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神戸地方裁判所 昭和33年(わ)1450号 判決 1961年4月08日

被告人 矢野信男 外三名

主文

被告人矢野信男を死刑に、

被告人前田敏男を無期懲役に、

被告人大山富士夫を懲役七年に、

被告人高橋要を懲役三年六月に、

各処する。

未決勾留日数中、被告人大山富士夫に対し六五〇日、被告人高橋要に対し六〇日を右本刑に各算入する。

押収してあるビニール紐一本(証第八号)はこれを被告人矢野信男、同前田敏男及び同大山富士夫から没収し、同風呂敷一枚(証第七号)はこれを被告人矢野信男及び同前田敏男の両名から没収する。

押収してある現金三、〇〇〇円(証第三六号)及び洋傘一本(証第三四号)はこれを被害者有島キヨの相続人に還付する。

理由

(各被告人の経歴及び相互の関係)

被告人矢野信男は、大分県杵築市大字八坂一八二三番地において、父矢野段蔵と母同ジユンの長男として生れたが、幼時両親と死別したため叔父に当る矢野権蔵に引きとられ不遇な家庭的環境の裡に成長した。その後会社員、船員等を転々とし、長崎市にいた頃結婚して一子信幸をもうけたが昭和一八年頃離婚したようである。その間昭和一一年九月一日伊万里区裁判所において傷害罪により罰金二〇円、昭和一六年一〇月六日小樽区裁判所において賭博罪により罰金三〇円、昭和一八年三月一〇日小倉区裁判所において詐欺罪により懲役一年に各処せられたことがある。戦後溝口すえ子という金持の未亡人と内縁関係を結び、福岡市等において一時電気器具商、炭坑等を経営したがいずれも失敗に終つた。昭和二五年頃から大分市において民刑倶楽部という名称で事件の調査、相談、債権取立等の仕事を主宰したが、昭和二六年一一月二九日大分地方裁判所において業務上横領、詐欺、有印私文書偽造行使詐欺罪により懲役一年の言渡を受け、控訴保釈中に逃亡した。そうして一時福岡県田川市の炭坑で働いたのち来阪し、天王寺等において拾い屋、寄せ屋の店員をしていたが、昭和二九年九月一三日及び同月二二日八坂孝の偽名で大阪簡易裁判所にいずれも窃盗罪で起訴された。ところが保釈を得るや再び逃亡して来神し、満村孝の偽名で神戸市兵庫区湊町一丁目寄せ屋丸神(信)商会こと岩田健雄方に住込み番頭のような仕事をするようになつた。その間昭和三〇年一二月一七日及び同三一年九月三〇日の二回右満村の偽名を使用して窃盗罪により神戸区検察庁において起訴猶予となつた。昭和三三年一〇月上旬頃京都へ行き古鉄商旭商会こと宮下忠雄方に田中の偽名で住込み買子として働いたのち、同年一一月一六日頃再び来神し旅館等を転々としていたものである。

被告人前田敏男は、肩書本籍地において父前田軍平と母同きくの三男として生まれ、昭和二八年三月同地の中学を卒業し、近くの造船所の工員として約一年、また鳥取県境港市において漁船乗組員として一年三月程働いたが、いずれも窃盗等の問題を起して永続しなかつた。昭和三〇年一一月頃から家業である農業の手伝をするようになつたが、度々家財を持出しては費消し、同三一年一二月一六日頃家畜の売上金六八、〇〇〇円程を持つて家出来神した。その後神戸市において沖仲仕をし、あるいは大阪市において人夫をした末、昭和三三年二月頃から肩書住居地の神東寄せ屋こと田中信太郎方に住込み拾い屋をしていたものである。

被告人大山富士夫は、本籍地の高等小学校を卒業後満蒙開拓義勇軍、鐘紡淀川工場工員、国鉄梅田保線区連結手、炭坑夫、鳶職等を転々とし、その間鹿児島地方裁判所等において詐欺、窃盗により前後四回に亘つて懲役刑の言渡を受けた。昭和三三年一月末頃神戸市生田区元町通七丁目寄せ屋松田商会こと李東洛方に店員として住込み、同年三月中旬頃同人の妻木原澄子こと李南出と駆落ちして前記丸神信商会こと岩田健雄方に住込み同年七月頃まで拾い屋をしていた。その後三菱造船所の下請工場で鳶職として働くうち同年九月頃右李南出が結核で倒れ(同女は同年一〇月二八日死亡)、仕事を休んだことから同工場を退めて肩書住居地の神東寄せ屋こと田中信太郎方に住込み拾い屋をしていたものである。

被告人高橋要は、本籍地の高等小学校を卒業後専売局工員、新聞販売店員、陸軍兵器廠工員をしたのち昭和一六年頃から南洋海運株式会社所属星斗丸外の輸送船に乗組んでいた。戦後は一時神戸市において喫茶店を経営したのち本籍地に帰つて所謂てきやの団体である井上興業社に関係し、その間岡山地方裁判所等において窃盗、横領等により前後五回に亘つて懲役刑の言渡を受けた。昭和三三年五月頃から大阪へ出て国際見本市作業場で塗装の下請作業に従事中負傷して労災保険金を貰い、西成において遊んで暮しているうち、昭和三三年一〇月頃西成区山王町の連込み宿今津荘の番頭から、神戸の元町商店街の商店主松田某が輸出品の見返りとして所持している麻薬原料一ポンドの売却先を探している旨聞知し、その売買の斡旋をして巨利を得ようと同年一一月二五日頃来神し、神戸市生田区元町通六丁目三九番地の一簡易宿泊所松竹荘に宿泊していたものである。

被告人矢野信男と同大山富士夫は、昭和三三年三月中旬頃右大山富士夫が前記丸神(信)商会こと岩田健雄方に拾い屋として住込んでから、右矢野信男が同店で番頭のような仕事をしていたことから知合い、金銭の貸借をしたこともあつたようである。被告人前田敏男と同大山富士夫は、昭和三三年九月頃右大山富士夫が前記神東寄せ屋こと田中信太郎方に住込み拾い屋をするようになつて、右前田敏男が同店で同様拾い屋をしていたことから知合い、被告人大山富士夫は店内バラツクの階下東から二部屋目の二畳間に、被告人前田敏男は同二階の東から三部屋目の一畳余りのところに寝泊りし、同じ九州出身者という関係もあつて互に気心の知れた間柄であつた。被告人矢野信男と同高橋要は、昭和三三年一一月三〇日朝前記松竹荘にたまたま同宿したことから知合つたものである。

