大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和43年(わ)265号 判決 1969年6月09日

被告人 樋下光夫

昭和一七・一一・三〇生 会社代表取締役

主文

被告人を懲役六月に処する。

但し、この裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、いずれも公安委員会の運転免許を受けないで、

第一、昭和四二年七月一三日午前一〇時二〇分頃、盛岡市城西町九番八号附近道路において、自動二輪車(盛岡市六三―八一号)を運転し、

第二、同年同月二九日午後九時五〇分頃、同市盛岡駅前北通五番二号附近道路において、前記車輛を運転し、

第三、同年八月一一日午後二時四〇分頃、同市菜園二丁目七番一号附近道路において、前記車輛を運転し、

第四、同年一〇月六日午前一一時四五分頃、同市内丸一番地内岩手公園下道路において、前記車輛を運転し、

第五、同年一一月六日午後二時三〇分頃、同市大通二丁目三番地内飯塚洋品店附近道路において、前記車輛を運転し、

第六、昭和四三年四月四日午前一〇時五〇分頃、同市上鹿妻一〇地割五九番地附近道路において、前記車輛を運転し、

第七、同年同月一〇日午後一一時三〇分頃、同市夕顔瀬町四の一番地附近道路において、前記車輛を運転し、

第八、同年七月二日午後三時五五分頃、同市大通一丁目一一番二三号附近道路において、前記車輛を運転し、

第九、同年同月三一日午前一〇時四七分頃、同市城西町九番二二号附近道路において、前記車輛を運転し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張について)

一、弁護人は要旨次のごとき理由により、被告人は無罪であると主張している。すなわち、被告人は身体障害者等級の三級障害に該当する難聴者であり、補聴器を使用すれば警音器の吹鳴音等は十分聴取可能な者であるが、自動車運転技術は優秀であつて、法規、自動車構造等についての知識も十二分に有している。しかして被告人は、実兄の経営する土建業鳶樋組の監査役をかねて、同会社の現場連絡を担当しており、工事現場間を走り廻らなければならず、また自分でも貸ビル業をやつており、その家賃取立て等はもちろん、空室の借用申し込み等があつた場合、電話一本で直ちにかけつけなければならず、また近くサウナ風呂の経営をはじめる予定で、飲食品等の仕入れ、商談等のためにも、どうしても自動車、少なくとも自動二輪車を使用しなければならない事情にあつた。しかるに、単に耳がきこえないということだけで運転免許試験の受験そのものを拒絶され、生活上の必要からやむなく、免許なくして本件起訴事実のとおり自動二輪車を運転したものである。元来、「耳のきこえない者」には免許を与えないとする道交法八八条一項二号の規定は、耳のきこえない者であつても自動車の安全な運転は可能であるから、その合理的根拠を欠くものでろうあ者に対するいわれなき差別であり、法の下の平等を定めた憲法一四条、および職業選択の自由を定めた憲法二二条に違反するものである。仮にそうでないとしても、少なくとも道交法施行規則二三条は憲法の右各条項に違反するものであり、特に右についての行政解釈(昭和三九年九月二五日警察庁運転免許課長通達)は、難聴者に対する聴力試験に補聴器を使用することの拒否を指示しているが、きわめて不当なもので右憲法違反の結果をもたらすものである。右のように現行制度は憲法に違反する不当、不合理なものであり、被告人はむしろ右不当な制度の犠牲者なのである。しかして、被告人の所為は、たとえば大型トラツクを運転したというようなものでなく、自己の生活権を守るために必要な最少限の自動車、すなわち自動二輪車を運転したにすぎない。したがつて、右は緊急避難もしくは自救行為に該当するものというべく、違法性もしくは有責性を阻却するものである。

二、当裁判所は、以下に述べる理由により、右弁護人の主張は理由がないと判断する。

1、道交法八八条一項二号以下、「耳のきこえない者」に運転免許を与えない現行制度は憲法一四条、二二条違反であるとの前提について。

「耳のきこえない者」を自動車運転の不適格者とすることは、道路交通における安全確保の配慮(自動車運転時における内外の音響に対する適応能力の欠如を問題とする)からであろうと容易に推測しうるところである。そして、警察庁運転免許課長である証人西川芳雄の当公判廷での証言によると、耳がきこえない者の場合は、他の自動車の警音器の音がきこえないこと、鉄道踏切などの警報機の音がきこえないこと、交通警察上警察官がいろいろ指示をしてもわからない場合が多いこと、主にこの三点からたとえ自動二輪車であつても、これを運転させることは危険が多いと考えられるというのであり、当裁判所も現今の交通戦争ともいわれる自動車ラツシユの状態に鑑み右意見をもつともであると考えるし、他にもエンジンの調子が耳で聞きわけられないこと、積載荷物の動揺、落下の音もきこえないこと等の不便があることも考え合わせれば、右道交法八八条一項二号の問題の部分は十分合理的な根拠があるというべきである。弁護人は、前記三点につき、ろうあ者でもバツクミラーの使用等、視覚によつてこれを補うことが可能であるから危険はない旨云々するが、視覚によつて完全にカバーできるとは考えられず、部分的なことを全体に押し広げようとする議論であつて、賛同することができない。また、本件に現われた証拠上、過去においてろうあ者であるが一般受験者にまじつて運転免許試験を受け、聴力検査を経ないで試験に合格し、原動機付自転車の免許を得て事故を起すことなくこれを乗り廻していた者が若干存在したことが認められるが(聴力検査を受けて合格と認められた者の場合は、法の定める「耳のきこえない者」には当らないのであるからこれは論外である)、かかる少数の者の事例をもつて、一般的に耳のきこえない者に原動機付自転車ないしは自動二輪車の運転を許してもなんら危険はないという証左とするには足りないから、これまた右弁護人の主張を理由あらしめるには足りないのである。ろうあ者に運転免許を与えることについては、ろうあ者側の都合や観点からだけでなく、交通安全に関する一般的国民感情を基本として判断しなければならないのであり、現時点においては右国民感情は、ろうあ者に運転免許を与えることを支持する意見が多数であるとは考えられないし、厚生省社会局厚生課々長補佐である証人井出精一郎の当公判廷での証言、検察官提出の岩手県警本部交通第二課々員作成の「運転免許の欠格事由について」と題する報告書によれば、ジユネーブ条約加盟の世界三四ヶ国のうち、「耳のきこえない者」を運転免許欠格事由としていない国はイギリスと南アフリカオレンジ自由州のみであり、医師の判定によつて欠格事由となる扱いが八ヶ国で、その他二四ヶ国は欠格事由としていることが認められ、(昭和四〇年一二月現在)世界の大勢は耳のきこえない者の自動車運転を危険視していることがわかるのであるから、これをもつてしても前記道交法八八条二項の規定部分が、合理的根拠を有し、不当な差別規定というに当らないことが支持されるであろう。

