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熊本地方裁判所 昭和49年(ワ)572号 判決 1978年12月22日

原告

生野一路

右訴訟代理人

馬奈木昭雄

外六名

被告

丸善株式会社

右訴訟代理人

秋吉一男

中村輝雄

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対して、原告所有の別紙物件目録(一)記載の書籍(以下「本件書籍」という。)と引換えに、別紙物件目録(二)記載の書籍(以下「本件原書」という。)の翻訳書を引渡せ。

2  仮りに右請求が認容されないときは、

被告は原告に対して、

(一) 本件書籍の第一章、第三章のうち七七頁より一二一頁五行目までおよび第五章のそれぞれにつき、別紙物件目録(三)記載の翻訳(体裁は本件書籍と同様のもの)といれかえ、原告に引渡せ。

(二) 本件原書のうち、次の部分につき翻訳した印刷物を引渡せ。<中略>

3  仮りに右1、2の請求が認められない場合、

被告は原告に対し金三九万二、〇〇〇円および内金三〇万二、〇〇〇円に対する昭和五一年九月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  仮執行宣言

二  被告

1  本案前

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案につき

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、昭和四九年八月中旬ごろ、本件書籍を東京都内のナウカ書店から、代金二、〇〇〇円で購入した。

(二)  被告は本件書籍の発売元である。

2  原告は本件書籍を、本件原書の翻訳書として購入したものであり、現に本件書籍の背表紙には「A・I・ヴオロンツオフ、N・Z・ハリトノーバ著、杉山利子訳」と表示され、末尾の訳者あとがきにも「A・I・ヴオロンツオフとN・Z・ハリトノーバの共著による『自然保護』の全訳……」との記述がある。

3  しかしながら、本件書籍を本件原書と対比すると、本件書籍には、数字の単位の誤り、人名、地名、化学物質や薬品名等の固有名詞の誤り、文法の誤り、意味の取り違えなど、客観的にみて明白な誤りが多数存し、特にその中でも本件書籍の第一章、第三章の七七頁から一二一頁五行目まで、第五章は誤りが多く、また本件原書のうち請求の趣旨2の(二)に掲げた部分については、それに該当する翻訳文が本件書籍中になく、この欠落部分が本件原書の約二割にもおよび、そのため文意が通ぜず、あるいは本件原書の趣旨を著しく害しており、しかもこれらの瑕疵は正誤表などで補正しうる程度のものではなく、出版界の常識からみて到底本件原書の翻訳といえるものではない。

4  被告の責任

(一)(1) 従来、本件書籍のようないわゆる欠陥商品について、消費者がその生産者に対する責任を追求するに際して、通常それらは小売商店を通じて購入することが多いことから消費者と生産者とは直接契約関係に立たないとして契約責任の追求が阻まれ、また不法行為責任の追求も過失の立証が消費者にとつて困難なために容易ではなかつた。

しかしながら、現代の大量生産、大量販売の構造を前にしては、古典的な取引形態を前提とした右のような契約法、不法行為法はもはや時代遅れであつて、その変容が必要である。量産・量販構造における末端消費者の救済についてはまさしく製造物責任の見地から考えられねばならない。

(2) 現代の量産・量販構造においては、消費者はそこから産み出される商品の良否につき判断することはできない。にもかかわらず大量販売が可能なのは、大量生産をなす生産者が消費者に代つて品質をチエツクし、これを保証したうえで流通に乗せているという相互了解が消費者と生産者の間に存在するからである。

そしてこの相互了解は、それが崩れれば量産・量販を不可能にするという意味から、単なる道義的責任のレベルに止まるものではなく、法的責任にまで高められたものと考えざるを得ない。即ち、量産・量販構造における生産者は、自ら商品を流通に置くことの合理的意思の解釈として、直接消費者に対して契約ルートをこえて品質保証責任を負担していると考えるべきであり、これを根拠にして、消費者は直接に生産者に対して契約責任を追求しうるのである。

(3) 被告は本件書籍の生産者である。

本件書籍には、その奥付けとカバーに被告の名が明記されているが、これはいうまでもなく、これによつて流通に置かれる商品としての図書が完成したことを意味する。即ち表示された発売元は、まさに生産者の一端たる地位を占めているのである。

