大判例

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熊本家庭裁判所 昭和39年(少)19号 決定 1964年2月13日

少年 M子(昭二〇・二・一二)

主文

少年を特別少年院に送致する。

理由

少年は、かねてから牛馬商を営むかたわら農業にも従事している三○俊○(明治三〇年一二月一八日生)、○ヱ(明治四四年九月二五日生)の四女として出生し、以来両名のもとで育てられ、昭和三五年○○中学校を卒業した後、父の「他人の飯を食わないと人間が出来ぬ」との意見のまま、両親のもとを離れて、製糸工員、パチンコ店員、保養所給仕等に従事してきた。その間、中学校卒業後間もなく強姦された事実もあり、あるいは、重症の蓄膿症、肪胱炎を患い現在に至るも完治せず、就労・日常生活にも困難をきたしている。

昭和三八年(以下、特記しない場合は同年の月日を指す。)一一月下旬病気のため田川市のパチンコ店を辞めて帰宅したが、父母及びこれと同居する姉○子は少年を暖かく迎えず、その後少年は自家の精米約一〇KGを持ち出して一家の副食費や自己の小遣に充てており、これが父にわかればひどく折檻されるものと苦悩していたうえ、父母姉の日常の自己に対する冷淡さに耐えられず、家出して神戸の友人のもとに赴こうと考え、その旅費に充てるつもりで一二月九日、一三日の二回にわたり姉○子が結婚資金として準備していた貯金から二〇、〇〇〇円をひきだした。

その頃上記の病気のせいもあつて、以前からの劣等感が昂じ自己嫌悪の情からアルバムの自己の写真を抹削する等の所為に出て、なかば自暴自棄となつて判断力を減じ、自己が家出しても必ず父が連れ戻すに違いないし、父が居なければ束縛のない生活を送ることができるなどと考え、父を殺してでも思いどおりの生活がしたいとか父が病気などで動けなくなればよいと想うに至つた。

その後、この気持は昂じ、その目的で殺鼠剤を入手したが効能書に人畜無害とあつたのを見て施用を止め、自宅二階にあつた農薬有機隣剤「ホリドール」ジエチルパラチオンを用い父を毒殺しようと考え、原液約三〇〇〇を空瓶に移し自己のたんすに隠匿しその機会を待つた。

一二月○○日には姉○子は他出して、少年宅は父母と少年だけであつたが、同日午前一〇時頃少年は、父の言い付けで牛の内臓約八〇〇を購入し、その約半分をみそ煮として昼食に供し、残余はビニール袋に入れて茶の間釣りかごに保管した。

同日昼食後、父母とも外出している間午後二時頃少年は、この臓物にホリドールを加えれば父が食して死亡するに違いないと考え、前記瓶詰ホリドールを取り出し、上記の臓物のみそ煮の残りと生の臓物等にこれを混入したうえ、直ちに家出したところ、同日午後六時過頃母○ヱが生の臓物を調理中異臭苦味を感じてこれを捨てたが、一方同時に父俊○は苦味を感じながらホリドールを含んだ味噌煮の残りをつまみ食いし、よつて同日午後七時四〇分頃自宅において中毒死した。-刑法二〇〇条適用

上記非行の後、少年は、父が死亡したことを知らないまま北九州市に至り、金銭を得て姉○子に送金返済し、かつ姉たちを見返したいと考え、毎夜売春をなしているうち、警察官に逮捕された。

以上の事実は、すべて少年の自ら陳述するところであり、三○○ヱ、三○○子等の供述調書、身上照会に対する回答書、医師穀本力の診断書、医師神田瑞穂の鑑定書、警察技師吉田昭一郎、北口次男の鑑定書と題する書面、当庁の押収物件、下掲の少年の心身に関する診断・鑑定の結果はこれを裏付けるに十分である。

少年は、本件非行の重大性を認識せず、非行に対する内省・悔悟の念もほとんど認められない。しかし、同様に、母○ヱ、姉○子その他親族らも本件を皮相に見ているだけで、父の死を惜しむ念がまつたくなく、むしろなお関心は○子の貯金に向けられており、少年の行動に対しても同情も非難もなくおよそ関心がないものというほかはない。

少年の家庭は、外見上さほどの問題が露呈していなかつたが、そのことは頑迷独善の父の意思が無気力な母や従順そのものといえる姉たちの言動を抑圧し切つていたまでのことであり、家族相互の精神的つながりは極めて弱く、近時父の信頼の厚かつた○子はいわゆる働き者であるほか、金員金銭に対する執着がきわめて強く、少年だけは病身で労働も十分にできないばかりか、いくぶん派手好きであるだけでなく、浪費・転職もめだち、少年と他の家族はかなり派が合わず、父母等は少年の心情に対する思いやりに全く欠けていた。

以上は、少年、○ヱ、○子の供述、法務技官内田卓郎の鑑別結果、医師清田一民の鑑定の結果により認定できる。

少年の資質については、医師清田一民、医師土井永記、法務技官内田卓郎、竹内黎の鑑定・診断の結果をみれば、次の点ではおおむね一致する。少年の知能は限界級であり、幼児的性格-精神発達は遅滞しており、高等感情は鈍麻し、自己中心的な思考、依存欲求、劣等感が強く、対人接触は拙劣で、意思力、自制心に乏しく、衝動行為を導きやすい。-を有し、精神病質者といえるにしても、精神病者ではない。

