として有する団結権を行使する意思を表明すべき行為に出た趣旨と解するのが相当である。

しかも前顕甲第三号証証人破魔豊候、山本康身の各証言並びに申請人本人訊問の結果に依れば、昭和三十二年十一月頃になると被申請人会社従業員中にも漸く労働組合結成の関心要望の気運が一般化し、斯る従業員の雰囲気の裡にあつて、同年十二月中旬頃申請人外数名が前記神船下請労働組合よりその綱領を記載した書面を持ち帰り、前記造船所内の被申請人会社従業員間に之を頒布していたことが疎明せられ、右事実に依れば被申請人会社従業員等は、右神船下請労働組合に加入することにその労働組合結成の意向の実現の方法を見出していたことが窺われるから、被申請人の右主張は理由がないものというべきである。

なお被申請人は、前記越年資金の要求が労働組合法第二条第一号に定める『使用者の利益を代表する者』に該当する被申請人会社神戸出張所長沖富雄及び同人の補助者たる地位に在る職長山本康身、治利栄及び井並を加えた各職場代表者十名によつて決定せられたものであるから、斯る要求は、仮に既に成立している労働組合による要求としても自主性を欠いた所謂御用組合の行為として法律上有効な組合活動となすことはできず、いわんや被申請人会社従業員の労働組合は結成されていないから、右要求は到底之を以て労働組合法第七条第一号の労働組合の活動に該当するものとなすを得ず、しかも右要求の決定に付夜勤者を参加せしめていないから団結ありということはできないのであつて、到底右は法律上組合活動と目されない。従つて申請人に付ては同人に対する不当労働行為の成立の要件たる組合活動なるものが元来存在しないと主張する。

しかしながら証人破魔豊候、同山本康身(但し前記措信しない部分を除く)の各証言及び申請人本人訊問の結果並びに成立に争ない甲第五、乙第八、第十号証によれば、神戸造船所内に就労する被申請人従業員一般の間においては昭和三十二年十一月頃既に越年資金要求の意思があり、唯ガス工の間では要求額を日給の二十五日分とすべしとの意向が強く、電気工の間においては二十日分を要求すべしとの意向が一般的であつたので、先ず従業員の間においてその全員を通じ要求額を調整統一するため各職場より代表者を出して協議することになり、電気工関係から申請人、瓦斯部門からは破魔、佐藤両名が選ばれ、之に各職長及び沖富雄が参加して協議し、結局日給十五日分を要求すべきものと決定したことが認められるのであつて、およそ特定使用者と雇傭関係に立つ複数の勤労者は末だその間に形式上労働組合が結成されていない場合においても、偶々特定の目的に共同し、該目的達成に協力するときは矢張り之を以て勤労者が本来有する団結権、団体行動権の範囲に属する正当なる労働基本権の行使に該当するものというべきであつて、末だ労働組合が組織されるに至らず、従つて組合活動というに至らないからとの理由から直に右の様な行為が法の保護の外にあるものとは到底解せられないところであつて、労働組合が末だ結成せられていない限りは、個々の勤労者に帰属する労働基本権のみが直接問題の対象として取り上げらるべきものであるから所謂未組織労働者が偶々特定の目的に共同し該目的達成に協力するに当り、使用者側の利益代表者が之に関与することあるも、所謂御用組合の場合と同様の結果を招来するものではない。

従つて申請人等の昭和三十二年年末における越年資金要求に関する行動は、その過程において時に被申請人主張の様なその利益代表者と目すべき者と協同したことがあり、或は被申請人主張の様にその協同の範囲に一部の従業員を包含しなかつたとしても、之を以て申請人等の正当な労働基本権の行使となすに付何等の妨となるべきものではない。

然らば被申請人会社の申請人に対する前示休職命令は申請人が勤労者として有する団結権を不当に侵害するものとして無効といわなければならないのであつて、申請人を除く爾余の被申請人会社の従業員が申請人に対する右休職命令によりその団結権を侵害せられたとの感を毫も抱いて居ないとの被申請人主張事実は証人山本康身及び藤原布理彦の各証言並びに被申請人会社代表者本人訊問の結果中之に副う証言があり、且成立に争ない乙第八乃至第十号証中に亦之に副う供述記載があるけれども、右証言及び供述並書証は、之を成立に争ない甲第五号証並に証人破魔豊候の証言及び申請人本人訊問の結果と対比すればたやすく信用することができず他に右事実を認めるに足る疎明資料はない。

