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盛岡地方裁判所 昭和38年(ヨ)122号 判決 1964年2月29日

申請人 国

被申請人 山本亀代松 外二名

主文

一、被申請人山本亀代松は、別紙第二目録<省略>記載の建物を収去し、別紙第一目録<省略>記載(一)と(二)の土地を明渡さなければならない。

二、被申請人山本時子同山本英四郎は、別紙第二目録記載の建物より退去し、別紙第一目録記載(一)と(二)の土地を明渡さなければならない。

三、被申請人山本亀代松が本判決送達の日の翌日より七日内に別紙第二目録記載の建物を収去しないときは、執行吏は申請人の申出により被申請人山本亀代松の費用で右建物を収去することができる。

四、申請人の本件仮処分申請のうち、第四項の土地の立入禁止および閉塞工事妨害禁止の仮処分申請部分は、昭和三八年一二月二八日申請人が書面でした仮処分命令申請の取下によつて終了した。

五、申請人のその余の申請を却下する。

六、訴訟費用は被申請人らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

申請人指定代理人は、

「一、被申請人山本亀代松は、申請人に対して、別紙第二目録記載の居宅を本判決送達後五日以内に撤去し、同第一目録記載(一)および(二)の土地を明渡さなければならない。

二、被申請人山本亀代松が、前項の期間内に撤去しないときには、申請人の委任する執行吏は、申請人の申出により同被申請人の費用で同居宅を撤去することができる。

三、被申請人山本時子および同山本英四郎は、第一項の居宅の占有を解き、同敷地を申請人に明渡さなければならない。

四、執行吏は本判決の趣旨を公示するため適当の方法をとることができる。」

との判決を求め、申請人の本件仮処分申請のうち、「被申請人山本亀代松は、自ら、又は第三者をして、岩手県和賀郡湯田村地内、同県採掘権登録第四七四号鉱区のうち、平野鉱床内島中坑道入口右下盤を中心として半径六五米の円弧と、北上川右支川和賀川左岸とをもつて囲む範囲の土地に立入り、申請人の施行する右島中坑道の閉塞工事を妨害し、またはせしめてはならない。」旨の仮処分申請部分は、全部申請人指定代理人が昭和三八年一二月二八日右仮処分命令申請を取下げたので終了した。と述べた。

被申請人ら訴訟代理人は、

「申請人の本件仮処分申請を却下する。」との判決を求め、申請人の本件仮処分申請のうち前記仮処分命令申請部分の取下について、仮処分申請事件が口頭弁論に付され、判決手続に移行した以上、その仮処分命令の申請の取下げには被申請人の同意を要すると解すべきであるが、被申請人らは申請人の右取下に同意しない。

と述べた。

第二、当事者の主張

一、申請人の主張

(イ)  申請人(東北地方建設局長)は、昭和二八年四月建設省の起業で、岩手県和賀郡湯田村大荒沢地内の北上川右支川和賀川に洪水時の流量調節による災害の防止、および渇水期における田畑のかんがい用水の確保と、発電所を設置して発電を行うことを目的とする湯田ダム建設工事に着手したが、別紙第一目録記載の土地は、右工事に伴う貯水用地として水没することになつたため、昭和三六年八月九日申請人は、右土地および同地上に所在する別紙第二目録記載の建物の所有者である被申請人山本亀代松との間に、右建物を昭和三七年二月八日迄に前記湯田ダム工事用地および湛水用地外に移転する。若し、この期日迄に移転できない場合には、申請人において右被申請人の建物所有権の放棄があつたものと認め自由に処分することができる。申請人は、右移転補償費等合計六、〇五一、九八三円を前払する、旨等の合意が成立し、昭和三六年八月二一日申請人は右被申請人に対し、移転補償費等を前払し、翌二二日申請人は右被申請人から別紙第一目録記載の土地を買受けてその所有権を取得し、同月二四日その旨の所有権移転登記手続を経由した。

ところで、被申請人山本亀代松は約定の期日迄に本件建物を収去しなかつたが、申請人は右被申請人が自発的に建物を収去するものと信じ、その求めに応じ数回にわたり、収去の期限の延長を認め、ついに昭和三八年八月末日迄猶予した。しかし、被申請人山本亀代松は約旨に反し、この期限後も本件建物に被申請人山本時子、同山本英四郎(亀代松の母と弟)を居住させてこれを収去せず、本件土地に対する申請人の所有権の行使を妨げている。