本件の動機誘因について、上記の事項に基づいて考えると、家庭における愛情を渇望する少年にとつて、その家庭の人間関係は暖かさが欠け、少年は、家族に対する不信、ことに父に対する抑圧された不満を強く抱いていたところ、それが少年の性格から短絡行動としてあらわれたのが本件非行であるということができる。

以上のとおりであるから、本件非行は極めて重大であるにしても、少年の刑事責任を追求するより少年を保護処分に委ねることが相当である。本件非行の原因背景は、まず、少年の性格上の欠陥にあるが、この原因は、少年の幼少期からの家庭の暗い雰囲気、家庭教育の欠如にあると認められこれら負因の解消のためには、少年院における長期間にわたる一貫した矯正教育により厳しく自己の非行を反省させると同時に暖かい態度による生活指導を通じ、少年の劣等感を克服し労働意欲をかたく植えつけることが必要である。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項後段、少年院法二条を適用して主文のとおり決定する。

本件送致事実中、三○○ヱに対する殺人未遂の点については、少年は、母○ヱに対する殺意はなかつた。上記のホリドール使用の際は父のことだけを考えて他のことはおよそ頭になかつた旨弁疏している。叙上の少年の家庭の状態からみると少年が○ヱを殺すまでの動機理由のなかつたことはもちろん、少年の資質からみて、ホリドール使用の結果につき父のこと以外すべて思考の外にあつたとしても必ずしも不自然ではなく、少年の弁疏をにわかに排斥できないので、この点につき非行の証明がないものといわなければならない。

(裁判官 高山晨)

参考一

経過一覧

事項

認印

備考

認印

38

12

30

逮捕(北九州市小倉区片野町○丁目○○旅館から任

発覚の端緒(三○俊○の変死

意同行し、○○署に於て)

届出により捜査の結果)

38

12

31

熊本地検事件受理

39

勾留(熊本、京町拘置支所)

10

〃期間延長

20

熊本家裁事件受理

<印>

昭和39年少第19号

(尊属殺人、同未遂)

39

20

観護措置(熊本少年鑑別所)

<印>

21

調査を命ず

<印>

21

調査官記録受理

<印>

21

鑑別請求

<印>

2月3,12,15日鑑別結果通知

<印>

受理

39

21

学籍照会(○○中学校)

<印>

1月27日回答受理

<印>

21

本籍照会

1月27日回答受理

25

保護者面接(母、三○○エ)

熊本家庭裁判所において

25

参考人面接(長姉の夫、三○○雄)

熊本家庭裁判所において

28

第1回少年面接

熊本少年鑑別所において

28

少年の家庭調査(少年の 母○ 姉○子 面接)

少年の住居において

28

参考人面接(近隣の保護司、○永○蔵)

○永○蔵方において

28

参考人面接(○○駐在所員の妻)

同駐在所において

39

29

第2回少年面接

<印>

熊本家庭裁判所において

<印>

29

照会(○○署刑事課長村川雅之)

<印>

電話による

<印>

30

検査依願(竹内技官……熊本体質医学研究所)

当庁に於て

2月3日回答受理

31

参考人面接(少年の次姉○上×子

熊本家庭裁判所において

31

観護措置更新決定

<印>

照会(熊本家庭裁判所、内田技官に)

<印>

電話にて

<印>

30

審判開始決定

面前告知

審判

保護者実母及び姉婿三○○雄

出頭

39

続行決定(次回期日、2月13日午後1時)

<印>

面前告知

<印>

第3回少年面接

熊本家庭裁判所において

参考人面接(中学校の担任歌野広義)

××町××中学において

参考人面接(××中学、松崎先生)

同上

鑑定命令(鑑定人清田一民)

13

参考人面接(上記清田一民)

<印>

熊本大学医学部精神々経科教

<印>

室にて

13

意見書提出

13

審判

保護者、実母及び姉婿三○○

<印>

雄出頭

39

13

特別少年院送致決定

<印>

面前告知

<印>

13

執行指揮

17

筑紫少年苑へ調査記録送付

参考二

調査報告書

熊本家庭裁判所

裁判官 木下重康殿

昭和39年1月28日

同庁

家庭裁判所調査官 村上喜久家<印>

昭和39年少第19号 少年 M子

上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。

日時昭和39年1月28日 陳述者 本人

少年との関係 職業

場所 熊本少年鑑別所にて(観護中) 住居

陳述の要旨

1.2.<省略>

3.本件

・私は母に対しては何も思つていなかつたので、農薬を食物に入れたあとで「しもうたね-(しまつたことをしたの意)」と思いました。私は旅館で毎日、西日本、読売等の新聞を借りて記事を見たが、毒薬で死んだ、という父の記事はのつていませんでした。私は小倉の旅館にいて毎日その事を考えていました。