(罪となるべき事実)

第一、一、被告人矢野信男は、昭和三三年一一月三〇日朝右松竹荘三号室において、被告人高橋要から前記麻薬原料の売買を斡旋するべく協力を求められこれを承諾して行動を共にするうち、同年一二月二日朝右松竹荘三号室において被告人高橋要に対し、銀行帰りの女を襲つて金銭を強奪する話をもちかけたところ、右高橋要から、「前に自分が船に乗つていたとき船長をやつていた有島という人が退職金を沢山貰つて今は会社の重役をしておられる。こゝに行けば昼間は年老いた奥さん一人しかおらない。」旨を聞知し、金銭に窮していた矢先であつたので右有島方を襲つて金品を強取しようとの意思を生じ、更に右高橋要から有島方の内情を詳細に聞きだしたうえ、同月四日被告人大山富士夫方に行き同人に対し、右有島方の留守居の奥さんを殺害したうえ金品を強取しようとの計画を打明けて仲間の紹介を求めた。そうして同月六日午前一一時頃前記被告人大山富士夫の部屋において同人から被告人前田敏男の紹介を受け、同日及び翌同月七日に亘り同所において被告人矢野信男及び同前田敏男の両名は、被告人矢野信男の前記計画に従いその実行方法について綿密な協議を遂げた。同月八日午前一〇時過頃右両名は共謀のうえ神戸市兵庫区梅元町五一番地有島久方に赴き、応待に出た同人の妻有島キヨ(当時六四年)に対し、被告人矢野信男において、「警察の者だが御主人の密輸事件で調べに来た」旨虚言を弄して同女を油断させ、同家玄関二畳の間において被告人矢野信男の合図に基ずき同前田敏男が矢庭に同女の後方から右腕をもつてその頸を扼し、続いて被告人矢野信男が同女の前方から両手指で同女の咽喉部を強圧したまま同家奥四畳半の間に引き摺り込み、被告人両名して予て用意しておいたビニール紐(証第八号)を同女の頸に巻いてこれを両手で締めつけ、あるいは声が出ぬように所携の風呂敷(証第七号)でもつてさるぐつわをかませる等の暴行を加え、よつて同女をその場において窒息死に至らしめたうえ、現金一二、〇〇〇円(証第三六号はその残金)及び洋傘二本(証第三四号はそのうちの一本)を強取した。

二、被告人大山富士夫は、同矢野信男が前記有島方を襲つて留守居の奥さんを殺害したうえ金品を強取しようとする企図を有していることを知りながら、その犯行を容易ならしめる意思をもつて、右矢野信男の求めに応じ、昭和三三年一二月六日午前一一時頃前記自室において被告人前田敏男を紹介し、更に同月八日午前九時過頃被告人矢野信男及び同前田敏男の両名が共謀のうえ前記犯行を実行するべく出発するに際し、その犯行を容易ならしめる意思をもつて、右矢野信男の求めに応じビニール紐(証第八号)を切断して与え、もつて右両名の前記強盗殺人行為を容易ならしめてこれを幇助した。

三、被告人高橋要は、第一の一記載のごとく昭和三三年一二月二日朝松竹荘三号室において被告人矢野信男から銀行帰りの女を襲つて金銭を強奪する話をもちかけられたが、自己がかつて前記星斗丸の信号員をしていた当時上司の船長であつた前記有島久方に出入して同家の事情に通じていた関係から、こういうところもあるという趣旨で、「前に自分が船に乗つていたとき船長をやつていた有島という人が退職金を沢山貰つて今は会社の重役をしておられる。こゝに行けば昼間は年老いた奥さん一人しかおらない。」ときりだした。すると被告人矢野信男はその話をきくなり乗り気になつて、更に右有島方の内情を詳細に亘つて尋ねてきたので、被告人高橋要は右矢野信男が右有島方へ押し入つて強盗を働くかもしれないことを察知しながらこれを容易ならしめる意思をもつて、右矢野信男に問われるまゝ同人がだした手帳に右有島方の模様及び道順を記入してやりながら、「家は平野の辺りで表は門構えになつている、家の中の玄関の近くに犬がいる、家の中へ入れば犬は吠えない、家族は三人だけで子供は昼間は学校へ行つている、奥さんは優しい人であり数日前も主人から五〇〇円を借りたことがある、バス通りから大分離れたところだから交番も遠い、」等と説明し、もつて被告人矢野信男の第一の一記載の強盗殺人行為を容易ならしめてこれを幇助した。

第二、被告人矢野信男は

一、青山恒昭外一名と共謀のうえ、昭和二八年一〇月初旬頃の午前四時頃大阪市北区兎我野町一〇六番地旅館業寺坂かめの方において、同女保管にかかる女物革靴四足及びビール二本(価格合計一五、七三〇円位)を窃取した。

二、青山恒昭と共謀のうえ、同年一〇月初旬頃の午前五時頃同区東扇町一二一番地大阪市交通局病院東側植込内において、同病院長代理坂本栄太郎管理にかかる外燈の電灯線約八〇米(価格二、〇〇〇円位)を窃取した。

三、青山恒昭と共謀のうえ、同年一〇月中旬頃の午前四時頃同区北扇町四七番地大阪市立工業研究所西側通路上において、関西電力株式会社扇町営業所扇町営業店長辻唯雄管理にかかる電線約三〇米(価格二、七〇〇円位)を窃取した。

四、青山恒昭と共謀のうえ、同年一〇月一七日午前三時頃同区天神橋筋四丁目六三番地水道工事請負業安岡虎雄方において、同人所有の水道用鉛管七米(価格五、三〇〇円相当)を窃取した。

