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浦和地方裁判所 昭和60年(行ウ)1号 判決 1991年6月17日

埼玉県上尾市平方一〇七三番地二

原告

畠山信策

右訴訟代理人弁護士

佐藤善博

神山祐輔

同県大宮市土手町三丁目一八四番地

被告

大宮税務署長 高柳仲男

右指定代理人

浅野晴美

東清

小林政夫

猿山利晴

玉田真一

中澤勇七

松沢敏幸

三村明

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五八年二月一六日付けで原告の昭和五四年分所得税についてした更正処分(裁決による取消し後のもの)のうち総所得金額一六八万円を超える部分、及び過少申告加算税の賦課決定処分(裁決による取消し後のもの)を取り消す。

2  被告が昭和五八年二月一六日付けで原告の昭和五五年分所得税についてした更正処分(裁決による取消し後のもの)のうち総所得金額二一五万円を超える部分、及び過少申告加算税の賦課決定処分(裁決による取消し後のもの)を取り消す。

3  被告が昭和五八年二月一六日付けで原告が昭和五六年分所得税についてした更正処分(裁決による取消し後のもの)のうち総所得金額二一五万五二〇〇円を超える部分、及び過少申告加算税の賦課決定(裁決による取消し後のもの)を取り消す。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、「畠山製作所」の屋号で製缶業(鉄骨・鉄製品の溶接、製作)を営む者であるが、昭和五四年分から同五六年分まで(以下「本件係争各年分」という。)の所得税について別紙1「課税処分等経過表」の確定申告欄記載のとおりの確定申告をしたところ、被告は、昭和五五年分については昭和五六年八月一七日付けで同表の更正欄記載のとおり更正処分をし、さらに昭和五八年二月一六日付けで右年分を含む本件係争年分について同表の更正賦課決定欄記載のとおりの各更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分(以下「本件更正処分」及び「本件各過少申告加算税賦課決定処分」という。)をした。

2  そこで、原告は、本件各更正処分及び本件各過少申告加算税賦課決定処分について、昭和五八年四月一五日被告に対して異議申立てをしたが、同年七月七日付けでいずれも棄却されたので、同年八月六日国税不服審判所長に対し審査請求をしたところ、昭和五九年一〇月一六日付けで同表の各裁決記載欄のとおりの裁決がなされた。

3  しかしながら、本件各更正処分(ただし、裁決による取消後のもの。以下、同じ)のうち、各確定申告に係る所得金額を超える部分は、所得金額を過大に認定したものであるから違法であり、したがつて、これを前提とする本件各過少申告加算賦課決定処分(ただし、裁決による取消し後のもの。以下、同じ。)もまた違法である。

よつて、原告は被告に対し、本件各更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

三  被告の主張

本件各更正処分は推計の方法によつてしたものであるが、その経緯及び根拠は次のとおりである。

1  推計課税の必要性について

(一) 原告は、青色申告書以外の申告書によつて確定申告をした、いわゆる白色申告者であるが、本件係争各年分の確定申告書には、いずれの年分についても所得金額のみが記載されていて、収入金額と必要経費の記載がないため、所得金額の算出根拠が不明であつた。また、原告の事業規模等に照らし所得金額が過少ではないかとの疑いもあり、原告について長期間にわたり調査が行われていないことも考慮して、被告は本件係争各年の所得税について調査の必要があると判断した。

(二) そこで、被告所部係官比田井義明(以下「比田井係官」という。)は昭和五七年五月一〇日、原告宅に臨場し、調査についての協力を求めたが、原告は「急に来られてもこちらにも都合がある。今日は駄目だ。」と言い、協力は得られなかつた。そのため、比田井係官は同月一八日の午後一〇時に改めて調査に赴くことについて原告の了承を得た上、確定申告のもととなつた関係書類を用意して欲しい旨要望して、原告宅を辞去した。

(三) ところが、同月一四日午後八時二五分ころ、原告から、都合が悪くなつたので、調査日を延期してほしい旨の電話連絡があり、原告において同月二〇日ころ改めて都合のよい日を連絡すると言うので、比田井係官はやむなくこれを了承した。

しかし、約束の日が過ぎても原告から連絡がないので、比田井係官において同月二九日午前一〇時三〇分ころ、原告宅に架電したところ、原告は不在であつたので、原告の妻に対して、都合のよい調査日についての連絡がないので、六月二日の午前一〇時に調査に赴く旨の伝言を依頼した。

そうすると、五月三一日午前九時一五分ころ、原告の妻から、六月二日は都合が悪いとの電話連絡があつたので、比田井係官は、調査日を六月一一日午前一〇時とすることにして、原告側の承諾を得た。

(四) 六月一一日午前一〇時、比田井係官はほか一名の係官とともに原告宅に赴いたが、そこには原告のほかに民主商工会の関係者三人が待機しており、さらに数分後には上尾民主商工会事務局長森幸一ほか二人がやつて来た。