(4) また本件書籍の販売に関しては、その出版元であるラテイス社が弱小出版者で、全国的な大量販売ルートを持たないばかりか、購読者との、前述のような品質保証の相互了解も稀薄で、従つて右相互了解を前提として生まれる購読者の、いわゆるブランドに対する「信頼」を得ていないことから、被告が発売元となつて、その「丸善ブランド」に対する購読者の信頼を利用して販売したのである。

従つて、被告が、出版元でないことを理由に品質についての責任は負担しないということは、自己のブランドに対する購読者の信頼を利用しながら、自ら量産・量販構造における品質保証の相互了解を崩壊させる主張をなすものであつて、許されない。

(5) また、仮に被告を生産者としてでなく、発売元という観点から考えても、品質保証責任を免れることはできない。

即ち、製造物責任の責任主体は、原則としては当該商品の生産に関する重要事項について事実上の決定権をもつ者および当該商品の流通過程に関し事実上の支配力をもつ者といわれており、また販売業者であつても、別の商品を製造していたり、実質的な検査体制をもつている者は、当該商品に対する消費者の信頼に基礎を与えていることからして、その責任主体ということができるのである。

そして、被告が書籍の発売元として、特に売場面積、売上高ともに日本第一位であることからして、右の「流通過程に関し事実上の支配力をもつ者」であることは間違いなく、また「別の商品を製造していたり、実質的な検査体制をもつている販売業者」であることも公知の事実である。

(6) また、本件書籍の裏付けには、「発行 株式会社ラテイス、発売元 丸善株式会社」、「落丁、乱丁などの不良品はお取り替えします」との表示があり、被告はこれによつて購読者に対して直接品質保証責任を負うことを明示したものともいうことができる。

(7) 以上要するに、被告は本件書籍の発売元として、直接購読者に対し、本件書籍の品質について保証をなしているものというべく、つまり本件書籍が翻訳書の名に価し、表示どおり内容をもつものであるかどうかを検討し、もし欠陥があればそれを補正、訂正して発売するか、もしくは発売そのものを中止すべき義務(即ち品質をチエツクすべき義務)を負い、かつ、もし右義務を履行しなかつたため本件の如き欠陥翻訳書を発売した場合(注意義務違反)には、当然欠陥本に代えて翻訳書の名に価する表示どおりの内容をもつ代替物を交付し(完全履行義務)、右履行が不能な場合は、購読者が当該欠陥本によつて受けた損害を賠償すべき義務(債務不履行責任―不法行為責任)を負つているのである。

つまり製造物責任は、大量生産・大量販売という購造そのものを前提として、生産者の消費者に対する直接の品質保証という法的メルクマールにより成立するものであり、右により消費者の生産者に対する直接の契約責任追求を可能にするとともに、品質保証の前提となる注意義務(品質チエツク義務)違反として不法行為責任追求の根拠ともなるのである。

(二)(1) また本件書籍については、それが第二刷であつたため、原告は注文販売によつて購入したものである。

このように、注文によつて読者が書籍を購入する場合は、形式的には売主は小売書店になるが、その実態は、小売書店は購読者の注文を発売元に取次ぐ仲立の機能を果しているにすぎず、従つて注文売買による書籍の売買契約の当事者は、購読者と発売元というべきである。

(2) よつて、被告は本件書籍の売主として、原告に対し本件原書の完全なる翻訳書を提供して、その債務を完全に履行すべき義務があり、仮に然らずとしても、売主の瑕疵担保責任の内容として本件書籍の瑕疵を修補すべき責任がある。

5(一)  以上により、原告は被告に対し、先ず本件原書の翻訳書の引渡しを求める。

この請求に関して、「本件原書の翻訳書」の内容の特定が問題となりうるか、原告は本件訴訟において本件書籍の誤りの部分について具体的にひとつひとつ指摘しており、また第一章、第三章、第五章についてはその試訳も示している。これによつてその内容は十分に特定されうるものであり、仮に不十分としても、少なくとも客観的には通常の一般的な水準の翻訳書というものは存在する筈であつて、その限りでは特定されていると考える。