五、同年一〇月一八日頃の午前四時頃同区池田町三番地松田操方軒下において、同人所有のアース線約一米(価格四〇〇円位)を窃取した。

六、同年一〇月下旬頃の午前四時頃同区天神橋筋六丁目六四番地河西喜作方軒下において、同人所有の水道鉛管約二尺(価格五〇〇円位)を窃取した。

七、青山恒昭と共謀のうえ、同年一〇月中旬頃の午前五時頃同区東扇町六番地西田信子方において、同女所有の白米約一斗在中の米罐一個(価格合計一、三八〇円位)を窃取した。

八、同年一〇月下旬頃の午前四時頃同市大淀区吉山町五番地伊波繁正方軒下において、同人所有の水道鉛管約二尺(価格五〇〇円位)を窃取した。

九、昭和二九年三月六日頃の午前五時頃同市北区東寺町導泉寺境内において、前記辻唯雄管理にかかる電線約二〇米(価格三〇〇円位)を窃取した。

一〇、昭和三三年一一月一四日京都市南区西九条北ノ内町四二番地寺村建材株式会社において、同会社代表取締役寺村一から同所所在の同会社工場の塀のところに置いてあつた同会社所有の樋状古鉄板約一屯四二〇瓩(以下本件鉄板と略称する)を、代金屯当り一八、〇〇〇円、引取日は翌一一月一五日とし、買主において計量場まで右鉄板を運搬し、同所において同道した売主立会いのうえ計量(当時正確な重量は不明であつた)して引渡を受ける(なお代金は右計量のうえ引渡を受けるのと引換に支払うのが業界の実状であつた)との約定で買受けることとした。約束の一一月一五日は、本件鉄板を運搬する便宜等のためガス切断を依頼した竹原繁の都合が悪くて行けず、翌一一月一六日朝被告人は右竹原繁を伴つて前記会社へ赴いた。当日は日曜日のため同会社は休日であつたが、折から右寺村栄一が来合せたので同人に頼んでその了解をえ、同日午後二時か三時頃にガス切断が終る見込につき、その頃に被告人矢野信男において右寺村審一に電話連絡をなし、計量及び引渡に立会うために同人が再び同所へ来る旨を約した。右寺村審一が帰つてのち、同日正午前頃被告人矢野信男は転売先である古鉄商林商店の林吉之助に右鉄板を見せたところ、予期に反して屯当り一五、五〇〇円の値段をつけられたので、ここに被告人は右寺村建材株式会社との契約を履行する意思を放棄し、このうえは右寺村審一に連絡することなく本件鉄板を前記林商店へ持つて行き、これを右の価格で転売したうえこれによつてうる金員を持逃げしようと決意し、同日午後一時頃右寺村審一から単に切断を許容されたのみで未だ引渡を受けていないところの、同人管理にかかる本件鉄板を、同人の承諾を得ることなく勝手に同所から右林商店まで搬出してこれを窃取した。

一一、前記本件鉄板を無断搬出し、転売のうえその代金を持逃げしようとの決意を生じたのち、同日正午過頃冒頭記載の当時の住込先である同市下京区西洞院通塩小路上ル(油小路通木津屋橋下る)不動堂町五七二番地古鉄商旭商会こと宮下忠雄方において同人に対し、返済の意思がないのにこれがあるように装い、実は古鉄を買うことになりこれから車で引取りに行く、今日は日曜日で手附金として渡す金がなくて困つているので少々現金を貸して欲しい」旨虚構の事実を申し向け、同人を取引完了後返済してくれるものと誤信させたうえ、即時同所において同人から借入金名下に現金一〇、〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取した。

第三、被告人前田敏男及び同大山富士夫は、酒井定夫と共謀のうえ、昭和三三年九月二〇日頃神戸市灘区水道筋五丁目二番地の一武本モータース前道路上において、森本芳一所有の中古スクーター一台(価格四、〇〇〇円相当)を窃取した。

第四、被告人前田敏男は、

一、昭和三三年九月中旬頃神戸市葺合区生田町四丁目三四番地神戸市水道局東部配水工事事務所三宮詰所裏庭において、同所主任山本三治保管にかかる鉄管約五四貫(価格七、〇六〇円位)を窃取した。

二、酒井定夫と共謀のうえ、同年九月二〇日頃同区旗塚通四丁目一一番地先道路上において、時枝利弘所有の中古単車一台(価格五、〇〇〇円相当)を窃取した。

三、同年一〇月中旬頃同区琴緒町三丁目二番地大洋会館前において、同館経営者石原資典管理にかかる消火栓用鉄蓋二枚(価格合計八、〇〇〇円相当)を窃取した。

四、(一)、同年一〇月一二日頃の午前三時頃同区八雲屋六丁目八番地の三絹川助産所南側道路上において、神戸市水道局配水課長橋本貫一管理にかかる消火栓用鉄蓋一枚(価格三、五〇〇円相当)を窃取した。

(二)、引続き同区旭通一丁目八一番地繁田完治方北側道路上において、前記橋本貫一管理にかかる消火栓用鉄蓋一枚(価格三、五〇〇円相当)を窃取した。

(三)、前同様引続き同区旭通一丁目九番地中道自転車店南側道路上において、前記橋本貫一管理にかかる消火栓用鉄蓋一枚(価格三、五〇〇円相当)を窃取した。

五、同年一一月初旬頃同区二宮町三丁目川治貿易株式会社倉庫前において、同倉庫責任者多田林逸管理にかかる猫車一台(価格一、〇〇〇円相当)を窃取した。

六、同年一一月一一日頃同区琴緒町五丁目七番地松田信方裏庭において、同人所有の富士モーター一台(価格三、〇〇〇円相当)を窃取した。

七、同年一一月三〇日頃同区琴緒町三丁目六番地竹本亀吉方軒下において、同人所有の電気洗濯機二台(価格四五、〇〇〇円相当)を窃取した。

第五、被告人大山富士夫は、

一、配井定夫と共謀のうえ前昭和三三年一〇月中旬頃神戸市灘区王子町三丁目王子競技場公衆便所前道路上において、前記山本三治管理にかかる消火栓用蓋枠一個価格(四、〇〇〇円相当)を窃取した。

二、酒井定夫と共謀のうえ、同年一〇月中旬頃同市兵庫区上沢通一丁目一五番地神戸電鉄湊川駅前道路上において、同駅長西畑宗次管理にかかる鉄製溝蓋三枚(価格合計一〇、五〇〇相当)を窃取した。