又、被申請人山本時子、同山本英四郎は、本件建物に居住し申請人の居住先の斡旋にもかかわらず言を左右にして応ぜず、これ又申請人の本件土地に対する所有権の行使を妨げている。

そこで申請人は、本件土地の所有権に基づいて、被申請人山本亀代松に対し、本件建物を収去しその敷地の明渡しを、又被申請人山本時子同山本英四郎に対し、本件建物より退去しその敷地の明渡しをそれぞれ求める。

(ロ)  前記湯田ダム建設に伴い、被申請人山本亀代松所有の岩手県和賀郡湯田村地内、同県採掘権登録第四七四号鉱区(そのうち一部は平野鉱床と他の部分は松倉鉱床と夫々呼称されている)の一部が水没し、平野鉱床については、同鉱床内の島中坑道の閉塞の有無にかかわらず同鉱床内の大部分の採掘が不能となり島中坑道を利用することが不可能となること、又松倉鉱床については、同鉱床内の北坑、新北坑松倉坑、チユーブレ大切坑、勘太坑を閉塞し、これに替わる坑道を開設することにより一部の採掘が不能になるにすぎないこと、およびダムの湛水完了の時に島中坑道の坑口は水没し、坑内への浸水によつて地盤が弛緩し、湯田村上台野地区の地表が陥没する虞れがあるので申請人が右坑口部分を早急に閉塞し、貯水の流入を阻止し陥没事故を防止する必要がある、等の事情から右鉱区の水没に伴う損失の補償につき、昭和三八年七月二〇日、申請人と被申請人山本亀代松の代理人伊藤幸太郎間に、平野鉱床の採掘不能鉱量、松倉鉱床の一部採掘不能鉱量と前記松倉鉱床の各坑の閉塞およびこれに伴う坑道切替その他一切の費用に相当する額の補償を、三、四五〇万円とし、このうち三、一七〇万円は右被申請人の請求次第支払うがその余の二八〇万円は被申請人が昭和三八年八月三一日迄に採掘不能部分について減区の登録手続を完了して請求した後に支払う、又被申請人は、ダム工事の円滑な遂行を妨げないように右水没鉱区部分に対する湛水計画の実施を容認する旨の鉱区損失補償契約が締結され、これにもとづき申請人は右被申請人に三、一七〇万円を支払ずみである。そして又、申請人が被申請人山本亀代松に立入禁止を求める範囲は、いずれも国有地であるところより所有権に基いて右地内の立入禁止を求めるとともに、前述の合意により被申請人山本亀代松が島中坑の坑道閉塞工事を受忍すべき義務があるので右閉塞工事の妨害禁止を求める。

(ハ)  ところで、申請人が申請の趣旨の如き仮処分命令を求める必要性は、湯田ダムが前記の通りの多目的ダムであるが、その一目的である発電所の設置およびこれによる発電について、新設の和賀川発電所(最大出力一五五〇〇キロワツト所有者申請外東北電気製鉄株式会社)と仙人発電所(最大出力三七六〇〇キロワツト所有者申請外岩手県)の発電が工事の変更により当初の予定であつた昭和三八年三月頃より相当遅延し、この両発電所の早期発電を希むことが非常に強いため、昭和三八年一一月一二日にダム堤内仮排水路の仮ゲートを閉塞して、湛水を開始したところ、同月一五日ころには満水位が二〇六米に上昇し両発電所はいずれも試運転を開始し現在に至つている。そしてダムの堤頂標高は現在二二一米であり、その流水放流能力は毎秒七〇〇立方米であつて過去において一二月から翌年二月迄の期間中ダム地点の流量がこれを上回つたこともなく、又本ダムの湛水計画は昭和三八年一二月二〇日頃から満水位を二〇七米、三九年三月二〇日から二二〇米に上昇させる予定であるから、本件建物および島中坑口の標高がそれぞれ二二一・九米と二一六米であることより申請人の本仮処分申請は火急の要がないように思われるが、若し、異常出水の事態が発生する時には、水位が二二一米の堤頂標高迄上昇し、その結果本件建物に居住する被申請人山本時子同山本英四郎の生命が危殆に瀕し、又島中坑道の浸水から地盤の弛緩およびその地表の上台野地区の陥没が惹起され同地区の居住者四五世帯の生命も危険である。そして本件仮処分申請によらずこれを避ける方法としては、ダムを破壊し堤頂を低くすることと、上台野地区民を他に移転させることがあり得るが、ダムの破壊措置をとるときにはこの復旧のみに一年間を要し、この損害は十数億円に達し、又移転も早急には事実上不可能である。更に発電所の本来の機能を発揮させる為には前記の湛水計画の実施は是非とも必要であり昭和三九年三月二〇日には満水位を二二〇米に上昇させる必要があり、三月ころからは融雪期となり異常出水の虞れは極めて多いものがある。