そこで、比田井係官は、原告に対して、原告の所得税調査のために来たのであるから、関係のない第三者を退席させて欲しい旨要請したが、原告は右民主商工会関係者が立合人となることの正当性を主張しこれに応ぜず、調査に協力しようとしなかつたので、比田井係官はやむなくその日の調査を打切り、原告宅を辞去した。

比田井係官は、このままでは今後の調査も行えなくなると考え、同日午後二時三〇分ころ、原告宅に架電し、原告の妻に対して、六月一八日の午前一〇時に調査に赴くので第三者の立合いのない状態で調査ができるよう、関係書類も予め用意しておいて、調査に協力して欲しい旨の伝言を依頼した。

(五) 六月一七日午前八時二五分ころ、原告から、仕事が忙しく出張するので調査をその後に延期して欲しい旨の電話連絡があつたので、比田井係官はやむなく、原告から都合のよい日時を改めて連絡してもらうことにして調査日時を延期することを了承した。

そして、同月二二日午後二時ころ、比田井係官は、原告宅に趣き、原告が不在であつたので、原告の妻に対して、六月二八日の午前一〇時に調査に来るので調査に協力して欲しい旨の伝言を依頼したところ、同月二六日午前九時四八分ころ、原告から、電話で比田井係官に対して、六月二八日は都合が悪いので、一両日中に原告の方から都合のよい日時を連絡するとの申出があつた。

しかし、その後も原告から連絡がないので、比田井係官は原告宅に赴いたり、何度か電話連絡をとつたりして、ようやく、九月八日、最終的に原告との間で調査日時を同月一七日午前一〇時とすることで合意に達した。

(六) 九月一七日午前九時五四分ころ、比田井係官が原告宅を訪れると、そこには原告のほかに前記森事務局長が待機していた。かまわず、調査を開始することとし、比田井係官が関係書類の提示を求めると、原告は調査理由の説明を求め、係官において「確定申告書には、所得金額だけしか記載されていないので、収入金額及び必要経費について関係書類と照合して、所得金額を確認しなければならない。」と説明すると原告は収入金額が記載されているとみられる帳簿を提示した。

そこで、比田井係官がその記載内容をメモし始めたところ、その場に、埼玉土建上尾支部書記長佐野某、同事務局長丸山某、原告の従業員大橋健一らがやつて来た。比田井係官は原告に対して第三者を退席させるよう求めたが、原告やその関係者は立合いの正当性を主張し、右第三者が退席する気配が見られなたつたので、比田井係官は、調査を打ち切り、原告宅を辞去した。

以上のような状況のため、被告は本件係争各年分の所得金額を実額で把握することは不可能であると判断し、把握することができた原告の取引先等に対する調査結果を基礎として、後記のとおり、推計の方法によつて本件係争各年分の事業所得の金額を算定し、本件各更正処分を行ったものである。

2  推計課税の合理性

原告の本件係争各年分の事業所得の金額及びその計算根拠は、それぞれ次のとおりである。

(一) 昭和五四年分について

(1) この年分の事業所得の金額は七九八万六四七五円であり、これは収入金額四六七五万九二二二円に同業者の平均所得率一七・〇八パーセントを乗じて算定したものである。

(2) 右収入金額は原告の取引先に対する反面調査によつて把握した売上金額であり、その内訳は別表2「昭和五四年分総収入金額の内訳」記載のとおりである。

(3) 右同業者の平均所得率は以下の方法によつて算出されたものである。

ア 原告の納税地を所轄する大宮税務署管内、これと隣接する浦和税務署管内及び管内での経済活動が類似すると認められる川口税務署管内に事業所を有し、原告と同様「製缶業」を営む個人事業者のうち、次の(ア)から(オ)までに該当する者を抽出した。

(ア) 昭和五四年分について、青色申告の承認を受け青色決算書を提出している者

(イ) 昭和五四年分の収入金額が、原告の当該年分のそれの二分の一以上、二倍以下の範囲である者

(ウ) 昭和五四年分において一年を通じて製缶業を継続して営んでいた者

(エ) 災害等により、経営状態が異常であると認められる者以外の者

(オ) 税務署長から更正処分を受け、これに対して不服申立て及び訴訟中の者でないこと

イ そして、平均所得率を算出するについては、適正な平均値を求めるために、統計学上一般に認められている方式、すなわち、まず基礎係数の算術平均を求め、各係数と算術平均との開差、いわゆる偏差を算出し、次にこの偏差を自乗したものを算術平均して得た数値を平方に開いて、所得率の標準差を求め、これに統計学上一般に用いられている係数一・五を乗じて限界値を求め、さらに基礎係数の算術平均に限界値を加算若しくは減算することによつて、適正な平均値を得るのに有効な基礎係数の上限及び下限を求めて、その範囲内にある基礎係数のみに基づいて平均値(比準同業者の平均所得率)を計算する、という方法を採用した。その具体的な計算数値は別表5「比準同業者の所得率の計算・昭和五四年分」に記載のとおりである。

