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浦和地方裁判所 昭和37年(行)1号 判決 1962年8月22日

原告 飯島浩三

被告 大宮市長・大宮市

主文

原告の被告大宮市長秦明友に対する訴は、いずれも、これを却下する。

原告の被告大宮市に対する請求は、いずれも、これを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「一、被告大宮市長との間において、同被告が原告に対して昭和三六年一〇月一一日付で国民年金印紙の売りさばきを行うことを命令した処分は、無効であることを確認する。仮に、右請求が理由がないとすれば、右命令を取り消す。二、被告大宮市は原告に対し金五〇、〇〇〇円を支払え。」との判決を求め、その請求原因として、

一、原告は、昭和二二年六月一日被告大宮市の事務吏員に任命され、昭和三五年五月一日から大宮市役所春岡支所に勤務して現在に至つたものである。

二、被告大宮市は、昭和三六年四月から国民年金に関する事務の一部を支所においても掌ることと定め、国民年金印紙(以下印紙と略称)売りさばきの業務は、支所においては出納員が行うこととした。ところで、被告大宮市長は、同年一〇月一一日、文書を以て、原告に印紙売りさばきを忠実に執行するように命令した。

三、しかし、右の印紙売りさばき命令(以下本件命令と略称)は、次に掲げる理由により、違法である。

(一)  国民年金印紙の売りさばきに関する省令(昭和三六年厚生省令第一五号)の規定により厚生大臣から印紙売りさばきに関する業務の委託を受けたのは、被告大宮市であつて、被告大宮市長ではない。従つて、被告大宮市長は、印紙売りさばきに関して何らの権限を有しない。

(二)  地方自治法第一七〇条は、現金又は物品の出納その他の会計事務は収入役の権限であることを規定しているが、その反面、収入役の権限として定められた事務は市長の権限から排除されるものと解すべきである。従つて、被告大宮市長は、印紙売りさばきに関して何らの権限を有しない。

(三)  更に、印紙の売りさばきに関する業務の委託を受けた大宮市として、国から印紙を買い受け、これを保管し、その出納、売りさばき、および売りさばき代金の出納などを行なう機関は、地方自治法第一七〇条の規定からみて収入役でなければならない。ところが、原告は、一般職(地方公務員法第三条第二項)であり、又、事務吏員(地方自治法第一七三条第二項)であつて、昭和三五年五月一日以後、収入役若しくはその補助機関である副収入役、出納員又は分任出納員に任命されたことはない。従つて、原告は印紙の売りさばきに関しては何らの義務を負わない職員である。

なお、大宮市出納員規則は、出納員を補助させるため出納補助員を置くことができること(第三条)、出納員は合規の監督を怠らなければ他の職員をして出納事務を行なわせることが許されること(第九条)を規定しているが、前者は地方自治法第一七〇条、第一七一条に違反するものであり、後者は(会計法第四一条第二項の趣旨に照らし)地方自治法第二四四条の二第一項を曲解した規定である。

(四)  以上の理由により、印紙売りさばきに関して、権限のない被告大宮市長が義務のない原告に命じた本件命令は違法である。被告大宮市長は、本件命令は地方公務員法第三二条に基ずく職務上の上司の命令である、というのであるが、本件命令は特別権力関係に基く職務命令の範囲を逸脱した違法な行政処分である。

(五)  なお、本件命令について、昭和三六年一〇月二二日原告は訴外大宮市公平委員会に対し、地方公務員法第四九条により、不利益処分審査請求書を提出したが、右委員会は、同年一二月八日「本件命令は積極的な処分を受けたとは認められず、地方公務員法第四九条にいう不利益処分には該当しない」との理由で、右審査請求を却下した。

四、原告は、本件命令が違法であるにも拘わらず、やむを得ず、本訴を提起するに至るまで、印紙の売りさばきを実行して来たものである。その結果、被告大宮市の得た不当利得および原告の蒙つた損害は、次のとおりである。

(一)  原告が売りさばいた印紙は、一〇〇円印紙一、五六九枚、一五〇円印紙一、三七三枚、売りさばき代金総計三六二、八五〇円であるから、被告大宮市はその一、〇〇〇分の三〇に相当する一〇、八八五円五〇銭を手数料として国から受け取り、義務なき原告の行為によつて、右手数料相当額を、法律上の原因なくして不当に利得したものである。

(二)  原告は、大宮市一般職の給与に関する条例(昭和二六年条例第四号)に定められた行政職給料表四等級一八号の給与を支給されているが、印紙売りさばきに関しては何らの報酬を受けていない。しかるに、大宮市職員の特殊勤務手当に関する条例施行規則(昭和三二年規則第五号)第二条により、市税等の徴収に従事する税務職員は、本俸月額の一〇〇分の一〇に相当する特殊勤務手当を支給されている。これに対比すれば、被告大宮市は原告に対しても右と同額の報酬を支給するのが妥当である。よつて、原告の本俸月額三〇、五〇〇円の一〇〇分の一〇に相当する三、〇五〇円の五ケ月分一五、二五〇円は、原告が違法な命令によつて印紙売りさばきの事務を執行したことにより原告が蒙つた損害額というべきである。