三、酒井定夫と共謀のうえ、同年一〇月末頃同市灘区篠原中町五丁目七八番地山根けい方附近道路上において、同女所有の鉄製風呂釜一個(価格一、〇〇〇円相当)を窃取した。

四、酒井定夫と共謀のうえ同年一一月上旬頃同区船寺通五丁目七番地先道路上において、神戸市建設局東部建設事務所守下文人管理にかかる溝蓋一枚(価格三、五〇〇円相当)を窃取した。

五、同年一一月一〇日頃同市生田区下山手通六丁目所属市電軌道渉線において、神戸市交通局技術部工務課松原保線事務所浦谷嘉郎管理にかかる市電軌道のボイントスプリングボツクスの蓋一枚(価格二、〇〇〇円相当)を窃取した。

六、同年一一月一五日頃同区加納町五丁目所属阪急三宮駅南側緑地帯において、神戸市生田消防署長管理にかかる消防用貯水槽の鉄蓋一枚(価格三、〇〇〇円相当)を窃取した。

七、酒井定夫と共謀のうえ同年一一月一七日頃右同所において、同署長管理にかかる消防用貯水槽の鉄蓋一枚(価格三、〇〇〇円相当)を窃取した。

八、同年一一月一九日頃同市葺合区琴緒町四丁目四三番地先道路上において、前記橋本貫一管理にかかる消火栓の上蓋一枚(価格四、〇〇〇円相当)を窃取した。

九、同年一一月二一日頃同市生田区中山手通二丁目所属山手市電筋山側道路上において、右橋本貫一管理にかかる消火栓の上蓋一枚(価格四、〇〇〇円相当)を窃取した。

一〇、同年一一月下旬頃同区中山手通一丁目、三宮オイル前道路上において、神戸市建設局中部建設事務所生田分室主任石本正男管理にかかる鋳鉄製マンホールの蓋一枚(価格三、五〇〇円相当)を窃取した。

一一、同年一一月下旬頃同区三宮町三丁目所属鯉川筋道路上において、右石本正男管理にかかる鋳鉄製マンホールの蓋一枚(価格三、五〇〇円相当)を窃取した。

(証拠の標目)(略)

(前科)

一、被告人大山富士夫は、(一)、昭和二八年六月一九日鹿児島地方裁判所において詐欺罪により懲役一年(未決勾留日数法定一五日、裁定三〇日各通算、右の判決は同年七月四日確定)に処せられ、(二)、昭和三一年四月二四日加治木簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年二月(未決勾留日数三〇日通算、右の判決は同日確定)に処せられ、いずれも当時その刑の執行を終了したもので、この事実は兵庫県兵庫警察署より鹿児島地方検察庁宛前科照会書(同検察庁作成の回答書を含む)によつてこれを認める。

二、被告人高橋要は、昭和三四年一月一七日岡山簡易裁判所において窃盗、住居侵入罪により懲役二年(未決勾留日数法定一五日、裁定二〇日各通算)に処せられ、右の判決は同年二月一日確定したもので、この事実は検察事務官作成の同被告人に対する前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人矢野信男の判示所為中第一の一の強盗殺人の点は刑法第二四〇条後段第六〇条に、第二の一乃至一〇の各窃盗の点はいずれも同法第二三五条(第二の一乃至四、七についてはなお同法第六〇条、第二の一〇についてはなお、同法第二四二条)に、第二の一一の詐欺の点は同法第二四六条第一項に該当するところ、右強盗殺人の犯行は、同被告人自ら首謀者の地位にたつて予め周到な計画を遂げ、前記有島方に退職金など二、三百万円にのぼる銀行預金、現金があることを予想し、これを奪うべく主人は出勤し子供も登校した後の時刻を狙つて留守居の老婦人を襲い、なんら責むべき咎のない同女の生命を奪つたものであつて、その動機において憫諒すべきものがなく、その犯行も大胆にして残酷である。長年生活を共にしてきた妻の生命を奪われ、努力して築きあげた平和な家庭を一瞬にして破壊された有島久等遺族の悲嘆の情は測り知れないものがあり、しかも本件は白昼住宅街において独り留守居する婦人に対し大胆かつ巧妙に行われた犯行であつて、その社会全般に与えた恐怖や不安も大なるものがある。同被告人は保釈中に逃亡すること二回、偽名を用いて起訴猶予になること二回に及び、その他これまでの生活態度、行動傾向等に照らしてその反社会性は高度である。以上の諸点に鑑みるときは、同被告人の不遇な生育過程等その有利な一切の情状を考慮しても、同被告人の罪責の重大さを軽減するに足るものとは認め難いので、右強盗殺人罪については所定刑中死刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四六条第一項に従い他の刑を科せず、被告人矢野信男を死刑に処する。被告人前田敏男の判示所為中第一の一の強盗殺人の点は刑法第二四〇条後段第六〇条に、第三及び第四の各窃盗の点はいずれも同法第二三五条(第三及び第四の二についてはなお同法第六〇条、第四の四の各窃盗の点は包括一罪の関係)に該当するところ、右強盗殺人罪について検討してみると、現場における殺害行為そのものについては被告人矢野信男との間にさほど軽重は認められないが、被告人前田敏男は同大山富士夫に紹介されて被告人矢野信男を知り同被告人に誘われてこれに加担した事情にあり、前記被告人大山富士夫の部屋における謀議に際しても終始被告人矢野信男が中心となつて計画を練り、被告人前田敏男は従属的立場にあつたことが認められるので、その犯情を考慮して所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四六条第二項に従い他の刑を科せず、被告人前田敏男を無期懲役に処する。被告人大山富士夫の判示所為中第一の二の強盗殺人幇助の点は刑法第二四〇条後段第六二条第一項に、第三及び第五の各窃盗の点はいずれも同法第二三五条(第三、第五の一乃至四、同七についてはなお同法第六〇条)に該当するところ、右強盗殺人幇助罪につき所定刑中無期懲役刑を選択し、窃盗罪については前示前科があるので同法第五六条第一項第五九条第五七条によりそれぞれ法定の加重をし、右強盗殺人幇助罪は従犯であるから同法第六三条第六八条第二項に則り法律上の減軽をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条により重い窃盗罪のうち犯情最も重いと認める判示第五の一〇の罪の刑に同法第一四条の制限に従つて法定の加重をした刑期範囲内において被告人大山富士夫を懲役七年に処し、同法第二一条により未決勾留日数中六五〇日を右本刑に算入する。被告人高橋要の判示第一の三の所為は刑法第二四〇条後段第六二条第一項(正犯が強盗殺人をなすことを知らず、強盗をなすものと認識してなしたものであるから、同法第三八条第二項により強盗致死幇助の罪責を負うことになる)に該当するところ、右は前示確定裁判を受けた罪と同法第四五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五〇条に則り未だ裁判を経ない右判示第一の三の罪につき処断することとし、所定刑中無期懲役刑を選択したうえ従犯であるから同法第六三条第六八条第二号を適用して法律上の減軽をし、なお情状により同法第六六条第六七条第七一条第六八条第三号により酌量減軽をした刑期範囲内において被告人高橋要を懲役三年六月に処し、同法第二一条により未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。押収してあるビニール紐一本(証第八号)は判示第一の一及び二の各犯行に供したもので犯人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを被告人矢野信男、同前田敏男及び同大山富士夫から没収し、同風呂敷一枚(証第七号)は判示第一の一の犯行に供したもので犯人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを被告人矢野信男及び同前田敏男の両名から没収する。押収してある現金三、〇〇〇円(証第三六号)及び洋傘一本(証第三四号)は判示第一の一の犯行の賍物であつて被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項を適用してこれを被害者有島キヨの相続人に還付する。なお被告人矢野信男、同前田敏男、同大山富士夫及び同高橋要に対する各訴訟費用は同法第一八一条第一項但書によりいずれもこれを負担させないこととする。