もしこの請求の趣旨の特定を厳格に解するときは、欠陥商品の回収、交換を訴訟で請求することは事実上不可能になることからすれば、ある程度抽象的な特定方法も許容さるべきである。

(二)  仮に右請求が認められないときは、予備的に、本件書籍の中でも特に誤りの多い第一章、第三章の七七頁から一二一頁五行目、第五章について、本件書籍と同様の体裁で別紙物件目録(三)記載の翻訳と入れ替えて引渡すこと、そして前述の翻訳の欠落した部分についてはその部分についての翻訳した印刷物を引渡すことをそれぞれ求める。

(三)(1)  また仮に以上の各請求が何らかの理由でともに認められないとしても、前述のとおり被告には本件書籍の発売にあたつて、それが表示どおりの内容をもつものであるかどうか検討し、もし欠陥のある場合にはそれを補正、訂正して発売するか、もしくは発売そのものを中止する義務があるにもかかわらず、これを怠り、本件書籍のごとき著しく不完全な欠陥書籍をそのまま発売した過失がある。

(2)  その結果原告は、次の損害を蒙つた。

(イ) 財産的損害  本件書籍代金  二、〇〇〇円

(ロ) 慰藉料  三〇万円

本件書籍が欠陥商品であるために原告が受けた精神的損害は甚大であり、これを慰藉するには少なくとも三〇万円を要する。

(ハ) 弁護士費用  九万円

(3)  よつて被告に対し、右損害金合計三九万二、〇〇〇円およびこれから弁護士費用を除いた内金三〇万二、〇〇〇円に対する本件訴の変更申立書送達の翌日たる昭和五一年九月一一日から支払済に至るで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本案前の抗弁

1  本件原書はソ連邦のA・I・ヴオロンツオフ、N・Z・ハリトノーバの共著であるが、ソ連邦の書籍を外国語に翻訳出版するにはメジクエーガ(ソ連図書公団)の許可が必要であつて、本件ではメジクニーガは訴外杉山利子を通訳者と認め、同人の翻訳を我国で出版する権利を前記ラテイスに与えたのである。従つて、本件書籍の内容の訂正、変更は翻訳権者たる杉山利子のみができるのであり、印刷、製本、出版の権利者はラテイスである。

被告は、発売元としての権利義務は有するが、本件書籍の内容の訂正変更、印刷製本、出版に関しては何らの権利義務もなく、原告の本件訴訟は義務のない者に対する給付請求であり、被告は当事者適格を欠く。

2  また、原告は別紙目録(三)の訳文を、原告が所有する本件書籍の該当部分に入れ替え、印刷製本して完全な書籍としての「商品」の引渡しを求めるというのであるが、これは杉山利子、ラテイスに無断で本件書籍の内容を変更して流通に置かんとするもので、本件書籍に関しての原告の個人的利用の範囲を逸脱し、杉山の著作権およびラテイスの出版権を侵害する違法な請求である。

3  以上により、原告の本件訴は不適法であるからその却下を求める。

三  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は否認する。原告が言うナウカ書店は外国書籍の輸入業者であり、日本書籍の販売はしていない。

同(二)の事実は認める。

2  同2の事実中、原告が本件書籍を翻訳書として購入したとする点は不知、その余は認める。

3  同3のうち、本件書籍が到底翻訳書とは言い得ないとする主張は争う。その余の事実は不知。

そもそも、翻訳書については完全な翻訳文なるものはあり得ない。翻訳においては意訳によらなければ原著書の意を表わし得ないことがあり、また、訳文の表現は訳者の思想や個性が当然に強くあらわれることは言を待たない。従つて、同一の外国書に複数の異なる翻訳者がある場合、各訳文が異なつたものとなることは当然であり、その故に翻訳書の評価は一人の評価によるべきでなく社会の評価に待つべきなのである。

しかるに、本件書籍は、社団法人日本図書館協会と全国学校図書館協議会からそれぞれ優良書として選定され、雑誌「山と仲間」でも必読書として推薦を受けている。

これらの事実は本件書籍の社会的評価が当該分野における翻訳書として十分価値あること、従つて、たとえ誤訳の個所があるとしても、それには関係なく翻訳書としての目的を達し、市場に流通する価値を十分に備えた内容であることを証するものである。