(二) 昭和五五年分について

(1) この年分の事業所得の金額は七四三万六〇二三円であり、これは収入金額五四四三万六四八〇円に同業者の平均所得率一三・六六パーセントを乗じて算定したものである。

(2) 右収入金額は昭和五五年分について前記昭和五四年分のそれと同様の方法で把握した売上金額であり、その内訳は別表3の「昭和五五年分総収入金額の内訳」記載のとおりである。

(3) 右同業者の平均所得率は昭和五五年分について前記昭和五四年分のそれと同様の方法で算出されたものであつて、その具体的な計算数値は別表6「比準同業者の所得率の計算・昭和五五年分」に記載のとおりである。

(三) 昭和五六年分について

(1) この年分の事業所得の金額は七九〇万六七一二円であり、これは収入金額五三三八万七六六〇円に同業者の平均所得率一四・八一パーセントを乗じて算定したものである。

(2) 右収入金額は昭和五六年分について前記昭和五四年分のそれと同様の方法で把握した売上金額であり、その内訳は別表4の「昭和五六年分総収入金額の内訳」記載のとおりである。

(3) 右同業者の平均所得率は昭和五六年分について前記昭和五四年分のそれと同様の方法で算出されたものであつて、その具体的な計算数値は別表7「比準同業者の所得率の計算・昭和五六年分」に記載のとおりである。

以上の本件係争年分の事業所得の金額は本件各更正処分に係る事業所得の金額を上回つており、したがつて、本件更正処分は適法である。

そして、本件各過少申告加算税賦課決定処分は本件各更正処分によつて納付すべきこととなる本件係争各年分の所得税額に国税通則法六五条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの。以下同じ。)の規定に基づきそれぞれ一〇〇分の五の割合を乗じて計算したものであるから、これもまた適法である。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1の事実中、

(一)のうち、原告が青色申告書以外の申告書によつて確定申告をした、いわゆる白色申告者であることは認める。

(二)は認めるが、次の来訪日や関係書類の準備のことは比田井係官が一方的に指定し、指示したことである。

(三)のうち、原告が仕事の都合で調査日を延期してほしい旨を申し出て、次の調査日が六月一一日午前一〇時と決まつたことは認める。

(四)のうち、比田井係官ほか一名の係官が六月一一日午前一〇時調査のため原告宅に来訪したこと、その際、民主商工会の関係者が調査に立ち会おうとし、比田井係官がこれに苦情を言い、このことで原告やその関係者との間で押し問答があつたことは認める。

(五)のうち、六月二八日の調査日について、原告が仕事の都合で延期してほしい旨の申出をしたことは認める。

(六)のうち、九月一七日に比田井係官が調査のため原告宅を来訪したこと、原告が係官の求めに応じて収支明細書を提示し、係官がその内容をメモしはじめたこと、このとき、埼玉土建上尾支部の佐野、丸山及び原告の従業員である大橋健一がその場にやつて来たこと、係官がこれらの者の立合いに苦情を申し立て、調査を打ち切つて帰つてしまつたことは認める。

原告やその関係者は、調査に際し、係官に対し、調査理由の開示を求めた。しかし、係官は「収入金額と必要経費を確認したい。」と言うばかりで、何ら具体的な理由を明らかにしなかつた。これではとうてい原告の納得のいくところではなかつたが、それでも原告は係官の求めに応じて、自主計算書を提出し、調査に協力しようとしたのである。ところが、係官は、原告以外の者の立合いに苦情を唱え、調査を一方的に打ち切つてしまつた。原告が佐野、丸山及び大橋を調査に立ち合わせようとしたのは、原告の自主申告についてこれらの者の協力と助言を得ているので、係官の質問に対して正確な応答ができるよう配慮し、調査に行き過ぎがないよう監視してもらうためであり、従来の税務調査においては本人以外の者の立合いのことが問題となつたことは一度もなかつたことである。以上の経過からすれば、原告については推計課税の必要性があるとはとうていいえない。

2  被告の主張2の事実中、

(一)の(2)の原告の収入金額のうち、別表2「昭和五四年分総収入金額の内訳」記載の順号<8>ないし<15>は認め、その余は否認する。

(二)の(2)の原告の収入金額のうち、別表3「昭和五五年分総収入金額の内訳」記載の順号<8>ないし<19>は認め、その余は否認する。

(三)の(2)の原告の収入金額のうち、別表4「昭和五六年分総収入金額の内訳」記載の順号<1>ないし<5>ないし<18>は認め、<2>は六一万六八五〇円を超える部分、<4>は二〇〇万七八二四円を超える部分について、その余は全部について否認する。

