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浦和地方裁判所 昭和56年(行ウ)4号 判決 1989年8月04日

原告

岩木ひろ子

右訴訟代理人弁護士

城口順二

柳重雄

石川憲彦

城崎雅彦

被告

地方公務員災害補償基金埼玉県支部長 畑和

右訴訟代理人弁護士

関口幸男

早川忠孝

右訴訟復代理人弁護士

松坂祐輔

主文

一  被告が昭和五一年四月二〇日付で原告に対してなした地方公務員災害補償法による公務外認定とした処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

主文と同旨の判決

二  被告

「1 原告の請求を棄却する。2 訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和四六年四月から埼玉県越谷市に勤務し、保育所における保育業務に従事していた者である。

2  原告は、保育業務に起因し過労性頸肩腕障害、過労性腰痛症に罹患したとして昭和五〇年八月二〇日付で地方公務員災害補償法により給付の請求をしたところ、被告は原告に対し、昭和五一年四月二〇日付で公務外の認定をし、原告は同年四月二三日その旨の通知を受けた。

そこで、原告は、昭和五一年六月二二日付で地方公務員災害補償基金埼玉県支部審査会に対し審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五五年二月二二日付で右審査請求を棄却する旨の裁決をし、原告は同年三月二〇日その旨の通知を受けた。

そこで、原告は、昭和五五年四月一四日地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五六年三月一八日付で再審査請求を棄却する旨の裁決をし、原告は同年四月一三日その旨の通知を受けた。

3  しかしながら、原告の疾病を公務外とする被告の処分(以下「本件処分」という。)は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求の原因に対する被告の認否と主張

A  認否

請求の原因1、2は認める。

B  主張

a 手続面の適法性

被告は、提出された資料その他職権により収集した資料等により認定したもので認定手続に誤りはない。

b 実体面の適法性

本件処分は実体的判断においても誤りはない。その理由は、再審査請求に対する裁決書の理由欄に記載されているとおりであり、その要点を記すと次のとおりである。

1 認定された事実関係

(一) 災害発生の状況

原告は、埼玉県越谷市蒲生保育所に保母として勤務していたが、昭和四八年四月ころから肩こりを感じるようになり、疲労が強くなると腰痛を感じるようになった。さらに、昭和四九年一月には右腕にだるさを、また、文字を続けて書くと腕、手、指に痛みを感じるようになり、同年七月には頸の両側に痛みを感じるようになったので、同年七月一〇日小豆沢病院で受診したところ、過労性頸肩腕障害、過労性腰痛症と診断された。

(二) 原告の業務内容

蒲生保育所における保母の保育内容のうち、乳児又は幼児の給食、排泄、午睡、遊び等の介助と指導の作業に際しては、中腰、前かがみの姿勢、手腕の屈伸等の動作がある。

(三) 勤務状況等

原告の勤務時間は、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時までで、この間、午後〇時から一時までの間は休憩時間とされていた。

また、土曜日は午前八時三〇分から一一時までで、一週間の勤務時間数は週四一時間であったが、休憩及び休息時間については、必ずしも決められた時間に規定どおりの時間数はとられていなかった。

時間外勤務時間数は、次のとおりであった。

<省略>

また、昭和四八年度の休暇の取得状況は、一一日四三時間、特別休暇は一二日一七時間、病気休暇は七日六時間四〇分であった。

(四) 保母の配置状況

原告が蒲生保育所で保育していた幼児数は、昭和四七年度は二名の保母で一歳児六人、昭和四八年度は三名の保母で二歳児一五人であり、これは、保母の数について定めた厚生省基準(乳児又は満三歳に満たない幼児おおむね六人につき一人以上)を満たしていたが、昭和四八年度には〇歳児、一歳児のクラスの保母が休暇をとると、原告のクラスの保母が交代で手伝いに行ったため、二名の保母で二歳児一五人の幼児を保育することもあった。

(五) 保育所の環境

蒲生保育所は、鉄筋コンクリート二階建であり、保育室の不足から遊戯室等が保育室として使われることがあった。原告の場合、昭和四七年度は一階乳児室で、昭和四八年度は一階保育室で保育を行ったが、乳児室又は保育室の面積は、厚生省基準を満たしていた。