4(一)  同4の(一)のうち、本件書籍の奥付けやカバーの記載については認めるが、その余の主張は争う。

右の奥付けの記載は、出版者であるラテイスが落丁、乱丁の場合に取り替えることを約したものである。書籍の印刷、製本は出版社がし、また出版社のみができるのであるから、印刷製本上の瑕疵である落丁、乱丁による取り替えは出版社が製造者の責任として、当然購読者に対して負うべきものであつて、販売業務に携わる発売元、取次店、小売店にはその責任はない。

なお、書籍の奥付け等に発売元の名を印刷するのは流通上の責任関係を明確にするためである。即ち、これによつて取次業者が書籍の流通上と金銭支払関係等で連絡を必要とする場合、いちいち出版社に連絡することなく発売元に連絡することによつて速かにその目的を達することができるからである。

(二)  同4の(二)は争う。

5  同5の(一)、(二)は争う。(三)のうち、損害については不知、その余は争う。

被告の責任は既述の如く発行された書籍に対する発売元即ち第一次卸商(問屋)としての流通上における責任のみであり被告は同義務に違背した事実はない。原告が本件書籍に関し精神的損害を蒙つたとすることの有無は被告には何等の関係のないことであり、原告主張の如き損害賠償責任を被告が負うべき理由はない。

四  被告の主張

1  我国における書籍雑誌の流通には、大別して、出版社が直接読者に対し通信販売等により販売する方法(直販)と、取次店を通じて小売書店に委託又は注文販売する方法(市販ルート)とがあり、後者が全体の約七五パーセントを占めている。この市販ルートの場合、出版社は直接取次店と取引をするのが普通であるが、その出版社が取次店との取引口座をもつていないときには、取引口座のある他の出版社に発売を委託し、この出版社がいわゆる発売元となるのである。そして、発売元から取次店に、取次店から小売書店にそれぞれ委託販売(約定の返還期間内に返本しうる方法)または注文販売(買い取り方法)することとなる。

ところで我国の出版界の発売元委託契約の内容は概ね次のようなものである。

(1) 委託者の出版社(発行所)が出版発行の書籍の販売を発売元に委託する。

(2) 書籍の定価は出版社が決定する。

(3) 委託は販売業務のみに限る。

(4) 出版社に直接販売を認めることもある。

(5) 不良品の返還は出版社が引き受ける。

(6) 出版社の発売元への納品の価額は両者間で定める(大体定価の二割前後乃至三割前後の割引)。

そして、発売元から取次店へ、取次店から小売書店への各納品価格はそれぞれ別途取り決められるのである。

これを本件書籍についてみると、ラテイスと被告間の発売元委託契約は次のとおりである。

(1) 本件翻訳書の定価(小売定価)は出版社が決める。

(2) 発売元の利益をそこなわぬ範囲で出版社は直売できる。

(3) 出版社ラテイスの発売元への納入価額は定価の六六パーセントとする。

(4) 発売元丸善の代金支払

委託販売分は搬入の翌月末に納品の三分の一、四ケ月後の月末に三分の一、七ケ月後の月末に三分の一を支払いする。

注文販売については翌月末日に支払いする。

(5) 発売元から出版社に返品の連絡があつた場合には出版社は遅滞なく引き取りする。

(6) 出版社、発売元丸善間の書籍移動による経費は出版社ラテイスの負担とする。

そして、被告はさらに訴外東京出版販売株式会社と同日本出版販売株式会社に対し、いわば第一次卸商としてこれを委託販売し、右両社が第二次卸商となつて各小売書店に委託販売したのである。

以上のように、一般的にみても、また本件書籍の場合についてみても、いずれにしても購読者との関係では小売書店が売主なのであつて、発売元も取次店も購読者とは何らの契約関係も有さず、従つて、被告は原告と小売書店間の売買については何の責任もない。