(本件公訴事実中被告人大山富士夫の所為につき共謀共同正犯を認めず、幇助罪を認めた理由)

被告人大山富士夫は、同矢野信男及び同前田敏男との共謀共同正犯として本件強盗殺人の犯行を遂行したものとして起訴されたのであるが、当裁判所は前掲各証拠により右強盗殺人の点は被告人矢野信男及び同前田敏男両名の犯行とし、被告人大山富士夫の行為は右両名の犯行を幇助したものと認定した。

その理由を以下に検討すると、

一、被告人大山富士夫が同矢野信男から右犯行の計画を打明けられた際の状況。

甲事件の第一二回公判調書中被告人大山富士夫の供述記載、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月二二日付及び同月三一日付各供述調書、甲事件の第九回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同被告人の検察官に対する同月二九日付供述調書を綜合すると、昭和三三年一二月四日被告人大山富士夫は同矢野信男から、前記有島方を襲つて留守居の奥さんを殺害したうえ金品を強取しようと誘われたが、これを拒否したことが認められる。ところで右拒否の意味について検察官は単に自己が実行々為に加わることを拒否したに止まるものと主張するのであるが、被告人大山富士夫は昭和三三年一〇月二八日内縁の妻を失つたばかりでその四九日も終つていないこと、またこれ迄に窃盗や詐欺はやつたことがあるが人を殺して金品を奪うというようなことは思いもつかぬことであつたので恐しいのが先にたつて被告人矢野信男の誘いを拒否したという事情が窺われるのであつて、どちらかといえば実行々為のみを拒否したに止まるというよりは、一旦はいかなる意味においても仲間に入ることはやめようという意思でもつて右の誘いを拒絶したものと解するを相当とする。

二、被告人大山富士夫が、同矢野信男に対し同前田敏男を紹介した前後の事情。

(一)、右一掲記の各証拠及び被告人前田敏男の検察官に対する昭和三三年一二月三〇日付供述調書によると、被告人大山富士夫は右矢野信男の誘いを拒否したのであるが、同被告人から、「君ができないのなら誰か心当りの人はおらんか」と仲間の紹介を頼まれその時被告人大山富士夫は二階に住んでいる被告人前田敏男のことを思い出し、同被告人が二、三日前にも、「このような拾い屋の生活から抜け出したい、悪いことでもいいから大儲けできるようなことがないかなあ」と洩らしていたので、同被告人のことを被告人矢野信男に話したところ、「その人とやつてみたいから会わしてくれんか」と云われてこれを了承した事情にあることが認められるのであつて、被告人大山富士夫はこの点においては受働的であつたと考えられる。

(二)、甲事件の第一二回公判調書中被告人前田敏男の供述記載及び同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月二六日付供述調書によると、被告人大山富士夫は右矢野信男から紹介方依頼を受けた翌日である一二月五日夜前記被告人前田敏男の部屋へ行き同被告人に対し、「知り合いの男が二、三百万円儲かる仕事をやらんかと云つてきた、自分は死んだ妻の四九日も過ぎんからそんなことようせんと云つた」旨を話したことが認められるが、その際口に出してその男と一緒にやらんかとか、その内容はこうだというようなことは別に被告人前田敏男に対して話していないことが窺われるのであつて、被告人大山富士夫が同前田敏男に対しこの点で特に積極的に本件犯行に加わるように働きかけたとは認められない。

(三)、甲事件の第一二回公判調書中被告人前田敏男及び同大山富士夫の各供述記載、被告人前田敏男の検察官に対する昭和三三年一二月二六日付供述調書によると、被告人大山富士夫は一二月六日午前一一時頃前記自室において、「満村(矢野)は事件師で弁護士上りの男や、又憲兵もしていたことがあつて法律の裏をよく知つとる」と被告人矢野信男と同前田敏男とを引き合わせた。被告人前田敏男はこれを聞いて満村(矢野)が犯罪をやつても警察に引つ掛るようなへまをやる男でなく、捕つても軽い処分でうまく逃れる男だという風に感じた。被告人矢野信男も「自分は弁護士上りで憲兵もやり法律の裏をくぐるのは何でもない、警察は阿呆や」というようなことを云つた。被告人前田敏男は、これらの話とか右矢野信男が胸につけていた弁護士のものに似た菊のマークのバツジを見て同被告人を信用し、その二、三百万円になるという事件をやつてみようという気持になつた。その後被告人矢野信男において前田敏男に対し、その計画した犯行の内容を話し始めた。という順序で本件が発展して行つたことが認められるのであつて、被告人前田敏男において、内容は判らないが二、三百万円になるという事件を被告人矢野信男と共にやつてみようという気持を抱くに至つたのは、被告人大山富士夫の行為のみに起因するのではなく被告人矢野信男の言語、態度にも負うところがあつたものと解するを相当とする。また被告人前田敏男が本件強盗殺人の犯行の決意を抱くに至つたのは、被告人矢野信男から前記有島方の内情、犯行の具体的実行方法等について説明を受けてからであると認められ、その時点は被告人大山富士夫の右紹介行為からかなりの後であり、その決意は被告人矢野信男の働きかけに起因するものであつて、被告人前田敏男が犯意を生じたのは同大山富士夫の策動の結果であるとする検察官の主張はこれを採用することが困難である。