2 判断

(一) いわゆる頸肩腕症候群、腰痛症は、上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯を含む。以下同じ。)もしくは腰部に過度の負担のかかる職務に従事する職員に発症し、作業内容、作業量、作業従事期間等からみて、当該疾病の発症と職務との間の因果関係が医学的に明らかなものであるとき、または、公務遂行中に、発症動機として外傷の事実もしくは通常の動作におけるとは異なる特別の力が突発的に作用した事実が明らかに認められ、これら局所に作用した力が発症の原因として医学的に明らかなものであるとき、公務上の災害として取扱わるべきものと考える。

(二) しかしながら、本件の場合、

(1) 原告が従事していた保母の保育作業について、上肢又は腰部に影響を与える作業としては、乳児又は幼児の給食、排泄、午睡、遊び等の介助と指導があるが、これらの作業は、長時間継続して行われるものではなく、比較的断続的に行われているものであり、上肢又は腰部に特に過度の負担のかかるものであったとは認められない。

(2) 原告の勤務状況について、時間外勤務時間数は、昭和四七年度は一五四時間、昭和四八年度は一八〇時間に達しているが、勤務時間数は週四一時間であったことから、さほど過重であったとは認められない。また、休暇の取得状況から、勤務上特に休暇をとりにくい事情があったものとは認められない。

(3) 保母の配置状況及び乳児室又は保育室の面積は、上記認定のとおりであり、原告にとって格別過重な負担を与えたものとすることはできない。

以上の諸点から総合的に判断すれば、本件疾病が公務に起因するものとは認められない。

三  被告の右主張(二B)に対する原告の認否と主張

A  認否

aについて

争う。手続が違法であることは後(B1)に述べるとおりである。

bについて

再審査請求に対する裁決の理由の要点が被告主張のとおりであること、認定された事実関係も概ねそのとおりであることは、争わないが、本件処分の実体的判断に誤りがない旨の主張は争う。実体的判断に誤りがあることは後(B2)に述べるとおりである。

B  主張

本件処分には次の違法がある。

1 手続の違法

(一) 被告の認定手続のかし

被告は、請求人の主張に基づく調査をせず、資料も収集せず、提出された書類を審査するだけで判断した。

(二) 地方公務員災害補償基金埼玉県支部審査会の審査手続のかし

原告及び原告代理人に口頭陳述等の機会を形式的に与えたに止まり、原告の主張事実と立証資料を十分に検討することなく判断した。

(三) 地方公務員災害補償基金審査会の再審査手続のかし

原告は、口頭陳述の機会を一度だけ与えられたが、原告が請求したから与えられたというに過ぎず、全く形式的なものであった。

2 実体判断の誤り

(一) 原告が昭和四九年七月一〇日小豆沢病院で過労性頸肩腕障害、過労性腰痛症と診断されたことは被告も認めているところであるが、本件処分は、保母である原告の頸肩腕障害と腰痛症が公務に起因するかどうかを判断するについて、業務が特別に過重であったことを要件とし右疾病が明らかに公務に起因したことの積極的証明を要求し、右疾病の公務起因性を否定するという誤りをおかしている。

(1) そもそも業務と疾病との因果関係の存否の判断にあたっては、被災者側が当該疾病発生と関連するに足りる業務に従事していた者であることと被災者に当該疾病が発症したということを証明すれば、被災者の右疾病が「業務上」の疾病でないと主張する者において、当該疾病が業務と関連性を有しないことを明確に証明しない限り、「業務上」発症したものと推定されなければならない。

(2) ところで、後に詳述するように、保母の保育業務は、乳幼児という極めて成長が早く動きの活発な、しかも個々的に発達段階を異にした集団を対象とし、肉体的に上肢の反復作用、中腰やしゃがみこんでの作業の反復という動作を要し、精神的には高度の緊張を要求される労働であり、これらの労働が保母の体に過重な負担を加え、疲労が蓄積し、頸肩腕障害、腰痛等の発症を齎たらし易いことは、日本産業衛生学会の研究結果等医学的経験則上も明らかとなっている。

このように、保育労働自体が本来的に過重な労働なのである。昭和四九年に越谷市職員労働組合が市の保育所で働く職員に対して行ったアンケート結果でも、腰痛、背中等原告と同じ症状を訴える保母が多い。原告の勤務していた保育所では、原告を含め、保母一五名中四名が病気となり、通院しながら働いていたのであり、原告を除く三名の病気は、一人のそれは自律神経失調症、頸肩腕症候群、別の一人の病名は背痛、残りの一人のそれは背、腰痛である。