・12月31日には小倉の○○旅館から、「田川に帰る」と嘘を言つて出発し、熊本市の健軍まで来たものの○×町にある○子姉のところにはこわくて行けないので、そのまま小倉に戻りました。途中誰にも会いませんでした。

・私は臓物に農薬を入れた時、父は肉がすきなのでたしかに之をたべるに違いないと思いました。酒は必ず呑むので之に入れようと思つたが、酒は色がうすくて、薬を入れると色がついて判るのでいけないと思いました。それで臓物の分に入れました。

・母よりも父の方が先に、きつとたべると思いました。母がたべない様な方法ですか。まあ考えてみたけれど方法がありませんでした。

・私はこの農薬より他に

<A> まず睡眠薬をと考えてみたが、薬屋では若いものには売らないという話でしたのでやめにし、

<B> 鼠殺しのくすりを1箱100円で買つて帰り、私の二畳の部屋で読んでみたら、人には無害と書いてあつたので箪笥の中に入れておきました。

<C> 農薬は、家にあるのを知つていたので、物を置いてある二階を探したら、瓶に入れて2つ下げてありました。24Dの方は草ころしの薬と知つていたので、一方をみるとナイロンで厳重な包み方がしてあり、「きつとこつちの方がひどい薬なののだ」と思つて、之をケチャップの空瓶にうつし私の上述の箪笥の中に入れました。之は12月9日でした。

4.金

私は11月21日に田川市のパチンコ屋から帰宅しました。その時はいつてすぐに病気(ぼうこう炎)になつて、小用が近く働けないで友達に迷惑をかけるので、家に帰りたいと申し出たが店がどうしても帰してくれないので、「帰さなければ母が迎えにいく」という手紙が来てはじめて店が許してくれました。そして4,000円もらつて帰宅しましたが、旅費等に金がいつたので、着いた頃には、1,000円位しか残つていませんでした。

・12月2日には友人中○○ミ17才と二人で熊本市水前寺に出て、映画等を見ました。しかし、この時には、フランスベッドのセールスマンの男二人も同伴でしたから、おごつてくれて金はいらず、帰りが遅くなつて、家迄のタクシー代500円がいりましたが、之は中○さんと、ワリカンで払いました。

・12月9日に、○子姉さんの貯金15,000円をひき出し、

12月13日にも  〃   〃  5,000円ひき出しました。

之の中、5,000円位をバッグ代や靴代につかいました。

・私のかねてからやりたい事は、家の外で、理容師とか、美容師をすることです。しかし、金をもらわないと之もできません。自分で店をしたかつたのです。それで金のとれる所にいつて半年位働いてためて、それは1月に5万円位ためて-でも仲々実行はできないけれど-6か月で30万円ためて、之を学資にして学校に行つてみたい。そして、できたら又金をためたい、と思つていました。

・私は商売もすき、店員もすきです。(とにこにこして言う。)しかし父は反対で、まだ十代で独立できるものか、と言うのです。父とは度々こんなことで喧嘩をしたこともありました。しかし、私は、自分でやつてみたかつたのです。姉二人とも結婚したし、一人は婚約したし、私はこの姉たちを見返してやろうと思つたのです。良い夫や、ボーイフレンドを持つて見返すことですか?(笑う)ボーイフレンドがいたら、金はたまらないでしよう。

・5万円も1か月にためる方法ですか。之は「御身」という小説の様にしたいと思いました。之は田川から帰つてから家にいる時、貸本屋で借りて来て読みました。

・之は主人公は女でB.G.です。弟が会社の部長の娘の結婚費用を30万円あずかつていて汽車の中で失う。1週間以内に返さないとクビというので、B.G.はバーにつとめる。そこのマダムの世話である独身の、子供が一人ある社長と知りあう。30万円の話をすると、小切手で30万円くれる。但し半年間は自分のものになつていてくれという。1月に5万円です。すぐ弟に金を渡し、弟はたすかる。B.G.には恋人があつたが、この半年の間に、心からこの社長の長谷川を愛する様になり、最後にはこの人の妻になるという筋でした。とても良い小説ですよ。

之を読んで私は一人で空想し、一人で考えていたのです。

・私の家の人はまじめで、世間では、良い良い、と皆をみている中で、私一人がすごく悪いと言われているのです。私がこの様になつたのは、酒六という紡績会社にいた時ある事件からすごく変つて了つたのです。それはS36.9月、○○町○○公園で、夜の8時20分頃から9時前までの間に、4名の男から強姦された事件です。その人々は、三人は20才以上一人は20才以下ということで、北○次○、坂○マ○○、荒○等もう一人氏名を知らない人です。

北○さんはその後、私の友人で町のナ○マ○コさんの彼氏になり、この二人の結婚式の前日、○コさんは自殺しました。理由は知りません。私の強姦の事も知らないはずです。自殺のあとで、理由等について警察からききに来たことがありました。

・とにかく、この事件のあと、「警察が来ても言うなよ」と男達は申しましたが、警察は来なかつたし私は恥しかつたので、自分からは届け出ず、家の人にも言わずにしまいました。しかし当時勤務していた酒六の工場にも、段々人に知られて居りづらくなつて、この紡績をやめたのです。