2  また、発売元は前項に述べたように当該書籍の内容とは関係なく、取次店への販売の業務のみにあたつているものであつて、その流通上の責任は負うものの、書籍の内容についての責任を負うものではない。このことは、理論上はもちろん、商慣習としても承認されていることである。

本件においても、本案前の抗弁1で述べたとおり、被告は本件書籍の内容の訂正変更、印刷製本、出版に関しては何らの権利義務も有していないのである。

3  また、同じく本案前の抗弁2で述べたとおり、原告の本訴請求は、本件書籍の個人的利用の範囲を逸脱し、杉山利子の著作権およびラテイスの出版権を侵害するもので許されない。

4  日本国民は憲法二一条によつて言論出版による表現の自由が保障されている。即ち、公共の安寧秩序を保持するに危険を及ぼすことが明らかに認められる場合以外は言論出版は自由である。

従つて、著作物の出版においてその内容が優れているか否か、あるいはまた社会の評価如何にかかわらずその出版の自由は保障されているのである。

しかるに、原告の本訴請求は単に自己の主観的判断に基づいて他人の翻訳にかかる書籍の訳文を取消、訂正、変更することを求めているものであつて、かような請求は憲法二一条の精神に反する不法なものである。

五  本案前の抗弁に対する答弁

1  本件原書の我国での翻訳出版にメジクニーガの許可を要するとの主張は争う。

本件原書は一九七一年に出版されたが、当時ソ連は万国著作権条約に加入しておらず、また我国との間では著作権に関する条約もなかつたのであつて、ソ連邦図書の我国での翻訳出版には何らの法的制限もなかつたのである。訴外杉山は、時間的に先に翻訳出版をしたということだけで、他人の翻訳出版を差止める権利はない。

2  原告本訴で被告に請求しているのは、本件原書の翻訳書の給付であつて、被告にその給付義務があるか否かが問題なのであり、本件書籍の内容の訂正、変更、印刷等の権利の有無とは関係がない。そして、被告の右給付義務の存否は本案の内容にわたる事柄であつて本案前の抗弁とはなしえない。

六  被告の主張に対する原告の反論

1(一)  翻訳(出版物)は翻訳者の独自の思想を外部に発表するものではなく、原書を忠実かつ正確に他国語に転換伝達するものであり、それは表現の自由というより、むしろ事実の報道というべきで、国民の知る権利に奉仕すべきものである。従つて、翻訳出版物には正しい内容が要求されることとなり、それが誤つた内容をもつ場合は、知る権利によつて制限を受け、また、表現の自由が他者への伝達を前提とする以上、その「表現」は他者において理解が可能であるように社会の約束に従わなければならない。従つて、原告の本訴請求にかかわる、本件書籍に存する、事実の明白な誤り、読者に理解できない著者独自の表現については、表現の自由は保証されないものと言わざるを得ない。

(二)  また憲法上の基本権の侵害者たりうるのは国家又は強大な影響力を有する私人でしかない。書籍の読者で何の力ももたない原告のなす批判や訂正要求は、表現の自由の侵害とはならない。

さらに、本件書籍自体は、実質的にみると原著作者の有する同一性保持権を完全に侵害したものであり、かかる著作権侵害の出版物に対してまで表現の自由の保障が及ぶものではない。

(三)  仮りに、誤りを多く含んだ翻訳出版物にも表現の自由が保障されるとしても、誤つた内容の表現による知的被害は主権者としての国民の意見形成、人格形成の障害になり、民主主義の根幹にかかわるものとして、「公共の福祉」の見地からその自由は当然制約さるべきである。

2(一)  被告は本件書籍の著作権、出版権の帰属について論じているが、原告の本訴請求については、本案前の抗弁に対する答弁の1で述べたとおり、本件原書の翻訳出版について著作権法による制限はない。

ただ、予備的請求の(一)は本件書籍の第一章、第三章の一部、第五章を原告の指定する翻訳といれかえ原告に引渡せと請求するものであり、著作権法二〇条の同一性保持権に牴触しないかが問題となるが、同条はその文言上著作権者と著作物の第一次利用者との関係を規定したもので、第一次利用権者による複製の産物である市販書籍には及ばないと解すべきである。