(3) 従って、原告の前記疾病は「業務」上のものと推定されるべきである。

(二) かりに、右のような理由では原告の疾病を公務に起因すると断定できないとしても、次のことを総合すると、原告の疾病は公務に起因するとみるべきである。

(1) 症状の発生とその後の経過

(イ) 原告には、蒲生保育所に就職前はこれといった病気はなく、越谷市就職時の診断でも何ら異常はなかった。

(ロ) ところが、昭和四八年四月ひどい腰痛が生じた。もっとも二、三日でなおった。

同年一〇月ころ肩こりを感じるようになる。

同年一二月家族にマッサージをしてもらうようになる。

昭和四九年一月腕に脱力感が生じ、力を入れにくい感じが加わる。仕事中は我慢できても帰宅後は脱力感が強く食事で箸を使うことが苦痛になる。疲労感が強く一日の仕事が終わるとぐったりする状況となった。

同年三月いらいらを強く感ずるようになった。浦和民主診療所で受診すると、職業からくる「頸腕」ではないかと診断された。

(ハ) 昭和四九年四月肩こりがひどくなり、腰痛もしばしば起こるようになった。瞼のけいれんや目の痛みが出現した。

同年五月子供を抱いてミルクを飲ませると腕の痛みを強く感じる。手の震える感じが加わる。

同年六月疲れているのにぐっすり眠れず、朝早く目が覚めてしまう。全身のだるさ、いらいらを強く感じるなどの状態が続いた。

同年七月一〇日小豆沢病院で受診したところ、「過労性頸肩腕障害、過労性腰痛症」と診断され、八月九日まで病休した。

同年八月一〇日職場復帰した。肩こり、腰痛は軽減した。マッサージ治療は続ける。

(ニ) 昭和五〇年四月肩こり、腰痛が完治せず、マッサージ治療を続ける。

同年八月腰痛、発熱、特に腰痛がひどく、一時的には歩行できない程の痛みがあった。

(ホ) 昭和五一年二月声や音がとても気になり、特に子供が突然大声を出すと、びくっとしてその場にいられない状態になる。疲労感、頭痛などが重なり合って身体に多大な苦痛を覚える。

同年七月二六日~昭和五三年一月三一日病休及び休職。

(ヘ) 昭和五三年二月~七月症状が軽減され、勤務可能となった。軽労働をするようにとの診断により保育課勤務となる。肩こり腰痛があったが、そのために休暇をとることはない。

(ト) 昭和五四年四月図書館に移る。

(2) 原告の受診結果

原告が受診した小豆沢病院の芹沢医師は腰痛、頸肩腕障害等の職業病を中心的な研究課題として取り上げ研究してきた臨床医であるが、同医師は、産業衛生学会の動向、水準をふまえて疲労という問題から出てくる頸肩腕障害を過労性頸肩腕障害、腰痛を過労性腰痛と表現し、原告の疾病を過労性頸肩腕障害、過労性腰痛と診断している。