・その後、男子との交際は△△町の人二人と深い仲になりましたが、二人とも好きではありませんでした。

5.父

・私は父や家の人から、「あいつは何もしきらん」と思われていたのが、本当に肚がたつていました。私は鼻手術も2回、盲腸炎1回で病気ばかりしていました。いいえ、之は会社の金で治療できたので、家からは費用は出してもらつていません。

・父は自分の苦労した話を繰り返して聞かせ、「人間は苦労せんといかん」といつて私を、苦労していないと見ていましたが私は満足し切れないのです。

・父という人は他人には、(家畜の仕事上のことでは)良くしてやつて居り、仲々商売上手でしたが私はいやでした。反つて叔父の三○○蔵の方が好きでした。ポンポン言うけれどこつちの方がすきでした。

・私は母を好きと思つたことも嫌いと思つたこともなかつたのです。父はいやでしたから、父が居なかつたら私の思うままにできる、と考えました。

・ある時、父から叱られて、(何をした時か知りません)「戸籍を抜いてしまうぞ」といわれた事があつて、その時心の中で、「見て居れ」と思つていました。今度は姉のお金も2万円だまつて貯金からおろしているので、今度は戸籍から抜かれるかと思いました。そして私が居らん方が一段と良かろと思いました。父を殺さずに自分が出て行つてしまうことですか?それはですね、1回、S37・5月頃だまつて家出をしたことがあつたのです。でも熊本の市内で旅館から出て来る時母にみつかつて了つたのです。

・父の夢ですか、拘置所に入つてから何回か見ました。

<A> 父は笑つていました。何も物は言いません。変な夢です。一寸いわれません。(笑う)

私を母だと思つたのでしよう。(備考、問いかえすと-口ごもる)私が寝ている所に、布団の中に入つて来たのです。ふとんをめくつては入つて来て、私の着物をはごうとしました。顔を見たら、父でした。笑つていました。自分の居る所がどこであるかも何も判らず、父の顔の笑つているの丈がぼうつと写つてみえました。「お父さん何するな」といつて、父をたたきました。私が勝ちました。そして、されませんでした。“誰かな”と思つて顔をみた時、お父さんだつた時にはびつくりしました。そして、「私に、しに来たのだ」と思いました。そして、「どうしてお父さんが私のところにしにくるのやろうか」と夢の中で考えました。「お父さんが、こんな事をするとは思わなかつた」とも思いました。そのあげく父をたたいたのです。

・目がさめてからも「どうしてあんな夢をみたのだろうか」とか、又「お父さんの頭が変になつているのではないか」とも思いました。傍にねていた人が翌日、「あんたゆうべ泣いとつたよ」と私に言いました。

<B> 同じく拘置所でもう一つ父の夢をみました。父がものすごい感じで私の左頬をたたき、目に当り目がひどくはれました。手術しないと片目になるぞといわれて、誰かにつれられて診察所に行くところでした。左右には一人ずつ自衛隊の人が私をかかえる様にして、つれて行つてくれました。そして、手術をするという時、傍の人が私の泣き声で、私をおこしたので目がさめました。

<C> 鑑別所に来てから見た父の夢は、私が父に、「悪かつた」とあやまつたら、父は、「そんな事は心配せんでいい」といいました。

・鑑別所に来てから仲々ねむれません。子供の時から寝つきが悪かつたそうです。

6.その他

地獄極楽の話は、子供の時父からきいてはいました。父は子供時代からのことを何回も何回も話していました。海の話も度々父からきいたので、私も船にのりたいな、天草の叔父さんの所にいきたいな、と思つていました。

・その他、アパートに住みたいな、とも思いました。金がほしかつたし、自由に自分の思うままにもなりたかつたのです。父が何でも反対しないことが、私ののぞむ事でした。

・姉さん達をみて、「早く結婚したいなあ」と思つたことはありました。○子姉さんは何でもできて父の一番の気に入りでした。似てもいました。この○子姉さんを一番あてにして、「この人に養子をとつて」とも言つていました。私は少しもあてにされていませんでした。

・父については、「あああんな顔だつたなあ」と思う丈です。私は地獄とか極楽については、少しも考えたことありません。

・家には、帰りたくもあり、帰りたくないとも思います。

参考三

調査報告書

熊本家庭裁判所

裁判官 高山晨殿

昭和39年1月29日

同庁

家庭裁判所調査官 村上喜久家<印>

昭和39年少第19号 少年 M子

上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。

日時 昭和39年1月29日 陳述者 本人

少年との関係職業

場所 当庁 住居

陳述の要旨(昨日少年の家に行つたことを伝え、○子と母に会つたとしらせ、少年が律気にも姉○子に金を返したとほめると)