被告が採つた推計の方法は次の点で合理性に欠けている。

(一) 比準同業者の抽出基準について、被告の主張は極めて抽象的であり、業種・業態、立地条件、事業規模等の各点で抽出された同業者との間の個別的類似性が全く捨象されてしまつている。これでは原告としては反証を挙げることも困難であり、被告の主張は甚だ不十分というほかない。

(二) 原告は昭和五〇年ころから白内障を患い、昭和五六年一〇月二九日には大宮赤十字病院に入院し、同年一一月二日に手術を受けた。右疾患のため原告は昭和五三年から同五七年八月までは仕事をすることができない状態にあり、その間の営業、製作、会計等経営一切を甥の大橋健一に任せてしまつた。そのため、原告が働けない分、収入が減少するとともに、大橋は原告に無断で機械や道具類を購入したり、材料を無計画に仕入たり、無意味な研究開発を行つたりしてずさんな経営をしたため、収益率も悪化した。

ところが、被告が採つた推計の方法においては、右のような特殊事情は全く考慮されていない。

(三) 昭和五六年分の事業所得金額は実額で把握することが可能であり、これによると、総収入金額は五二七一万七一九六円、事業所得金額は四六六万四四五三円である。その算出根拠は別表8「昭和五六年度収支計算書」記載のとおりであり、これを裏付ける証拠資料も存在する。

(四) 原告の事業形態、事業規模は昭和五四年から同五六年までの間ほぼ一定しており、格別の変遷はない。したがつて、昭和五四年分の所得率、差益率は、昭和五六年分のそれと同視できるものである。そうとすれば、原告の昭和五四年分の事業所得金額の推計には類似同業者の平均所得率を用いるよりも、前項の実額から割り出される昭和五六年分の差益率、所得率を用いる方がより合理性を有するものというべきである。

そこで、まず、右昭和五六年分の所得率、差益率を算出すると、次のとおりである。

(1) 差益率(差益金額を収入金額で除した割合)六七・五四パーセント

(2) 所得率(事業所得金額を収入金額で除した割合)八・八四パーセント

そして、原告の昭和五四年分の仕入金額は一五九一万六四七七円であるから、これに右差益率を乗ずると、収入金額は四九〇三万四一二五円となり、さらに、これに右所得率を乗ずると、事業所得金額は四三三万四六一六円となる。

昭和五五年分についても同様であり、同年分の仕入金額は一六五五万二二七五円であるから、これをもとに算出される収入金額は五〇九九万二八三七円、事業所得金額は四五〇万七七六六円である。

また、仮に昭和五四年分及び昭和五五年分の収入金額が被告主張のとおりであるとしても、前同様昭和五六年分の所得率八・八四パーセントを乗じて事業所得の金額を算出すると、昭和五四年分は四一三万三五一五円、昭和五五年分は四八一万二一八四円である。

五  原告の実額反証に対する被告の反論

1  所得税法三七条一項によれば、事業所得に係る必要経費であるといい得るためには、売上原価その他当該総収入金額に相当する収入を得るために直接に要した費用にあつては、「直接に要した費用」として当該年分の収入金額と個別に対応していることを必要とし、その年における販売費、一般管理費その他事業所得を生ずべき業務について生じた費用については、「業務について生じた費用」として当該事業の業務の維持、遂行上、通常必要であると客観的に認められる費用であることを要するのである。そうとすれば、納税者が所得の実額を主張して、課税庁が採つた推計方法の合理性を争うためには、単に収入及び経費の一部を立証するだけでは足りず、その収入金額がすべての取引先からの総収入金額であり、かつ経費等の額がその収入と対応する費用であることまでも立証することが必要である。そうでなければ、部分的に把握された売上金額から、経費についてのみ実額としての総額を差し引く結果にもなりかねず、このようにして算出された金額が所得の実額ではないことはもちろん、これに近似する数額にもならないことは明らかであるからである。

そして、納税者が訴訟において所得の実額を主張して推計課税の違法性を主張する場合には、その主張する実額が真実の所得額に合致することを合理的疑いを入れない程度に立証する必要があると解するべきである。それは、申告納税制度のもとにおける納税者は、税法の定めるところに従つた正しい申告をする義務を負い、税務調査に対してはその所得金額を算定するに足りる直接資料を提示し、その申告の内容が正しいことを税務職員に説明する義務を負うのであるから、右申告納税義務に違反して直接資料を提出せず、調査に協力しない納税者が、いわゆる実額反証を許される結果、申告納税義務を遵守する誠実な納税者よりも自己に利益な立場に立ち得るような事態を生じさせることは許されるべきでないからである。また、納税者の実額反証後に実施される課税庁の反面調査、証拠の収集は、確認すべき個々の経済取引から相当の年月を経て行われるため、関係資料の保存期間の経過、取引関係者の転出、所在不明などによつて限界があり、著しく困難であるのに対して、実額反証を主張する納税者は、もともと経済取引の当事者であるから、自己に有利な証拠を提出するのは容易であり、証拠の収集、提出の点で課税庁に優位な立場にあるともいえるからであり、実額反証をしようとする納税者に右のような立証責任を負担させても酷であるとはいえないのである。