(3) 原告の担当業務と業務の特質等

a 担当業務

(イ) 昭和四六年四月から五月までは、蒲生保育所五歳児四〇名を二名で担当。

(ロ) 昭和四六年六月から昭和四七年三月までは、五歳児二〇名を一名で担当。

(ハ) 昭和四七年四月から昭和四八年三月までは、一歳児六名を二名で担当。

(ニ) 昭和四八年四月から昭和四九年三月までは、二歳児一五名を三名で担当。

(ホ) 昭和四九年四月から〇歳児五名を二名で担当。

(ヘ) 昭和四九年七月一〇日から八月九日まで病気休暇。

(ト) 昭和四九年八月一〇日職場復帰。同年八月二七日から一一月二五日まで五歳児担当(産休をとった保母の代替として)。同年一一月二六日〇歳児クラスへ戻る。

(チ) 昭和五〇年四月中央保育所に移る。三歳児一三名を担当。

(リ) 昭和五一年二月一九日から三月一〇日まで病気休暇をとる。

(ヌ) 昭和五一年四月から四歳児担当。同年七月二六日から昭和五三年一月三一日まで病休及び休職。

(ル) 昭和五三年二月復職。七月まで保育課事務補助。昭和五四年四月事務職に変わる。図書館に異動となる。

b 保育業務の特質等

原告が従事した保育労働は、前にも触れたが次のような特質を有し、多大の精神的肉体的負担を齎らした。

(イ) 肉体的には、子供の動きに合わせた中腰やしゃがみこんでの作業の反復という動作を必要とする。即ち、子供を抱いたり、布団の上げ下ろし等のため、身体の中心を浮かしたり、しゃがんだり、或いは中腰の同じ姿勢を続けたり、頸を前後左右に曲げたりすることを余儀なくされ、頸、肩、腕、手、背中、腰等に負荷を与え、その部分にこり、だるさ、痛みを誘発する。

(ロ) 精神的にも、対象が常に動きまわる子供のため、一時たりとも目は離せず、緊張を強いられる。小中学校には休憩時間が考えられるが、保育所にはこれに相当する休憩時間は全く考えられず、疲労の回復を図る時間がない。

c 労働環境等

(イ) 保母の配置人員は厚生省基準を充たしているとはいえ、保母が一人休むと、残った保母の受持児童数が増えることになるので、蒲生保育所における保母の休暇取得状況を考えると、実質的には基準を大幅に下回っているといわざるをえない状況であった。

実質的な超過勤務時間数も超過勤務命令簿に記載した超過勤務時間数を上回る。

(ロ) 蒲生保育所は、保育室が不足している等施設面に多くの問題があり、保母の労働強化につながった。

(ハ) 越谷市が原告の健康状態を把握し、健康を阻害する職場の条件を改善していれば、また、原告が異常を訴えたとき、または異常に気がついたとき、休養を与えるとか作業量を軽減するとかの処置をとっていれば、原告の発症もなく、また症状が進行することもなかった。

四  原告の右主張(三B)に対する被告の認否反論

1  手続が違法であるとの主張について

(一)は争う。被告は、原告から公務災害認定請求書が提出されてから本件処分をするまでの間に、現地に赴き、施設の状況を調査し、同時に原告及び同僚職員から業務の状況について聴取を実施し、任命権者である越谷市を通じ認定に必要な資料を収集し、必要な諸調査を実施したものであり、手続に違法はない。

(二)、(三)も争う。地方公務員災害補償基金埼玉県支部審査会及び地方公務員災害補償基金審査会における手続の問題は、事後的審査の手続の問題であり、本件処分の適否とは関係がない。

2  実体判断が誤りであるとの主張について

(一)について

冒頭の主張のうち、原告が小豆沢病院で過労性頸肩腕障害、過労性腰痛と診断されたことは認めるが、その余は争う。なお、頸肩腕障害というのは一般的病名ではないので、いわゆる頸肩腕症候群の症状を指すものとおもわれる。

(1)は争う。地方公務員災害補償法における公務上の災害の認定基準は、「公務上の災害の認定基準について」と題する地方公務員災害補償基金理事長通達(昭和四八年一一月二六日地基補第五三九号、昭和五三年一一月一日地基補第五八七号及び昭和五六年四月一日地基補第九八号により改正)により示されている。これによれば、「次に掲げる職業病は、当該疾病に係るそれぞれの業務に伴う有害作用の程度が当該疾病を発症させる原因となるのに足るものであり、かつ、当該疾病が医学経験則上当該災害によって生ずる疾病に特有な症状を呈した場合は、特に反証のない限り公務上のものとする。」とされ、職業病としての頸肩腕症候群が、右通達の記の2の(2)のイの(エ)に掲げられている。これによれば、上肢に過度の負担のかかる業務(例えば、キーパンチャー等の業務)に従事した者が発症した場合で、その業務に伴う有害作用の程度が当該疾病を発症させる原因となるに足るもので、当該疾病に特有な症状を呈した場合には、特に反証のない限り職業病として公務上のものとすることとされている。

しかし、保育園における保母の業務は、右通達の対象となる職種に該当しない。

従って、保育園において保育業務に従事する保母の頸肩腕症候群については、職業病としてではなく、一般疾病として、公務に起因することが明らかな疾病であるか否かを検討しなければならない。即ち、当該頸肩腕症候群と当該職員の従事した業務との間に相当因果関係が認められるか否かが問題となるのであって、具体的には当該職員の職歴、勤務状況、業務量、作業の態様、生活状況、既往の病歴、身体的状況及び当該疾病の状況等を調査し、その実態を把握した上で、医学的意見も求め、それらを総合的に検討して判断すべきものである。