一方被申請人らには、本件建物の収去と土地明渡についてその自発的行為を期待し、数回にわたり履行の猶予をしその間申請人において転居先まで斡旋していたものである。又平野鉱床は数年来休山状態で島中坑道も全く利用されていない現状においては、本件仮処分により何の損害も発生しない。

そこで申請人は、建物収去、土地明渡、建物退去土地明渡し、および工事受忍義務確認の本案訴訟を提起する為準備中であるが、右の如き必要があるので本申請に及ぶと述べた。

二、被申請人らの答弁と主張

申請人主張の(イ)項については、別紙第一目録記載の土地がもと被申請人山本亀代松の所有であつたところ、申請人がその所有権を取得したこと、右土地上に別紙第二目録記載の建物が所在し、これに被申請人山本時子、同山本英四郎が居住していること、および右建物を昭和三七年二月八日迄移転する旨の合意が成立したこと、ところが右期日迄に被申請人らが移転しなかつたこと、以上の事実は認めるが建物移転の期限を猶予したことは知らないし、その余の事実は否認する。

申請人主張の(ロ)項について、建設省起業湯田ダム建設に伴い、被申請人山本亀代松所有の平野鉱床松倉鉱床の一部が水没すること、平野鉱床に島中坑道が存すること、松倉鉱床に申請人主張の坑道がありこれを閉塞することにより採掘不能の部分が出ること、申請人が立入禁止を求める範囲が申請人の所有であることは認めるが、その他は否認する。湯田ダムの建設工事に伴い、被申請人山本亀代松の鉱区に水没又は設備替等の損失が生ずるので、右被申請人は、申請人との間に、損失補償の交渉を行い、その間水没に伴う減区、坑道閉塞のための新たな坑道開設、湛水による下部鉱床、湧水等による損失について詳細に検討した結果、昭和三七年六月設備替損失として五億六、四三三万円、減区損失として一七億四、二三三万円計二三億六六六万円を要求したが何ら進展しないので、昭和三八年五月頃被申請人は、申請外伊藤幸太郎を代理人として折衝を続けたところ、申請人は、設備替損失として二、六〇〇万円、減区損失として二八〇万円の補償額を提示した。そして昭和三八年七月一五日被申請人山本亀代松は、前記伊藤と共に申請人と折衝し、提示額の根拠を開示するよう求めたが拒否されたので同被申請人は申請人の提示額を承諾しない旨回答した。ところが申請人は、同月二〇日、伊藤が鉱量や品位に無知なることに乗じ、同人との間に設備替損失として三一七〇万円、減区損失として二八〇万円で損失補償契約を締結した。しかし被申請人山本亀代松が右伊藤に本件補償の交渉について代理権を与えたことはあるが、その範囲は、被申請人の要求を貫徹し正当な額の補償契約を締結することであるのに拘らず、伊藤は、被申請人の可採量品位等を勘案し正当な額として要求していた減区損失について一七億四二三三万円を二八〇万円で締結したものであり、右は、代理権の範囲を著しく超えた無権限の行為である。

仮りに無権代理でないとしても、減区損失の補償契約の締結に当つては、その鉱区の鉱床品位が如何なるものであるかは法律行為の重要な要素であるところ、伊藤は、平野鉱床の品位が四パーセントないし五パーセントであるのに申請人の説明によりわずか〇・六八パーセントであると誤認して一七億四二三三万円の補償を二八〇万円で締結したものであるから、要素の錯誤により無効である。