1.この三月に姉の○子は結婚するので、金がいると思つて、警察に私がいる時、警察の人を通じて、○子姉さんに5,000円を返したのです。義兄の○雄兄さんにも、遠方まで来てくれたりしてすまないと思つたので、お金を上げようと考えたけれど、直接言つて渡すと遠慮してうけとらないだろうと思つて私の荷物を家にことづける時、その中に1,000円札をはさんで家の近くの刑事さんにことづけをしたのです。(問いに答えて)父と姉とに対しては、気の毒と思う事は、両方とも同じ位です。(注 父を殺したこと、姉の金をとつたことは、同じ位、それぞれの人に気の毒、の意)

2.私は、自殺しようと思つたのは2回あります。

1回は、S.36.9月、あの強姦のあと、死んで了いたいと思つた時、

1回は、S.38.11月頃、田川市にいる時、パチンコ店をだまつてとび出して-仕事中に誰でもする様に、私もお風呂に行つたのですよね、その時ふ一つとバスに乗つて後藤寺までいつて、仲々店には帰らなかつたのです。この時も、死のうかどうしようか、と思いつづけました。しかし、方法についてまでは考えず、薬も買つたりしませんでした。

・田川市から、その後帰宅してからは、死のうとは思いませんでした。

3.はじめは殺さなくても父が自然に病気でもすればいい、そして死ねばいい、と思いました。ポリドールは農薬で、之で私の友達の姉さんが自殺をしたときいていたので、之をのむとすぐ死ぬのだと知つていました。母があぶないとはその時は考えず、父丈がたべて死ねばいいと思い、父が先にたべて死ぬに違いないから、それで毒のことが判るので、御母さんに判つてたべないと思いました。

・私はお父さんには手向いしたことはありません。お父さんは機嫌のよい時には良いが、悪い時にはひどく叱ります。

でもお父さんを打とうなどとは親だから考えたこともありません。お父さんは子供達に不公平をしたことはありません。でもお父さんに金をかりたことはあります。その時、○子姉さんには、2,000円貸し、私には1,000円丈しかかしなさらん事もありました。

・○子姉さんはもと家に加勢(経済援助)をしていた時もあります。○子姉さんは、働き者でまじめで地味なので、評判はいいのです。私はこの姉をすきとも嫌いとも思つたことはありません。

4.私が△子姉さんに、手紙を小倉から出したのは、着物のことなどはどうでもよかつたのです。本当は家の様子がききたかつたのです。どうしているやろかな。お母さんは何の罪もないのにな。お父さんは死んだのではないかな、と思つていました。それでも小倉ににげて来ているので、みつかるといけんので、住所は書かなかつた、(旅館まではかかなかつた)のです。でも出してから後悔しました。

・その頃、「失敗しはせんかな」とは思いませんでした。しかし、私がみつかる前に失敗した方がよかつたのです。(注之は少年の言つたことばのまま。意味は通じないが、別に問い返さなかつた。)そうすれば私が何故こういうことをしたかを考えてくれて、(注 誰が考えてか、主語はいわなかつた。)自分の思う通りにしてくれるやろうと考えたのです。自分の考えなどとても口では言えないのです。

・私はこうして家の事を考えたりしていると、○○旅館では、「くよくよするな」と言われました。それで、ばれたらいかんと思つて、態度には表わさなかつたのです。とうとう12月29日に、東○さん(旅館の人)がよそから帰つてきて「あんた、M子さんやろ、こういう字やろ」と秋月美智子と偽名している私にいいました。「はい」「両親いますかね住所は?」といつて問われた時、私は、「ああ、お父さんは死んどるな」と思いました。

・私が小倉に行つたのは、みつかるのが恐しいのと、姉に返す金を作ろうと思つたためです。見返してやろう、今こそという気色にはなりませんでした。どうせつかまるので、おもさん(注 存分に)お金もうけをして、ぜいたくをしてやれ、最後だと思いました。それでお客がすしをたべようと誘つたりすると、すぐ一緒に行つていました。

5.父を殺そうとは前からは考えてはいません。12月9日頃から考えたのです。

○子姉さんの金を1回目に盗つたあと、考えました。家出をしても3~4日帰らんと、捜査願いを出すやろう。それと一緒に家の米を盗つたのも判るやろうと思つたのです。お母さんは、私が悪いのでかばつてくれないだろうと思いました。

・家の米を盗つたのがみつかつた時、お母さんから、「お父さんにみつかつたら打ち殺されるぞ」といわれて、「之ではお母さんもかばつてくれまい」と思つたのです。

・米を1斗づつ位、4~5回とりました。「1俵ついて来たが、2斗位しかないぞ」とお母さんが計つてみて、そして判つて了いました。私は米を渡してメリケン粉と交換して来た事もあり、その時は家で私がだんご汁をこしらえて親子三人でたべました。金にした時もあります。その一部では白菜を5貫目200円で買つて漬けたこともあります。

6.私は家にいて、別に大した仕事もしませんが、ひまの時には自分の二畳の部屋で小説を読む時もありました。叱られたりした時やその他の時、「もつと良い所に生まれとつたらなあ」と思いました。

6.○子姉さんの婿入りのあつた、S.38.10月には、私は加勢をしたくありませんでしたので、お灸をすえに近くのうちへ行きました。○子姉さんの相手は百姓の人だから何とも思いませんでした。「おとなしそうな人な」と思つたばかりでした。客は10名ばかり来て、酒のカンをつける時、1回皆から叱られました。父と他の姉さんや皆からです。