(2)、(3)も争う。保母の業務自体がすべて本来的に過重な労働とはいえず、頸腕の自覚症状があれば即公務災害と解すべきことにはならない。

(二)について

(1)につき

(イ)は争う。原告は、学生時代から気管支拡張症の症状が続いている。この症状は、既に二二歳頃からでていることが明らかである。さらに、原告は、「胸部に点状出血が時々出る。幼少時より点状出血が時々出る。」と述べており、幼少時より胸中に何らかの異常があったことをうかがわせるとともに薬や食物に対するアレルギーも認められるのである。(ロ)は不知。(ハ)のうち、原告が昭和四九年七月一〇日小豆沢病院で受診し、過労性頸肩腕障害、過労性腰痛と診断され、八月九日まで病気休暇をとったこと、同月一〇日職場に復帰したことは認めるが、その余は不知。(ニ)は不知。(ホ)のうち、前段は不知。後段は認める。(ヘ)は不知。(ト)は認める。

(2)につき

a 「過労性頸肩腕障害、過労性腰痛」という原告に対する診断はいずれも芹沢医師が行ったものであるが、ここにいう「過労性」という言葉は芹沢医師の所属する日本産業衛生学会でも使用されていない芹沢医師独自の用語である。また、「頸肩腕障害」という病名は日本産業衛生学会の中の頸肩腕症候群委員会が昭和四八年三月に報告の中で初めて発表したものであるが、患者を診察する整形外科医の殆どが属している日本整形外科学会では頸肩腕障害という概念は確立されていないのである。

b 原告には学生時代から気管支拡張症の症状がみられたことは前述したとおりであるが、気管支拡張症の場合には、過労しやすいとか、体がだるいとか、頸肩腕症候群とか腰痛のときにみられる症状を呈する。原告の症状は、気管支拡張症の症状がたまたま保育に従事していたときに腕とか腰の症状として現れたに過ぎないといえよう。

(3)につき

aは認める。

bについて

冒頭の主張は争う。

(イ)のうち、原告主張の動作を必要とすることは争わないが、その余は争う。これらの動作は特に激しい動作ということはできない。

(ロ)の主張は誇張であり、子供の午睡時に実質的に休憩をとっており、また、複数の保母が保育に当たり保母同志が協力しているのであるから原告の主張は到底認められない。

cについて

(イ)は争う。越谷市の保母配置基準は厚生省基準を優に上回っているところ、原告の受持児童数は右越谷市の配置基準より少ない場合もあった。

従って、原告の従事した業務は、比較的軽易なものといえる。また、埼玉県内の公立保育所に勤務する保母の平均的労働時間は週四四時間であるのに越谷市のそれは週四一時間となっており、勤務時間数そのものが平均的労働時間に比して少ない。さらに、原告の超過勤務の内容は主として職員会議であり、超過勤務があるからといって業務に過重性があったともいえない。

(ロ)も争う。蒲生保育所は、昭和四三年頃、新しく建築され、入口や廊下、階段等のスペースも広く、当時モデル保育所として視察の対象とされた位である。

(ハ)も争う。越谷市は法で要求されている定期の健康診断を実施している。

第三証拠関係(略)

理由

第一本件訴えの適否

請求の原因1、2は当事者間に争いがない。

第二本件処分の適否

一  手続の適否

1  (証拠略)と弁論の全趣旨を合わせれば、被告は地方公務員災害補償法(以下単に「法」という。)四五条、法施行規則三〇条、地方公務員災害補償基金業務規定所定の手続を履踐したことが認められ、認定手続について裁量権を逸脱濫用したと認められる証拠もない。

従って、本件処分手続は適法とみるのが相当である。

2  また、原告は、地方公務員災害補償基金埼玉県支部審査会及び地方公務員災害補償基金審査会の手続にかしがあると主張しているが、これら裁決の手続上かしは裁決固有のかしとして裁決の取消の訴えによってのみ主張することが許されるのであり、本件処分取消の訴えでは許されないと解すべきである(行政事件訴訟法一〇条二項参照)。