右のとおり、申請人と申請外伊藤幸太郎間に締結された補償契約は無効である。

申請人主張の(ハ)項については、これを争う。よつて申請人の本件仮処分申請は不当であるから却下さるべきものである。

第三、疏明<省略>

理由

申請人の本件仮処分命令申請のうち、先ず被申請人山本亀代松に対する本件建物の収去とその土地の明渡および被申請人山本時子、同山本英四郎に対する本件建物よりの退去とその土地明渡を求める部分について判断する。

別紙第一目録記載の土地がもと被申請人山本亀代松の所有であつたが、申請人がその所有権を取得したこと、右土地上には別紙第二目録記載の建物が所在し、これに被申請人山本時子、同山本英四郎が居住していること、および申請人と被申請人ら間において右建物を昭和三七年二月八日迄に移転する旨の合意が成立したが被申請人らはこの期日迄に移転しなかつたことは当事者間に争いがない。この当事者間に争いのない事実と、弁論の全趣旨、および成立に争いのない甲第二、三号証、第四、五号証の各一ないし三、第六号証の一、二、および証人伊藤喜一、同相原圭介、同花籠秀輔の各証言、および右各証人の証言により成立が認められる甲第三〇ないし三二号証を綜合すると、申請人(東北地方建設局長)は、別紙第一目録記載の土地および同地上に所在する別紙第二目録記載の建物はいずれも被申請人山本亀代松の所有物件であつて建設者が起業する湯田ダムの建設工事に伴い水没する虞れがあるため、昭和三六年八月九日、同被申請人との間に、別紙第二目録記載の建物、およびその他の建物ならびにその他の物件を、申請人施行のダム工事の工事用地湛水用地外に移転すること、その移転料や補償金を一括し全額で六、〇五一、九八三円と協定すること、さらに本件建物を含む諸物件の移転期限を昭和三七年二月八日迄とし、その期限経過後においてもなお地上に建物や物件が存置されている場合には、これらの物件の所有権を同被申請人が放棄したものと看做して、申請人の任意処置に委かせる、旨の合意が成立し、これに基いて申請人は昭和三六年八月二一日同被申請人の代理人岩根修策に前記の移転料その他の補償金の全額を支払つたこと、その結果申請人は被申請人山本亀代松所有の別紙第一目録記載の土地の所有権を取得し、同月二四日その旨の所有権移転登記手続を経由したこと、又同地上の別紙第二目録記載の建物については、その所有権を申請人が取得しなかつたが、同被申請人において約定の期日迄にその敷地より湯田ダム工事の工業用地ならびに湛水用地外に任意に収去し右土地を申請人に明渡すべき義務を負担し、且つ、若し、右期日迄に同被申請人がその義務を履行しない場合には、地上の建物の所有権を同被申請人が放棄したものと認められて、申請人はこれらの物件を収去又は移築等任意の措置をとることができる権利が発生し、この権限により申請人が本件建物について現実にこれを解体して収去、又は曳行移転等の行動にでてその敷地の占有を取得する場合があつても、同被申請人はこの申請人の行為を受忍し肯認すべき義務を負担したこと、しかし一方本件建物には被申請人山本亀代松の母である被申請人山本時子と弟である被申請人山本英四郎が現に居住し、使用占有していることが認められるが、その占有権限についてはなんらの主張も疏明もなく、さらに前記疏明資料によると右使用につき数次にわたり移転期限の延長申請が出され、申請人はこれを許可してきたところ、湯田ダム建設工場の進捗に伴い、湛水時期が迫つたので最終的に物件の移転期限を昭和三八年八月三一日と定めて同年五月二七日申請人より被申請人山本亀代松に通告したが同人は任意に履行をしなかつたこと、湯田ダムは、流水量の調整による洪水時の災害防止、下流田畑のかんがい用水の確保、および発電所設置とそれによる発電を目的とした多目的ダムであつて、その構築計画に基づいて工事は施行されてきたが、諸々の事情で完工時期が遅れたため発電開始時期が延引し、その損害も大きく且つ発電所の設置ならびに発電工事は昭和三八年一〇日頃に完成する予定であり、ダムの堤体も最低二二一米に至つたので同年一一月一二日より湛水を開始し、約一〇日間で水位を二〇六米に上昇させて一一月下旬より発電所に通水、約一ケ月の試運転を開始し、一二月下旬本運転に移行するとともに水位を二〇七米に上げ、更らに、昭和三九年三月二〇日より満水位を二二〇米とする湛水計画が樹立され、これにより湯田ダムの湛水が現実に行われて水位は二〇七米であること、および現在ダム堤体の高さは二二一米で、本件建物の位置が二二一米九〇であることから現在の水位を維持する時は特別異常事態の発生しない限り冠水はおこり得ないが、湛水計画に則り昭和三九年三月二〇日水位を二二〇米に上昇させた場合には、水位と本件建物の位置が殆ど同一高さにあり、現に本件建物に居住する被申請人山本時子、同山本英四郎の人身が危険になること、それのみかダム堤体の高さが二二一米の現在、若し異常出水がおこりダムの排水能力を上廻る事態が偶発した場合、又は湯田ダム附近は豪雪地帯で昭和三九年三月頃の融雪期には相当量の流水が予見されるのでこのような際には、右両被申請人の生命の保証も期し難いこと、このような危険を回避する手段としては、既に建設したダム堤体を破壊することが唯一の手段であるが、そうなれば莫大な国費で施行した工事を破壊するという無駄を生ずるのみでなく、この破壊工事の施行自体非常に困難な技術を必要とし、その成功の可能性も少く、更らに時間的にも二ケ月程度を要し、既に開始した発電を中止しなければならず、これにより操業中の東北電気製鉄株式会社の全面的休業を引き起す等、種々の有形無形の損害が発生し、その経済的損害のみでも約六二億円の巨額に達すること、一方被申請人らには申請人に右の如き多大の損害を与えてもなお本件建物を現状のまゝ存立せしむべき特段の法律上又は経済上の理由も見当らないこと、更らに申請人は被申請人らが任意に本件建物を収去しおよびこれから退去して円満裡に本件土地の明渡しをなすことができるよう、被申請人山本時子、同山本英四郎の居住すべき住居を斡旋したが、現時においてもこれを拒否していることがそれぞれ疏明され、右一応の認定を覆すに足る資料はない。

