大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所川越支部 昭和49年(わ)65号 決定 1974年10月18日

被告人 S・R(昭三二・七・二〇生)

主文

本件を浦和家庭裁判所川越支部に移送する。

理由

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、

第一  別紙犯罪事実一覧表(編略)記載のとおり、昭和四八年八月一四日ころから、同年一二月二三日ころまでの間前後一五回にわたり、東京都福生市○○××××番地○津○一方車庫内に駐車中の自動車内ほか一二か所において、同人ほか一一名、一社の所有又は管理にかかる現金合計三万円、サングラスなど物品五二点(時価合計一三万七、七八〇円相当)を窃取した

第二  前記別紙犯罪一覧表番号一四の犯跡を隠ぺいするため、○沢○設小屋に放火しようと決意し、同年一二月一二日午前零時五〇分ころ、入間郡○○町○○○○×××番地河川敷地内○沢○設小屋内にあつた作業着及び床に灯油を撒いたうえ、右作業着に所携のマッチで点火して火を放ち、雑誌、壁板へ燃え移らせよつて現に人の住居に使用せず、かつ人の現在しない○沢○材株式会社所有の木造トタン葺物置小屋兼休憩小屋一棟約一〇・七三平方メートルを全焼させた

第三  業務その他正当な理由による場合でないのに、同月一四日同町○○○○○×××番地○沢○ね方において、くり小刀(刃体の長さ約一三・六センチメートル)一本を携帯した

第四  強制措置として入園させられていた○立○○○学院を同年一一月二八日ころ、逃走した後、同○○○○○×××番地の自宅付近を徘徊し時折自宅に立ち帰つていたものであるが、同年一二月二三日午後九時すぎころ、食事をするため前記自宅に立ち戻ろうとしたさい、自宅内で実母S・N子が、かつての夫で被告人の元養父にあたるH・Z(六一年)から激しい乱暴を加えられている物音等を聞き、さらに同女が上半身裸のまま泣き叫びながら同宅から逃げ出してきたのを目撃するや、かねてからH・Zに対し抱いてきた敵意がつのり、激昂し、同人を殺害しようと決意し、直ちに自宅付近の○○中学校に赴き、アルミ製ソフトボール用バット(長さ約八五・五センチメートルのもの)を持ち出して自宅にひきかえし、同時二〇分ころ、同所において、前記H・Zの頭部、顔面等全身を右バットで十数回殴打し、よつて同人をして頭蓋骨々折、脳損傷等によりその場で即死せしめて殺害の目的を遂げた

ものである。

というのであつて、右各事実は当公判廷で取調べた各証拠によつて明らかであり、右第一の所為は、刑法二三五条に、第二の所為は、同法一〇九条一項に、第三の所為は、銃砲刀剣類所持等取締法三二条二号、二二条に、第四の所為は刑法一九九条に各該当する。

そこで、以下被告人の処遇について考えてみる。

被告人の本件各犯行は、いずれも教護院○立○○○学院無断外泊中に敢行されたもので、その法定刑から見れば勿論のこと、これが社会に与えた影響、犯罪の態様、結果の重大性、更には長期にわたる施設収容による保護処分を受けていること、これまでの非行歴等を総合すると、もはや保護処分による矯正効果を期待することは困難かとも考えられる。しかし、被告人の経歴を検討するに、その幼児期・少年期は不幸の連続であつたというほかなく、出生前の実父の死亡、母再婚に伴う継父H・Zからの虐待、家庭の経済的貧困・母親病弱のための育児施設等への収容、教護院への収容等、被告人はこれまで暖かな家庭的雰囲気、就中母親の愛情に殆んど接触する機会のないまま育つてきたことが認められそのため対人接触を好まず、自己の殼に閉じ込もり全て消極的であり、社会的不適応性が著しく、場面逃避的な性格が形成されたものと考えられる。右のような性格のために、教護院においても職員同僚らとなじむことができず、自己の最も敬慕する母親の翼下に入りたいがために幾度となく無断外泊を繰り返したもので、本件窃盗行為を含む非行歴も被告人自身としては已むなく犯したものであり、更に殺人についても被告人の心情は容易に了解可能であり同情すべき点も多いと考えられるうえ、被告人はまだ一七歳という若年で可塑性にも富み、成年に達するまでにはなお三年の期間があり、精神面においても少年らしい未熟さが窺われ、しかも被告人の前記のような性格的欠陥は未だ必ずしも抜き難いものとはいえず、知能も普通域であり特段の精神障害も認められないこと等からすれば、現段階において、被告人に対し保護処分による更生を断念するのは尚早であるというほかなく、強力な保護、訓育を試みてその非行性を除去し、且つ生活環境を調整することによつて被告人を更生の途に進ましめるべく努力するのが相当であると考えられる。