三、本件犯行による賍物の分配について。

(一)、甲事件の第一二回公判調書中被告人前田敏男の供述記載、被告人大山富士夫の検察官に対する昭和三三年一二月二二日付及び同月三一日付各供述調書、同矢野信男及び同前田敏男の同月三〇日付各供述調書を綜合すると、本件強盗殺人の犯行による賍物の分配について格別明確な約束があつたわけではないが、被告人大山富士夫において右犯行が成功すれば幾何かの分け前を受取り、被告人矢野信男及び同前田敏男と遊興する意図を有していたことは認められる。

(二)、ただ被告人矢野信男及び同前田敏男の検察官に対する昭和三三年一二月三〇日付各供述調書によると、右両名は一二月六日の夜前記被告人前田敏男の部屋において、被告人大山富士夫のいないところで、「今度うまくいつたら半々に分けよう、その中からいくらかずつ出し合つて大山にやろう」との約束を交わしたことが認められるのであつて、これによると、右両名の意思としては「本件犯行はあくまで二人でやるのだ、従つて分け前は半々なのだ、大山には世話になつたお礼という意味でいくらかずつ出し合おう(一割くらい同人にやるつもりであつた……第一二回公判調書中被告人前田敏男の供述記載)」ということであつたものと思料される。

四、着衣の処分引受、鳥打帽子の貸与、ビニール紐の供与等について。

甲事件の第九回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同第一二回公判調書中同前田敏男及び同大山富士夫の各供述記載、被告人矢野信男の検察官に対する昭和三三年一二月二九日付及び同月三〇日付各供述調書、被告人前田敏男の検察官に対する同月二六日付及び同月三〇日付各供述調書、被告人大山富士夫の検察官に対する同月二二日付及び同月三一日付各供述調書、押収してあるビニール紐一本(証第八号)及び鳥打帽子一個(証第三五号)の各存在を綜合すると、被告人大山富士夫は前記自己の部屋における本件犯罪の実行方法についての協議の際、被告人矢野信男及び同前田敏男両名の犯行後の着衣の処分を引受け、また犯行当日は右前田敏男に対し自己の鳥打帽子を貸与しあるいは右矢野信男の求めに応じビニール紐一本を切断して渡す等の行為をしたことが認められるが、これらはいずれも客観的に観察して本来幇助行為としての評価を受けるべき行為であつて、これらの行為も場合によつては質的転換を遂げ共謀の意思の発現とみられるに至る可能性がないとはいえないが、本件の右各事実からは他の諸事情と相俟つて、むしろ被告人大山富士夫に幇助の意思こそが推測されるものと解せられる。

五、被告人大山富士夫において本件犯罪の実行方法についての計画に関与した程度。

右四記載の各証拠(但し証拠物を除く)によると、被告人大山富士夫は前記自己の部屋における協議に際し、犯行後の遊興の点及び着衣の処分の点について発言したことは認められるが、かんじんの実行々為そのものについては、まことに詳細に亘る計画がたてられているにも拘らず、これに関してなんらかの発言をしたとの事実はこれを窺うことができない。従つて本件犯罪実行の方法については、専ら被告人矢野信男が中心となつて同前田敏男との間に計画が進められたものと考えられる。

六、共謀共同正犯は、二人以上の者が特定の犯罪を行うため、共同意思のもとに一体となつて互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行し、もつて自己の犯意を実現するものであつて、その故にこそ共謀者は実行々為そのものに関与しなかつたとしても、他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行つたという意味において共同正犯の刑責を負うのである(昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日言渡大法廷判決(集一二巻八号一七一八頁)、昭和一〇年(れ)第一七九一号同一一年五月二八日言渡刑事連合部判決(刑集一五巻七三三頁)参照)。以上考察してきたところから判断すると、被告人大山富士夫は本件強盗殺人の犯行によりその賍物について分け前を貰う意思はあつたけれども、同被告人自身、被告人矢野信男及び同前田敏男両名の行為を利用し、自己が人を殺して金品を奪うというまでの強い意思によつて前記被告人前田敏男を紹介する等の行為をなしたものとは認められない。被告人矢野信男に同前田敏男を紹介した行為及びビニール紐の供与によつて代表される一連の行為を通じて、右両名の本件犯行を容易ならしめる意思をもつてその助成行為をしたものと解するのが相当である。なお本件においては訴因を変更せずに幇助罪を認定しても被告人の防禦に実質的な不利益を及ぼすことがないと思料されるので、訴因の変更をすることなく強盗殺人幇助罪として処断したわけである。

(本件公訴事実中被告人矢野信男の昭和三四年(わ)第四八七号詐欺被告事件の第一(予備的訴因窃盗)について主たる訴因を採用しなかつた理由)