そうだとすると、申請人が所有権に基づき被申請人山本亀代松に対し、建物収去土地明渡し、および被申請人山本時子、同山本英四郎に対し、建物よりの退去と土地明渡しを求める本件仮処分申請の被保全権利ならびに保全の必要性は何れも存在するものと認めるのが相当であり、これを求める申請人の仮処分申請部分は正当であるから認容すべきものである。

次ぎに進んで、申請人は被申請人山本亀代松が一定の期間内に本件建物を収去しない場合、執行吏がこれを収去することができる旨の仮処分を申請するので検討するに、仮処分命令で被申請人に対し、特定の代替的作為義務の履行を命じたが被申請人が任意にこの義務を履行しない場合、これを執行吏又は第三者が被申請人に代つてすることができる旨の命令を与えることは、実質的な内容において債務名義の執行処分としての授権決定と殆ど一致し、仮処分命令の名の下にこれと法律上の性質を異にする授権決定を附与したのと同一であり、かゝる授権決定をするには、民事訴訟法第七五六条、第七四八条、第七三三条、良法第四一四条二項、民事訴訟法第七三五条に従い、被申請人を審尋し証明に基いて事実の認定をなすことを必要とするところ、仮処分命令において、これらの必要的手続および方式を経ることなくする点においていさゝかの疑問がないとはいえない。然し、仮処分命令とその執行は、現時における具体的な作為、又は不作為を可及的に迅速に実現する必要性があることに鑑み、これに対処し得る法律的手続であることの特異性より、実質的には執行処分と同趣旨のものを仮処分決定自体の内容とすることも許さるべきものと考えるのが相当である。けだし、仮処分の執行については迅速性と緊急性が要請されるのであるから、その執行について更めて民事訴訟法第七三三条、第七三五条所定の迂遠な措置をとる必要はなく、仮処分命令の中に債務者に一定の作為又は不作為を命ずるとともにその不履行の場合には強制的な執行をも許容する必要があると認められる場合には、債権者がなし得る特別の措置を講ずることが簡便であると同時に仮処分の実効性を確保し得るからである。これを本件仮処分申請についてみるに、前記一応の認定の如く、被申請人山本亀代松が、従来より申請人の数次に亙る建物収去の要請を拒否している現状に徴するならば、本仮処分命令において同人に建物の収去を命じたとしても、一定の期間内に任意にこれを履行することを期待することは難かしく、他方申請人にも早急に本件建物を収去する必要性があるので被申請人が不履行の場合を予定し、その強制執行を許容することが妥当である。