本件においては、原告は、昭和五六年分の収入金額を立証するための資料として領収証の控えを提出するが、右資料は収入を伴うすべての取引の記録としてそれ自体十分なものとはとうていいえない。

本来、事業所得金額は実額で把握するためには事業に関わる取引が細大もらさず正確に記録された総勘定元帳等の会計帳簿によることが必要である。しかしながら、原告は、この会計帳簿を備えてはおらず、したがつて、原告の事業については所得を実額で把握することは本来的に不可能なことである。

また、原告は、経費の実額を証する資料として、請求書、領収証、給与支払明細書等を提出するが、これらの資料のなかにはその記載の正確性、事業活動との関連性などの点で疑わしいものもあり、右資料はとうてい信ぴょう性のあるものとはいえない。

2  また、昭和五四年分及び同五五年分の事業所得金額について、原告は昭和五六年分の実額による仕入金等をもとにした所得率、差益率等による推計方法の方がより合理性を有し、被告の推計方法は合理性を欠く旨主張しているが、その基礎となる昭和五六年分の仕入金額等についての実額反証は前記のように十分なものとはいえないのであるから、その主張の仕入金額等が実額であることを前提とする右主張は失当である。

第三証拠

本件記録中の「書証目録」及び「証人等目録」記載のとおりである。

理由

一  請求原因事実はすべての当事者間に争いがない。

二  そこで、本件各更正処分の適否について判断するのに、本件各更正処分は推計の方法によつてされたものであるから、まず、その必要性の有無について検討する。

いずれも成立に争いのない乙第一六ないし第一八号証、証人比田井義明の証言及び原告本人尋問の結果によれば、当事者間に争いがない点を含めて次の事実を認めることができる。

1  税務署備付けの所得税の確定申告書用紙には所得金額の項に収入金額と必要経費を記入し、前者から後者を差し引いたものを所得金額とするように、それぞれの記入欄が設けられているところ、原告が被告あてに提出した本件係争年分の確定申告書には所得金額のみが記載されているだけであつて、収入金額と必要経費の記載がなかつた。そのため、税務当局としては、これでは所得金額の算出過程が明らかでなく、所得金額そのものも原告が経営する事業の規模等からすると過少ではないかとの疑いを生じた。そのうえ、原告については少なくとも七、八年間税務調査を実施していなかつたことから、当局は、本件係争各年分の所得税について原告に対する税務調査を実施することとし、大宮税務署所属の国税調査官比田井義明(比田井係官)がこれを担当することになつた。

2  比田井係官は昭和五七年五月一〇日、事前に通知をしないで、原告宅を訪れ、所得税の調査に来たことを告げ、申告のもとになつた帳簿書類を見せてもらおうとしたが、原告がその日は都合が悪いと言い、協力しそうにもない態度であつたので、次回の調査日を同月一八日とすることを告げ、次回に帳簿書類を用意してほしい旨を言いおいて原告宅を辞去した。

3  その後四日ほどして、原告から、一八日は都合が悪いので、二〇日ころに原告の方から都合のよい日を連絡する旨の電話連絡があつた。二〇日ころになつても原告から連絡がないので、比田井係官の方から架電し、原告と打ち合せて次回の調査日を決めたが、再び原告の都合で変更となり、結局、次回の調査日は六月一一日となつた。

4  六月一一日、比田井係官がほか一明の係官とともに調査のため原告宅を訪れたころ、そこには原告のほかに上尾民主商工会事務局長森幸一ほか同商工会の関係者五人が待機していたので、比田井係官は原告に対して第三者を退席させるよう求めたが、原告は「私が頼んで立ち会つてもらつているのたから退席させる必要はない。」、「調査の理由を聞きたい。」などと言つて、これに応ぜず、調査に協力する様子が全く見られなかつた。そこで、比田井係官はこのままでは調査を行うことは困難であると判断し、原告宅を辞去した。

帰署した比田井係官はその日のうちに原告宅に架電し、原告が不在であつたので、原告の妻に次回の調査日を六月一八日とする旨の伝言を依頼したが、調査日の前日になると原告の都合で延期され、これが四回ほど繰り返されたあと、最終的に次回の調査日が九月一七日と決められた。