二  実体的判断の適否

1  被告が本件処分が適法であるとの理由として援用している再審査請求に対する裁決書の理由の要点は被告主張(事実欄二Bb)のとおりであること、認定された事実関係も概ねそのとおりであることは当事者間に争いがない。

2  しかし、原告は、業務と疾病との因果関係の存否の判断を誤っていると主張するので、本件疾病が公務に起因するものとは認められないとした被告の判断を是認できるかどうかについて検討することとする。

(一) まず、原告は、業務と疾病の間の因果関係の存否の判断に当たっては、被災者側が当該疾病発生と関連するに足りる業務に従事していた者であることと被災者に当該疾病が発症したということを証明すれば、被災者の右疾病が「業務上」の疾病でないと主張する者において、当該疾病が業務と関連性を有しないことを明確に証明しない限り「業務上」発症したものと推定されなければならないと主張する。

しかしながら、当該疾病は当該業務に従事したときに発症するのが通常であるというようなものであれば格別、そうでない限り、原告主張のような推定はできないところ、後記のように、原告に発症した症状が原告の担当した業務に従事すれば発症するのが通常であると認めるに足りる証拠はないので、原告の右主張は採用できない。

(二) そこで、次に具体的事実関係の検討を通して、原告が従事した業務と原告の疾病との間に因果関係があるかどうかについて検討する。

(1) 症状の発生とその後の経過

(イ) 原告は昭和四六年四月越谷市立蒲生保育所に勤務するようになり、保育業務に従事していたことは、当事者間に争いがない。

(ロ) ところが、再審査請求に対する裁決書に認定されている災害発生の状況については概ね当事者間に争いがなく、(証拠略)と原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を合わせれば、概ね事実欄三B2(二)(1)(ロ)ないし(ト)記載のような症状が発生し、右記載のような経過を辿ったことが認められる。右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) 原告の受診結果

(イ) 原告が昭和四九年七月一〇日小豆沢病院で受診し、過労性頸肩腕障害、過労性腰痛と診断されたことは、当事者間に争いがない。

(ロ) 右のように小豆沢病院の診断では病名に「過労性」という言葉が付されており、証人芹沢憲一の証言(第一、二回)によれば、疲れということから出てくる疾患であることを示そうとしたものであること、しかし、疲労というものは規定できないものであること、過労性疾患という形の頸肩腕障害、腰痛が医学会で確立された分類ではないことが認められるのみならず、証人大久保行彦の証言によれば、病名に「過労性」という言葉を冠することは一般的には行われていないことが認められる。しかも、成立に争いのない乙第一一号証によれば、小豆沢病院で初診の際に前記のような診断がなされたことが認められるところ、右乙第一一号証(診療録)には「過労性」という診断の根拠を示すような記載を見出すことはできない。

更に、(証拠略)と前記証人芹沢憲一の証言(第一回)並びに弁論の全趣旨を合わせれば、「頸肩腕障害」という病名は、日本産業衛生学会の中の頸肩腕症候群委員会が昭和四八年に初めて発表したもので、「業務による障害を対象とする。すなわち、上肢を同一肢位に保持または反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。ただし、病像形成に精神的因子および環境因子の関与も無視し得ない。したがって本障害には従来の成書に見られる疾患(腱鞘炎、関節炎、斜角筋症候群など)も含まれるが、大半は従来の尺度では判断し難い性質のものであり新たな観点に立った診断基準が必要である。」と定義づけられること、しかし、産業衛生学会の用語を臨床の場で用いることには適していない部分があること、整形外科の臨床医の多数が属している日本整形外科学会では「頸肩腕障害」という概念は確立していないことが認められる。

(3) 原告の症状についての被告の認定

被告は前記小豆沢病院の診断の病名にかかわらず、原告の症状について頸肩腕症候群、腰痛と認定し、その上でその発症と業務との因果関係の存否を検討し、因果関係が認められないとしたことは、被告自ら主張しているところであり、(証拠略)に照らしても明らかである。ところで、成立に争いのない(証拠略)によれば、「頸肩腕症候群」とは、「広義には頸部から肩および上肢にかけて何らかの症状、つまり項部痛・重感、肩こり、上腕から前腕にもおよぶ痛み・重感、手指のしびれ・脱力などを呈するものに対して与えられる総括的名称」と解されていることが認められ、(証拠略)によれば、その症状は自覚症状を主としたものであるが、「肩がこる、首が痛い、腕・肩の付け根が痛い、指尖がふるえる、腕が痛い、手を屈伸することができない、不眠、イライラ感、頭重感」などであることが認められる。