(二)  仮りに、同一性保持権が著作権の目的となつている著作物や公表された著作物にまで及ぶと解釈しうるとしても、本件書籍の場合のような明白な誤りの訂正、それが多数に及ぶ場合の一部のさしかえ等は、著作者の名誉のためにこそなれ、人格権、著作者人格権のいずれも侵害するものではない。また、本件のような訂正要求に対し同一性保持権を主張したり、また訂正の申し入れを承諾しないことは、権利の濫用と言わねばならない。さらに、前記杉山は同一性保持権の行使を事前に放棄し、改変を出版社の処置にまかせており、従つて同人の同一性保持権は前記予備的請求の障害となるものではない。

(三)  また、仮りに予備的請求の(一)が右杉山の同一性保持権と牴触するとしても、被告にはあらゆる手段をつくして同人の同意を得るべき法的義務があり、その同意をえなければならない。また杉山に同意の意思やその能力がなく、同意ができない場合でも然るべき他の訳者の訳とさしかえ、共著とすれば良く、これについて杉山が同意しないことは権利の濫用というべきである。

なお、予備的請求の(二)は、本件原書のうちの翻訳が欠落している部分について翻訳した印刷物を引渡せというものであるが、この請求が杉山の著作権と何ら関係のないことは明らかである。

第三  証拠<省略>

理由

第一本案前の抗弁について

被告は、原告の本件訴えが不適法であるとして、第一に原告の本件訴訟は、法律上義務のない者に対する給付請求であつて、被告は当事者適格を欠いていると主張し、第二に本件訴えが訴外杉山利子の著作権やラテイス社の出版権を侵害する違法な請求であつて、不適法であると主張するので判断を加えるに、右第一点に関しては、給付訴訟においては、原告によつて給付義務があると主張される者が本来被告適格を有するのであつて、真実給付義務を負うか否かは本案において判断されるべき事項であり、右第二点に関しては、被告のこの主張は、そもそも、被告の給付義務の存否に関することがらであつて、本案についての判断事項そのものであるから、いずれの点も主張自体理由がないものというべく、被告の本案前の抗弁は採用できない。

第二本案について

一被告が本件書籍の発売元であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告は昭和四九年八月中旬に訴外ナウカ書店の従業員の訴外花山門雄に依頼して右書店から本件書籍を購入したことが認められる。

そして、本件書籍の背表紙には「A・I・ヴオロンツオフ、N・Z・ハリトノーバ著杉山利子訳」と表示され、訳者のあとがきにも「A・I・ヴオロンツオフとN・Z・ハリトノーバの共著による『自然保護』の全訳……」との記述があることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠>によれば、本件書籍は本件原書の翻訳書として発売され、原告もその認識のもとに購入したことが認められる。

二そして原告は、本件書籍の内容が到底本件原書の翻訳といえるものではないとして、発売元である被告に対し本訴請求をなしているので、果して被告に原告主張のような責任があるか否かにつき、先ず検討を加える。

1  <証拠>によれば、我国における書籍の販売には、大別して、出版社が直接購読者に販売する方法(直売)と、東京出版販売株式会社や日本出版販売株式会社等の取次店を通じて各小売書店で販売する方法(市販ルート)とがあり、全国的な販売網を持つている取次店を経由した方が販売に有利なことから、大半の書籍が市販ルートによつて販売されていること、ところが、これら取次店は債権回収の確実を計る等の経済的理由から、取引実績のない弱小出版社に対しては自社との取引口座を設けないことが多く、そのためにこのような出版社が市販ルートによつて書籍を販売しようとするときは、取次店と取引口座のある別な出版社を発売元としてその発売を委託する手段をとつていること、そして、書籍が取次店を経由して販売される場合、新刊書については一定の委託期間を定めて出版社ないし発売元から取次店に、取次店からさらに小売書店にそれぞれ販売し、右期間内に売れなかつた分は返品を認めて精算するという委託販売方式によるが、二刷り(重版)以後については、通常は小売書店からの注文を受けて販売する注文販売方式によつており、いずれの場合も出版社ないし発売元の販売の相手方は取次店であつて、購読者との関係での売主は小売書店であること、こうして発売元は出版社から販売に関する業務だけを受託して、取次店への卸し、取次店からの返品の処理、それらに伴う代金の決済等をなしているもので、取次店の側にとつてもその業務は出版社から直接の場合と、発売元を経由した場合とその内容において何の変りもないこと、一方、書籍の内容に関しては、その著者において著作権(翻訳者の場合は翻訳著作権)を、出版社において出版権をそれぞれ有していることから、発売元には書籍の内容について補正、訂正を求める権利はなく、そのために発売元が当該書籍の内容について検討を加えることは稀であつて、出版界においては発売元は書籍の内容について法的な責任を負うものではないと考えられていることがそれぞれ認められる。なお、証人横井忠夫は発売元が書籍の内容について検討しており、かつ内容について責任を負う旨の証言をなしているが、前掲各証拠に照して、それが出版界に一般的なものと認めることはできない。