以上の点より申請人は被申請人山本亀代松が本判決送達の翌日より七日以内に建物を収去しない場合には、同人の費用をもつて執行吏が建物を収去することができるものとする。

次ぎに、申請人の立入禁止妨害禁止の仮処分申請が昭和三八年一二月二八日当裁判所に提出した取下書により終了したかどうかについて判断する。

仮差押又は仮処分申請は、口頭弁論を経ずして発せられた仮差押又は仮処分決定に対し、債務者から異議の申立があつて口頭弁論として係属中であると、又本件の如く仮差押仮処分命令を発することなく当初より口頭弁論として係属中のものであるとを問わず、保全処分に準用される民事訴訟法第二三六条第一項、第二三七条の規定により申請人はその終局判決の確定の時まで申請を取下げることができる。

ところで被申請人ら訴訟代理人は、申請人の前記申請の取下に対し同意しない旨陳述し、取下の効力を争うので保全訴訟においては民事訴訟法第二三六条第二項が準用されて被申請人の同意がなければ取下げの効力が生じないものであるかどうかについて検討する。元来民事訴訟法第二三六条第二項により訴の取下げについて被告の同意を必要としている主意は、被告がその訴訟において勝訴し請求棄却の判決を得ることにより、原告より被告に対し再び同一訴訟物で訴を提起される危険を防ぎ、既判力により保護される利益を守るものであるが、保全訴訟において口頭弁論が開かれ、被申請人が勝訴し、申請人の申請却下の判決がありこれが確定したとしても、実質的確定力を生じないからこれの効果は、僅かに申請人より被申請人に対し同一の条件の下に同一内容の保全処分の申請がなされる場合にのみ、新らたな保全処分命令がその判決の効力で却下されるに過ぎず、一度その条件を異にして保全処分の申請がなされる時には何らの効力を及ぼさない。従つて仮りに保全訴訟において被申請人が勝訴し、申請却下の判決を得たとしても、それはこの保全訴訟に対応する本案訴訟の請求権自体の存否そのものについて、何らの関係もないことは勿論、実質的な確定力もないのであるから、被申請人が保全訴訟において申請却下の判決を得る利益は通常訴訟のそれと比較して極めて少いものと言わなければならず、この点より保全訴訟手続には民事訴訟法第二三六条第二項の準用はないものと解するのが相当である。

そうだとすると、申請人が昭和三八年一二月二八日当裁判所に提出した取下書により本部分についての仮処分申請は、被申請人ら訴訟代理人の同意なきにかかわらず直ちに効力を生じ、終了したものといわなければならない。

なお申請人は、執行吏に命令の趣旨を適当な方法で公示しなければならない旨の仮処分を求めるが、前に判断し申請人の申請を認容した仮処分について執行吏にこれを公示させる必要は認められないので、この点に関する申請人の申請は理由がないものとして却下する。

以上各判断したとおり、申請人が、被申請人山本亀代松に対し、別紙第二目録記載の建物を収去し、別紙第一目録記載の土地の明渡し、被申請人山本時子、同山本英四郎に対し、別紙第二目録記載の建物より退去して別紙第一目録記載の土地の明渡しを求める部分、および被申請人山本亀代松が、右の作為義務を履行しない場合執行吏にこれが代替的執行を許容する部分は、いずれも正当として認容することとし、申請人の申請取下の部分については当事者間に争いがあるので、このことを主文にて明らかにするのが相当であり、又申請人のその余の申請は理由がないので失当として却下すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条、第九三条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 中原恒雄 岡田潤 元村和安)

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