(三)  原告は本訴を提起し、かつこれを遂行することにより蒙るべき損害額は二五、〇〇〇円であるから、これも損害額に加算する。

(四)  被告大宮市の代表者である被告大宮市長は、職務上優位にある地位を濫用して本件命令を発し、原告を懲戒処分にすることを暗示し、或いは義務なき行為を行なわしめたのであるが、原告はそのため著しい精神的圧迫を受け、かつ精神上の不安と痛苦をしのばなければならなかつた。原告のかかる精神的苦痛の慰藉料としては、一〇、〇〇〇円が相当である。

五、そこで原告は、被告大宮市長に対しては、本件命令は違法であり、しかもその瑕疵は重大かつ明白であるから、本件命令が無効であることの確認を求めるものであるが、仮に右瑕疵が重大かつ明白でないとすれば、予備的請求として、違法な本件命令の取消を求めるものであり、被告大宮市に対しては、前記不当利得および損害金の合計六一、一〇〇円のうち五〇、〇〇〇円の支払を求めるため、本訴請求に及んだ次第である。

と述べ、証拠として甲第一ないし第四号証を提出した。

被告ら訴訟代理人は、本案前の主張として「原告の被告大宮市長に対する訴は、これを却下する。」との判決を求め、本案につき、「原告の請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として

国又は地方公共団体の機関は、抗告訴訟の被告として形式的当事者となる場合の外は、実体法上権利能力を有せず訴訟によつて保護される権利をも有しないから、一般に当事者能力を有しない(最高裁・昭和二九年二月二六日判決)。従つて、被告大宮市の執行機関である被告大宮市長は、行政行為無効確認訴訟につき当事者能力を有しない。

よつて、原告の被告大宮市長に対する国民年金印紙売りさばき命令処分無効確認の訴は不適法として却下されるべきものである。と述べ、事実上の主張に対し

一、請求原因第一項は認める。

二、請求原因第二項も認める。しかしながら、本件命令は行政行為無効確認訴訟或いは抗告訴訟の対象としての行政行為ではない。すなわち、行政庁の行為であつても、本件命令のようにその行為が単なる注意、勧告、戒告、希望などの表明であつて、相手方その他の関係者に対しその法律上の地位に変動をもたらさない行為は、その効力を訴訟によつて判定するに値しないから、抗告訴訟或いは無効確認訴訟の対象となりえないのである。ところで、被告大宮市は、住民の便宜を図るため、各支所においてもその所管区域における国民年金事務および印紙売りさばき事務を取り扱わせることとし、原告所属の春岡支所においては、原告は着任以来、出納員の補助として市税の徴収および市証紙の売りさばき事務を担当していたので、印紙売りさばきについても併せて原告に取り扱わせることとしたのである。ところが、原告は印紙売りさばきの事務を執行すべき義務がないと主張したので、被告大宮市長は本件命令を発したのであるが、本件命令の主旨とするところは原告に地方公務員としての法定の服従義務のあることにつき注意を喚起したのに過ぎないのであつて原告の法律上の地位に何らの変動をもたらすものではない。従つて、本件命令の無効確認或いは取消を求める被告大宮市長に対する本訴請求は失当である。

三、本件命令が違法であるとの主張は争う。

(一)  市長は、一般に当該市を統轄し、これを代表するものであり(地方自治法第一四七条)、当該市の事務および法律又はこれに基く政令によりその権限に属する国などの事務を管理執行するものである(同法第一四八条)。そのために、市長は、収入および支出を命じ、会計を監督することができるのである(同法第一四九条第四号)。ところで、被告大宮市は厚生大臣から印紙売りさばきに関する業務を委託されたのであるから、右の業務は大宮市の業務であり、従つて被告大宮市長は市長として右業務を執行する権限を有するものである。

(二)  同法第一七〇条の規定によれば、現金又は物品の出納その他の会計事務は収入役の権限とされているが、この場合も、収入役は本来長の権限に属する右事務を長の補助機関として処理するに過ぎない。従つて、被告大宮市長は、印紙売りさばきに関して権限を有するものである。

(三)  原告が、被告大宮市の一般職の事務吏員であり、収入役又はその補助機関でないことは認める。しかし、同法第一七〇条、第一七一条は、収入役を補助する者を法定の補助機関である副収入役、出納員又は分任出納員に限定する規定ではない。けだし、同法第一七三条第二項所定の「事務」には、出納その他の会計事務をも含むものと解せられるからである。

(四)  以上の理由により、本件命令は適法な職務命令である。しかも、行政訴訟の対象となるべき行政行為ではない。

(五)  請求原因第三項(五)の事実は認める。

四、原告が印紙売りさばき業務を実行したのは、被告大宮市の事務吏員として当然なすべき義務を履行したものに過ぎない。不当利得および損害賠償に関する原告の主張は、全て争う。