ところで一定の企業所有者が当該企業の構成要素の一たる自然人の労働力の取得を目的として、これが供給者たる個々の勤労者との間に、その労務と金銭による反対給付との交換を直接の目的とする契約を締結した場合において、当該企業所有者と勤労者間の関係は、通常労働契約関係と呼ばれるが元来労務の給付ということは、当該勤労者にとつては常にその全人格的活動の一態容にほかならず、人格と切り離すことができないものであるから、労働力が或る企業に付その要素として現実に利用費消されるということは、必ず労働力の担い手としての個々の労働者の全人格自体が当該企業組織に組みこまれるということであつて、従て企業主は勤労者に対しその契約上の義務履行としての労務の提供を請求することによつて必然的に、一定時間に限定されるとはいえ、少くともその間は勤労者の全人格の企業組織への従属を求めることとなり、またこれを求め得ることが法律上の権利とされているものであることを考えれば、労働契約が成立した後の両当事者間の関係が単に、勤労者は企業主に対して約定の労務を給付し、企業主はこれに対し約定の金銭を以てする対価の支払をなすという契約の直接的内容を実現することのみにつきるものでないことが明であつて、右の如き契約の当事者となることにより企業主は、相手方当事者たる特定の勤労者の全人格的存在を如何に処遇すべきやという問題に必然的に直面するのであつてこの点よりする企業主の当該勤労者に対する関係を決定し律するには社会的、倫理的基準によるの外なく、従つて企業主たるものは人間の社会的、関係一般に妥当すべき社会的、倫理的義務に従うべき拘束を受くべきものである。そしてもとより此の様な義務はそれだけを切り離して考えれば法律上の義務として国家の執行機能を以て直接その実現を強制するに適しないものであり、また企業主の右の義務に対応する勤労者の自己を人格者として取扱うべしという要求の正当性も直接的には社会的、倫理的正当性に違いなけれども、しかも此の様な義務関係を生ぜしめた直接の原因はひとえに前記にいうところの契約に基づくものであり、且右契約に必然的に随伴するものであることによつて、勤労者側に存する前記要求の正当性をもつて右契約の附随的効果として該契約の本来的目的と同様法的保護の対象となすことが可能ならしめられると考えることができるのである。

そして特定の人が前記の所謂労働契約を締結することにより、一定の企業内において継続的に一定態容の労働をなすべき場を与えられた場合、当該勤労者にしてその労働を継続する意思を有する限りその意思の実現を正当に主張し得べく、当該企業主の側においても右意思を尊重しその実現に真剣に協力すべき義務を負うことも亦前記契約上の拘束に外ならないこと前に説明したところにより明であり、しかも此の場合右労働の場は専ら企業主の掌中に存するものであつて、勤労者側の労働意思実現には常に必ず企業主側の協力を必要とするものであるから、若し企業主の責に帰すべき事由によつて勤労者より労働の場と機会を奪いその回復には企業主の協力を求めても到底これを得る見込のないものと考えられる事情の存するときは民事訴訟法第七百六十条による仮の地位の設定として勤労者にひとまず右労働の場と機会を確保すべき必要あるものと解すべきである。

以上のことを本件に移して考えるならば、被申請人会社が以上認定の経過により発するに至つた前記休職命令に基き、昭和三十二年十二月二十六日以降申請人に対してなした従前の稼働の職場たる前記神戸造船所における電気熔接工としての就労禁止を右休職命令無効確認の本案判決確定に至るまでの間暫定的に排除し、申請人に従前通りの労働に従事し得べき地位を仮に維持する必要性を肯定し得べく、これを目的とする範囲においては既に本件仮処分申請は理由ありというべきものである。

そこで進んで被申請人会社に対し賃金を仮に支払うべきことを命ずる仮処分命令申請の当否に付考察するに、被申請人会社においては従業員に対する賃金支払の方法が毎月十日前月分を支払う定めであり、申請人の前記休職命令当時における税金額を差引いた平均賃金が一ケ月金一万六千円、一日の平均賃金が金五百三十三円であること、並びに被申請人会社が申請人に対し前記休職を命じた日の翌日たる昭和三十二年十二月二十六日以降賃金の支払をなさないことは当事者間に争ないところ、右休職命令の無効なること前示の通りである以上、申請人の昭和三十二年十二月二十五日以降の休業は専ら被申請人の責に帰すべき事由に基くものというべきであつて、被申請人は申請人の右休業に付その間の双務契約たる労働契約上全部の危険を負担すべく、従つて申請人の休業期間に対しても被申請人は賃金全額の支払義務があり、被申請人援用の労基法第二十六条は右危険負担に関してその範囲を制限する趣旨でなく、右民法上の原則に基き負担すべき危険のうち平均賃金の百分の六十までの範囲に付ては特に(罰則労基法第百二十条)を設けて使用者に対し強制的にその支払を命じ以て労働者の最低生活を保障せんとする政策規定であると解すべきものであるからこの点に関する被申請人の主張は採用できない。