(4) 認定後における被告の主張と原告の素因等

(イ) 被告は原告の症状について、頸肩腕症候群、腰痛と認定していたことは前記のとおりである。

しかるに、被告は本件訴訟中に、原告の症状について、原告が罹患していた気管支拡張症の症状がたまたま保育に従事していたときに腕とか腰の症状として現れたに過ぎないと主張するに至ったことは、訴訟の経過から明らかである。

右のようなことは、事後審査方式でなされる取消訴訟にとって決して好ましいことではないが、公務上か公務外かの認定は災害(本件の場合は疾病)について行われるものであって病名について行われるものではないから、結局許されないわけではないと解される。

しかしながら、行政事件訴訟法のいわゆる原処分主義のもとでは、公務上公務外の認定という処分の違法性判断の基準時は、本件のように再審査請求がなされこれに対する裁決がなされたときは右の裁決時であると解されるから、右時点後の症状は右基準時における症状ないしその原因を推認させる資料となりうるだけであると解される。

(ロ) (証拠略)と証人大久保行彦の証言並びに原告本人尋問の結果を合わせると、昭和五二年一二月浦和民主診療所において気管支拡張症との診断を受け、更に翌五三年一月一二日から一三日にかけて大宮医師会市民病院に入院検査を受けた結果気管支拡張症との診断を受けたことが認められる。

そして、証人大久保行彦の証言によれば、気管支拡張症は、そのままでは症状は現れないが、感染が加わることによって、呼吸器症状が現れ易く、発熱により頭痛、体のだるさなどの症状がでてくることが認められる。

しかも、(証拠略)と弁論の全趣旨を合わせれば、原告は越谷市に就職する前後から微熱や啖が出現しがちであったことが認められる。

(5) 気管支拡張症によって説明できない症状

しかしながら、前記乙第一一号証と前記芹沢憲一の証言(第二回)並びに原告本人尋問の結果を合わせれば、上肢の知覚異常、握力の左右のアンバランスなど気管支拡張症によっては説明できない症状がでていたこと、これらの症状は頸肩腕症候群のそれであることが認められる。そうすると、原告の症状を頸肩腕症候群、腰痛症とした被告の認定は是認できる。ただ、原告の症状は気管支拡張症のそれと複合したものであったとみられる。

(6) 原告の担当業務と業務の特質等

ところが、原告の担当業務については当事者間に争いがなく、原告の業務内容、勤務状況、保母の配置状況、保育所の環境等についての裁決の認定事実については当事者間に概ね争いがない。そして、(証拠略)、原告本人尋問の結果(第一回)並びに弁論の全趣旨を合わせれば、原告の業務の特質は、概ね原告主張のとおりであり、しゃがんだり、中腰の姿勢を続けたり、頭を前後左右に曲げたりすることを余儀なくされ、頸、肩、腕、手、背中、腰等に負荷を与え、その部分にこり、だるさ、痛みを誘発し易いものであったことが認められる。労働環境、勤務状況等についても、(人証略)と原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を合わせると、統計数字等からは分かりにくい負担があったことが窺われる。

(7) 公務起因性

そこで、原告の症状が公務に起因するかどうかについて考えるのに、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を合わせれば、原告は、越谷市に就職し蒲生保育所において保母の業務に相当期間従事するようになってから前記のような症状が現れてきたこと、原告が業務を離れてからは首、肩、腕の症状が改善ないし消失したこと、原告と職場をともにする同僚保母の中にも腰、腕、背等の痛みを訴えるものが相当数おり、昭和四九年当時一五名中四名が病気となり、原告を除く三名の病名は、一人のそれは自律神経失調症、頸肩腕症候群、別の一人それは背痛、残りの一人のそれは背、腰痛であったことが認められる。

そうすると、原告には、前記のような疾病があったとはいえ、原告の頸肩腕症候群、腰痛の症状は公務に起因するというべきで、公務に起因するとは認められないとした本件処分を是認できない。

第三むすび

以上の次第で、原告の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小笠原昭夫 裁判官平林慶一、同永井裕之は転勤のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 小笠原昭夫)

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