〔涙ぐみ話中断。そのうち涙をこぼしうつむいている。〕

〔「今度はM子の番だぞ」とか誰か言わなかつたかと問うと〕いいえ、誰もいいません。

〔「今まですきだつた人はなかつたの」と問うと〕酒六紡績にいた頃と、人吉にいた頃にありました。

〔「お父さんが昔語りをくりかえす時、海に姉たちが落ち込んでひろい上げた話など出たでしよう。その時、海の事を知らないのはあなた一人だつたというけれど、そんな時どう思つたの」と問うと〕何故私を早を産んでくれなかつたかと思いました。

〔話をそらして、昨日行つた少年の家の位置や、姉○子に会つたことに転じ「姉さんの○子さんより、あなたの方がずっと膚が美しい」とほめると〕でも○子姉さんは、私の倍も化粧品を持つています。-〔といつて〕私にはいいところは一つもないのだもん……〔といつて又涙をしきりにこぼす。〕以上

参考四

調査報告書

熊本家庭裁判所

裁判官 高山晨殿

昭和39年2月5日

同庁

家庭裁判所調査官 村上喜久家

昭和39年少第19号 少年 M子

上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。

日時 昭和39年2月5日 陳述書 歌野広義

少年との関係 元担任 職業 ××中学教師

場所 ××町××中学にて 住居

陳述の要旨

1.私はM子が○○中学の時同校に勤務していました。

M子は知能を大変おくれていて、物も言わない子でした。友人も少く、暗い子でした。

身なりが大変きたなくて、少しも手入れのしてなかつたのが目立ちました。

家庭は女の子ばかりのきようだいで末子でした。私は4回家庭訪問に行きましたが、母親の印象は残つていません。父親についても同様に特に印象に残つていません。

しかし、父が乱暴するという様な事はありませんでした。牛馬商をしていた点についても知りません。

たしか少しばかりの耕作をしていたことは記憶があります。

M子は非行は何もありませんでした。他人に迷惑もかけない笑つたりにぎやかにしたりする事もない子でした。

それで新聞で本件をきき、娘が殺したらしいとの記事をみても、M子の姉のことだと思つていました。ですから、きいた時には本当にびつくりしました。感情を表わさない、にぶい子でしたが、最近のことを人からきけばその頃とは性質も変つたそうですな。それならやはり酒六紡績にいた頃の環境の影響でしよう。

精神病の近親者等は一つも耳にしていません。姉の一人は出もどりで帰つていた様に私の記憶には残つていますが……。

参考五

M子氏(19才)の心理検査所見

行なつたテストは、ロールシャッハテスト、TAT、ゾンディテスト、絵画欲求不満テストの四種類である。各一回だけの面接であるがその間には、相互に有機的な関係があるように考えられた。

約3時間にわたる面接中かなりのラポールはあり、テスト上支障はなかつたといえる。意識の水準の変化はあつても、ごくわずかであつたと考えられる。というのはなげやりでなく、テストへのうちこみは感じられたが、現実に働きかける自我のエネルギーは、一般人よりも力弱いもののように感じられたこと。また、思考の杜絶とまではゆかないにしても、思考力が自ら駆動せず、停止しがちになることが何度かみられたことなどによる。情緒的にはげしい動揺はみられなかつた。

病者のうつろな笑いとはいえなくても、防衛にしては相当に深刻な笑いがみられた。つまり、現実の事態に対応しない私的な笑いである。反抗的な表出とはかなり異なるように見うけられた。

P・Fスタディには豊富に、ロールシャッハテストにも反応数20、ゾンディテストにも標準的な速さで選択を行なつた。

また、TATには、後にのべるような統覚量のムラはあるが、投影の禁止が全般的におよんでいるとは考えられなかつた。にもかかわらず、カード回転が全くないか、左手だけでカードを扱うとかの行動がみられた。これらは現実に対する能動的な働きかけが乏しいこと、劣等感や依存性の存在を物語るものと考えられた。

1.ロールシャッハ・テスト総反応数20

面接時におけると同様、妄想、妄覚等の影響をうけているような表現はみられなかつた。

IIIカードにのみ、人間運動反応をみたこと、色彩カードでは反応時間が短くなる傾向があり、無色彩カードではそれが長くなる傾向があること(陰影ショック)、反応内容範囲は人、動物、昆虫、植物、火、(風景)等で、かなりせまいこと、標準反応4個が可能であるが、IV、VIIカードに人間像の欠如があること、明細化するにつれて形態水準は低下する傾向にあること。

IIカード「ランプの笠の他はみえない」と回避したこと。

IVカード「ワシがこちらをみている」

VIカード「ヘビの頭とカエルの頭が同じ所に見える」

VIIカード「球根(ワサビ)」「タヌキの顔」「子ブタちゃんみたい」等退行的なものの存在を思わせる内容がみられた。

IXカード のろし「敵にみつからないようにする。ここにはいいことはないとしらせる。いた所をもやして移転するとかに使う」とのろしを説明している。

X、VIIカードは童話みたいで好き。IXは火事みたいで心配、I~VIは不気味でおそつてくるような感じ、等が注目さるべき表現であつた。

(1) あきらかな陰影ショックがみられる。不快体験に動揺しやすく、かつ、困難な現実に対し、自主的な行動ができない。おそらく、幼児期から、愛情、依存、所属の欲求はみたされていないか、もしくはそのみたされ方に問題があつたことが考えられる。