そして申請人本人訊問の結果によれば、申請人の家族は申請人夫婦と子供一人の三人家族であつて専ら申請人が被申請人会社より受ける賃金に依存してその生計を維持していることが疎明せられ、本件休職以後において申請人が他の収入の途を得てこれより、敢て被申請人より賃金の支払を受けずとも申請人本人及その家族の生計を維持するに足る事情にあるものと認むべき疎明資料はないから、申請人及その家族の生活を本件休職処分による係争関係が本案判決によつて終局的に確定せられるまでの間維持するためには被申請人に対し仮に賃金の支払をなさしむべき必要があるといい得る。

これに対し被申請人は、申請人が健康保険法第四十五条により受給し得る傷病手当並びに同法第四十三条所定の療養給付として受け得る治療薬剤の無料給付とを以てすれば申請人本人及び妻子二人の生計費を賄い得るに拘らず、申請人において右権利を自ら抛棄している以上、被申請人に対し平均賃金の支払を命ずる仮処分はその必要性を欠くものであると主張するので、此の点に付考えるのに、被申請人主張の右の如き保険給付受給の可能性を以て労使間の雇傭契約に基く使用者の賃金支払義務に代置することを得べき限りでなく、右可能性の存否を以て右賃金支払義務の履行の要否を決することを得ないと解すべきであり、しかも果して申請人がその病状の程度を以てかかる保険給付を受ける資格ありや否や本件の疎明資料によつてはにわかに断定し難いところであり、仮にこれを積極に認定し得るものとしても、殊に療養給付についてはその受給金は専ら申請人自身の療養のため支出されることが健康保険法の本来所期するところといわねばならないから右保険給付亨受の可能を以て申請人が被申請人から賃金の仮払を受ける緊急の必要性の存在を否定する根拠となすは失当というべきである。

次に被申請人は前記休職を命じた以後申請人に対し厚生年金病院において精密な病状検査を受けることを勧め、若し精密検査の結果病気伝染の虞なく、病勢の増悪しないことが一応証明されるなら休職の取消を辞さない旨言明し、申請人も一応これに応じ同病院で改めてレントゲン検査を受けたところ予期に反し病気の悪性を発見せられるや爾後更に尚喀痰検査を必要とするに拘らず、ことさらに被検資料に供すべき痰を出さず右精密検査に非協力の態度を示し、本来受け得べき健康保険法第四十三条第四十五条所定の給付をも拒み、敢て只管訴訟手続による解決を企図しているのは、本来相互の信頼による結合関係であつて、その間の紛争も先ず自主的解決に双方努力すべき労使関係の本来の姿に悖るものというべきであつて、かかる申請人の態度に照らし仮処分の必要性を欠除することが明であると主張する。そして本件仮処分申請以後に至り、申請人・被申請人相互間の諒解に基き、申請人がその病状の精密検査のため大阪市所在の厚生年金病院の診断を受け、既にレントゲン検査はおわり引続き喀痰検査を実施することになつていることは申請人において明にこれを争わないところであるが、申請人がことさらに喀痰の提出を拒み、故意に右検査の施行を阻害している旨の疎明なく、却て証人田所祐の証言によれば、肺結核患者と雖も必ずしも常に喀痰の分泌排泄が可能であるとは限らずまた容易なことでもないことが疎明せられるし、又被申請人会社が申請人に対し、その疾病を理由とするものと主張してなした休職処分に関し被申請人会社と申請人との間に労働関係上の紛議を生じた本件の場合において、被申請人主張の如き健康保険給付を亨有するの途があるの故を以て右紛議の訴訟的解決を否定し、またはこれに副次的な意味のみを認めなければならない理由はない。蓋し健康保険制度は勤労者の健康を維持し疾病に罹つた際における医療を保障することにより一般にその福祉を増進しようという国家の社会政策的制度における勤労者の地位又は権利に関する事柄であつて、労使間に生起することあるべき労働関係上の紛争解決とは本来無縁のものであること、健康保険法の諸規定を通じて自ら明なところである。そして労使関係の通常の経過が相互の信頼を以て貫かれ、自主的処理に親しむべきものであることはいうまでもないところであるが、ひとたびその間に紛争を生じ円満な示談解決が困難と認められるに至つた場合においては専ら事を法律的争の形式に還元して訴訟上の解決をはかることはむしろ最も合理的にして純粋な紛争解決の方法というべきであるから、被申請人の右主張も亦採用するを得ない。

仍て本案判決確定に至るまで被申請人会社が昭和三十二年十二月二十五日申請人に対し休職を命じた意思表示の効力を仮に停止し、且つ被申請人会社が申請人に対し既に履行期の到来した昭和三十二年十二月二十六日以降同月末日迄の賃金の内金二千五百円及び昭和三十三年一月一日以降の賃金として同年二月以降毎月十日限り金一万六千円ずつを仮に支払うべき旨命ずることとし、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 前田治一郎 日野達蔵 戸根住夫)

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