この間、比田井係官は、早く調査日を決めようとして二度にわたつて原告宅や原告の工場に出向いたりした。

5  九月一七日、比田井係官が一人で調査のため原告宅に赴いたところ、そこには前記森事務局長が待機していた。比田井係官が帳簿書類の準備ができているかを尋ねると、原告と森は「用意してあるよ。その前に調査理由について聞かせて欲しい。」、「調査対象に原告の選定をした理由を聞かせてくれ。」と言うので、比田井係官が「所得金額の確認調査が調査理由のすべてであり、それで理解して欲しい。帳簿書類を提示して欲しい。」と答えると、原告らは納得しなかつたが、収入・経費を記載した書類を提示した。そこで、比田井係官は、森事務局長を原告の記帳補助者的な立場にある者としてその立合いを認めることとし、右書類によつて原告の収入についてメモをとり初めたところ、埼玉土建書記長の佐野某、同事務局員の丸山某、原告の従業員である大橋健一らが入室して来たので、メモをとるのを中止した。そして、比田井係官は、国家公務員法、税理士法上の守秘義務に抵触するおそれがあることを理由に、原告に対して第三者の立合いは認められないので退席させようと再三要請したが、原告は第三者の立合いを認めらなければ調査には協力できないと主張しこれに応じようとはしなかつた。そのため、比田井係官は、これ以上手段を尽くしても協力を得られる見込みはないと判断し、原告に対する調査を打ち切つた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、原告の本件係争各年分の所得金額については、原告からこれを実額で把握するに必要な帳簿書類若しくは原始記録の提示がなく、被告所部係官による調査についても原告の協力が得られなかつたのであるから、税務当局としては、推計による以外に原告の申告に係る所得金額に誤りがないかどうかを確認する方法はなかつたといわなければならない。したがつて、本件においては推計課税の必要性は存在したというこができる。

この点について、原告は、本件における推計課税は原告に対する十分な調査を尽くさなかつた点でその必要性に欠ける旨主張するが、右事実経過に照らせば、税務当局が原告について税務調査を開始したことは相当の理由があり、原告に対しても求めに応じてその理由が十分に開示されたことは右認定のとおりである。また、比田井係官が九月十七日の調査の席上、埼玉土建の佐野書記長らの退席を求めた点も、調査を平穏のうちに公正に行おうとする見地から相当の措置であり、これらの点についての原告の主張はいずれも原告独自の見解に基づくものであつて、採用はできない。

三  次に、推計方法の合理性について検討する。

1  収入金額の認定について

本件各更正処分において認定された原告の本件係争各年分の収入金額はいずれも原告の取引先について実施した反面調査によつて把握されたものであることは被告の自認するところである。

(一)  昭和五四年分について

(1) 三和テツキ株式会社、埼玉亜鉛鍍金工場、朝日加工株式会社、有限会社高須賀製作所、内藤鉄工株式会社、大成興業株式会社、日本交通機械株式会社に関する部分を除いて、別表2「昭和五四年分総収入金額の内訳」記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

(2) 成立に争いがない乙第三〇号証の一及び二によれば、三和テツキ株式会社から収入金額は四一二八万九五六三円であること、証人比田井義明の証言により真正に成立したと認められる乙第二号証の一ないし四によれば、埼玉亜鉛鍍金工場からの収入金額は二一六万一一七〇円であること、右証言により真正に成立したと認められる乙第三一号証の一ないし三によれば、朝日加工工業株式会社から収入金額は三八万九五六〇円であること、右証言により真正に成立したと認められる乙第三二号証によれば、有限会社高須賀製作所からの収入金額は七万三〇〇〇円であること、右証言により真正に成立したと認められる乙第三三号証の一ないし三によれば、内藤鉄工株式会社からの収入金額は六八万円であること、いずれも成立に争いのない乙第三四号証の一、二、第三五号証の一、いずれも右証言により真正に成立したと認められる乙第三四号証の三、第三五号証の二によれば、大成興業株式会社からの収入金額は一九万四〇〇〇円であること、成立に争いのない乙第三六号証の一ないし五によれば、日本交通機械株式会社からの収入金額は三〇万七九二〇円であることがそれぞれ認められる。

(3) そうすると、原告の昭和五四年分の収入金額は被告主張の四六七五万九二二二円を下ることはないと認められる。

(二)  昭和五五年分について

(1) 三和テツキ株式会社、埼玉亜鉛鍍金工場、日本カラー株式会社、郵便局、織田製作所、山内鉄工、山田に関する部分を除いて、別表3「昭和五五年分総収入金額の内訳」記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