五、従つて原告の請求は、いずれも失当である。

と述べ、甲号各証の成立を認める、と述べた。

理由

先ず、原告の被告大宮市長に対する本件命令の無効確認および取消の訴の適否について判断する。

被告大宮市長は、同被告は行政行為無効確認訴訟について当事者能力を有しないと主張するが、同被告の援用する最高裁判所昭和二九年二月二六日の判決(民集八巻二号六〇七頁)は、「地方公共団体議会の解散請求署名簿の署名の効力に関する訴において、解散請求を受けている地方公共団体の議会は、当事者能力を有しない。」としたものであつて、本訴についての先例となるものではなく、「行政処分の無効確認を求める訴は、処分行政庁を被告として提起することができる」ことは確定した判例である(最高裁・昭和二九年一月二二日民集八巻一号一七二頁。その他多数の判例がある)。従つて、被告大宮市長の本案前の抗弁は採用しない。

ところで、本件命令が行政行為無効確認の訴或いは抗告訴訟の対象となるべき行政行為に該当するか否かについて判断する。地方自治法第一七〇条は、近代会計法の原則に従い、収支の命令機関と執行機関とを分離し、現金又は物品の出納その他の会計事務を出納長又は収入役の権限としたのであるが、出納長又は収入役は、もとより普通地方公共団体の長の補助機関の一であつて、長の会計監督権(同法第一四九条)に服するのであり、更に、同法第一七三条第二項の「事務吏員は上司の命を受け、事務を掌る」の「事務」には、出納その他の会計事務を含むものと解すべきであるから、出納長又は収入役を補助するのは、副出納長、副収入役、出納員、分任出納員のみならず、事務吏員も必要あるときは上司の命令により補助者として出納その他の会計事務を行なうことは差し支えないと解するのが相当である。本件命令は、原告の上司である被告大宮市長が事務吏員である原告に対し職員の指揮監督並びに会計監督権に基いて印紙売りさばきをすることを命じた職務命令であつて、行政内部における事務の補助執行につきなされたものであり、特別権力関係における内部的職務執行を規律するに止まり、原告の法主体としての法律的地位に関するものではない。かかる職務命令の当否は、当該特別権力関係の内部において解決されるべき問題であつて、訴訟の対象たり得ないものと解するのが相当である。

従つて、被告大宮市長との間において、本件命令の無効確認或いは本件命令の取消を求める訴は、不適法として却下すべきものである。

次に、被告大宮市に対する不当利得返還および損害賠償の請求について判断する。

原告が被告大宮市の一般職の事務吏員であるが、昭和三五年五月一日以後、収入役若しくはその補助機関である副収入役、出納員又は分任出納員に任命されたことがないこと、被告大宮市長が原告に対して本件命令を下したことは当事者間に争がない。職務命令が法律上有効に成立した以上、職務上の命令に対しては、職員はこれに服従することを要し、その内容を審査し或いはこれを違法とし、或いはこれを不当として服従するか否かを決しうるものではない。原告は、本件命令が違法であると主張するが、原告の関係法令の解釈は、原告の独自の見解であつて採るに足らない。すなわち、前記のように被告大宮市長は被告大宮市の代表者として職員に対する一般の指揮監督権会計監督権を有するものであり、会計事務の一部である印紙売りさばきに関しても命令権を有するものであり、しかも、出納その他の会計事務を補助するのは副収入役、出納員、分任出納員に限られないのである。大宮市出納員規則は当然のことを明確に規定したに過ぎないのであつて、違法ではない。従つて、原告が実行した印紙の売りさばきは、厚生大臣から委託を受けた被告大宮市の業務であり、原告は被告大宮市長の補助機関として、当然なすべき義務を履行したのに過ぎない。被告大宮市が手数料を受領したのは、もとより法令に基くものであり、不当利得の成立する余地はない。次に、原告は税務職員との対比において、特殊勤務手当相当額の損害金を請求するのであるが、地方公務員法第二五条は、職員の給与は条例に基かないで支給することができないことを規定しており、各職員の特殊性に応じて特殊勤務手当を支給すべき場合には条例が制定されるのであるが、印紙売りさばきに従事する場合については特殊勤務手当を支給することを定めた条例はない。かかる条例が制定されていないのは、特殊勤務手当を支給すべき特殊性が認められないからである。従つて、原告に特殊勤務手当相当額の損害が生じたということはできない。更に、原告は、本件訴を提起したために要する費用を請求しているが、本件訴は被告大宮市又は大宮市長の故意過失に基く違法な行為によつて提起せざるを得なくなつたものではなく、原告が誤つた法令の解釈に基いて提起したのであるから、仮に損害が発生したとしても、被告大宮市に賠償を求めうる筋合ではない。慰藉料の請求も本件命令が違法であることを前提とするものであるから、これ亦失当である。

従つて、被告大宮市に対する不当利得返還請求および損害賠償請求は、爾余の争点について判断するまでもなく、失当として、いずれも棄却すべきものである。

よつて、被告大宮市長に対する本訴は、いずれも、これを却下し、被告大宮市に対する本訴請求は、いずれも、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡咲恕一 長浜勇吉 篠田省二)

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