よつて、少年法五五条により本件を浦和家庭裁判所川越支部に移送し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 字佐美初男 裁判官 矢部紀子 下山保男)

参考 受移送決定(浦和家裁川越支部 昭四九(少)一一九九・一二一六号 昭四九・一〇・二九決定)

主文

少年を特別少年院に送致する。

理由

(罪となるべき事実)

少年は

第一 別紙犯罪事実一覧表(編略)記載のとおり、昭和四八年八月一四日ころから、同年一二月二三日ころまでの間前後一五回にわたり、東京都○○市○○××××番地○津○一方車庫内に駐車中の自動車内ほか一二か所において、同人ほか一一名、一社の所有又は管理にかかる現金合計三万円、サングラスなど物品五二点(時価合計一三万七、七八〇円相当)を窃取した

第二 前記別紙犯罪一覧表番号一四の犯跡を隠ぺいするため、○沢○設小屋に放火しようと決意し、同年一二月一二日午前零時五〇分ころ、入間郡○○町○○○○×××番地河川敷地内○沢○設小屋内にあつた作業着及び床に灯油を撒いたうえ、右作業着に所携のマッチで点火して火を放ち、雑誌、壁板へ燃え移らせ、よつて現に人の住居に使用せず、かつ人の現在しない○沢○材株式会社所有の木造トタン葺物置小屋兼休憩小屋一棟約一〇・七三平方メートルを全焼させた

第三 業務その他正当な理由による場合でないのに、同月一四日同町○○○○○×××番地○沢○ね方において、くり小刀(刃体の長さ約一三・六センチメートル)一本を携帯した

第四 強制措置として入園させられていた○立○○○学院を同年一一月二八日ころ、逃走した後、同○○○○○×××番地の自宅付近を徘徊し時折自宅に立ち帰つていたものであるが、同年一二月二三日午後九時すぎにろ、食事をするため前記自宅に立ち戻ろうとしたさい、自宅内で実母S・N子が、かつての夫で少年の元養父にあたるH・Z(六一年)から激しい乱暴を加えられている物音等を聞き、さらに同女が上半身裸のまま泣き叫びながら同宅から逃げ出してきたのを目撃するや、かねてからH・Zに対し抱いてきた敵意がつのり、激昂し、同人を殺害しようと決意し、直ちに自宅付近の○○中学校に赴き、アルミ製ソフトボール用バット(長さ約八五・五センチメートルのもの)を持ち出して自宅にひきかえし、同時二〇分ころ、同所において、前記H・Zの頭部、顔面等全身を右バットで一〇数回殴打し、よつて同人をして頭蓋骨々折、脳損傷等によりその場で即死せしめて殺害の目的を遂げた

第五 殺人等被告事件により○○少年刑務所拘置監に収容中の者であるが、昭和四九年九月六日午前一一時頃浦和地方裁判所川越支部第一号法廷において右事件の公判開廷の際、手錠が解かれ、同法廷の窓が半開きとなつていたことを奇貨とし、いきなりその窓から飛び出して同裁判所裏側より表通りに走り出し、更に道路を横切り○○少年刑務所職員○野○作方屋敷内に逃げ込み、たまたま行止まりとなつていた同屋敷内の路地の塀を飛び越えようとしているところを追跡した戒護職員に逮捕された

ものである。

(法令の適用)

第一の事実につき各刑法第二三五条。

第二の事実につき同法第一〇九条一項。

第三の事実につき銃砲刀剣類所持等取締法第三二条二号、第二二条。

第四の事実につき刑法第一九九条。

第五の事実につき同法第九七条、第一〇二条。

(処遇理由)

