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盛岡家庭裁判所 昭和43年(家)352号 審判 1968年9月09日

申立人 植田ナツ(仮名)

事件本人 勝沼正治(仮名) 昭二八・九・一四生

外二名

主文

事件本人らの親権者を本籍岩手県○○市○○字○○○△△△番地亡勝沼照夫から、申立人植田ナツに変更する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求め、本件申立の実情として、次のとおり述べた。

申立人は、事件本人らの父亡勝沼照夫と昭和二七年七月二四日結婚し、夫婦間に事件本人ら三児のほか亡長女良子(昭和三一年八月二二日死亡)の四児を儲けたが、中学校の教諭であつた照夫は転勤により、岩手県○○○郡○○町○○中学校に単身赴任後、同地において知り合つた安川容子と婚姻外の関係を生じたため、夫婦間に破綻を来し昭和四二年四月三日協議離婚した。

その際、事件本人らの親権者をいずれも父照夫と定めたが、事件本人らに対する養育監護は、婚姻中に引き続き母である申立人が当ることとし、申立人と離婚後間もなく右容子と再婚した照夫よりその生存中毎月一万円ないし一万五、〇〇〇円程度の養育費の仕送りを受けると共に、農業の手伝いをして働いている申立人は実家の援助を受けながら事件本人らの養育監護に当り、現在に至つている。ところが本年七月一日右照夫は胃癌のため入院中の○○病院において後見人を指定することなく病死し、親権を行う者がなくなつたため、親権者を右亡照夫から申立人に変更してもらいたいというにある。

よつて審案するに、当裁判所の調査の結果によると、上記事実はすべてこれを認めることができる。

ところで単独親権者が死亡すれば民法第八三八条により後見が開始するから、生存する父または母があつても後見人を選任しなければならずその者が希望し、かつ適任ならば同人を後見人に選任すれば足りるとする消極説が従来の多数説であり、いろいろと問題にされているところである。

しかし、未成年者後見の制度は、身分法上の包括的権利義務を有する親権制度の延長であつて、その補充あるいは代用たる性格を有するにすぎないものと解され、両者を別個の制度としている民法の趣旨からいつて、未成年子の養育監護はすべて本能的な自然の愛情によつてなされる親権者を先ず予定し、かかる愛情を期待し得ない後見人の地位には種々の監督規定がおかれ、その適正化がはかられている。

もともと、両親が生存しているのに単独親権者になるのは、例外的に父母の一方の親権喪失または辞任による場合を除いて、婚姻関係にないため、共同親権行使が事実上できないからであつて、他方が親権者として不適当である場合にかぎらない。

したがつて、再婚その他の事情から未成年子と生活を共にしておらない場合はともかくとして、未成年子と共同生活体にありながら、やむをえず親権者の地位にない父または母が実子の後見人になるよりは、本来の親権として、その養育監護に当りたいと願うのは一般の国民感情として当然のことであり、この心情は全く無理からぬ情理として、何人にもこれを理解されうるところである。

そこで、かかる場合の是非についてはあくまで未成年子の利益を中心にして合目的に判断されなければならないが、前記親権の喪失または辞任の場合のように取消しまたは回復により再び親権者になりうる規定がないため、当然にそれは認められないわけであるが、本件についてはまだ後見人の選任がなされておらず、また離婚により形式上は親権者たる地位を失つたにすぎない申立人が婚姻中となんら変ることなく事件本人らの成長のみを生き甲斐とし、親権者の死亡後は前記養育費の支給がなくなつたため、さらに苦しくなつた経済状態に耐え、なお一層強い決意のもとに事件本人らの養育監護に当つているので、申立人が親権者として最も適任であり、かつ事件本人らの利益にも必要欠くべからざるものと考えられるから、本件申立を相当と認め、民法第八一九条第六項により主文のとおり審判する。

(家事審判官 田辺康次)

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