(2) 成立に争いのない乙第三七号証の一、二によれば、三和テツキ株式会社からの収入金額は四六〇四万五六九〇円であること、前掲乙第二号証の一ないし四によれば、埼玉亜鉛鍍金工場からの収入金額は三一〇万七一八八円であること、証人比田井義明の証言により真正に成立したと認められる乙第三八号証の一ないし三によれば、日本カラー株式会社からの収入金額は二二万六七〇〇円であること、成立に争いがない乙第四〇号証の六ないし一〇によれば、郵便局からの収入金額は一万七〇〇〇円であること、右証言により真正に成立したと認められる乙第三九号証の一、二によれば、織田製作所からの収入金額は五三万八五〇〇円であること、成立に争いがない乙第四〇号証の六及び七によれば、山内鉄工からの収入金額は二二万七六一八円であること、成立に争いのない乙第四〇号証の一〇によれば、山田からの収入は一六万二〇〇〇円であることがそれぞれ認められる。

(3) そうすると、原告の昭和五五年分の収入金額は被告主張の五四四三万六四八〇円を下ることはないと認められる。

(三)  昭和五六年分について

(1) 埼玉亜鉛鍍金工場、光陽亜鉛鍍金株式会社、有限会社長川製作所に関する部分を除いて、別表4「昭和五六年分総収入金額の内訳」記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

(2) 証人比田井義明の証言により真正に成立したと認められる成立に争いがない乙第一号証の一ないし一五、前掲乙第二号証の一ないし四によれば、埼玉亜鉛鍍金工場からの収入金額は六三万六七八八円であること、右証言により真正に成立したと認められる乙第三号証の一ないし三によれば、光陽亜鉛鍍金株式会社からの収入金額は五万円であること、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第四、第五号証によれば、有限会社長川製作所からの収入金額は二六〇万八三五〇円であることがそれぞれ認められる。

右の点について、原告は、その本人尋問において、埼玉亜鉛鍍金工場からの収入のうち、七月二〇日締めの取引金額からは五〇〇円が、九月二〇日締めの取引金額からは四〇〇円がそれぞれ振込手数料として差し引かれている旨陳述するが、振込手数料は本来必要経費に属すべきものであるから、右金額を経費として扱うのはともかく、推計課税の前掲として原告の当該年分の収入金額を把握する段階で右振込手数料分を控除するのは相当でないというべきである。

また、原告は、同様に、有限会社長川製作所からの収入のうち、二月二八日締めの取引金額からは五〇〇円が、九月二〇日締めの取引金額からは八〇〇円がそれぞれ振込手数料として差し引かれている旨陳述するが、この点についても前同様である。

(3) そうすると、原告の昭和五六年分の収入金額は被告主張の五三三八万七六六〇円を下ることはないと認められる。

2  比準同業者の所得率の算定について

証人浅間博の証言といずれもこれにより真正に成立したと認められる乙第六ないし第一五号証によれば、被告は本件係争各年ごとに原告の同業者として大宮税務署管内、これと隣接する浦和税務署管内及びその管内での経済活動が類似すると認められる川口税務署管内に事業所を有し、製缶業を営む個人事業者のうち、青色申告書を提出している者で、その年分の収入金額が原告のそれの二分の一以上二倍以下の範囲内である者すべてを抽出したこと、右同業者が確定申告した収入金額、算出所得金額を調査し、各年分の平均所得率を算出することとし、被告主張の統計学上一般に認められている方式を用いて異例値を除外し、適正な平均値を算出したところ、その結果は別表5ないし7の各「比準同業者の平均所得率の計算」記載のとおりであつたことが認められる。

右事実によれば、被告主張の同業者の平均所得率算出に当たり抽出された同業者は、原告と同様大宮税務署、これに隣接する浦和税務署及びその管内での経済活動が類似する川口税務署の各管内に事業所を有する同業者であつて、事業の種類、規模が類似しているものであるから、同業者の抽出基準に合理性があり、抽出作業も正確であつて、そこに恣意が介在した余地はみられない。また、異例値排除のための方法についても、特にその合理性を疑わせる点は存在せず、したがつて、右同業者の平均所得率を収入金額に乗じて本件係争各年分の所得金額を算出した推計の方法には合理性があるということができる。

3  原告は右推計方法においては、本件係争各年当時に原告について存した特殊事情が無視されているので合理性を欠く旨主張する。

成立に争いのない甲第二〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和三五、六年ころから眼を病んでおり、昭和五四年ころにはほとんど物を見ることができなくなつたこと、そこで、原告は、昭和五六年一〇月二九日から同年一一月一八日まで大宮赤十字病院に入院し、白内障の手術を受けたこと、右疾患のため、原告は昭和五四年から同五六年までの間ほとんど仕事に従事することができず、昭和五七年五月中旬に至つてようやく復帰したが、その間の「畠山製作所」の事業活動の一切を数人いた従業員の一人である甥の大橋健一に任すほかなかつたことが認められる。しかしながら、原告本人尋問の結果によつても、このことが右事業に係る収入や所得に具体的にどのような影響を及ぼしたかは明らかでないのみならず、証人大橋健一の証言では、本件係争各年当時は、事業は盛んであつた時代であり、売上げも伸長したというのである。また、右証言によれば、油圧ベンダー、日東アトラー等の機械設備の購入については、大橋は、その都度、事前に原告と相談しており、不用なものを大橋が無断で購入したことはないことが認められ、大橋が原告から事業を任されていた間杜撰な経営をして経費を増大させたことを認めるに足りる明らかな証拠はない。