第一(本件の経過)

前示非行事実第一ないし第四については、当裁判所に於て少年法第二〇条により、検察官送致となり、浦和地方裁判所川越支部に起訴され、昭和四九年一〇月一八日同裁判所に於て、「本件犯罪の重大性、少年の保護歴などから保護処分による矯正効果は期待困難かと思われる」しかし「本件窃盗を含む非行歴も、止むなく犯したものであり、殺人についても、その心情は容易に了解可能であり、同情すべき点も多い」うえ「まだ一七歳という若年で可塑性にも富み」精神面においても少年らしい未熟さが窺われ」「保護処分による更生を断念するのに尚早である」から「強力な保護、訓育を試みて、その非行性を除去し、且つ生活環境を調整することによつて更生の道に進ましめる努力をするのが相当である」との理由で、少年法第五五条により当裁判所に移送されたものである。

第二(少年の生い立ち)

昭和三二年七月二〇日母S・N子の非嫡の子として出生、実父は母と恋愛婚姻するも婚姻届をしない中、職場で事故死し、母は実家で少年を出産した。

昭和三三年一一月、母はH・Z(本件殺人事件の被害者)と再婚し、少年は同人と養子縁組をしたが、右H・Zは昭和一九年に戦時強姦の罪で懲役七年、昭和二五年に恐喝罪で懲役一年六月、昭和二七年に窃盗、恐喝の罪で懲役三年、昭和三一年強姦致傷で懲役二年の各実刑を受け、服役し、当時出所したばかりであり、結婚当初から夫婦関係はしつくりゆかず、且つ少年に対しては、物心つかぬ中から、打擲、折檻、閉め出しなど目にあまる虐待があり、少年はH・Zが帰宅すると同人をおそれ便所、押入れに隠れるなどの習慣がついた程であつた。

少年三歳時、H・Zは情婦のもとに出てゆき、別居したものの時々帰宅していたが、生活費を入れず、母は働かなければならなくなり、少年を母の実家に預けた。しかし実家にも子供が多く少年は肩身の狭い思いをしていた。やがて小学校入学をひかえて母のもとに引とられたが、学校から帰つても一人ぽつちで淋しさのあまり、泣きながら母の帰りを待つ日々であつた。学校では集団生活に馴染めず、怠学が目立ち、学習意欲も振わなかつた。この頃に窃盗の初発非行があつた。

八歳時に母が子宮筋腫のため入院し、祖母が面倒をみていたが野放し同然であつた。翌年母が退院するも症状好転せず、養育困難のため少年は○○育児院に入られた。

昭和四一年三月、母はH・Zと正式離婚し、少年も養子縁組を解消した。

少年は育児院を度々母恋しさのあまり飛出しては連れ戻されることのくり返しで、生活安定せず、その度窃盗の非行を重ねていた。

昭和四三年九月小学校五年時再び母に引取られたが、毎日のように訪れる某男のため母と二人で居ることができず、家庭にも落着けず、夜歩きをし、母も手をやき児童相談所に相談の上、昭和四四年九月一日○○学園(養護施設)に預けられた。しかし集団生活に馴染めず、無断外出を反覆し、昭和四六年一二月二八日窃盗保護事件で当庁に送致され教護院(○立○○○学院)送致となつた。

以来、教護院に於ても無断外出、強制措置をくり返している中、本件非行第一ないし第四を行つたものである。

第三(少年の性格)

知能は普通域であり問題はなく、精神病的徴候はないが、前記生育歴からくる性格の偏りが大きいと思われる。

(1) 閉鎖的、非社会的、抑圧的性格

対人接触を求めようとせず、他から孤立し、一人で思いのままになり度い。他からの働きかけには反発せず抑圧的。形式的には従うもの、感情が入らず、そのような場面を逃げ出し、一人になつて好きなことをしたいと考える。(これを少年は自由が欲しいと表現する)

従つて対人関係の中で育てられていく共感性や細かな感情面の発達が不充分で、ぶつきら棒で、独断的な感情表出に終り易いが、内的にはかなり感情の興奮傾向、気分の動揺が大きく一種の自己顕示的な気持ちが裏返しに表出されて働いているものともみられる。他からの働きかけを自分を束縛するものとの受けとり方をし易く、自分を舐められたと思う傾向があり、施設の職員、僚友と殆ど馴染むことがなかつた。