自分に対する愛情を受容する機能は完全に抑圧されている。深層では愛情を求めようとする欲求が強く阻止されているが、この阻止を意識化することは防衛されている。

その阻止は外界に投射され、自分と関係あるものは愛情欲求に対する圧力が源泉として感じられやすい。外界の存在は非現実的にへだたつてはいないが、自分に対して攻撃的なものとしてうけとられている。

(2) 表面的な、日常的な知能は、ほぼ一般的水準に保たれている。しかし、それは非生産的であつて、概念活動が乏しいことを考えさせる。

外界は気分的に把握され、それ以上に認識されることがない。物事を抽象的にあるいは具体的に自由に処理してゆくとに全く欠けている。

これは(1)でも述べた外界との接触に深刻な問題をもつ自我の存在を相関するものである。

2.TAT

詳細は割愛するが、統覚量にはムラがある。介助しても、結末を与えられないものから本人もいう通り雑誌のよみものの筋に近いようなものまでがある。

(1) すなおな愛情の交換なく、結末が幸福になるもの全くなし。

(2) 妻子ある男に気の強い女がいいよるが結局悪い運命をたどる。(気の強い女は自分のように悪くなればよい?)

(3) 主人公の心境は「悩みはみせないが考えている。一応いろいろと悩みをうちあけるが、全部はうちあけない」と述べている。

面接中「映画が好き」ということであつたので、確めたところ「ブーリバ隊長(正しくは「隊長ブーリバ」)が印象に残つている。二人の息子の中、一人が敵の王女を好きになつて、しのびこんでいるところをとらえられる。とても武術が上手だつたが、1対何千になつてつかまえられる。自分の民族にめいわくをかけまいと思つて殺される。この気持がとてもよくわかつた。」

「名もなく貧しく美しも印象にのこつた。両親がカタワだが子供は立派な子供である。両親は自殺しようとしたが、子供は道連れにできないと思いとどまつて育つてゆく。(実際は道づれに自殺しようとした場面はない。)」等を話した。子供が犠牲になる、あるいは両親の愛情が拡大されることの要求が根幹になつているのである。

3.絵画欲求不満テスト

表現量の多さ、文脈の長さ等には一応の知能の存在が考えられるが、時間空間的な場面設定に関するひとりよがりな意味づけが処々にみられた。GCR29%他、自他の弁護、おもいやりの表現が欠如する反面、他からの非難に反ぱつ内省せず幼稚な反逆的な攻撃を行なう傾向が顕著である。無罰的傾向の後半増加からしても、この全反応は反発的傾向を意識的に誇張したおもむきが感じられるが、一般とはちがつてよくみられようとする配慮が乏しいことは顕著である。

4.ゾンディテスト

このテストは、初めにも述べたように左手だけで行なわれた。不安、緊張状態によくみられる行動である。テストへの拒否、中断はなかつたが、I系列では「好きなのがない」ので、きらいなものから選ばせた。外界に対する嫌悪、不快気分の存在が考えられる。II系列では「目がつぶれているんだろうか?」といいつつ最も好きなものからえらんだ。

これは対人関係における異常な過敏さを指摘する場合が多い表現である。

(1) 外界対象のとらえ方は現実的である。

(2) しかし内面では、復しゆう、憎悪の念がうつ積しており、道義感の減弱の指標がある。

(3) 自我は内的な問題を意識化することなく、罪を他人に帰する傾向が強い。

(4) 自虐的で愛情の受容困難であるが、かつ愛情対象を渇望している内的矛盾をもつ故に、対人接触困難の傾向が強い。

(5) 知能低下の指標、自殺的傾向ないしはそれを疾病、障害によつて強迫的におきかえるような性向の措標が顕著である。

ゾンディテストは、1回のみで量的うらづけに乏しいが、上記の諸テストの結果をよくうらづけるものと考えられる。人格上、深刻な障害が長期にわたつて存し、それがこれまでに不適応をもたらす大きな原因となつたであろうこと、しかも、それは、事件によつて変容するような種類のものではないことはしられるが、上記の諸テストでは、特定の精神的疾患を一義的に指摘することはできなかつた。

昭和39年1月30日

熊本大学体質医学研究所

竹内粲

参考六

鑑別結果通知書<省略>

参考七

少年M子精神鑑定書

私は昭和三九年二月六日熊本家庭裁判所裁判官高山晨より左記事項の鑑定を命ぜられた。

鑑定事項

少年M子保護事件につき、少年の非行時及び現在の精神状態及び異常があるとすればその治療の要否、方法、予後に関する事項。

非行事実<省略>

診察記録<省略>

現在所見

一、身体所見

体格中等度、肥満型、栄養良、胸腹部諸器管に著変を認めない。四肢の運動及び反射機能は正常に保持され、視聴覚及びその他の知覚機能にも異常はない。血清の梅毒反応は陰性である。