したがつて、原告の右主張は採用できない。

四  そこで、原告の実額反証等の主張について判断する。

所得税法上、事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とされているのであるから(同法二七条一項)、これを実額で把握するためには、よほどの単純、小規模な事業でもない限り、事業に関して生ずる収入支出の一切を細大もらさず記録した会計帳簿の存在が必要不可欠である。しかしながら、原告の事業については、いずれの本件係争年分についても、右のような会計帳簿が存在している形跡はみられない。

原告は、昭和五六年分についてその年分の総収入金額を明らかにする証拠として甲第一号証の一ないし一六の領収証綴表紙及び領収証控を提出するが、領収証は、元来金銭を受領した場合に、相手方に対して交付するものであるのに対し、事業に係る収入は売買、請負等の事業活動の結果を生ずるのであつて、必ずしも収入発生の時点で金銭の授受が行われるとは限らない。したがつて、領収証は発生した収入の実額を明らかにする証拠としてはそれ自体不十分なものである。のみならず、前掲乙第二号証の一及び四によれば、原告と埼玉亜鉛鍍金工場との間には、四月二〇日締めで金額四八〇〇円の、一一月二〇日締めで金額一万五九九八円の各取引があつたことが認定できるのに、右甲号証にはこの分が欠けており、同様に前掲乙第三号証の一ないし三によれば、原告と光陽亜鉛鍍金株式会社との間には、二月二〇日締めで金額五万円の、前掲乙第四、第五号証によれば、原告と有限会社長川製作所との間には、七月二日支払分の金額五九万九二二六円の各取引があつたことがそれぞれ認定できるのに、右甲号証にはこの分が欠けているのであつて、右甲号証が原告の昭和五六年分の収入金額をもれなく捕捉している証拠とはとうていいいがたい。

また、原告は、昭和五六年分について必要経費の実額を明らかにする証拠として甲第二号証以下の請求書、領収書等を提出するが、これだけからではそこに記載された金額の費用の支出と収入との対応関係ないしは事業活動との関連性が必ずしも明らかではなく、右甲号証のなかには事業と係りのないものも含まれている可能性も皆無とはいえない。したがつて、右請求書等は必要経費の実額を明らかにする証拠として不十分なものである。

以上のほかには、原告の昭和五六年分の事業所得の金額についてその実額を立証するに足りる証拠はなく、原告の実額反証の主張は理由がない。

そうすると、原告の昭和五六年分の事業所得の金額が実額で把握できることを前提とする昭和五四年分、同五五年分の事業所得の推計方法に関する原告の主張はその前提を欠き、審究の余地はないものといわなければならない。

五  以上の次第であつて、前認定の本件係争各年分の原告の総収入金額に当該比準同業者の平均所得率を乗じて算出される事業所得の金額は本件各更正処分に係る事業所得の金額を上回るので、原告主張の違法事由はなく、本件各更正処分は適法である。

そして、本件各過少申告加算税は本件各更正処分によつて算定された所得金額及びこれに対する法定の税額をもとにして賦課されたものであり、本件各更正処分には所得金額を過大に認定した違法はないとする以上、本件各過少申告加算税賦課決定処分にもまた違法はないとういべきである。

六  よつて、原告の本訴請求はいずれも、理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 小林敬子 裁判官西郷雅彦は填補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 大塚一郎)

別表1

課税処分等経過表

1 昭和五四年分

<省略>

2 昭和五五年分

<省略>

3 昭和五五年分

<省略>

別表2

昭和54年分総収入金額の内訳

<省略>

別表3

昭和55年分総収入金額の内訳

<省略>

別表4

昭和56年分総収入金額の内訳

<省略>

別表5

比準同表者の平均所得率の計算

昭和54年分

1 基礎係数及び標準偏差の計算

<省略>

2 限界値(上限、下限)の計算

<省略>

3 平均値の計算

<省略>

別表6

比準同表者の平均所得率の計算

昭和55年分

1 基礎係数及び標準偏差の計算

<省略>

2 限界値(上限、下限)の計算

<省略>

3 平均値の計算

<省略>

別表7

比準同表者の平均所得率の計算

昭和56年分

1 基礎係数及び標準偏差の計算

<省略>

2 限界値(上限、下限)の計算

<省略>

3 平均値の計算

<省略>

別表8

昭和56年度収支計算書

<省略>

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