一、被告人矢野信男において、前記寺村建材株式会社に樋状の古鉄板約一屯四二〇瓩(以下本件鉄板と略称する)がありこれが売りにだされていることを知つた事情。

当裁判所の寺村審一及び宮下忠雄に対する証人尋問調書、宮下忠雄の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、甲事件の第一一回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同被告人の検察官に対する昭和三四年三月一八日付供述調書によると以下の事実が認められる。即ち被告人矢野信男は昭和三三年一〇月上旬頃から前記古鉄商宮下忠雄方に住込み、京都市内において古鉄等を買い集め、値段が合えば右宮下忠雄に買つてもらい、大物であるとか値段の合わないときは同人の了解をえて他へ転売していた。同月中旬頃富士製氷の解体材料売買の仲介をするべく前記寺村建材株式会社の責任者某を案内した際、同人から会社にトラフ型(コの字型)の鉄板が一屯余りあるのだがそれを買わないかと云われ、一応見せてもらいますということでその日は別れた。その後同会社へ右鉄板を見に行つて経営者の寺村審一を知つた。右の樋状鉄板(本件鉄板)は同会社が建物の取壊しを請負つて取得したもので同会社の工場の北側の塀の個所に置いてあり、もともと樋の型の三尺巾の鉄板をコの字型にしてあつたもので長さは一本一五尺から二〇尺位あり途中四、五尺あるいは六尺位のところで熔接してあつた。被告人矢野信男はこれを見て、この鉄板であればスクラツプとしてでなく、所謂いきものとして取引できる品物であると考えた、また右寺村審一にしても本件鉄板を三、四月の長期間に亘つて持つていたのは、打抜き用とするかあるいは樋として使用するかして所謂いきものとして売却できるものと考えていたためであつた。その日は両者の間に値段が屯当り二、三千円から四、五千円離れていたので、被告人は後程買手をみつけてからと思つて帰つたようである。

二、被告人矢野信男が転売先を探しあるいは業者に見込の価格を尋ねた状況。

当裁判所の林静一に対する証人尋問調書、木村隆一及び宮下忠雄の検察官に対する各供述調書、甲事件の第一一回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同被告人の検察官に対する昭和三四年三月一八日付供述調書によると、被告人矢野信男は右寺村建材株式会社から帰つたのち前記宮下忠雄に対し本件鉄板を買つてもらうべく交渉したが値段が合わず、同人から木村商店及び林商店を教えてもらつた。そうして同被告人は先ず主として所謂いきものを扱う右木村商店の息子木村隆一に対し富士製氷の解体材料を見せるのと同一の機会に同人を前記寺村建材株式会社へ案内して本件鉄板を見せたが、「これだつたらうちにむかない旨断わられた。次に被告人矢野信男は同年一一月初頃一部所謂いきものを扱つている右林商店の主人林静一に対し、同様富士製氷の解体材料(鉄骨)を見せた折に、「トラフ型の三、六の定尺で、一分板の錆びていない新鉄があるのだがいくら位するだろうか」と尋ねたところ、「品物を見ないと判らないが、新鉄でいけるなら最低屯当り二〇、〇〇〇円位するだろうという趣旨のことを云われた事実を認めうる。そこで右木村隆一に断わられた事実から、被告人矢野信男においてもはや本件鉄板が所謂いきものとしては取引できないものであるということを認識していたか否かについて検討すると、右認定のごとく被告人はその後前記林静一に対し、現物を見せた訳ではないが一応本件鉄板につき説明をしたうえその価格を尋ねているのであつて、同被告人としては右木村隆一に断わられたものの、なお他の業者との交渉によつては所謂いきものとして転売することができるかもしれないとの意思を抱いていたとも解せられるところ、右林静一から「品物を見ないと判らないが、新鉄でいけるなら最低屯当り二〇、〇〇〇円位するだろう」との回答をえたことによつてその意思を強めたことは想像に難くない。そうしてまた、右林静一において弁護人の問に対し、「被告人のいつたとおりトラフ型の定尺の錆びていない新鉄であれば屯当り二〇、〇〇〇円位する)という趣旨の証言をしていること、前記寺村審一も所謂いきものとして売却できるであろうとの考えから三、四月の間本件鉄板を持つて買手を探していたこと等の事情に徴しても、被告人がなお所謂いきものとして屯当り最低二〇、〇〇〇円位で転売できるだろうと考えることはそれほど不合理だという訳でもない。従つて客観的には所謂いきものとして取引できない品物であつたけれども、右木村隆一から断わられた事実をもつて直ちに当時の被告人にその旨の認識があつたとみることは困難である。

三、前記寺村審一に対し本件鉄板を買受けたい旨交渉した際の模様。当裁判所の寺村審一に対する証人尋問調書、甲事件の第一一回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同被告人の検察官に対する昭和三四年三月一八日付供述調書によると、被告人矢野信男は昭和三三年一一月一四日前記寺村建材株式会社において寺村審一に対し、本件鉄板を買受けたい旨交渉したのであるが、右の交渉が被告人の真意にでたものであるか否かは一応措くこととしてその際の交渉の模様を考察してみると、右寺村審一がその代金につき当初は二万二、三千円といつたのを、被告人において「私も口銭だけみるようにまけてくれと屯当り二〇、〇〇〇円そこそこで転売できるような口ぶりを示し、かなり努力して結局一八、〇〇〇円に落着したとの事情が窺われる。