2  右の点を具体的に本件書籍についてみると、本件書籍の翻訳者は訴外杉山利子で、訴外ラテイスが発行元たる出版社、被告が発売元であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告が本件書籍について発売元としてなしたことも、前記認定したような一般的な発売元の場合と異なるものではなく、従つて、本件書籍には発売元として被告の名が表示されている(この表示の点は当事者間に争いがない。)ものの、被告は本件書籍の作成には内容的には何ら関与しておらず、また、内容についての検討も加えていないことが認められる。

3(一)  そこで原告の主張についてみるに、原告は、先ず、いわゆる製造物責任論を基礎にして、被告が商品としての本件書籍の品質について保証責任を負い、これにより種々の契約責任あるいは不法行為責任が生ずる旨主張する。

しかしながら、食品や医薬品のように、それに存する欠陥によつて生じる被害が、健康被害といつた人の生命、身体に直接的で、重大かつ回復困難なものについては、その危険性ゆえに、生産者のみならず、その販売に関与した製造販売業者をも含め、これらの者に品質保証責任を認める余地があるものと解されるのであるが、この理が直ちにあらゆる商品に当然に妥当するものと解することはできず、その商品の種類、性質、流通過程の実態、消費者側の選択能力や選択可能性、さらにはその欠陥によつて生じうる被害の内容と危険性の度合、そして責任ありと主張される者がその欠陥を防止できる立場にあるか否かといつた諸点について検討を加えたうえで、品質保証責任を負うものと認めることができるかどうかを考えるべきである。

(二)  右の観点から本件について見るに、前述したように、本件書籍は被告が発売元になつたことによつてはじめて前記の市販ルートによつて販売されることとなつたものである(なお、原告は、被告が本件書籍の生産者であるというが、前述したように被告は本件書籍の作成に関与しているものではなく、本件書籍に被告の名が表示されているといつてもそれは発売元としての表示であり、しかもその実態は単に販売に関する業務を担当しているにすぎないのであるから被告を生産者ということはできない。)が、前述したように書籍について発売元が設けられるのは弱小出版社が取次店の有する販売網に自己の書籍を乗せるための流通上の必要からであつて、発売元自体が独自の販売網を有するわけではなく、発売元として担当する業務は取次店との間の販売に関する業務に限られること、書籍においては、他の商品と異なり、著作権や出版権といつた独特の問題があつて、これ故に発行元たる出版社はともかく、発売元には当該書籍の内容について補正、訂正する権限は無く、従つて、書籍出版販売業界の実態としても発売元が書籍の内容について検討することは余りないこと(ただ、発売元として内容を検討すること自体は勿論絶対不可能なものではなく、前記証人横井忠夫の証言からすれば、発売元となる出版社によつては内容を検討することもありうることが認められるのであるが、しかし、それによつて内容的な欠陥に気づいたとしても事実上発行元たる出版社に対し注意を喚起しうるにすぎず、それ以上に、内容的な欠陥を訂正させうる法的な権限を有するものではない。)、また、書籍においては、一般的にはその内容について消費者たる読者の側にも判断能力があるのであつて、むしろ、読者の良識によつて良書、悪書の選択がなされることこそ本来のあるべき姿と考えられること、さらに、その欠陥によつて生じうる被害についても、原告の主張するとおりこれを軽視することは許されないが、しかし、その重大性、危険性を比較すれば、食品や医薬品の場合に比して相当に軽度なものということができ、しかも読者においてこれを回避することが相当程度可能であること、そして仮に原告主張の如く発売元にも書籍の内容について責任ありとして、発売元に書籍の内容を検討する義務を課するときは、前述のような書籍出版販売業界の実態に照らし、却つて、弱小出版社による出版をいよいよ困難なものとする弊害を招来しかねないことなどを勘案すると、本件の被告の如き書籍の発売元については書籍の内容についての法的な検討義務があると解することはできず、従つて、原告主張のような品質保証責任を認めることはできない。