(2) 上記性格形成、非行歴の背景

母子家庭の一人つ子の問題もあるが、幼少児に継父から故なく虐待され、特に邪魔者扱いされたという拒否的な育てられ方をしたこと、それに対し母は少年を思う気持ちはあつても、少年をかばい切れず(かばえば益々暴行がひどくなる)離婚した後も訪れてくる前夫を拒み得ず、その暴行を受忍するという屈辱的な生活を体験したこと。かかる継父の虐待、母の非力、病弱、貧困、施設収容等のため、平常な家庭生活社会生活を経験することなく成長したこと。そしてこれらの負因を少年は自分に力がない故に外からの運命的なものとして屈従しなければならず、内心反発しつつも表出しない仕方が身についたものと考えられる。このような状態では情緒面の発達は期待できず、安定感のない家庭に落着けず、早くから窃盗非行がはじまつたものと思われる。

少年にとつて窃盗は、他と交わることなく生活するための唯一の生活手段であつた。又本件殺人は、たまたま、学院を抜け出して、母の様子を見に来たところ、継父H・Zが母に対し激しい暴行に及んで、母は悲鳴を上げ半裸の姿で隣家へ逃げてゆくという場面に遭遇し、激昂してなしたものであるが、なお少年にとつてはH・Zは長い間自分と母を虐待し不幸に陥入れた者として、いつかこれを排除して母子の平安をとり戻したいと思いつづけ、殺意は以前から芽生えていたという状況が重なり合つて本件犯行になつたものである。

第四(非行に対する罪障感)

少年が本件殺人の動機、事実を悪びれず、粉飾もなく、当然の行為であるかの如く述べていたのは奇異な感さえする。

これを罪障感、反省心の欠如とみられないこともない。本件非行については了解可能な動機と場面が揃つていた。少年は右行為が社会で否定さるべきマイナス評価をされるものであることは知つている、しかし正当な動機があつて為したという考え方から、マイナス評価が出来ないことが問題であり、これは規範意識の教化の欠如からきているものとも考えられないこともない。従つて通常の感覚における罪障感は見られない。ところで、昭和四九年二月以来八か月の未決勾留を経験して、鑑別所に再入所した少年は、「働いてゆけば盗むことはしないです」と言い、母に「今度は仕事を覚えてちやんと働いて食べてゆくから安心してくれ」と述べている上、殺人についても「恐しい父でした。ぼくは本当の子でないから面白半分にいじめたのだと思うでも、あの父にも良い所があつたのだと思うようになつた。自分の親や本当の子にはずい分良くしていたようだつか。自分が殺さなくつてもよかつた。あのままにしておけばよかつたと思う。悪いことをした。」と述べたことは、従前には全く考えられない程の変化であり、公判廷でも一度も述べていなかつた言葉である。少年の卒直な表現として「未決監でいろいろ悪いことした人とつき合つて、皆根(内心)は良い人だと思つた」という感想とつき合せてみると、従前の少年の根深い人間不信感をゆるがした何かを感得したと思わざるを得ない。

第五(結論)

以上によれば少年に対し、「矯正困難」「保護不適」従つて刑事処分という結論は尚早であり、その可塑性は充分に認められ、一七歳という年齢からみても保護処分が相当である。

少年に対し施すべきは、第一に人間不信感を除去し、平常な人間関係を持ち得る情緒的、人格的な教化であり、第二に義務教育も充分に受けなかつたための補充的教育、第三には社会生活に適応し得る適切な職業訓練であると思料する。

ところでその教化の場としては、なおかなり強い規整が必要であり、かつ従前少年に教化が充分行われなかつたのは少年の自由希求の異常なまでの強さから施設を無断外出、逃走を重ねたことに基因しているものであり、完全な閉鎖施設でなければ教育効果を期待し得ない等の諸般の事情を考慮して、特別少年院が相当である。

よつて少年法第二四条一項三号、少年審判規則第三七条一項に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 矢部紀子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例