四、被告人矢野信男において玄一男を介し、竹原繁方へ本件鉄板の切断を依頼した日時について。

竹原繁及び玄一男の検察官に対する各供述調書、甲事件の第一一回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同被告人の検察官に対する昭和三四年三月一八日付供述調書によると、被告人矢野信男は前記宮下忠雄方の運転手である玄一男に対し、鉄板の切断をしてくれるところの紹介を求めた。そこで右玄一男は竹原繁方へ行き同人に対し、一一月一五日に本件鉄板をガスで切断してくれと頼んだところ、同人からその日は都合が悪いので一一月一六日の日曜日にしてくれと云われ、帰つてそのことを被告人矢野信男に伝えた。同被告人は一一月一五日夜右宮下忠雄方の買子某を介し、右竹原繁に対し一一月一六日でよいから切断をしてくれと依頼したとの各事実が認められる。問題は右玄一男において竹原繁方に切断依頼の目的で行つた日時であるが、この点に関しては、(一)、竹原繁の検察官に対する供述調書、同人の司法警察員に対する昭和三三年一二月二五日付供述調書によると、いずれもそれは一一月一三日頃であつた旨の記載があり、(二)、玄一男の検察官に対する供述調書には、一一月一六日の少し前であつたかに受取れる記載がある。また被告人矢野信男は、(三)、甲事件の第一一回公判調書によると、裁判長の「切断を考えたのはいつか」との問に対し、「取引をしてからすぐです、大物ですから……運搬にも困りますので」と答えており、(四)、同被告人の検察官に対する昭和三四年三月一八日付供述調書によると、検察官の「君はガス屋の竹原が日曜日でないと来れないという事を、この日より二、三日前から判つていたのではないか」との問に答えて、「私はその二日前の金曜日(註、一一月一四日)に竹原さんに意向を尋ねてみましたら、土曜日はモーターの展示会があつて行けんから日曜日にしてくれという事を聞きました」と述べている。ところで右(一)の「一一月一三日頃」という表現は一一月一四日である可能性を含んでおり、また右(二)の「一一月一六日の少し前」というのはまことに漠然とした表現にとどまるから、右の程度の証拠をもつてしては玄一男が竹原繁方へ行つた日時が前記三の一一月一四日における売買の交渉(以下本件売買契約と略称する)の以前であると断定することは困難である。通常切断というようなことは、特別な事情のない限り、売買であれば契約が成立した後に切断業者との間にその交渉がなされるものと解されるところ、本件においては切断費用が売買代金を決定するうえに重要な意義を有していた等の事情も格別見当らず(玄一男は単に一一月一五日に切断してくれと頼んでいるのみであつて、その費用の点については特に交渉した形跡がない)、被告人矢野信男の右(三)、(四)記載の各供述は単なる弁解としてこれを排斥することのできないものを含んでおり、かえつて右玄一男において本件売買契約によつて定められた引取日に当る一一月一五日を指定して頼んだ事実に徴しても、一一月一四日本件売買契約をした後に切断を依頼したものと認めるのが相当である。従つて切断依頼が右契約以前の時点にあつたものとし、そのことから被告人において一一月一五日には引取りに行けないことを予て諒知していたにも拘らず敢て同日引取る旨の約束をしたということはできないと思料する。

五、被告人矢野信男において事前の連絡をすることなく一一月一六日(日曜日)に本件鉄板を引取りに行つた点について。

当裁判所の寺村審一に対する証人尋問調書、竹原繁の検察官に対する供述調書、甲事件の第一一回公判調書中被告人矢野信男の供述記載、同被告人の検察官に対する昭和三四年三月一八日付供述調書によると、被告人矢野信男は一一月一五日夜前記宮下忠雄方の買子である某を介し、前記竹原繁に対し一一月一六日でよいから本件鉄板の切断をしてくれと依頼し、前記寺村建材株式会社に事前に連絡をすることなく同日朝右竹原繁を伴つて同会社へ行つたことが認められる。ところで右寺村審一の証言によると、同会社は月のうち第一及び第三日曜日が休日であり、その故に一一月一五日の土曜日を引取日としたことが認められるのであるが、本件売買契約の際に右寺村審一が被告人に対し、「一一月一六日は休日であるから都合が悪い」旨を表示したかどうかは必ずしも明らかでない。従つて被告人矢野信男において当日が休日である旨の認識を有していたことは疑問であつて、この点も詐欺の犯意ありとする状況証拠とすることはできないと考えられる。

六、被告人矢野信男が前記林静一の弟に当る林吉之助に対し本件鉄板を転売するべく交渉した前後の状況。

当裁判所の林吉之助及び寺村審一に対する証人尋問調書、竹原繁の検察官に対する供述調書、甲事件の第一一回公判調書中被告人矢野信男の供述記載によると、被告人矢野信男は一一月一六日朝前記寺村建材株式会社において、折から来合せた前記寺村審一の了解をえ、本件鉄板の切断が終る頃に同人に対して電話連絡をする等約したうえ、同日正午前頃前記林商店に電話して転売の交渉をした。ところが生憎前記林静一が不在であつたため同人の弟である林吉之助に現場へ来てもらい本件鉄板を見せたところ、屯当り一五、五〇〇円の値段をつけられたので、同人が帰つた後、被告人は竹原繁に対し、「金を値切りよつたから、そんなに丁寧に切断しないでよい」等と云つた事実も認められる。

七、以上に考察してきた各事情を綜合すると、被告人矢野信男が昭和三三年一一月一四日の本件売買契約時において、あるいは同月一六日朝寺村審一から本件鉄板の切断について了解をえた時点において、詐欺の犯意があつたとの事実はいずれもこれを認めるに足りる証拠がなく、かえつて判示第二の一〇に認定したごとく右林吉之助から屯当り一五、五〇〇円の値段をつけられたために、前記寺村建材株式会社との契約を履行する意思を放棄し、勝手に本件鉄板を搬出して右林吉之助に転売したうえその代金を持逃げしようとの意思を生じたものと解するを相当とする。もとより詐欺罪の犯意は人の主観的事実であつて、被告人が自白する場合の外は前後の客観的事実からこれを推認するほかはなく、右林吉之助に値段をつけられた後にも、(一)、普通ならば手附金も入れてないのであるから取引を中止し切断費の損害だけに止めるか或は値引の交渉をする筈であるのに右寺村審一に電話連絡をすることもなくこれを同人の戻つてこない間に急いで屑値にしか買わない林商店へ搬出していること(もつとも、被告人は当公廷においてスケールの際実際よりも少ない計量伝票を発行して貰い寺村の方にはそれしか目方がなかつたように誤魔化し取引の損失をカバーする積りであつたと述べているが、一屯につき一〇瓩位迄ならともかく、本件取引を行うことにより生ずる損失を補う程の不正計量は実際上あり得ないことは証人林吉之助、同玄一男の各証言により明らかである)。(二)、転売の際に右林吉之助に対し現金支払を要求し、かつ同人から受取つた小切手を直ちに現金化していること、(三)、転売金を得るやこれを持つてそのまま神戸へ出奔したこと等被告人に不利な事実が認められるわけであるが、これまで検討したところによりこれらの事実は予備的訴因である判示第二の一〇の窃盗の事実により近接し同事実を矛盾なく説明するものと解せられる。従つて本件公訴事実中被告人矢野信男に対する昭和三四年(わ)第四八七号詐欺被告事件の第一事実の主たる訴因である寺村審一に対する詐欺の点は犯罪の証明がないものとしてこれを採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 江上芳雄 白井守夫 松原直幹)

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