二、脳波所見

安静閉眼時、全誘導に低電圧のα波がみられる。深呼吸賦活及びメジバール賦活によつて、特記すべき変化は出現しない。

三、精神所見

(一) 一般的所見

時、処、自己に対する見当識は保たれ意識障害はない。嘲笑的態度が著明で自己中心的、小児様の頑固さが目立ち、興味のないことには答えようとしない。姿態動作に特記すべき病的所見は認められない。異常体験も認められない。その他狭義精神病を疑わしめる所見はない。

(二) 一般知的機能検査<省略>

四、現在所見の要約

(一) 身体所見及び脳波所見には特記すべき異常は認められない。

(二) 精神所見

1.狭義精神病を疑わしめる所見はない。

2.知能は低く、その程度は軽愚乃至境界知である。

3.一般知識は貧困である。これは学校教育における学習不足によるものと思われる。自己の関心をもつ狭い社会的知識は可なり獲得しているが、道徳的判断は未熟である。

一方的、独断的、自己中心的で偏狭な解釈が支配的である。

4.性格は爆発性、粘着性、気分易変性、自己中心的、衝動性、自己顕示性、被影響性などの特色がみられる。

(三) 診断

精神薄弱(軽愚)及び性格異常

非行時の所見<省略>

二、非行時の所見を精神医学的に考察すれば次の通りである。

(一) 非行当時の時、処、自己についての追想は可能で、当時意識障害があつたとは思われない。

(二) 一週間位前から、農薬を用意し、父親殺害の時期を待つていた。父親の食事の習性を考慮し、父親だけを殺すべく肉に農薬を混入した。この点は、相当計画された非行であることを示している。但し、自分の意図に反して、母親をも殺害するかも知れないことには、深い考慮を欠いている。母親が死ぬこともやむを得ないということを意識していたと考えることも困難である。

(三) 自分の写真をけずつて家を出たが、福岡に着いてから、それが却つて自分に嫌疑がかかるもとになると気付いている。この点は如何にも幼稚で、思考の浅薄さを物語つている。

(四) 父を殺害したことよりも、姉の貯金を無断で持ち出したことに対する罪意識の方が、少年にとつては大きいように思われる。この点に関聯して、詳細な返答を拒否するので、その理由については判然としない。但し、少年の発言の中から、この点に関係ある所を指摘すれば次の通りである。

1.「誰にも迷惑のかからないことなら、何でもしてよいではないですか」

という考え方が強い。

2.父親は家族の者に嫌われていたのかという間に対して、否定も肯定もせず、

「人には言えないこともありますよ」

と述べて、具体的に説明することを拒否している。

3.米国婦人の中には、ケネデー大統領暗殺者を殺した男に対して勲章をやるべきだと喜んだものがあつたと言うが、君はこの点についてどう感ずるかという間に対して、

「私の事件と結びつけるのでしよう」

と述べて、返答を拒否している。

4.調査官の陳述によると、父を殺害したことよりも、姉の貯金を無断で使つたことを重視している点では、母親も全く同じ意見であるということである。少年の家庭における父親と家族との間の人間関係に何か問題がありそうに思われる。少年の家庭には、「人に迷惑を与えるような悪い人間であるなら、殺してもそれは余り悪いことではない」という前時代的な思想があるのではなかろうか。右のような前時代的道徳感覚は、現実社会の特定階層に尚存続している。少年は売春宿などに生活し、これらの特異な環境における前時代的思想に染まつているのではなかろうか。

治療及び予後

一、狭義の精神医学的治療の対象とはならない。教育補導に重点を置くべきであろう。本少年においては、一八才以前において教育補導を行なうことが適切であつたと考えられる。法的には等しく少年と呼ばれても、年齢によつて、補導の効果に著しい差異があることは当然である。

二、特に、前時代的な道徳観念に徹している本少年においては、その思想の改善は頗る困難と思われる。全く同様な考え方を持つた不健全な環境の中に生活し、身をもつて、そのような現実を体験してきた本少年にとつて、良心的な教育補導も、大人の偽善としか映らないであろう。この点を充分考慮に入れて、根気強い教育補導をやるべきであろう。本少年の家族にはその補導能力はないものと推察される。 本少年の前時代的道徳感覚を除くには、殺人は如何なる理由においても許されないということを事実をもつて補導することが必要ではなかろうか。

鑑定主文

一、少年M子の現在における精神状態は次の通りである。

1.狭義の精神病はない。

2.精神薄弱(軽愚)と性格異常が認められる。

3.狭義の精神医学的治療の対象とはならない。教育補導に重点を置くべきである。但し、教育補導の極めて困難な例と思われる。

二、右少年の非行時における精神状態は現在と同様であつたと推定される。

右の通り鑑定する。

昭和三九年二月一〇日 熊本大学医学部神経精神医学教室

鑑定人医師 清田一民

参考八

少年調査票<省略>

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