次に、道交法施行規則二三条の適性検査基準のうち、聴力についての基準が、「一〇メートルの距離で、九〇ホンの警音器の音がきこえること」としている点については、前記西川証人の証言により、前述のような交通安全確保のために必要とされる実際的な聴力を判定するにつき適切、妥当であることが認められる。弁護人のこの点に関する論難も当らないといわざるを得ない。(現に、多少の難聴者でも右基準による聴力検査を受けて合格している者があることが、本件証拠上認められるのであるから、聴力に欠陥のある者は一切しめ出すというわけでもない)さらに、弁護人指摘の昭和三九年九月二五日警察庁運転免許課長通達についても、検察官提出の岩手県警本部交通第二課々員作成の、運転免許適性試験の実施についてと題する報告書によれば、聴力検査に補聴器の使用を認めない理由は、「難聴者が補聴器を使用すれば、普通の会話には効果があるが、自動車を運転し、危険音(警戒音)を知ることには利益がない。すなわち、(1)、音の方向が判断し難い。(2)、警戒音だけでなく、すべての音が増巾されているので、音の質を聞きわけることが困難である。(3)、試験のときは、ボリユームを高くして受けるが、平常はそのようなボリユームでは、騒音がうるさくて使用できない。(4)、眼鏡とちがつて、スイツチを切つていても外見上わからない。」というものであり、前記西川証人の証言によれば、現在の一般補聴器の性能は右(1)、(2)のとおりであつて、将来においてこれが格段に改良されないかぎり、右(1)、(2)の難点は解消しないことも認められるから、(3)、(4)の諸点もこれに加え、右補聴器の使用を認めない理由は現段階では十分合理的であると認めることができる。この点の弁護人の論旨も理由がない。

以上によつて、「耳のきこえない者」に運転免許を与えない現行制度は憲法違反であるという、弁護人の主張はその理由がない。

2、被告人の行為は緊急避難もしくは自救行為であるとの主張について。

この主張は前記1の主張をその前提としていると見られるところ、その前提自体が首肯し難いことは前述のとおりであるが、その前提を離れて考えるとしても、無免許運転の処罰による保護法益は、道路交通の安全という重要な社会的法益であるから、これを侵害してまで個人的法益の保全を優先させるとすれば、それは生命、身体に対する差し迫つた重大な危険を排除するため等、よほどの緊急な事情がある場合にかぎり、これを認めるべき余地もあるであろうが、被告人の場合はなんらこれに類する緊急の必要性を認めることはできない。その主張にかかる自動二輪車の運転の必要性ないし理由は、自己の営む貸ビル業等の事業の遂行、または兄の営む土建業の手伝につき、取引先廻りや現場連絡等の場合に迅速な機動能力を必要とするから、というのであつて、難聴者として正常人との競争に負けないようにするためといつても、所詮は経済的利益の追求にほかならないのであり、前記の道路交通の安全という社会的法益に優先させてまで、これを保護すべき緊急性ないし重要性は到底認められないからである。(被告人が右の機動能力の必要をみたすには、四輪の乗用自動車を購入し、運転手を雇つてこれを運転させるという適法な手段が存在し、しかも被告人は三階建てのビルも所有し、サウナ風呂、スナツクバーを経営するなど、相当の資力を有すると見られる人物であるから、右のような適法な手段をとろうと思えばとれないことはないと考えられ、また実際にも昭和四三年八月からは、宣伝用に四輪自動車を購入し、妻に運転免許をとらせてこれを運転させていた事実が、被告人本人の供述によつて認められるのである。)

そこで、右弁護人の緊急避難もしくは自救行為であるとの主張は、その法益均衡の観点からして到底これを認めることはできない。

以上の次第であるから、弁護人の主張はすべてその理由がない。

(情状)

無免許運転を九回も反覆し、しかも裁判中に行われたものもあることは、一般の基準からすれば悪質といわざるを得ないが、被告人はろうあ者に運転免許が与えられないことに抗議する信念からこれを行つたもので、その信念と手段は誤つていたのであるが酌量すべき余地があり、四輪自動車購入後は妻にこれを運転させ、自動二輪車の無免許運転は差しひかえていることも認められるので、今回にかぎり執行猶予が相当と認めた。

よつて、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例