(三)  なお、原告は、本件書籍における誤訳の程度が甚だしく、しかも客観的に明白なものであつて、到底本件原書の翻訳といえるものでないと主張する。そして<証拠>の結果によれば、原告主張のとおり、本件書籍には、本件原書の翻訳書としては欠落や誤訳が多く、しかも誤訳は数字や固有名詞にまで及んでいること、また日本語による翻訳文としても文章表現に適切さを欠く部分が相当あることが認められる。

しかしながら、前述したとおり、発売元に対しては、書籍の内容に関して検討を加える義務が、法律上の義務として負わされているものではない以上、たとえ本件書籍の内容に誤訳が多いなどの欠陥があるとしても、これは、もつぱら、翻訳者及び発行元の責任として検討されるべきことがらであつて、仮に本件書籍がその欠陥のため本件原書の翻訳書の名に価しない代物であつたとしても、このことの故に、発売元である被告が社会的に批判され、江湖の読者の非難を浴び、ひいては出版業界において信用を失墜するに至る原因とはなりえても、被告に対し原告主張のような品質保証の責任を負わせる根拠とはなしえない。

4  次に、原告は、本件書籍の奥付けの記載によつて被告が品質保証責任を負うことを明示したものと主張するので検討するに、<証拠>によれば、書籍の奥付けに落丁、乱丁本は取り替える旨の表示をすることがあるが、これは落丁、乱丁といつた製本工程上の瑕疵あるいは印刷ずれといつた印刷上の瑕疵のある場合に、当該書籍を発行した出版社がこれを瑕疵のないものと取り替える責任を負うことを表示したものであり、この責任は前記表示の有無にかかわらず出版社が負うべきものとされていることが認められる。

本件書籍においても、奥付けに発売元として被告の名および「落丁、乱丁などの不良品はお取り替えします」との記載があることは当事者間に争いがないが、右文言および<証拠>によつて認められる奥付けの体裁、そして前記<証拠>によれば、右記載も右認定したところと同趣旨の表示と認められ、それ以上に本件書籍の奥付けの記載が、発売元である被告が直接購読者に対する関係で右取り替えについての法的責任を負うこと、あるいは印刷、製本工程上生じた物理的瑕疵のほかに本件書籍の内容の誤りについてまで被告が何らかの法的責任を負う旨を表示したものとは、本件全証拠によつても到底認めることができない。

5  以上のとおり、被告については、原告のいう品質保証責任を認めることはできず、従つてこれに依拠した契約責任の主張も採用しえない。また被告の不法行為責任についても、その基礎になる注意義務が右品質保証責任の一内容として生じるものと解されることからすれば、品質保証責任を認めえない以上、不法行為責任もまた認めることができない。

6  原告は、さらに被告が本件書籍の売主として債務の完全履行義務あるいは瑕疵修補義務を負う旨主張するので、判断を加えるに、前記認定した事実によれば、発売元たる被告は取次店に対しては売主であるが、購読者との間には売買契約は存せず、購読者にとつての売主は小売書店であるといわざるを得ず、本件の場合がこれと特に異なるといつた事情を認めるに足る証拠はない。

よつて、原告と被告との間に売買契約の存在が認められない以上、これを前提とする原告の右主張もまた採用できない。

三以上述べたとおり、原告が本訴で主張するような責任が被告に存するものと認めることはできず、従つて、その余の点について判断を加えるまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(金澤英一 西島幸夫 宇田川基)

別紙<省略>

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